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ある人を崇拝している人たちから叩かれ続けてきた遺族としての活動

P1300908[1]
ずいぶん前になるが
 秋田のある地域でのシンポジウム
    シンポジストとしての発言を依頼され 付き添ってくれた遺族と二人で行った時のこと
地元の自死の予防団体や
  関係機関
     東京からの基調講演者
懇親会に参加
     座敷での懇親会
       そこで地元の団体の代表と東京からの講師に
         ののしられた
  罵声を浴びせられ  遺族の・・しかも発言者として招かれたもにもかかわらず
     二人から大声で
          怒鳴られ
        周りにいた人たちは
 地元の自死の予防の中である代表と
   東京から来ていた講師に注意もせず  傍観
子どもたちのいじめと同じ構図
 まだ息子が逝き
    2年ほどだった気がする
全国キャラバンの時期

    部屋に戻り  付き添って参加していた遺族に話した
彼女は
  主催者であるお坊さんに訴えたらしく
  お坊さんが夜中に
  弁解と謝罪に来た

   遺族でもあり 活動もしている私は
  いろんな場面で
   いろんなことを見聞きする
  その被害も受けるときもある

    支援者からの罵声 ののしり  批判  誹謗中傷
     直接非難されることもある
 
    おとなしい 物言わぬ  忠実な遺族であれば
        批判を受けることもない

   物言う遺族は 彼らにはお気に召さないようで
    敵のような態度をとられることが常である

  秋田のある地域での出来事
   強烈だった

  シンポジウム 自死の予防や遺族支援を目的とした内容
 
当時流行りだった
  歌や踊り  演劇 落語
  など
 余興が盛りだくさん

   よさこい踊り  岸壁の母の劇と踊りと歌
 大声で笑っている参加者たち

それをみていて 私ともう一人の遺族は 悲しくて涙があふれた

   こんなに  大笑いして
      楽しい内容ではない
  
自死した人のことなど 一ミリも念頭にない 雰囲気の自死の予防のシンポジウム

  なにをしているのか・・・
なにをしたいのか
  このシンポジウムの目的は何なのか

   そのことで議論になった懇親会

遺族の皆さん  自死の予防や自死遺族支援が目的のシンポジウム
  歌って踊って
    劇中でも歌と踊り
会場が
 奥歯が見えるくらいみんなで大声で笑っているシンポジウム

  受付には 講師の著書が置いてあり 売っていて
  サイン会が開かれていた
 そして
保健師さんたちが 講師の控室に来てキャーキャーはしゃぎ
 「サインと握手をお願いします』
  
 これでいいと思えますか?
    納得できる遺族がいたら  どうしてこの雰囲気がいいのか聞きたいくらい  
  いまでも
あの内容には納得していない

  自死をバカにしています
   楽しい話題ではないと思うのですが・・・違いますか・・・

   私は 活動歴も長い   裏事情もよく知っている
     誹謗中傷はやまのようにされた
  
   私は隠れない
    正面から受ける
  連絡先も公表している   

でも…と思うときもある

 私も遺族  遺族支援者が  なぜ遺族である私を追い込むのか・・・
  活動の批判をするのか

   ある支援団体の一部の遺族は 遺族である私を批判するが

    私は無報酬での活動
      職業にはしていない
                     講演料も原稿料も全部活動費になる
  私的なことに使うことは無い

 事務作業も 無報酬
 事務員なんていない  遺族が無報酬でお手伝いをしてくれている

     全国自死遺族連絡会の活動は  全てが手弁当
       事務も相談も
          なにもかも
   無報酬   見返りは求めていない

イエスキリストの批判もある
   阿弥陀様への批判をする人もある

    人間ごとき の私が   誹謗中傷を受けるのは 人間社会では普通

   それが人間社会なのだから

      醜い部分もたくさんあるのが 人間という社会なのだから

金と名誉と権力
    地位
           私にはどうでもいい事だけど
  
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思いでの写真

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長男を生んだ時
 西千葉の公務員宿舎の庭にて
1971年秋
幸せだった頃


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長男と次男1976年頃
   青森県五所川原の公務員宿舎の庭
次男も生まれて
 ふるさと人事もあって
    実家の近くに転勤し 貧しくても
    心豊かに暮らしていた

