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地元の遺族以外受け入れないという自治体主催の会

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昨日は「藍の会」のわかちあい
  エルソーラ仙台という男女共同参画の施設で開催して16年
最初の2006年はエルパーク仙台(男女共同参画の施設)で開催
  その場所が確保できない時もあり、県民会館の地下の部屋でも開催したこともある
その後は
 仙台駅そばという事もあり交通の便がいいという事や
    にぎやかなイベントのない施設ということもあって
  エルソーラ仙台でずっと開催している

3部屋貸し切りが基本
 でも昨日は別の団体が研修室を使っていたので
 2部屋
   自助グループ申請を毎年行い
   自助グループ登録団体としての使用

ロッカー使用団体としての申請も行い 使用している
 食べ物飲み物以外の資料や消毒液などの必要品は保管

隣の県や遠くからの参加者もある
   自死遺族だからこその事情がある
    
住んでいる地域以外からの参加を認めない行政の会もあるが
   理解できない

 自死遺族は語れない死であるといわれ
    予防の一環としての自死遺族支援が目的とされている
(ポストベンション¥三次予防)
行政が主催の会は、それが目的

  予防だとしたら
  他の地域からの参加も認めるべきである
  他の地域の遺族はどうでもいい・
         極端に言うと死んでもいいという事になる
また
 他の人に語れない
  知られたくない  ご近所には尚更知られたくない
    という
   自死遺族という事情を鑑みたら

 地元の会には参加できない したくない
  という遺族がいるという事になる

地元の会に参加したら
  スタッフの保健師が知り合いだったとか
  ボランティアの人が亡くなった子供の級友のお母さんだったとか

  知人が遺族なのは知っているが
  その遺族に
自分が遺族になったことを知られたくないが
  もしかしたら
地元の会に知人の遺族が参加してるかもしれないとか・・・

色々と事情はある

   母親が参加して会には参加したくないとか・・・

だからこそ
地元の遺族以外の参加を受け付けないというのは
  遺族の行き場所を狭くしている事になり
 予防という目的からずれている

例えば 苦しみや悩みを抱えて
  相談したい人に対して
  地元以外からの相談は受け付けないのだろうか

   地元の遺族が  地元の住民が
 県外や
 他の地域で相談を受け付けてもらい
    助けられているかもしれないのではないかという
  お互い様という意識が欠けている
 それでは
 自死の予防にはならない
   死ぬほど苦しんでいる人の相談を
  県外の人だからという事で
    断るのだろうか・・
もってのほかです

 自分の地域の遺族も他でお世話になっていることを
  想像し
  他の地域の遺族が求めるなら
 自分の地域でも 受け入れることが
    当たり前の事

 受け入れることに何の問題があるのだろう

  問題提起をしていこうと思う

日本という狭い国で
  県外の人は受け入れない
   地元の市民以外は受け付けない
  って
     情けないほど  了見が狭い
  
一貫性がない施策である



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金沢で・・・

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石川県で自死遺族の自助グループの立ち上げを準備している遺族たちがいます
 金沢以内での開催を目指しています。
以前
 自助グループがあったのですが
  10年を機に閉会となり、残念に思っていたのですが
   立ち上げようと考えた遺族がいて
    一緒にやろうという遺族が加わり
 準備をしています。

 自助グループがたちあがるのは
    ありがたい事

自死遺族の皆さん
   悲しいご縁ですが 自助グループに参加してみてください

  同じ苦しみ・同じ悩み・同じ悲しみ
     泣いてばかりの会ではありません
   時には笑う時間も・・・
     笑っていても 同じ悲しみを抱えているとわかるから
          ・・・・・・・泣いている人もいれば
                    笑っている人もいる
       笑っていても
    心の底から笑っていないことがわかりあえる仲間

   お互いの悲しみを尊重し合える同志

  ルールもあります

    クールダウンの時間もあります

  悲しみ以外の 相談もできます
全国自死遺族連絡会は
法律などの専門家のネットワークもあります
  自死遺族等権利保護研究会
全国自死遺族相談センター

  自死遺族だけでの集い
      自助グループ
              立ち上がってくれるのは 心強い
 

コートとマフラーの演出

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昨夜は
  寺岡小学校の母子死亡事案の第三者調査委員会

委員長のはじめますの挨拶までの傍聴
  後は非公開

19時からの開始なので表の玄関はしまっているので
裏窓口で受け付け確認作業
  17時過ぎに委員長と副委員長(教育委員会が選んだ委員)
    が来庁と記載されていた
教育委員会のある13階の会議室で
  教育部長と相談課課長と4人で
   委員会の打ち合わせをしているはず
(私も 第三者調査委員会の委員をしたことがあるのでその流れはわかる)

 19時近くになり 副委員長がコートを着てマフラーまでして
    委員会室に到着
 続いて課長が席につく
   1分くらい間を置き 委員長がやはり厚手のコートを着て
    リックを背負い到着
 すぐに部長が席につく
  委員長と副委員長は
   13階にいたはず
   委員会の会場は12階

  コートやマフラーまでして
  今、外から来たような雰囲気で 会場に入ってくるなんて
     意味がわからない
 

事務局と打ち合わせをしていたことを
  知られたくないための工作だろうけど
   茶番です

委員長と副委員長が教育委員会と綿密な打ち合わせをするのは
   やましい事がなければ
  堂々としていたらいいのに

教育委員会側が選んだ委員は
   公平性を担保し
 学校や教育委員会側の立場に偏っていないというが

そもそも 学校と教育委員会は身内同士
  その教育委員会が選んだ委員は どちら側の目線?
そしてさらに
  委員長と副委員長は教育委員会が選んだ委員
    そしてそして
   毎回1時間半の打ち合わせ会議を
   教育委員会としている

公平とは思えない

遺族は遺族推薦の委員とは接触してはいけない
  とされている
 
どこが
  学校と遺族が対等
なのだろう

圧倒的に 学校側が優位なのです

真実の究明というよりは
 学校は絶対落ち度はないという態度で
 第三者調査委員会に臨んでいる

教え子が亡くなった事への悼みは全く感じられない
  亡くなった子供を「面倒なことをしやがって」と思い
   遺族の事も「第三者調査委員会なんて求めて面倒くさい」と思っている

  人の命が 失われた事への
  人間としての心はない
  それが
学校・教育委員会だとしたら
  おそろしい




思いを馳せる・・

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あるテレビの朝の番組
 20日の放送で月曜日担当のコメンテーターが
   神田沙也加さんの死亡について、親不孝と発言していた。
耳を疑った
   それなりの年の芸能人で常識のある人だと思っていた人だったから
  同じ番組でも
   今日のコメンテーターの女性の人は
  日頃から
的確に知的な発言をする人だと思っていた通りに
    配慮のある 亡き人を悼む、哀悼の意があった

あなたの子供は親不孝だと他者に言われたくない
  子どもが親不孝かどうか決めるのは親ですから
    また
   亡くなった子供を親不孝というなんて
        ひどい人です
  そして
悲しんでいる親に あなたの子供は親不孝というなんて
   ひどい人です
 親が
  あなたの子供は若くして死んで親不孝と言われ
    ありがとうございます、その通りですというとでも思っているのだろうか。

テレビ局には抗議メールをした
電話も。

許せない気持ちでいっぱいだった

   facebookにも書いたら シェアしてくれた人もいて
     多くは心情を理解し、賛同
しかし
  中には 親不孝という事で  予防になるんだという人もいた
   予防のために死んだのではない
 
