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田中幸子のひとりごと ~自死で子供を~

自死遺族として、子供を亡くした親としての思いを綴り、「悲しみは、愛しさとともに」~グリーフ.イズ・ラヴ~…息子への愛を伝えたい。

自死遺族の支援はコツコツと地道に‥

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今日は第三者調査会の答申の中間確認を
   高校生のお子さんを亡くした遺族と一緒に・・・

昨夜は小学校のお子さんを亡くした遺族と
 第三者調査委員会の答申に向けての話し合い

明日は、もう一つの第三者調査委員会が開催される(中学校)

わかちあいの集い「藍の会」もある

  さいたまの第三者調査委員会も気になる

 遺族側推薦の委員は 全員私が推薦しているが
   不登校の第三者調査委員会の委員も推薦している

私自身も第三者調査委員会の委員を務めたこともあり
   内容がわかるだけに
   委員の 依頼をするときは 
       信頼できる人にしかしない

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今日は 遺族からの相談も多かった
  遺族だけど 遺族としての相談ではなく
     精神薬を20年も飲み 遺族としての悲しみから精神科に通い
         今は精神疾患を抱え、何が苦しいのかもわからず苦しみ生きている人からの相談もあった
 時々   
    精神薬によって 完全にうつ病になってしまったり
        パニック障害を抱えるようになったり
 精神科に入退院を繰り返していたり・・・

   家族の死後に  精神科に通い
      苦しいという人からの相談もある・・・が

主治医に相談することだと 思う

苦しみや悲しみを  何とかしてほしいから精神科に行き
  20年間 何ともならず
 悪化し
  主治医には話さず クスリを処方してもらい
     飲みながら
    苦しい話を  聞いて欲しい・・・って  変

苦しみと悲しみを 何とかしてもらいたいから
   精神科に行ったはず
なのに
何のために 診てもらっているのか・・・さえ忘れて

   医師には言わず  あっちこっち 電話して
      苦しい 苦しい という

     不思議

もともと病気ではないんだから
  クスリをやめたらいいのに・と思う
    
 もはや 遺族としての 苦しみや悩みとは関係のないものになっている

    なんだろう・・・・・・・・
 ざんねん   です

  
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心を籠めて

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今日は午後4時から
  東京 プレスセンターで
      マスコミ倫理懇談会の主催で ジャーナリストの皆さんを対象に
         お話をします。
以下がレジュメ
  変更になるかもしれないが・・・・・

  1 自死をどうとらえるか
 *なぜ「自殺」ではなく「自死」という言葉を使うよう求めるのか
資料 関係機関向けの要望書
 *自死はなぜ起きるのか
 *自死への無理解・差別・スティグマ
 *科学的アプローチが足りない
 *自死における支援の在り方
  プリベンション・インターベンション・ポストベンション
2 コロナ感染拡大したにおける自死
 *自死は増えているのか
資料 厚労省のまとめ
 *それはコロナによるとみていいのか
 *ある女子大学生の未遂の例
資料 共同通信配信記事
 *産後うつも悪化?
3報道のありかた
*有名人の自死をどう報じるか
*「ウエルテル効果」をどう見るか
*報道後に自死者数が増えたとして、報道が原因といえるのか
*WHOガイドラインをどう見るか
 
レジュメだけで 原稿はない
   マスコミの人たちに  どのような表現で伝えたら
少しでも 伝わるのか・・・・・
   講演や寄稿や原稿書きの時は いつも悩み
    毎回 反省し 落ち込む
限られた時間内で文字数で
   少しでも 理解を深めてもらう言葉選びを 毎回悩む

資料は事前に配布
他 関係者たちの講演記録・新聞記事・論文等を参照

 昨夜は
「自死遺族等権利保護研究会」のリモート会議
  皆さんのご意見を集めて 次年度の事業に組み込んでいくことで一致
  2月には 文科省に申し入れ書を直に提出予定
研究会のメンバーの弁護士・司法書士の皆さん
   それぞれに  自死遺族のたくさんの困難な事案を引き受けてくれている
他で断わられた案件も含めて・・・・・・・

    できるだけ 全てを法律の専門家任せにしないで
        遺族の気持ちのフォローを・・・と思っている
      遺族自身の力を信じ・・・・て

 


思う事

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 法人にすると税金の問題が出てくる
  夫が税理士なので 無報酬で手続きや 会計の全てを管理してもらっている

 ホームページの管理は(9個?)
    遺族の一人にしてもらっているが
       もう一人の遺族にサポートを依頼した
   
困った時の相談に乗ってくれる遺族もいる(ホームページの)

