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「人間の深さ」 岡知史氏のエッセイ本「ほんの少しの神に近い部分」から・・・・

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私は心がざらついたとき
   やさしい気持ちが崩れそうなとき
     岡知史先生のエッセイ本をよく読む
「知らされない愛について」
   「ほんの少しの神に近い部分」
「砂の山の穏やかな傾き」

   この中の
「人間の深さ」から  一部抜粋

福祉施設で実習する生徒には
「施設で器用にふるまえなくても、
    複雑な福祉制度をすぐに暗記できなくても悩む必要はない。
    それよりもっと大事なことは
    実習を通して自分の人生観や人間観、死生観を深める事だ」と
       繰り返し言っている。
人間には、それぞれ深さがある。
それを高さと言わないのには、いくつかの理由がある。
ひとつは高さと違って深さは遠くから見えない。
近くまで行って、その人とかかわらないかぎり 、わからない。
わかっても
どこまで底が深いか、深ければ深いほどよくわからない。
また高さは他の高さと容易に比べられるが、深さは比べにくい。
まして深ければ深いほど、
その深さはわからないものだから比べようがない。
ただ
ふたりの人間が出あったとき、
かばい守ってくれるのはより深い人の方なのだ。
中略
ある学生にそんな話をしたら
「何を基準に深い、浅いと言っているのか」と問いただされた。
中略
ひとりの女子学生が養母施設に実習に行った。
彼女は施設で何を学びたいのかと聞かれて
「両親がいない事によって、子どもの心がどのように歪んでいるのか知りたい」と言った。
その言葉に保母さんはひどく心を傷つけられた思いがしたそうだが、彼女はそれに気がつかなかった。
そんな彼女が子供たちから受け入れられるはずがなかった。
 彼女は施設の中で孤立し、寂しい毎日が続いた。
それをみた一人の小学生の女の子が、なじみの保母さんにこう言ったという。
「私は、あのお姉さんに話しかけてあげたい、さびしそうだから」。

中略

少女に声をかけられて急に元気の出た実習生は得意げに私に報告した。
「先生、やっと子どもたちがなついてくれるようになりました」
私は「よかったね」と一言だけ言ったのだ。これ以上、何を言えるだろう。

小学生の、家庭に恵まれなかった子どもが、
大学生の彼女よりもずっと深くまで見つめていたなんて、
今の彼女に信じられるだろうか。

「でも、大学生はみんな二十年ぐらい生きてきて同じ量だけ体験を積んできているのだから
 深さに差はないでしょう」と学生たちは言う。

いや、そんなのじゃないのだ、人間の深さというのは。
二十代の若さで倒れながら人生のすべての悲しみと喜びを唄った詩人がいたではないか。
二十年生きてきたから
十年生きてきた人の二倍の経験をしたなんて、
そんなこと言えるはずがないじゃないか。

大学生が「ゆがんだ心」を
子どもたちの中に見つけようとして、刺のような視線を振り回していたとき、
ひとりの子どもは「大きなお姉さん」をたすけてあげたいと悩んでいた。
   私たちは、
このような小さな魂にすくわれているのだ、このような顧みられないやさしさに。

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遺族にもよく使われるPTSD 心の傷 トラウマ 外傷性ストレス障害 ファッションである



冬の画像


中川さんのFacebookから

ー乱用されるPTSDー
野田正彰氏はPTSDの患者など診たことないという

自称PTSDを名乗る人にとっては見逃せない発言だろう。
私もその真意を測りかねていたが、今日発売の高知新聞のコラムで氏の真意が一部理解できたのでお伝えしたい。
以下は、私の要約+作文なので、正しく理解されたい方は同コラムを読んで頂きたい。

そもそも、災害被害者(奥尻島津波、島原噴火)や
大規模事故被害(日航機墜落事故)からナチスドイツの収容所、スターリン体制生き残ったソ連の人々など、人々の喪失とその悲哀を一番研究、論述したのは野田氏であった。代表作『喪の途上にて』は私も読んだ。

そもそものPTSDの定義とは、アメリカのベトナム戦争帰還兵の一連の問題行動、精神症状の訴えをまとめたものであった。
ベトナム戦争帰還兵は、現地では、殺したベトナム兵(実際には農民も多数いた)の数を競うように強いられ、帰国後は不正の戦争に加担したものとして非難された。二つの責め苦に帰還兵たちの精神は混乱した。

戦争の精神医学を研究していたリフトンと性暴力被害の研究者ハーマン達が、戦争に関わる言葉を丁寧にのぞいて、一般化したPTSDの定義(DSM-3)を作り上げた。

その診断により、米国の精神科医たちは、
その後の海外派兵の帰還兵の社会問題に精神医学的に対応できた。
しかし、帰還兵のための障害名だったので、悲惨なベトナムの人々の後遺症には関心を持たなかった。

我が国日本には1995年の阪神淡路大震災の折に15年遅れで入ってきた。
復員兵の症状だったことを忘れたまま、
『外傷性ストレス障害』という名称だけ捉えて、
『心の傷』『トラウマ』という新たな造語と共にファッション(流行)となった。

20数年の歳月を経て、
ファッションを精神医学は都合よく取り込み、
製薬会社とつるんでPTSDの一般化/市民への普及を成し遂げる。
うつ病や自閉症と全く同じように、拡大解釈と薬物治療をセットにして市場拡大を成し遂げた。

日本トラウマティック学会HPを数年前に見たことがあったが、
その時には薬物治療は5番目の選択肢であったが、
最近見直すと薬物治療のガイドラインのようなものが作成されていて驚いた。
この学会も製薬会社御用学会となった。

最近、PTSDは流行語としてあちこちで乱用されている。

皇族女性の件で、マスコミに翻弄されたので複雑性PTSDとなったと記者会見する精神科医まで現れた。

*ベテランの精神科医から、さすがにそれは違うとの批判があった。

非虐待女性を保護するシェルターでは、
被害にあった女性はPTSDだとして薬物治療が強要され、
児相に保護された児童もPTSDに違いないとして薬物治療が行われる。

我々、市民もその言葉から来るイメージだけで、PTSDを乱用する。
かくいう私もそうだ。

身の毛もよだつような経験を私は忘れることは出来ない。
今でも近づけない場所もあるし、
食べられないものもいまだにある。それをPTSDとかトラウマと呼ぶ。

だが、流行語としてのPTSDと薬物治療が容認される医学的な診断名のPTSDは違わないといけないはずだ。

ましてや、流行レベル(言葉遊び)のPTSDの理解で薬物を処方することなど許されるはずもない。
残念ながら、現在のPTSD薬物治療は、このレベルである。

最後に、同コラムの野田氏の締めの記述を引用する。

以下引用
結局、アメリカ精神医学の市場拡大のための用語であるPTSDも、
さらにさかのぼって、「精神障害」という用語も矛盾だらけであり、
使用に耐えられるものではなかった。
精神障害のファッション化を正す道は、
精神障害の診断名に熱中するのを止め、分類と診断の限界を自覚し、
常に個々の人間の生き方の理解へ還っていくことである。
精神障害の診断はあくまでも保険制度のためのものであり、
その人は診断名を超えて確実に生きている。

一切皆苦


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息子が逝き、苦しみと涙の河でおぼれていた時
「人生とは思い通りにならない事ばかり、思い通りにならない事を思い通りにならないと思い悩み苦しむのではなく
あるがままをうけいれなさい」という言葉に出会った

今もあるがままを受け入れられない事がたくさんあり
   悩み苦しみを抱えて生きていますが
    受け入れたこともあります

長い人生において、どちらかというと物事は思い通りにいかないことが多い。
そして、自分の思い通りにならないことに対して、憤りや苦しみを感じ、悩んでしまうときもある
 息子が逝き
  理不尽なことに深く傷ついていた時のこと
  
「苦悩の根本的な原因は何か」
「苦悩から解き放たれるにはどうすればいいか」
「どういきたらいいのか」
「どうすれば生きられるのか」

「一切皆苦(いっさいかいく)」

一切皆苦は仏教の基本的な教え「四法印」のひとつ

一切皆苦とは世の中は全て苦しみであり思い通りにならないこと


生きていく上で避けられない「四苦八苦」
煩悩による苦「三毒」〜貪・瞋・癡(とん・じん・ち)


一切皆苦(いっさいかいく):人生は思い通りに進まない
諸行無常(しょぎょうむじょう):全ての物事は変化するもの
諸法無我(しょほうむが):全ての物事は繋がりの中で変化している
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう):仏教が目指す悟り

悟れないままで生きています

一切皆苦の「苦」とは、ただ単に苦しい意味を指しているのではなく
「思い通りにならない」意味


思い通りにならないからこそ苦しみ悩むことを、
仏教では「この世界の全てのものは苦しみである」という意味で「一切皆苦」


生きていく上で避けられない「四苦八苦」
まずは、自分ではどうにもならない「四苦八苦」

「四苦」とは「生老病死」のことで、誰もが避けられない苦しみを指しています。

生きる苦しみ
老いる苦しみ
病気の苦しみ
死ぬ苦しみ

そして「八苦」は誰もが必ず経験する4つ苦しみ。

求不得苦(ぐふとくく):お金、地位、名誉、物など手にはらないものがある苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく):妬みや憎しみなど嫌な感情を抱く人と出会う苦しみ
愛別離苦(あいべつりく):どんなに愛する人でも、いつか必ず別れが訪れる苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく):体や心が思うようにコントロールできない苦しみ
一切皆苦の「苦」は、生きていく上で誰もが必ず直面する苦しみである「四苦八苦」を意味しています。

