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今週土曜日富山に行きます

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今週は富山に行く
 研修会 富山商工会議所の会議室で行う
「自死と向き合い、遺族と友の歩む」という
厚労省の補助金事業で作成した手引き本を配布し 執筆者が講演
11月4日(土)13時30分~
参加費は無料

徳島県に自助グループ本人の会が立ち上がる
 1月に第1回開催予定
「あいの会」

   ひとつずつ 一か所ずつ  
継続できるようにサポートしたいと思っている

  自助グループは仕事ではない
 気持ちだけでの活動だからこそ 継続が課題

 簡単に設立できるが
   簡単に閉会もできる
                    仕事ではないから・・・
ある意味で無責任な気持でもできる

    運営する遺族の気持ち次第

 自助グループは
      
 医療や心理の専門家ではない私たちにできる事は
   わかちあうこと と 支えあうこと
カウンセリングやケアはできませんが
 一緒に歩くことなら できます

大切な人を失うことに伴う
たくさんの困りごとを抱え込んでいませんか
 金銭トラブル 医療機関のこと
   労災申請など

悩みを直接解決することはできませんが
 一緒に整理する事ならできます
それぞれの問題を専門とする人たちに
 つなげる事ならできます


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今日は仙台わかちあいの集い「藍の会」2006年から開催しています。

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今日は仙台わかちあいの集い「藍の会」の開催日
  アエル「エルソーラ仙台」28階午後2時~6時
途中参加途中退席OK
  
自死遺族のみの参加  受けつけも遺族 運営の全てを自死遺族で担っています

 わかちあいの時間の後に クールダウンの時間もある

    悲しい話が中心となる「わかちあい」の時間
   その後に
 雑談をする時間が必要

   自分の悲しい気持と向き合う「わかちあい」
   他者の悲しい事も聞く」わかちあい」

 だからこそ
   そのままの気持ちを持ちかえることがないように「クールダウン」を設けている
お菓子やお茶を用意している
   
   気持ちをリセットし 話した分だけ少し気持ちを軽くし
       帰宅して欲しい
 
悲しみと向き合う力を得て 帰ってほしい

「わかちあい」は卒業したいけど
  遺族と話したいという遺族は 「自死遺族のサロン」もあります
   第1と第3木曜日の午後1時から
     アンパンマンミュージアムの近くの雲野ビルの3階で開催しています
 「全国自死遺族連絡会」の事務所です

自死遺族の会が休会となるケースも多いが
    毎月でなくていい
  4カ月に1回 半年に1回でもいい 開催して欲しいと願う

  閉会となるのは ・・・心が痛い

   1年に1回でもいい  自助グループを再開してほしいと祈っています

 地元の遺族の協力があれば 継続ができます
    自分が元気になったから
もう必要ないではなく
    自分が少しでも会に参加して支えられた気持ちがもしもあるならば
      世話人に協力して
    続けてほしいと・・・・・・・思う

同じ気持ちを抱える 誰かのために・・・・


徳島自助グループ「あいの会」1月に第1回開催

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27日(土)
徳島県が主催の「雲の会」に参加
 3時からそのまま自助グループの準備会

 徳島県内の遺族と、長野・島根・大阪・仙台の遺族
オブザーバーで
 徳島県の担当者と
    上智大学の岡先生と徳島新聞の記者

徳島自助グループ「あいの会」と会の名称が決まった
 これからホームページの作成

   徳島新聞は事前の告知も大きく掲載してくれ
     準備会の翌日の昨日の朝刊にも大きく掲載してくれた
ありがたい事です
地元紙の協力がないと周知がうまくいかないのですが
  徳島新聞は全面的に協力してくれました。

徳島自助グループ「あいの会」の第1回の開催は1月の日曜日に決定
  会場の確保を県にお願いをし、決まり次第広報をする予定
 リーフレットも手作りで・・

四国には自助グループがなく 全国自死遺族連絡会の悲願でした。

四国の遺族の皆さんが安心して語れる場所として定着できたらと願っています。

 同じ遺族同士だからこそ 話せることもある
    誰にも知られたくないと思っている遺族たち
     なぜ・・・
それは
まだまだ世の中には自死に対する偏見と差別があるから。

  それと 悲しみとともに自責の念に苛まれている遺族に
   親戚や知り合いご近所が
 心無い言葉を言うことも多い
   どうして気づかなかったの?
    気がつかなかったの?  親子関係が悪かったんじゃないの?
 親不孝だよね・・・とか
    いろんなことを言われる
 浮かばれないよ・・・成仏できない・・・とか

亡くなった人まで 追い詰める事を云う

   悲しみを抱えている人に やさしくない世間

だから 遺族は沈黙するしかない

普通に自死について語れる社会になった時
  自死はゼロに近くなる気がする

  社会が苦しみや悲しみを抱えている人に
  やさしくなったとき・・・
自死は減る
      遺族も自死について語れる
   その遺族の声から
     人を追い込んでいる様々な問題が社会問題として取り上げられ
   小さな問題から大きな問題まで
   人々の意識がかわる事で 是正されていくに違いない