下の写真は
 岩木山に上った時のもの
   昇るつもりでなかったのが
 勢いで
  昇ったので 私はスカートの姿


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息子が私よりも先に逝くなんて
   1ミリも考えてない時
もちろん
  息子も 幸せいっぱいだった

小学校入学式当日

水疱瘡で式は欠席
 個別の式をしてもらった時の記念写真
20120615164902.jpg

 幸せだったころを  時々思い出す
   幼い頃から
      大人になった時や
  息子が結婚した時のこと

    

夜も更けて思うこと・・つぶやき

DSC05902-111[1]
私は息子を今も深く愛している
 34歳に逝ってしまった彼
  生きていたら50才 今年51歳になる
おじさんになった彼を見たかった
  次男はお兄ちゃんの年齢を超えた
  46才…4月で47才となる

あの時50代後半だった私は 73歳
   過ぎてみればあっという間だった気がする
17年は
  早い・・・・・
当時は一日が長く  10年なんて気が遠くなりそうな時間だった
 しかし
      本当に あっという間に過ぎてしまった

この世にとどまれる
  残りの時間  計画的に 大切に生きないと
    何もできないままで
  お兄ちゃんとあの世で会う事になってしまう
    なんとか
   少しでも 社会を変えられたという報告がしたい
   ・・・・・・・・
かなり難問だが
   活動した当時を振り返り
 今を見つめると
    想像できなかった数の仲間たちがいる

それも
 素晴らしい こころのある人達がいる

 人のために・・・誰かのために
自分が   悲しみを抱えているからこそ・・・・他者をやさしい目で見ようとする人たちがいる

   幸せな時
こんなにも深い悲しみがあるなんて
  想像もしていなかった頃には
      気がつかないまま生きていた 社会の矛盾や
   ひどい人たちの存在が、今は見え
 人には優しい気持ちで接したい
     おおらかな目で 人を見たい と思うようになってきた 気がする

 それでも
  行き届かない事ばかりだが
    ・・・・・・・
最近
久しぶりの遺族からラインをもらった
   親を亡くしている遺族
      
久しぶりに 思い出して連絡をくれる人がいる
活動を続けてよかった!と思う瞬間

 突然 来なくなる人もいる

少しだけ 気になるが
   ・・・・・・・・・・
 
元気で生きていてくれたらと願うだけ
 祈るだけ・・

 私とつながった やさしい人たち
  どうか
  お元気で健やかに 生きていてください
 と
いつも
祈っている

 亡くなった人たちが
  たくさん 見ていてくれている
 力も貸してくれている
  そう感じる毎日

  大きな権力と闘う…活動
             社会の問題を個人の精神的問題にすり替える世の中を
                         容認してはしけない
   生きづらいのは個人の精神的問題ではない
    生きづらいのは個人の 障がいではない

  障がいとは社会に存在するのです
     
   うつ病になるのも
     その要因が社会にある
 その人個人も精神的問題ではない

 このままだと
   少子化はさらに進み
       生まれた子供の2~3割は発達障害や統合失調症にされ
  精神疾患者が増え
       働く人たちがさらに減り・・・
自死も増える
 
 笑顔で生きる人たちは 一部の人たちだけとなる

  精神薬は子供からも大人からも「笑顔」を奪う

 ほどよく
      金儲けしてください
  製薬会社の皆さん
  精神科医の皆さん
  ほどよく…お願いします
 やり過ぎないでください

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40年ぶりに教科書に掲載される・・・・・内容が怖い

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精神疾患教育が来年から復活する
  40年ぶりに・・ 教科書に載る
なぜ?
40年前に廃止になったのには意味がある
 なのに
なぜ?
廃止された背景には  差別の問題が大きかった
 優生保護法
  精神疾患者などが子供を産むことを禁じたもの
  「不良な子孫の出生を防止」
人権侵害である
  その背景にさらにあるのは
精神疾患は遺伝であり。その先にある自死も遺伝であるという思想

