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(亡き人との)究極の遠距離恋愛

イベリス 花壇

盛岡でのわかちあいの会を再開しているが
   どこにも広報らしい広報はしていない
岩手の新聞に掲載してもらおうとは思っているが
  忙しく中々手が回らない

いろんな人たちに様々なお手伝いをしてもらい
    活動ができている
 が
  やはり 圧倒的に能力オーバー24時間ではなく48時間あったら 何
                    とかなるかもしれない?

  究極のおせっかいなのかも・・・と思う事もある

  いつも思うのは 亡き人たちの事
   悔しかっただろうなぁ~~~と

やりたいことがたくさんあっただろうなぁ~~~と

   生きていられたいのちだったのに…と思う

  人にやさしい社会だったら・・・と

   多様性を心底認め合える日本だったら・・と

   平等のようで平等ではない
             差別だらけ  偏見だらけ
     平気で仲間外れをする
  亡くなった人の悪口は言う
    遺族の悪口を言う
    かなしい人を更に追い詰める
そんな人たちは無責任

    なんであなたがいながら死なせたの・・と言う親族
    死んで生命保険貰ったんだろ…少し用立てろ・・
       気が付かなかったの・・・
   いろんなことをいう

   第三者調査委員会を設置しもらっただけでも
      金が欲しいのか・・・
  自分たちの育て方が悪いのに・・・学校のせいにして
     
   究極は
まるで見たかのように噂を流す
  毎日酒飲んで 暴力を振るっていたとか
    夫婦仲が悪く 子どもは虐待されていたとか
  死んだ朝に 親子喧嘩したんだって・・とか
    風呂に入らないとか洗濯しないとか・・・
借金があるんだって・・・とか   
家庭の中を覗いていたかのように ウソを言う周りの人たち

   それを信じる人たち

 日本人は死者を大事にするというが
            違う気がしている
   死者を愚弄して平気な人たちが多い

   幽霊話とかも 死者や遺族を蔑んでバカにしている

   息子は人見知りだし
     幽霊になって 知らない人の所に出ませんから・・・
出てくるとしたら  家族の所に来ますよ
   そしたら
  家族は 幽霊になっても いいから一緒にいて
     おしゃべりしたい
  もう二度と 離しませんから・・・

 これは 遺族あるあるです

   亡くなった息子が大好きで恋していますというお母さん

遠距離恋愛だね・・と 遺族同士が泣き笑い

遠い遠い 遠距離恋愛を 遺族はしていて 
いつか 迎えに来るまで
  生きていようね・・・
押しかけ は 迷惑だからね・・と

  そんな話で盛り上がります

  遺族ではない人が聞いたら 頭大丈夫?と思いそうな話ですが
 遺族はいたって真面目に話しています

   私も真面目に真剣に  息子を愛していますseironmatsuri1.jpg
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明日・盛岡市の自死遺族の集い「循環の会」

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日時 3月30日(土曜日)
  盛岡自死遺族の自助グループ「循環の会」
  
会場は盛岡駅前 盛岡市民文化ホール 、5階 第二会議室
時間は13時30分から17時00分まで
    会場は盛岡駅前 盛岡市民文化ホール 、5階 第二会議室
時間は13時30分から17時00分まで

明日参加お待ちしています。 
仙台から 私ともう一人参加します。

    明後日の日曜日は 仙台の「藍の会」です

 活動の原点は「わかちあい」
      17日のさいたま市での「なないろの会」にも参加

昨日は子供を亡くした親の会「つむぎの会」
  のわかちあいの日でしたが
   フォーラムを開催
    4時から「クールダウン」のお茶会
  5時半から夕食会

1年に一度
   会場に参加している遺族も一言話てもらう方式のフォーラムを開催
    主催は「つむぎの会」

遺族の声は警察官の息子を亡くしたお母さん
   中学生の息子を亡くしたお母さん
        両親を亡くした息子さん

  講演は 河北新報社に40年勤続し、今月30日で完全退職をする
    寺島英弥氏(論説委員)