 全国自死遺族連絡会は
      遺族だけで運営
しかし
総合支援のために
   自死遺族等権利保護研究会も設立
宮城県内にはみやぎの萩ネットワークも作った

 多種多様な専門家とのつながりを持つことが
      活動には必要

僧侶も牧師も・・医師も
  弁護士・社会福祉士・精神保健福祉士・臨床心理士・カウンセラー・カウンセラー
社会保険労務士・
大学の教授・・・マスコミ関係者・・
   ジャーナリスト
出版社関係  通訳者・葬儀屋・介護福祉士
   議員・各種民間団体
行政・・・民生委員・児童委員・保護士・司法書士
    ・・・・・・・たくさんの人たちとのつながりが必要

  遺族のつながりも・・・
   事後承諾で  遺族へのつながりを受けてくれる遺族たち

  会の準備をしてくれる遺族
      
2006年8月から(7月の1回目は、友人がお茶のペットボトルを参加人数の30本差し入れてくれた)
  その後は毎月お茶とコーヒーを差し入れてくれる遺族がいてくれる

ご寄付をしてくれる人もいる
   
  いろんな人たちの支えがあって
 会は継続できている

 無題

 あいまいな喪失という言葉について
  東日本大震災後に急に新聞やテレビで目にするようになった
それは
 津波で流されて 遺体が見つからない遺族の悲しみを表現するために。

 夫と4歳と7歳の子供が流れ、見つかっていない女性にとっては
    かなしみはあいまいではない
 震災という特別な災害での行方不明ということで
  7年後ではなく
    1年で死亡届が受理された
 この女性も
 遺体のないままで指導届を出し葬儀をした
   戦争時代のよう・・・(戦死)
 彼女の悲しみは 遺体が見つかった人よりもあいまいということはない
     しっかりと深く悲しみがある
  こんな人たちが被災地には2千人以上いる

  小さなお子さんが多く見つかっていない
     あいまいな喪失というのは
   あまりにも 失礼な気がする

  被災地でまだ遺体が見つかっていない遺族は このあいまいな喪失という言葉に傷ついている
  少なくとも「つむぎの会」も含めた遺族の会に参加している人たちは傷ついている

  山での遭難 海での遭難
     も 見つからない時が多い
 遺体が見つからなくても
  悲しみは一緒
        むしろ もっと複雑のような気がする

 記者は遺体が見つかっていないのに
  死亡届を出す気持ちってどんなんでしょうかね・・・と聞いてきた
  「自分で殺したような 罪悪感に苛まれた」と話してくれた遺族もいる
なんで遺体が見つからないのに死亡届出すんですかとも聞いた(記者)
 死亡届を出さなければ
   供養はできない  葬儀もできない
     のに・・・わかってないなぁ~と 思った

夫が見つからない人は
死亡届を出す事で 夫の親たちともめることもあるようだ

 まだ見つかっていないのに  死亡届を出すなんて!とののしられることもある
   死亡にならなければ 夫名義の住宅のローンは生きていた時と同じように
    返済が必要
会社からの給料は もちろん  働いて いないんだからもらえない
 母子家庭手当ももらえない

見つかっていなくても
  かなしい 
悲しい気持ちにあいまいはない

  臨床心理士の教授は
12月の講演であいまいな喪失の事を語ってくれたが
   人間の死別の喪失を表現するものではないと発言していた

物質の喪失  物が見つからない時
   無くなったのか どこかにあるのか・わからない時

それなら納得と思った

グリーフケアの喪失は

動物との別れ や 引っ越しでの喪失
   家が壊れたことや流されたこと
車を廃車にした時の喪失
    リフォームして 前の家の面影がなくなった喪失
  転校や転勤
  恋人との別れ  自転車が盗まれた喪失
などなど
   死別の喪失に限らない
様々な喪失のケアがグリーフケア

 愛する人との突然の死
  そこに起きる悲しいという感情

それだけをグリーフというわけではない

だから
震災の行政のチラシには
   グリーフケアというのがあり
家が壊れた
  テレビが流された  転校した
    洋服が流された
車が流された ペットと別れたなどが記載されている

ある支援者の会では
   亡くなった人の写真を持参して飾ることになっていて
     人の写真の横にウサギの写真が並べてあり
  それも 亡くなった人がかわいがっていたウサギではなく
  参加している人がかわいがっていたウサギの写真だったという
 ウサギを亡くした人が参加していた・・・
    という

  話がそれたがあいまいな喪失という言葉への傷つきは
    わたしではなく
 被災地の遺体が見つかっていない遺族の気持ち

 小さなお子さんが2人・3人と見つかっていないお母さんの気持ち
    家族を5人7人と亡くした遺族の気持ち
 あいまいという言葉で
  表現してほしくない・・・と 

