fc2ブログ

なんかが違う

200505_img_14[1]
時々、すぐそばに息子を感じる時がある
  いつもは 少し離れたところにいる気がするが
   目の前にいるような錯覚をするときがある
2005年に逝った息子
  あれから 18年が過ぎた・・・・
    それでも
  胸が苦しいほど 涙があふれることがある

いつもではない
   悲しみに慣れ 悲しみがあるのが私になっているが
激しく
   息子を思い 狂おしいほどの悲しみに襲われることもある

普段の生活は
   もうすぐ75才だけど  元気で暮らしている

 やることが多すぎて  
      やれていないことも多い


高齢になったからなのか
    いろんな社会的問題に 若い時ほどの怒りはなくなった気がする
諦めの境地なのかもしれない

 いい意味での社会への怒りを失うのは 
    活動をする上では マイナスの面が多い

 それでも
   怒りはある
            どうして いい方向に社会は動かないのか
         
  なにもかもが 金・金・金・・・・・金
      そして保身
         仲間外れ 同調圧力
  妬み 嫉妬  暴力
      忖度 

最高学府で学び・・・
   人間としてすばらしい人たちが増えるはずなのに・・・・
  
見た目だけが立派な 張りぼての豊かさ
   
  ある一部の企業等の利益のために(それが政治家の利益にも・・・)
 力のない
 平民は いいように利用され
 操られ  洗脳され       生きづらい社会へとむしばまれている
   
   国民年金では 特別養護高齢者施設の費用は払えない
 
介護施設には国民年金の高齢者は入れない
     費用を払えないのだから

少子化・・・小学校の数が減らされている
   子供の数が少なくなっているんだから  小学校は統合されている
中学校も
  公立も高校も・・・・ 減らされて統合されている
生徒の数が少ないんだから・・・

それなのに 私立の大学は増えている・・・どんどん
   当然定員割れがおきる

  子供の数が減って  小学校も中学校も高校も減っている
  大学だけが増えている・・・
なぜ?
どこかの誰かが儲かっているのだろう・・・・
私立であっても
国からの補助金が出されている・・・・
   税金が使われている

なんかが 違う

子どもの数が減り 子供の自死が増えていく日本
    なんか変
平民の私たちは
   上級国民の発信に惑わされず
       もう少し
 客観的に社会を見つめることが必要ではないかと思う

 自死を減らし
     自死の無い社会の実現のために
スポンサーサイト



他者への差別・・・・気づかない人たち

02.jpg
人は自分が差別されることは嫌うが他者への差別的意識は持っていることが多い
 無知は罪であるという言葉がある
  深い事は何も知らずに あれこれ言う人たち

 自死した人への差別的な問題も
   遺族ですら知らずに批判をする人もいる

  宗教者の中にも  自死への差別的意識が深くある
    キリスト教には・・・・・という人が多いが
   仏教にもそういう考えを捨てきれずにいる宗教者がいることも事実

  今年度は 厚労省補助金事業で 
「自死と向き合い、遺族と共に歩む」
~法律・政策ー社会的偏見の克服に向けて~
   というタイトルの手引き本の作成と配布を行っている

今年度は宗教関係機関
    宗務所など お寺や教会などの研修などをしている機関に送付

「受け取り拒否」として 返されてくるケースもそれなりにある
    宗派によって違う
      一部の宗派はかなりの数で受け取り拒否がある
  
もちろん
    追加での送付を希望して頂いた宗派の宗務所もそれなりにある
     また
  お手紙やハガキメールやFAXでのお礼もたくさんいただいています
約1400ヵ所におくっているので
    いろんな考えの宗教機関があることがよくわかる
  
受け取り拒否でなくても
 普通に受け取り ごみに捨ててもいいかとは思うのだが
  自死という言葉がある団体からの手引き本は
       手にするのも汚らわしいという事なのだとしたら
   本当に昔からあるお寺なのか・・・
       教会なのか・・と
  悲しくさえ感じる
檀信徒から追い出すのだろうか