  ある確かな方面からの情報では
発達障害同様に
統合失調症などの概念が広がり
     増えるだろうという事です。

この中心となっているのは
  精神疾患は遺伝だから、事前に予防をする事が重要だという事で
    予防薬の処方をするという思想の医師たちです。

 製薬会社が作った
うつは心の風邪というキャッチコピーで 爆発的に増えたうつ病患者

発達障害もですが統合失調症も爆発的に増えるでしょう
そして
 薬漬けにされていく

  生きにくいのは  子どものせいでも 親の育て方のせいでもなく
     もちろん  
社会の責任でもなく
  子どもが持って生まれた障害によるものという考えです。

そもそも
   うつ病と診断されて
  回復した人がどれくらいいるのか

発達障害と診断されて
  回復した人はどのくらいいるのか

統合失調症と診断され
回復した人はいるのか・・・


そして
  今も 根深く  差別と偏見があること

統合失調症は14歳以上からでないと判断が難しいと言われているにもかかわらず
  小学校時代に発症したと 
患者会の親たちが発言しているのが新聞に掲載されているが
  医師により
洗脳されているとしか思えない

この患者会の当事者たちは
 社会復帰していない・・・・
ことに  疑問を持ってもいない
少子化と言われ
  子どもの数が少ない
そのうえ 10パーセントが発達障害と言われ
  統合失調症が
 5人に1人と医師は言っている

75パーセントの人は
  なんらかの精神疾患者だとも発言している

   25パーセントだけが正常な神経の持ち主の日本という国

あほらしい


幻聴幻覚という統合失調症特有の症状がなくても 統合失調症の場合があるとまで言ってます

不登校  学力の低下
  喫煙 糖尿病 生活習慣病からも
統合失調症を招くと発言
     いやいや
    そもそもの統合失調症の概念から大きくずれています

そして
  寿命が10年20年短いとまで発言し

不安をあおり
    受診を勧めています

  精神薬を飲ませるから
 10年20年寿命が短くなるだけです

自死も遺伝
  精神疾患も遺伝という
考えを
 教育の場に復活させる文科省

製薬会社の利益への欲と

精神科医たちの金への欲と
  権力への欲望

せっかく
頑張って 遺伝ではないとして
   教科書から削除されたものが
   復活する怖さ

  精神薬を飲んでいる人たちが
全員
障がい者年金をもらったほうがいい
働かないで
   ・・・・・・・
  国は破滅するから

遺族・遺児の未来に責任を持つ支援

せんにんそう

アメリカや韓国では(シドニーも)
 自死遺族に精神科を勧めないようです

悲しみを病気として捉えていないようです

    ご飯もきちんと食べられない 洗濯もできない
掃除も片付けも
 何もできず  ただただ 寝ているだけ
という状態が1年以上続いたら
  病院を勧めるというのが
    普通
そこには
悲しいという気持ちが基準にはなっていない
  悲しくていい 涙も出ていい
ただ
日常の生活ができなくなってしまった状態が
  1年間という事が基準

日本はどうなのか

大切な人が自死で亡くなり
  日常の生活はできているが
     (もちろん生きていた頃のようにはできないが)
 悲しいという気持ちがあり、涙がでるというのが
    続いたら病院を勧めている

泣かれるのが  嫌なんだろうなぁ
   悲しいという言葉を聞くのが
        うんざりなんだと思う

職場なんて  亡くなってすぐに精神科を勧める
   家族も親戚も
  精神科を勧める それが日本

  よく考えてないんだねきっと

悲しい気持ちが 精神科に行って 緩和されるとでも思っているのだろうか
  いや
何にも考えていない気がする

なんとなく  悲しいんなら精神科に行けばいいんじゃない
   涙が出るなら
  精神科にけばいいんじゃない

その程度

その結果  どうなるのか

   良心的な医師と出会えばいいけど
普通の精神科医に診てもらうと
  抗不安薬、睡眠薬などが処方される

幼い子供がいる人は
子育てができなくなる
       ぼーっとさせる薬
    不安を解消させるのが抗不安薬ではなく
思考を鈍らせて
   深く考えなくていいようにする薬
  判断能力は鈍る
  やる気も起きない  気力がなくなる
だるくなる
   イライラする
        家事なんてできない  
身なりもいい加減になる
  子育てなんてできるわけがない
児相に子どもを預ける
  預けるのはいいが
  育てたいと思った時   はい!どうぞとはいかないのが児相