 人の心があるなら
   親戚も両親も夫も子供も亡くし
    まだ見つかっていない人に
 あなたの喪失は
遺体が見つかっていないからあいまいですといえないと思う

私自身は傷つくというよりは
   モヤモヤした
 釈然としない  いや~な気分に陥る

   
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セルフヘルプ・グループ ~わかちあい・ときはなち・ひとりだち~

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自助グループの研究者
 岡教授の本
   セルフヘルプグループ
~わかちあい・ときはなち・ひとりだち~というサブタイトル
アメリカのボークマン博士(セルフヘルプグループの世界的権威)
    を日本に招き 講演をして頂いたときにも
  この事をお話しいただきました。

自死遺族の集いは
 卒業をすることが目的

  自助グループを開催し
    主催者である遺族が、遺族として生きていくことをやめるという事で
        自助グループを閉会することがあります。
 
   7年たったからだったり 10年過ぎたからとかだったり
また
  新たな伴侶を得たから・・・とか
  様々です

  生きている人は全員遺族です
(9月のポストベンション・カンファレンスの中で岡先生が自分は父親を亡くしたが遺族という実感はないと話しています)
 が
遺族としての自分で生きていくのか
   遺族という意識はなく
    自分は自分として生きていくのか は その人が決めるもの
 自死遺族も
  自死遺族という意識からの卒業もあります

  自死で家族は亡くなったけど
     そのことにはこだわらず 意識せず
        自死という問題からは遠ざかり 人生を歩みたいという人もいます

 自死遺族の会は
   なくなるべき会です
 自死遺族が誰もいない社会を目指しているのが
       全国自死遺族連絡会です

会を卒業して
   数年ぶりにふらりと顔を出すのもありです
  そんな人もいます

また
会だけがつながりではなく
    個人的につながっている人たちもいます

また
そのつながりも  切れることもあり・・です

 仲良しクラブには してはいけないと思います

  残念ながら  新たに遺族になる人が大勢います
  その人たちも
      違和感なく 参加できる雰囲気を常に作ることが主催者の役目でもあり
        仲良しクラブの雰囲気は  あらたな遺族が
               交われないことになります
   
  来るもの拒まず 去る者追わず
   

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ボークマン博士が横浜で講演した中でこのように話しています

  セルフヘルプ・グループとは
 「セルフヘルプ・グループ」の定義を紹介しようと思います
  これは私一人の考えではなく、アメリカ・カナダなどの研究者が合意している定義です。

グループの前提はまず
共通の病気や悩み、苦しみ、関心を持っている事です
それから
メンバーはグループを自分たちのものとし
自分たちで運営しています。
決して専門家が支配してはいけません。
共通の問題をわかちあいによって変えていく、解決していくのがセルフヘルプ・グループです。
もう一つ大事なことは、自分たちの間で体験的知識を作っていく、
そのことが大事です。
体験的知識は自分たちの生きざまによって
積み上げられていくもので、専門家の知識とは違います。
基本的にセルフヘルプ・グループは無料で行われます。
社会的変化にも意識を高めていき
権利主張の運動や異議申し立てなどの活動もすることもあります。
  ここで、自主的に自発的にグループ運営が行われる点は
非常に重要です。
あくまでも自分たちの価値観に基づいてグループ運営をしていく。
そこではたとえば、
精神分裂病にかかった人々が
自分たちに聞こえてしまう声をどのように聞いていくかを学ぶという事もあります。

自発的にそれは行われる。気持ちをあげる、もらう。という事は
無償の贈り物であって、
金銭を介するものではありません。
また、グループは自分たちで運営していくので、
いつどこで何時間くらい何をどのように話すのかも
自分たちで決めるのです。
このようなグループは
社会の中で目立った存在ではありませんが
異議申し立てをしたり
新しいネットワークを生み出すこともあります。


自分たちの問題を自分たちがどう名付け、考えるか
 自分たちが自分たちの問題解決を他者からつけられた言葉ではなく
自分たちがどのようになづけ、考えるかをやっていく。
ということは
その問題に対する意識にも変化が起きるのです。
新しい自分に対する考え方
新しい視点を発見する。
つまり
自分と自分の抱える問題の関係に対して
新しいみかた
考え方を持つことを「ときはなち」、つまり人間解放を意味する視点と私は名付けています。

まだまだ ありますが・・・・またの機会に書きます。

自死という問題が楽しい人たち

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 自死の予防を目的として・・・
     自殺予防キャラバン  自殺予防キャンペーン
 自殺予防サミット 自殺予防週間  自殺予防のキックオフ
       自殺予防のコンシェルジェ
  よさこい踊りを舞台で踊り
  落語家を呼び
     岸壁の母の演劇と歌と踊り
    尼さんは数珠を持って歌い踊り
        満面の笑みと  喉の奥が見えるほどの大笑い
   講演した人に
       保健師たちや民生委員たちが サインをねだり
         キャーキャー騒ぎ
      控室に押し掛ける
   