   自分の家族が自死したら どうするのだろうか・・と

そして
 無理心中と心中とは違う事も知ることが遺族には必要かな‥と思う
 心中もいろいろある
   前に新聞記事を掲載したケースは
いじめにあって
  学校は何もせず  小学2年の子どもが体調を崩すようになり
 不登校になり
   出血があったり 頭痛・腹痛 吐き気
       眠れない
     食欲がない  体がだるい 胸が痛い
等など
たくさんの身体症状が出ていた
    子ども病院など 検査のできる大きな病院でも診てもらっていた
 校長室登校も
   いじめを助長させていた
「○○ちゃんは  いいな 勉強もしないで 校長室であそんでばかりいる・・」と廊下で子どもたちが騒ぐ
   集団登校の同級生の子どもからのいじめだから
自宅は近所
   校長からモンスターペアレンツのように噂をされ
      たくさんの相談機関に相談もしたが
  どこも同じような対応

   苦しみ続ける我が子を 見るに見かね
       苦しみの地獄の中で わが子を手にかけ自分も死んだ

小2の子どもは死にたいと言っていたが
  小2では死ぬ方法がわからない
  
 わが子が苦しむ様子を毎日みて 
自分も加害生徒の親や学校から
    仲間外れにされ
    挨拶もしてくれないようになった・・・・

そんな母を 殺人者と  呼んでいいのだろうか
  心中だから・・・
法律的には そうだろう・・けど。・・・・

 自死した人同士を  遺族が差別的に見ていいのだろうか

  自分の家族の自死は あなたと違う
    一人残されたお父さんに
 あなたの場合は 子どもを殺して 自死した・・・・殺人者の自死だ・・と 言っていいのだろうか


      違う気がする

12月21日(木)郡山市 えんの会主催  講演会

R (3)



023年12月21日 講演会のご案内
講演会「自死の予防ー未遂者支援と心理学的剖検ー」

・講師:高井美智子先生
(埼玉医科大学医学部客員講師)
埼玉医科大学病院救急センター ・臨床中毒センター
臨床心理士・公認心理師

・日時:2023年12月21日(木)
午後2時〜4時(1時30分開場)

・場所:けんしん郡山文化センター 4階 第3会議室

・参加費:無料

・定員:80名(事前の申込みは不要です)

・主催: 自死遺族自助グループ えんの会
・後援: 一般社団法人全国自死遺族連絡会、他
 (令和5年度福島県自殺対策緊急強化事業民間団体補助金事業)


名古屋での研修会 2月3日(土)

tatikamebasou11.jpg

 令和5年度厚生労働省自殺防止対策事業    
「自死遺族等への総合支援のための手引き本」
  執筆者から学ぶ
スキルアップ研修会

日時:2月3日(土)午後1時30分~5時00分
場所;TKPガーデンシティPREMIUM名 古屋ルーセントタワー16階B

プログラム
講演:午後1時30分~4時30分  
1:大熊政一(弁護士)✤不動産賃貸借・売買をめぐる問題等
2:細川潔(弁護士)✤ いじめ・体罰による自死等
3:佐々木央(記者)✤自死とメディア          
 参加無料 配布資料あり(手引き本他)               
無料弁護士相談会(午後4時30分~5時00分) 
                  
主催;一社)全国自死遺族連絡会
共催;自死遺族等の権利保護研究会
問い合わせ先;090-5835-0017(田中)

自死遺族の自助グループの悲しみの考え方

P1060222.jpg
 自死遺族の自助グループの紹介は
 全国自死遺族連絡会のホームページに掲載している

 会員が開催している自助グループの紹介
   また会員が主催者だけど
      スタッフ等に遺族以外の人が参加している会の案内もしている
 会員は遺族個人
    会費は無料
 全国自死遺族連絡会は厚労省の「こころの耳」というページの
    自死遺族の相談機関として掲載されている

2008年から活動をしている自死遺族の当事者団体 わかちあいの団体ではない
  社会活動を目的にした当事者団体

  わかちあいの会は 私自身も2006年から開催している
   宮城県内で・・・・・

 遺族の悲しみの病理化やグリーフケアに異論をのべてきた
  愛する人が亡くなった事による「かなしい」という気持ち
  を
うつ病や不安障害・適応障害等と病名をつけ精神薬治療に結びつけることに反対してきた

   昔々から・・・・理不尽な死による悲しみや苦しみを抱えて  多くの人たちは生きてきた
      その中で宗教が生まれたという一面もある
 人間なら 誰でも感じる気持ち・・・
   愛する人の死を経験した人なら
    あたりまえにわきあがる悲しみ
     
アメリカの精神医学会は 製薬会社と一緒になって
  人間の人間らしい喜怒哀楽の全てを精神的病とする事に力を注いできた
  精神医学会の権威ある人たちが
    金という欲望に屈した結果である