育児能力が回復したのか・・・・
   生活能力があるのか・・・
安心安全な子育てができる環境が整っているのか・・・・

 審査の  ハードルは高い

夫の死後
4人の幼い子供を抱え
  仕事をして  踏んばっていた人がいるのを知っている
  妻の死後
  同じように4人の幼い子供を抱えて
     踏んばっていた人もいた

  親や親せき友人、福祉行政
 子育て支援などなど
  手を借りて
  半年 精神薬を飲まずにいられたら
  児相に預けずともよかったのではと思うことも多い最近の相談の傾向がある

 愛する人の突然の死は
  混乱に陥り  できていたことができなくなることも多くある
   でもでもでも
ご飯を少しでも食べられるなら
  1時間でも寝れるなら
    半年 生きてみたら
少しだけ ほんの少しだけ
    直後よりは  できる事が増えている事に気がつく
最初に飲んでも
 2~3か月したら
  クスリはやめたほうがいい
 
話を聞いてもらうことがクスリになる
たくさん泣くことと  たくさん話す事
 そうやって 時を過ごし
      慣れていく
愛する人の居ないこの世に  慣れていく
ごまかしながら
 悲しみから 自分をだますことが上手になっていく



 

亡くなったいのちに向き合う心が欠けている人たち


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今日は宮城県の自死対策推進会議
 オンラインでの開催

厚労省の会議は今月は2月24日午後2時~4時
 仙台市の会議も
  3月にはある

会議の資料が届くのがギリギリ
 国も県も市も・・・
 ウエブサイトから事前に印刷して読み込むようにしている

第三者調査委員会の答申も読み込む
  読み込まないと 疑問点が見つからない
ダウンロード

以前
現代のエスプリという本に書いた文章の事で
  ある団体の代表から電話が来たことがある
その代表は
  監修をした人にも電話をして  私が書いた内容で傷ついた
  うつになりそうだ 死にそうなほど苦しいと泣いたという何度も電話して・・・
自死遺族の会に参加したことを書いた部分について
 { 自分の会の事に違いない」とその代表は訴えたのだが
    一言も一文字も会の名前は書いていない
そのことを告げたら
「田中さんは、私の会にしか参加していない」と言った
私は聞いた
「私が、あなたの会にしか参加したことがない」とどうして断言できるんですか?」と。
 「あなたに、私の行動が分かるんですか、他の会に参加していないと、どうして言い切れるんですか?」と

「いや、私の会以外には参加してないと思う」と言った
   「書いている内容が 私の会の事に間違いない」というので
「これは 遺族として傷ついたことをたくさん書いているんですが、
心当たりがあるんですか?遺族を傷つけていると思っているんですか?」と聞いた

「そんなことはありません、私が田中さんに傷つけられているんですこの文章で」と言った
   
変な会話です
心当たりがなければ  抗議の電話はしないはず
  しかも死にそうなほど 傷ついていると監修者にも私にも電話・・・しかも泣いて・・・

  こんなことがそれなりにある

このブログの内容も抗議の対象となったりする
   名指しはしていない
    ○○団体
○○○リンク   ○○○法人
    普通に
自死の対策の法人も たくさんある
  普通にリンク や ライフという 団体も多くある
藍の会という団体もある
 サラ金で藍の会というのもあった
                      自死のビジネス団体  というのも よく使われるフレーズ
   海外でも登壇者が発言している
        名指しはしていない
やましい気持ちがあるから
 気になるのではないかと思う

   私が議員とつながると
  金をつぎ込んでいるという噂が流れたこともあるが
     つぎ込む金もないし
          手土産1000円程度でお願いに伺っているに過ぎないので
  気にもしない
 あほらしいと思うだけ
               噂を流している人がつぎ込んでいるのかも…と思うこともある
      そんなことにエネルギーを注ぐより
 もっとやることがあるはず  

第三者調査委員会の設置にも多くかかわりを持っている
   遺族側推薦の委員の選考も私がしている事もある
 
 委員の推薦をたくさんしている事を
   他の人たちに言うことはしない

   いう必要がないから
でも
 支援者の皆さんが感じている以上に  多くの遺族とかかわり
    委員も推薦している
          会もたくさん参加してきた  人とのつながりも数多くあるつもり
   たくさんの様々な人たちとのつながりと
    いろんな遺族とのつながりこそが
  息子からの贈り物
        活動の財産