自助グループ 自死遺族本人の会
 
   行政主催の会は いつか閉会となる
    精神障がい者の会も 最初は行政が主催
      いつのまにか 閉会となって行った
 
自死遺族の会もいずれその道をたどる
   例外ではない

   残念ながら 自死者がゼロになるまで 遺族の会は必要とされる

自分たちの「わかちあい」の場所は 自分たちで作り、新たな遺族の為にも継続したい

四国の「あいの会」
   関係者の皆さんのおかげで 設立できました

四国周辺の自死遺族の皆さん
    遺族だけでの集いです

    同じ遺族同士  つながりませんか  


   

明日の徳島市での自助グループの立ち上げ準備会

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明日の徳島市での自助グループの準備会のために
これから徳島に行きます。

本日徳島新聞にも大きく掲載して頂きました。
四国初の自死遺族の自助グループ発足のために準備会
  長野や大阪などから遺族が応援に・・・

徳島県が協力してくれています ありがたい事です。
 まだ準備の段階ですが 
  みなさんにご協力いただきながら軌道に乗せたいと思っています


四国の遺族の皆さんが安心して参加でき
    泣いたり笑ったり  怒りも含めて 話せる場所を作りたいと思っています
 もちろん
   法的問題の相談にも乗ります。

 

私が嫁に対してきついと言われ・・・たことへの振り返り・・・

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息子の嫁の話をすると 私の言い方がキツイという人もいます
 でも
事情を詳しく話すと ひどいねそれは・・・という人がほとんどです。

 息子が亡くなり、警察の官舎には住めないのですが、夫が税務署に勤務という事もあり
 警察の署長に頼んで、
  住まいが見つかるまで、嫁と孫は住んでもいいという事になりました。
 
それでも
嫁は パパが死んだところは怖くていられないから
   私たちのマンションに一時住みたいという事になりました。
 私たちは嫁とは他人ですし
  両親が一軒家に住んでいるから 自分の両親のほうがいいんじゃないの‥と言いました。
マンションは狭いし・・・と。
しかし
嫁は私たちの所にきたいというので 荷物を運びました。
パパの荷物は怖いから
  持って来たくないという事でした。

3LDKのマンションに夫と私と次男と嫁と孫で住むことになったのです
  和室と押入れを全部片づけて
  嫁と孫の部屋にしました。
 夫は次男と‥私は和室の荷物もある4畳半に・・・

 食事の支度やお骨の供養や洗濯掃除は全部私。
  次男と一緒に
   嫁は死後の手続きをして歩き
 生命保険の手続きも 私たちの前で保険屋さんに来てもらい勧め
     全ての手続きを
    夫と次男に手伝ってもらい  終わったところで
  実家に帰ってきますと帰った
   仏壇の芯入れがある日程が迫っていたので
     嫁の実家に電話した
 その時に
   次男が 聞いて欲しいというので 聞いたことに逆上し
    仏壇の芯入れには来なかった

 お坊さんが帰った後の夜に 両親と3人で来て
    私をののしった
 「人殺し」息子殺し」と。
息子と嫁の住む官舎に1回だけ泊まっただけなのに
  よくも泊まれるものだ・・・普通は泊まらない
   
息子はお母さんのことが大嫌いで
   嫁の母の事が大好きだった
 息子を殺したくせに・・・・と。
遺骨も  仏壇も位牌の要りません。
     と言いながら 自分たちの荷物は預かってほしいといった。

おかげ様で息子の遺骨は手元に残った

仏壇は嫁が欲しいというから買ってあげた
位牌もなにもかも 全て私たちが支払った
1円も使わずに通夜と葬儀をした喪主の嫁

葬儀を終え  私をののしり 
   実家に行った
1回目の月命日に
 はがきを出した
 ノンちゃん どうしていますか
  パパは遺骨になりましたが 微笑んでいます。
お健やかでいてください・・・
と。

受け取り拒否でハガキが戻ってきました。

 息子の遺産は全て嫁と孫のものです
  靴下一枚
 息子の親である私たちにはもらう権利がありません
 夫と次男は
  写真一枚 ごみに捨てるものでいいから 遺品としてくださいと何度も頼みに行きました

 拒否
電話も着信拒否
      
 大まかに書いてもこんなことがありました

また
嫁は息子がパワハラに苦しみ精神科に通っているのに
 息子の携帯に罵りのメールが60通以上
それに対して
息子はごめんなさいすみません頑張りますと返事
 何十通も・・・ごめんなさい・・ばかり

嫁は仕事を休んで自宅療養をしていた息子を
 子供用のパイプ椅子で叩いていたと告白
 小遣いは1か月5千円

 ヨシケイから材料を配達してもらい
     昼の弁当は 夜の残り
自分たちは毎日
  ファミレスのランチ
 病気の息子と喧嘩して
    金も預けず   食べ物さえ与えず(買うお金もなかった息子)

携帯と自宅の固定電話にも 応答しない息子
  3日間も
   連絡がつかなくなったまま放置

4日目に死んだと思ったから・・と警察の電話
   
それでも
私たちは孫がいるから 一緒に協力して育てたかった・・・

 でも 保険金他 金目のものは全部持ち
  パンツや靴下などはごみに捨て

  息子の生命保険で買った二世帯住宅に住み(親と一緒に・・・父親から健さんの生命保険で家を買うから娘には近づくな
と言われた)