なんで 歌や踊りや落語を
   自殺予防のシンポジウムでやるの?と聞いたら
重たい話だから
    リフレッシュしないと・・・いわれた

   そもそもキャラバンやサミット キャンペーンなどと
 騒ぎ立てて行うものではない・・・と 主張してきた

   自死の問題は  いのちが失われるという問題
     楽しくなくてあたりまえ
ルンルン気分で
    自死の問題を取り上げて  何が目的なのか理解に苦しむ

 粛々と 地道に
   でも しっかり  着実に・・・・

 周知の方法も
   日々 あらゆる方法で 実施することが大切

 新聞・テレビ・ラジオ・情報誌・・
自治体も含め ホームページ
    様々なネット
  チラシ・冊子・本・ポスター 
     雑誌や様々な本
 
そして
   人を追い込む仕組み の改善を
     議員などを通して  実現するアプローチ

 その中で最も必要なことは
 教育~~~~~~~
    教育が人を作り社会を作る

 議論できる社会
    話し合いができる社会

 シンポジウムやフォーラム  セミナーなどは
   主催者や支援者のためではなく
そこに参加しているかもしれない
  そのテーマに反応して、藁にもすがる思いの当事者が
    一人でも  少しでも
       光を見つけてくれたら・・・・生きる力を得てもらえたら
   そんな思いで
      会の構成を考えることが大切だと思う

   全国自死遺族連絡会主催のフォーラムは
   歌や踊りや劇はない

   シンポジウムも真面目な内容で一貫してきた

    弁護士や司法書士、精神科医が講師の時は
  必ず 無料相談も受ける

  もちろん  遺族の相談も・・・・・

   また  増えたとか減ったとかも 騒ぐものではない

 しかし  減った!と 新聞に掲載依頼し
    増えたと マスコミに取り上げるように仕向けたり

とにかく  話題性を重要視する  自死の予防団体もあるが
   派手に騒ぐほど
   苦しい人には  よそ事の世界に感じる

    苦しい人には
 別世界のように見える

  ある自死遺族の支援団体の代表は
  一人は会の通信の後記に  自死遺族の人たちのための会の準備は 心楽しい時間と書いていた
もう一人は
ホームページの代表の挨拶として
   自分の人生が豊かになる時間が 自死遺族の会にある
     心が満たされると・・・・

  私の息子は
 彼らの人生を豊かにするために  自死したのではない


    

悲しみもまた私のもの

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「悲しみもまた私のもの」
                       岡知史 エッセイ

 悲しみに沈んだ人がいる。その人を見るにみかねて助けたいという人が現われる。「どんな悲しみがあるか知れないけれども、時が解決してくれるものだよ」とか、「物事は考えようだよ。この美しい青空を見てごらんよ」と言葉をかけて励ますのだが、悲しみに沈んだ人は、いっこうに耳を傾ける様子はない。そして「私の悲しみも私の一部です。私が私の悲しみとむきあってすごしている静かな時間を乱さないでください」と言う。

 悲しみにある人がしばらくそうしていると、今度は「心を癒すことが仕事だ」という人々が現われる。そして、こうすれば悲しみを乗り越えられるという方法を教えようとする。彼らが示すのは「悲しみからの回復」である。どうやらそこには階段があるらしい。彼らが言う通りにすれば、階段を一歩一歩のぼるように、悲しみから回復できるのだという。

 しかし、悲しみにある人は、それは登れるような階段ではないことを知っている。深い穴の中なのか、高い山の頂上のようなところなのかはわからないが、身動きできないことは確かなのである。

 愛する我が子を自死で亡くした親の気持ちは、きっとそのようなものだろうと私は想像している。その悲しみは時が解決してくれるものでもなく、「時がたつにつれて、ますます深まっていく悲しみがある」と、息子を亡くしたお母さんは私に語っていた。

 癒されるうる悲しみがある一方で、どうしても癒されない悲しみがある。一人娘を自死で喪ったお父さんは「私は遺族ケアとか支援とかという言葉は嫌いなのです。(私の悲しみは)ケアされようがない、支援されようがないのです」と語っていた。

 現在、自死遺族ケアの必要性が多くの専門家によって指摘され、法律も行政がそれに取り組むように指示している。しかし、そこには「ケアされようがないほどの深い悲しみがある」という可能性は考えられていない。「どんな悲しみでもケアによって軽減される」と誰かが経験的に証明したとでもいうのだろうか。
 唐突だが、私はここで「障害もまた私の個性である」と身体障害者たちが主張し始めたころの、医療・福祉関係者の戸惑いを思い出すのである。障害者にかかわる「専門家」の使命は「障害を無くすこと。無くせなくても軽減させること」であった。だから「障害も私の一部だ」と障害者たちが言い始めたとき、「専門家」は自らの専門性を否定されたようにも感じたに違いない。