煩悩による苦「三毒」〜貪・瞋・癡(とん・じん・ち)
四苦八苦による苦しみがなくなるわけではありません。

「この世界は全て苦しいものだから仕方ない」とわかっていても、病気になれば苦しいのは当たり前です。

仏教の教えは四苦八苦を解決するのではなく、主に「三毒」と呼ばれる煩悩による苦から開放される方法を説いています。

三毒とは仏教では、克服すべきものとされる最も根本的な3つの煩悩「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)」のことです。

貪:貪欲。必要以上に求める心。欲や貪り。
瞋:瞋恚。怒りの心。憎しみ。
癡・痴:愚痴。真理に対する無知の心。愚かさ。
四苦八苦は誰も避けられない苦しみですが、自分から出てくる煩悩は無くすことができるのではないか。

息子が逝き、こんなことを ずっと思い  生きていますが
   世の中は

ずるがしこい人たちが  この世では楽をし、心豊かに満足し 幸せに生きている
 
真面目で一生懸命 人を蹴落とさず
   人にやさしく 人をだまさず  理不尽なことに耐え
  頑張っているひとは
       苦しみの中で生きている
そんな人を
  更に 背中を蹴飛ばし
       死へと追い込む    
追い込んだ人は
   追い込んだとも思わず  悪びれることなく   ストレスもなく
  健康に生きている

  必殺仕置き人がほしい

こんなことを思う私は   煩悩まみれ
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亡くなった人には適用されないとしても 亡くなった人の情報の中に生きている遺族がいます、保護法は守られるべきです。

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自死の対策の多くは調査研究
  では
その調査研究のデータに元はどこから得ているのか
 その多くは警察による遺族からの事情聴取

心理学的剖検という
  遺族から調査への協力という承諾を得ての調査研究は
  10年で打ち切られた

10年間 遺族とのトラブルなどもあり
  改善し ようやく軌道に乗ってこれからという矢先の打ち切りだった

 もったいないと思う

遺族が 調査研究に協力し
   予防に役立ててほしいと
   つらい内容に耐えて  血の涙を流して協力した内容が
  破棄され
   役に立たないのですから

調査研究は 1年2年という短期的に結果が出るというものではなく
  地道に長い月日をかけて
    対策に役立つような研究成果が導き出されるものだとおもいます

破棄するのではなく
   それらを土台にしての 調査研究という道もあったはずなのに
     全否定し
新たに
 やり直した・・・・その結果 
また4年で放棄し
  また昨年から 新たにやり直している

これまでの 10数年は無駄だったという事になる

    その無駄になってしまった 調査研究には
遺族の涙が…自死した人のいのちが詰まっている

    どうして そんな残酷な  冷たい対策ができるのだろうか
       私には理解できない

せっかく 協力してくれた遺族の善意が
    なかったことになってしまった   調査研究のこれまで

   ひどいなぁ~~~~~~と思う

大切に真摯に受けとめ
  無駄にすることなく 生かしてほしかったとおもう

     児童生徒の自死の後に行われている
第三者調査委員会
 割合的には 自死数の1割というけど
   その1割の報告書は公開されているということもあり
容易に内容は把握できる
 せめて
その報告書を集めて の  調査研究ができるはずなのに
   やっていない

労働問題の裁判や労災申請などの 内容も
  裁判資料や
情報開示できる内容を集めての調査研究もしていない
・・・・・・・・・
  公開されている情報だけでも
  いろんな調査研究はできるのに

なぜやらないのか不思議
  また
  なぜ 遺族の心情に配慮なく  断りもなく
   情報が様々な機関に提供されるのか  
       と いう 疑問はぬぐい切れない

 おかしいことはおかしい
   と
言い続けていくつもりです

  死んだ人には保護法は適用ならないと
    厚労省の会議で弁護士が発言していました

 遺族は死んでいません
生きています
 亡くなった人の住所に遺族は住んでいます
亡くなった人の情報の中で遺族は暮らしているのです

   

児童生徒

OIP (5)




注目すべきデーター
文科省の特別支援学校、特別支援学級在籍児童生徒数の資料を見ている。
発達障害児が全体の6.5%いるという根拠となった数字が、都道府県によって大きくばらついていることは知っていたが、これは酷い。
東京都  全児童数61万5000人 自閉症・情緒障害 659人 
0.1%
神奈川県 全児童数45万9000人 自閉症・情緒障害 7198人
1.5%
大阪府  全児童数43万3000人 自閉症・情緒障害 14924人
3.4%
長野県  全児童数10万6000人 自閉症・情緒障害 3530人
3.3%
???????
東京の少なさは、47都道府県でも7番目、北陸各県や山陰並みの数字。
インクルーシブが進んでいるのか、
診断される児童数そのものが少ないのか、
知的障害者数はそれなりなので、自閉症・情緒障害数の診断の問題と思われる。
逆に多いのは、大阪と長野。
製薬会社とキャンペーンを行った大阪府。
子ども薬漬け診断の大御所がいる長野県。

発達障害・・・精神医療・・・野田正彰


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精神科医の野田正彰先生から 電話があり「社会復帰するよ」と言われ
  え!?なに?と一瞬思った
  発達障害があまりにひどい内容で広がり過ぎて
  精神科医として危機感を抱き
大学を退官されてから10年
  今77才?
医師として サテライトで診療をするということ
湖南病院というところとは今でも
   関係があると以前から聞いていたのですが・・・

朗報です
     野田先生に診てもらえる機会ができたということは
       治るという事につながり
  算数が苦手   友達が少ない
    遅刻が多い 落ち着きがない
忘れ物をする   人と同じことをするのが苦手
     話すことが苦手   おしゃべりすぎる
など
なんでもないことで
  ただ 親が育てるのに大変とか
 手がかかる子  とか
  先生にいろいろ聞くので  面倒なこ
という理由だけで
発達障害と言われて  クスリを飲まされている子供たち

  が
普通の子として認められ  生きていていいんだ
   人より劣っているわけではないんだ
自分の全部がダメではないんだ


自信を取り戻すことができたら

その子の人生は 自死を持って生きていけるようになる

 他人と比べられるほど  こころが傷つくことはない


わたしじしん
中学1年生の時
  校内発表の時間があり
  その時に 指名され発表したテーマは
「私は私・他の人と比べないでください」というもの

 今だったら 完全に私は発達障害と言われ薬を飲まされていた
  夫も 完全に発達障害と言われ
 薬漬けにされていた

  昔は 学校も親も  子どもをそんな目でみていなかった
    それでも
人と比べていた
 それが 最も嫌いだった

  私だっていいところがあるのに
  なんで
私の苦手なところだけ見て
    お前はダメだ!誰誰さんはこんなことをして立派だ・・いい子だ
  幸子さんは
  こんなことができませんよね
  この部分をなおすように
   ここはダメですね・・・・

苦手なことだけ言う大人たち
   私だって他の人より優れている部分だってあるのに
    努力もしているのに
完璧な人間はいないのに
    あれもこれも これもあれも
      私の悪いとこだけ  いつも言われ
  うんざり
  反発していた

 暴れたこともある
          やりたいことだってあるのに
        やらしてはくれず
親や先生がやらせたいことを
    やるように・・といわれ
            反発した

  私も夫も
 普通に生活し
     生きてきた
                     自分の意志で結婚し
                離婚の危機も乗り越えてきた
波乱万丈 
  小説よりもいろんなことがあったけど
     
発達障害と言われ薬を飲んでいたら
  73歳まで生きてこれなかったと思う

野田先生が危機感をもっているのは
このまま 発達障害の児童を増やし  精神薬を飲ませていたら
  飲んでいる子供は早死にしてしまい
    社会で普通に暮らすことが難しい大人にってしまう
 
神奈川県の発達障害児童生徒は8,000人
それは発達障害を広げた医師がいるから

逆に東京都の発達障害の児童生徒は600人
   発達障害の概念を広げることに反対した精神科医や小児科医たちがいた
  という事です

教職員組合も含めて 反対した地域は発達障害の児童生徒が少なく
     流れに飲まれた地域は ものすごい勢いで
  発達障害の児童生徒が増えている
  という事でした

子どもの人生を左右する発達障害というラベリング
   大人の都合で
      生きづらさを助長させてはならない

野田先生  人生最後の社会活動に期待をしています
  感謝

大阪・名古屋・東京・・・仙台での診療も予定しています

遺品

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この茶器は
  息子が結婚してから  欲しいというのであげたものの一つ
 
当時,陶器に興味があったので  気に入ったものを買いそろえていた
息子はこれもいいね あれもいいね と
     もらって  喜んでいた
お祝いの絵も描いてもらい贈った
     親としては せいいっぱいのことをして結婚を祝った
まさか
  死ぬなんて   ・・・・1ミリも思わずに生きていた

息子が亡くなって
お骨は要らないと言われ
   遺品はあげない  捨てると言われ
次男や夫が、このままでは私が死んでしまうので何か一つでも遺品をと何度も頼んでも  無視
 挙句には  私を息子殺しとののしり
     私は錯乱状態にあった

捨てるような下着でもなんでもいいのでくださいと調停をした
   が
 調停が遺品を少しでもわたすように・・という流れになった時
精神的苦痛を理由に
  調停に出ることを断ってきた
    診断書は必要なく本人の申告だけで、認められ、永遠に続く可能性もあると聞かされ
  調停を取り下げた
諦めきれない私は
  あちら側が依頼していた弁護士を
    情報開示をして探し出し
手紙を書いた
    そこではじめて
弁護士事務所が送り主で
     着払いで下着などの息子の遺品が届いた
  パンツも靴下も
   おちゃわんも  箸やスプーンも
   靴も
ぐちゃぐちゃで!
きちんと詰めたら 3個くらいで収まるものを
  12個以上につめて 着払いで送ってよこした

