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思いやるこころが足りない社会・・・

OIP (12)
子供を亡くした親を非難する祖父母たち
 祖母が多い
子供を亡くした娘に対して
非難する娘の母親

孫がかわいいのだと思うが
 祖母のあなたよりも母であるあなたの娘のほうが悲しみ苦しんでいるのに・・・といつも思う

死にたくて死ぬ人はいない
 死にたくなる病気はない
あるとしたら病気を治せない医療の問題で 死にたくなる病気を抱えた個人のせいではない

自死のその多くは社会的要因によって追い込まれた末の死であると国は認識し
    基本法や大綱を作り 
多額の税金を投入して 予防対策を講じている

   自死遺族ですら そのことに気がつかない程
   そのことを 知らない人が多い

亡くなった本人も遺族も含めての社会であることも忘れてはいけない

生きずらいという人がいる
  なぜ 生きずらいのか・・・
    どんなことが生きずらいと感じるのか・・・

会社のパワハラはなぜ起こるのか
  なぜなくならないのか

時間的な過重労働や、仕事内容の過重労働
 なぜ 改善できないのか
 どうしたら 改善できるのか

職業別に 検討できるはず

 学校のいじめはなぜなくせないのか
 どうしたらいじめの無い学校が作れるのか
真剣に検討して
   実行出来たら 必ずいじめは少なくなる


具体的問題を抱えていて
   身体的症状の緩和のために 精神科医療機関に診てもらうなら
身体的症状の緩和だけではなく
   具体的な問題の解決もやらないと
      身体的症状は緩和できない
どんなに強い薬を飲んでも
  一時だけの事
現実的ではない

 症状の緩和を薬にたより
その間に具体的問題の解決をする事が重要

また
 精神科医たちは  クスリの売人のような役目を担うのではなく
   死にたくない
  元気になりたい
  幸せになりたい
という患者の要望に応える治療をしてください

たとえ 生まれつき 死にたいという人がいても
    生きる事に希望が持てる治療をしてください

また
知的障がいなど精神障がいがある人には
  クスリではなく
訓練などで
改善を目指してください

普通の人が1回で覚えることが
    10000回かかるとしても 10000回教えてください
繰り返し繰り返し・・・
少しは改善しますから

仕事も
 転勤転勤 異動異動の日本では
      転勤先や移動先で 慣れる事が大変

同じ仕事でも その時の上司によって・・またはそれまでの方法があったりして
  前の職場では通用していたことが
    通用しないこともある

1か月程度は ゆるやかに 教えてくれたら
    馴染むのに・・・

新人看護師を
 戦場のような救急救命現場に配置したり
     社会人から看護師になったからということで
新人で同期なのに 年下の面倒を見るように言われたり
 
   配慮の足りない職場は多い


原因動機別をみると・・・いろいろあるように見えるけど
  
   社会が 人にやさしくない  その一言

学校・・・学級にいる一人ひとりが
   やさしくなれたら
ひとつの会社の一つの部署の一つの課の一人ひとりが思いやりを持てたら

  ひとつの精神科医療機関がそれぞれに
     真剣に目の前の患者を元気にしてあげたいという気持ちを持てたら

恋愛も債務も親子関係も
一人ひとりを
 大切に思えたら

   自死は無くなる

自死の対策は 地味で目立たないもの
  コツコツと 国民全員で社会全体で 取り組むこと

1人で100人は救えない
1人で社会は変えられない

1人が一人にやさしくし
100人がやさしい気持ちで100人に接したら
    社会は変われる

10000人がやさしい気持ちで10000人に接したら・・・
   1億人が・・・

1人ひとりの こころに自死の予防の基本はあると思う

報いを求めない やさしい気持
   自死の無い社会になるのに・・・

当然戦争もない社会にもなる・・・・・

人にやさしくない社会

  子供をなくし悲しむ娘を非難する母の姿と重なる
  いじめで亡くなった子供を非難する 学校と重なる

  パワハラで亡くなった人を心の弱い人と非難する会社や
    性的被害者を非難する人たちのいる社会はやさしくない

 思いやる気持ち
      社会の潤滑油が足りない

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悲しみのケアって・・・?