 たしかにリハビリテーションや手術によって軽減され、あるいは無くなる障害もある。しかし、そうでもないものもある。無くならない障害を正面から受け入れ、それがかけがいのない自らの一部として組み入れたとき、社会を大きく動かす障害者運動が始まったのである。

 自死遺族の市民運動も「悲しみは私たちのもの」と高らかに宣言するとき、力強い一歩が始まるのかもしれない。訓練で身につけた技法や頭で覚えた理論など、人間が後で身につけたもので、人生の最も深淵な死の悼みを救えるはずがない。それを認めたいか認めたくないかにかかわらず、ダチョウが空を飛べないように、蝶が水中を泳げないように、遺族ケアはある人々の前には無力であることは否定できないのではないか。生死の根源の苦しみを自ら体験した者だけがもつ威厳に、「専門家」は沈黙するしかない。それを「救える」と考えること自体がおこがましいのだ。

 「障害も個性の一つ」という考えは、社会的に広がっている。それでもリハビリや医療の重要性は誰も疑っていない。両者は共存できるのである。遺族ケアも「悲しみは私たちのもの」という遺族の主張を認め、それを前提としたときにこそ新しい段階に進むのだろう。




いろんな遺族がいる事を教えてもらいながらの活動

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遺族になれない遺族から
 というFAXをいただいたことがあります。

ダムに飛び込んだと思われるケース
 車がダムのそばに・・・
ダムの底の捜索をしたが
    木が絡み合っているので、途中で断念
  遺体の確認ができないかぎり
   遺書があっても 死亡にはならない

 会社は退職となり
    給料はない  住宅ローンがあり 子供もいる
     死亡にはならないので住宅ローンは生命保険で完済しない
7年間は死亡届は出せない

船から飛び降りても 遺体が見つからない場合は 死亡にはならない
  行方不明者

  もちろん 例外はある

その例外の一つが
 東日本大震災などのように 災害時の行方不明者

1年以内で死亡届が提出できる

  遺族もいろんな遺族がいる

難聴のひとや 全く聞こえない人
 目の不自由な人

そのために 手紙やFAX・メールでの交流
   電話での交流も行う

 小さいお子さんがいる遺族のために
   保育室のある場所の確保や保育士を依頼することもある

 労災申請 学校への第三者調査委員会の設置要求
  賃貸アパート(マンション・一軒家、店舗)の賠償金
       債務の整理
   成年後見人   相続  鉄道の賠償金
  
籍の入っていない同居人の自死や
   遊びに来ていた知人の自死
  他にも
  いろんな遺族の事情がある

死後 生活に困る人もいる
  生活保護の申請の手伝いもある

遺族が病気で入院
   手術のたちあいや
 病気の治療の説明に同席することもある

弁護士のところに同行や
   病院に同行もある

家に泊めたこともある

  遺族支援とは 多種多様な問題に応えること

 遺族が必要以上に苦しまないように・・・

  悲しみは その人自身の力・・その人自身の抱え方
     誰も助けられない
  その人が宗教で救われるのか
     医療で救われるのか
また
 複合的に自分なりのその時々の方法を身につけるのか

   わかちあいの会は 自分だけが遺族ではないという事をリアルに感じる場でもある
  暮らしの中で遺族と出会う事は ほとんどない
    自分だけが・・と思う気持ちを
  分かち合いの場に参加して
    こんなにいるんだ・・と 自分だけではないんだと感じることも
        悲しみを抱えて生きていくうえで 大切な作業の一つ

  それがなくても 生きていける遺族はいる

 わかちあいが全てではない

    しかし 必要な人もいる

不特定多数の遺族が参加するわかちあいの会は
   救う会ではない
      癒してもらう場でもない

   支援する場ではない
 相互扶助である

   癒してくれる場と思って参加すると 期待外れとなる

  救ってくれる場でもない
自分自身が気づき 自分自身で選び
  自分自身の力で
    癒されていくこともあり 救われていくこともある

また
相性のいい遺族と出会い
   二人・三人で 会とは別に交流していくこともできる場でもある

会に参加しなければ
  遺族との出会いも皆無ですから

そもそも 一人一人が遺族と公表していなければ
  普通に暮らしていたら
誰が遺族なのか 知るはずがないのですから

  幸せな癒し人に囲まれて
    自分だけが遺族で  
 その人たちに癒されて救われてるという遺族もいると思うけど

   それはその人が満足ならそれでいいとおもう

  でも

いろんな遺族が 自分は遺族だと公表していることで

 自分は  公表していなくても 遺族の気持ちを知ることができ
   
自分だけが遺族ではないと実感できることもあるのではないだろうか

 息子が逝った  2005年当時は 遺族がブログで遺族だと書くこともなく
 会もなく
    新聞にもほとんど掲載されることもなく
      遺族との出会いは
              東京まで でかけて会に参加するしかなかった

