fc2ブログ

年末も年始も いつもと変わらない時間が過ぎていく

c0038230_12154024[1]

息子が2005年に逝き
  それから 新年を祝ったことはない
年賀状もその後書いたことはない
   正月飾りもしない
                        旅行もしない
 全国に出かけるが
     旅行ではない
     シドニーにも行ったが ポストベンション・カンファレンスに参加のため
観光はしない

  自死の問題の中で生きてきた

    (精神薬の問題はその一環

  精神薬の問題の専門団体ではない

   精神薬の問題の専門団体はある)

   
    

    自死遺族がTwitterなどのSNSで声をあげるようになってきた
      それは ありがたい事

だが
   活動に参加する遺族は 増えない
 
 いや・・・いろんな意味で活動をしている遺族が増えているのかもしれない

    国を…・社会を・・という 遺族が増えて行って欲しいと願っている

 法律の中に存在する自死への差別
    自殺対策基本法 自殺総合対策大綱 が 制定されているが
     歴然と法の中に残っている差別的な問題
この問題を是正しないと
   自死への差別問題の解消はない
            自死への差別が続くだけ
  
  自死後に行われる遺族に対し
  警察が行う 殺人者扱いの事情聴取

   健康保健 生命保険 事故物件の問題

    他 遺体の取り扱いの差別  検案料の差別

私はそんなことは無かったという遺族も多いと思うが
   被害を受けている遺族も多くいるという事は事実

  それを知っていながら 知らんふりはできない
 だから
  活動を続けている

  他の死と同じような扱いに・・・と思う

そして
自死の問題は 個人の問題ではなく
   大きな社会問題だということ
そのことは 国も認識していて
  多額の税金を投入して対策を講じています

がしかし
     見当違いの対策が多く
 その対策にも 差別があるという 複雑な・・根深い問題があります

  私が生きている間はでの是正は間に合わない
  次世代への引継ぎ
   次世代の次世代へと引き継ぎ
   いつか 50年後100年後には 差別のない社会になっていると信じたい

戦争も
    ・・・・・・・・・・・
スポンサーサイト



1月6日(朝4時) ラジオ深夜便(明日への言葉)

20130518174445.jpg
NHKラジオ深夜便
 1月5日~6日
 6日の朝~4時~

〔明日へのことば〕

優しい人が優しいまま生きられる世の中に
全国自死遺族連絡会代表理事 田中幸子
きき手:仙台局 丹沢研二アナウンサー

 放送されます

これまでも何度かNHKのラジオで放送されたことはありますが
 今回は久しぶりの放送



 自死の多くは 言葉によって追い込まれた末の・・・死

  表面だけみると  自ら断った命
     誰も手を下したようには見えない

   物体として見えない言葉
発した途端に消えていく声
      消すことのできる文字
言葉
 たかが言葉 されど言葉

一言で追い込まれる言葉
  一言で救われる言葉

   やさしい人たちが
 他者のせいにせず
    自分が頑張れないからだと・・・自分がダメなんだと・・・
自分さえいなくなれば
 自分さえこの世から消えたら
     と
自分を責め続け
    逝く

  生きていてほしい
   そう願い 依頼を受けた

遺族にも 生きて欲しい
そう思い
 収録に応じた

   悲しみは愛しさであることも・・・

けっして 悲しい気持ちは病気ではないことも・・・
1人でも
  届いて欲しい

減らない自死


F1000255.jpg
良き友に恵まれていた息子
      彼を追い詰めた事とは何だろう


今でも考える

   息子の死後 私は自死の対策のど真ん中で生きてきた

  ・・・・・・・・国も地方自治体も・・・民間団体も 研究者も・・・
    
   悪気はないと思うが

   これまでの対策の継続では 自死を減らせない

 仙台市について述べると
   「自殺対策連絡協議会」という会合に2007年から参画し
     意見を言い続けてきたが
   私の予測通り
現在は政令指定都市の中で ワースト1である