他者の命を勝手に予防に使わないでほしい
  予防に役立てるかどうかは
  遺族当事者が決める事

悲しみも何もない  幸せな人に
   あなたの子供の命を予防に役立てるべきだと言われたくない
決めるのは親です
他者がいう事ではない

自分の家族ではなくても
   心情に配慮する・・思いやる心は持ちたいと思う

同じ気持ちにはなれないけど
   思いを馳せる気持ちを持ちたいものです

 心療内科に通院していた・・という情報が・・・
 やっぱり・・と

   衝動的に
    本人は死ぬことも知らずに
   ・・・・・・・と思う

本当に
若い人の命が失われていくのは
 残念で悔しい



大綱見直しへの意見書3回目

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自殺総合対策の推進に関する有識者会議(第6回)
「見直しに向けた検討の視点」に関する意見書①
一社)全国自死遺族連絡会 田中幸子
前回会議(令和3年12月6日)において示された資料2「見直しに向けた検討の視
点」について意見を述べます。(各視点は冒頭に、〇として項目を分けているが、以下の
記述では便宜上、その順番に「視点1」「視点2」などとした)
Ⅰ 概略
【総論】視点1<女性の増加>、視点2<子どもの増加>、視点7<自殺報道>への取り
組みを検討するに当たり、特に原調査の正確性・科学性に問題があり、政策に直結させる
ことができないことに留意されたい。このような現状に対し、科学性の高い心理学的剖検
の復活を強く望む。検討の視点として「心理学的剖検を復活・充実するべきか」を加え、
大綱には「心理学的剖検を復活・拡充する」という趣旨を盛り込んでいただきたい。
【各論】
①視点1<女性の増加>は、わずか1年間の変化を問題にしており、5年ごとの大綱作
成に当たっては実態の見極めが必要。そのためには心理学的剖検が必須である。一方で、
昨年でも男性の自死は女性の2倍超であり、性差を問題にするならこの点は看過できな
い。妊産婦の自殺実態を把握し、対策を打つ体制は急務。大綱にはこれらの点を盛り込む
べき。
②視点2<子どもの増加>は、実態把握と解明が十分でない。文科省が責任を持ち、学
校や教委が主体的に調査するべきだ。現状は事実に目を背け、責任回避に終始するケース
が多い。大綱には個別の施策とともに、事実を解明する姿勢の重要性も書き込んでほし
い。
③その他の視点については、後日、別途意見書を提出する。
Ⅱ 趣旨
以下、前記の概略について説明します。
【総論】について
「検討の視点」に挙げられた各論点はいずれも具体的な取り組みを検討しようとするも
ので、その場合、自死者数の推移や性別・年代別・地域別の集計などと並んで、あるいは
それ以上に「原因・動機別」のデータが極めて重要となるのは、論をまちません。
しかし、現状のデータは現実と乖離している可能性(あえて言えば「危険性」)が非常
に大きいと考えられます。このような現実を反映していないデータを基に、次期の自死総
合対策大綱対策の検討が進むことを危惧します。
なぜ現実を反映していない可能性が高いのかといえば、現状で「自殺統計」の原票とな
っている警察庁統計に、多くの欠陥があるからです。警察捜査という限界がある以上、や
むを得ないものであるとしても、対策を立案する者はそれを認識し、その欠陥を補正する
方策を模索するべきだと考えます。
以下、令和2年のデータに基づいて指摘します。
2
令和2年中の自死は、同統計によれば計21,170人でしたが、原因・動機が推定で
きた人は15,551人であり、73%に上ります。この数字は、長年、多くの自死遺族
から相談を受けて、交流し、その実態を見てきた私にとって、驚くべきものです。
統計は動機特定の根拠として、(注)として「遺書等の自殺を裏付ける資料により明ら
かに推定できる…」としています。しかし、明白に「遺書」という形で、遺された人にメ
ッセージを残しているケースはそれほど多くありません。また、遺書があっても、時間が
経過してから発見されることも少なくありません。
さらに、全国自死遺族連絡会として約400通以上の遺書を見てきて、遺書は家族や関
係者への「おわびと感謝」の言葉で占められていることが多いと感じています。本来、
「多くが追い込まれた末の死」(大綱)であるのに、自らを追い込んだ者や組織、社会構
造への恨みつらみは、書かずに逝くのです。
そうすると、「遺書等」のうち動機の特定につながるものは「等」になるわけですが、
「等」の中心は、自他殺を判別するための「捜査」であり、その一環としての遺族や関係
者からの事情聴取によると推定されます(他にはSNS発信、日記等がありうるか)。
従来、申し上げている通り、この捜査・事情聴取には多くの問題があります。
捜査当局が、遺族とともに自死に至った事情(真実)に知ろうという形式・内容になっ
ていません。愛する家族を突然、失った直後の混乱時に、警察官からの質問に答えるとい
う形がほとんどです。連日・長時間に及ぶ“容疑者扱い”のケースすらあります。
こうした聴取では、真の原因・動機を究明することは困難です。遺族にとっては、直後
の混乱時と時間がたった後では、思い起こせる内容も異なります。後になって「もしから
したらあのことが…」と思ったとしても、「動機別」には反映されません。捜査は終わっ
ていますから。
動機別データの信頼性が低いとしたら、そこから打ち出される具体的な対策は、合理性
に欠けた的外れなものにならざるを得ません。
例えば、大綱を検討する本会議の第1回(令和3年11月8日)において、男性俳優の
自死と女性俳優の自死の後に、自死者数が増えたとの分析がありましたが、これは外形
的・図式的なものです。
どのような質・量の報道がなれたのか。一人ひとりの自死者が、どのような新聞記事や
テレビ報道に接して「死のう」と思ったのか。他にどのような要因が重なったのか。そも
そも他のケースでなく、この2人の自死についての報道が、個別の自死(の増加)とどの
ようにつながったのか。科学的な検証が欠如し、その心理的機序に至っては全く明らかで
ありません。
「報道があったから死ぬ」という単純化には強く異議を唱えます。ウェルテル効果を叫
び、報道抑制を求め、結果、「自死」問題にふたをするだけになることを懸念します。
全ての対策と取り組みのために、今こそ心理学的剖検を大綱に記載し、国の施策として
復活させることを望みます。
コロナ禍という大きな社会変動があった以上、実態解明のためには、「広く浅い」社会
学的・疫学的研究と並んで、「狭く深い」心理力動的・個別的研究が必須であることは明
らかです。その社会変動が個別の自死や自死未遂に対して、どのような影響を与えている
のか。それは短期的なものにとどまるのか、長期にわたるのか。対照群調査と合わせて、
3
徹底解明を目指すべきです。
07年の自殺総合対策大綱には「社会的要因を含む自殺の原因・背景、自殺に至る経
過、自殺直前の心理状態等を多角的に把握し、自殺予防のための介入ポイント等を明確化
するため、いわゆる心理学的剖検の手法を用いた遺族等に対する面接調査等を継続的に実
施する」という文言がありました。
心理学的剖検の必要性は消えたのでしょうか。あるいはその科学性が否定されたのでし
ょうか。そうではありません。何の総括もないまま、約10年間で打ち切られたのです。
自死遺族から話を聞くのは、極めてデリケートな仕事です。保秘の体制づくりに加え
て、調査者には高いレベルの技術と並んで、深い倫理性や共感性・人間性も求められま
す。人材育成も含めた体制づくりを急いでください。
【各論】について
①視点1
検討の視点1は「令和2年に増加した女性の自殺について、どのような取り組みが必要
か」と提起しています。
女性の自殺は2011年以来、ほぼ一貫して減り続け、昨年、増加に転じました。過小
評価するつもりはありませんが、この傾向が今年から来年へ、その次の年へと、どうなっ
ていくか、予測することはできません。
わずか1年の統計上の変化によって、5年を期間とする自死総合対策大綱が決定される
とすれば、失当です。少なくとも、現大綱が自死対策を規定してきた過去5年間の実績と
評価に基づくべきです。
このように視点1は、微視的・近視眼的な視野に陥り、「女性の自死」問題を真っ先に
取り上げるという誤りを犯しています。女性が増えたという昨年の統計でもなお、男性の
自死は女性の2倍を超えます。ここに手を打つことは、決定的に重要です。
では、女性の自死はこの5年間、実際問題としてどうだったのか。現状では、警察の調
査に基づく統計しかありません。どんなに統計的手法を凝らして分析しても、もともとの
データの正確性に疑問があることは上述しました。
ここでも【総論】で述べた個別の自死への接近は不可欠です。彼女はなぜ追い込まれ、
自死に至ったのか。追い込んだのは何か。たった一人の事情も分かっていません。心理学
的剖検をおろそかなにしてきたツケが回っています。
また、前回会議におけるヒアリングで、日本産婦人科医会の相良洋子常務理事が、妊産
婦の自殺の実態が正確に把握されていないと報告されました。
まず、正確な実態を捉えるシステム作りが急務です。さらに、妊産婦が抱える問題に関
する専門家や支援者が連携する仕組みを構築してください。国・県・市町村・専門機関・
民間団体など、顔の見える対策のネットワークが必要です。
②視点2
「視点2」<子どもの増加>については、総論で指摘した問題点に加え、さらに深刻に
受け止めるべき実情があります。
前回会議のヒアリングで、新井肇教授は、子どもの遺書は少ないと報告しました。子ど
もは自死に至った原因・動機を語らずに亡くなるケースが多いと推定されます。
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子どもの動機別で、「いじめ等」は下位に属します。教師の指導等に起因するものは、
集計には見当たりません。しかし、第三者調査委員会の調査や裁判で「いじめ等」が要因
の一つと認められるケースは多く、主たる要因と位置づけられることも少なくありませ
ん。
それらは死後、時日が経過しているため、統計に反映されることがないと思われます。
警察の聴取を受けた遺族によれば、わが子の死の直後に「親子の不和、げんかはなかっ
たか?」「兄弟の仲は良かったか?」「進路で悩んでいなかったか?」「学業成績はどう
だったか?」などと聞かれます。
多くの家庭は、親子げんかぐらいはしたことがあるし、学年が進むに連れて進路との兼
ね合いで学業に悩むケースも増えてきます。子育ての仲ではごく普通の出来事です。とこ
ろが、そのように正直に答えると、それが「動機別」にカウントされていくのです。
親にはわが子を救えなかったという強い悔いがあります。「私が悪い」「自分が殺した
ようなもの」と自らを責めることが多く、その混乱した状況下での聞き取りは著しく信憑
性を欠きます。これを確定した事実、データとして扱うことはできません。
文部科学省の統計も問題です。
文科省の示す令和2年「児童生徒の自殺者数に関する基礎資料集」の原因・動機別表
は、出典として「厚生労働省『「自殺の統計:各年の状況」』及び特別集計を基に文部科
学省において作成」と明記しています。学校を所管し、子どもたちに一番近い立場にいる
文科省が独自の集計も分析もせず、厚労省統計を利用しているのです。これが責任ある立
場といえるでしょうか。
こうした結果、この集計にある「いじめ」を理由とする自死の数は、第三者委の調査報
告や裁判で認定されたそれよりも、明らかに過小です。
自治体の教育委員会も、いじめ自死の隠蔽や否定に走り、事実と向き合わない姿勢が顕
著です。その言い分は①いじめはなかった②いじめはあったが、自死の主たる要因でない
③いじめはあったが、自死との因果関係が不明―というものです。最近では、第三者委が
設置されても、自死の複合原因説に立ち、いじめとの因果関係を否定することが主流にな
っています。
そもそも、子どもを伸ばし育むはずの学校生活に関係して自死が起きるということはあ
ってはならないことであり、教育者にとっては最大の敗北ともいえる事態です。それが起
きたのだから、なぜ、どうして子どもが追い込まれたのかを、心理学的剖検も活用しつ
つ、徹底的に調べるべきです。現状はそれとは正反対の対応です。
こうした基本姿勢の転換なくして子どもたちの自死を防ぐことはあり得ず、大綱に書きこむ必要があります。