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昨日は久しぶりに
 施設に入っている遺族に
 衣類や食べ物などを持って訪問

施設の職員にも差し入れ

高次脳機能障害なので、理解しずらい障がい
誰かと同居できたら
  施設に入らなくても暮らせる人だが
      身寄りのいない彼は 施設しかない
 でも
身ぎれいにして  健康管理もしてもらい
  別な側面からみたら 恵まれているのかな‥とも思う
亡くなった彼の両親の遺影と位牌とご本尊のある個室は整理されていたのでホッとした

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グリーフケアを知らない人が、77パーセントという事に驚いたという記事があったが
知っている人が27パーセントもいるという事に
私は驚いた。

グリーフケアを広げた人がいるアメリカでは
   日本のようには広がっていない


シドニーで2年に一度開かれている
  自死遺族のためのカンファレンスでも
グリーフケアを
   推奨する団体も個人もほとんどいない

グリーフケアがキリスト教に基づいていると思っているのは
 日本人の錯覚に過ぎない
 キリスト教信徒の多い地域では
    教会や教会に集う信徒たちが 
こころ以外の部分で支える

草取りをしてくれたり  食事の一品を持って来たり
買い物を手伝ったり
 掃除をしてくれたり

悲しみというこころは  神に祈る
そして
  専属のカウンセラーに話を聞いてもらう

グリーフとは
悲嘆という意味ではなく

   悲しみから来る症状 反応という意味らしい

 英語を日本語にするのは難しい事もあると聞く

日本語だって 方言は標準語にするのは難しい言葉も多い

 津軽の方言で「もじょこい」というのがあるが
(「もじょこい」もキレイすぎる。もっと訛る)
  例えば子供がかわいくてかわいくてどうしようもないが
         何もしてあげられない気持ち・・・
この複雑な方言は標準語にはない
   愛しいとも違う
     
感情を表現する言葉は方言でしか表せない事もある
  英語を日本語にするときも
感情を表現する言葉は  訳す人で大きく違う気がする

「過労死」は 英語には訳せないということで「かろうし」という言葉が世界共通語になった

全国自死遺族連絡会も 英語にするときに いろんな英訳があり
   どれにするのか・・・を
      話し合って決めた(シドニーでの発表時)
自死遺族という表現も
 英語ではいろんな訳があるという

グリーフ=悲嘆と
感じるのは
     海外の言葉が 素敵に聞こえ 日本語がダサいと思う気持ちがあるのかと思う

::::::::::
そもそも
息子が逝って・・・・
   救いを求め

様々な事を試したとき

誰かが  救ってくれるものではないと悟った

 自分の心は 自分にしかわからない
    支えになってもらえることもある
     ほっと一息つけることもある
ごまかす方法も 教えてもらえることもある
しかし 最後は
自分

だから
著名なグリーフケアの本にも
   近所の八百屋のおじさんの日常生活の中にある言動に救われたと書いてあるのだと思う



グリーフケアって何をしてくれるの?と聞いてみても
 何かをしてくれるわけではないようだ

私のこの悲しみを どうケアしてくれるのでしょうか
と聞いても
   具体的な提案はない

生き返らせてもらいたい
    それが  私の救い
悲しみからの回復
     息子が生き返ることが 悲しみからの回復
それ以外に回復はない

生き返らないなら
 悲しみとともに生きて行くしかない

  息子を亡くした悲しみをケアしてあげるなんて
      いうのはやめてほしい

素人ならまだ許せるけど
  宗教者が
ご本尊である 神様や仏様を差し置いて 
             癒してあげますなんていうのを見ると
情けなく
この人たちは自分の宗教を信じていないんだなぁ~と思います

神様や仏様に
 委ねるこころ   祈る心
   御教えを伝えるこころ

そして 悲しみでできなくなった具体的物質的問題を
  手伝う心

それが必要なのに
なぜか
日本は 悲しみのケア悲しみの支援がしたい人ばかり

  癒してあげたいひとばかり

   癒される事なんて ありえないのに

被災地のおばあちゃんが
  こころのケアの人たちが訪問してくることにうんざりして
「あの人だじ 来たら 泣いであげんのしゃ、そうすっと 満足して すぐに帰ってくれんがら・・・」
 と話していた

「ありがたい 救われた  心が軽くなった」といってあげると
     満足してくれるから
という人もいた

本当に当事者にとって
 支援やケアになっているのか

振り返る余裕を持つことが
ケアや支援をしている人たちには必要かな‥と感じる



 



    

8月13日  ひとりごと

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日本はいろんなところに差別と偏見がある社会
   東日本大震災の地域でもたくさん聞こえてくる

