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自死者のデータの公開が詳細にわたるのは・・・自死遺族の特定につながる可能性がある

OIP (5)
以前から国に申し入れをしている件の一つ
 自死した人の個人情報が公開されている事
個人名は出されていないが
   後悔されているデータをちょっとだけ調べるだけで
      地方だとあそこの誰・・・とわかるデータが公開されている

 公開してもいい内容と
   非公開で調査や研究に使用するデータと分けるべきだと要望しているのだが
    指定法人も含めて 
    国は 無視である

自死した人や自死遺族は  犯罪者よりも個人情報が守られていない
    世界に訴えていくべきかと思っている 人権侵害として

まず

1か月ごとに 公開

✿ 都道府県名と市区両村名
✿男女別
✿年齢別(~19才・20歳~29才・30才~39才・・・)
✿同居人の有無
✿自営業・家族従業者
「農・林・漁業」「販売店主」「飲食店主」「土木・建設業自営」「不動産自営」「製造業自営」「その他の自営業主」)
✿専門職
「教員」「医療・保健従事者」「芸能人・プロスポーツ選手」「弁護士」「その他の専門・技術職」「議員・知事・課長以上の公務員」
「会社・l公団等の役員」「会社・公団等の部・課長」
✿事務職
「事務員」
✿販売従事者
「販売店員」「外交員・セールスマン」「露店・行商・廃品回収」
✿サービス業従事者
「美容師・理容師」「調理人・バーテンダー」「飲食店店員」「ホステス・ホスト」「遊技場等店員」「その他のサービス職」
✿技能工
「建設職人・配管工」「輸送・精密機械工」「機械工(輸送・精密を除く)」
✿保安従事者
「警察官・自衛官・消防士等」「その他の保安従事者」
✿通信運輸従事者
「運輸従事者」「通信従事者」
✿労務作業者
「土木建設労務作業者」「運搬労務作業者」「その他の労務作業者」
✿その他

✿学生・生徒等
「未就学児童」「小学生」「中学生」「高校生」大学生」「専修学校生等」
✿無職者
「主婦」「失業者」「利子・配当・家賃等生活者」「年金・雇用保険生活者」「浮浪者」「その他の無職者」
✿不詳

場所
「下宿・寮」「学校」「勤め先」「病院」「福祉施設」「ホテル・旅館」「デパート」「高層ビル」「駅構内」「鉄道線路」「乗り物」「路上」「公園」「社寺境内」「田畑」「海(湖)河川」「池・沼」「山」「その他」「不詳」
✿手段
と続く
時間帯が
0時~2時 2時~4時   と続く
曜日も月曜日・火曜日と続く


✿家庭問題・・・・
 夫婦の不和・・というように細かく分類
✿健康問題・・・
 うつ病の悩み・・・アルコール依存・・と続く
✿経済・生活問題
倒産・・事業不振・・・就職失敗・負債・・・と続く

このデータが公開され
地方自治体の保健所や精神保健福祉センターや その他いろんな機関や団体に提供されている

そもそも 公開されている事が大きな問題


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今日はお彼岸 息子の墓参り

OIP (8)
今日は春彼岸のお墓参りとお寺さん参りに行く
  墓地を買い、お墓を建てて埋葬したばかりの時は
   毎日のようにお墓に行っていた
    そのうち 3日に1回になり(生花を常に新鮮に・・・)
18年目の今は
 元旦(1月)・春彼岸(3月)・お寺の花見会(5月)お盆(8月)
秋彼岸(9月)誕生日(9月)お寺の芋煮会(10月)命日(11月)12月31日
 10回ほどのお墓参りに減った
 
お寺の行事は一度も欠かしたことはない
   コロナになる前は
     お寺の掃除にも行っていた(自主的に)
  お寺の行事を手伝う会にも参加している
(自分から参加希望を)

 18年間毎年お墓参りに来てくれる  息子の警察学校時代の仲間がいる
  いつも缶コーヒーと煙草を供えてくれる人がいる
 ありがたい事です

  また お参りに来てくれなくても
     高校時代の仲間たちがいる
彼らの中に 息子は存在している  と信じている
   葬儀にも参列してくれた息子の友人

  一部上場企業を退職して 臨床心理士の資格を得るために大学で学ぶ道を選んだ息子の友人もいた

OIP (4)
 息子への思いが活動の原点

自死の予防対策は
自殺対策基本法ができて17年になるが
根本的対策までに至っていない
  支援者の支援が対策の中心のまま
    
普通に生きてきた人を追い込んでいる社会的要因には
  手を付けようとしない

そもそも  原因動機別のデータが 亡くなった直後に行われる警察からの事情聴取を原票として
  作成されている事が
     正しい原因動機別には 遥かに遠いデータだと
        わかっているはずだが
    専門家たちは 無視
  より効果的な対策を講じるためには
     原因動機別を
死後直後に遺族から聞き取る内容だけではなく
  働いている人の自死の場合は
   
少なくとも労災申請の認可が下りたケースや 労災申請の内容
   裁判を起こした時の内容や認められた内容  
また 学校の第三者調査委員会の答申の内容
   
少なくとも
 時間経過した遺族への聞き取りを 遺族と協力して行うこと
(心理学的剖検)