支援者支援対策の多さに・・・

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第3木曜日の明日16日の自死遺族のサロンはお休みです
 今週の土曜日18日の午後
   宮城県管工事会館9階で 
いじめ・体罰などの問題を考える会合を開きます。
遺族当事者の声
 第三者調査委員会の遺族側推薦の委員を
  務めてくれた人
 それぞれの立場から発言
   関心のある方はご参加お待ちしています。


昨日の研究会のzoom会議で
  支援者支援の話が出た
  国は支援者支援だとしても
    民間も支援者支援では
誰が実践するのか・・・

 遺族のわかちあい・・・
   精神保健福祉センターが主催の会
保健師さんたちがスタッフ
  それは納得
でも
保健師さんがスタッフで
   講師として先生と呼ばれて
      中心となって仕切る人が
 資格のない
   単なるNPOの代表

それを一度ではなく
 会の開催時には必ず招かれ
   仕切っている
 NPOの人たち

   10年以上も・・・・

そのファシリテータとして招かれている民間人は
    NPOとしての肩書を持ち
 保健師という資格を持つ人たちを支援している

民間が行政の専門職を支援している
   行政もまた
民間団体に支援をしてもらっている

   1度や2度はいいけど
     10年以上毎回となると・・・
   どうかな‥と思う
 保健師さんたちは
   専門職という自負をもち
  独立したほうがいいと思う

支援者支援はとても楽ちん

   しかも保健師さんの支援なんて 楽勝
それも
遺族が集う2時間だけ
    
   他にも 研修会の講師だけしているNPO
   直接遺族とは関わらない
でも
ゼロではみっともないので
  元気な少数の遺族とつながっておく

  死ぬほど苦しい遺族とは 接しない

   なんて 楽な活動だろう

先生と呼ばれ
   講師料を頂き
      悲しみでいっぱいの 日の浅い遺族とは直接接しない

その遺族の支援をしている人を支援する

   そんなのばっかり

だから
 遺族の当事者団体が立ち上がってきた

自分たちの事は自分たちで何とかするしかない
    法的問題の解決に必要な時は
  法律の専門家と連携し  つなぎ
   宗教的問題なら
     そこにつなぎ
 遺族と会いたいときは
 遺族とつなぎ

  SNSなども含めて 様々な方法で 
つながりを求めている遺族の要望に応えたいと思ってきた

それは遺族と直接つながる形

   支援者支援・・の意味がよくわからない
それは
遺族支援とは言わない
間接的には遺族支援になるのかもしれないが
   遺族支援ではない

遺族支援ではない
 支援者支援のほうが 補助金も認められやすい
   莫大な補助金もつく

楽ちんな支援者支援活動に全員がシフトしたら
   誰が具体的な支援をするのか
 誰もしない

  直接遺族とかかわるのは
   一人ひとりと向き合う事

      生きるための支援 なんて
かっこいい事を掲げているが
   実際にやっていない
      自死の対策

地面をはいつくばって
    砂や石をどけながら
       遺族が歩きやすいように
   ・・・
そんな支援は
 どこにあるのか・・・

    16年過ぎて
     遺族支援の何が変わったのか

  一部 後退している気がする
 残念です

明日は東京

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明日は東京
泊り
16日に上智大に行きます・・・
  締め切りの資料があり、
    また 一人ひとりの遺族や
遺族以外の人からのLINEやメール 電話
     そしてお手紙
 すぐに対応しないと
  忘れてしまうこともあり
   失礼をしている事が多々・・・

 遺族の行き場所として
    わかちあいの会もあるが
お寺や教会もある
   事前に電話してお願いをすると
多くの寺や教会は
 お話を聞いてくれる

もちろん 手ぶらではなく
   少しのお手土産を持参

それは 普通の事

 敷居が高いと思っている人が多いが
   意外とそうでもない

自分から求めないと
   住職や牧師や神父が 同ですか・・とやってこない
 当然のこと

求めて行動に移す
  そうすれば 機会は与えられる

  私は厚かましく  つながりを求める

断わられて普通と思っている
  から
OKと言われると
    ものすごく感謝
そして信頼する

    なんでも 思うようにならないと思っているけど
 あきらめない事にしている

しつこく 
   あきらめの悪い私

   そうすると 実現できることもある

 いつか  遺族支援の輪に
   地域にある
 寺や教会を入れたい

    活動は
本当に様々な人たちとのつながりと
 たくさんの失礼と
 多くの 許しの中で 続けている

 明日は お久しぶりの人
 初めての人
     とあう

まずは 議員さんと面会
     うまくいくことを願う
お兄ちゃん
  よろしくね

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おこちゃまな世界

OIP (9)
自殺総合対策大綱の見直しについての意見書の作成をしている
 連続して3回目の意見書の提出
 いろんな機関からのヒヤリングも多いので
   委員として口頭での意見を述べる時間が少ない
だからこそ
意見書の提出をしている
  意見書についての説明すら時間がない会議が続くが

  とにかく意見は伝えたい

通らないかもしれないが
  意見は出す
一部の人からは嫌がられているようですが
  嫌われても
意見書は出します。
     OIP (1)

  自死の対策については
    漫画のような世界が存在する
  誰もが信じられないような
     滑稽とも思えるような
          いろんな事が起きる

おこちゃまな人たちが  たくさんいる

    僕が一番
 僕より目立つ奴は あっちへ行け!