それでも
 私は 嫁に配慮がなく きついと言われるのだろうか

  うつの夫の世話を1っカ月半で放棄する嫁

     大変だと思ったから
孫を連れてきて
  泊めて面倒を見ていた私たち
 一か月半の間 2週間は面倒を見ていた・・・

それでも 嫁への配慮が足りないと言われなければならばいのだろうか

   これでも
公開の場なので控えめに書いている

 今から 再調査委員会の遺族の聞き取りに同席なのだが
  コメントで頂いた内容に
   こころが 痛くなり  冷静にいられないような気分になったので
  ここに書かせてもらいました

今から 冷静に対応しなければならない重大な時間に同席するので
    思いのままを少しだけ書きました

遺族の事情も一人ひとり違います
  表だけを見て
  自分が知っている事だけで  判断してはいけないのではと思います

 私は母の遺産も嫁にも分けた
   息子がいなくても 私のマンションに来て勝手に冷蔵庫のものを持っていく事もあった
 仲がよかったと思っていた

  息子は 別れることも考えていたようだった・・・
死後に知った

   

調査委員会の聞き取りに応じない担任教諭~それを擁護する教育委員会

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児童生徒の自死
  第三者調査委員会が設置され
     関係者の聞き取りが行われる  が
 担任はほとんど出てこない
     担任以外の教諭は協力するが 担任が協力しない
どうやら
担任本人が拒否というよりは
   学校全体・・校長の指導の様な気がする、もちろん教育委員会の意向もそこにはある

担任していた子どもが亡くなり
 焼香にも来れないという教師が
  葬式にももちろん来ないけど、その直後に海外に子どもの引率で行く事は出来る
調査委員会の要請にも
 拒否をし
 再調査委員会の聞き取りにも拒否
      精神的負荷に耐えられないというのが理由だが
 4年過ぎて
  現在教壇に立ち、担任も受け持って 元気に働いているのに
     聞き取りは精神的に耐えられないって・・・・

遺族をバカにしている
   遺族よりも 精神的負荷が大きいというのだろうか
子どもを亡くした親が
    真実を知りたいと必死に聞き取りにも応じているのに
     遺族が応じているのは
精神的な負荷が担任よりも少ないとでも思っているのだろうか

亡くなった子供への悼みも
  子供を亡くした親への思いやりも 全くない教師

そんな人が教師として教壇に立っていいのだろうか

  この教師は子供の自死を2人経験している

 どこかの県立高校でも
   子供の自死の現場(学校内での自死)に2回とも居合わせた教師がいる

  その教師は栄転したという

飛び降りようとしていた生徒を、下から止めずに ・・・逃げ道である方向から止めた・・・
 1度失敗しても また同じ行動をとった教師

    それなのに 

警察官も
   震災で部下を死なせた課長が栄転した
自分が命令して部下が死んだのに…栄転なんて・・・

過ちは誰にでもある
  至らないところもたくさんある
人を傷つけてしまう事もある

でも 反省できるのが人間

 人は権威をもつと 反省を忘れる
   間違っていても認めない
 
こんな社会だから 自死は減らない
   
  ・・・心の底から むなしい

担任の先生 自分が受け持った
子どもの自死をどう思っていますか?

聞き取りに応じてください  お願いします。

亡くなった命を悼む気持ちの無い自死の予防

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知り合いの記者の言葉から引用
 「いのち支える」とは、実に尊大なものいい。
ということは
支えられる(劣等な)命があるということ。

「いのち支える」側の人間は
自分たちは支える(優等な)側だと言っている。

 でも何もできないように見える赤ん坊にだって、生きる力をいっぱいもらっていること、。
自死した人も、亡くなるまで、いや亡くなった後も、誰かを支えています。

 人間はいつだって、どんな場合だって相互的、互恵的である。
誰かとの関係を、一方的に自分が「支える」側だと思った瞬間に、人間関係はゆがんでしまう。

自死の予防は粛々と、地道にコツコツとみんなで・・・・・・とずっと言い続けてきた。
派手なパフォーマンスをするべきではない
 予防をしている事を自慢するべきではない
   表彰されたとしても
  ホームページや通信に等掲載するものではない

また テレビに出たとか 新聞に掲載されたから
みなさん見てくださいと
   ホームページに掲載するものでもない
自死という
 死を考えているほどの地獄にいる人たちが
   それを見て読んで どう思うのかを想像できない人たちが多すぎる

最近の自死の予防の中心にいる
人たちは
  ガキの遊びのような・・・・

 増えたのはウエルテル効果とコロナのせい 
 増えている事に
  心が痛むことのない予防団体  反省もない

彼らから 一言も 亡き人を悼む言葉は発せられたことがない

いつも自慢・・・
  いかに自分たちが素晴らしいか・・・だけ
自己顕示欲が丸出しの・・・自死の予防減るわけがない

成功した地域ではなく
   自己満足の対策を国に自慢して 白書などにも掲載している
せめて
減らしてから
自慢してください

減っても 自慢をするものではないと思いますが・・・

死ぬほど苦しんでいる人が目の前にいるとしても
  彼らはその人を見ようとせず
 情報だけ聞き取り
   後は無視でしょう

自分の名誉と金が先で  その欲望達成のための材料でしかないのだから・・・苦しんでいる人たちが・・・

 どうして
  こんな人たちが 自死の予防の中心にいる事になったのだろうか

 かなしい

       