  その中の一つがこの茶器

下着類と警察時代の柔道着や運動靴
   私があげた絵や 私から息子がもらった茶器など

そのうえ
   息子が亡くなった時
  警察が勝手に寝かせた布団が  息子のではなく 自分のものだから
  捨てたので 弁償しろ!まで 言ったそうで
     とにかく 金・金・金 そんな 家族だった

今でも許してはいない

息子が亡くなったことで 責める気持ちはない
  無知だったのだから
仕方がない
私も救えなかったのだから・・・・・・

ただ
死後、葬儀や手続きは全部 私たち家族にやってもらい

  お骨となった息子を捨て
    ・・・・・・・・
私があの世にいっても  許されない
   人として
 してはいけない事があります
 こんな人たちが世の中に多い気がし…むなしくなる時が。

でもでもでも
  本当にすばらしいお人柄の人たちも同じくらいいることも知っています

  息子は 今頃生きていたら  正義感あふれる警察官になっていたと確信できる
    出世より  金より
県民のために尽くす仕事をしていたことと思います

 自慢の息子です

    

遺書があっても遺族になれない人たち

無題

遺族の声
 「会いたい」より

悲しい

年老いた 私達を残し 逝った我が子
桜を見ても哀しく
月を見ても 星を見ても
太陽さえ  
青空も 悲しい 年老いたわたし
この年まで生きて こんなこと
自分におきるなんて
こんな悲しみがあるなんて
もうすぐわたしがあの世にいくはずでした
何があったのか
あの世に逝ったらきいてみたい
その時はすぐ来る
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 遺族の声を届けたいと本にした
  
一部は 全国自死遺族連絡会のホームページに掲載している

 やさしい人が亡くなっていく
  追い込まれて・・・・・・・・・・・・・

遺族になれない遺族もいる
   行方不明の人の家族
遺書があっても 死亡とは認められない

特別な例を除き 例外はない
    7年は死亡届は出せない

ある人の息子さんが行方不明になり
捜索願いなどの手続きをした
  あなたが104番目ですから  捜索は難しいですと言われ
  探偵などを頼み
    探してもらうこと 5か月過ぎた
ある日
 地元の新聞に山で人の骨が発見されたとの記事

   胸騒ぎがして 発見された警察署に行き
     照合してもらい
息子という事になった

 もしも  ほかの県で発見され  ほかの県の新聞だったら
     家族は見つけられない

なぜなら
  捜索願届けを出した警察署と違う警察署管轄だとしたら
今回のケースのように  
警察からは遺骨や持ち物を元に 捜索願を出した家族に連絡はないのだから

届けた警察署の管轄内での発見のみ  家族に連絡が来るらしい
   このデジタル化の時代
  全国の警察署で情報の共有をして
     全国津々浦々  様々なところで発見されても
  情報の提供が家族にされるようになれば
   行方不明のままで7年とか
      身元不明のままで 無縁仏として埋葬されることなく
   家族に 戻ってこれた人たちは沢山いる

 亡くなった人と その家族をつなぐ  
    そのことすら できていないのが日本という国

   面倒くさい事はしない・・・?

震災の時の遺族同様
   遺体が見つかった人が見つからない人に  ごめんねうちはみつかったのよ・・・・と
      いわなければならない
        社会が
自死の場合には  日々あるということ

    せめて 遺体が家族の手元に・・・と願っています

悲しい本ーSAD BOOKー

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自死遺族として生きてきた
息子が逝った2005年11月からずっと

  変えようがない
悲しみはいまもある  激しく悲しい時もある
静かな悲しみもある
   とにかくかなしい
取り除けない
    
2006年 NHKの朝の番組に取り上げられた時
  担当者がお土産でくれた本「悲しい本」SADBOOK
マイケル・ローゼン作 クェンティン・ブレイク絵
谷川俊太郎訳
  の絵本
今も持っている
     その人の奥さんが流産を繰り返していて・・・息子を亡くした私にともって来てくれた

(笑顔の顔がある)
  これは悲しんでいる私だ。
この絵では、幸せそうに見えるかもしれない。
じつは、悲しいのだが、幸せなふりをしているのだ。
悲しく見えると、人に好かれないのではないかと思つて
   そうしているのだ。

  悲しみがとても大きいときがある。
どこもかしこも悲しい。からだじゅうが、悲しい。

そんなときは、こんな顔だ。
どうすることもできない。

    息子のエディの事を考える時が
いちばんかなしい。エディは死んだ。私は彼を愛していた。
   とてもとても深く。でも、彼は死んでしまった。


         ときには、ほんとうに腹が立つ。
私はひとりごとを言う、「よくも、そんなふうに死ねたもんだね?
      私をここまで悲しませて」


エディはなにも言わない
もうここにはいないから。

        こういうことを、なにもかも誰かに話したいときがある。
たとえば私のママに。だがママも、もうここにはいない。だからそうできない。
    私はほかの誰かを見つける。そして、なにもかも話す。

    誰にも、なにも話したくないときもある。
      誰にも。どんなひとにも。誰ひとり。
                ひとりで考えたい。
私の悲しみだから。ほかの誰のものでもないのだから。

悲しみのあまり
むちゃくちゃすることもあるー
シャワー浴びながら
大声でさけんだり・・・・・・・・・・

スプーンでテーブルを
たたいたり・・・・・・・・・・・・・


ほっぺたをふくらませて
ブーブーホーホー
鳴らしたり。

        悲しみのあまり、ひどいことをするときもある。
              ひとには言えないこと。
          ひどすぎるから。相手が猫でも。

私はあまり苦しまずに、悲しみをやりすごすほうほうを
ずっと探しつづけてきた。たとえばこんなこと。

 誰にだって悲しい事はあると、自分に言い聞かせる。
私ひとりだけではない。きみにだってあるだろう

  毎日なにかひとつ得意なことをしようとする。
そうして、ベッドにはいると、そのひとつのことを
これでもか、これでもかと思いえがく。

悲しむのは、ひどいことをするのとはちがう。
私は悲しいのだ。悪いのではない。

 毎日楽しい事をひとつはしようとする。
誰かにいやな思いをさせるようなことでなければ
どんあことでもかまわない


それから、悲しみについて書くこともある。

悲しみは、どこにあるのか?
いたるところにある。
そいつはやってきて、きみを見つける。


悲しみは、いつくるのか?
時をえらばない。
そいつはやってきて、きみを見つける。

悲しみとは何ものか?
人をえらばない。
そいつはやってきて、きみを見つける。
 

しかし、自分がいろいろなものを見つめているのに、気づくときがある。
     窓べにいる人々・・・・・・・・・

クレーンと
いっぱい人を乗せて通り過ぎて行く電車。



そうして、私は思い出す。
   雨の中のママ。


通りを歩いていくエディ。
笑って笑って(笑)ころげながら。

学芸会で、おじいさんの役を演じるエディ。


    ソファで、シュート合戦する私とエディ。


そして誕生日・・・・・・・・・
私の大好きな誕生日。


自分のだけじゃない・・・・・
ほかの人のも。


  誕生日おめでとう・・・・・・・・に始まるなにもかも。



そしてロウソク。   


ローソクがなくてはね。

   

家族に自死が起きた後の事情聴取は任意ですので、拒否することができます。

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また
通告されるかもしれませんが・・・
ひとり言のブログ
  ホームページではない
書きたいと思う事を書くためのブログ
個人として。
しかし
 仙台市のいじめ問題の件で
 教育委員会がこのブログも含めfacebookなども検索し
 この個所は・・・…委員から流れているのではないか・・と決めつけ
     委員に注意に行ったりしたこともある
 委員から流れたという確証もないのに  

また
自死の活動をしている団体が
    このブログに注目しているようで
  自分たちに関係あるような内容を見つけると
   国に通告しているらしい
暇なんだなぁ~と思う

そんなことよりも 自殺サイトやSNSサイトで知り合い
    一緒に自死という事も起きているのだから
  パトロールし  取り締まりを厳しくしたほうがいいと思う
 自死を減らすために
    自死しようとしている若者を救いたいなら
  エネルギーは
私のブログではなく
   自死を誘発するようなサイトを見張ったほうがいいと思う

 ある人の論文から
2008年2月から開始した「自殺対策推進会議」
(ここには 全国自死遺族連絡会よりも後の、2008年1月13日に発足したばかりの団体が委員として参画している)
そこで争点となったのが
警察庁の自殺統計原票の取り扱いであった。(事情聴取)
(中略)
警察庁は個人情報保護の観点から原票の項目を取捨選択し、統計処理を施したうえで
資料を作成していたため、地域の自殺の実態や特性を把握することは不可能だった。
(中略)
警察庁の原票データは、個人情報保護の観点から長らく隠匿されてきたものの、
2004~2006年分に限り
対策への活用という名目でCSPに一部が提供され集計・分析が進められていた。
そのため○○が第1回の推進会議で、自殺実態の把握にあたり
解析チームを立ち上げるので情報提供を依頼した際、
厚労省はCSPで分析を進めていると回答している。
○○は第2回の推進会議でも再び情報公開を求めたが
 これに対して警察庁もプライバシー保護の観点から「なにもかも提供するという事はできない」と述べ、
個別に検討・対応したいと発言した。
【中略)
2008年9月の第5回推進会議で
個人情報保護の観点から難色を示警察庁に対し、
○○は(中略)
岸田前大臣の発言を引用しつつ
 自らの要求が実現するよう迫った。
(中略)
行政への働きかけのみでは事態の打開が難しいと悟った○○は、それまでの戦略を転換することにした。
政治の側から行政を動かそうと考えたのである。
(中略)