 後ろから 押すぞ!

 転ぶように 穴を掘るぞ!
   石ころを置くぞ!
 
僕のいう事が 一番正しい!んだ!!!!
  
  ピンポンダッシュだってやっちゃうよ!

僕の言うようにならない奴らは
 親に言いつけちゃうから
    
  そんな 感じの世界がある

  お笑いだ
 いや
笑うしかない

   こんなことをいう私が
   変な奴と
  吹聴される

  まぁ  しゃ~ないか

 おこちゃまなんだから

現実は小説よりも奇なり
     うそのようなホントの話が
  たくさんある

遺族として生きる事

遺族として生きること
岡先生の書かれた文書からの抜粋

遺族の自助グループは、
遺族として生きようとする人たちが集う
遺族としてどうやって生きるか、
毎日をどうすごすか。
遺族として自分に与えられた人生をどう歩んでいくのか。
同じ遺族どうし集まり、
話し合い、わかちあい、互いの生き方から学び合って自分の生き方を探し出し、身につけていく

 一つの遺族の生き方を、「お手本」のように示すわけではない。


人にはそれぞれの人生があるように、
遺族にもまた、それぞれの人生がある。

仕事を中心にして生きてきた人もいれば、
趣味を楽しみにして生きてきた人もいる。
家族との語らいを何よりも重視してきた人もいるだろう。
遺族になる前から、ひとそれぞれかなり違った人生をおくってきた。

だからこそ遺族になったとたん、みんな似たりよったりの人生になるはずがないのである。

では、遺族としてどう生きていくのか。
決まった生き方があるわけではない
自分と似たような状況にあり、
似たような人生を歩んできた人と出会うことによって、
自分との違いを確認しつつ、
自分なりの生き方をさぐりながら、自分のものとしていく

遺族が心穏やかに遺族であり続けるためには、この社会を変えていく必要がある。
「社会を変えていく」というと大げさなようだが、
ものの考え方を少し変えていくように働きかければいい
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自死遺族として生きてきた
 息子が逝き
   17年を迎えた今も
 自死遺族として生きている
    
 支援者にならない活動
   時々惑う
   息子に問いかける
息子は何も言わない
   でも
   時々 びびっと全身に電流が走る

また 望む人との出会いもある
   ・・・・
   信じていた人の裏切られることもある

   ・・・…その兆候はあるのに
      気づかないふりをし  
ごまかして
   なんとか いい人 信頼できる人
     と
思いたいと
    ・・・・かならず 
    直観が当たっている事を知る時が来る
あぁぁぁ  やっぱり
 そんな気がしていた・・と心で思う

   育ててくれた両親は
  人を裏切らない心底いい人だった

あの人たちのようにはできないけど
     ちょっとは真似たい
なくなった息子の事も
 こころからかわいがってくれた

欲のない人たち

    日々 自死遺族の人たちと出会い
    つながり
離れていく
出会いと別れの連続

年を重ねるという事は
 出会いも別れも  増えていくこと

明日は 息子がお世話になっているお寺さんの檀家さんたちと会う(4人で)
  やさしい いいひとたち
明後日は
   こころやさしい人たちと会食
かなしいご縁の人たち
    ・・・
  出会いに ありがとうという気持ちと
 出会わないほうが幸せな人生
  と思う気持ちと  が
入り混じる
      
    生きていたら・・・・・・・・・
と   今も 思う

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いじめられた子供が精神薬治療を受け、いじめた側は楽しく学校・・?

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自死という問題について
いろんな人たちが
 様々な活動をしている
  一人ひとり・・・
今日、あらためてそう思った
 遺族には遺族のできることがある
遺族にしかできない事もある

 ・・・・・・・ダウンロード (1)

いじめや、虐待などを受けた子どもが
   入院して治療を受けている病院がEテレで放送されていた
んんんんん・・・ん
   精神薬を飲ませて治療をしている様子だった
なぜ・・・?
  いじめや虐待を受けて 傷ついたこころ
     それは
精神薬で治せるものなのだろうか
   精神薬で
心の傷は治療できるのだろうか

張り紙があって
  テンションをおさえるとあった
子どもなのに
   テンションが高くてはダメなんだ・・・と
感じた
    テンションをおさえる薬を長い間飲み続けると
   笑顔は消えていく
同じような一本調子のテンションで
   楽しい時も
  顔がひきつり  笑顔になれなくなると思うと悲しくなった
 あの病院を退院した後の子供たちの生活を見てみたいと思った

    社会で働き 生活できる子供たちが
  どのくらいの割合で いるのだろう  
彼らは
  いじめられ  虐待を受け
 更に
  精神薬を飲まされ
     精神疾患者となり障がい者手帳をもらい
 障がい者年金をもらい
  20歳・30歳と過ごしていくのだろうか

かなしい  暗く気持ちになった

 いじめられて不登校になった子供を
 精神科につなぐというのは
   当たり前になっている

いじめた子供を精神科につなぐのはまだ理解できる
  いじめる子供は
なんらかの不満を抱え
  弱い者いじめをして  ストレスの発散をしているのだから
     そもそも
  弱い者いじめをして楽しいのは
  精神的には異常である

いじめている子供に
  精神薬を飲ませて
     ぼーっとさせるのは まだマシ

どうして
 いじめられた子どもに治療をするのかわからない
最近の公的放送局は
   精神薬を飲ませることを勧める番組が多い

  精神薬というものをきちんと理解していない
   番組関係者が多い気がする

 あの子供たちのうち
  2~3人は
 将来 自死に至る気がした

少なくとも
      健康的には生きられないだろう
  そう感じて
     胸が苦しくなってしまった

無理解な社会の二重の犠牲者

かなしい  とても
     


自死を隠すなら世間を怖がらず、普通に生きる事

R (3)

自死で亡くなった事を誰にも言わず  
家族にすら言わない遺族もいる

 それでも 知られるのではないかと
 恐れている遺族がいる

  自分以外に知らない死因
    自分が言わない限り  バレはしない
 「突然死」という事にしておくのが
   うそをつくには都合がいいと思う
     ある意味で「突然死」なのだから
 
 医師は言わない
   興味もないだろう
   警察官も言わない
興味がない
     葬儀屋も言わない
 興味がない

そもそも
  突然亡くなるなんてよくある

怖い‥恐れ・・・
は 自分の心
   ご近所も知るわけがない
        
どうしてそんなに 怖がるのだろう
  
ご近所が知ったから
  どうなるというのか

 親戚が知ったからどうなるというのか
   
  近所も親戚も 知人も
  誰も何にもしない
   

 息子が逝き
 そんなことは どうでもよかった
  自死であろうが
    何であろうが 息子が死んだ事実で
     他はどうでもよかった
息子を非難する人がいたら
  付き合いをやめるまでの事
         非難したら  私が受けてやる
息子を非難されたくない 絶対に