村社会 土着民族
   6代目としてその時に住んでも
     よそ者扱い
 そして
 狭い地域で  屋号のある家と屋号がない家とか 話している人たち
    狭い地域で
 一軒家に住んでる人 持ち家  賃貸
マンション・アパート・公営住宅・・・などと比べる話題

 どうでもいい話

中学生の時他人と比べないでくださいという内容で登壇し発言したことがある
     小学生の時から
  人と比べられるのが とても嫌だった

   他の人もいいところがある
わたしにもいいところはある
他の人も欠点はある
わたしにも欠点はある

 他の人のいいところと 私の悪いところを比べて 
お前は
 ダメだ!あの子はいい子だ!
と言われるのが
   理不尽だと思った

私にだっていいところもある もちろん欠点もたくさんある

 今の日本の教育は(昔もだが)
  子供の欠点だけに注目して  ここがダメ!ここもできない!
あの子もこの子も できるのに
   あなたはできない!

と  才能である事さえも  他と同じではないという事で欠点として
発達障害というラベリングをして
   精神薬を処方する医師までいる

 その意味でいえば医師もある意味で発達障害の人が多い
  人は万能ではない
   コミュニケーション能力に欠けている医師は多い

   苦手な部分を改善することも大事だけど
  得意な分野もほめて
  のばしたほうが 効率的

   そんな教育になっていない

算数が得意でも
国語がダメだと 算数はいいから 国語をもっと・・・という親と教師

 人間は ロボットのように
全てが平均的点数で
   操作する人の自由になるわけではない

子供の一人ひとりに こころがあるのだから

兄弟姉妹でも  比べてはいけない
その子はその子
 一人ひとり  良い点も悪い点も
      ある
得意なことも違う
     得意なことの種類も 数も違う

隣と比べ
  他人と比べ  家族親族で比べ
       比べてばっかりの社会

自分をしっかりと持ち
  他者を認める社会はなぜできないのだろうか

  困った時に何にもしてくれない世間の目を気にして
    あれこれ
うわさ話で盛り上がる人たち

    自分だって困る時があるかもしれないのに
        
テレビに出ると
いくらもらったの? 新聞に掲載されるといくら金もらったの?
  家族が亡くなっても
 いくら保険金入ったの?
 震災で家族を亡くした人にも 見舞金たくさんもらったんだろ?

 子供を亡くして
第三者調査委員会を設置すると  金目当てだという人達

日本という狭い地域で
  狭い基準で
         一人ひとりを比べて 
 差別しているのを見聞きすると
      残念な気持ちでいっぱいになる

他者とは比べない
 他人を妬まない

 屋号とか言ってる時代ではない
    幼稚園や学校で差別している時代ではない

仕事も 犯罪でなければ
   どんな仕事だっていい

人を大切にして
 人にやさしい 社会に どうやったらなれるのだろう

お盆の今日は石巻のたんぽぽの会
 その前に
  思うがままに書いてみた

ひとりごと
       

仙台市は再調査を拒否(虚偽・虚構の資料が発覚したのに無視)


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文部科学大臣  殿
          
仙台市立小児童と母親の死亡事案に関し、仙台市長に対する再調査指導のお願い

私、の妻と娘は、娘が通っていた仙台市立寺岡小学校でのいじめと、学校の不適切な対応によって追いこまれ、2018(平成30)年11月29日、心中しました。
仙台市教育委員会は私の要望を受けて翌19年3月に調査部会を設置、部会は22(令和4)年12月に答申を提出しました。それに基づき仙台市教委は、いじめ防止対策推進法に言う「重大事態」と認定し、新たに専門委員会を設置しましたが、その調査はわずか2か月ほどで終了、今年3月に提出された答申は、いじめと心中の関連について検討を怠るなど極めて不十分な内容でした。
またその後、調査部会や専門委の調査に用いられた学校側の資料に虚偽・虚構の疑いが濃厚なものが多く見つかったこともあって、仙台市長と担当部局に再調査を要望しましたが、拒否されました。この対応が貴省の示す再調査のガイドラインに違背することは明らかですので、貴省におかれては、仙台市長に対し、早急に再調査に入るように指導してくださいますよう、お願い申し上げます。以下に理由を略述します。