 遺族が遺族の活動の批判ができるのは
   ある意味で
選択肢が増えたということ

     を
思う

   まだまだ たくさん やることがある

立ち止まっていられない
 今年年女 72歳

   お兄ちゃん  カアチャン もう少し頑張るね

    

遺族の力を信じて・・・

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自死以外の遺族との出会いも含めて
   遺族とのご縁は5千人以上になる
年々増えていく

  助けられましたというお声もたくさん頂きますが
   助けたとは思っていない

その人自身の力で・・・
   道を見つけただけ
    迷ったとき、見えない時、少しだけお手伝いをしただけ

  いろんな道があり
  選ぶのはその人

遺族が自分の悲しみと向き合う形もそれぞれ
   一人一人違う
会も様々あっていい
 精神科医が主催の会
  臨床心理士が主催の会

保健師が主催の会

 グリーフケアを学んだ人が主催の会

  看護師たちが主催の会

いのちの電話のようなボランティア団体が主催の会

僧侶の会  牧師さんが主催の会

  他にもたくさんの会がある

選ぶのはその人自身

  カウンセリングを受ける人もいる
    
 お金のある人も ない人も
   悲しみは一緒

  若くても年寄りでも  悲しみは一緒
 遠くまで出かけられない人もいる
 介護もあって
    出かけることが不自由な人もいる


だから
 会に参加やカウンセリングを受けなくても

 わかちあいができるように

遺族を紹介してつなぐ  

   2~3人につなぎ
相性のいい遺族とつながれるように・・・する

電話やライン、メールでわかちあうこともできる

会への参加が全てではない

 手紙での交流もある

耳の聞こえない遺族のために
 メールやファックス・・・手紙がある

目の不自由な遺族のために
  電話でのつながりもある

  悲しい心だけではない 問題を抱えている遺族のために

いろんな専門家とのつながりも作る
   信頼できる専門家につなげることも遺族が求めることへの対応の一つ

 どこにもつながらず
  自分の力だけで 生きている遺族もいる

  とにかく
   お元気に生きていてくれたら  と思う

 病気の人もいる
     亡くなる人もいる

   私自身  悟れない凡人だから
     迷う事や 行き届かないこともある

   皆さんに  許してもらいながらの支援活動

  忙しすぎて
     忘れていることもある

    締め切りも忘れていることも多い

 精いっぱい 誠意を籠めて…と思ってはいるが

   思いが至らないこともある

  でも
  その人自身の力を信じている

 繋がるという力があったということを
   信じている

 自死がゼロの社会になることを目指している

    自死が世界一多い国日本

かなしい

雑な人たちには 遺族の悲しみにふれてほしくない

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いつもの事ながらブログに向かう時間を取れずに・・・
  今、電話がおわり
まだお風呂に入っていないけど 少しだけ ひとりごとを・・・

 悲劇のヒロインにはなってはいけない!と思って生きてきた

 亡くなった息子自身が 一番かなしい
  わたしよりも  息子が苦しみ逝った

悲しいけど 
  ご飯も食べて  たまには お酒も飲む

   おいしいと感じることもできる

 100パーセントの 笑いではないけど
  笑うこともできる

笑って話す私を見て
   知らない人は 楽しそうに見えるでしょうね 
幸せな人に見えると思う

    悲しみを知らない人に
   50パーセントの笑顔    30パーセントの笑顔
 が
わかるはずがない

笑顔は笑顔  

 胸のうちなんて わかるはずがない

 私も  他の人の胸の内はわからない

     私の悲しみは私のもの
   誰のものでもない わたしだけのもの

 私にさえ 計り知れない 私の悲しみが 
  誰にわかるというのか・・・・・・・・

 ましてや悲しみを知らない人に
   愛する人を亡くした悲しみが 理解できるはずがない

自分自身  その人自身が
愛する人を亡くした時  初めて 悲しみを理解できるはず

   NHKのEテレからの取材依頼があり
どんな内容なのかを聞いた

東日本大震災の遺族を取り上げたい
   遺体の見つからない遺族の「あいまいな喪失」がテーマだという
内心「ふざけんな!}と思い
 あいまいな喪失って何ですか?と聞いた