 学生生徒が倍増

   そりゃそうだ
    パフォーマンスだけが立派だが
中身はない

全国的に著名なコメンテーターなどは
  仙台市の自死の対策を認めているが
     実態を知らなさすぎる

自死の対策は
減らしてこそ・・・の評価

  増えているのに  対策だけが褒められるって・・・
      対策を講じている行政も
      評価している民間団体もコメンテーターも・・・どこを見てるのか‥と言いたい

  宮城県全体は減っているが
   仙台市が増えている・・・

全国的に見ても
 高止まり

  当然の結果
  私が活動して16年が過ぎたが
     当事者の声がほとんど反映されていない対策ばかりが推進されている

    勤労者のうつ病が これまでの最高数だと報道があったが

  うつ病(うつ症状)を増やしている勤務先の改善がない
  精神科医療機関も
  治す気持ちがない(治せない)

普通に働いている人たちを
うつ病(うつ症状)にさせている職場の(パワハラも含む)環境の改善が
      対策としては 少なすぎる

追い込まれたら
相談してください
追い込まれたら精神科に行ってください
   追い込まれない対策は????どこに???


息子の死後警察という組織の闇を感じているが
   改善されている気配はない

   
   言葉で人を追い込む社会と
  知っていながら
 知らないふりをする世間

    小さな悪事に敏感で
大きな悪事に寛容な世間

 自死に追い込む社会が

自死の対策を講じている社会にも存在する

 息子を追い込んだ社会が今も続いている

    

息子の同期

20120821132141.jpg
宮城県の警察官だった長男
 逝った当時は塩釜警察署勤務

2005年になくなり
 今年 2022年

お墓参りに
今も来てくれる当時の同期がいる
  
   煙草の好きだった息子のために
  その人が供えてくれるタバコ 缶コーヒー

今年はメッセージがたばこの箱に書かれていた
「田中さんへ
  天国も禁煙ブームかもしれませんが、相変わらずタバコ吸いながら缶コーヒー飲んでるんでしょうね。
本当は
バナナパフェ老いていきたいところですが、
 缶コーヒーでガマンしてください。
   またそのうち来ます(笑)


息子はタバコが好きだったが
  子どもが生まれる時に 禁煙した
    酒も飲まない(強いのだが・・・)

  息子の高校時代の友の一人は
      一部上場会社に勤務していたが
  息子の死後
   臨床心理士の資格を得るために
      大学に再度入学
    資格を取った・・・

   警察官時代の同期からも
   このブログにコメントを頂いた事もある

  

写真

cover-image-IMG_2324.jpg
講演を依頼され
  写真の掲載をチラシに・・と求められることはたくさんあるが
そのほとんどは 現在に近い顔写真である

以前 1度だけ
亡くなった息子とのツーショットの写真を求められたことがあったが
戸惑った
  そもそも
 現在の写真ではない
頼まれた時 私は71才だった
     息子は私が56歳の時になくなった

亡くなる直前に撮った写真でも15年前の写真

   息子は結婚していたので 結婚式の時に撮ったのが 最後の集合写真だった

息子が28才 
 私が51歳の写真をチラシに掲載して
何の意味があるのだろうとその時思った

  普通は現在に近い写真をチラシには掲載する

子どもを亡くした母親
  幸せな時のツーショット写真という演出なのだろうかもしれないが
    亡き人は年を取らないが
 生きている人は年を取る

   雑誌や新聞でも 現在の写真を掲載する

   自死遺族は 亡くなった人とのツーショットの写真という発想が理解できない

  しかも 昔々の 亡くなった子供が幼い頃のツーショットではダメのようで
    亡くなった時に近いツーショットの写真
私には
息子の結婚式の写真は辛すぎて  こころが壊れそうだった
  アルバムで探すのも
    しんどかった

