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世間という目を気にして
生きている人は多い
大多数は世間の目を気にしている
でも
世間ほど無責任なものはない
「エール」という朝ドラ
戦争中は戦争に反対する事を戦犯とののしり
戦争に協力した人をほめたたえ
戦後は
戦争に協力した人たちをののしり
村八分のようにした
私は養女で一人娘
大きな農家の跡取りだった
その跡取りという責任を放棄し
叔父に跡取りの権利を譲り結婚
結婚した時もその後も
親戚も含めて実家のある世間は
今に金や財産が惜しくなる
と散々言った
でも
私は両親が亡くなった時、遺産の放棄をして
義兄となった叔父とは もめたことはない
結婚後も
お金がなければ働いて稼ぐという思いを貫き
働いてきた
公務員宿舎の奥様たちから
パートで働くなんて・・・
と散々陰口をたたかれた
その時も思った
生活が苦しいといっても誰も1円だってめぐんではくれない
世間の目を気にして 働かず
借金して 見栄を張って
奥様達とのランチをしても
無責任な世間の公務員宿舎の奥様達は
すごわね~などとは言わない
また陰口を言うだけ
自死も同じ
遺族に不幸が続くと
「自死した家だから」という
普通に暮らしているだけで
「亡くなった人が守ってくれているんですね」という
無責任なもの
それが世間という目
みんながこうしているから 私も・・・・という考えは小さいころからしたことがあまりない
それは
私が養女で
世間の人たちが世話になっている
私の育ての親たちのいるところでは
世間の人たちは私を誉め
両親がいないところでは
私に聞こえるように「血のつながりは 濃いよね 似てきたね…ほんとの親に」
「どんなに 一生懸命育てても、血がつながっていない子供はね」
と
いつも 言っていた世間の人たち
友達優先でランクを下げて 高校に入った私の事を
世間は
「あそこの娘は 育ての親がわがままに育てたから
勉強もできないのに やっと あの高校に入れてもらった」
「○○さんのところの娘さんは
勉強ができてもっとランクの上の高校に行けるのに 親孝行でなるべく近い高校に入ったいい娘だね」
と・・・・
同じ高校に入ったのに
そういわれていた
ふざけんな!とその時も思った
そのほめたたえられた娘は
そこの高校が精いっぱいの成績だったことは
中学の同級生の私がよく知っている
しかし
真実なんて何にもわからないのに
ほんとのように 世間はうわさを広げていた
男女関係なく友人がたくさんいた私は
みだらな交友関係の多い どうにもならない不良といわれた
普通に勉強や部活を楽しんでいただけ
服装も普通
それでも
世間は 男と歩いているだけで
みだらと・・・・
よくもまぁ こんなにも無責任なことが 次から次へと
話が広がるものだと・・・・
狭い地域の中で感じて生きてきた
だから
自然と 自分で価値を決め自分で判断をして
生きてきた
責任ももちろん自分にあると・・・
うまくいくときも失敗も
自分が選んだ生き方
責任は自分
息子の自死
世間の目はどうでもよかった
私が…私たち家族が健一の死が悲しいだけ
苦しいだけ
なくなり方が自死でも
病気でも事故でも
とにかく 死んだという事実だけで いっぱいだった
世間がどう思おうが関係ない
世間は息子の死を悲しんではくれないから
ずっと悲しいのは 家族だけだと知っていたから
どうせ
また いいかげんな噂を流して
すぐ 忘れてしまうだけだから‥世間は・と
だから
自死を隠すという選択は 一ミリもなかった
息子の自死を
蔑む知人がいたら 親戚がいたら
付き合わないだけだから・・・
有名な人だから
大学の教授だから
医師だから
すべてが正しいとは思わない
自分の価値観で判断し
違うと思うことは 私は違うと思うと意見を言うことにしている
行政に対しても同じ
自死の対策についても
遺族支援についても
自分の意見を言ってきた
世間という目を気にして
生きている人が日本人は多いが
私は大局に身を任せ
昨日まで世間が白というから 白
今日は世間が黒というから黒
という のは
無責任の中で生きている気がしてならない
自分で考え
自分で判断し 自分で決める
責任も自分にある
そんな自分で 生きていきたい
亡くなった息子も
警察官の二次試験の面接のとき
背広をきなかった・・ひとりだけ
そんな息子を誇りに思っている
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