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自戒を込めて




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かなしみと共に生きていく
       どう生きるのか・・・
 悲しいご縁での気づきを
    つながった遺族からもらい
   やさいい人がやさしいままで生きられる社会とは・・・
      をいつも考えています
 
予防をしている人や
支援をしている人たちには厳しく意見を述べてきました
田中は怖いという声も
  聞いたりします 
直接言われた事もあります

   田中が遺族の悪口を言っているとか
     「あなたの事を田中が悪口を言ってるよ」という人がいるそうですが
 亡き息子に誓って断言します。
  悪口を言うほど親しい人はいません
   悪口を言うほどの時間もありません
 基本的に
お茶飲み話は好きではありません
誰かと活動と関係なくお茶をする事もランチもありません
24時間365日
自死の問題だけで生きてきました
国の対策は14年前から当事者に寄り添った内容ではありませんでした
 活動をしてから
 自死遺族支援の内容との闘いです


ハッキリと言う私を
  嫌いだという遺族はいるかと思いますし
    裏切られた事もたくさんありますが
私から裏切ったことはないと思っています

      支援者には厳しい事を言います
  特に自殺ビジネスをしている人たちには
     厳しい意見をいいます
  人の死で有名になり 金儲けしている奴らは嫌いです

  また自分の家族の死を生活の糧として稼いでいるのも嫌いです

   ただ 嫌いと悪口は違うと思います

 電話も相談電話がほとんど
   私的な電話はしません
 私的な事を言っている時間がもったいない

 やること やらなければならない事
 が  山のようにあります

能力がついていかず 実現できていません
 が
諦めてはいません

  いじめの自死の問題
  賃貸物件の賠償金の問題
 生命保険の問題
労災の問題
                精神医療の問題
       ・・・・・・・・・・・・・・
対策や支援の問題点
・・・・・・・・
 連絡や企画
     資料作成から印刷
会場の確保 
  委員の依頼 講師の依頼
  会の開催
    相談
メール
手紙   ・・・・・・・・

補助金の申請 報告書の作成
 印刷所への手配
チラシや冊子の送付の作業
 送り状の作成と印刷
 全国自死遺族連絡会は 
 職員はいませんので 全て無報酬での活動
事務員がいるわけではありません
   お手伝いをしてくれている遺族が多数いることで
     活動が成立しています
 遺族以外にも
   様々な手伝いをしてくれる人たちもいます
たくさんの無報酬でのお手伝いに支えられています
  ありがたい事です

 噂話をする時間は1分もないです

 息子のお墓のあるお寺のお手伝いもしています。
  最近はお寺の会館のお掃除もするようにしています
 秋彼岸・春彼岸・檀信徒の花見会・檀信徒の芋煮会(準備からなので二日間)
 お盆回向のお手伝い
 息子の誕生日・命日・正月参り・・・掃除
   年に12回以上はお寺に~~~
  会の開催も月に8~12回
  
  遺族の代表の悪口を思う時間もありません
    また悲しみでいっぱいの遺族とのつながりは
  一人では無理なほどたくさんあり
    他の遺族に 助けてもらっています

   私を貶めたい人もいるのでしょうが
   そんな時間の使い方ではなく
  亡き人のまなざしを感じて
  亡き人に 見放されないように
      残りの時間を使いませんか?

自戒を込めて

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第12回全国自死遺族フォーラム 宇都宮無事に終わりました



第12回 全国自死遺族フォーラム 宇都宮
 9月14日に開催しました

青森や秋田・鳥取等 遠くからご参加頂きましたこと
    ありがとうございました
また栃木の遺族もつながりました、お手伝い頂いたたくさんの皆さまに感謝です。
 まだ日の浅い遺族の参加も多くあり
    つながれる場所である事を求めてくれている遺族のためにも    
        継続していこうと思いました。
  岡先生の講演も
いつもと同じように やさしい 心のあるお話でした
動画にしてアップしてあります
一社)全国自死遺族連絡会のホームページに掲載しています