  赤ちゃんの時のツーショットの写真ならまだ大丈夫だったが
 その写真なんて
私が23歳の時の写真

講演する71歳の私とは別人のように違う20120718100027.jpg


   20120615164902.jpg

      
 講演するのは私 
  現在の私

 息子の話も少しはするが
  私と息子の話が中心ではない

   

人を追い込む社会(人を追い込むのは人である)

F1000167.jpg
人はなぜ
 誹謗中傷をするのだろうか
日本には差別がないと思うのは大きな勘違い
 全国至る所に差別はある

民族や地域差別だってある
 病気の差別もある

 言葉の暴力は日本も多い

こころの貧しい人たちが多いという事
 
  自死はその先にある
言葉によって追い込まれた末・・・・・・自死に至る
大勢の人たちが寄ってたかって
生と死の境にある断崖に 言葉でじりじりと追い込んでいく

   追い込んだ人たちのその後は 次の追い込むターゲットを見つけて また追い込んでいく

  どのように育ったひとたちなのだろう・・・と思う

   幼い頃からの環境だろうか・・・?
自死した人たちは
追い込んだ人たちとは真逆の人たち
  追い込まれた人たちなのだから・・・

家族間でわがままを言う事はあっても
    他者には
     自分を抑えて 言う事が普通と思い生きてきた(そう育てられた)
子どもたちもそう育てた

 他者を追い込む方が 幸せに生きられる社会
   だとしたら
学校も含めて  そう教えていくべきなのだろうか

   全員が他者を追い込む人たちだとしたら
    社会は成立しない

やさしく思いやりのある人たちがいるから
   追い込む人たちが  満足して  生きている
意地悪も
  誹謗も  ほどよく・・・ほどほどに・・・と思うのだが
  人の欲望は無限
     次々と エスカレートしていく

   人を追い込むことで 幸せ感を得られるような人たちは歪んだ性格が確立しているが
      見てみないふりをしないで
        ダメ!
と  伝えるべき

   他者を追い込む権利は誰にもない

   自分が追い込んでいる事に気がつかない人はいない
     どこかで快感を覚えているのだから

ストレスの発散を
    他者を追い込むことに求めずとも発散の方法はいくらでもある
  
   一人ひとりが
    他者への思いやりを少しでも深められたら
 自死はなくなる

  彼らは生きたかった人たちなのだから

 生きる希望を奪った人たちは
   あちらこちらに潜んでいる

      社会を作っているのは人
社会問題は
人の問題

  息子は生きていたかった人
 生きたかったであろう人生が 失われてしまって17年
    かなしい

精神医学 64巻 12号を読んで イラつく心

0bd3dcd7161e6ac340ab8cecfc80fdab.jpg

亡き息子を想う気持ち
 この気持ちを  なぜ通常の悲嘆とか通常ではない悲嘆とか 
  他者に
 言われなければならないのか ・・・・・・・
  
  バカバカしい というか  アホらしい

 私はいまも 息子を愛している
   愛している息子と会えないのは  さみしく かなしい

 悲しみの病理化は
  精神薬を販売している製薬会社や
  治療を商売にしている
    医師
  お話を聞くことを仕事としているカウンセラー
など
また 研究をし 講演を生業としている
    人たちには
 美味しい仕事になる

 世界中の今を生きている人間 全てが遺族だから
   世界中の人間がターゲットになる

自分たち以外の! 世界中の人たち・・・

    自分たちは  通常の悲嘆ができる
    特別な人たちのようらしい

精神科という場所に行けば
 必ず病名はつけられる
  病名がつけば  治療の対象となる

    悲しみが病気なら
 愛するという気持ちが・・・人間らしい気持ちを持つ人たちは
   その愛する人を失った時
    全員が悲しいという病気になる

   人を愛した事のない 人たちは
   家族を亡くしても
    悲しみがわいてこない
こんな人たちが正常らしい

  私が思う人間とは
    知り合いが亡くなっても
 悲しい気持ちがわいてくるもの・・と思っている

他の動物・・とは違う
 人間だからこその 感情とは
  悲しい…という気持ちを持てる事だと思う

その悲しみを  時間で区切り
   半年過ぎても 悲しい気持ちがあるのは  遅延性悲嘆  複雑性悲嘆症(いつのまにか「症」がついた)