2009年1月からは
項目を追加した警察庁の新原票が運用が開始され、・・・・・・
・・・・・・・・
ここから年齢・職業・原因・動機・時間・場所・方法など
細かなデータが白書に掲載され
  地域の担当部署にも提供された。
その後の
自殺対策官民協働推進会議でも
  さらなる情報の範囲拡大についても発言し
たが議事録からは一部削除されている

自死の予防対策は・・・調査研究と研修がほとんど

高山
こんなことを書くと、また国に告げ口をされそうだが

多額の税金が投入され自死の対策は講じられてきた
更にコロナ下における自死の対策というコロナに特化した事業費も140億円以上が追加予算で認められた
   主に何に使っているのか

それは 毎年の白書を読むとわかります。
(厚労省ホームページに掲載)…内閣府が担当の時の白書も見られます(国会図書館など)
令和3年の白書
「自殺総合対策大綱」における施策の実施状況
担当省庁ごとに事業が掲載されている


  調査研修
 オンライン講座  トップセミナー
全都道府県・市区町村に対し  自治体ごとの地域自殺実態プロファイルを毎年提供
  調査研究等業務交付金
   4億4千万円強
地域自殺対策交付金  27億8千万強

  地域自殺対策推進センター運営事業費  1億3千万円強

ゲートキーパー養成
 インターネット等を活用し啓発事業    27億8千万強

革新的自殺研究推進プログラムの実施と活用など
   44,000,000円
 居場所づくり
 モデル事業 27億8千万円強


一部の都道府県において「予防のための子どもの死亡検証体制整備モデル事業」
    121億円

かかりつけの医師等の対応技術等に関する資質の向上  研修の実施
  505億円
地域保健スタッフの資質の向上  自死遺族支援にかかわる民学官の関係者の資質向上
   4億円
  
産業保健総合支援センター等において
  スタッフ東甫研修
  48億6200万円

介護支援専門員の資質の向上研修
  137億

児童・民生委員の研修事業
   383億円

ハローワーク職員に対するキャリアコンサルティング研修
  8億3千万強

過労死等の防止に関するシンポジウム 25億9千万円強



リーフレットの配布や特設サイトの設置
   人権啓発教室など
   35億Ⅰ600万円以上

 
  児童生徒の自死の調査分析研究
     5千万円
  まだたくさんあるが
  そのほとんどは研修と調査研究

  国には一次予防に力を入れてほしいと願っているが
  過労自死の要因の
  働き方改革は進まない パワハラ防止も会社がやろうとしなければ進まない
 いじめも
   学校教育現場がやる気がなければ無理
     
  条例や法の整備  ガイドライン 指針など
    指導要綱など
  細かく決めないと  人にやさしい社会の実現なんてできない

  研修は必要だが
    毎回初心者コースでは意味がない
そして
  人柄磨きのための研修が欲しい

  哲学宗教学など 研修が欲しい

   ほかの人の不幸に痛みを感じる人
     ほかの人のいのちを大切に思う気持ち

  揚げ足とりしていないで
    人にやさしい心が持てる人に

   

自死遺族が直面する法律問題

OIP (3)
  「自死遺族が直面する法律問題」
自死遺族支援のための手引き

全国自死遺族連絡会のホームページからダウンロードできます。
   厚労省のホームページにも掲載されています。
その中に 「鉄道自死をめぐる問題」
✤鉄道会社の請求の法的根拠
1)不法行為と相続
2)債務不履行と相続
3)責任無能力者(精神病者・未成年)への監督義務違反

✤鉄道会社からの請求の実態
1)請求の有無について
必ずしも鉄道会社から遺族に対する損害賠償請求がなされるわけではなく
 一切の請求が行われない場合もあります。

謝罪をしたいので会ってほしいというのは、遺族側から要求するものではないと思います。
賠償金が1億円でも支払うというのなら別ですが、
   払えないのであれば 謝罪だけというのは
      遺族側の満足だけのこと
悪い事をしたと思わないでほしい
 
遺族が鉄道会社に迷惑かけたと思っているとしても
  会社は謝罪してもらっても   何の利益にもなりません
    時間を作らせ、会ってもらうほうが
       ご迷惑ですよ
  鉄道会社から連絡がないなら ありがとうございますと感謝していたらいい。

そして
〇請求書が届いた時には、対応しましょう。
   それでも すぐに支払うことはしない事
具体的な請求項目ごとの請求額を示さず 一括請求の時は
 いかなる損害に基づき、各々どれだけの損害が発生しているのか、内訳につき計算と根拠資料を示してもらうこと
 また復旧人件費につき残業や休日出勤の賃金等の別段の負担なく
   通常の労働時間内で対応させているにもかかわらず請求している例もあるので 確認すること

 
🔶 不動産賃貸借をめぐる問題
   賃貸されている建物内で自死があった場合、家主側から自死した居住者の遺族に対し
多額の損害賠償請求がなされるケースがある
当然ことですが
 持ち家など賃借でない建物内での自死は  遺族が自分に損害賠償の請求はしませんので
   該当しません。

従って 事故物件という概念は 賃貸借契約や売買契約の時に発生するもの
  自分の持ち家で家族が自死したから
    自分の持ち家が事故物件と考えるのは大きな間違いです
  
不動産取引のための法律であって
    自分の持ち家を勝手に事故物件と評価される筋合いのものではありません
     あくまでも
 賃貸借の物件  売買物件のみの評価

持ち家を勝手に 事故物件と記しているサイトもありますが
     間違えています
遺族も 持ち家ならば 家族が亡くなったから我が家は事故物件と考えないでください
  違いますから。

また
  自死という事は 死亡検案書に記されていることなので
      それを見た人だけが知りえる情報
  遺族が言わない限り
     他者は知るはずがないのです

たとえ親戚でも

 人は
        突然亡くなることはよくあります
  
新聞等に自死と掲載されれば別ですが
   飛び降りでも  自死かどうかの判断は医師と警察がします
   あくまでも検案書が全てです
検案書を見れない人は
    自死かどうか 判断してはいけない

海で発見されても
  縊死であっても  検案書をみないと 自死かどうか誰も判断してはいけない

  遺族が言わなければ  多くの自死は社会に知れることはない
     自死だと噂をするのはできるけど
 噂はうわさ
   遺族が噂に動揺せず  自死ではないと言えば 噂は消える
   
 自死遺族として毅然と生きるか
   自死ではないと堂々と隠して生きるか
 隠すなら
  怯えず 毅然と隠して生きるほうが 
       世間には信じる
  隠すときは堂々と・・・・・・
       

般若心経 のロック調

img_1047[1]
超スゲェ楽になれる方法を知りたいか?
誰でも幸せに生きる方法のヒントだ もっと力を抜いて楽になるんだ。
苦しみも辛さも全てはいい加減な幻さ、安心しろよ。
この世は空しいモンだ、 痛みも悲しみも最初から空っぽなのさ。
この世は変わり行くモンだ。 苦を楽に変える事だって出来る。
汚れることもありゃ背負い込む事だってある だから抱え込んだモンを捨てちまう事も出来るはずだ。
この世がどれだけいい加減か分ったか? 苦しみとか病とか、そんなモンにこだわるなよ。
見えてるものにこだわるな。
聞こえるものにしがみつくな。
味や香りなんて人それぞれだろ? 何のアテにもなりゃしない。
揺らぐ心にこだわっちゃダメさ。 それが『無』ってやつさ。
生きてりゃ色々あるさ。
辛いモノを見ないようにするのは難しい。
でも、そんなもんその場に置いていけよ。 先の事は誰にも見えねぇ。
無理して照らそうとしなくていいのさ。 見えない事を愉しめばいいだろ。
それが生きてる実感ってヤツなんだよ。
正しく生きるのは確かに難しいかもな。
でも、明るく生きるのは誰にだって出来るんだよ。
菩薩として生きるコツがあるんだ、苦しんで生きる必要なんてねえよ。
愉しんで生きる菩薩になれよ。
全く恐れを知らなくなったらロクな事にならねえけどな 適度な恐怖だって生きていくのに役立つモンさ。
勘違いするなよ。 非情になれって言ってるんじゃねえ。
夢や空想や慈悲の心を忘れるな、 それができりゃ涅槃はどこにだってある。
生き方は何も変わらねえ、ただ受け止め方が変わるのさ。
心の余裕を持てば誰でもブッダになれるんだぜ。
この般若を覚えとけ。短い言葉だ。
意味なんて知らなくていい、細けぇことはいいんだよ。
苦しみが小さくなったらそれで上等だろ。
嘘もデタラメも全て認めちまえば苦しみは無くなる、そういうモンなのさ。
今までの前置きは全部忘れても良いぜ。
でも、これだけは覚えとけ。 気が向いたら呟いてみろ。 心の中で唱えるだけでもいいんだぜ。
いいか、耳かっぽじってよく聞けよ?
『唱えよ、心は消え、魂は静まり、全ては此処にあり、全てを越えたものなり。』 『悟りはその時叶うだろう。全てはこの真言に成就する。』 心配すんな。大丈夫だ。

自死の対策として第三者調査委員会の報告書や労災などの事例検証をなぜやらないのか?

