「こころのケア」をしたい人が多いのはなぜ?

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どうしてこんなにも 「心のケア」が好きなんでしょうか

こころのケアということばの響きが
    満足感を与えるのでしょうか
支援者が 満足感を得るための言葉「心のケア」

   目に見えない「心」をどのように
ケアできるのか・・・・

  そんなことを考えることもなく

「心のケア」をしよう 「心のケア」をしてあげよう

    と   ルンルン気分なのでしょうね

宗教者が担う復興支援探る
仙台で会議  昨日・今日 国際センターで開催

 貧困問題の湯浅さんを講師に招いている
   場違いな気がするのは
        私が遺族だからだろうか

     心のケアを  猫も杓子も 馬鹿の一つ覚えのように
           唱えているが

   宗教者ができる「心のケア」とは何か

        どこかのお化け坊主が 有名になりたくて
          震災後  水を得た魚のように

    嬉々として   癒したい人になっているが

    カフェも開いているようだが

   本来の坊さんの役割とは違う

          お釈迦様にお仕えする身として

 お釈迦様の御言葉を伝え  説き
          門戸を開放し
いつでも  悩み苦しみを 聞き
   地域住民の幸せのために  尽くすこと

   それが 御仏の教えではないのだろうか

    自分が心のケアをする・・・・という考えは宗教者ではない

キリスト教も同じ

   牧師さんも神父さんも尼さんも住職さんもシスターも
     神様や仏様にお仕えするものは

  自分が「心のケア」をするのではなく

 神様・仏様の手や足となり  教えを説き、自分が救うのではなく

   神様や仏様が お救いになる・・・ということを
     伝える役割が本来のあるべき姿ではないだろうか

   そして  被災者が何を望んでいるのかを知ることが先ではないのだろうか

        支援の押し売りになってしまう

  自死の場合も同じ

  無駄な支援ばかりで  支援者が余計なことをするから
      邪魔ですらある・・・・・・・という 当事者の声すら聴こうとしないことになる



   何をしてほしいのか  当事者から聞く姿勢がない支援は空回りです

     こころのケアという言葉をきくと  吐き気がする最近です
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はじめまして

最近は精神の障害という言葉ばかりで、そもそも精神の健康の状態がどういうものか話合う機会が少ないですね。医者も宗教家も頼りにならない実体があると途方にくれますが、社会が良い方に向くように協力し合える方が必ずいることを信じて、働きかけたいと思います。また読みに来ます。