それができていない現在
  対策は見当違いが多く
    根本的な対策はできない

官民協働で行うのは大事だけど
  民間団体が
  自死の問題だけの団体で、職業になっている場合は
    団体の活動の継続が
       目標になってしまい
  団体としての存在意義のアピールが活動を大きく占める事につながってしまう

それは
至極当然の事で  団体が必要としない社会になると
  団体は 活動の意味を失い
解散となる
 そうすると そこで給料をもらっている人は失業してしまう

    だからこそ
       自死の問題だけに特化しての民間団体は
          収入を得る道を他に確保しながら職員を雇わなければ
      自死が減る事を目標にしない活動になってしまう恐れがある

 そうでなければ ボランティア活動
無報酬での活動が民間には求められる
それが自死という問題

給料を与えての団体運営は
   自死を減らすという事を考えた時
      自分の仕事がなくなることを 覚悟しての活動が職員に求められるが
      難しいのではないだろうか
人間は 他者のいのちより
 自分の生活が優先すると思うから


     
 

悲しみが病気ではない・・

OIP (1)

何度も何度も 書いていますが
 悲しみは病気ではありません
どうかどうか
 精神薬は飲まないでください

精神薬を飲んでも 悲しみは消えませんから
   漢方薬も同じです
精神薬を飲まなければ
   時が 理性を戻してくれ 悲しみとともに生きていけます

昔々から  人は そうやって 生きてきたのです
   一人では耐えられない悲しみを知っているから
       すがるものを見出してきたのです
人を超えた  大いなる存在を信じ 生きてきたのです

   薬を飲むくらいなら
 知らない
     お寺に行き お話を聞いてもらい
       教会に行き 話を聞いてもらい
          カウンセラーに話を聞いてもらい
保健師に話を聞いてもらったほうが
       副作用がない分 いい

 もがき苦しみ  1日・1日・1日をすごし
   半年・1年・2年・・・・・

いつの間にか  悲しみとの付き合い方が上手になって行きます

   私と同じ2005年に子どもを亡くした人の中で
  
 薬をやめられず 18年間飲んでいる人がいるが
    ずっと前からパニック障害だという
   いろんな病気も抱えているという
      
精神病院を入退院・・繰り返している人もいる

  統合失調症だと言われ  時々暴れている人もいる

 ビタミン剤でも飲んでいたほうがいい
  副作用がない


精神科に通う時間があったら

 亡き人のために できる事はたくさんある
  亡くなった人に問いかけ
   閃いた事をやってみませんか
仏壇の掃除
  お花を 亡くなった人の大好きな花に・・・
  お花屋さんで探す
     お茶は 亡くなった人の好きな味を・・・
コーヒーも
  お菓子も ジュースも
   亡くなった人の好きなものを探して供える
  大好物を作って供える

お線香も コーヒーの香りや キャラメルの香り

写真たて も 時々変える
   息子の好きな色に・・・

家にいる時は  ずっと ロウソクを灯し
 お線香を灯す

息子の好きな音楽を流す…時々
    玄関をきれいにする
トイレも‥洗面台も・・・

    窓も・・・・
全て 亡き人のため

時間があった時は お経を唱えていたが
・・・・
  あっという間に一日が過ぎていく

 薬を飲んで ボーっとしている時間がもったいない
   たくさん息子を思い出し
 たくさん悲しみ
  たくさん涙を流したい

 息子を愛している分だけ  悲しみが深くていい

しょうがないよ  息子を今でも愛しているんだから
 だから
  薬は飲まない
     私の悲しみは 病気ではない 断じて病気ではない
 愛しているから悲しいだけ 
  

残念な人たち

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愛する人を自死で亡くし、最も悲しんでいる人への
 心無い言葉の数々
 
それが 自分の両親だったりすることも多い
 子供を亡くした母親に
  母親の母がいう一言が その母親を追い詰めることもある
  亡くなった子供の祖母が
    自分の娘を責める・・・
また
我が家のように  亡くなった息子の妻の母親が
    息子を亡くした母親である私を「息子殺し」とののしることもある

  妻を亡くした夫に
      妻の親が罵声を浴びせることもある

  若い子供を亡くした母を  祖母が
     責める言葉を浴びせることが多いように思う

それは祖母が子供を亡くしていないからなのだと思う

  私の養父は幼い自分の子どもを亡くしていたから ただひたすら私の嘆きを電話で聞いてくれた
(養母は多少認知症が進んでいた)
 父も脳梗塞で身体は不自由だったが
    ひたすら聞いてくれた
実父は
何度も手紙をくれた…口下手だからと・・・

     私の親族も 夫の親族も
  誰も 私たちを責めることは無く
   亡くなった息子を悪くも言わず 悼んでくれた

でも
多くの遺族が親族からの 悪気の無いしかし こころの無い言葉に傷ついていることが多い
 なぜなのだろう‥と思う

 自分の子どもが 愛する人を失い 嘆き悲しんでいる時に
    お前のせいで死んだとなぜ言えるのだろう
お前が殺したとなぜいうのだろう
 何の意味があるのだろう

    日本人って ・・・・・・・と思ってしまう
 
  震災の人たちに対しても
   家族4人死んだんだから 金かなり入ったんだろ・・・
少し こっちに 融通してくれよ・・とか

   民事の裁判をすると
    金が欲しいのか・・・という
 民事裁判という意味を理解していない

第三者調査委員会をすると
 学校を訴えて 金をとろうとしている‥とかいう
 第三者調査委員会の意味がわかっていない

 
       