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一つ一つの事例に学ぶ作業をしていない対策は
  見た目はやっているようだけど
     見当違いの内容になる

一つ一つ検証なんてできない
  そんなことに時間をかけられないというが

自死の対策は基本法ができて15年が過ぎた
  15年間に
 47都道府県 それぞれ
  一団体   1っカ月1件の事例を集めたとして 12事案
8460件の事案が集められる
 
学校の子どもたちの自死が毎年300から500人
 調査委員会の設置が1割
  30件から50件
15年だと450事例から750事例になる

労災申請事案 1年に1000件以上あると聞く
 15000事案が集まる

それなのに、やろうともしていない

   地道に確実な情報を集めての検証研究がされていない

一人でやろうとすれば 限界がある
 1団体でやろうとしても
      偏りがある

個人情報に配慮しながら・・・
    公開されている裁判事例や調査報告書などからでも
       現状の調査内容よりははるかに正確な問題が浮かび上がるだろう

要するに 本気で自死を減らいたいと思う人たちがいないということになる
  本気で減らしたいと思うなら
 
医師会が医師会として できる研究や調査がある
   労基署が独自に行う検証もある
  文科省もできるはず
それらを  まとめることはできる

なのに
なぜ やらない

そもそも

 自死のデータ集めを 遺族からの事情聴取に頼っている日本という国の考えが古い
   遺族を意識の低い人というお上の目線が抜けていない

本来 個人情報保護法は
権力のある機関が集めた情報を目的外に使用することを禁じたもの

個人同士の情報を個人がうわさで流すということを禁じた  ものではない

  警察が遺族を犯人として疑い
    殺人ではないのか・・という意識で 事情聴取したもの
自死の調査の事情聴取ではない
        ギリギリ 警視庁が統計に使う事までは許容範囲だが
    そもそも事情聴取は自死の情報収集ではない

だから 原因や動機別は 正確な数字にはならない

 遺書等からの情報とあるが  遺書は30パーセント前後である
 21年度版までの白書には遺書のデータも掲載されている

22年度版からは遺書のデータが消えた
   それはなぜ?

なんらかの 思惑があって消したのだと思う

   ひとつひとつ 白書を見比べても 疑問だらけである

ちなみに白書は
電子データで読める


「会いたい」自死で逝った愛しいあなたへ  全国自死遺族連絡会のホームページから注文できます

OIP (18)

「会いたい」 自死で逝った愛しいあなたへ
  明石書店から出版した本は絶版となって
 図書館やAmazonにあるのみ

そこで 全国自死遺族連絡会は「会いたい」の本を編集しなおしをし
   追加の文章や削除などをして
  新しく 自費で印刷して販売しています
   1冊1000円
      申しこみ頂いたらレターパックでお送りします
   到着後に振り込みをしていただくという流れになっています
一社)全国自死遺族連絡会のホームページから注文できます
   またこのブログのコメントからも注文を受け付けています

書店での販売の「会いたい」には掲載して欲しくないと断られた遺族の声も載っています

一人娘を亡くした母

”いいんだよ”
泣いてもいいんだよね
だって大事なもの失ったんだもの
辛くて当たり前なんだよね
だって大好きな人が亡くなったんだもの
忘れなくていいんだよね
だって忘れることなんてできるわけないもの
いいんだよね  いいんだよね

でも
いいんだよって言われると
ちょっぴりだけど 楽になったよ
苦しいの  つらいの 泣きたいの
皆”おんなじ”だよ
でも同じだとわかるとちょっぴりうれしいよ
いいんだよね  いいんだよね
泣いてもいいんだよね
話をしてもいいんだよね
いいんだよ  いいんだよ

悲しみを邪魔ものにしない社会~人にやさしい社会


平成19年に作った冊子「会いたい」の最後の部分に
  秋田の藤里町の住職の言葉を掲載した
河北新報という宮城県の新聞に掲載された記事(7月18日藍の会一周年記念講演)

悲しみの力(講演のタイトル)
  かなしい・苦しい・つらいというものを今  日常からなくそうとしている世の中ではないでしょうか
快適に・便利に。
文明も医療も それを使命として発展したきたように感じます。
  その力の強さに
  つらくなった人たちが「過剰な医療はもういい」と  ホスピスを作ってきた
 「痛まない・苦しまない・悲しまない」という文明に逆らってみよう
 悲しみには力があるんではないか
中略
悲しみはどこから出てくるのか
 それは やさしい人だから。
やさしいから 悲しんだり 人の死を悔やんだリ  苦しんだりする
そして
深い悲しみをする人からこそ
   真の慈しみは生まれるのではないでしょうか

袴田俊英住職の講演から一部抜粋

家族との死別で悲しみを抱えている人たち
  牧師さんや神父さん お坊さん尼さんに遠慮なく 電話して
     かなしい話を聞いてもらう事です

葬儀の時だけではなく
  頼ってみることです
   遺族側が 勝手に想像して 近寄りがたいと思っている気がします

   檀家でなくても 大丈夫
信徒でなくても大丈夫です
       ただ相性はありますが・・・・・・
  合わない時は
      他のお寺や教会に  すがったらいいだけの事
  いい人もいますから たくさん

息子が亡くなった時
  お寺や教会にずいぶん行きました  悲しみや苦しみを聞いてもらいました
    書かせてもらった藤里町の袴田住職とも
  何通もお手紙を交換してもらいました

たくさんの心の専門家ではないひとたちに お世話になり
   今を生きています

死者へのこころづくし 忘れない事

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西田幾多郎



「人は死んだ者はいかにいっても還らぬから
   諦めよ
 忘れよという
しかし、これが親にとっては耐えがたき苦痛である
 時は全ての傷をいやすというのは  自然の恵みであって
     一方より見れば 人間の不人情である。
何とかして 忘れたくない
  何か記念を残してやりたい
    せめて我が一生だけは思い出してやりたいというのが 親の誠である・・・・・・・
折にふれ物に感じて思い出すのが、せめてもの慰藉である
  死者に対しての心づくしである。
この悲しみは苦痛といえば 誠に苦痛であろう
しかし親はこの苦痛の去る事を欲せぬのである


    

西田幾多郎

OIP (1)

信頼していた良原さんとのメールを印刷した資料がでてきた
その中に
「遺族の悲しみはもちろん遺族のものであり、それは100年も前に西田幾多郎持っていたわけです。西田ほどの哲学者の言葉、あるいはドストエフスキーの言葉がこれまでの遺族へのケアに通念されることなく、田中さんや岡先生の言葉を待たねばならなかったのは痛恨の事なのかもしれないですね。私もその不明を恥じたいと思います」
こんな内容がありましたので検索してみました西田幾多郎を・・・

・我心 深き底あり 喜びも 憂いの波も とどかじと思ふ


我心 深き底あり 喜びも 憂いの波も

とどかじと思ふ

                 西田幾多郎



(わがこころ ふかきそこあり よろこびも うれいの

なみも とどかじとおもう)



意味・・私の心の中には、深い底がある。日々の生活

    の中で、波のように押し寄せて来る、喜びも、

    また憂いも悲しみも、不思議にも決して到達

    しようのない、それらとは無関係な底がある。

    そういう深淵が存在していると、私は思う。



    大正12年の日記に書いた歌であり、1995年

    発行の文化人切手の図案になった西田幾多郎

の歌です。この頃は、夫人が脳溢血で入院し

たり、長男の死、次女の発病など西田幾多郎

    の身辺には不幸なこと、苦痛極まりないこと

が相次いで起きている。絶望的な家庭の状況に

    打ちひしがれてしまうところだが、逆にこの

時期に代表的な哲学論文を次々と発表してい

る。憂いの波、悲しみの波が到達しなかった

ように。



    無心になり、自分は人間ではなく物となり、

    他人となって自分を見つめる。自分を自覚す

    ればするほど喜びや憂い、悲しみが強まる。

    反対に自己の自覚を弱めれば憂いや悲しみも

    弱まる。



    現実には無心になることは困難であり、喜び

    も憂いも波のようにやって来る。憂いや悲しみ

    がやって来なければいいのだか。



    凡人は苦痛を相対的に見て和らげるしかない

    のだろうか。「運鈍根」と唱えるしかないのだ

ろうか。



 注・・我心=無心となった自分の心。

    運鈍根(うんどんこん)=何事においても成功す

     るには天運に恵まれること、ささいなことに

     こだわらず神経が太いこと、根気が強いこと、

     この三つが必要だという意味。



作者・・西田幾多郎=にしだきたろう。1870~1945。

東大選科修了。京大教授。若い時肉親(姉・弟・

娘二人・長男)の死、父の事業の失敗で破産、

妻との離縁 と多くの苦難を味わった。



出典・・岡野弘彦篇「短歌の鑑賞」。    

ボコボコにたたかれている人への心のケア

OIP (6)
岡先生の2009年の講演から抜粋

街中で誰か一人が数人の人から馬乗りになって殴られている、という図を頭に描いてもらいたいのですが、差別による痛み、苦しみというのは、そういうものでしょ。
多くの人から、ポカポカ殴られているわけですよ。
その殴られている、まさにそのときに心のケアをしようとしたら、どうなりますか。
馬乗りになられて、殴られている人のそばによって、「いま、どんなお気持ちですか。
よろしかったら、お聞かせ下さい」と言いますよね。
そしたら、殴られている人は「痛い、苦しい、助けて!」と言いますよ。
そしたら「ああ、痛いのですね。苦しいのですね。
よろしかったら、その痛みについて、もう少しお話してくださいませんか」と。

