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死後の権利と義務とこころ

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2005年に長男が自死
 結婚して3歳半の娘もいた

息子の遺品も含めた何もかも 親の権利はない

お骨は要らない
埋葬金も含めた金はもらう遺品ももらう
  金にならない遺品はごみに捨てる

それでいいのだろうか
亡くなった人の生命保険や埋葬金、遺族年金をもらうなら
    供養もするのが普通という常識は通用しない

それでも
  世間体は気にして 位牌を寺に頼んで作ってもらったそうだ

最初に作った位牌は 私たちの手元にある

  コピーの位牌をもっている元嫁と孫

心を一つにしたら
労災申請もできたのに・・・
金が欲しいなら
   労災申請をしたらよかったのに

目の前の金に目がくらみ
  労務災害の見舞金をもらい損ねた元嫁と孫

  亡くなった息子は見ている

彼は物静かだけど 芯の強い頑固な性格

   自分が亡くなった後  自分がどうされているのか
     見ているはず

夫を亡くし
  夫を悼み供養をしている嫁さんを見ると
愛おしくなる

我が家とは真逆だから

  本当に遺族も様々

息子の死後 ずっと考えてきた
 日本の法律はこれでいいのかと・・・・
   親が亡くなった時
 子どもは相続権がある結婚していても・・・

逆に 結婚して子供のいる息子や娘が亡くなった時

親は
 ハンカチ一枚 靴下一足 紙切れ一枚もらう権利はない

 亡くなった子供の伴侶の気持ち次第

葬儀費用は親 埋葬も親  供養も親
 遺品はもらう権利がない

なんだろう・・・

人でなし・・・・・・・・たちを保護する法
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*********

    
ある地域で
 一人息子を自死で亡くした母親がいた

 夫は病死で既に亡くなっていた

一人息子が結婚し 子どもができた
子どもに言われるがまま
80歳の母親は
  家・土地・農地先祖代々続く不動産を全て息子の名義に・・・
生前贈与した

その1か月後に 一人息子が自死
  全ての財産は嫁と生後半年の孫のものとなった

母親は嫁に追い出された
   80歳の母親は
 仏壇と位牌を持ち 市営住宅に・・・

位牌や仏壇は 財産相続した人が相続しなければならないという
義務はない
 仏壇と位牌を家において母親が出てきたら
   その嫁は
    仏壇も位牌も処分するだろうと思う
お骨も埋葬しなくても
  罪にはならない
   物置に放置しても  罪にはならない

その嫁は不動産を全て売り
   実家に戻った

当然のことだが お骨も位牌も仏壇もいらないということで
母親が
市営住宅に持っていき 埋葬

それでいいのだろうか・・・
こんな法律でいいのだろうか


  
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ある遺族を思う

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ある遺族から届いたファックス(10数年前の12月31日に届きました)
 (病気で最近亡くなりました)

「どう笑もない」

2月に入り○○の遺族の会に参加したら男性の遺族の方から田中さんに〇〇さんどうしてるかと聞かれたよと聞き、
 気に留めていただき感謝しております。

脳神経の耐えられる極限の悲しみを味わった私、
 幻覚が続き現実が感じられなかった。
それでも何もないように平気で過ごす自分がいた。
証明問題を解く思考が働くと、そこには不幸という人物が見えてくる
精神は自由だ~なんとかできる
不幸を幸福と言い換えられる知恵や手段があるはず
そう信じ限られた時を過ごす
自分の耐えられる極限を学習してしまったのだから後は気楽なもの
それ以上の時は自分の意志は存在しない

酒を飲みすぎ・・吐くのと同じ
不幸も慣れてしまえば適当に対処できる
とりあえず身近な楽しみを一日一個の安らぎを・・・
風呂の心地よさ 布団のぬくもり それだけでの楽しみで  何百日も生きている

目的のない図書館での読書 それだけで数年も生きている
適当に手料理でめしも食っている
こよなく愛する布団のぬくもり
今日も寝るぞ~そして明日がまた・・・イヤイヤ起きて寝るまでの時を過ごす
こんなストレスない生活も有りかな?(方丈記)を書いた鴨長明さんなら
   わかってくれる鴨  本当の所  自分のこころも何もわからない
  流れのままに生きています

:::::
笑うしかないよ 笑って生きるしかないよ・・・
と言っていた彼
子どもと奥さんを同時に亡くしていた彼

 彼が彷徨い歩いていた頃・・・手紙のやり取りもした
    今年 久しぶりに酒を一緒に飲んだ

その後まもなく 彼が病死をするとは思いもしなかった

  明るく元気に
  罪滅ぼしに社会に奉仕をしているよ・・・
   一人暮らしの高齢者との交流を・・・と語っていた

彼も 私と同じ年で 前期高齢者だったが
  罪滅ぼしをしなきゃ・・と
   ニコニコ 笑っていた姿が目に浮かぶ

  お子さんと奥さんと一緒に暮らしているかなぁ~~~~~あの世で

  

亡き人のために・・自責の念につぶれてはいけない!

