惑わされないこと

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以前にも書いたが

自死とキリスト教

日本カトリック司教団「いのちのまなざし」(2001年)より

神は正義の神であると同時に
   あわれみの神でもあります。

この世の生を終えた人々を
   「神がどのように裁き、どのように受け入れられるのか」

   それはわたしたち人間の思いをはるかに超えた神秘です。

裁きは、すべてを見通される神の手にゆだねるべきです。

  この世界の複雑な現実と、人間の弱さを考えるとき、
 
わたしたちは自死したかたがたの上に、
神のあわれみが豊かに注がれるであろうことを信じます

 しかし残念なことに,教会は「いのちを自ら断つことは
                   いのちの主である神に対する大罪である」という立場から
これまで自死者に対して、冷たく、裁き手として振る舞い、差別を助長してきました

 今その事実を認め、

   私たちは深く反省します。

この反省の上に立って、これからは、神のあわれみと
       そのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としている
              その遺族のために

 心を込めて葬儀ミサや祈りを行うよう

    教会全体に呼びかけていきたいと思います


   このように 自死への差別を反省しています


仏教でも「お経」には  自死者がどうのこうのということは書かれていません


   何の根拠もない差別的なことを言われて苦しむ必要はありません

    神様や仏様は  人間とは違い  寛大で無償の愛を施してくれます

        人間程度の考えで 自死したひとを冒涜する行為は

      神様や仏様への冒涜です

         
      無知なるが故の言葉こそが罪です
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