そしたら、殴られている人はなんて言うでしょうね。

「もう、何いってんだ、助けてくれないんだったら、向こうに行ってくれ!」と、きっと怒るでしょうね。

すると、心のケアをしたいと思っていた人は、
自分は、その人を助けたいと思っていたわけですから、
「向こうに行ってくれ!」なんて、怒鳴られると、意外で、びっくりしてしまう。
「私は助けてあげたいと思っただけなのに、なんで、あの人は私に怒ったんだろう」と、理解できない。

それで、わからないときは、本を読もうということで、心のケアという本を、また読むわけですよ。
すると「回復のプロセス」なんていう理論があってですね、
そこに「怒りの時期」「混乱の時期」というのが、あったりするわけですよ。

「あ、そうか、あの人は、いまは『怒りの時期』なんだ。『混乱の時期』なんだ。だから助けてあげたいという、親切な気持ちだけの私に混乱して怒ったりするんだなあ」という解釈になる。

遺族支援についても同じことが言える
自死遺族は悲しみ以外にもたくさんの法的差別や偏見にさらされる
   でも
 支援のほとんどは「悲しみのケア」のみ

  傾聴だけだと  資格も必要はない
  誰でもできる
 から    簡単・・・・だと 思っているのでしょう

   実は 悲しみのケアが最も難しく できない

自死に追い込まれている人への支援もこれに近い
   


愛しい人への悲しみもまた 大切なもの

OIP (12)

悲しみの勉強
  グリーフケア入門
いや違う・・・
悲しんでいる人を癒す勉強
  グルーフケア入門

なんか納得いかない

死別の悲しみについて学ばなくても
  やさしい感性があれば
   愛する気持ちがあれば 
おばあちゃん おじいちゃん  親戚のおじさんやおばさん
   叔母 叔父 近所のおじいちゃん 知り合いのおじさん
  恩師 恩師の親
生きていると
たくさんの人たちとの死別を経験する

20才まで生きていたら
   父母との死別を経験する人もいる
   祖父母との死別は かなりの人が経験する
父母の親しい人との死別などもある

30才になればどうだろう
  父母との死別も多くなる 祖父母との死別体験はもっと多くなる
 40歳は・・・

  悲しい時の気持ち  反応 
子どもながらに父母が祖父母との別れに泣いていた姿などを見て育つ

 その時 何も感じてこなかったという事なのでしょうか

悲しい時に起きる症状や反応なんて
  教わるものとは思わない
自然に 生きていく中で 体験として覚えていくもの

それとも
 身近な人との死別で悲しい気持ちがわかなかった人が
       悲しみについて学びたいと思うのかな・・・?

他人事の悲しみだから 学びたいのかな・・・・・・・

身近な人との死別で 悲しいと思う感性の薄かった人が
   悲しみについて学び  悲しんでいる人のケアをしたいなんて
      ・・・・・・・・
やさしさの感性の薄い人に
     息子への思いなど話したくもない 私は・・・
   息子との死別からくるこの悲しみ
        悲しみを勉強しなければ 理解できないような鈍い感性の人に触れてほしくない
   同じ体験をした人でさえ
         ふれられない 悲しみもあるのに
        机上論 
   悲しみの経験のない  悲しみを学んで覚えた人が
  どうやって・・しかも  ケアだなんて

自死で一年前に妻を亡くした男性
  グルーフケア研修を受けて 初級コース卒業したという事で
     震災後に ハブセンターというのを立ち上げての会合に支援者として参加してくれた
自己紹介の時 彼は泣きじゃくっていた
    グリーフケアを学び ケアされたと語り  今度は他の人のグリーフをケアしたいという事だった
   その男性が まだまだ 悲しみでいっぱいで
      他者の悲しみを受け止め、ケアできるという専門家というには程遠かった

あれから10年
  その男性は上級コースを卒業し 遺族のケアを目的として  会を仕切っている
     参加する遺族に グリーフケア入門を勧めているらしい
 泣いている遺族がいると
   精神科に行くようにというアドバイスもしながら

悲しみについて学ばなくても
  こころにやさしさがあるだけで 知り合いが悲しい時
        なにをしてどうふるまえばいいのか  わかるはず

息子が逝ったとき職場の若い女性は
  啓翁桜を年末おくってくれた
      お手紙を添えて
同じ階の75歳の女性は
   しばらくたってから  教会に誘ってくれた
     以前の職場で働いた女性は
     他愛もない 手紙を交換してくれた  自死には触れず
田舎の育ての父は
 電話で話をよく聞いてくれた(脳梗塞で不自由だったが)
 もう一人の父は手紙をよくくれた
   夫の兄の嫁さんも
 電話で話を聞いてくれた
   その時 育ての母は少しだけ ボケていた
住職も本当に話を聞いてくれた
   牧師さんも神父さんも
      親身に話を聞いてくれた

誰もグリーフケアは学んではいない

悲しみを乗り越えて
 新たに生きなおすとは思っていない

   悲しみもまた 私の大切なものとして からだの一部として生きている

2013年12月2日 閲覧数1916人 参考数91人  医師の書き込み

OIP (5)
精神科医たちが書き込みする
抗うつ薬番付(私家版)
1)ジェイゾロフト(セルトラリン SSRI)
投与量に応じて「線形的に血中濃度が増加し、消化器などの副作用も比較的でにくく認容性が高い。
通称「まいっかゾロフト」
いろいろなことを気にしなくさす。
基本、真面目な人にしか使ってはいけない。
ややかったるくなる。広く第一選択肢としておすすめできる(ファイザー大喜び)
2)リフレックス/レメロン(ミル田タザピン・NaSSA)
不眠や食思不振などのある「ケースには最初からいろいろ聞いてお得。
ただ飲み始め数日はぬむいので予告すること。
悪夢、たまにはアカシジア様症状などが出る人もいる。
痙攣発作もある。
3)レクサプロ「(エスシタロプラム・SSRI)
お手軽な薬。
多少新毒性(QT延長)に注意かも。
新規の患者さんに使ってみている。
4)サイパンパルタ(デュロキセチン・SSRI)
末梢神経障害や繊維筋痛症・糖尿病性神経障害などの悼みに効く。
高齢男性には使いづらい。
脈が上がる可能性もある。
5)ルジオミール(マプロチリン・NRI)
西の横綱
口渇や体重の増加も多い。
寝る前1回投与でもよくて便利。
寂しい感じのする高齢者に少量から増やしてつかうといい。
6)アモキサン「(アモキサピン・三環系)
東の横綱
パンチのほしい時にぐいぐいと切れ味よく持ち上げる効果もあるが、腰折れする印象。
口渇、便秘も多くみられる。
双極性障害に使うと躁転の危険がある。
まだまだ続く
  抗うつ効果は最強だが
  ドロドロと眠くなり、口渇や排尿障害、便秘・食欲増加・体重増加の副作用も最強
 心毒性に注意
  心毒性で本当に死ぬ場合もある
 
エビリファイについては
季節性のうつ病や双極性障害が疑われる人に。
 調整が難しいクスリ
  アカシジア様症状も高率に出現  使いづらいクスリ
  とあるが  高齢施設などでもよく使われている

    季節性うつ病って・・・・何?
いい加減な適当な病名

 日本海側うつ病(冬に日照時間が少ないかららしい)
   冬は太陽がほとんどでない国は国民全員 うつ病かな?
   北欧うつ病とでもいうのかな。

 副作用は 50以上あるのが精神薬
   腎臓や肝臓・心臓・膵臓・・・
                    早死にする可能性が高くなる
睡眠薬も同じ
   (睡眠導入剤も同様)

生きていれば不安な時もある
   原因のある不安を 
不安障害といってく抗不安薬を処方する医師たち
 原因は解決しないので 続けて飲む
    そのうち 不安となった原因は解決したのに
    不安薬を飲み続けているのが変だとも思わないで 飲んでいる人たち
しんどい時
  一時的に飲んでも
  ずっと飲んではいけない
    それが
原因のある うつ病(症状であって病気ではないけどね)

  永遠に精神病院の住人にならないために

せめて遺族だけでも・・・・

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家族が自死する前は 自死という死に差別的感情を持っていた人たち
 ある日突然 身内が自死
   自分が遺族になる前に 抱いていた自死への忌まわしい感情が消えない人も多い
17年前よりは ブログなどのSNSで遺族だという事を
    発信している人も多くなってきた
         2005年頃は 沈黙の死だった
言われるがままに されるがままに 反論などできるはずもなく
 唯一 過労自死の遺族だけが 声をあげていたに過ぎない

自死遺族になる前に 抱いていた自死への嫌悪感
   周りの人も きっと自分をそう見るだろうという心
絶対に知られたなくない
   嫌われる  恥ずかしい  ・・・・・・仲間外れにされる
・・・・・・・もっとひどいのかな
祟られる 呪い 気味が悪い・・・・

遺族になる前に
  自死遺族に対してそんな気持ちを持っていた人でも
      変われる人もいる
人間は変われる 自分がその気になれば

 しかし  ずっと 自死への差別と偏見を持ったままの遺族もいる

残念としかいいようがない

彼らは死にたくて死んだわけではない
他者が死にたくて死んだと思おうと、身内だけは理解してほしい
   恨めしくおもっていない・・と
遺書を見た人は 彼らのやさしさを感じているはず
   息子は遺書は残さなかったが
遺族から遺書を見せてもらった・・・
ありがとう 幸せだった 幸せになってください
    ごめんなさい 許してください  こんな言葉が多い
自分を追い込んだ人への恨みすら書いていない

「不正経理はできません、ごめんなさい。どうしても不正は無理です、すみません」
と 走り書きをして自死した 会社の経理担当の女性
「精神医療も福祉もなにもかも 助けにならなかった、これ以上迷惑をかけたくないから、自分の身の始末は自分でする、さようなら、ありがとう」とメモ書きして、逝った男性

気味が悪いですか?
苦しくて苦しくて 死に 更に死んでまで大切にされず気味が悪いと言われるって
   あまりにも かわいそう あまりにも ひどい

息子も仕事も頑張った(パワハラ・過重労働)
家庭にも頑張った(・・・・・・・・)その結果 泣いて泣いて泣いて逝ってしまった
 気味が悪いとは思わない  怖くもない
人が亡くなった場所が怖いなら 病院は怖いところ
戦争で。震災で。事故で。どこもかしこも怖いところになる
   自死だけ?怖い?