                記

1 諮問事項について
前記調査部会で教育長は諮問事項を
①いじめの事実関係の調査、
②児童に対する学校の対応、
③保護者に対する学校・教育委員会の対応―の3点に限定しました。
私が強く求めた「いじめと心中事案の因果関係」は除外されています。
貴省は「いじめの重大事態の調査に関するガイドライン」(平成29年3月、以下「ガイドライン」)の「第10 地方公共団体の長等による再調査(再調査を行う必要があると考えられる場合)」として
「②事前に被害児童生徒・保護者と確認した調査事項について、十分な調査が尽くされていない場合」を挙げています(冊子15ページ)。
前段の「事前に被害児童生徒・保護者と確認した調査事項」と記されているのは、この点について遺族と話し合いがなされ、遺族(私)も納得した上で調査に入ることを前提としていると考えられます。しかし、今回はその前提条件すら欠いていることになります。  
従って、この一事をもってしても再調査は必須だと考えます。


2 資料の虚偽について
専門委員会の答申の当日、委員会で使用された教員等への聞き取り記録や学校提出資料、教育委員会の資料や遺族が提出した資料、資料の目録など1000枚以上の資料の複写を手渡されました。その資料を精査した結果、多くの虚偽、または虚偽が疑われる内容を発見しました。
遺族(私)が参加した場であるのに、私自身がそのように話した記憶のない、あるいは当時の心境を考えても話すはずがない言葉も書かれていました。
これらを数えると、ざっと読んだだけでも16項目にも及びます。
会議や面談の記録を残さず、1年以上たってから記憶によって作成しているのに、あたかも動画を再生して記録を起こしたかのように、参加者の表情や仕草まで記録されているものもありました。
最も重大な、遺族としては許し難い虚偽資料を一つだけ例示します。
「『しにたいメモ』への学校対応状況(学校作成)」と題するワープロ打ちの記録です。
娘が「しにたい」という手紙を書き、妻と娘が校長と面談したときの学校側の面談記録ですが、作成日付はありません(以下、ゴシック部分が記録の本文)。
当該児童は泣いた後のような目。母が、当該児童が書いたというメモを持参してソファに座る。「いじめられているし、死にたい」と書かれていた。
母「ここまで追い詰められているんですよ。どうしてくれるんですか」
ところが、その後、話がすり替えられていきます(改行や段落は原文のまま)。
当該児童がメモを書いた経緯を、母がしゃべり出す。
夏休みの宿題が終わっていないので、母がやるように強く言ったところ、当該児童は家を出て行ってしまった。母が慌てて追いかけて連れ戻したところ、当該児童は部屋に入ってこのメモを書き、母に手渡したとのこと。
この記録は全てが虚偽です。娘が必死に思いを伝えるために書いた手紙を、宿題の話にすり替えています。当日、私と妻と娘で家族会議をして、娘に命の大切さと、両親がどれだけ娘のことを愛しているかを時間をかけて伝えました。娘は進研ゼミの教材も届いたらすぐに終わらせて、さまざまな模擬試験も受験して、成績もトップクラスでした。宿題ができない状況ではありません。
虚偽記録の作成にとどまらず、資料の抜き取りの疑惑もあります。遺族(私)が提出した資料の一部が資料目録にはありませんでした。
こうした資料を用いた調査と答申は「ガイドライン」の前掲
②の前にある「①調査等により、調査時には知り得なかった新しい重要な事実が判明した場合又は新しい重要な事実が判明したものの十分な調査が尽くされていない場合」に該当します。
再調査の門が閉ざされ、私たち遺族は絶望の淵にいます、遺族支援という観点からもガイドラインに従い再調査の門をあけてもらえるようにお願いいたします。

精神薬は人から笑顔を消していく

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精神科の医療が
  人々を幸せにしているのだろうか
 精神科への受診が敷居の高かった時代と
   精神科医療の診療所やクリニックも含めて
     何十倍にも増え
精神科は満員 病床も満床
      若い人達の精神障がい者が増え
     労働不可能な人が増え
精神障がい者年金の受給者が増え
     若い人の生活保護者が増えている
そして
 自死も若い人が増えている
子供の不登校が増え 子供の自死も増えている
 発達障害という言葉が大流行し
 発達障がい者が増え
   それまでの4倍から5倍に増えている
そして
  子供の精神科受診が増え
小学生でうつ病  幼稚園でうつ病とか言われている子供たちが大勢いる
  親は疑問も持たず
   麻薬や覚せい剤の様な成分を持つ精神薬を幼い子供たちに飲ませている

 無知とは恐ろしい
 宣伝に惑わされ  流行りにのり
   まんまと 罠にはまっている  利益企業の策略に!