講演も数多くしてきた
  そのつど  後悔し 落ち込むが・・・
   
 たとえ
 私が書いたとしても
     自分が対象でないと思うなら  自信を持って 気にしなければいい
     対象と思う自分を顧みることが
       足りないのではないか…と思う

こう書くと また 俺のことか・・私の事か・・・・
       と言われそうですが
私のひとり言ですから・・・
  
  俺は正しく生きている、私も正しく生きている
  
   間違いがない  と  自信を持てる人であってください

  私自身は  たくさん名指しで 批判されてきた
 訴訟女
  排他的活動団体  

  忘れないけど  つまらない事にエネルギーを使う人たちがいて…残念です

 それよりも
    自死を一人でも少なくしたい・・とおもう
遺族を増やしたくない
  と思う

    人を排除・差別する社会が改善されてほしい

   息子が生きていられたであろう社会をめざして活動を続けてきた

  これからも
 いのち続く限り  最後まであきらめず
    やさしい社会つくりの  種をたくさん蒔くつもり

息子が
かぁちゃん  頑張ったね  ありがとうと いってくれるように


     

つながってくれる遺族の存在に感謝

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多くの遺族からの支えがあることが 私にとっては大きな力
  今日も3人の新たな遺族とのご縁があった

一人ひとりを・・と思うけど
  私ができる事は  ほんの少しだけ
  
求められて 不動産屋の紹介や
   仕事の紹介などもする
   児童相談所のカウンセラーの紹介や

労災申請の弁護士も紹介する
  もちろん 賃貸物件の自死への賠償金についての相談のため
  弁護士や司法書士の紹介
  葬儀屋やお坊さん
        税理士も紹介する
社労士もカウンセラーも
  時には精神科医も

  もちろん  見返りは求めてない

  遺族とのつながりも
  夫を亡くした人とつながりたいという求めがあれば
      紹介をしてつなぐ
   一人っ子を亡くした人とつながりたいと言われれば
     つなげていく

それには
  つながってくれる遺族の存在が必要

    表に出てはいないが
       つながりたいという遺族に応えてくれる遺族がいる事を知ってほしい
    また
  つながった遺族は、つながってくれた遺族に
   少しでも
     ありがとうの気持ちを持ってほしいと思う
当たり前ではないのです
   自分も遺族でありながら
      活動はしないけど  同じ気持ちの遺族の支えに少しでも
      なれたら・・・それが
  亡き人への供養だと思い・・・・ 目立たず 静かに
新たに遺族になった 混乱している 遺族の支えになってくれている遺族が
     います。

  お世話になり 今があるから
   一人でも 何かしてあげられたら…聞くだけでも・・という
  遺族の存在は
      大きい
いつも感謝している

    話を聞いてもらうのも あたりまえではない
   この世に
  対価を払わず  無料でのあたりまえはない

    こころの活動
             真のこころと・・おもい…の活動

それが批判されることもあるから
  不思議な世の中

 遺族にも厳しいと言われることもある
  が
    毅然と 凛と生きてほしいとおもうから
   時には厳しく聞こえるようなことも いうときもある

   その一つが
     遺族という肩書で生活費を得るのは 嫌いという主義
 
自死遺族という肩書で 仕事をして
   生活費を稼ぎ
          生業とする人もいるが
違う気がする

自死遺族にならなければ  仕事ができないのか・・・と思う
  自死遺族を売りにして
収入を得るのは・・違う気がする

  亡くなった人を 飯の糧にするのは
     嫌いです

生活費は 自死遺族という問題と関係なく 
   人間として 
       自死遺族になるかならないかではなく
    人として
    仕事をしたらいい  と思う

自死遺族にならなくても
   仕事はできるはずです
                    農業でも 理容師でも  公務員でも
  弁護士でも
    記者でも   職人でも    
  臨床心理士でも・・・医師でも  議員でも
       自死遺族を売り物にしなくても   なってほしい

仕事をして・・・・そのうえで自死遺族として、体験を生かすというのはありだと思う
    体験を大切にする気持ちがあれば
      どんな職業にも 役に立つとおもう