   近所にも親戚にも 息子は迷惑はかけていない
  ただ 死んだだけ

  亡くなった息子を とやかく言う人がいたら
     そんな人の世話になんて
       死んでもならない
  自死という事を  言いふらす必要はない
  それは病死でも同じ
  隠しているなら
 怖がることはない
怖がって生きていたら
 態度に出る
  もしも 自死という事が家族に知られるとしたら
 それは 自分の態度
   
  しらを切りとおせばいいだけ
うそをつきとおすなら
   演技賞をもらうくらいの嘘をつく事

  怖がったり 恐れたりしてると
 あれ?
  病死じゃないのかな?と勘ぐられたりする

  隠すなら 徹底して隠したらいい
   
そうやって生きている遺族がほとんどなのですから
    それが
日本ですから

    ヤンバルセンニンソウ

明日の会議 頑張るしかない

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明日は厚労省の有識者会議
明後日は
  長年の付き合いの遺族が入所した施設に差し入れに行く
  一人っきりだから
 水曜日はお寺の檀家さんたちと懇談
    木曜日は
       遺族と会う
金曜日は遺族の茶話会と zoom会議
  日曜日は石巻
  14日はzoom会議  15日は東京へ 阿部知子議員と会う
16日は自死遺族のサロン
   17日は厚労省の有識者会議
18日は
 いじめ体罰による自死のフォーラム
  と続き
石川県にも行こうと思っている
     遺族に会いに
活動はいろんな人たちに支えられて
継続している

そして 見返りは求めない
    人の心は変わる
       移り変わる心に 一喜一憂はしない

 何度もひどい事をしても
  何にも思わないのか
  何度も 普通に近寄る人たちもいる

    いじめと同じ
パワハラと同じ

  相手は 何にも思っていなくても
     傷つけられることも多くある
そんなとき
  逝った息子を想う
  いつもかわらず 彼は
    微笑んでいる
時々  苦笑いをしながら
  かぁちゃん
  俺は知ってるよ・・・と

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 有識者会議
自殺総合対策大綱の見直し

  自死遺族支援が不足している
 大綱に掲載されるように意見書の提出をしている
 会議は
   ヒヤリングも多いので
 委員として発言する時間が少ない
    だからこそ
 意見書の提出をしている
何度も・・・
    遺児支援もだが
  遺児支援は遺族支援が充実したら
     ほぼ補える
  明日午前中
  頑張るしかない

 また 例の団体に叩かれるのだろうか
    つぶされない
 絶対に!
 全国自死遺族連絡会をつぶしたい人たちがいる
   長年 いろんなことをされてきた
      でも
  大丈夫 私には息子のいのちが支えだから
  失われた命だから
    二度と戻せないいのちだから
        つぶされることはない
 明日の頑張る
  自死者とその遺族の尊厳を守るために
  利用されないために
    これ以上 傷つけられないために

   

苦手なものの一つ

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「千の風になって」の
  訳詞と作曲した人が亡くなった・・との
    ニュースを目にした
 この歌がというより
  この題名をみるだけで   
     こころがざわざわする私は
  息子が逝った 2005年11月から
    歌手も含めて
  この歌が話題になるたび
      気分が悪くなって・・・・・・吐き気を感じて生きてきた

なぜ
 ここまで 苦手になったのか

   当時 夫の知り合い複数人から
       DVDが送られてきた
 癒されるからという手紙まで添えられて
    訳詞の本も

「千の風になって」 コーナーが作れるほど・・・
 
活動を始めてからも
   自死遺族の人から  一周忌の時に配ったものですと
      この歌のDVDと本が送られてきた

最初の出会いは
  息子を亡くしてまだ間もない頃
     心が癒される歌だからと書かれ手紙とともに
送られてきたDVD
 を聞いた時の衝撃は今も覚えている

次男が「歌詞は 乾燥地帯の埋葬の考え 
    風葬の風習のある地域の歌詞を元にしているんだから
      日本はそんな考えはないから大丈夫、気にしないで!」
と  言ってくれた

お墓にはいない そこにはいない
   風になって飛んで行ってしまった

息子が逝き
   遺品もなく
     手元には息子のお骨だけ

嫁と孫も去り
  嫁の両親と嫁に罵られ
    深く傷ついていた私の心

そんな時に聞いた
  この歌詞と曲は
        混乱させ
    異常なくらいのショックでした
歌詞は
いまでも  吐き気がします

癒しの歌というけど
   遺族全員をいやす歌などあるわけがない

歌は  人それぞれ
   一人ひとり  違う
       だから
この歌が  ある自死遺族の会で(グリーフケア)
   会の最後に歌う歌の一つとだときいたとき(ほかには なだそうそうとさくらさくら)
 歌は
自死遺族の会で遺族に勧めたらいけないと
    支援者たちに訴えたことがある(自死遺族支援の研修の講師にも)
 
歌に癒されるというけど
    逆の場合もある

 作者も歌手も悪くはないのだけど

 送ってくれた人たちも善意なのだと思うが

    17年目を迎えた今も
       震えるほど嫌いになってしまった歌もある

  世間で騒ぐほど 苦手になって行く

   無責任な世間の流行を信じて
      私に送ってくれた 人たちには申し訳ないが
   彼らの事も
  苦手です

  満月とこの歌
        警察官の制服等々
   息子が逝き
   こころがざわざわするモノがたくさん・・・世の中に存在している

  まだ 曲だけのほうがいい
     

癒したい人の卑しさ



OIP (1)


癒したい人の卑しさ 
               岡知史



 いまから書くことは、かなり毒を含んでいる。少なからぬ読者からお叱りを受けるかもしれない。しかし、ここ数日つづけて、それを考えさせられることがあった。福祉にかかわる者の一人として自戒をこめて書いているのだと大目に見ていただきたい。

 それは「癒したい人の卑しさ」ということである。「卑しさ」とは言い過ぎかもしれない。しかし、語呂が良いから、そうしておこう。

 人を癒したいと考えている人がいる。そういう人すべてではないが、そのなかには人として卑しい心持ちをしている人がいるということだ。そういう人たちは自分では気づいていない。人を救いたい、あるいはすでに救っているという自負があるし、またその姿勢が社会的に評価されていると思いこんでいるから、余計にその卑しさが目立ってくる。

 思いつくままに、そういう人の様子を描いてみよう。

 ある人は誰かを癒したいと思っているから、自分よりも弱いと思える人を探している。誰か傷ついている人はいないか、血を流してうずくまっている人はいないかと目を皿のようにして周囲を見回している。

 そして、そういう人を見つけたら、嬉々(きき)として近づく。その前まできたら、心の底からわき上がってくる喜び(人を癒せるという喜び)からくる笑顔を無理にでも消そうとする。この笑顔を消すことは訓練をして学んでいる。結果として、心配そうに眉をひそめた「作り憂(うれ)い顔」が浮かび上がる。普通の人は「作り笑い」しかできないが、こういう人は「憂い顔」さえ作ることができるのである。

 そして「泣いている人」が、そのまま泣いていてくれたら嬉しいし、まして、自分の腕のなかで大声で泣いてくれたら、これに勝るものはない。そのあと「泣くことができてすっきりしました」と言われたら、その脳裏にイエスと荒野に捨てられて泣き叫ぶ人とが出会う絵が重なり、それこそ天にも昇る気持ちになるだろう。「癒し人」の冥利に尽きるというものである。

 しかし、その泣いていると思った人が思いがけなく力強い声で答えたなら、「癒したい人」は戸惑うだろう。彼は「強い人」よりも「弱い人」を求めている。ときには「弱い人」を求めるあまり、人の弱いところを暴(あば)き出し、「ほら、あなたにはこういう弱さがある」と指し示す。それで相手が自分を「弱い」と認めたらそれを喜んで慰め、認めなかったら「強がっている」と非難する。