火葬や通夜に寿司をつまみ酒を飲む風習・・・(外国人から見た異様な光景) 誰も泣いていない

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外国人が見た日本人の不思議
  チラッと見たテレビ
日本人は亡くなった人に冷たい!
 家族が亡くなっても 泣かない人が多い事
    通夜や葬儀の時に 寿司なんか食べていること を理由としていた

なるほど・・と感じた

そういえば
 バクバクと火葬場で食って飲んでる・・
  
実の母の時は
  火葬場で酒を飲み寿司を食べ
大騒ぎしていた
   叔父さん叔母さんに 大声で怒鳴った記憶がある
まだ59歳で亡くなったのに
   ・・・・・・・笑えないよ・・・火葬してるのに‥と思った

静かに見送ることが出来ないのだろうか
  せめて火葬の時だけでも

葬儀社のコマーシャルも 楽しそうな笑顔あふれる内容が多い
  悲しい時は悲しいままでいい‥と思う
通夜や葬儀の時は
 家族は悲しくて普通なのに
  普通が許されないのだろうか

 泣かないで毅然として 参列者にご挨拶するのが  立派な人と言われる
   涙を流さないのが立派なのだろうか

意味がわからない

日本の社会は
  泣いていると・・いつまでも泣いて・・・と言われる
    元気にしていると 子どもが死んだのに元気ねと言われる

他者に対して  あーだこーだ言うだけ言って 何も助けてはくれない 無責任
 世間体を気にする人がほとんどだけど
  世間なんて
  いい加減なもの  支援なんてものはしてくれない

羽振りのいい時は寄って来るが
   困った時は 頼んでも無視

そして すぐ金・・・の話をうわさする

亡くなった人に冷たいのかもしれない・・遺族にも冷たい
  
自死についても同じこと
 まるで死にたくて死んだような言い方を平気でする

祟りや幽霊・・・占い・・怨霊・・お祓いなどを信じてる割には
  亡くなった人を
蔑み 悪口三昧(学校や職場・・調査委員会・裁判等)

  自死した人がたたるなら 悪口は言えないはずだけど・・・
言う事とやっていることの整合性が取れていない

宅建法や商法・健康保険法などの  法律の中にも自死への差別があるのは
  もはや法治国家と言えない

憲法は人間を差別してはいけないと示しているのに・・・

もう少しだけ
人にやさしい・・・悲しい人にやさしい社会になってほしい

幸せな人に 悲しい人が合わせて 笑ってあげているなんて
     ・・・・・・・・
そして
幸せな人が より幸せに
悲しい人は 幸せな人に合わせて笑ったことに苦しむなんて・・・・

こんな社会だから
  自死が多いのでしょうね



ひとりごと

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息子が逝ってから  いつもいつも悲しい
今日も胃が痛い 胸もいたい


 忙しい方が痛みを忘れる

青い空を見ても
   桜を見ても 心の底から感動することはなくなった

きれいだとは思う
 好物の食べ物を食べて美味しいとは思う
   でも こころは100パーセント美味しいという気持ちではない
いつもいつも
何をしても 息子がいる
   亡くなったという現実もある
死んだんだ・・という気持ちは どこでもいつでも…私の身体の一部になっている

息子への悲しみは私の身体の一部
   このからだの一部となった悲しみを 誰も取り除けない
いろいろと不自由はあるけど
  息子への愛がくっついているんだから 不自由でもいい

痛い時もあるが  それでもいい
  痛いのも 私の息子への愛だから

 亡くなった人と  生きている私の間にあるのが 悲しみ
   それぞれの 関係性と それぞれのこころによって違う
 家族でも違う
    違ってあたりまえ 違っていい

悲しみは誰かに軽くしてもらうものではない
 自分の悲しみは自分で抱え
    自分が軽くしたいと思うなら 軽くしたらいい

悲しみを消したいと思うなら そうしたらいい

軽くできる人や消せる人もいるのかもしれない
   
私は
軽くしたくない 消したくない
苦しみがあっていい
悲しみがあっていい
そう思っている
しょうがないよ・・・・・・・息子を思う気持ちが強くあるんだから・・・

他人事のように
息子を思う気持ちが薄くなれば
悲しみもまた薄くなるのだろうけど
亡くなってなお一層 息子への愛が強くなっている
だから
悲しくても苦しくても 胸が痛くても  しょうがない

そんなことをいいながらも
 お風呂にも入り
  音楽も聴き
本も読む
  ご飯も食べる・・・お酒だって飲む

ゆるい生き方です
 甘々な生き方です
息子の苦しみに比べたら 親の私の悲しみなんて・・・


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  私は 自死への偏見と差別をなくしたい
   自死した人への蔑みを解消したい

自死に追い込まれることのない社会にしたい

どんな人も 幸せに生きて欲しいと願う

親は必死に子供を育てる
 子供の幸せを信じて

その子供がどんなことがあっても自分よりも長く生きて欲しいと願う
   病気でも事故でも 自死でも
戦争や犯罪でも
     死ぬなんて・・・想像を絶する悲しみがある