  精神薬を飲んでいる幼い子供は
 正常には発達しない
    脳細胞が破壊されていくのだから

身体的にも正常に発達はしない
   
精神薬を飲まされた‥飲ませた結果の始末は
  医師でもなく製薬会社でもなく
  本人と親
 本人は
  人生から笑顔が消え
      苦しい毎日を送り  早死にに至る
   なぜなら 様々な病気を発症する副作用があるから。

子供の発育のスピードや
   発達の範囲は
 双子でも違う
   一人ひとり みんな 違う
違って普通

同じ発達をするのは ロボット
   
 先天性の精神的疾患に対する精神薬も
    発作を抑えるためのものであったり
    症状の緩和が目的のはず

  それが
     事業中に落ち着きがないとか
 忘れ物が多い
 片付けが苦手
      大人の顔色をみて 場の空気を読む力がない
とか
 好きなことに集中するが
   別の興味がわくと それまでの事を放置して
   別なことに集中する
というような
 まぁ大人にもよくある出来事が発達障害と言われている


そんなことで 麻薬成分の多く含まれている薬を飲ませて
  子どもたちから笑顔を奪い
大人になっても 働くこともできず
    病気のデパートのような体を抱え
   早死にするのを見ている人たちがいる社会は
              狂っているとしか思えない

   金儲けの犠牲者が増えている日本

精神科医療機関が増え続け どこも満員
  異常ですこんな社会

 具体的に問題を可決しましょうよ
 いじめやパワハラをなくしましょうよ

  介護が必要な人への制度も 改善しませんか

電話相談の
9割が精神薬を飲んでいる人たちから・・・・
 精神科の医療機関は
  本当に人を幸せにしているのでしょうか

    笑顔が消えていく 
精神科の治療薬
        

自死遺族は精神医療を受ける必要があると考えている人たちとの闘いの18年

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息子が逝く前は 自死には全く関心がなく
  ひたすらに自分の楽しみと欲望で生きてきた

2005年11月
 息子の突然の死
   あの日から 家族も含めて人生が180度かわった

正確に言えば息子が180度で・・・生から死
 夫と次男と私は 160度くらいだろうか

価値観がかわった
  幸せという価値観が大きく変わった

生きていればこそ  生きていたからの
  わがままや不平不満だったのだと

あたりまえにそこにある命が 突然に失われることがあるのだと
   
  世間でいう 忍耐が足りないから…自死というのは
    無知な人たちが言う事なのだと

そして 活動をして思ったのは
  自死の事をわかっていない人たちが 専門家と称して偉そうに語っているのだという事も

自死遺族である私は 自死遺族の問題を主としての活動をしているが
 見当違いや
    そもそも 自死遺族を追い詰める社会の仕組みを放置して
   散々に自死遺族を追い詰め
   追い詰めたうえで   こころのケアだけを支援にしている

 
    生きていたい!という叫びさえも 無視して
  自死に追い込んだ社会が

今度は片手で悲しみに沈む自死遺族を追い込みながら
    こころのケアが必要な・・特別な遺族ですよ・・と 精神薬を飲むように推進している

自死した人の6割は精神薬を飲んでいた
   生きたいと願い  死にたくないと思い 精神科を受診し  
   死んでいった

心を助けてもくれない精神科医療に
   遺族になった人たちも誘導して
 後追いをさせようとしているとしか思えない

 また 家族を精神疾患者に仕立て上げて
   やっぱり  ほら  自分たちが言っていた通り
     自死は遺伝なんですと言いたいのだろう

家族が全員精神疾患者で
   自死も複数人いるよね・・と言いたいのだと思う
それしか考えられない
  彼ら自死の専門家を自称する人たちの言動は・・・

 遺族への調査
  普通に誰も死んでいない人たちへの質問と同じ
(精神科医たちが作った内容・問診のような内容)

その結果  気分障害・不安障害とみられる人が48パーセントと論文発表
  そりゃそうだよ
 愛する人が亡くなって半年以内の遺族が対象なのに
  食欲があるとかないとか
 希望があるとかないとか
    亡くなった人を思い出すとか…そんな内容なんだから

