小田原の浄土宗の青年会

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 昨日 小田原市の浄土宗の青年会に行ってきた

    熱心に聞いてくれて  ありがたかった・・・とても

   質問もあり・…熱心なお坊さんたちでした

  その中で

  グリーフケアの話もした

   グリーフケアは要らないという声も自死遺族にはある・・・・と伝えた

    宗教者は

 たとえば 浄土宗のお坊さんならば

 「阿弥陀様がお救いくださる」と 説くのが お坊さんとしての役目

    阿弥陀様よりも「自分が悲しみのケアをしてあげる」
       という考え
それが遺族に「グリーフケア」を勧めること

    
阿弥陀様の御教えを説き、阿弥陀様によって救われる事を諭す

     それが 浄土宗のお坊さん

阿弥陀様よりも自分が偉くなるのは・・・・・・??????

    宗教者ではない

   キリスト教の神父さんや牧師さんシスターも
「神様がお救いになる」と諭すのが普通

    神様にお仕えする宗教者が

自分が遺族の悲しみを癒すという考えかたは
    いかがなものだろうか

   神様ではなく  グリーフケアという方法で悲しみを癒してあげます

       ということを  何の違和感もなく 広めている

  宗教者に  私は??????

 知り合いの牧師さんも神父さんも
「神様のご加護を・・・」
「神様の祝福があなたに・・・」
「神様が見守って、お救いになります」と お手紙に書いてくれる

   お話も いつも神とともに・・・・と・・・・

    自分が癒すとか自分が救うとは決していわない

 神様よりも仏様よりも
   グリーフケアという方法が人々の悲しみを救うという
    考えを信じている宗教者は
 神様を仏様を信じていない人たち
  神様と仏様にお仕えしていない

     主は仏様であり神様が主であるはず・・・・

    人間が人間の悲しみを消すというのは

     あまりにも傲慢である  

 小田原のお坊さんたちは  うなずいていたから

    阿弥陀様を踏みつけて、自分が偉くはならないだろう

    そう信じている  
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コメント

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ある宗派の会の講演会で

あらかじめ講演者に質問できますか?と問い合わせしてから行った。
講演の中で質問できなくても、質問を取り次いでくれるような話しだったので、そのまま行くと、質問時間は講演者の希望でありませんとのこと。
これならはっきり紙に書いて来てください、と言ってくれればいいのに~と思ったけど、後の祭り。
急にメモに書くと言っても、口頭で伝えれると思っていたから言葉がまとまらなかった。
とりあえずメモにした。
渡してくれてるものと思っていたら、渡してくれておらず、講演者に話が通じなくて当然だった。
あんなにスタッフの僧侶さんがいても、あたふただったり、こちらの希望は伝わらないんだと思い知った。
休憩時間にすら渡してもいなくて、講演者に話してるのを見て、あわてて持って来た。
それまで何してたの?とげんなり。
やはり僧侶さんというのは決められた動きしかできないんだなあ~と失礼ながら感じた。
今後この会の講演会に行くかは未定。
本の内容話聞くだけなら、わざわざ時間割き、遠くまで講演に行く必要ないもの。
質問できてこそ、講演者の素が見れる。
やはりお寺や僧侶さんには縁がないのかなあ~
試験の勉強してた方が良かったかも!