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亡くなった長男が生まれた1971年今から51年前の写真
この34年後にまさかこの子が亡くなるなんて・・・
   誰が想像できただろうか

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今月11月は立川市に行き・・
 大宮に行き  栗原に‥・大河原に・・
    尚絅大に行き

青森の夫の実家の義姉が亡くなり・・
・・・・
12月は
 2日に野田正彰先生を仙台に招き・・・
  大阪に行き  東京にも行く
あ!郡山にも行く  石巻にも
NHKのラジオ番組の収録もある

  その前に 自死遺族等の権利保護研究会のホームページ
「全国自死遺族相談支援センター」のリニューアルも考えないといけない

::::::::::::::::::::::::::::::::::::
酒におぼれる遺族がいる
 酒は飲んでもいいと思う
  酒に飲まれてはいけない

悲しい気持ちを酒でごまかすという事なのだろうか
 
そこに
 亡くなった人の目線を感じる気持ちはあるのだろうか

  息子に見られていると感じて生きてきた
今も 見ていると感じている

 私が酒におぼれたら
   その姿を見て  息子はどう思うのだろう…と

いつも 息子の視線を感じて
    日々を過ごしてきた
      今の私を見て  亡き息子は どういってくれるのだろうか・・・とか
 迷う時
苦しい時  息子と会話する

 息子に問う

   息子は応えてくれる
    沈黙の時もあるが  ほとんど応えてくれる

   やさしい・・・彼に支えられ  生きてきた


家族の自死で 苦しくても 悲しくても
    自死した人よりは  まだマシと思ってほしい

  なぜなら 生きているんだから・・・

自責の念があるなら
 凛と生きて欲しい

 自死という死だからこそ 遺族には
  毅然と生きて欲しい

悲しみと共に ・・・・・

悲しみにつぶされないで・・・

遺族が悲しみにつぶされたら
  自死した人が悪く言われるだけ

「やっぱり  自死があった家庭だから」と

 亡くなった人を悪く言われないようにするには
   遺族が
   幸せだったころよりも 凛と生きる事

「亡くなった人が守ってくれてるからですね・・」と言われるように
        


息子が大人になり生きていた頃
  私は自由に生きていた
      幸せな 不平不満を言いながら

  息子が逝き
 活動は 懺悔
     日々 試され 修行

 仏壇を整え  お花やお供物を供え
    仏壇をすぐ後ろに・・・パソコンに向かう
  仏壇の前で 電話を受ける

1月は徳島市に行く   3度目

   岡先生と一緒に講演

徳島県をはじめとして四国の遺族に会えたらと思う
   講演後 「わかちあいの会」を開催予定  1月31日です
2月は久留米市 3月は広島市



毎日が命日

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息子の命日が過ぎ
 母の命日も過ぎ・・・た
年を重ねると
  親族の命日が増え 知り合いの命日も増えていく・・・
昨日円卓会議を開催した
  過労死・過労自死がテーマ
    過労死は過重労働に起因することが多い
過労自死は
 それにパワハラが加わる

「ことば」の暴力
「ことば」の殺人

人を追い込むのに刃物はいらない
    言葉があればいい

という事をどこかで聞いたことがある

過重労働で疲れ切っているところに
    「能力がないから残業している」とか
「仕事の覚えが悪いから・・・」とか
「どうしようもない奴」  
アホ・バカ・死ね・クズ
     何とか障がいだ
お前のせいで
  仕事が終わらない とまで言われ

あれもこれも  仕事を押し付けられる


        

     終わりの見えない仕事とパワハラ
頑張っても 誰も認めてくれない
   誰も・・・・

自己肯定感は 消滅
 そりゃ
死ぬよね

 自死を本気で減らす気があるなら
    自死をビジネスにしてはいけない

ビジネスにする団体があるのは  世の常だから仕方がないと思うが
そこが中心では 減らす事はできない

  当事者の声を中心にして対策を講じなければ
       自死は減らない

 今、話題になっている 宗教団体への寄付金対策も
   当事者の声を真摯に聞かずに
     専門家と称する人たちが決めようとすると
現実とはかけ離れてしまう

    法律の専門家も  それぞれの事案の専門家ではない

それぞれの専門家が
多くの当事者の声を聞くことで 当事者の求める対策ができる

今の日本の自死の対策は
    一部、2009年頃ころから
後退している気がする
  
何の専門家でもない  遺族当事者でもない
   人が
 補助金や寄付金・助成金で 
給金をもらい
自死の専門家のような肩書で講演して講演料も頂き
   そこに勤務する人たちの給金を支払い
 