戦争で震災で・・・犯罪で
自死で・・病気で  交通事故で・・・
とにかく 人の死が目につく
   若い人の死をみると
残酷な世の中に こころが痛くなる

 人は言葉で傷つく
    昔から言葉で人を傷つけ追い込んできたが人
今は人を傷つける事を云う人が増えている気がする
 ネットの書き込みなども誹謗中傷が多い

こころが歪んでいる人が多くなっているのはなぜなのだろう

そこに付け込む 怪しげな宗教もある

まだまだ 息子へ誇れる社会には程遠い

    お兄ちゃんの苦笑いが続きそう

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自分で考えない生き方・・・ 日本の教育の成果かな?

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自分に被害が及ばなければ
    他の人が苦しもうが困ろうが関係ない・・・関心もない
でも
自分が苦しいときや困った時は 関心を寄せてほしい  助けて欲しい

 それがほとんどの人の心理なのだと・・・思う

 いじめもそうだ
    自分に被害が及ばないなら 知らんふりをしよう
      知っているけど
               注意するのはやめよう  (自分がいじめられるかもしれないから)
                  まき沿いになるのは嫌だから
     例の性被害の問題も同じ
 職場でのパワハラも
同じ
    人って 自分が大事で 自分勝手で 自分が助かればいい
  隣で いじめられても
       知らんふりができる
   目の前で パワハラがあっても 見ないふりができる

ある自死で亡くなった男性
 職場で課長から怒鳴られているのを課の全員が見ている
   その人は
  バスの運転手を長年やってきて
      事務はやったことがない
         突然50歳過ぎてから 事務職に移動
  3人体制が2人になり
   指導してくれる人もいなく・・・研修もなく
    ほとんど嫌がらせの人事
 
   これまでの職場の人たちは バスの運転のプロだが 事務の仕事のアドバイスはできない
 でも
移動となった先の職場の人は
    事情を知っても 誰も手伝わない
       課長は知る人ぞ知る パワハラ課長だったから
自分がターゲットになるのを恐れたのだろう

    2年後自死・・・・・・

過重労働とパワハラ  疲れ切った体と頭脳 そこへパワハラの毎日
 でも
誰も 声さえかけない  励ますこともしない
見てみないふり

日本人は多い気がする
    
  誰かが いじめられても 意地悪をされても
       ・・・・・
   思考停止  何事もなかったように  通り過ぎて行く

今の社会はもっとひどい
  被害者さえバッシングする  匿名で・・・

   言いたい放題

弱い者いじめが加速している

 誰か強い人が それは間違っていると言えば
     そうだそうだ・・・その通りだ‥という社会

  自分の考えがないのだろうか・・・

息子は自分の信念を持っていた
   警察という組織では 自分の考えを持つ人間は パワハラの対象となったと思う

  また 自分の考えを理解してくれる妻ではなかった

  当時の私は
     自分の子育ては終わり  自分の人生を好きなように生きようと思っていた
  息子の死は 子育ては終わったが
    親としての役目が終わっていないことを思い知らされた

 息子の死から
  社会の様々な問題が見えてきた

    限りある時間を  どう生きようか・・・
     たくさんある問題から
 残りの時間でできる事を整理している

   少なくとも
目の前でおきている事には 知らんふりはしないで自分ができる範囲で
  声をあげようと思っている

亡くなった人を困らせないように押しかけないで欲しい‥迎えに来るまで待つことも大切

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 自死した私の息子は
  一つの苦しみで自死したわけではない

  上司からのパワハラ  妻からの酷い扱い
(34才 小遣い5000円  ヒステリックに怒鳴られ叩かれる等・)
また
 親の私たちが 息子が甘えていい雰囲気ではなかったこともある

そして
精神薬治療 
   あんなに可愛いがっていた娘を置いて死ぬのは
     複雑に苦しみや悩みが絡んだ結果だと思う

私は息子の死後
 精神薬を飲み 未遂を2度した
     死ねなかった
私の苦しみは息子の死  ひとつ
 息子への悲しみだけ

そして精神薬だけ

 だから 死後の事を想像できる余裕があった
    自分が死んだあとの事を考えられた
だから死ねなかった

   次男の事 夫の事  父や母の事 (当時は生きていた)
    どんなに悲しむだろうか・・と想像できた  

  だから 生きるしかないと決めた
    生きるとしたらこれまでのように いい加減に生きてはいけない
    亡くなった息子の為に
    きちんとした生き方をしなければ・・と決めた

私の生き方次第で 息子がさげすまれるか 息子が褒められるか・・・
決まる…それが自死という死・・・そのことが活動をして身に染みて感じた

私の残りの人生は息子の尊厳のために使おうと・・・

 1人よりも2人の死を経験したほうが厳しいと思う
  1人だから2人に比べて軽いとかではない

1人で悲しみの深さが10キロ重さも10キロだとしたら
 2人分
悲しみの深さが10キロがふたつ  重さが10キロがふたつ
抱えて生きる事になる
それぞれの悲しみを抱えることになる