無知は罪という言葉があるが
    実感することが多々ある

養母は 無学だったが 無知ではなかった
  
  亡き子供への愛情を自分が死ぬまで失わなかった
母が亡きわが子のために、また子供を亡くした親のために寄贈した地蔵堂
それは
今も青森県の過疎化した地域の墓地に向かう土地にたち
 たくさんの地蔵がそれぞれ誰を意味するのか
 誰が寄贈したかも わからない
    地域の人たちが
手を合わせている

あ! 実家の80歳を超えた兄夫婦は知っているかな・・・
  
***************
せめて
   親族だけでも  悲しんでいる身内を
    やさしい心で 見てください

  傷つけるのだけは やめてください

自死は遺伝ではありません 精神疾患も遺伝ではありません

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自死は遺伝ではありません
 精神障害も遺伝ではありません

 また 伝染病でもありません

    ある地域の医師から 昨年  自死遺族の後追いは多い
       と言われました
多いって・・・何人ですか
    6人・・・?と聞いた
 何人の中の6人なのかは おっしゃらなかった

  その医師に聞きたかったことは
    後追いと思われる自死者が精神薬を飲んでいたのか
    また
      遺族になる前から飲んでいたのか  遺族になってから飲むようになったのか・・・
 後追いってどのくらいの期間での自死で
  また何から後追いって断言できたのか・・・


 自死は遺伝だとか
   精神病は遺伝だとか
  エビデンスの無い  噂話を する人が
   自死の問題に携わる人 だったりすると
      自死への偏見と差別が  増幅されていく事になる

   自死した人が お化けになって 祟る
 だから
お祓いが必要だ  などの 迷信も
    宗教者が
  諭したら   差別や偏見はなくなるのに
  ご祈祷料やお祓い料を
   請求して
      祟りがあるかのように するから
     差別と偏見が増えていく

そうやって
   人を追い詰め 自死に追い込み
    自死した人を 
蔑み 差別し
   遺され悲しみに沈んでいる遺族から
またお祓いやら精神的瑕疵ということで賠償金まで請求し

二重にも三重にも 人を追い込む社会が日本にはある

   沈黙は金なりではない
       理不尽なことは理不尽だという事が必要だと思う

   黙っている人には  理不尽なことを押し付け
   反論する人には
      聞き分けのいい顔をする社会

 
  家族が自死すると自死する割合が増えるという論文の存在で エビデンスがあると主張する人もいるが
  この論文は一卵性双生児4組を対象にした研究
4組 8人って・・・
  そんな内容で 差別と偏見を生むような 発言はするべきではない

    自死遺族支援が自死のハイリスク者としての概念での対策なら
   自死遺族支援はやめて欲しい

 自死遺族支援がなぜ必要なのか

 それは 自死した人と自死遺族への差別と偏見が根深く存在し
  事故物件ということでの差別
  生命保険の免責期間の差別
  健康保険の差別
                         葬儀への差別  
     自死した人のいのちというものへの差別(穢れた死)

そして 追い詰めた様々な問題への対処
 パワハラやセクハラ
   過重労働  いじめ 体罰  指導 等々

そして 自死したと言えない風潮
    自死そのものへの差別と偏見

  その意味での
   自死遺族支援が必要なのだと 感じている



  自死が遺伝するから
    その意味でハイリスク者だから 自死遺族支援が必要という考えこそが
 差別と偏見そのもの

 国自らが  自死への差別と偏見を助長する対策をしていると
気がつくべきです
   


精神科に行く遺族が増えている事が怖い

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悲しみは病気ではない
   精神薬を飲んでも 何の意味もない

漢方薬でも同じ
  クスリは 病気だから飲むもの

悲しいという気持ちは 病気ではない

  自責の念も病気ではない
            
  精神科に行って  クスリを処方されなければいいけど
    必ず
  クスリは処方されるから・・・

    どうして 悲しみまでも 病気にしてしまう社会になってしまったのか

   と  情けなくなる

  自分の愛する人が 突然 逝ったら
悲しいに決まってます

悲しい気持ちがなければ  愛していないのかもしれないし
  愛しているはずなのに
悲しい気持ちがわかなければ
それは病気ですから
  悲しい気持ちがわくように治療してもらってください

悲しくて  普通
  涙が出て普通

 これまでできていたことが出来なくなって普通

    楽しい気持ちがわかないのも普通

食欲が出ないのも普通

   会いたいと思うのも普通

   どうして 病院に行かせようとするのか

 どうして病院に行きたいのか

 考えて欲しい

   悲しすぎてて胃が痛い
   頭痛がする
吐き気が止らない   
 下痢が続く
     便秘が・・・
蕁麻疹が出てきた
    ・・・・等々
 身体に症状が出ていたら
その症状の治療は薬で 多少緩和されるから
     病院にいくこと必要
血圧が上がり過ぎる・・とか・・・もある

  どうして
 悲しいと泣いていて 落ち込んでいるからというだけで
  病院を勧めのか わからない

たぶん

悲しんでいる人を見ていたくないのだと思う
 泣いている人を見たくないのでしょう

悲しい苦しい辛いさみしい  という話を聞きたくないのでしょうね‥周りが

まわりのテンションに合わせて欲しいのだと思う

   子どもを亡くした親が
  笑顔で ニコニコ して
いつものように  世間話に付き合っていたら 安心ですか?