 彼は癒そうとする相手と自分とは「対等だ」と口では言うものの、慈父あるいは慈母のように一段上から見ているつもりで、本当のところは自分の優位を信じて疑わない。そして一度でも自分が「癒した」と思う相手が、その後どれほど飛躍しても、あれはかつて自分が癒した者だと公言し、その人がいつまでも感謝し、自分の前に頭(こうべ)を垂れることをどこかで期待している。

 言葉と笑顔だけで癒すのは、もともとは宗教者の仕事であったはずだ。そして宗教者は神仏の道具として人を癒していたのであり、それを自分の力とは思っていなかったと思う。それを自分の知識や技術や才能で癒すことができると思うから人品の卑しさが際だってしまう。

 誰かを癒したいと他人(ひと)の涙を探す人に憤(いきどお)っている人は存外、少なくない。苦悩を自らのものとして受けとめている人は誰かに癒されることを待っているわけではない。その耐える姿に敬意を払うことが、まずは求められるのだろう。

第三者調査委員会の設置の権利

OIP (6)

公立の学校の場合
第三者調査委員会は
  学校と密接な関係にある「教育委員会」が設置する
自治体によって対応は大きく違う
  文科省のガイドラインに従い
   できる限り 遺族側に寄り添う姿勢をとるのか・・・
「第三者調査委員会」の設置を遺族が求めた段階で
  遺族を敵とみなし
     対峙の態度をとるのか・・・
  いろんな自治体を見ていると
   県は比較的ガイドラインに従う
政令都市は最悪
    県の指導が入れないから
      他の市町村の教育委員会より やっかい
 
政令指定都市以外は
  どうしても納得いかない時は 県の教育委員会に持ち込める

しかし
  政令指定都市は  どうにもならない

第三者調査委員会の設置は権利です
  遺族が拒否しなければ
 必ず 設置しなければならない
  ( 死亡等の重大事態)

 遺族推薦の委員を入れることができる事を
    遺族は知ってほしい
 人数も交渉できる

  遺族当事者で無理なら
  代理人を立てる事
弁護士でも
  NPO法人でも
  または信頼できる知り合いでも
   誰でも 代理人はできる

 遺族当事者と代理人で
  教育委員会と交渉をしていく

第三者調査委員会に
   精神科医は必要はない

ただし
  亡くなった子供が精神科に通っていた場合
     行政の委員に 精神科医が入るケースが多い
  その時は
  遺族側も それなりの精神科医を推薦したほうがいい

  ・・・第三者調査委員会の日当はメチャクチャ安い
      しかも
   他の委員会よりも はるかに  自宅に持ち帰って読み込む資料が多い
     委員会よりも自宅での作業時間が多くなる
    しかし その時間手当はない
   無報酬

 行政側が推薦した委員には
   委員会が終わった後に
       顧問やほかの委員会の役職や
         研修会の講師等
 様々な 便宜が図られる

    他方
 遺族推薦の委員には
   そんな便宜が図られるわけもない

  ほぼボランティアに近い
だから 頼みにくい
でも
厚かましく 頼むしかない
亡くなった子供のために
                       
第三者調査委員会の
  遺族推薦の委員になってくださる皆さんには
  感謝しかない
   ありがたい事です
 素晴らしい人たちがいます
       良心に従い
     亡き人の悔しさに心を寄せてくださる人達
 被害を受けた子供たちに
   心を寄せてくれる

 遺族の皆さん
  第三者調査委員会の設置は権利です
放棄しないでほしい・・・

   学校は放棄するように仕向けますが
      月日がたっても
  設置の要請はできます

亡きお子さんのために・・・

原因・動機別のデータのありかた

OIP (12)

原因・動機別
*遺書等の自死を裏付ける資料により明らかに推定できる
原因・動機を自死者一人につき3つまで計上可能としているため
原因・動機特定者の原因・動機別の和と原因・動機特定者数(15,551人)とは一致しない

平成30年
 原因・動機別者数
合計21,170人  そのうち 実数は15,551人だと述べている

平成30年の自死者数は20,840人
   遺書等を残して
  その遺書から原因・動機が判別できた数が
    15551人
  74パーセントの自死者が
    原因・動機が分かる遺書等があったということになる

しかも
警察からの事情聴取の時期は
  遺体発見直後がほとんど
      家宅捜査をするけど
  発見できず
    後から遺族が発見するケースもある
また
  時間設定で 死後1日後にメールで遺書が届く事もある

また
  遺書の内容の多くは   感謝のことばや
      謝罪の言葉が多く
   仕事が大変だとか
  パワハラがあったとか
  いじめられていたとか
    借金があったとか  書いていないことも多く
 精神科に通っていたことも
   親族には内緒にしていて
   通院歴のわかるものは廃棄していることも多い

また遺書がないケースが多い気がする
   
 74パーセントの確立で遺書が・・それも
  原因・動機が判別できる内容の遺書があるとは到底思えない

74パーセントが判別できる遺書だというのは
    本当だろうか

また
  「等」が多いというのだろうか

「等」が多いとしたら
  聞き取りだろう
犯罪を疑い  警察官が質問して聞いていく事情聴取

遺体が発見された直後
   最も混乱している遺族が
 泣きながら
   正常な判断ができるのだろうか
 冷静に
   交際を巡る悩み
  とか  仕事の失敗とか
   夫婦関係の不和とか
 親子関係の問題とか
   そこまで
  冷静に応えられるのだろうか

そこに警察の誘導尋問のようなものは介入してないのだろうか
 
混乱時に誘導されたら
  自責の念に襲われている遺族は
  だいたい
そういえば
  夫婦喧嘩をしたとか
 親子喧嘩をしたとか
   勉強が苦手と言っていたとか
つかれていたような気がするとか
   いうのではないだろうか
ある遺族が
 事情聴取で混乱して話したが
   数日後に 違うという事で 警察に取り消してくれるように頼んだが
  できないと断られたという事を話していた
 何度もお願いに行っても  取り合わなかったという事だった

そんな程度の 信ぴょう性に欠ける原因・動機別を
   参考にして
 自死の対策を立てている国と地方自治体
   ピントがずれている

だから 効果が出ない
 減らない 減るはずがない
  基本法と大綱ができて15年が過ぎた
   減らない
しかも
年間莫大な税金が投入されている

 自死遺族支援にも 億という税金が投入されている
 
  どこに使っているのか

    自死遺族の当事者団体には 
    ???????
  支援者天国の日本という国
 貧困も自死も
 支援者支援という支援者天国
  
   

いつか当事者の声が施策に反映されるその日が来ることを信じて

OIP (8)

今日は厚労省からの説明を受けた。 約一時間
 有識者会議への意見書への回答
  書面での回答も頂きましたが・・・・・・・

 私がこだわるのは
  遺族への対応や支援の箇所

SNS相談や電話などの相談についても(遺族も相談するので・・・)
   具体的な自死の予防についても意見はあるが
     ほとんど意見は述べない事にしている
 私は自死の予防の専門家ではないから
    全国自死遺族連絡会もまた自死の予防団体ではないから
 自死遺族等権利保護研究会も自死の予防団体ではない
   基本的に活動の姿勢は
     自死遺族の問題

 しかし なぜか  予防団体からの妨害を受けることが多い
  
国への要望も 自死遺族の問題についてである

 普通の人が
    突然自死遺族になる事で
  自死特有の扱いを受ける事があまりにも多く
     そのことで 余計に  語れなくなり
   世間の目が気になってしまうようになっているから

  なんとか  普通の死のように扱ってほしいと要望しているに過ぎない

事故や病気  突然死 震災死
   などと同じように 検案料も同じにしてほしい
 遺体の扱いも 同じように丁寧に扱ってほしい

  アパートで亡くなっても  同じように扱ってほしい

亡くなり方は違っても
   死は同じ
          せめて 行政や病院などの扱いだけでも同じにしてほしい
  そんな要望をしているだけなのに
 なぜ
     批判されるのかわからない