1人分の悲しみで 後追いしたら
  もう一人の家族は 2人分の悲しみでまた後追いになっても不思議ではない
自分はひとり分の悲しみで
後追いは仕方がないけど
  他の家族は二人自死しても後追いをしないと考えるのは
     あまりにも勝手・・・
自分だけが感受性が強いのではない
  同じ家族なら  同じように悲しみがある

亡くなった人を悪く言うつもりはないが
  息子を亡くした母親がいた
 兄を発見したのは娘
  その後まもなく 母親が自死 それもまた娘が発見した
 二人の自死を発見
  二人の火葬をして葬儀し
供養しているのは
父親と娘
      亡くなったお母さんは どう思っているのだろうか‥と思う
  亡くなった息子とあの世で会えてよかった・・・と思っているのだろうか

娘もまた自分の子ども
亡くなった子供と会いたいから 死んで会うために自死
  遺った娘の悲しみに 思いを馳せなかったのだろうか・・・


死んだあと始末は
死んだ人にはできない   遺された人たちがやるしかない

    亡くなったら 誰かの世話になるしかない

放置してはおけない
犯罪者として逮捕になってしまう

 私は息子にも 多少の怒りがある
    今でも・・・
        社会的要因のなかには 亡くなった人も含まれる
もちろん家族も
周りも・・・・制度や仕組みも・・・

 救えなかった自分への怒りと  死ぬ前に一言の相談もなかった息子への怒りと
  警察への怒りと
妻への怒りと上司への怒り
  精神科医と精神薬への怒り・・・ たくさんの怒りがある

次男は
あの世にいって お兄ちゃんにあったら グーでパンチ
それから水臭いよと抱きしめると・・・言っていました

 どうせ
生きるしかないなら
  息子に褒められる生き方をしたい

もともと 自分勝手に自由に生きてきた私
  息子が逝き
  想定外の生き方になった
  
息子から 与えられた課題は大きく
  手に負えない問題が多いが
息子が迎えに来るまで がんばらなきゃ

押しかけではいかない
これ以上 息子を困らせたくないから


 
     


21日・・大阪に行きます・講演会。

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今週の土曜日は(21日)大阪に行きます
 国際ビフレンダーズ大阪自殺防止センター
45周年記念講演会
来週金曜日は徳島市で自死遺族の自助グループの立ち上げの準備会を開催します。

大阪・福島・長野・宮城から遺族が行きます
上智大の岡先生も・・・

 私の活動は支援活動ではない
    誰かを救いたいとは思っていない

 だから私は支援者ではない
     遺族として生きている 遺族ではない生き方もあるが 
 私は遺族として生きる事で
   呼吸ができている気がする

 私の悲しみは私のもの
 癒されることはない  
悲しみに慣れて ごまかし方がうまくなり
   自分以外の人がいる時は
      他の人よりも明るく元気に見えると思う

  亡くなった息子と二人の時は
       息子が逝った時と同じ
   胸が痛く・・・胃やお腹が痛くなる

    むなしくなり  虚脱感に襲われる

  このかなしみを 英語でいうグリーフ(引っ越しや失業・鳥や金魚が死んだとき・・)という
軽い言葉で
   証言したくない

人との死別は英語圏では「グリーフ」とはいわないそうです

   耳障りの言い  日本人が好むような カタカナで表現し 
     金と権威を得るために
     広めた人たちがいるが
私の悲しみを
 グリーフなんて  軽い表現で言われたくない

  そして 愛する人との死別の悲しみをケアなんてできるわけがない

    また 私は 息子への悲しみを軽くしたいと思っていない
重たくていい 深くていい
それだけ息子を愛しているのだから・・・

   いろんな国で遺族の支援とか行われているが
   グリーフケアを学んでいるのは日本人だけ

  ほとんどの海外では グリーフケアって何?らしい

本当の英語の意味を理解しようとも思わない 人たちがありがたがっているだけ

   
私の悲しみと苦しみは息子への愛
  この愛から来る悲しみと苦しみを 軽くしたいなんて ・・・とんでもないこと

そう思わなくても  時間の経過とともに
   美味しいものを食べたいとか 思うようになってしまうのに

息子が逝った時は 水さえも飲んではいけないと思ったのに・・・
   こうしてブログも書けるようになった・・・
涙涙涙…涙でおぼれていた自分
    
   悲しみが薄くなることは 罪悪感
 でも
元気に生きている
  悲しみとともに生きる・・これが遺族としての私の生き方

 講演はたくさんしてきたが
 いつも 迷う 
       そして 講演後に落ち込む

 お兄ちゃんといつも一緒に生きている

  お兄ちゃんは やさしく 戸惑いながら
    ささやいてくれる
亡き息子にも愛されていると感じる

    亡き母や父にも・・・愛されていると感じる

  がんばらなきゃと思う

    

  

「ファルマゲドン・背信の医薬」ディヴィッド・ヒーリー著 田島治監訳・中里京子訳

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こころの病気作り(正確には精神障害化)と
クスリの主食化がすさまじい勢いで進んでいる
  1990年の終わりから
不眠や疲労感はうつ病のはじまり
   自殺はうつ病のためといったマスコミ 医療者側の宣伝が急増した、今も続いている
丁度同じ時期から 2万人が3万人に増えて
その後12年間3万人が続く