 愛する子どもが亡くなって
  悲しくない・・・半年したら ルンルン気分で 毎日楽しい日々を送れている
          そんな親が正常なのだろうか

  それを正常という精神科医たち
     自分の子どもが死んでも  ルンルン気分で暮らせるのだろうか
  子どもが死んだけど
  楽しくてしょうがない‥という精神科医がいたら  
     
   私は怖い

人間として 異常だと  私は思う
   そんな人こそ
  精神科の治療を受けるべきだと思う

愛する家族を喪って
  悲しみや苦しみがあってあたりまえ
 自責の念もあって当たり前

ただ
 悲劇のヒロインになってはいけない

子どもを亡くした母親の私って悲しい人 かわいそうな人
   苦しんでいるんだから・・・
しんどいんだから  悲しくて悲しくてどうしようもないんだから・・・

苦しいよ 悲しいよ・・・
    と嘆いてばかりいる人

自分のために悲しみ、亡くなった人のために泣いていない人
ではなく

    亡くなった人を悼み 悲しみを感じる人になってほしいと思う
  
自分を悲しんでいたら
  何も見えない  亡き人からのメッセージを感じられない

亡くなった人のために悲しみ苦しみ 涙を流していたら
  亡くなった人からの いのちのメッセージが聞こえる

 亡くなった人がいるから遺族として生きている
   悲しみもまた 亡き人からの贈り物

その悲しみから見えてくるものが たくさんある

  息子の自死から
  たくさんの事を学んだ  息子の死を 嘆き悲しむだけで終わらせたくない
息子が死ななくてもいい社会に変えたいと思っている
 
 全国自死遺族連絡会は 大勢の遺族の声を社会に届け
     亡くなった人のいのちを
      自死の無い社会に変えるために役立てたいという活動も目標としている

全国自死遺族連絡会は国が活動を認めた自死遺族の当事者団体
   会員の活動も
   地方自治体が認めてもいいと思う

宮城県は 藍の会の活動を認めている
   それぞれの地域での自助グループの活動を地方自治体が
      そろそろ 認め 連携してもいい時期かと思う

公開しての
自死遺族の自助グループ活動は2006年からはじまり
 もうすぐ20年になるのですから・・


自死遺族の当事者本人たちの活動
自助グループとして
悲しみは愛しさと共に・・・・悲しみは愛しているからかなしいのだ・・という考え
  悲しみは病気ではないという考えかた
悲しみのプロセスなんて
   人はそれぞれで 画一できるものではないこと
複雑性悲嘆や遅延性悲嘆なんて
    支援者たちの都合で考えられたもので
   当事者には
死ぬまで悲しみがあるのが普通で
  悲しみもまた私のもの  悲しみは身体の一部
  であること

等 自助グループの考えを広めてきた

 死別の悲しみは精神薬で治療するというものではない
という事も・・・

悲しみのケアって何をしてくれるの?
  と 問いたい

治療って何?
       人は悲しい時は落ち込むのが普通
        苦しくて普通
「時」
「話」
「涙」
が 悲しみには必要

 必要なのはクスリではない!
   問診でもない
      悲しみの症状や反応を悲しみを知らない人から教えてもらう事でもない

   


   

12月18日の河北新報の記事 

OIP (17)
河北新報社
みやぎ  「みやぎ回顧」⑥仙台・母子心中事件5年
慎重さ欠く姿勢 変わらず
********
仙台市政トップの言葉に驚きつつ映画「男はつらいよ」の寅さんの名ぜりふが浮かんだ
 「それを言っちゃあ おしまいよ」
泉区の寺岡小2年女子児童へのいじめを苦に母親が児童と心中をしたとみられる事件から11月29日で5年。
前日28日の定例記者会見で、郡和子市長は認識を問われた。
遺族がいじめ防止対策基本法に基づく再調査を今も求めているからだ。
「再調査しても(市教委の第三者調査委員会の答申内容と)同じ結果になるのではないかと思う」
 法律上
市長が第三者機関に再調査を委ねられる立場にあるのを棚に上げ
 結論を決めつけるような物言いだった。
すぐに謝罪、撤回したが、本音を思わず漏らしたとすれば、問題の根は深い。