世間にも 遺族がたくさん潜んでいる
  知られていないだけ
仙台市内で毎年200人以上なくなる
 10年で2000人 息子が逝ってから3400人以上が自死で死んでいる事になる
遺族は5倍と言われる。 息子が逝った2005年から17,000人が仙台市内で遺族になっている
  せめて
遺族になった人だけでも
 自死した人を怖いとか気味が悪いとか祟られるとか思わないで生きてほしい
  そうすることで
 自死への差別や偏見が少しずつ変わるはず

死者への差別は
天に向かって唾を吐くのと同じ
 自分に返ってくる
 自分が自分を蔑むことはしてほしくない
  
 それでなくても 世間には 自死という事への意味のない蔑みがあるのだから
    
そして亡くなった人への哀悼の心は、人として大切な事
 亡くなった人たちがいて
   今を生きているのだから



自殺対策基本法 第九条

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令和元年版 
 自殺対策白書から

「自殺対策基本法」
 最終改正 平成28年法律第11号


(名誉及び生活の平穏への配慮)
 第九条
自殺対策の実施に当たっては、自殺者及び自殺未遂者並びにそれらの者の親族等の名誉及び生活の平穏に十分配慮し、いやしくも不当に侵害する事の無いようにしなければならない

(自殺者の親族等の支援)
第二十一条
国及び地方公共団体は、自殺又は自殺未遂が自殺者又は自殺未遂者の親族に及ぼす深刻な心理的影響が緩和されるよう、当該親族等への適切な支援を行うために必要な施策を講ずるものとする。

「自殺総合対策大綱」
 9
遺された人への支援を充実する取組
1)遺族の自助グループ等の運営支援
2)学校、職場での事後対応の促進
3)遺族等の総合的な支援ニーズに対する情報提供の促進等
4)遺族等に対応する公的機関の職員の資質向上
5)遺児等への支援

自殺総合対策大綱をを定める事は自殺対策基本法の中の第十二条に定められている
政府は、政府が推進すべき自殺対策の指針として、基本的かつ総合的な・・と記されている

しかし
これまで
   基本法の中に存在する第九条
(名誉及び生活の平穏への配慮)
   


大綱には示されていない
   大きな問題です

 基本法の条項の一つがこれまで 無視されてきたということになる

自殺対策の実施に当たっては、
自殺者及び自殺未遂者並びにそれらの者の親族等の名誉及び生活の平穏に十分配慮し、いやしくも不当に侵害する事の無いようにしなければならない


活動して16年が過ぎ
 ようやく 全容が見えてきた

 いのちのある限り
   基本法を守ってくれるように 国に要望を続けようとおもう

社会から抹殺されるかもしれないが、恐れずに書く事にした

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これから書く事は
ご近所に情報が流れるとか
 親戚に情報が流れるとか
  そんな個人的なことではありません。

自死の予防の材料として
 調査機関や研究機関や団体に提供されているという事です。

 誤解しないでください お願いします





警察が遺族に行う事情聴取
 それは
 自死の調査のためではない
犯罪性を疑っての事
 発見者、または遺された者が 何らかの原因で殺害をしたのではないか‥‥と疑い
  事情聴取をする

あくまでも「任意」
遺族には「断る」権利がある

「任意」断ってもいいということを 遺族に警察官は伝えなければならない

しかし  ほとんどの警察官は  遺族に説明をしていないようです

   事情聴取と現場検証と死体検案をしたうえで
  自死という死因に〇がつく

今ある警察庁統計(自死)
 原因別・女性が増えたとか若者が増えた
   とか
  宮城県が○○人
     仙台市が○○人
  健康問題が多いとか  一人暮らしの自死が・・・家族と同居している人の自死が・・・
    10代が・・・・20代が・・・
無職が・・失業が
       1月に多い  2月が増えた・・・
夫婦関係の不和 とか  しつけや叱責  子育ての悩み
   介護疲れ
  
例えば
   宮城県仙台市青葉区
   2022年 1月1日  午後3時   自宅で 縊死
 家族構成 
夫34才警察官 妻30歳主婦 無職 子ども女子7歳 ○○小学校2年生 男子5歳 ○○幼稚園
 持ち家・住宅ローンあり 
死亡の夫の父 ○○才 勤務先○○会社 勤続何年 
     夫の母 ○○才 パート勤務 ○○スーパー勤務
 弟あり ○○才  勤務先
死亡の夫の学歴 年収 等々
 これよりははるかに詳細なデータが 

以前は 国の機関である 自殺対策推進センターや厚労省など限られた機関に、しかも提供範囲を限定していた

現在は
 民間団体にも提供され
   民間団体が 更に他の研究団体にデータを提供し
  委託事業として調査研究が行われている

 自死遺族が知らない間に 自死遺族の情報が 
  調査研究という名のもとに
       提供されている

自死の予防という名目で・・・・・

自死者とその遺族から得た情報は
  許可なく 提供されてはならない

  遺族の事情聴取をするときに 警察は 説明をし 他の機関や団体に提供する旨の承諾を得なければならない

    プライバシーを保護するからという 言い訳だけで
        情報提供の範囲が 広がっているのは
  許されない行為

   こんなことを書くと  遺族が怖がるから 書かないようにと 注意を受けたりもするが
    事実は事実
     怖いような内容を
   漏らされていていいのか・・・・・・・・という事です

  事実を知らなければ
自分が知らないところで
 自分の個人情報が 駄々洩れでも  いいのでしょうか

   自死という事を知られたくない という遺族の心理を利用して
       遺族の個人情報が
          保護されることなく 提供されている事実に 目を背けていいのでしょうか

   犯罪者でさえ 個人情報が保護されるのに・・・

なぜ 自死遺族の個人情報は保護されないのでしょうか

       人権問題です
当時、警察庁が抵抗した
自死遺族の個人情報の範囲を広げての提供を  圧力をかけ
      認めさせた 人たちは
   ・・・・・・・・・・

こんなことを書くと・・・
 社会から抹殺されるかもしれない

    でも こんなやり方を容認してはいけない

自死の予防といいながら
自死者を追い込み 遺族も追い込む社会
  自死の予防対策って
何でしょうか


      

    

2007年宮城県主催のシンポジウムでの講演原稿

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2007年9月5日
宮城県主催のシンポジウムの講演原稿
  たぶん話が飛んだと思うけど・・・


自死・・・どんな事を想像しますか?
漠然とですが、“死ぬ位なら何でもできるのに”“弱い人!苦しみから逃げた人・ひきょう・・・バカだなぁ~死ぬなんて!”と皆さんと同じ・・・否、それ以上に冷やかに批判的でした。我が子が亡くなるまでは・・・幸せでした。幸せな不平不満を言いながら、生きていました。長男は警察官、結婚して孫娘もいました。次男も彼女もいて仕事も順調で・・・主人も健康で公務員で・・・私も働いていて・・・結婚して35年目でした。幸せでした。

 2005年11月16日の夜、電話が鳴るその瞬間まで・・・同じ年の5月、多賀城市で飲酒運転によるRV車の事故、育英高校の生徒が三人亡くなりました。その事故の事故処理係長が息子でした。4月に転任したばかりでした。

 その日休みだった彼は呼び出され・・・それから自宅療養になる10月まで一日も休むことなく、4ヶ月半働くことになったのです。朝早くから夜遅くまで・・・別の事故も重なり続け、仕事が山のように増えたようです。“誰かに少し仕事をやってもらったら・・・?”と言う私に彼は“みんないっぱいいっぱいなんだよ。俺の仕事を回したら、彼らも大変なんだよ、いいよ、俺の仕事なんだから”と何回か言っていました。

 そのうち寝ていてもパトカーの音がすると寝つけなくなり、吐き気がするようになったのです。息子の部下はほとんど年上、上司も彼をかばうことなく・・・階級社会です。9月になり、息子は私たちに言われ、精神科に行き、“田中さん、ここが名前を書く所ですよ、わかりますか?”“読めますか?読んであげましょうか?”と言われ、傷つきました。そして、精神科から心療内科に・・・それから、10月自宅療養・・・

 家族には“なまけ病”のように思われ、ののしられ、叩かれていたようでした。親の私たちは知りませんでした。
亡くなってから、何十通もの、責めのメールを息子の携帯から見つけました。
息子の返事は何十通も“ごめんなさい、すみません、頑張ります、申し訳ないです、もう少し待ってください”そんな内容でした。
最後はひとりぽっちで一週間・・・何も食べず、飲まず・・・
連絡を途絶えて家族に信号を送ったのに・・・無視され、メガネが涙の塩でまっ白になるまで泣き続け
黙って逝ってしまいました。息子は何か悪いことをしたのでしょうか。弱かったのでしょうか・・・ひきょうでしょうか・・・