  来年は9月第2の金曜日と土曜日に二日間
 東京で開催です
   フォーラムは第2土曜日の午後です
今から一年後ですが 予定して頂けたらと願っています


 

学校に普通の常識的対応をしてもらえたら死ななかったいのちがたくさんある

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寺岡小学校の事案
  小学2年生の女子児童が同じ学年の児童3人と集団登校をしていた
(そもそも集団登校の班分けの時は、低学年と高学年の児童を組み合わせて、班長を決め、問題が起きた時は学校の報告し、班の組み直しも行いながら、犯罪他事故にあわないように途中途中には、保護者を含めた地域の大人たちが見守りをして登下校をするもの)
この学校は 学校が決めるのではなく、自主的になんとなく班が決められていた
     だからこそ
同じ学年の児童3人という
  仲間外れになるパターンの 最悪の班を容認していた
(教育者がみたら 即、改善されなければ仲間外れとなる集団登校である)
しかも
 学校までの距離が1600メートル以上ある

 横断歩道を渡らず 道路を渡ろうとした子を注意したら
朝顔の支柱で叩こうと追いかけてきた

  それがきっかけ

それ以前にも  小さな仲間外れや意地悪はあったようだ

しかし
 支柱で追いかけられた事はこの女児には恐怖となった

   そこで 両親が学校に相談に行った

まだ小さい子供だから
 保護者同席での話合いが普通である  が
  学校は
握手会をさせた
 2人の子どもと1人の子どもを集めて
  教師が数人
「はい!なかなおりしようね・・」と・・・

 大人である教師が 小学2年生3人に
  理由も聞かず 握手をすれば 仲良くなると考えるなんて
     アホ!としかいいようがない

丁寧さがない
   
   相手側にも言い分があるでしょうから
  保護者と子供と一緒に話を聞き
     こちら側の話も聞き

班を組み替えるとか
療法の言い分を聞き
  保護者も交えての和解の場を設けるのが普通

普通の対応をしたら
   それで終わっていた

がしかし

学校は子供だけでの握手会で一件落着と結論付け

握手会後に 教師への不信感もあり
  学校に行けなくなった子どもに対して
   「もう終わった事なのに」と・・・・・
その後の保護者からの相談には
 真剣に取り合わず
   モンスターペアレンツのように扱っていたふしがある

その後の相談の記録が学校に残されていないのがその証拠
普通なら
  ファイルにして一連の相談記録があるはず

メモもないということは
 真剣に相談に行っていた保護者の気持ちとは裏腹に
    相手にもしていなかったという事になる

お母さんは
忙しい校長を思い
 相談時には簡潔に済むように
  レジュメのような用紙を作り 校長に提出し
   (自分用と校長用)
 その用紙に話し合いを射た内容のメモをしていた
だから
たくさんの 資料が残されている

 8月に校長から返してもらった 校長に渡していた資料もある
それには校長のメモ書きも残されている

::::::::
折立中学校の調査委員会が終わったので
  調査委員会の委員としての立場はなくなった

  調査委員会の委員として約2年間は
    調査委員会というものを目の当たりにし、たくさん学んだ
      教育委員会や学校 校長会というものもよくわかった
常任の委員というものも理解できた
 
内閣府や厚労省・宮城県や仙台市の他の委員会の委員もやらせてもらっているが
   調査委員会はまた独特である
特に仙台市は・・・・
:::::::
 今日は藍色のこころサロン
  途中から 亘理町の中学校の打ち合わせ
午後5時から
間に合えば 県立工業高校の調査委員会の傍聴

:::::
 寺岡小については
  遺族の代理人として
 引き続き 発信したいとおもっています

 