あそこの大根が安いとか
  あそこの家は・・とか
   家族の愚痴とか 孫自慢とか

 旅行の話とかを

あ~そうなんですね・・・と  笑顔で聞いていたら満足ですか?

  家族も 子供を亡くした母が  ニコニコしていたら
   ほっとするんでしょうか

   苦しんでいる人を見たくないだけですよね

   だから
無責任に  精神科を勧め
  病気でもない人に  クスリを飲んだほうがいいよ‥とかいうんですよね

あなたは
 わが子を亡くして  ニコニコ笑っていられるのでしょうか…と聞きたい
   精神科に行き 悲しみを軽くする薬があると思っていますか?と聞きたい
そもそも
悲しみって軽くなると思っている人がいるのでしょうか

   精神科医って  悲しみを薬で何とかなると信じているのでしょうか・・・

時間がかかりますが
   幸せな人に 合わせて 笑うことが出来るようになりますから

  幸せな不平不満に お付き合いできるようになりますから・・・
時間をください

    悲しい話は聞いてくれなくていいですから
       涙を流す自由は認めてください
  黙って泣くだけですから・・・

家事も 頑張ってやりますから
    あれもこれも・・・元のように 求めないでください

  元のようになれませんから
愛する人がいないという 現実があるのですから


  悲しみさえも  病気にしてしまう
商魂たくましい…(いやらしい) 製薬会社と医師


  そして 人の苦しみや悲しみを 見たくない社会

それなのに

  人の不幸が大好きで
 人のしあわせを妬む世間

自死後の事情聴取と解剖(費用は遺族が払う) 任意です‥断ることが出来ます

OIP (1)

 自死が起きた時 最初に出会うのが警察官や消防員
    次に死亡確認のための医師
 
 たまに 解剖をしますと言われる遺族がいるが
   任意ですから
  お断りすることが出来ます。

警察官は説明もせず  解剖が義務のようにいいますが
   違います
自死=解剖という事はありません

 事情聴取も任意です
  断ることが出来ます

事情聴取に関しても 「任意です」という説明をしていない警察官がほとんど

あくまでも  遺族に協力をお願いするということでの「任意」です。

断わっても罰せられません
  解剖も断っても罰せられませんから。

死亡後に 更に傷つけ切り開いて  遺族には何のメリットもありません
しかも
解剖の費用は遺族が負担

 警察が自分たちの調査のために 必要だから
  解剖をしようとして
     費用は遺族にって  変です

警察が必要とすることがあっての解剖なら
 費用は警察が持つべきです

事情聴取だって  犯罪なのかもしれないと喪しれない発見者や遺族への事情聴取をするわけで
    遺族にとって  どうでもいいことです

   事情聴取で犯人扱いされて 傷つけられるなら
        断ったほうがいい

   混乱状態の人から聞いた内容が 自死の統計となっているのだから
      警察庁発表の自殺統計データが
  正しい情報からは
  遠い内容となっていると考えるのが普通

   厚労省の統計も同じ

 データの  基本原票が  事情聴取ですから

  事情聴取と解剖は 断っていいんです

  また
事故物件という概念も
遺族は持たなくていい
 遺族には
 告知義務はない  

   不動産取引上の 問題

 積極的に 事故物件ですと 報告する必要はない

   検案書をみた人だけが 知る事実

医師も役所も もちろん警察官も
 守秘義務が課せられている

真実を知る人で
  言ってもいいのは 遺族だけ

    遺族が 自死という事を言わなければ  周りは知らない事になる

  警察に協力して  
結果  遺族の個人情報や自死した人の情報が
 いろんな機関で
共有されているが

   遺族が協力しなければ  情報は世間に知らされることは無い

   遺族が費用を負担してまで
    情報を提供することは無い

       どうせ  家族が・・・個人が・・

  対策なんて打ち出すこともなく
  自死遺族への支援だって
      何もしてくれるわけでもない

        どうして 自死した人を追い込んだ社会に
  遺族も追い込まれ
 更に金まで請求され

     差別されなければならないのか‥と思う

 自死した人やその遺族を あまりにも バカにしている

    最近 特にひどくなってきたと感じている

   支援者たちのほとんどは
自死遺族を追い込んでいる問題を 改善しようとしていない 

いまから 仙台市の教育委員会に行ってくる

  小学2年の娘さんがいじめにより 追い込まれ 母親も追い込まれ
  二人で亡くなった事案
  代理人を務めている

ひとりごと・・・ボヤキ・・つぶやき

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昨夜は眠れなかった(3時まで)
 亡くなった息子の事を思い 胸が痛くて・・会いたくて・・・