すごいです…すばらしい活動です・・・
    なんてことを言われ
ちやほやされ
 
・・・・・・・

 自死は減らない

  減った時は 自分の手柄のように公言し
  増えた時は
     社会のせいにして 補助金を増やしていく

ビジネスマンとしては 優秀な人たちが
たくさんいる日本の自死の対策の世界

  自死遺族の人たちとの出会いが増えていく日々
  命日が増えていく毎日
  365日が命日
そんな 日々をおくり 活動をしている

自死の対策をビジネスとしている人たちは
   毎日 60人以上の人たちが自死している事を
感じていない

鈍感な人たちだから 自死のビジネスマンとして優秀でいられる

繊細な人たちはビジネスにはできない

   

「自死遺族等の総合支援のための研修会 」大宮

OIP (2)
令和4年度厚生労働省自殺防止対策事業
「自死遺族等の総合支援のための研修会」
日時:11月12日(土)午後1時30分~4時
場所;TKP大宮ビジネスセンター4階・カンファレンスルーム3

「自死と向き合い遺族と共に歩む」
~法律・政策―社会的偏見の克服に向けて~
自死遺族等への支援のための手引き本の執筆者による研修
講師:細川潔(弁護士)
講師:佐々木央(記者)
参加費*無料
配布資料:手引き本等
主催:一般社団法人 全国自死遺族連絡会
共催:さいたま自死遺族~星のしずく~
問い合わせ先:090-5835-0017(田中)
🔶20名先着順(コロナ対策のため人数制限)


亡くなった人の心に思いを馳せる事

OIP (18)
しばらくぶりのブログ

自死遺族として生きて・・活動をして17年
 多くの遺族との出会いがある
   当然のように 遺族の死も知らされる

また 息子が亡くなった当時は50代だったが
  今は70代
年を重ねて生きるという事は
    死別も多く経験する

 6人の親たちは全員亡くなった
     自死の問題でお世話になった人たちも亡くなっていく

自分の番が来る日が数えられる・・そんな年齢になってきた

     多くの人と出会えば多くの人との別れもある
        老いるとは
          別れの経験が多くなるということ
   それは
 人の死だったり
     裏切りだったり・・・誤解だったり・・・

   また 自分がこれまでできていたことが出来なくなる・・・という
     自分のこれまでとの別れもある

   走れたのが 走れなくなり
     重い荷物が持てなくなり
               張りのあった皮膚が しわしわになり
       ・・・・・・・・

  老いを受け入れる
病院にはほとんど行かない
  からだのあちらこちらに痛みはあるが
 老いからの痛みがほとんど
     そんなこととの別れはどうでもいい

しかし
いのちとの別れは 深く考えさせられる
ひとり一人の死から
   学ぶことが多い

 つながりのある
遺族の死・・・
    自死もある
         それを知った時は こころがざわつく

病死も多くある
   救えない悔しさや悲しみはあるが  心のどこかで  納得させようとしている

1人暮らしの人が多くなっている
  伴侶がなくなって一人…という人もいる

 息子が亡くなってから17年
ずっと命が喪われた相談を受けているが
    慣れる事はない

そんな時は
  人間を超えた  存在に祈る

     祈るしかない時もある

 
 ある人の死
  20年前  夫が自死
         夫の実家の京都のお墓に埋葬
その妻が亡くなった
子どもはいない
          その人は自分の実家とは疎遠だった

突然の死を  看取ったのは 夫の姉

しかし
遺産相続の権利は 疎遠だった実家の兄・・
埋葬も
  夫とは別に・・・

彼女は不本意だと思うが・・・


 もう一人の死
   妻が自死
妻の遺骨は妻の実家のお墓に・・(九州)・
子どもはいない

 突然死・・・誰にも看取られず

 亡くなった彼の遺骨は  妻と一緒に埋葬されない(たぶん)
遺産は
  彼の兄弟が受け取る・・・

人は 自分の死後の事を 思うようにできない
  遺った人たちの
こころ次第
     亡くなった人の想いをどこまでくみ取ることが出来るか・・・

  亡くなった人の声なき声を聞き
    亡き人に寄り添う気持ちがあるのかどうか・・・

 そんな事を
 深く考えるようになった


   生きている人は なんだかんだ 言っても
    自分が一番

 遺った人たちが   すこしでもいい
亡き人の気持ちに思いを馳せられたら
   生きている人にも
 やさしい気持ちが持て

自死の無い社会へとつながる

    つくづく 思う