遺構とは

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昨日は仙台「つむぎの会」

 明日は「藍の会」
          
      震災の遺構問題や復興の話し合いには

 なぜか  遺族の声は届かない

 なぜか  名古屋のNPO や  神戸のNPO

     学者たちが  集まって  議論されていく

    荒浜小学校が遺構として 「きぼうなんたら」となるらしい 

     助かった人たちは「希望・…」の遺構なのだろう

    その直前で・・・ 亡くなった人たちも多くいることを忘れてはならない

遺族にとって  そこは「希望・・・」ではない

   命がある人たちは  命を失った人たちのことを思い

  遺構や復興の問題を考えるべきだと思う

    自分よりも悲しい人たちのために

     なにか できることを考えるのが  支援者の大好きな「絆」ではないのだろうか

    悲しみの深い遺族の声は無視

      家族が誰も死ななかった人たちの声は届く

        家族が亡くなった人の声も

   親を亡くした子供「遺児」の声は 届けよう・・・という

  大人の支援者たちがいる

子供は大人の支援者の思うようになるからだろう

         大人の遺族は  支援者の思うようにはならないから  無視

   わかりやすい 構図である


   自死の問題も同じ

  自死遺族の声は無視

   自死遺児たちは「かわいそう」を売り物に

       見世物のように   街頭募金に立たされる

   大人のいうがままに   


      心のケア を  しなければならない

  と  あっちでもこっちでも   叫んでいるが

               遺族が遺構を残してほしくないと願うなら
      壊すことが「心のケア」ではないのだろうか

     見たら 心が痛い……苦しい  というものをなんで残すのか

     見ても心が痛くない苦しくない人は

    なくても   心は痛くない人

                心のケアとは
       やさしさとは

      何なのでしょう


   

「被災者とともに」とは
亡くなった人および家族を喪った人、家を失った人、職を失った人を思いながら
この順に何ができるかを考えていくことである
喪失と悲哀は
 家族を喪った人で最も深く、
  彼らを傍らに置いて構想を語るべきではない。

亡くなった人との対話、故人の遺志を聞きとった人をいたわり

   故郷の住と職を再建しようとする被災者の意志が
県、国、多くの企業が提案する構想と交流していくとき
復興は前に進んでいくのである

被災者の悲哀と建物と社会の再建はひとつである

  思想なき災害救援も 感情なき災害復興もあり得ない
(野田正彰)
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