 それなのに
  半年内の遺族は  遺族の集いに参加してはいけないという事もやっている

   半年過ぎたら 参加してもいいという許可が出る地域もある
  アホらしい
   

   自死遺族を特殊な悲しみという人達は いうだけで何もしない

自死の予防についても
 統計だけ出して
  増えた減ったという人達は
 何もしない  いうだけ

  自死についていえば  評論家が多く
 講演や論文ばかりに力を注ぎ
     実践している人は少ない

  教育をかえようと動く人もいない

  目先の金が欲しい人 と  有名になりたいだけの人たちが
     蔓延る社会
 減るわけがない
   本気で自死を減らそうとか
  本気で遺族を元気にしようとか
 思っている人たちは
  微少
皆無ではないが
  ものすごく少ない

自死遺族の場合は
当事者ががんばるしかない

   悲しみと苦しみを抱えた遺族が頑張るしかない

  そうしないと
 利用されて 個人情報は把握され
     自死者も遺族も蔑まれ
        
自死は高止まりのままで推移するだけ

   減ったら 仕事がなくなる人たちのために
      減らないように
人を追い詰める仕組みは そのままにして

   相談体制だけ整え  
相談も傾聴だけ  統計のためだけ

  実際に解決はしてくれない

ひどいもんです

 自死遺族の問題も
 自分の事だけではなく  たくさんの遺族がいろんな問題で苦しんでいることを
   知ってほしい
   
 自死という行為への差別的問題が
  法律の中にも存在する国です




    

結婚していた34歳の息子の小遣いが5000円だった・・・今も心が痛む

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健一は34歳で逝った
 結婚して4年半 娘が3歳半
    警部補
それなのに 小遣いが5000円(月)だった
  と
亡くなったその日、嫁から聞いた
  毎月20万円ずつ貯金だったとも聞いた
自分は毎日ファミレスで娘とごはん
    だった…とも聞いた

 食事の買い物はせず 材料の宅配
    夜ごはんの残りを 弁当に詰めて息子に渡す

 タバコは吸わないが…付き合いはある
 付き合いの金がないのだ息子は。

  一か月5000円だから1日160円弱
     34歳の係長が1日使えるお金が160円

 息子は独身時代は ぜいたくに使っていた
  給料全部が自分で使うお小遣いだった

 結婚して1日160円
しかも 嫌いなものも普通に入っている弁当
  金がないから
  嫌いでも食べていたのだと思う
 着るものも
  独身時代のまま
       
   付き合いのために 本を買うという嘘をついていたと嫁から聞いた
     嫁は息子を嘘つきと言っていた

亡くなった時
   免許書の裏に小さく小さくたたんだ5000円札が一枚あった
    大事な5000円だったのだと思う

  そして
  3歳半の娘のパイプ椅子で  息子に暴力をふるっていた嫁
     息子は一度も大声をあげたことはなく
 手も上げたこともない
と 嫁は告白した
  自分は叩いていたけど・・と

小遣いの金額やパイプ椅子で叩いていた嫁は
   暴力妻です
 小柄なのに  抵抗しない息子を
     ヒステリックに叫び
  罵り   小遣いが5000円
       散らかり放題の部屋に 布団を敷いて 寝ていた息子
  
 結婚しなければ…生きていた・・と思う
    
あの時我が家に連れてくればと今も悔やむ

    供養の金すらもったいないのか
      お骨も位牌も仏壇も 「いりません」と言われた

    金は1円も出さず 葬儀して
 埋葬料さえ持って行った
   1円も…お花一輪も買わず・・・


  こうした事を書くと
  田中は 嫁の立場の人を嫌いなんだという人もいるが

 息子の嫁の話をしているだけ
     他の人を言ってはいない


 親族関係を終了してもらったので
      嫁でもなんでもないけどね

  お墓も知らないだろうし  お墓には来てほしくない

    警察には お墓の場所を教えないでくださいと伝えてはある
パワハラもあったのだから
   労災申請が通ったと思う

   お金が欲しい人なのに
 大きなお金を逃している

いまでも
 小遣い5000円は 許せないし
     人でなし‥と思う

息子は女を見る目がなかった・・・
   
 やさしい女はいっぱいいたのに・・・

      
  
    

誤解されるかな・・?

