しつこく 粘り強く あきらめない

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20日 岩沼市 中央公民館で 増上寺のお坊さんによる「法話の会」を開催

奇数月に毎回開いている

偶数月は仙台市の慈恩寺「法話の会」


  仏教の本を読んでいるよりは  生のお説法は 心にしみる

  愚かなので 日々の暮らしの中で 煩悩が渦巻くが

     法話の時間は 遺族の顔も心なしか穏やかに見える


毎日 憤り生きている私には必要な法話の会



私は 行政との闘いを続けてきた

行政に行政の考えている事と違うことをしてもらうのは 至難のわざ

   たとえ それが正しいことでも・・・・

 見当違いのことをしても 実績や利益を上げる意識のない行政は

    結果がでなくても 「やっています」ということだけでいいのだ

夫は 元国家公務員

「例えば 1年間で500万円を使い遺族の会をやって

         遺族が1人だとしても  それは自分たちの責任ではなく

 自分たちは500万円かけて 遺族のために会を開催しているが

   遺族が来ないだけです・・・・・という  それが行政というものだ・・・・」

       と  いう


 全く そのとおり!

   一生懸命に活動をするのは 邪魔ですらあるようだ

     しかし

   めげずに  しつこく しつこく  言い続けてきた

夫は「お前みたいなのが役所は一番嫌いだ」という


   それでも  同じことを何度も何度も

       いろんな角度から言い続けてきた


   壁は厚い

 自死の対策って 何だろう

     何にもしていないのに  減るわけがない



    時々 
   他の人の命のために  こんなことまで言われて・・・・


     と  思う時がある


やる気のない 人たちも  

   自分の家族が死んでみないとわからないのだろうとおもう

私がそうだったから

   仕方がないのかな

でも 私は自死防止や予防の仕事もしていなかった

     支援の活動もしていなかった

    無関心だっただけ 

        

莫大な税金を投入して パフォーマンスだけなら

   何にもしないほうがマシ

 無関心な世間は

  表面だけ見て

   あんなに一生懸命にやっているのに

   死ぬなんて・・・・・・と 


 支援者は称えられ  自死した人は 善意を裏切ったもの


     自死をビジネスとする輩が潤っただけ

  
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コメント

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行政の無駄は今までさんざん批判され。改革にむいたはず。
改革は私たちに負担かかるものは、すばやく実行され、何で?ということは後回しな印象受けることも。
行政の現場で働いてる人たちも、改革に振り回され、したいこともできなくなったり。
自助については自死遺族だけがダメなんでしょうか?
多くの場で、自助は称賛され結果を出して来た歴史あると、聞いたんですけど。
自死遺族は声出したらダメ?
押しつけの言葉聞くだけしかダメ?
傾聴という言葉は、誰のために?