仕事、人間関係、病院、家族・・・私も含め、ほんの少しの思いやり、人を思う気持ちが少しだけあったなら・・・回りに・・・助かった命だと思うのです。助けられた命です。

やさしい思いやりのあるおまわりさんで彼は働いていられたのです。
私たちは息子の死を恥と思ったことは一度もなく、
私たち生きている人間が彼に申し訳なく・・・彼への懺悔の気持ちを込めて、
私は藍の会を立ち上げ・・・遺族の集いの会と自死予防のサロンをやり続けながら、
やさしい人たちが幸せで生きられる社会をめざして生かさせてもらっています。
皆さん生きてください。そう願っています。息子を助けられなかった母からのお願いです。
どうか生きてください。

チャット相談とは

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チャット相談が増えている
   相談電話がつながりにくいからチャットで・・・
即対応してくれるというイメージがある
SNS相談
  即対応と思う
ところが
なかなか ハードルが高い
メール相談
 承諾事項がたくさんあり まず読むのが大変
   質問が多く
 書き込むのが大変

チャット相談も
質問が多い

なぜ?と思っていたが  疑問は解けた
  厚労省にも掲載されている
チャット相談機関
  テレビなどにも いのちの電話と同じように相談先として知らされる

 そこの代表に質問して聞いた(ヒヤリング)
 まずは
質問をする(問診のようなもの)
機械が行っている(人が質問をしているのではない)
 そしてその質問に答えた内容を
 緊急性があるのか という判断を機械がする(AIというのかな)

緊急性が高い時は 人に機械(AI)が伝える
  そこで初めて人間が登場し
     対応をするという流れ
緊急性が低いと判断された相談は
  早くて1週間後に対応するそうです

チャットをつなぎっぱなしで
    1週間待つ人っているのかな・・・
 一回切ってしまうと また最初からだから
  質問に答えた後
  ひたすら 何もしないで チャットでの返事を待つという事になる
 そのチャット相談とつなぎっぱなしで
   他の機能が使えるのかな‥スマホで・・・・・例えばチャットをしながら 電話とか・・・

メールとかだと送信して返信を待つという事になるが
チャットって
  つないでないと 返信は無理なんじゃないのかな・・・
 メールのように
送信して 切って

 チャットで 返事が来るのかな・・・
来ないと思うんだけど
 
チャット相談で
質問だけされて
  その後に返答がない・・・という事をよく聞くが

そもそも 全ての相談にすぐ対応するという事は想定していない

機械に質問させて 機械が総合的に判断して
  返答しなくていい人
すぐ返答する人と 分ける

返事が 来ない人は 緊急性がないと判断されたということ
 らしい

だから 返事をしない事を 改善しようとは思っていない
ということが
ヒヤリングで理解した
 

今日は栗原・明日は大河原

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今日はこれから栗原市に行く
  クローバーの会という自死遺族の自助グループの開催
   お手伝いしている人が病気になり
昨年から私が栗原に行き開催している
明日は大河原町での「マロニエの会」
   もちろん 私が行く
もうすぐ73歳という事もあって
   県内 数か所に出かけて会の開催をする事がしんどくなってきた
 来年度から
整理しようかと考えている

月曜日は 寺岡小学校の第三者調査委員会
  火曜日は自死遺族等の権利保護研究会のzoom会議
19日の水曜日は差別問題のzoom会合
 20日はサロン
金曜日の21日はみやぎの萩ネットワーク
  22日土曜日は SCPSSのzoom会合
日曜日は
 次男の結婚の食事会
    24日は厚労省の意見締め切り
あ!もう一つ
厚労省の会議の前の説明を受ける日があった
  zoomだけど
  県の補助金の 概算払い請求もあるが
  1月過ぎて今更概算払いしても
全額ではないし
   早くても振り込まれるのが 2月末

清算払いの支払いも
遅くても5月

  しかも 事業報告が3月中旬
 昨年の四月からの支払いは  自腹で支払っている
    ほぼ1年間 自腹での支払い

 補助金事業って  なんだろう

    だから 事業が2月3月に集中するのだと思う
 毎月支払いがある事業は
 補助金ではできない

   資金がないから補助金申請しているのに
      資金がないと補助金事業ができない

   

文科省が定めたいじめの定義に批判的な人たち

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文科省が定めたいじめの定義を否定する人たちがいる
  

単純にいうと受けた側が苦痛を感じたらいじめであるという事
 批判的な人たちの言い分は
   範囲が広すぎて 
     受けた側が苦痛と言えば 何でもかんでもいじめになるのはおかしい
   いじめていると思っていないのに・・・
  いじめだと言われた側の気持ちはどうなるのか・・ともいう

 からかいに過ぎない事を
  大げさにとらえて いじめだという子供がいると・・・

  この考えを持つ人たちが
  行政や教育関係 弁護士 小児科医・精神科医・教育の研究者など・・・・・
    それなりに
      地位のある人達の中にも存在する

  人の・・子供の世界   気持ち に 思いを馳せられない
     人たちが多い
    
 心のやさしい人
   という 意味が理解できない人たち

  おそらく
  心の底に  自死への偏見が根深くある人達なのだろう‥と思う

   人は人を追い込んではいけない
     死に至らしめるような 言葉の暴力はしてはいけない

  言葉の受け止め方は
人それぞれ

   その程度の言葉で‥という権利が誰にあるのか
このの程度でいじめだという
    あなたがおかしいと  どうして他者が決められるのか

  だからこそ
   定義が改訂され  今の定義になったのにもかかわらず
子どもの自死が起きた後の学校や教育委員会
   調査委員会の委員などが
  どうして 個人的な見解で判断するのかわからない

子どもの命が失われていることに
  こころが痛まない人たちとしか思えない

自分の子どもが自死しても
   定義を批判するのだろうか

「誰も   いじめてないのに 私の子どもはいじめだと思っただけなんです」
  と
遺族になっても  いえるのだろうか

     遺族の代理人を何件も受けてきて
       教育委員会 学校  第三者調査委員会
    話を聞いていると
 
子どもの死を 何とも感じていないんだと思う
   所詮
 他人事
      自分の子どもではない

   中には真摯に受け止めてくれる人たちもいるが
     
残念な人たちも多いことも事実
これでは
  いじめや体罰指導が要因の子どもの自死が増えても仕方がない

子どもの命が失われても  言い訳を探して
  反省しない学校や教育委員会 第三者調査委員会 が多いのだから


コロナ下で休会が増えている

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藍の会
自死遺族のわかちあいの会
自死遺族だけで運営
  受付も全て自死遺族

 コロナ下でお休みの会も多くあるが
 藍の会は休まない

藍の会は 私が留守でも開催する

 会場が閉館となれば別だが・・・

2006年7月から毎月開催して 休んだのは 
   東日本大震災の2011年3月末とコロナがまん延しての昨年4月
  アエル28階「エルソーラ仙台」が閉館となった月だけ

茶話会とサロンは
 民間のビルの中の藍の会の事務所なので
  休まない
     私が留守で休むときもあるが
基本は休会はない

   保健所や保健センターが主催の会は
コロナ下での休会がおおい
 また
人数制限で8人とか・・・制限しているところもある

オンラインでの開催もあるが
   オンラインの良さもあるが
デメリットもある

オンラインの良さは  全国…世界から参加できること
   
   しかし
  ネット環境が整ってないとできない
    使う事ができない人は参加できない

  交互にやっている会もあるが・・・
     今後の課題だとおもう

  自死遺族の会って
  コロナ下でも 開催しなければならないような会ではないということなのかな・・・
 あまり
必要ではないという事になるのかな・・・

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九州モモの会


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九州モモの会 「大切な人を自死で亡くしたあなたへ」

開催日 隔月 第1日曜日
時 間 13時00分~15時00分
場 所 中高年齢労働者福祉センター サンライフ久留米
     福岡県久留米市諏訪野町2363-9
     (0942)33-4425

日程等詳細は決まり次第こちらでご案内いたします

内容:フリートーク   ※大切な方を自死で亡くされた方のみの参加です
    
参加費:100円(会場費・お茶菓子代として)

連絡先:jisimomonokai@gmail.com
※疑問、質問等ある方はお手数ですが、メールでご連絡ください。

 九州モモの会は親や恋人・兄弟・子ども等大切な人を自殺でなくした人を中心に、平成22年8月から会を始めています。みなさんと語りあいながら想いをわかちあい、つながり、支えあうことを目的としています。なお、会は2カ月に1回、偶数月の第1日曜日に行う予定です。会はいかなる宗教とも無関係です。つらい思いをしていませんか?今の自分の心、些細なことでも一緒に語り合いましょう。仮名での参加も構いません。個人情報はお聞きしませんので、安心してご参加下さい。

<今まで参加された人>
年齢は20代から60代の男女です。遺族歴は9ヵ月から15年以上等様々です。居住地は、北九州・大分・久留米・大牟田など遠方からの参加もあります。人数は3人から10人位で、兄を亡くした妹・息子を亡くした父親や母親・義母を亡くした嫁・母を亡くした娘など立場は人によって違います。

<参加した方のコメント>
同じ体験をしていても人それぞれに気持ちの整理の仕方が違います。語り合いましょう。(30代女性)
深い悲しみを経験した者同志、心を開ける九州モモの会、とても安心できる場です。(50代男性)