お兄ちゃんと会えなくなって18年目になる
  こうして書いていても 涙があふれる
号泣する回数はへったけど
  今も 力が抜けていくときがある

 そうやって 生きてきた
    息子が逝ってから ずっと深い悲しみを抱えて生きてきた

 見た目は 74歳の割には元気で
    全国にでかけている

   幸せな人たちよりも 明るく元気に見えるようだ

   幸せな人たちに 合わせて生きてきた

       息子が自死で亡くなって  自死遺族となった
 それまでも
 祖父母がなくなり 遺族という自分はいた

今を生きている人は 全員100パーセント遺族なのですから。
 
遺族という事を意識せず 生きてきた息子を亡くすまでは・・・

  遺族という事を意識したのは 息子の自死後

自死遺族でも 遺族という事を意識しないで生きている人もいるのかもしれない

    人はそれぞれ

私がなぜ 遺族限定でのわかちあいと総合支援をしているのか・・・

  それは 火葬や埋葬 供養
債務の整理
 事故物件としての不動産屋からの賠償金の請求
 その他たくさんの事を
     やらなければならない

 「総合支援」とは  遺族が対象
遺族以外の「等」の知人友人・同僚・上司に部下・親戚・ご近所・・・他
  の人たちは
「悲しい」という心だけの支援でいいのかもしれない

  でも
遺族となると そうはいかない
   相続の放棄なども起きてくる場合もある

    だから 総合支援が必要なのに
  ・・・・・・・・

プラスの相続だけではなく マイナスの相続もある
    全てに お金が絡む
      残念だけど  それが現実
 
事故物件にならなくても  アパートの荷物の整理などもある
      
  総合支援は遺族に必要
遺族以外の関係者の支援は「悲しみ」

  また
支援者や遺族の一部の人たちが
「ご遺族様」と話す人がいるがバカにされている気がする

医療関係者が「患者様」というのと一緒
 「遺族」でいいし「患者」と言っていいから
    対等の立場で接して欲しい

 遺族が遺族をご遺族様というのは  違和感がある
 自分が遺族という事を忘れているのか・・・
  遺族だけど  自分は特別な遺族で 他の遺族と区別をしているのか・・・
わからないが
自分に「御」や「様」をつけるのは 変だと思う
    
  癒したい卑しさを持つ人たちが  大勢いるのも事実
  
ここ数年は
自死対策は後退
   対策に使われる税金は 一部の団体(複数)に限り増えている

地方自治体に補助される金額は減らされている

ある人たちが お気に入りの
   目立つ団体だけに   多額の補助金が・・・

地方自治体への補助金を減らさず
    地方の団体への補助をし、それぞれの地域での対策を活発にする方が
     官民協働での活動につながり 有効に効果的に 自死を減らす事につながるはずだが
  限られた団体が
   日本全国を牛耳る構図では
      そもそも マンパワーが足りず 行き届くわけがない
 
  高止まりの状態が続いている
 
減ると自分たちの施策が・・功を奏した
  減らないと個人のせい(有名人の自死とか)

どこかで聞いたことがあるような話






      
     

私は18年目の今も悲しみでいっぱい・・・だから活動を続けている

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自死遺族等支援
と いうのが国の対策
  等がつく
この場合の
等とは 
   恋人・上司・部下・知人・友人・ご近所・親戚等

愛する人の自死の喪失前と喪失後という資料がある
 支援団体の遺族が作成

失う前
 達成感・愛情・期待・やりがい・しあわせ・感謝・喜び・楽しい・嬉しい

跳ね返す力怒り

失った後
 差別・偏見・誹謗中傷
  跳ね返す力
悲嘆・ショック・罪悪感・自責の念・怒り・後悔・将来への不安
   沈黙の悲しみ
       
    希死念慮 絶望

******************
レジリエンス=回復力・復元力
                                  使命感
                               
受容・愛情・必要性・共感              嬉しい・喜び・幸福・楽しい・愛情・喜び・達成感・やりがい・期待・感謝

安心・信頼・共感

生活の安定・課題の解決

こうなって行くらしい

私は息子を失っても愛情はあった
愛情があるから悲しい気持ちでいっぱいになった
今でも悲嘆はある
  ショックもある
罪悪感もある
自責の念もある
怒りも後悔もある  将来の不安なんて 息子がいる時からある
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は回復力はないのかな・・この考えからすると・・・

  嬉しくない・楽しくない・喜びって何・・・達成感って何を達成するの?
   やりがいって・・・意味わかんない

受容って・・・
 私は息子の自死を受け入れてはいない

使命感って・・・何!
   何の使命があるの? 遺族に・・・

私の活動の原点は息子の死に顔
   冷たかった感触
  息子の死への差別と偏見
  自分ではない
自分への差別と偏見は  自死した息子への差別と偏見

 私への差別と偏見なら 気にしない
    無視して相手にもしない
 だが
  何も言えなくなった息子
   苦しんで逝った息子   への 差別や偏見は許されない

自死した人への差別と偏見が
   遺族への差別と偏見につながっているのだから

   遺族とは 亡くなった人がいての遺族
  自死遺族は自死した人がいての自死遺族

   自死遺族等への差別と偏見は
     遺族だけではなく 亡くなった人の「等」という意味
   未遂者も含む「等」
 
 同僚や知人友人を指す「等」ではない

    単なる自死遺族等支援の「等」と
法的問題も含む総合支援の時に使う「自死遺族等」の「等」は違う


生きる意味を悩み苦しむよりも、意味のある生き方を~

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「生きる意味」がわからない
 という内容を 聞く事や見る事が多い
 
