愛と悲しみと

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  今でも 息子はなぜ・・・とおもう

   たくさんの様々な気持ちが複雑に絡み合って  今を生きている

    幸せな不平不満はなくなった

     家族を喪っていない人の  不平不満は幸せだなぁ~~~と感じる
私もそんなことを言いながら  生きていた時があった

 なんて幸せな日々だったことか

  今でも胸が苦しく締め付けられるような悲しみに襲われる

   でも 誰にも気づかれないように  その苦しみに耐えることができるようになった

    涙があふれるときも  グッとこらえることができるようになった

    たまーに  こらえきれずに 涙があふれてしまうことがある


    それは 息子への愛だから
                       受け入れているそのままに・・・

   自責の念が強くて  自分に愛情がなかったから・・・

      自死したのでは…と思う遺族もいる

  が

     悲しいという感情が湧きおこることが「愛」がある証し

       「愛」があるから「かなしい」

「愛」のない人が亡くなっても 苦しいほどの悲しみにはならない

   それは「愛」が存在しない関係だから

   悲しいという感情は「愛」からうまれる

   悲しみは愛しさとともに・…・グリーフ・イズ・ラブ

   を どんどん広めてください

       悲しみは取りのぞかなければならないような「悪」ではありません
「悲しみが消える」ということは「愛が消える」こと

「悲しみが薄くなる」ことは「愛が薄くなる」こと

   悲しみをトラウマだなんて  思う人は「愛」がない人

「愛」を知らない人に「心のケア」はできない

   「愛」と「悲しみ」を知るのは

     人間だけ
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No title

動物番組か何かで見ましたが、猿が、自分の子供が死んで、ボロボロになっても手放さなかったです。
動物番組を見ると、死んだ子のそばで親が鳴いてそばを離れなかったりしていて、野生の動物でさえ愛と悲しみを知っているように思います。動物は、厳しい環境に生きていて、人間よりも死が身近にあるはずで、可哀想に思います。
家畜の豚も、わが子が連れ去られる場面で、どうか連れていかないでと、人間に顔を押し付けて、哀願してるようでした。

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こんばんは。

「悲しみは愛」
教えていただいてありがとうございました。

私が苦しいほど、悲しいのは、息子が愛しいからですね。

周りは、元気にならないと悪いと思っているので、
まるで、泣くことはいけないことのように、
どうしていつまでも泣いているのかと、叱咤されていました。

それで、私は知らないうちに、周りを恨んでしまったようです。


「悲しみは愛しさとともに」

愛が無くならないと同じで、悲しみも無くならないのですよね。
愛しい愛しい、息子です。
会いたくて涙が出ることを、理解できない人がいるのが残念です。

ブログに少し田中さんの言葉を引用させていただきました。
ありがとうございました。