
息子の嫁の話をすると 私の言い方がキツイという人もいます
でも
事情を詳しく話すと ひどいねそれは・・・という人がほとんどです。
息子が亡くなり、警察の官舎には住めないのですが、夫が税務署に勤務という事もあり
警察の署長に頼んで、
住まいが見つかるまで、嫁と孫は住んでもいいという事になりました。
それでも
嫁は パパが死んだところは怖くていられないから
私たちのマンションに一時住みたいという事になりました。
私たちは嫁とは他人ですし
両親が一軒家に住んでいるから 自分の両親のほうがいいんじゃないの‥と言いました。
マンションは狭いし・・・と。
しかし
嫁は私たちの所にきたいというので 荷物を運びました。
パパの荷物は怖いから
持って来たくないという事でした。
3LDKのマンションに夫と私と次男と嫁と孫で住むことになったのです
和室と押入れを全部片づけて
嫁と孫の部屋にしました。
夫は次男と‥私は和室の荷物もある4畳半に・・・
食事の支度やお骨の供養や洗濯掃除は全部私。
次男と一緒に
嫁は死後の手続きをして歩き
生命保険の手続きも 私たちの前で保険屋さんに来てもらい勧め
全ての手続きを
夫と次男に手伝ってもらい 終わったところで
実家に帰ってきますと帰った
仏壇の芯入れがある日程が迫っていたので
嫁の実家に電話した
その時に
次男が 聞いて欲しいというので 聞いたことに逆上し
仏壇の芯入れには来なかった
お坊さんが帰った後の夜に 両親と3人で来て
私をののしった
「人殺し」息子殺し」と。
息子と嫁の住む官舎に1回だけ泊まっただけなのに
よくも泊まれるものだ・・・普通は泊まらない
息子はお母さんのことが大嫌いで
嫁の母の事が大好きだった
息子を殺したくせに・・・・と。
遺骨も 仏壇も位牌の要りません。
と言いながら 自分たちの荷物は預かってほしいといった。
おかげ様で息子の遺骨は手元に残った
仏壇は嫁が欲しいというから買ってあげた
位牌もなにもかも 全て私たちが支払った
1円も使わずに通夜と葬儀をした喪主の嫁
葬儀を終え 私をののしり
実家に行った
1回目の月命日に
はがきを出した
ノンちゃん どうしていますか
パパは遺骨になりましたが 微笑んでいます。
お健やかでいてください・・・
と。
受け取り拒否でハガキが戻ってきました。
息子の遺産は全て嫁と孫のものです
靴下一枚
息子の親である私たちにはもらう権利がありません
夫と次男は
写真一枚 ごみに捨てるものでいいから 遺品としてくださいと何度も頼みに行きました
が
拒否
電話も着信拒否
大まかに書いてもこんなことがありました
また
嫁は息子がパワハラに苦しみ精神科に通っているのに
息子の携帯に罵りのメールが60通以上
それに対して
息子はごめんなさいすみません頑張りますと返事
何十通も・・・ごめんなさい・・ばかり
嫁は仕事を休んで自宅療養をしていた息子を
子供用のパイプ椅子で叩いていたと告白
小遣いは1か月5千円
ヨシケイから材料を配達してもらい
昼の弁当は 夜の残り
自分たちは毎日
ファミレスのランチ
病気の息子と喧嘩して
金も預けず 食べ物さえ与えず(買うお金もなかった息子)
携帯と自宅の固定電話にも 応答しない息子
3日間も
連絡がつかなくなったまま放置
4日目に死んだと思ったから・・と警察の電話
それでも
私たちは孫がいるから 一緒に協力して育てたかった・・・
でも 保険金他 金目のものは全部持ち
パンツや靴下などはごみに捨て
息子の生命保険で買った二世帯住宅に住み(親と一緒に・・・父親から健さんの生命保険で家を買うから娘には近づくな
と言われた)
それでも
私は 嫁に配慮がなく きついと言われるのだろうか
うつの夫の世話を1っカ月半で放棄する嫁
大変だと思ったから
孫を連れてきて
泊めて面倒を見ていた私たち
一か月半の間 2週間は面倒を見ていた・・・
それでも 嫁への配慮が足りないと言われなければならばいのだろうか
これでも
公開の場なので控えめに書いている
今から 再調査委員会の遺族の聞き取りに同席なのだが
コメントで頂いた内容に
こころが 痛くなり 冷静にいられないような気分になったので
ここに書かせてもらいました
今から 冷静に対応しなければならない重大な時間に同席するので
思いのままを少しだけ書きました
遺族の事情も一人ひとり違います
表だけを見て
自分が知っている事だけで 判断してはいけないのではと思います
私は母の遺産も嫁にも分けた
息子がいなくても 私のマンションに来て勝手に冷蔵庫のものを持っていく事もあった
仲がよかったと思っていた
息子は 別れることも考えていたようだった・・・
死後に知った