自殺対策の総合的かつ効果的な実施に資するための調査研究及びその成果の活用等の推進に関する法律


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寄稿した記事

2005年秋に警察官の息子が自死で逝き、翌年、自死遺族の自助グループを立ち上げました。
以来、自死をなくし、自死遺族への偏見や差別をなくすために闘ってきました。
 13年そうしてきて、ようやく当事者の声が政治や行政に届くようになってきたと思っていましたが、
そうではなかったことに愕然としています。
 今年6月に
「自殺対策の総合的かつ効果的な実施に資するための調査研究及びその成果の活用等の推進に関する法律」が制定されました。
内容は一般社団法人または一般財団法人を全国唯一の「指定調査研究法人」(以下「指定法人」)として、自死対策の調査研究や対策の推進・評価・援助などを委ねるというものです。

 そんな動きがあるとは全く知りませんでした。
後で調べて、全国紙1紙だけが3月に報じていたことを知りましたが、
それとても、見出しは「自殺対策で地域支援組織/労働・福祉問題も助言/超党派議連が新法案」というもの。一民間団体に対策のほぼすべてを委ねるとは受け取れません。

 長く自死対策の中心となってきたのは、自殺予防総合対策センター(CSP)でした。
それを改組して自殺総合対策推進センター(JSSC)
になったのは2016年春(名前が紛らわしいですが、前の組織から「予防」がとれ「推進」の2文字が入っています)。
 どちらも国立研究開発法人の「国立精神・神経医療研究センター」の中に置かれた公共性の高い組織です。

 前の組織、CSPでは不十分だからといってJSSCに改組したのですから、
軌道に乗っているとばかり思っていたのです。
ところが、わずか3年で体制を変更し、民間団体を指定法人にして根幹の仕事を移すという。理解に苦しみます。どこにも公開されていませんが、JSSCの仕事に対する評価はどうなっているのでしょう。

 もっと理解に苦しむのは、この法律の第12条。大事なので引用します。
 「第12条 国および地方公共団体は、指定調査研究等法人に対して、調査研究等業務の適確な実施に必要な情報の提供その他の必要な配慮をするものとする」

 その民間団体の業務のために、自死者と自死遺族と自死未遂者の詳細な情報が提供されることになります。第7条に「秘密保持義務」が定められ、第15条に違反への罰則もあります。立法者は、だから「安心せよ」「心配しすぎだ」と言うのでしょうか。
 秘密保持義務と違反への罰則は逆に、刑事罰を持ち出さなければならないほどセンシティブな個人情報を、この民間団体が扱うことを示しています。

 何度でも強調したいのは、自死に関わる情報がとてもデリケートな個人情報であること。
 不自然死ですから、警察が検視して死因を調べ、さらに通報者や親族・知人に事情聴取し、関係資料を集め、死に至るまでに何が起きたのかを確認する。
 その結果、集約される情報は、職場や学校、家庭での状況に加え、本人の体調、経済状態だけでなく内面にも及びます。そうして事件性の有無が判断され、自死も報告されます。


 警察の情報は「自殺統計」として公表されています。
これはあくまでも「積み上げた数字」であって、個人情報は含まれていません。
ところがこの法律では、最もセンシティブな情報が一民間団体に提供されてしまう。


 こうした情報がどのような対価を払って得られるのか。遺族の立場から説明します。
 遺族に対する警察の事情聴取は、
長時間に及ぶことが少なくありません。取調室で10時間聴取されたという人もいます。
1日5時間、連日呼び出されたという人もいます。
 大切な人を亡くしたばかりの遺族にとって、これがどれほど重い心理的負担になるか。
長時間の聴取を受けたことが周囲に知られた場合、
心ない人から「彼が殺したんだろう」とささやかれ、あるいは直接責められる。心を病んだ人もいます。


 この法律には、集める情報の範囲に関する歯止めがありません。
「個人情報は提供しない」とか「名前は含まれない」とか
「市町村以下は特定しない」といった制約があるべきです。
「遺族の承諾が必要」といった手続き面の規定も置かれていません。
 これからでもいい。提供の範囲や手続きを整備してください。
そうでないと、警察の聴取にも応じられません。遺族も真実を知りたいのに、
安心して協力することができなくなります。
 これまでも個人情報が流出したと思われる事例がありました。
いきなり遺族の家にアンケートの協力依頼が来たこともあるし、
自死の現場となった物件(住宅)を特定し、
自死の方法まで掲載しているウェブサイトもあります。
不動産価値が減じたとして、遺族はしばしば法外な損害賠償を請求されています。