安易な診断と
 投薬が 自死を急増させたと思う
抗うつ剤の多くは自殺衝動を高める

また精神病院での月間死亡退院 1か月1882人
 以前より増えてきている

死ぬ病気ではない精神病社がなぜこれほど死ぬのか
   厚労省は調査はしない

「ファルマゲドン 背信の医薬」
ディヴィッド・ヒーリー著  田島治監訳 中里京子訳

向精神薬異存の現実に警告した本

世界中の多数の人たちが向精神薬依存になっている現実に警告を促した本

市民への病気啓蒙と医師への薬品名宣伝
 億単位の予算で粛々と行われる
1990年代末より
米英の巨大製薬会社が中心となり
 日本うつ病学会など 病気の啓発を目的に掲げた学会がぞろぞろ作られてきた

  市民は宣伝の影響もあり不安になり
うつ病かもと思って精神科に行き 医師は「そうですねうつ病ですね」と同意し
    自動的に
抗うつ薬や睡眠薬が投与される
    
自分と家族を守るために  正しい知識を身につけるためにも 
     製薬会社の宣伝に惑わされることなく
  正しい情報を得ることが大事

症状がしんどくて よくなるために薬を飲み
 症状が悪化していくのにも関わらず
   患者も家族も周りも
誰も疑わないことが異常な精神科の治療

 死にたくないから 薬を飲み
死んでいく人が
大勢いる
      死ぬ病気でないのに 死んでしまう患者たち

精神病は治らないのではなく
   悪化させているだけの医療の犠牲

14日土曜日 渋谷のTKPで午後2時から
   私も含めて3人が講演する
      精神薬と自死について・・・

7日東京・21日大阪

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10月21日(土)
認定NPO法人国際ビフレンダーズ大阪自殺防止センター
  45周年記念講演  
午後2時から4時まで
ドーンセンター特別会議室 
   
何を話そうか迷っている
  資料は決めた
岡知史氏のエッセイ「知らされない愛について」
             「ごめんねといわれて」「悲しみもまた私たちのもの」
                「人間の深さ」
冊子「自死と向き合い、遺族とともに歩む」~法律・政策ー社会的偏見の克服のため~
  
2021年に[ACe ] メメントモリの森というページに「遺族として自死に向き合う」のタイトルで
  掲載してもらった
連載で26人ほどの人が掲載されている
   こんど書籍になるという
「社会貢献財団」の時もだが
       自死の問題が日の当たる場所で、伝えられるのは前進だと感じている
支援者ではない
  当事者の活動や考えを少しずつだが認めてくれる社会になりつつある
   ということは
         一歩・・2歩・・自死への差別の解消という意味でも進んでいると感じる
残り時間が少なくなったいま・・・
  種まきだけは数多くしておこうと思っている
   数多くの種をまけば
     芽がでる活動もあり  大きく花咲く活動にもつながる

今週の土曜日は
東京で講演   精神科の医療について・・・
 話す事は決まった
資料も準備できた

    子どもへの精神薬は  犯罪に等しい
無責任な大人の欲望に巻き込まれている子どもたち
    
   精神薬は絶対に子どもには飲ませてはいけない

 1人でも この思いが伝わったらいいな・・・と
   願い資料を作成した

おにいちゃん
 かあちゃん がんばるね


 お兄ちゃんが 生きていられた 社会を作りたい

人との死別の悲しみは   bereavement         (ビリーブメント)  グリーフではない

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本来、死別の悲しみはbereavement
        (ビリーブメント)

遺族のことは Bereaved family

bereaved wife /spouse
配偶者を亡くした悲しみの人

  bereaved parent
子を亡くした悲しみの親 です


Grief (グリーフ)は死別の悲しみだけを指しません。
Grief care は、
人の死も、犬猫のペットロス、失恋、失業、
手足を失うとか健康や若さを失い、悲しんでいる人をケアする意味合いを持っています。

小此木圭吾氏の「対象喪失」の本の中にもgrief という言葉は出てきません。

野田正彰氏の「喪の途上にて」にもグリーフという言葉は一言も出てきません。


野田先生は、
最後の章「喪のビジネス」で、他人の喪をビジネスにすることへの警鐘を鳴らしている

自死の予防対策を国が本格的にはじめるようになって
   喪のビジネス 悲嘆のビジネス が 大流行
大学なのでの
  グリーフケア研究所が満席となり
       臨床宗教師などができた・・・・仏教の坊さんまでがグルーフケアを学ぶ滑稽な様相になっている


人との死別の悲しみはbereavement
        (ビリーブメント)



Grief (グリーフ)は死別の悲しみだけを指しません。
Grief care は、
人の死も、犬猫のペットロス、失恋、失業、
手足を失うとか健康や若さを失い、悲しんでいる人をケアする意味合いを持っています

ご住職の皆さんへのお願い

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ご住職の皆さんへのお願い
 通夜や葬儀の時でもいいので
     ”線香・お香”を焚く意味
 「ローソク(灯明)」を灯す意味
    お供物を供える意味   お花を供える意味など
 教えてください
  仏壇の意味  位牌の意味  ご本尊という意味
教えてください
     なんにもわからず 葬儀をして
なんにもわからず
    位牌だけ作り
 なんにもわからず  手を合わせているひとたちが増えている気がします