冷静に考えると、妙に合点がいった。

市の担当者は再調査を求められた4月以降
   当事者でもある市教委のみに聴取し、遺族には何も聞かなかった。

 郡市長は再調査しないと決めた当日、
 報道機関に紙1枚だけ出して 発表を終わらせるつもりだった。

市長は遺族との面会時も
「調査は尽くされている」と繰り返すばかりで 話はかみ合わなかった。
「再調査しても同じ結果」
との思いがあっての対応だったとすると、うなずける。

遺族は感情的に再調査を要望しているわけではない。
最も知りたいのは2人が亡くなった事と事件の関わり。
市教委の第三者機関が論拠にした資料の信頼性の検証も求めている

「虚偽記載と思われる個所が多数ある」

遺族が疑念を抱いたのは、市教委が3月に第三者機関の調査資料を遺族に提供してからだ。

しかも資料は全てではなく、無配慮に「選別」した。
「あるはずのない文書がない」と、遺族の不信を招いたのも当然だ。

学校や市教委のいじめへの対応は 当初からずさんと言っても過言ではなかった。

「よけいな一言」と市長が認めた11月の会見を含め、
問題が深刻化したのに慎重さを欠く姿勢がかわっていないことに驚くばかりだ。

郡市長が再調査しないと表明した5月、「再調査の道を閉ざした事実は重い」と紙面で書いた。

事態打開の糸口になるかもしれない再調査の道を開けるのもまた市長だ、と指摘したい。

  12月18日の記事

悲しみとともに元気で生きる

121007_山野草2

記念日反応という言葉が嫌いです
 遺族も使う人が多いが支援者は好んで使う

私は息子の命日は記念日とは思っていない
 命日が記念になるのか・・・・
そんな言葉で命日を表したくない
   記念日って 楽しい事にも多く使われる
むしろ
楽しい出来事に使うことが多い

    命日は楽しくない
      
たぶん 英語で表現すると 楽しい事も悲しい事も記念日となるのかもしれないが
    日本人の私は
息子が亡くなった日は記念ではない

 命日は命日
  命日反応という言葉も嫌い
      命日だから・・・特別な悲しみに襲われることはない
毎日が悲しいのだから
     突然 息子を感じ 叫ぶほどの悲しみに襲われることもある
 幼い子どもをみて
  息子と重なり
          涙があふれてしまう事もある
命日だから いつもよりも悲しいという感覚はない
毎日毎日  いつも
  せつなく かなしいのだから

  どこに出かけても 息子の好物を買ってしまう
スーパーでも・・・・
 これが好きだった・・・から  買って仏壇に‥と思ってしまう
  仏壇の お花もいつも気になる

   命日が近いから・・という気持ちはない
 いつも 亡くなった日を思っているから

 あの時の事を・・いつもいつも 思っている
  こころから離れたことはない

 酒を飲んでも お風呂に入っても
    いつも お兄ちゃんは心にいる
  バカな話をして笑っていても
     お兄ちゃんは そばにいる
 私の心から
     離れることはない
                 講演をしていても  議論をしても
  いつもいつも
       息子は心にいる
だから いつも心には悲しみがある
      寝ていても 息子は亡くなっていると自覚し
         かなしい
  
でも・・・
   私は 多くの人よりも 明るく見えるだろう
    ポジティブ思考だから・・・

   笑顔で生きようとは思っている

笑顔で他者と接しているから  100パーセント楽しいわけではない
    100パーセントの心が顔の表情になるわけではない

 私は 身体の痛みは 痛い!とあまり言わない
    痛い!と叫んでも 痛みは治まらない
自分の痛みは 自分で耐えるしかない
 叫んで訴えても
      どうにもならないのだから
  医師に診てもらう時は
   痛いと伝えるが・・・

  こころの痛みも 誰にも分るわけがない
  私も他の人の痛みはわからない
想像はできるが
  その想像は 私の痛みではない

 
精神的病の人は  自分の病気についてよく勉強している

   自分の精神的病気を意識しないことが
精神的病からの解放となるのだと思うのだけど・・・

幻聴が聞こえるとしたら
 幻聴だ‥と思うだけでいい
幻聴が聞こえるから
  苦しくなるんだ‥と思うと 苦しくならなければいけないと精神は動く

それと同じように
  命日は悲しくなるんだ・・・
記念日反応というのがあるんだ・・とか意識すると
命日が近くなったら
  苦しくなるのが当たり前で
苦しくならなければならないという思考になって行く