 生きる意味って 生きている意味って  考えたことがない
  
 わかるわけがない
  昔から賢い人々が 悩み 哲学や宗教学が見いだされ
考えた末に
       自死した世界的な著名人がかなりいる

 私たちは そんなに賢くないんだから
  生きる意味なんて 考えても答えなんて見出すことが出来るわけがない

賢くない頭脳で 深く考えたらネガティブになって行く
   

生きる意味について 悩み苦しみ
   体に害のある  精神薬を飲んでるなんて  もったいない
・・・・・・・・・・・・・・・・
人生は四苦八苦
  苦しみのほうが多い
 でも
お風呂に入り 温かいとホッとする瞬間
    食事をしたとき
  あ!おいしいと少しでも感じた時
      
掃除をしてきれいになった時の スッキリした気分
   
  ・・・・・・・・・

戦争の記録映像を見る事もある
  悲惨な
  残酷な  人間たち

 理不尽な社会

  私は なにをしてきたのだろうかと思う
 呑気に幸せに生きてきた

その結果
  息子は逝った

  息子が生きていられる社会って どんな社会なのだろうと思う

その思いが活動につながっている
 自死の問題だけで生きてきた
   

・・・・・・・・
生きる意味について思い悩み苦しんでいる人たちが増えているが
     
生きる意味よりも
   短いこの世での時間
      どのように生きようかということが 大切かな・・と思う

  息子が逝くまでは
    自由気ままに 幸せな 不平不満を言っていきていた

 息子が逝き
  人生の意味とか 生きる意味なんて
    考える余裕もなく
ただただ 後悔と懺悔と悲しみだけで生きてきた
   息子のために・・・今更だけど・・・

 私は 自分が頭脳がそんなに良くないと思っているから
   深く考えないで生きてきた

   先人たちが 悩み苦しみ  未だに 答えの出ない事を悩むのは 
     無謀なことだと思っている

それは
  頭脳の優秀な 人たちに任せたらいい と思っている

私にできるのは
 というより  やらなければならないのは

朝起きて 顔を洗い 身支度をして 食事の支度 片付け
 洗濯  掃除  アイロンがけ
  ゴミ捨て
あ!
仏壇の掃除と 仏壇の花瓶の水の入れ替え
   その合間に
      ショートメールでの相談の対応
LINEの相談対応
電話対応   パソコンで 行政とのやり取り
資料作成
  相談者からの相談もある

          昼ごはんを食べられない時もある
 朝も夜も
  ゆっくり食べられるのは 半分くらい
  どこに食べたかわからないほど  食事が中断されるときもある

それでも
  感謝されることは少ない・・・
  
   メールをよこさないで!と言われることも・・・
  イヤイヤ 頼んだのは あなただよね‥と思うけど  それも受け入れる

  電話で意味もなく怒鳴られることもある
          私はあなたを知りませんけど‥と思うが それも受け入れる

生きる意味なんて
 考える 余裕もない

 毎日を  1分を  せいいっぱい 生きているだけ

 息子が 生きていられる社会をめざして
     息子が
       笑ってくれるように・・・

生きようと 思っているだけ


   息子の元に 押しかけていくのだけはやめようと・・・
    息子が迎えに来るまで  その時間まで
 生きる意味なんて
   考えず  やることが山のようにあるのだから
        今できる事をせいいっぱいやりながら生きようと思う
 
  それが 意味のある生き方につながると信じている

支えてくれている人たちに感謝

悲しみとともに生きる

R (1)
 最近
 頻繁に息子の夢を見る
元々 よく夢を見る息子の夢を・・・

   悲しみは愛しさ
   かなしみはわたしたちのもの
   悲しみとともに生きる

という思いで活動を続けてきた

「時」「話」「涙」この3つが遺族には必要であること

「悲しみ」に回復はない
 そもそも「悲しみ」は回復するとかしないとかの問題ではない

「愛」が消えた時 愛する人との死別の悲しみは消える
  認知症になったり
 記憶障害になった時
     重度の場合は 愛する人への愛も消えていく
    そうなった時 悲しみも消えてしまう
  亡くなった人を愛する気持ちが消えない限り
 悲しみも消えない