遺族にも厳しいといわれるのは
  遺族がさげすまれないように・・・とおもうからです
  悲しい体験をし
  悲しみを抱えて生きている遺族だからこそ
      それまでよりも自分に厳しく 凛と生きてほしい
   そう願っています
自戒を込めて・・・

また
 批判されそうですが
   ひとりごとです
   ひとりごと・・・・・・・・つぶやきのようなものです

個人批判はしていません

今も増え続けている自死遺族

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自死遺族からの連絡を受けるとき
    この人も・・・・・と せつなくなる
時々
全国の
保健所からの紹介もある
   地元に遺族の集いがあるのに
調べたりしないで
地元にはないから・・・と
 東京の会を紹介したりする地域もある

遺族全員がインターネットができるわけではない
  パソコンやアイパットはもちろんスマホも持ってない人だっている

ガラケーと呼ばれる携帯のひともおおい
  携帯も持っていない人だっている

遺族になって  苦しい  つらい 悲しい

  保健所に電話する人もいる
    
チャットもメールもできない人だっている

 こころの相談機関として
    保健所や保健センターに電話する人もいる

   そんな時
せめて
保健所や保健センターの職員には
    自分が勤務する市町村がある県内の
     自死遺族の集いを一つは知ってほしいと思うのは 欲張りなのだろうか

多くの県には 県が主催自死遺族の会がある

精神保健福祉センター主催    

宮城県もあったが
   数年でやめ・・・・た
民間団体の遺族の会がたくさんあるから・・・

気仙沼市・石巻市・大河原町・仙台市・栗原市・・・大崎市

仙台市内には 知る限りでは 6か所ほどある
 グルーフケアの会 2つ
  いのちの電話  浄土真宗の会  自助グループ2つ?3つ?

法話の会もある

震災の遺族の会もある

 子どもを亡くした親の会もある

         様々な遺族の集いもある  
だから宮城県が主催して開催する必要はない

   広報や会場費などの支援があればいい

それだけで 十分

  県が主催する会がなくても  県内のどこかの地域で開催していることが多い

  先日電話があった人が住む地域は
   県庁所在地に 歴史のあるそれなりに知られている自死遺族の会があるのだが
知らなかったようです
  ネットで調べたらトップに出てくる
     遺族の会なのになぁ~~

 残念な気持ちになった


その遺族に  保健師は 東京の会を紹介し
   つながらなかったという

つながらないと連絡したら
   仙台の私につながった・・・・・・・・・

    話を聞いて  鳥取の遺族につなげた

鳥取の遺族も話を聞いてくれ
  少し 落ち着いたようだった

精神薬をたくさん飲んでいる様子がうかがえた

昨日・・いや今日の夜中
    0時過ぎにも電話があった
        この人は遺族ではない
土曜日・日曜日・祭日・・正月・・連休などは
      電話が多くなる
夜中も・・・・(夜中は遺族ではない人がほとんど)

  いろんなツールが必要だと思っている

目の不自由な人や耳の不自由な人
   車いすの人もいれば
  小さいお子さん連れの遺族

ネット環境が整い堪能な人もいれば
     全くできない人もいる

      ひとりひとり・・・・・・・・届くように・・・必要とする遺族に・必要なことが・・・届くといい


あの子に会いたい

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今日も涙があふれてしまった。
 時々たまらなく お兄ちゃんが恋しくなる

どうしていないのか…この世にと。
    あの子の笑った顔
美味しそうに食べていた姿
      少し困った顔
           かわいくて いまも たまらない

このかなしみを
「複雑性悲嘆」「遅延性悲嘆」「急性ストレス障害」「PTSD}などと
    言われるのは
私の愛しい思いを
  土足で踏みつけられるように…苦しくなる

陰で言われるのは  
   知らない分だけマシ

 なんだろう・・・・・・この感情は

   謙虚さに欠ける  配慮に欠ける
        人たちが  鬼の首でもとったように  偉そうに語っているように感じてしまう

私のこのかなしみを
   誰にも評価されたくない

  そういう 人たちも  子どもを突然亡くしてみたらいい

    私のこの気持ちが理解できるから‥必ず!