    お寺離れが増えているというけど
     葬儀をした時に
       きちんとした関係を作らなければ
   お寺離れが多くなるに決まっている

   位牌の意味も 教えてくれないお寺さん
                          ご本尊という意味もわからないから
      位牌だけ 置いて 線香を焚き ローソクを灯し
         亡くなった人に手を合わせている遺族が増えている

    仏教で葬儀をして 戒名もあるのに
     天国に召されたという遺族もいる
メチャクチャ・・・・・・・・
      深く信仰して‥とは思わない
私も
  深く仏教を信仰しているわけではないが
    浄土宗という宗派で葬儀をして
    位牌に刻んである戒名も浄土宗の戒名
だから
仏壇は小さいけど ご本尊は「阿弥陀仏」
 仏壇の正面に鎮座している
            浄土宗の教えで言うと 息子の魂は西方極楽浄土にいる事になる
     

愛する人の死への悲しみはクスリで治すものなのだろうか

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今朝の仙台は半円の虹が二重に西の空にくっきりとかかっている
  息子が逝ったあと
  虹が空にかかった日が続いてた気がする・・・

亡くなる前は 大きな月
   昼のように明るい月が西に見えた

亡くなった日は満月
     
  いろんな不思議なことがあった・・・でも息子の死には結びつけなかった
それからは
気になることは 言葉にする(ひとり言など)
  確かめてみることもある

少しでも 後悔を少なくしたい
   息子の自死 以外に こころが痛くなることを増やしたくない

・・・・・・・・現実は こころが痛い事が多い

自宅の住所が公開されているので
  時々 突然に手紙が届くこともある
遺族から・・・・・・・・

 忙しいのと  気力と体力の低下で  お返事がなかなか出せない事もある
   申し訳ないと思う
 
 悲しい気持は病気ではない
    遺族外来とかいう診療をしている医師たちもいるが
       遺族は 遺族という病気だとでもいうのだろうか
遺族というなら
   地球に住んでいる人は全員遺族
世界中の人が対象の病気だという事になる

   遺族という病気・・・・そんなもの あるわけがない

精神科医が 適当につけた遺族という病気
     悲しいのは普通の人
   
遺族外来の医師は 自分の子どもが亡くなっても 悲しくないのだろうか
   悲しくないとしたら
  それは 病気
    悲しいという感情を理解できない薄情な人に
      愛する子供を亡くした悲しい気持を診断されたくない

 精神科クリニック 診療所・・など
  精神やこころなどがついた医師ところにいくと 必ず病名がつく

悲しい気持ちを クスリで何とかしようなんて 考えないほうがいい
   何ともならないのですから
生き返らないかぎり
  悲しい気持ちは消えませんから・・・・

   生き返らせてくれるなら  クスリを飲むけど・・・

   悲しい気持を軽くしようなんて  クスリでどうにかしようなんて
     魔法のようなクスリがあるわけがない

気持ちや感情を 操作するクスリって ヤバい
    覚せい剤や麻薬  大麻
       こころをつかさどる脳神経を麻痺させるクスリ
 そもそも
  愛する人を亡くして悲しい気持ちが消えてしまった自分でいいのだろうか

息子を亡くして  私が以前と変わらず 楽しい毎日だとしたら
   私は自分を許せない

悲しみがあっていい
  苦しくていい さみしくていい  だって愛するわが子を亡くしたんだから
   親だから
   わが子を亡くして   悲しいのが当たり前
   
     「あなたが亡くなって 母ちゃんはかなしいよ」と息子にいいたい
「あなたを亡くして苦しいよ」といいたい

  「あなたを亡くして 楽に生きようとは思わない」といいたい
 「あなたがいなくって さみしくて苦しい」と言いたい
  「お兄ちゃんが亡くなって 悲しくて辛くてさみしい」と言いたい

  でも この気持ちをなくしたいとは思わない
     悲しい気持ちは 私の息子への愛情だから・・・・

愛と悲しみは表裏一体
       根っこは同じ   
                     悲しみが軽くなることは 息子への愛が軽くなる事につながる
       軽くしたいとは思わない
軽くなったら  自分は母親として最低
     
深い悲しみのまんまでいい
   それでも
残念だけど 時間は残酷   笑えるようにもなる 美味しいものも食べたくなる
   涙を流す時間も減る
          胸が痛くて 叫びたい衝動は少なくなる
 朝から晩まで 
泣いて泣いて 泣いていることはなくなる

  やせ細った時期は過ぎ
  太ってもいく
       一日中 線香を焚き 灯明を灯していたのが
いつの間にか
    朝晩になる  
クスリを飲み続けている人たちの中には
  パニック障害を患う人もいる また後追いをする人もいる
仕事も家事もできなくなり
 大切なはずの 亡くなった人のために 何もできなくなっていく
       元気でいるからこそ
亡くなった人を 供養できる
      
   悲しい気持ちは 病気ではない

 悲しみは愛があるからこその気持ち
          愛は病気ではない

     遺族の人が 心療内科に行くのが増えてきたが

  残念ですとても・・・・・・・・
         数年後が怖い