   意識しないことが大切
自然に委ねる事・・・ 悲しみは身体の一部なんだと受け入れると
   いつも悲しみがあることが 私なのだから
     激しい悲しみに襲われようと
突然 涙があふれようと
   よく眠れない日が続こうとも
それもまた 私なのだと思い生きられる
        ことさらに意識して  記念日反応が起きたなんてことは考えずに済む

 悲劇のヒロインにはならないこと
  を
意識して生きている
息子を亡くして 悲しみがあるのは普通
   100パーセント笑えないのも普通

悲しみは私の身体と同化している
 悲しみがあるのが 私という人間

いまも息子を愛しているから  悲しみがあるのはしょうがない





  

非公開の委員会で採用した非公開資料を職員が公開したたことを気にもしない市役所

515438b0f9500ef6f85ddfe80bff9f29.jpg
仙台市の教育委員会から(部長と課長)
  非公開で開催された調査委員会で使用した資料の一部をもらった。
それは
3月15日 2回目の調査委員会が終わり、報告書を教育長と市長に提出する日と時間を指定されて
        会議室で報告書の内容についての説明を受けた。
       説明が終わり、本来は非公開で開催された委員会の資料なので
          見たくても見られない資料がファイルフォルダーに整理されて、渡された。
   分厚いフォルダーだったので、大きな紙袋に入れて手渡された。
      「あれ?もしかしたら非公開の委員会で使用した資料かなと感じたので   
       いいのかなもらっても?」と思ったが
      素直に頂いた。
公文書がたくさんあったのでびっくり!
  教育委員会の相談記録が決済担当者16人の押印がそのままみられる状態の資料
   加害生徒の名前も黒塗りにはなっていないので
     加害生徒の名前もそのまま読めた

  

公文書を誓約書もなしで 市民に渡した・・・ということ。
情報開示をしても
 黒塗りで見ることが出来ないはずの資料

これが 市役所として普通の事なら
 委員会を非公開にする必要はない
  他の市民に黒塗りで公開する必要もない

  片方で非公開で厳重に管理し
   その片方で
   そこで使用された資料が 市民に公開されている 仙台市

 それを 
 議員も行政も市民も  追及しないのが疑問です

    遺族側が 騒いでいるだけのような構図になっている

    なんで こんなわかりやすい違反行為が 
  許されるのでしょう

      堂々と  違反行為をすると
      正当な行為になるのでしょうか

なんのために  規則があり 公務員法が制定されているのでしょう
     非公開はなんのために非公開にしているのか・・・黒塗りはなんでやっているのか・・・

全く一貫性のない 矛盾と疑念だらけの
  仙台市の教育委員会と行政機関

 遺族には厳しく
   教育行政や行政の身内には甘く甘く・・・・・・・・

   非公開文書だろうが  公文書だろうが
   偽装しようが
         知らんふり

  遺族と私が書いた受領書も存在するらしい

 遺族と私が   書いたこともない受領書があったとしたら  当然犯罪となる

        こんな対応の 教育委員会との交渉は
        遺族にとっては 
            ものすごく困難なこと
   嘘がほとんどの対応
   誠意の欠片もない対応

こんな対応が普通の教育委員会が多いとしたら
    子供の自死が多いのも…当然のこと

  不登校が多いのも当然
    教育行政の質の低下が招いているとしか思えない

kouzann.jpg

非公開の委員会で使用した 非公開の資料が
  
個人情報満載の公文書も含めた資料が
     管理する側から
    公開され



加害生徒の名前も・・
また聞き取りに応じた教師などが話した内容も・・・・
質問した委員の名前と内容も・・・録音内容が記載され
誰でも
  知ることが出来ます

情報開示請求しても黒塗りで見ることが出来ないものですが
   ・・・・・・
       誓約書なしで  頂戴した資料があります
渡した部長と課長にも何の問題もないようなので
    どんどん公開しても かまわないようです

不思議な組織です。仙台市役所は・・・・
非公開資料の公開が当たりまえなんですから・・・・

そもそも公開するなら、最初から非公開にする必要がない

    

        

自死してもいいいのちなんてあるわけがない。目標は高く掲げ、そこに向かってこそ、達成できるのだと思います。

f0207313_20512043.jpg

12月1日2日と研究集会があり参加してきました。
セッション5「当事者と協働した対策や研究の模索」
~自死遺族が対策や研究の望むこと~というタイトルで2人で発表
 
 国も地方自治体も・民間支援団体にも同じことを感じるのですが
   当事者目線に欠けるに尽きる
自分も含めて自分の家族も「自死」とは遠いところに住んでいる人という感覚がビンビンと感じる
   当事者に成りえるかもしれないという想定は100パーセントない