自死遺族になって活動したころ
  自死の予防団体の代表と遺族に
「田中さん  子どもを殺す親もいるんだから・・・」
 「必ずしも 子どもを亡くした親が悲しいとは限らないんじゃないの?}と言われたことがある。

  この言葉 どうなんだろう

そんなことを言ったら
  親を殺す人もいれば 兄弟姉妹も・・・妻を・・夫を・・・
   きりがない

悲しみの比較はしてはいけない
 と  この人たちは学んでいたはず?!

こんな言葉を言った人たちが
    自死の予防や自死遺族支援をいまでもしている
あの頃より 
  自死の対策が進んだというけど
  今の社会で 息子を救えるだろうか

警察という組織も
   あの上司も反省はしていない
     息子の伴侶だった人も 反省はしていない

相談体制も  精神科医療も
     あまり変化はない
 
  大きく変わったのは
     私たち家族の意識
 今なら  息子を救えたと思う

 精神科には行かせない
官舎ではなく
 民間のアパートへ住まいを変え
  離婚してもよかった
離婚が無理なら
  とりあえず息子は我が家に連れてきて
   私はパートをやめ
     気晴らしに 温泉でも  海外でも

 死ぬはずがないと 
  根拠のない自信を持っていた 私

 悲しみを抱えていきているのは
      しょうがない
                お兄ちゃんがいないんだから 
                  私が死ぬまで  悲しみは続いてしかたがない
   いまも
     胸がつぶれそうなくらい かなしい

今日は 悲しみに 捉えられたらしい
   こんな日もあるさ
 

 

頂いたら少しは返さないと申しわけない・・・ですから

無題

このブログは私個人の気持ちを書いている
  遺族として、息子を亡くした母として。

なのに なぜか
   教育委員会や国の機関に
「こんなことを書いている人が委員でいいのか」などなど
   告げ口をされることもそれなりにある

   そんなことをいう人たちは
       私が書いている内容が気に入らないのでしょう‥と思う
「二次被害保護法」
 自死者とその遺族等の尊厳と名誉回復
  
故平山正実先生が提案
  運動は全国自死遺族連絡会に任された「二次被害保護法(仮称)」の署名運動

  自死遺族等の権利保護研究会などをたちあげ
     て
 研究会やシンポジウムを東京の日本財団などで開催していた頃
「排他的団体」
「いかがわしい活動」など
   電話で 仲間の事務所に批判が多くあった

 それなりに 名の知られた団体からだった
「排他的団体」と言われるのは名誉棄損ですよね

  「いかがわしい活動」って ・・・・・・・なに?って思います

それでも
  公にしてこなかった
                 
 神戸で開催の厚労省のシンポジウムの際にも
    主催者の一人から事前に忠告されたこともある
 「田中さんに対する批判がある、
   気を付けてください」と。
発言後の会場からの質問では
「田中さんは 24時間相談受付という事ですが、
  ずっと寝ないで受け付けてるんですか?それとも嘘ですか?」と。
「二次被害保護法とありますが、一次被害はなんですか?夫を亡くした事が一次被害という事ですか?
   私は被害を受けたとは思っていませんが、遺族への差別的考えです」と。

もちろん答えました
「24時間寝ないで電話があるのを待っているとは言っていません。
  寝ている時でも着信があれば、すぐに出られなくてもかけなおしをしたりして、対応しますという事です」
  「あくまでも二次被害保護法は仮称ですので、よりよい対案があればよろしくお願いします」
   と。

「訴訟女」「きちがい女」など言われたこともありますが、
   行政に告げ口した事はありません。

 小さな部分も見逃さず
    すぐに 行政に連絡し
         委員としての品格がないとか
           情報を漏らしているとか
     遺族個人に謝罪をしないとか
      傷ついて死にそうだとか
   うつ病になったとか
        言葉が強いとか
いろんなことを
        行政からも知らされます
                        