遺体を見ていないから
    亡くなったかどうか  判断できない
      だから
悲しみも あいまいで  遺体を見た人とは違う悲しみだという

 何を言ってるのか!と 怒鳴りたい気持ちを抑え

 遺体が発見されようが 見つかっていなかろうが
    亡くなった…事実は事実として受け止めざるを得ない状況で
 死亡届も出して
 葬儀もしていますよ・・・といったら

  遺体がないのに どういう気持ちで 死亡届を出したんですか?と聞いてきた

  生きているかもしれないとおもいつつ 出した人もいるんじゃないですか?とも

   死亡届を出しても
遺体が見つからない人は   悲しみが曖昧なままなんじゃないですか・・と

   遺体が見つからないのは
   震災だけではない

海で働く人たちは
遭難したら  ほぼ見つからない

山の遭難も  火山の爆発も

また行方不明のまま 帰らない人も

   戦争も・・・・・

想像力の低い人たちが 最近は多い気がする

細やかな 心のひだや
心の広さや深さ
   心の色や 明るさ
心の小さなひび割れ
心の厚さ
 熱さ

いろんな角度での心があることに思いを馳せられない人たちが多い気がする

  日本人は細やかな心をもっているといわれ
 日本語がそのよい例
   日本語は
      かなしい・悲しい・・・哀しい  カナシイ  愛しい
  
音読みでのかなしい が 文字の形であらわすと 5種類もある

   そして 一つずつ 意味あいがちがう

前後の言葉で 文字を変える

それが日本語

  日本語のかなしいという事伊庭ですら ピッタリの言葉が 外国語にはない

だから翻訳は 翻訳者によって微妙に違う表現となる

  話がそれたが
 Eてれの記者からの連絡がその後来ない

   また3月に 何とか先生というグリーフケアの専門家を名乗る人が
     あいまいな喪失の著書を片手に
  遺体の見つからない遺族の喪失について語り

    専門家という名に弱い 遺族が3人くらい
 尊敬しています・・助けられています・・というコメントで
    出るのでしょうねEてれに

   自分の悲しみをあいまいといわれて
       助けられましたという遺族・・・・・・・がいるのを見て
  悲しくなってしまう

  遺族の悲しみをあいまいなどという 雑な人に

 悲しみなど語ってほしくない

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留守電


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携帯電話に「留守電」を残してくれた方
 伝言メモの時は、着信履歴が残るのですが
   「留守電」の時は 着信履歴が残らないので かけなおしも、ショートメールもできません。

以前にも「留守電」にメッセージが残っているのに
   電話番号がわからず どうすることもできないことがありました

「留守電」の時は、電話番号を口頭でメッセージを入れていただくと
   かけなおしやショートメールでのお返事ができます
 
「留守電」の時は
 ただいま電波の届かないところにいるか、電源が入っていませんというメッセージが流れると思います
その時は
  電話番号をお伝えいただけたらありがたいです。
また
 伝言メモの時は 呼び出し音が鳴っていて 出れない時ですので
  着信履歴が残りますので
折り返しの電話やショートメールがこちらからできます。



 最近 このブログを見て お電話をくださった方
    お手数ですが、よろしくお願いいたします。

できる限り
 折り返しのお電話を 早くしたいと思いますが
  携帯が2個
固定電話が2個
メールが各ホームページから届き
対応に追われて
遅くなる時もあります
 でも
必ず
お返事はしたいと思っています


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ひとりひとり、違う 

DSC01280[1]

息子が逝き
  生活のすべての時間、自死の事を考えて生きてきた
  息子の事  他の自死の事
   偏見や差別
 支援とは
   予防とは
 自死遺族の問題

伴侶を亡くした遺族
  子供のいない人 1人いる人 5人いる人
まだ小さい子のいる人
   成人した子供のいる人  学生の子供
  障がいを抱えている子供のいる人
   親がいる人 片親の人
 それぞれの伴侶の両親が生きている人
   亡くなっている人
 兄弟のいる人  いない人
  結婚すぐの人
 結婚40年の人

夫や妻を亡くした遺族というだけでも
   たくさんのケースがある
ひとりひとり 違う

子供を亡くした親たちも
 一人一人 違う

兄弟姉妹も・・・

親を亡くした子供のケースも
   それぞれに違う
ひとりひとりに それぞれの事情があり  人生がある

  数千人の自死遺族の相談を受けて思う
いや・・・
願い・・・かな

 愛する人を亡くした悲しい体験をしているからこそ
     人にやさしい気持ちをもってほしい
 自戒を込めて 願う

  人をだましたり
    人を貶めたり
人をさげすんだり
 
感謝を忘れ
   反省をせず
噂を信じ
  恩をあだで返す
生き方
   
その行為に気がつかないでいること・・・・・・
  
私自身が反省と自戒の毎日ですが
    だからこそ
     だまされても 利用されても
 誹謗中傷を受け続けても
    どうして・・・なのかと 問い続けて生きてきた