 厚労省の役人そのものは
    何ら問題はない
その周りにいる
   自死の専門家と自負する人たちや
      その周りで特別な遺族のようにふるまう人たちから
        揚げ足取りをされる
 遺族の不利になるようなことは
   したことがない
 と思う

  亡くなった息子に誓って 遺族をおとしめたことはない

息子が逝き
   自死の問題だけで生きてきた
24時間
 寝ても 夢でも 自死の事だけ
    24時間365日  16年以上
 自死の問題だけを考え
  生きてきた

本もたくさん読んできた
資料としての論文や
   様々な意見の資料など
自死の問題だけに
  限定して生きてきた

 先が見える年齢になり
    自分のやるべきことを絞ろうと思っている
16年前と比べて
   たくさんの素晴らしい専門家たちや
   遺族のつながりができている事は

本当にありがたい

    遺族でなくても
遺族でも
     自死の問題で 金を儲けようとか
        生活費を稼ごうとか
  思う人もいれば

    こころから純粋に 自死の問題にかかわり
       人にやさしい社会にしようと思っている人たちも大勢いる
  
自殺総合対策大綱の見直しについての意見書を
毎回出している
 意見書の提出をする委員は少ない


意見書の提出はするつもりでいる

 反映されないかもしれないが
    遺族の意見は伝えたい…伝え続けたいと思う
   未来に それに気がつく人たちがいて
      反映されるかもしれない

そのためにも  意見書も含めて 形の残る方法で訴え続けようと思っている

    
   

自殺総合対策大綱の見直しに向けた

OIP (1)




自殺総合対策大綱見直しに向けた意見書
 ~自死遺族支援をもう一つの柱に~
               自殺総合対策の推進に関する有識者会議(第5回)
               一社)全国自死遺族連絡会 田中幸子

全国自死遺族連絡会は自死遺族当事者団体として、自死総合対策大綱における自死遺族支援の位置づけは軽く、不十分であり、実情に沿った内容ではないと訴えてきました。
次の大綱では以下の内容を盛り込むよう、あらためて求めます。
Ⅰ 次の大綱への提案事項(概要)
1 大綱の基本理念、基本認識、基本方針のすべてに「自殺が発生した後の対応」とりわけ「遺族への対応・支援」の重要性の認識と実行の必要性を盛り込む
2 遺族の自助グループ支援の必要性・重要性についての認識を明らかにする
3 「情報提供」にとどまらず、遺族への現実的支援がなされるよう具体的内容を書き込む
4 「遺族の自助グループ等の支援」はあくまでも遺族当事者グループの支援が目標であり、周辺にいる支援者・支援団体などを指す「等」の支援は副次的なものあることを明確にする
5 「適切な事後対応」には「心理的ケア」にとどまらず、さまざまなニーズがあるので、まず遺族の声に耳を傾けることを書き込む
6 「総合的な支援ニーズ」の例を書き込み、対応として「情報提供」だけでなく、具体的な解決につなげる道筋や制度的解決の方向性を示す
7 国交省の「人の死の告知に関するガイドライン」を遺族の意見を参酌して見直すことを明記する
8 公的機関の職員の資質向上に向けて、「知識の普及」だけでなく、遺族の体験を聞く研修を実施するなどの具体策を盛り込む

Ⅱ 見直し提案の内容と趣旨(各項の後に<>で現大綱の対応する項目を示した)
■Ⅰ-1について<第1、第2、第3>
自殺対策基本法は、第1条の目的で「自殺対策を総合的に推進して、自殺の防止を図り、あわせて自殺者の親族等の支援の充実を図り」と宣言し、自死遺族の支援充実を明確に打ち出しています。また第2条4項は基本理念として「自殺対策は、自殺の事前予防、自殺発生の危機への対応及び自殺が発生した後または自殺が未遂に終わった後の事後対応の各段階に応じた効果的な施策として実施されなければならない」と述べ、ここでも自死が起きた後の対応の重要性を指摘しています。
これを要するに、自殺対策基本法が、自死を防ぐこと、減らすことと、自死が起きた後の遺族や関係者の支援を対策の2本の柱となると認識していることは明らかです。
ところが、現在の自殺総合対策大綱は、この点の認識が不十分であるか、ほとんど欠如していると評価されても仕方のないものとなっています。
なぜなら、大綱の「第1 自殺総合対策の基本理念」にも、「第2 自殺の現状と自殺総合対策における基本認識」にも、「第3 自殺総合対策の基本方針」にも「遺族」の文字はありません。驚くべきことに「理念」にも「基本認識」にも「基本方針」にも遺族がいない。大綱の策定者には、遺族の姿が見えていないと言わざるを得ません。
大綱で最初に遺族が登場するのは、第4の「当面の重点施策」の「3.自殺総合対策の推進に資する調査研究等を推進する」であり、それも「自殺者や遺族のプライバシーに配慮しつつ、自殺総合対策の推進に資する調査研究等を多角的に実施する」という内容であり、調査研究の対象、材料という位置づけです。
大綱がようやく正面から遺族支援を書き込むのは、「第4 当面の重点施策」の「9.遺された人への支援を充実する」であって、わずかに各論で取り上げるだけです。「申し訳程度」「アリバイ的な対応」と言うほかありません。
「理念」「基本認識」「基本方針」のいずれにも、遺された人への対応・支援を書き込むように求めます。そこでは、自死遺族の苦しみを増幅する最大の要因となっている社会の差別・偏見の除去に、国を含む関係諸機関と社会全体が取り組んでいくという目標を掲げてください。
また、自死者の調査や自死遺族の聴取・支援等により得た情報を、当事者の承諾なしに、別の研究調査等の材料に流用することを禁じてくださるようにお願いします。

  ■Ⅰ-2、3について<第4-9遺された人への支援を充実する>
大綱「第4―9」本文の書きぶりは「自殺により遺された人等に対する迅速な支援を行うとともに、全国どこでも、関連施策を含めた必要な支援情報を得ることができるよう情報提供を推進するなど、支援を充実する。また、遺族の自助グループ等の地域における活動を支援する」としているが、この部分で、その必要性・重要性についての認識を明らかにすることを望みます。
また、例示されている支援は「情報提供」だけですが、遺族が直面する現実を踏まえた書きぶりに改めるよう求めます。
具体的には①自死のあった不動産が事故物件として扱われ法外な賠償請求を受けたり、価値が低落したりする②鉄道における自死に対し高額な賠償請求を受ける③いじめなど学校生活に起因するとみられる自死について、学校や教育委員会の不適切な対応によって真相が隠蔽されたり、2次被害を受けたりする④インターネットへの書き込みなどで差別を受ける―といったケースが続出していることを踏まえ「遺族が巻き込まれる多様な法的、社会的な問題の解決を支援する」といった内容を書き込んでください。

■Ⅰ-4について<第4-9(1)遺族の自助グループ等の運営支援>
標題は「自助グループ等」としていますが、あくまでも遺族当事者グループの支援が目標であり、中心であるはずです。ところが「等」という文言に依拠して、自助グループへの支援を軽視またはサボタージュしている自治体が少なくありません。
知る限りでも「自治体のホームページ・広報などに相談機関として掲載しない」「会場確保のための補助金も出さず、減免もしない」「自死対策の条例策定やイベント企画にも自助グループを参画させない」「自死対策の研修の講師としても自助グループを呼ばず、自助グループに学ぼうとしない」といった対応は、枚挙に暇がありません。
支援の対象は自助グループ以外の「等」ではなく、自助グループそのものであること、現状で「支援団体への支援」が中心となっている自治体や組織には、せめて支援団体と自助グループを同等に扱うように明記してください。