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自分の息子を亡くした私の悲しみの深さには
  他のどんな人の死への悲しみも届かない
他の人もまた
それぞれ ひとりひとりが 自分と亡くなった人との間に存在する悲しみが一番深く
   自分の愛する人以外の他の人の死を
   自分の愛する人の死によって感じる悲しみとは比較できるものではないと私は思う
しかし
 自分の子どもの死と同じような深い悲しみを感じると
    芸能人の死を捉える人もいる

私には理解できない

  悲しみは「愛」があるから 悲しみという感情がわく
愛のない人の死に
  愛がある人の死と同じような深い悲しみがわくことが 理解できない

毎日 こうしている間にも
逝く人はいる
 しかし悲しみは感じない
 そもそも亡くなっている事を知らない

   私は息子の死を超える悲しみは感じたことがない
母も父も見送ったが
   悲しみはあるけど 息子への悲しみの比ではない


わたしって
 自分の子どもだけの事で頭がいっぱいで
 他の人の死を
 息子の死と同じように悲しめないのは
    冷たいのかな?と思う事もある

私は
他の人たちも 一人ひとり 世界で一番深い悲しみがあると思っている
それは理解できている

私も私の息子の死が 私にとっては 世界で一番深い悲しみ
他の人も同じ

他の人が私の息子を私と同じように悲しむなんて思わない
  思いを寄せてくれる人たちはいるが
  それは 私とは違う


  悲しいよね・・・悲しいだろうな~~
    この気持ちをその芸能人の家族も抱えてるんだろうな~~と 気持ちを寄せることはできる

でも 息子を亡くした直後の気持ちにはならない

 最近 亡くしたばかりの人が 会に参加すると
    自分のあの頃と同じなんだろうなぁ~~~とは思う

  胸が張り裂けそうな
   身体に刀が突き刺さっているような 激しい悲しみは湧いてこない

冷たいのかな・・・

息子を愛する気持ちと
  会ったこともない人への愛は違うと思うのは 
   冷たすぎるのだろうか


ウクライナで人が大勢亡くなっている
むごい殺され方をしている

   東日本大震災で 4人5人と子どもを含めて亡くした人たちもいる

自死もいろんな人たちが亡くなっている
 遺族の会を開催しているから
    毎日 悲しい辛い話を聞く
でも
その亡くなった人にあったことがない
 「愛」の種類が自分の息子への「愛」とは違う

愛しいとは思う
 悔しいとは思う  残念だと思う
  悲しい気持もわく

自分の息子への悲しみとは違う

こんなことを書くから 怖いと言われるのかな

   ふんわりとあいまいに
なんとなく おなじ・・・
   と言いたくない

私は亡くなった人たちと面識がなく
   人間としての愛以外に
個人的な愛は芽生えていない

例えばAさんという有名人が自死
  Aさんにも親や家族がいる
Aさんの親や家族がAさんに寄せる思いと同じには  私はならない

子供を亡くしたという悲しみは同じ
愛する人を亡くした悲しみという意味では同じ

  でも
亡くなった人と生きている人との間に湧く個人対個人の悲しみは
亡くなった人と生きている人の間にある個人的感情

わたしと息子の間にある悲しみと
 夫と息子の間にある悲しみは違う
同じではない


遺族が100人いたら 100の違う悲しみがある
感じ方も表現の方法も
違う

それを認め合う
 社会でありたいと思う

そして 自分の家族への悲しみと同じだと思い芸能人の死を嘆き悲しむのは自由だけど
  芸能人の家族以上に落ち込んで
   自分の家族への喪の作業すらできなくなるのは・・・
?????
と思う

一番大切なのは 自分の愛する人なのだと思うんだけど・・違うかな?

それとも
 SNSでのパフォーマンスなのかな?
 
愛があるから 愛する人の死だから
  悲しい 愛しい(かなしい)

愛していない人の死と 愛している人の死
    悲しみが違って普通と思う





以前よりも自死した人の詳細な情報が公開されている事をやめて欲しいと訴えてきた・・・のに

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わたしを怖いという人達がいる
  多くは遺族以外だけど 遺族から言われている・・・・

何が怖いのだろうか
   私はその人たちに何もしていない

遺族の個人情報が地域に流れるのを
 必死に国や県や各地の県警本部や公安委員会に申し入れ書を送付して
   守ってきたのに・・・17年ずっと・・・・・・・・

自死遺族だという情報が 住んでいる保健所の保健師や町内会長などに
    伝えられて
       訪問されたり  手紙が届いたりすることになっていたのを
      防いできたのに・・・・・・・