   人から愛は奪えない   悲しみも奪えない

  ウクライナでたくさんの人たちが殺されている
 が
  胸が痛く、涙が毎日出て、ご飯も食べられないような悲しみにはならない
   
申しわけないけど 他人事

   何が違うのか  「愛」の違い

 愛はあっても 深さが違う

 深いかなしみは 深い証

   大切なもの 愛とイコールの悲しみ

 悲しみは薬では治らない
   病気ではないから
悲しみは医師には治せない
   病気ではないから

  息子を今でも深く愛している
 だから
18年目の今も 深い悲しみがある

   しょうがないよ
 いまも 息子を愛しているんだから

   だから 変わらぬ思いで 活動を続けている

   そして  遺族になって 日の浅い人たちのためにも
     わかちあいの会は
  継続していこうと思う

 自分がそうだったように・・・遺族に会いたいと思う人たちがいるから

ひとりごと  一部の人たち …一部の誰か・・一部の団体

R (3)

「ひとりごと」
田中幸子個人のひとり言


2005年に息子が逝き
  今年は2023年
     18年目を迎える
2006年から活動をして 17年目になる
 1人から始めて 今はたくさんの仲間たちがいる

  遺族との悲しいご縁は 増え続け
    遺族ではないが 様々な職種の人たちとのご縁も増え続けている

  自死のビジネス団体という事を 以前書いたら
    厚労省の有識者会議の委員として  品格がないという苦情が厚労省に届き
   自死のビジネスという文言だけではなく
     書いたブログの削除を求められたことがある

  厚労省は暇ではないので
  私のブログなんて見ていないとおもう

     厚労省の自死の担当のトップに直接電話のできる団体の誰かが
         あんなことを書く品格の無い田中を委員から外すべきだ!と進言したのだろうと 想像している

担当官に苦言を呈した人が
ビジネスという言葉に敏感に反応したという事は
  自殺ビジネスをしていると自覚しているという事になる

 疚しい気持ちがないなら
 堂々としていたらいい

  そして
ビジネスという言葉はよく使われる言葉なのに
 なぜ
 品格がないとなるのか・・・

自殺ビジネスという言葉は そんなに品格の無い言葉だろうか

そもそも

 自死遺族支援が自殺対策基本法や自殺総合対策大綱に書かれている

  しかも 自助グループ等支援となっている
 等…も書かれているが
 主語は自助グループ

   全国自死遺族連絡会は自助グループ
     藍の会も自助グループ

一部の支援団体が 自助グループの揚げ足取りをしている構図が
  17年前から続いている
もちろん
全ての支援団体ではない


  息子はもめるのが 嫌で  理不尽なことが嫌で
   我慢して 我慢して  耐えて 自分がいないほうが・・と死んでいった

多くの自死者は 理不尽なことをされ
     耐えて 我慢して  頑張って  生きようとして
        医療にも頼り
   四面楚歌の状態に陥り 孤立し   誰もどこも救いにはならず逝っている

自死遺族に対しても  同じようなことが行われてきた

 力のある一部の支援者との闘いの17年

    お互いを認め合い  協力はしなくていいから
   邪魔をせず
         どうして活動できないのか・・・

  自死の問題はみんなの仕事
      みんなで考え みんなで人にやさしい社会を作る事が必要なのに
    自死の対策のど真ん中は  魑魅魍魎が渦巻く社会
汚い社会
     息子が最も嫌う社会

  世間的には善意溢れる団体
      裏は?
本気で自死の対策に取り組もうとすると
    裏も見えてしまう
  
本気でない人たちには  裏は見えない

こんな人たちがいるから  多くの人たちが自死していくと・・・感じる社会が自死の問題に取り組む社会にも存在する

何度も言うが
  一部の・・・人達  一部の団体  一部の支援者
 の事

ずいぶん前になるが
ある財団の担当者に(その頃助成金を頂いていた)
    ○○○○ンクと仲良くして欲しい
  連携を取って活動してくれたら 助成金をもっと認められる
 あちらの代表は
  田中さんに拒否されていると言っている
   どうして仲良くできないんですか‥と聞かれて
  ビックリ!
イヤイヤ 私を拒否し、嫌がらせをしているのはあちら側で
  私は最初は会員だったし 一緒に仲良くやっていたかったけど
       罵られたのは私ですから‥と伝えた
ことがある
ずいぶん前の話


  息子が逝き
  もめ事が苦手になった
 なるべく穏便に‥と生きてきた
 でも
  嘘で私を貶めようとすることも含めて
    何度も理不尽なことをされたら   聞かれたら言い訳はする

元々 育ての両親の影響で
   人と上手に付き合いたいと思い生きてきた
 人を貶めようと思ったことは一度もない

ましてや
息子が逝き 活動は息子への懺悔
  という気持ちで生きている

しかし 現実は
   自死の対策のど真ん中は
       ドロドロと いろんな人たちの利権が渦巻いている

息子も私も最も嫌いな社会がそこにある

 嫌だな~~~~~

ひとり言  ひとりごと

   個人のひとりごと





   

自死した場所のお祓いって・・・何をお祓いするのでしょうか

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3月3日
福山市の浄土真宗の教区でお話をさせてもらった。

京都2か所茨城・神奈川・宮城、愛知・和歌山など宗教者の前で話す機会を頂くことがあった
 自死への差別と偏見などの内容が多い

 事故物件ということでの 家賃の賠償金などの請求が自死遺族にはされるケースが多い
そして
  お祓い料という請求もある

あるNPO法人(自死予防)の代表が
  講演で お祓いの話をしていた
     ご祈祷のお経の無い宗派のお坊さんが 
 遺族にもとめられたからということでお祓いをしている
   それも遺族支援だということだった