  そんなに 私がじゃまでしょうか

      無報酬で 持ち出しで
16年以上活動をしてきました
       ひたすら 自死遺族の問題について

  つぶれてほしいのでしょうか

息子は正義の人でした
   だから  つぶされたのでしょう

追い込まれたのでしょ

     人の悪口を言わない人でした

  私は仕組みや対策などの批判はしますが
 個人攻撃はしていないつもりです

ただ
   私に たくさんひどい事をした人には
 少しはお返しをしたいと思っています

   やられっぱなし
  いただきっぱなしは  申し訳ないので
  
   お礼としてのお返しはしなければと思っています

また品格がない
 と
 言われそうですが
               表面だけ立派な事を言い  裏で悪口を言うよりはマシ・・・かな

ひとり言です  ひとりごと

仏事の意味は知ろうと思う気持ちが必要  

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仏教の事はとしを重ねたからという理由で
   覚えられるものではない
 83歳で同い年の妻を病気で亡くした男性から相談を受けたが
    両親も亡くなり、葬儀もしているのに
     檀家であるお寺さんとは
   葬儀などの付き合いだけをしてきたらしい
なので
  敷居が高く  住職に相談なんてできないと思っていた
      という
 私の実家は
    祖父母たちも子供を亡くし
    養父母も子供を亡くしていた
  仏壇には亡き子供たちの位牌があり
        地域の墓地の近くには  地蔵堂がたてられ  地蔵さんたちがたくさん祀られていた
           祖母も養母も亡き子供のお地蔵さんを祀っていた
   朝晩お経を唱え 家族がそれぞれ全員 仏壇に手を合わせる家で育った

   昔ながらの葬儀も記憶にある
   一人っ子の私は  いろんな葬儀にも連れていかれた
      
お経は宗派が違えば、違うものだけど
    なんとなく 唱えていたが
 息子が逝き
      般若心経の意味を説く本も買い写経もしたこともある
  埋葬の手引きのような本も読んだ

 お経も難しい言葉のままで  唱えている住職もいるが
   現代語訳のお経で唱えるお寺もある

我が家は浄土宗
「三寶禮」というのがある
さんぽうらいと読む
・一心敬禮・十方法界常住仏(いっしん きょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうぶ)
・一心敬禮・十方法界常住法(いっしん きょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうほう)
・一心敬禮・十方法界常住僧(いっしん きょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうそう)
現代語訳
・一心に敬って(いっしんにうやまって)
 十方法界に常住する仏を礼したてまつる(じっぽうほうかいに じょうじゅうするほとけを らいしたてまつる)
と唱える
*「心を一つにして敬って、あらゆる世界に変わることなくまします み仏に礼拝致します」という意味。
・一心に敬って
十方法界に常住する法を礼したてまつると唱える
*「心を一つにして敬って、あらゆる世界に変わることなくまします  み仏の教えに礼拝いたします」
・一心に敬って
十方法界に常住する僧を 礼したてまつると唱える
+「心を一つにして敬って。あらゆる世界に変わることなくまします み仏の教えを守る僧たちに礼拝いたします」

という意味がある。

「南無阿弥陀仏」「南無シャカ仏「南無妙法蓮華経」など「南無」が冠につく
「南無」という意味はこころから帰依するという意味
  全てを委ねますという意味

簡単に言うとこんな感じで意味が分かる

   お線香を焚く意味  お盆の意味
 葬儀の意味
   法要の意味  戒名の意味  など
 たくさん 知らない事を教わった17年間だった

お坊さんになるわけではないから
    深く意味を掘り下げたいとは思わないが
       少なくとも 簡単な意味くらいは 覚えようと思う
息子が逝き
   強く思うようになった

キリスト教の
  葬儀にも参列したことが何度かあるが
   厳かな儀式を体験した

天理教の葬儀にも
 何度か参列したことがある

無宗教での
火葬や埋葬も増えてきていると聞く

遺族がそれで いいと思うならそれでいいのだと思う

  キリスト教の教えの中に天国というものがあり
     仏教ではお浄土という考えがある  浄土宗は西方極楽浄土に往生するという教え

深く信仰しているわけではないが
   信じたいと思っている
   信じればこその 極楽浄土
信じればこその あの世での再会
   信じればこそ  見える世界

信じなければ 何もない 何も見えない
 
   信じ切れていない自分がいるが
信じようと努力をしている
  日々

 亡き息子のまなざしを感じて生きているからこそ
    信じようと思っている

それは
  年を重ねて 高齢になったからの気持ちではなく
    体験と息子を思う気もち