  医師にカウンセラーに
「かなしい」気持ちを聞いて欲しいだけなのに
 病気とされてしまう

  彼らは誤解している気がする
遺族が相談する機関も同じことが たまにおきる

  医療機関に行くときは
   悲しい気持ちを中心に話す
   できない事を中心に話す
カウンセリングを受ける時も同じ

   日常の生活ではない

だからこそ
医師もカウンセラーも 相談を受ける人たちは
  今 目の前にいる人の
日常も想像しなければならないと思う

  私は 1人の人の話を電話で7時間聞くこともある
     平均で
   1時間
1時間泣いて 辛いくるしい 悲しい

   泣きじゃくる人

その人も たぶん 話して泣いているから 水やジュースを
   電話を切ったら 飲むだろう
トイレにも行くだろう
  掃除もするだろう
  買い物にも行くだろう  支払いもするだろう

洗濯も・・・アイロンがけも
  仏壇のお茶も‥お花も

日常の生活がある

 悲しいという話している時間は 1日の1時間…2時間

仕事をしている人もいる

    日常とは違う時間・・・悲しみという気持ちに向き合う時間だけを見ている医師やカウンセラー
 
想像力を働かしてほしい
   1か月に1回か2回
  精神科の医師の診療時間は 長くて15分程度
  短い医師は1分程度

  初診でも20分程度 

その程度の話で  人の心の何がわかるというのか
   
   そして よそ行きの顔をしている遺族

1っカ月15分か30分
 医師・・・支援者が見える遺族の顔

1っカ月 720時間
  そのうちの 30分程度だけ・・・

719時間30分は  一人で生きている

   医師も…保健師も  様々な民間の支援者たちも

陰で
 自死遺族のデーターを出して
 あーだこーだと 講演をしたり
 論文を出したりしている

   会議でも説明をしたり・・・

  遺族には 裏で何が行われているのか  知ってほしい
   
こんなことを書くと
   せっかく遺族が医療機関に行こうと思っているのに・・・
  怖くなるから‥やめて欲しいと言われることもあるが
 怖くなるようなことが
   現実にあることを知ってほしい
  知っていて 行くのは 自分の責任