自死は特別な人たちに起こる問題で
   自分や自分の家族は絶対に 自死はないと思っている
あの自信は どこから来るのか‥不思議です

   根拠のない 自信に満ちている

一部の人たちはきちんと向き合いながら 研究したり支援活動もしているが
多くの人たちは
   自分とは関係のない世界の出来事として
   根拠のない安心安全な立ち位置での研究や支援に携わっているんだと
  心底感じた2日だった

  この2日間だけではなく
  行政の対策会議でも  ずっと感じてきたこと

人のいのちに関する問題については
   限りなく犠牲者をゼロとすることを目標に掲げるが
自死は
  遺族以外の多くの人たちは  ゼロにしようと思う気持ちが全くない
 自死する人は
○○パーセント
   日本人ならこのくらいの人たが自死するのは当然の事と 公言している

ものすごく違和感がある

    社会的要因が人を追い込んで死に至らしめているんだ・・という事を
   基本法や大綱に掲げながら
      自死にかかわる人たちの多くは  自死する人が一定数いるのは 当然の事
人間だから・・・
自死するんだよ・・・という概念を深く持っている

  これが 日本の自死の対策の大きな闇だと感じます

  精神科医療が中心だとこうなるのだろう…と思う
ましてや
治せない、治す気のない、治らないと決めている精神医療の専門家たちが中心となっている弊害です

自死したい人等いるわけがない
 産まれつき 死にたい人はいない
   生まれつき自死したい人がいたら 人類は破滅する
生まれつき精神疾患者がいて
脳が異常の人が一定数いると考えていて
 その脳の異常を治せないから
  生まれつき脳の異常がある人が自死するのは
  どうにもできないんだから

ゼロにするなんていう夢や理想すらもってゃいけないんだ‥という考えが
精神科医療の専門家たちの多くが持っているということが
18年の活動で
 身に染みてわかった

死にたい精神疾患はない
  2歳児から3歳児から 死にたい死にたいと思う人はいない
いろんな精神的病は
 社会に影響を受けて発症したり 悪化していく
  
社会の中に 精神的病を発症する要因がある・・・
  精神障害という障害も 社会に存在する

  障がいそのものが社会にあり
   その人が障害と感じなければ障がいは存在しない

人が障害と感じることが大きく存在したら
  障がい者と言われるのだが
その人に障がいがあるのではない

  という 社会福祉の理念が・・・ドイツ型精神医学の理念が理解されていない
学者にでさえも・・・
精神疾患者が自死するという概念から抜けられない人たち

一定数の自死は当然だという考えが
  自死の対策の中心にいる人たちに多くあるとしたら
 減るわけがない

戦争のない世界に!
  殺人の無い社会に!
交通事故の無い社会に!
  虐待の無い社会に!
核のない世界に! 癌死亡の無い社会に!
  みんなが 寿命を全うできる社会に!

と 目標を掲げ それに向かって研究や活動や対策を講じている

理想や夢や目標は 実現可能かどうかではなく
   大きく掲げるものだと思う

実現できるかどうかは別として
    そこに向かって努力する姿勢が必要だと思うのだが

はじめから 無理だと決めつけて 自死のゼロは目指していない
としたら
    進歩はない
大きな目標を掲げて 限りなく努力していくという姿勢がないと 低い目標すら一時的に達成したとしても継続はできない


 自死する人が○○パーセントいるのは あたりまえだと認めた時点で
     自死は減らない 

○○パーセントは自死するんだという概念を持っている人たちに
聞きたい

○○パーセントの防ぐ用がない自死者に
自分も自分の家族も入るかもしれないという発想はあるのか・・・
自分も家族も自死しても
仕方がないという覚悟を持っているのか聞きたい

自分も家族も 全体にないと思っているならば 根拠を聞きたい

  そこにあるのは
自死する人は
  自分たちとは違う異常な人たちという心があるのだと感じるのは
  私が自死遺族だからだろうか

 まだまだ 根深く 自死への偏見があるのだと痛感した2日でした

   6日にある
仙台市の会議でも  痛いほどそのことを感じる作業になることは予想できる

遺族として、自死者ゼロの社会が目標です
 誰も追い込まれない社会

やさしい人たちがやさしいままで
 笑顔で生きられる社会
 になってほしいと願って活動をしています