遺族の支援者は支援の専門家(?)から学ぼうとするが、遺族本人から学ぶ気持ちにならないのはなぜ・・・

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      遺族の声は遺族支援者には聞きたくないものなのだろう

  遺族支援をしているひとたちは

      遺族の声ではなく  支援の専門家という人の話を聞きたい傾向がある


     支援者からみて考えた支援の在り方や 悲しみについて


  遺族の生の声をたくさん聴いたほうが  学びになると思うのだが

   そうは思わないようだ


       ふしぎ


      私は遺族だが  遺族からたくさん学びをもらっている

   一人 ひとり  違う 悲しみ

    30人いたら30人の悲しみ


 100人いたら100人が違う支援を求めている


    遺族の心の専門家(そんな人は存在しないのだが)から 悲しみや遺族ということを学ぶから

    目の前の遺族に  研修で学んだ知識を当てはめようとする


       目の前の遺族は 研修で学んだ遺族ではない


     そもそも  何も無理して遺族の悲しい話を聞く必要はない


          私は自分が遺族だから

              遺族の話を聞いても疲れないし、研修で悲しみを学ぶこともない


       私は遺族だから遺族にかかわっているだけ


   遺族でなかったら  私は遺族の集いはしない

      ボランティアで 遺族にかかる気持ちはない

           ましてや 生活の糧にしようともおもわない


      近所にいても 普通にお付き合いするだけ

      しかし

   自分が遺族になってしまったから

     遺族の活動をしている


         遺族という立場から 逃げられないから


   世の中には

      遺族の悲しみに  わざわざ勉強までして

       付き合いたいという人がいるのだから  奇特な人が多いと思う

     しかもNPO法人にしてまで・・・・


       人の悲しみに そんなにしてまで 付き合いたい人の心理が理解できない


      神様や仏様のような人たちが日本には多いのかな?????


      そして

    会を開催しても 遺族が誰も参加しない

      参加しても二度は参加しない・・・・


            なぜ参加してくれないのだろう・・・・・・と 嘆き

    研修が足りないのかと・・・・支援の専門家という有名な人を呼んで研修を重ねる

  でも遺族は参加しない

   また研修をする・・・・・・・しかし遺族は参加しない…リピーターにはならない

       仕方がなく

      子供の支援をする


      育英資金を受けている子供たちを   同じ系列の会に参加を促す

          いつも同じ遺児たち

      遺児はいつか大人になる

           少なくとも自死遺族は参加していない

      それで 自死遺族支援や自死遺族に支援について語れる

               活動内容があるのだろうか


          支援者が支援者からの受け売りの言葉で語っても


         遺族には響かない


       そして 遺族支援なのか 自死の予防が主なのかを見失い 

        なにをしている団体なのかさえ

      みえなくなってしまう


       自死遺族支援の団体はあくまでも主たる目的は自死遺族のための活動


     付属的に 予防や防止活動はあるが  あくまでも主旨は主旨

 
   何を・・どれを メインとした活動をしているのかを見据えて

       道を踏み外さないことが団体の信頼となる




    

    
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