 ■Ⅰ-5について<第4-9(2)学校、職場等での事後対応の促進>
現行の大綱は「その直後の周りの人々に対する心理的ケアが的確に行われるよう(中略)適切な事後対応を促す」としています。これは事後対応の目標を「心理的ケア」に限定するもので、「適切さ」の判断基準も心理的ケアとしてのそれになってしまいます。
しかし、現状は「心理的ケア」以前の、遺族の感情を逆なでするかのような対応が横行しています。お悔やみの言葉より先に「保護者説明会」の開催や「第三者調査委員会」に設置に言及し、これらを開催・設置すれば「マスコミが殺到する」などと言って、「真実を知りたい」という遺族の意向を抑え込もうとするのは、その最悪の例です。
重大事態が起きた時、遺族が権利を行使しないようにするための対応などを学んでいる地域も報告されています。そのためにスクールロイヤー制度が使われているケースもあります。
 未来ある子どもの自死は、遺族にも周囲の人にも大きな打撃を与えます。深刻なショックから立ち直っていくためには、自死に関わる真実を少しでも明らかにして、それと向き合う必要があります。
大綱は「適切な事後対応を促す」方法として「自殺後の職場における対応マニュアルや学校の教職員向けの資料の普及等」を挙げていますが、資料やマニュアルの配布で解決できるとは思えません。
遺族の心情を理解し、少しでも遺族に寄り添った対応が可能となるように、大綱には具体的な方法として「子どもをいじめ自死や指導死で亡くした遺族から当事者から学ぶ研修等を実施する」などと書き込んでください。
職場についても同様で、過労自死やパワハラ・セクハラで自死した人の遺族当事者に学ぶ機会を設けてください。

■Ⅰ-6について<第4-9(3)「遺族等の総合的な支援ニーズに対する情報提供の推進等」の前段>
9(3)は前段で「遺族等が総合的な支援ニーズを持つ可能性があることを踏まえ」とありますが、「総合的な支援ニーズ」の例としては、後段の「心理的瑕疵物件」しか具体例が示されず、どんなニーズがあり得るのかがイメージできません。
また、その「総合的な支援ニーズ」に対応するための支援としては「情報提供の推進」しかなく、具体的な支援につながる方向性が見えません。
そこで、「総合的な支援ニーズ」の具体例として、近親者の自死による深刻なダメージの回復加え▽事故物件の賠償請求▽生命保険の自殺免責▽労災認定をめぐる問題▽医療過誤の存否に関わる問題▽差別戒名▽遺体検案料の負担―などが重複して起こり得ることを、書き加えてください。また、これらについては、具体事例における適切な解決を支援するとともに、制度的・立法論的な解決も目指すべきであることを明記してください。

■Ⅰ-7について<第4-9「遺族等の総合的な支援ニーズに対する情報提供の推進等」の後段>
 9(3)後段の「いわゆる心理的瑕疵物件をめぐる空室損害の請求」の問題については、国交省が今年10月「宅地建物取引業者による人の死の告知に関するガイドライン」を策定しました。しかし、私たち当事者遺族には意見の聞き取りはおろか、策定が進行しているとの知らせさえなく、「ガイドライン(案)」が示されたのを知って、慌ててパブリックコメントを提出した次第です。当事者が「蚊帳の外」とは何らかの差別・偏見が働いたとしか思えません。
大綱のこの部分に厚労省のなすべきこととして明記された「法的問題も含め検討する」という作業はいつ、どのようになされたのでしょうか。
ガイドラインには告知義務の期間を、多くの判例に反して「3年」とするなど、自死遺族に不利益な内容が含まれています。次の大綱では、国交省が策定したガイドラインについて、当事者遺族を置き去りにせず、厚労省を含めた関係者で「見直す」という内容を盛り込んでください。

 ■Ⅰ-8について<第4-9遺族等に対応する公的機関の職員の資質の向上>
現行の大綱は「公的機関で自殺に関連した業務に従事する者に対して、適切な遺族等への対応等に関する知識の普及を促進する」とし、本有識者会議【資料2】「実施状況」には「警察職員が自殺者、自殺者遺族、自殺未遂者等に関係する業務に従事する場合には、自殺者の名誉や自殺者遺族・自殺未遂者等への心情等を不当に傷つける事のないよう、適切な遺族等への対応を実施」と記載されていますが、現状はあまりにも不十分です。
警察庁には2008年から要望書を提出し改善を求めてきましたが、一向に改善されることなく、遺族の要望も取り入れられることもなく、相変わらず遺族を傷つける対応が続いています。
任意であることさえ告げない容疑者扱いのような事情聴取は驚くに当たらず、検案後に素っ裸の状態のまま身元確認させられたり、安置所からの遺体の引き取りをせかされたりするケースも報告されています。せめて地元の複数の葬儀屋のパンフレットでもいいので、遺族に渡してください。
病院では、廊下に裸で放置されたり、浴衣を買うように指示されたり、開いた胸の傷を縫わず、ビニールシートに血が垂れているままで遺族に引き取りをさせたところもあります。
現行の大綱は「知識の普及を促進」とありますが、それでは全く不十分で、こうした「自死遺族の被害体験に耳を傾け」、現実の「事後対応を改善する」と書いてほしいのです。
 これに関連した制度的な問題として、自治体による遺体の検案費用の隔たりの大きさがあります。警察署ごとに担当医師の言い値で決められているように見えます。監察医制度が整っている地域は1,000円、高い地域は所要時間15分でも30万円を請求されたケースがあります。
基準を設け、領収書の発行も義務化して、適正化を図ってください。その旨、大綱に書き込むよう求めます。

生きてと願う

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生きてほしい
   生きていてください

 と 叫んで歩きたい

    私は生きているから 死んだ人の苦しみはわからない

 死ぬのが怖いから
   死にたくない   

   それが人間の本能なのに

なぜ 死ぬことができるのだろう

    特攻隊の人たち  死にたくなかったのに
       ヒロポンなんて飲ませて
    酒など飲ませて
     死への恐怖心を 薄めて
ハイテンションのさせて

  死へと誘った

      天皇万歳と言わせ・・・

自死していく人は
     死が怖くないのだろうか
生きている事が
怖いのだろうか

   人生は短い
あっという間に73歳になった

   いろんなことに 縛られる そこから逃れられない
永遠に
 苦しみが続く
 
この世界に一人・・・という孤独感

   何をやっても うまくいかない

言葉の暴力
 人格否定  

何度も何度も 何十回も

   耳に残る  頭から離れなくなる

いい事もあるのに 見えなくなってしまう
視野狭窄

  一人で考えず・・・
  いや  一人で考えても  書いてみると違う

叫んでみる

今ある 物を捨てる

   どうせ 生まれた時は裸

親の事も 子どもの事も
  伴侶の事も
    友人も   家も 車も金も
何も考えず
 海外に出るのもいい

とにかく 生きてほしい

永遠の命はない
  いつか必ず 死はやってくる

死にたいと思うほど 苦しい時
  誰かに話してほしい

誰かに・・・

人でなくてもいい

耳をすませば
   人でなくても 応えてくれる

神社の木でも
  道端の草花でも

自死は死んで終わりにならない

 遺族の苦しみは生きている限り続く

自死が
  もう一人の家族の自死となる事もある
3人と続くこともある

   生きていてください

いい事なんて何もない

 そう思うけど

 毎日 ご飯を食べている

今日のように寒い日は 暖房をつけている

 エアコン の電気  これを作って送ってくれている人たちがいる
水が飲めるのも
    洋服を着ているのも
誰かのおかげ

   生きてください

いつか来るその日まで・・・生きてください

  世間の目に縛られないで・・・

世間なんて  言いたいことだけ言って
  助けてなんてくれない

倖せになれば 妬み
  苦しんでいる人を見て  大変ね・・というけど
     何もしてくれない

自分が死んで悲しみ苦しむのは
自分を大切に思っている人

   生きていてください

   息子が逝き 17回忌を終えた
今でも
悲しみは続き
  苦しみと共に生きている

息子は こんなにかぁちゃんを悲しませるつもりではなかったと
  思っているはず

でも 失われた命は戻らない

   日本の社会は このままでは
  自死は減らないと思う

   人の目が うるさい  

比べてばかり  
         やさしくない

でも でも 生きていてほしい