 いまある問題を解決することなく、さらに一民間団体に情報を流すことには、到底賛成できません。

 今回の法制定で、問題の中心に最も近いところにいるはずのわたしたちは埒外(らちがい)に置かれました。
同じことは、例えばわたしが支援しているいじめによる子どもの自死でも起きています。
 子どもにSOSの出し方を教えるといいながら、
実際はSOSを発しても学校が対応せず、親が訴えても動かない。
絶望した子どもが登校しなくなったり、死に至ったりするケースもあるのです。
 当事者の声に耳を傾けなくては、本当の支援は始まりません。
心やさしい人が追い込まれて死ぬようなことのない社会にするために、
遠回りでも丁寧に思いを聞き取ってほしいのです。
   ×   ×   ×

喪われたいのちを生かす 生き方

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4歳の女の子が死んだ
  児相は自分たちの対応は正しかったとコメント
正しくて
 なぜ死んだのか・・・・
児相が正しい事をしていたら子供は死んであたりまえなのか・・
 死んだのは虐待された子どもの責任なのだろうか
  育児放棄の親から子供を守るために児相はある

なのに
 亡くなった事に哀悼の意もなければ
   子どもへの慈しみの心もない
 虐待して殺した親と児相はあまり大差はないと感じた

そんな事を思いながらいろんな遺族の事を思った
また遺族の事をあれこれ言う支援団体の事も・・・

 自死の多くは
  死にたくて死んだ人たちではない
 死ぬほどの苦しみに追い詰められた人たち

 本人の責任はゼロとは言わないが
   全てではない
家族の責任もゼロとは言わないが全てではない

 学校のいじめや指導で亡くなった子供
  その学校でなければ・・・
   そのクラスでなければ・・・
その担任でなければ…その校長でなければ・・・
生きていた

飛行機事故と同じ
  その飛行機に乗らなければ・・・・生きていた命

過労自死やパワハラも
同僚や上司が あの人たちでなければ・・・
 生きていた
 精神科医も あの医師でなければ・・・
 生きていた

   死んだから・・・生き返らないから
    何をしても仕方がない
調査なんてしなくていい
   労災なんて申請しなくていい
と言う人たち

    事故だったら 調査しなくていい 死んだんだから・・
   と言うだろうか
    自死でなければ
  労災申請するのではないだろうか

  死んだんだから 何をしても生き返るわけじゃないから
     といって
 いじめの調査もせず
    説明会も開かず
   突然消えたようにしている遺族もいる

労災申請もせずにいる遺族もいる

    今更 何をしても 生き返るわけでもないから・・・と

   生きていた事を 忘れたいという遺族もいる

かなしい
      虚しく  かなしい

亡くなった人のいのちを ただ死んだ!で終わらしてほしくない

 幸せに生きる権利があった命
  どんなことがあったのか・・・
彼らは語らず逝ってしまったけど
 声なき声を聞き
  無念の・・生きたかったであろう心の声を
     今更だけど 聞いてほしい
聞かなければ・・と思う

   生きている私たちに 託したものがあると感じる

  児童生徒という10代の子供たちが自死に至った時は
   遺族が拒否しない限り
   調査委員会を立ち上げることが義務化されている
    
  働きながら 亡くなった時も
   労災申請は労働者の権利

 遺族には声をあげてほしいと願う

   死にたくて死んだ人たちという偏見の払拭のためにも

    死にたい人なんて  いませんから
     生きたいともがき苦しみ
       逝ってしまった人
   愛しい人
      死んだから・・おしまい!ではなく
        亡くなった後も愛し いのちを生かして 生きてみようと思う