命日を記念日という表現をする感性

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震災の日を記念日というのは日本人には違和感があります

    東日本大震災3年目の記念日

  という言い方で  被災者は納得しているのでしょうか

   支援者の通信やリーフレットやHPに

   必ず掲載されることば
「聞いてもらえてよかった」という声をいただきました

       自助グル―プは そんなことは掲載しない


 相互扶助の精神

 支え、支えられ・…・お互いに・・・

      明るく笑っていても悲しみがあることを

   遺族同士は知っている

     「グリーフ落語」って  なんでしょうか

    遺族が
悲しみを知らない「悲しみをケア」する専門家と自負する人から
遺族の悲しみを学ぶことが必要であるという

    が

  「私の悲しみはわたしのもの」

      誰のものでもないわたしの悲しみ

  比べることはできない

     本に書いてある遺族の悲しみは私の悲しみではない

100人いたら100の悲しみがある

      本で学ぶ悲しみと

   実体験した悲しみは違う

  対岸の火事
       
    子供を亡くしてみないと子供をなくした悲しみはわからない

    理解できない

  1000人の人が亡くなっても

   私には私の息子の死のほうが悲しい

      それは愛が違うから

   いいとか悪いとかではなく

    愛の違い

       見たこともない1000人への愛と

   産み育てた子供への愛は違うのは当然

        愛が深いほど深い悲しみがある

    愛が消せないように 悲しみも消せない

  悲しみを消すというのは  愛を消すこと

  他人である支援者に  私の息子への愛を消させない

  消す権利もない

      

   遺族が「悲しみは愛しさとともに」といっているのに

      それは間違っているという支援者

      私の悲しみの何がわかるというのだろう

     卑しいひとたち・・・・

         あわれで  心の貧しい人


 死んだ日は記念日とはいわない

    悲しい人たちを蔑んでいる人に

        ケアはできない

     
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