   知らないで 裏で利用されるよりはまだマシ

何がやさしさで なにが支援なのか
    私は
一人ひとりの生きようとする力を信じたい

 息子を救える手立てはあったのに
  無知だった私は 息子を救えなかった

   労働問題 パワハラ 結婚問題
精神科医療の問題
   無知だった

 また 当時は
自分の事が中心だった 息子の事は自分の次だった

   今なら 死なせることはなかった…と強く思う

息子への対応は
あのころとは違う対応ができる

 一人ひとり 遺族は思う所があるのではないだろうか

  私は  悲しみと共に生きる
     息子への愛がある限り・・・


悲しみと共に、元気で生きてきました。

15-9-26-14-thumbnail2.jpg

死別にまつわる心理的苦痛

偉そうな理論を語っている死別のケアの専門家たち
 意味不明なタイトルが並ぶ本

このタイトルを見ただけで
  胸が痛くなる

死別を経験することにより人は成長し得るのか

 死別による悲嘆をケアすることの大切さ

 通常の悲嘆の概念とそのプロセス

遅延性悲嘆症に対する認知行動療法
 死別後うつ病 複雑性悲嘆に対する薬物療法のエビデンス

    死別にまつわる心理的苦痛

::::
・・・・・・   まだたくさん並んでいる

人間が作りだした言葉や文字では
  表し切れない かなしみ
    この気持ちは  この世のどんな言葉も 表現できない

 もどかしい まどろっこしい
  軽い  浅い
         悲嘆なんて言葉  軽すぎてお話にならない

こんな事を書いている専門家と称する人たち
   愛する子供を亡くしてみても
     いまのような心境でいられたら  ある意味すごい
 
別な視点からみたら
薄情な人

情が深い人間は
     
  自死でなくても  老衰で祖父母を亡くしても心がいたくなる事を経験するだろう

 別な意味で
薄情な人たち  鈍感な人たちが
   グリーフケアなどを  信じて広めている気がする

    なにが 遅延性悲嘆
   なにが複雑性悲嘆  なにが曖昧な喪失・・・ですか・・・

自死でなくても
  祖父母を亡くしたり
  叔父叔母  ご近所のおじさんやおばさん

人生 30年以上生きていたら それなりの数の知り合いの死を経験する

      それでも  かなしみに
グリーフケアが有効で
 精神科医療に行き 治療の対象だと信じているとしたら
それは
 悲しみという感情のわかない人間

細やかな感性のない 
   人たちに  
言葉にできない この気持ちに触れてほしくない

  17年間ずっと
 胃の下のあたりが重く 胸が締め付けられ
生きてきた

心の底から笑うことは無い

    寝ても 亡き息子の事が頭にある
夢でも
彼は亡くなっているとわかっている

  亡くなったはずなのに  生き返った息子を夢で見て
   夢で 生き返った事実を
      どうやって  知り合いに伝えよう・・とか 考えていることもある
 
  息子が亡くなり 生きて17年
   残りのいのちの年月が見えてきた

   でも
 私は元気です
   病院にも行かず
      かかりつけ医はない

       クスリは一錠も何でいない  目薬も使わない

    明日は
NHKのラジオの収録
 放送は来年
50分番組予定

      

悲しみとともに生きる

20120610140839.jpg
息子が逝き17年目
 今朝も突然 胸が締め付けられ 痛くなった
 ~ かなしみで ~
   どうしようもない このかなしみ

涙があふれてとまらない

この気持ちを
 こころの専門家と自称する人たちは
    複雑性悲嘆・遅延性悲嘆 というのだろうか

 複雑性悲嘆・遅延性悲嘆  と命名してもいいけど
  この症状を
 彼らは  どうしようというのだろうか

あなたは遅延性悲嘆・複雑性悲嘆ですよ・・・・と決めてもいいけど
   だから
     どうだというのか・・・・・・

 精神科医でも治せませんから
  臨床心理士・・もちろんなおせません

 治すものではないから 治せなくていい

息子が逝き
 17年になっても
 活動をしていても
     どうしようもできない かなしみに襲われることはある

音楽や
  画像・・・・・は時々息子とリンクする
     
  風景も 匂いも
       食べ物も・・・
この世にすべてが
  息子とリンクする

   この世に存在する言葉は軽すぎて
   息子への思いは表現できない
  悲しみという心は
     言葉や文字では 自分以外には伝えられない

いや
亡くなった息子と 私の間では 伝わっている

   人はそれぞれ
         思いを馳せる事は出来ても
     芯の部分はわからない

でも
 元気で過ごしている
   家事ももちろん 活動も・・・
  miyako.jpg
    
  
 金曜日から2日間  野田正彰氏と一緒に行動した
    学校問題での子供の自死
第三者委員会の答申
  (ひどい内容)

  事前に見てもらい
そのうえで 遺族への聞き取りをしてもらい
  学校も見てきた
再調査に向けて  意見書の提出を視野に入れての依頼を快く受けてくださり
京都から来てくれた

  活動は
いろんな人たちのおかげで できている
  発送や
   掃除
      資金面での支援も含めて  遺族の代理人などもできる
  一人ひとり
丁寧に・・・・・・・と思うが 時間が足りず
 活動を支えてくれる人たちが以前より多く必要になっている