   活動で 生活費を稼ぐと
      生活費を稼ぐために
   自死で逝った家族を売り物にして
     憐れみを請い
  講師に呼ばれるために忖度をする
 
   全国自死遺族連絡会は 無報酬での活動

  仕事にしている団体とは違い
      見た目の派手さはないが
地道に活動を継続してきたと思っている

 できないことも多いが
    精いっぱい 相談には応じたいと思っている

   法的な専門家たちも仲間にはいる
 
自死の事だけ考えて生きてきた15年…16年
 
  話題も そのことがほとんど
自死に関連する事

 自死をなくしたい
    遺族を増やしたくない
遺族には
  元気で生きてほしい
 
自死をゼロにしたい

そのためには・・・・

   50年・・・いや
100年
    150年

 次世代に~~~~~次々世代に~~~~~

1月1日 

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仙台は雪
お兄ちゃんが逝って16回目の1月1日
  いつもと変わらぬ 日を送る
 
2~3日
  お兄ちゃんの気配を強く感じる
   不思議・・・な 感覚

生きていたら
      49歳
今年50歳
    どんなふうになっていたのかなぁ
    いつまでも34歳のままの彼

ふんわりと のんびりと
   低い声で 照れ笑い
かっこつけの
    やさしい50歳になって・・・
     大好きな肉料理を食べて・・・ん!うまい!と  
 生きていたらなぁ~~~
   
kyuri[1]
 自助グループにとって
  大切な「わかちあい」の時間

自助グループの「わかちあい」は 当事者だけの参加
   自死遺族の自助グループの「わかちあい」は
   自死遺族のみ
同じ苦しみ、同じ悩み、同じ悲しみ
自分たちで運営

セルフヘルプと「相互扶助」

セルフヘルプ(自助)は自分をどのようにコントロールするかということがあります
さらに 相互扶助には助け合いの精神の他に責任も伴うものです
 セルフヘルプと相互扶助はセットであることが大事

「あなただけができる。しかし、あなただけではできない」

自己責任と相互扶助
  自立と相互依存

ひとりでもできるけど
 みんなで一緒に行動する

「分かち合いの輪」から体験的知識は生まれる

ひとりの体験ではなく
様々なたくさんの人々が一緒になって
  それらの人々の体験を つむぎあって生まれる
 体験を確認し合って、積み上げられて 体験的知識は生まれる

それは
 専門的知識に匹敵する

誤解されがちですが
体験的知識は「個人的な体験的知識」ではない

個人的体験的知識も他の人の役に立つでしょうが
  専門的知識に匹敵するかというとそうではない
    個人的過ぎるということ
個人的な「体験的知識」は
 時には危険なことがあり
   その危険性を知っていることが
セルフヘルプグループの「体験的知識」の一部ともいえる

個々人の「体験的知識」ではなく
セルフヘルプグループが集団として、多くの個人の体験をついあげて吟味した
「グループが持つ体験的知識」
が  専門的知識と匹敵する

「愛しい」を「かなしい」という
  自死遺族の自助グループの「かなしい」は「愛しいという考え方である
ことも 体験的知識
 専門家の考える「悲しみ」「悲嘆」と匹敵する
   知識である
そもそも
   グリーフなんて言葉で この気持ちは表現できない
       細やかな表現ができる日本語でさえ 難しい気持ち
 おおざっぱな
   英語で表現などできるわけがない

そもそもグリーフとは「悲嘆」という意味でもない
  「悲しむ症状」をグリーフという

だから
  食欲がない  眠れない
  混乱している  涙が出る・・・など
     注釈がたくさんある

グリーフは「悲嘆」でもなく「悲しみ」でもない
 悲しい時に出る症状
     のこと
グリーフ ・イズ・ラブ も  日本語的英語
  英語圏の人が聞いたら
     ???かも

  グリーフケアとは
  悲しい時に出る症状を ケアする…という意味

 涙があふれる症状をどのようにケアしてくれるのだろう

   胸が痛くて 食べられない時  どのようにケアしてくれるのだろう

立っていられない時  どのようにケアしてくれるのだろうか

   できるわけがない

自分で何とかするしかないのだから
5dc96fe5-7f39-4c2f-8b53-540406b038c3[1]
16年めになるが
   今もかなしい
ごまかし方がうまくなっただけ

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プロフィール

藍たなけん

Author:藍たなけん
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仙台に住んでいます。
青森県津軽生まれ、B型 うお座 
主人と二男と3人暮らし
自死で長男を亡くしてます。
「悲しみは愛」「悲しみは愛しさと共に」「悲しみは私の体の一部」「悲しみを奪わないで」「悲しみを消そうとしないで」などを広めています。

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