 今でも  必死に防いでいる・・・
  声をあげて・・・

それでも 一部の地域では  自死遺族という情報が行政機関で共有されている
   国も・・・
 自死した人の詳細な情報を公開している
   県も・・・市町村も 把握している

    公開する意味のない個人的な細かい情報が 普通に見られる
      自死した人の情報が詳細に公開されているという事は
    遺族のことも
わかるケースが多い
   同居していた場合は 特に特定される

    それを  必死で国に訴え  何とか食い止めてきたが
 現在力が及ばず・・の地域もある

今後は 更に力を入れて  国に訴えていく予定

   犯罪者よりも ひどい扱いの個人情報の一般公開の範囲

    遺族の人が怖がるべきは
       自死した人の情報を 議員を使って 行政機関に圧力をかけて
          詳細な部分まで公開させている人たちなのに・・・・

     良かれと思って…という言い訳をしているが
    それらを 使い  遺族に 遺族の会のパンフレットなどを送っている保健所

  自死した人たちの情報と遺族の情報を
    2億円以上のお金を使い集めた人たちがいるが
       300人と少しの情報だけだった・・・

また 国が心理学的剖検をやっても
     200程度だった

だからこそ
  喉から手が出るほど欲しい  自死者の情報と遺族の情報
     警察庁が協力して

事情聴取の時に 以前より詳しく質問をしている地域もある
 もちろん 協力していない地域もある

   自分の情報が知らない間に 地域で共有されているなんて
 気味が悪いし 怖い
    
 私の事を 怖いという人は
   自分の情報が 保健師たちに知られているのは 怖くないのかな・・・

  宮城県も 不穏な動きがあったので
  止めた
      以前にも 止めたことがある

    一部の 国や自治体や 一部の支援団体は
 私の活動を
  邪魔に思っているようだが
多くの人たちは
良識ある人たち
        訴えれば 理解してくれる
しかし
  それはしないでくださいと訴えなければ
  良かれと思って やってしまう

   17年間   小さな力で 必死に防いでくたのになぁ~~~
なぜ
怖いと言われるんだろう・・・と
     情けなく感じた今日だった

   わかってないなぁ・・・・みんな

     知らないって  残酷


本当の事を云うから怖いのかな・・・
でも
事実なんですよ・・・このことは・・・
OIP (12)

涙のあふれる日

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なぜなのか
  涙があふれて  大声で泣いた
   健一を思い・・・・
今も涙が止まらない
    流れるがままに・・・・・・・ブログを書きたいと思った

  どうにもならない
     なぜ 死んだのだろう
  と
あの日から18年になったいまも  激しく思うことがある、今日のように・・・
 今日は
 涙が出る日なのだと…思っている

    しょうがない   健一に会いたいのだから
  生きているあの子に会いたい

  かなわないこと   天地がひっくり返っても 叶わないこと

     かなしくてどうしようもなく涙があふれても
   あの子を思い出すことは
         健一と私の時間

   お兄ちゃんと私の時間
                  涙があふれても  大声で泣いても
         お兄ちゃんと私の時間だから
            誰にも 止められたくない

 同情もしてほしくない
       当然のことだけど  遅延性悲嘆とか複雑性悲嘆とか 言われたくない

    私がこの世を去るまで
   この悲しみは 続くのだから

  認知症にはなりたくない・・と思っている
  なぜなら お兄ちゃんを忘れたくないから
    絶対に 忘れたくない
どんなに苦しくても悲しくても    息子を忘れたくないから
 元気でいようと思っている

   元気で生きていたら  息子を…健一を・・・お兄ちゃんを
   その時間だけ、しっかりと 覚えて 思い出し 涙を流せるのだから

    楽しかったこと 幸せだったことも含めて
涙があふれるけど
     まだまだ かぁちゃんは 
        ケンちゃんを しっかりと鮮明に 思い出せてるよ・・・
  
   まだがんばるよ・・・
   そばにいてね

  あなたを強く感じる時 深い悲しみに襲われるけど
  大丈夫
     どんなに深い悲しみでも  大丈夫
そのぶん  お兄ちゃんを感じられるから・・・

   いつか 迎えに来てくれるその日のその瞬間まで
       深い悲しみとともに 生きていくからね

    愛しています 私の息子 健一
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