   料金は取っているという事

   それはある意味 遺族支援ではないと思うと 質問をした

私自身
  自死への偏見はないと思っていたが
   息子の亡くなった場所を 拝んで欲しいと 葬儀を依頼したお坊さんに お願いをした
 お坊さんは
  仙台から多賀城まで来てくれ
  玄関を入り「鴨居は拝みません」
         「息子さんのお骨とお位牌の前でお経を唱えさせていただきます」といい
   葬儀を終えて
    すぐの 白木の位牌とお骨の入った骨箱に向かいお経を唱えてくれた

私はこのお坊さんの一言で ハッとした
  そうだ
 息子はそこで息を引き取ったけど
      そこに息子がいるわけではない
   息子の魂は そこにはいない
  と気がついた
  
そもそも
 息子の魂がそこにいたとして  お祓いをして
息子の魂を
どうしようと思ったのだろう・・・わたし

そんなことも
そのお坊さんに 教えてもらった

宗教者であるなら  遺族が頼めば お金を出せば
 言われるがまま    柱にお経を唱える

のではなく

遺族に諭すことも宗教者ではないのだろうか

 多くの宗教者が
    亡くなった場所を お祓いという事で手を合わせたら
    そこに
  亡くなった人が 地縛霊のようにいることになる

何のために位牌があり  仏壇があり ご本尊があるのだろうか

  宗教者がお祓いという作業を請け負わず
      遺族を諭してくれたら

遺族の中にある  地縛霊のような存在としてのお祓いがなくなり
 人が亡くなった場所が 気味が悪いという場所ではなくなっていくはず

病院は 毎日人が亡くなる場所
 でも 人は病院がそばにあるほうがいいという
    震災でたくさんの人がいろんな場所で亡くなったが  その場所は事故物件にはなっていない

人の心の弱さをしっている人たちが
弱さを突っつく  
  お祓いや ご祈祷を生んだのだろう

宗教者は 人の死に対して 差別をしてはいけないのではないのだろうか
   差別を生む行為もしてはいけないのではないのだろうか

 阿弥陀仏や釈迦仏は
   人を・・・亡くなった人を 差別はしない

  どのような人にも 平等に・・・慈しみの光りを注ぐのが仏様や神様のはず

その教えを 信仰し 代弁者・通訳者としての役目を担うのが宗教者のはず

      そして
私の知る範囲ではあるが
  宗教者ではない  普通の人が お祓いを仕事としている人がいる
     作法だけ

また お祓いもせず  遺族から金だけ取っている不動屋もいる

   遺族は 家族が亡くなった場所をお祓いしないでほしい

    ご供養と お祓いは違います

手を合わせるのと  お祓いは違いますから

        宗教者の皆さんが  自死があったからと お祓いをするのはやめて欲しい

  なにをお祓いするんでしょうか

喪われた命の意味を考えて生きて行きたい

OIP (8)

自死者ひとり一人 人生がある
    死んだから しょうがないよ  で 終わりにしたくない
 生きられた人たち
 生きたかった人たち
    生きているべき人たち
                     生きようとした人たち
 
  たくさんの遺族と出会い
     聞かせてもらった喪われた人生

  命を粗末にしたのではない
  死にたくて死んだのではない
    死にたくない  生きていたい

苦しい  つらい  しんどい  
   四面楚歌
       どうしたらいい?
  生きたい‥生きたい  生きたい
    死ぬしかない

  やさしい人がいる事も忘れ
   悲しむ人がいる事も忘れ
       孤独に 逝く

 人にやさしくない社会がある

OIP (9)

miyako.jpg

  
みんなと同じ価値観を強いられる社会
    抜きんでて 異端だと 
       社会はあきらめて? 何も言わないが

    少しだけ違うと  寄ってたかって  変だという社会

     ご主人のお仕事は?
       どこにお住まい?
                   お子さんは何人?
 どこの幼稚園?
  どこの大学?

 どうでもいい事を聞く世間

     仕事を聞いて  何の意味があるのか・・・
     どこの大学に入ったのか聞いて  何の影響を受けるのか・・・

   今日新幹線の中で
     スマホで 高級な店の予約をしていた男がいた

 (新幹線の車両の椅子に座ってスマホをかけている時点でマナー違反)

   アワビとAランクのステーキを2名で予約
 ○○会社でボトルが入っているはずだけど・・・シーバスだと思うが・・・
  アワビのステーキはどうしても食べたいから
必ず用意して欲しい
 等々・・・

  その人が降りた席の下は
   食べた後のクズが散乱し
   座席のポケットには 紙くずが押し込まれ
     汚い状態で彼は降りた

 たぶん 上場企業のそれなりの地位の人

    世間的には 立派な人なのだと思う

    でも
  人としては  どうなのだろう

大学を出てなくても
   上場企業でなくても
   人として 立派な人もいる

    しかし  日本人は 肩書や見た目で判断する

   中身を見ない社会

    若者の死因の1位が自死という国  日本