  亡き人たちの
  名前を言ってもらい
   こんなにいいところがあったよ・・という亡き人の自慢をいう
   一人・ひとり・・・
参加型のフォーラム
  7回目

  続けていくことの大切さを痛感しています。
   
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人生は他者と比べない事

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 悲しみは一人ひとり それぞれのもの
   
   もう一人子供がいるからいいよね

 といわれる事もある

同じ一人っ子でも
   夫がいるからいいよね
妻がいるからいいよね

 ひとり親で一人っ子の自死
  でも
 あなたは兄弟がいるから姉妹がいるから
    親が・・親戚が・・・

  比べても仕方がない
    と 思う

    祖父母も父母も兄弟も
従妹も含めて親族誰一いなくて
  夫も亡くなって
     子どもも亡くなって・・・

友人も知人もいない 知りあいもいない

  そんな人もいるのかもしれない

  震災でつなみで
  夫と子供二人を同時に亡くした人たちもいる
親も・・・・

   子どもを自死で二人亡くした遺族もいる
3人という人もいる
娘・夫・母・・・
    そんな人もいる

 私にはもう一人子供がいる
   事実です
     だから 一人っ子を亡くした気持ちも
     子どもを2人とも亡くした気持ちもわかりません
   もう一人いるから・・・
と言われたら
   その通りです
       

 妻も子供も同時に喪う人もいます
     一人ひとり
  違う人生を歩んできたのですから
           違ってあたりまえです

   人生を他者と比べない事
   そう思って生きてきました

  いろんな人生があります
    
    愛する気持ちと悲しみは一緒
     
それぞれが
自分が世界で一番苦しく一番悲しいと思っている
  それでいいと思っています

  新聞の記事は 
人生の断片を切り取っての内容になります
 私の思いの
   全てを掲載できるわけがありません

     また
         私の子供を愛する気持ちが
次男がいるから長男と半分ではありません

  その子一人に100パーセントの愛です
    一人ひとりがかけがえのない我が子

   比べられるものではないと思います

10人子供がいるから
  1人が自死しても9人残っているから
     いいよね・・・  そんな単純な話ではないと思う

  
    1人を生み育てた人生
     5人を生み育てた人生
  夫と離婚した人生
   妻と死別した人生
 両親に捨てられた人生
     病気のある人生
           金に不自由しない人生
  貧困生活の人生
     ・・・・・・・・
  様々 それぞれ
  
   一人っ子が一番悲しいという言葉をよく聞く
     子供を亡くした人が一番悲しいという遺族もいる

    ・・・・・・ それは自分自身の問題

 

  他者にとっては
   私が健一を亡くした事など悲しくはない
     それが普通
 私にとっては 健一を亡くした事がかなしい・・その事実は私の問題

○○さんは夫を亡くしたことが誰よりも悲しい
    それが普通
 ○○さんが自分の夫よりも
   私の子どもの死がかなしいという事はあり得ない

  それは愛という存在がそこにあるのか・・・

    今こうしても 亡くなっている人がいるが
          私は悲しくない
   でも
   悲しんでいる人たちが
          この瞬間もうまれている

   妻と子供が・・・夫と子供が
  両親が・・・
子どものいない夫婦が・・・
    
    不幸比べは
            しないこと・・・・
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     もう一人子供がいます
          夫もいます
    事実です
 夫は働いています
   健康です
 私も健康です

   70歳で 24時間365日相談を受けています。
    一年間に1万件の相談に応じています 
     でも まだまだ 大丈夫 
 たくさんの人達に支えてもらい
       つながりを得て 活動をしています
   感謝です
 やさしい人がやさしいままで
  生きられる社会をめざして
            続けて行くつもりです
   

3月30日 盛岡市 自死遺族の自助グループ


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3月30日(土曜日) 岩手県盛岡市自死遺族の自助グループ 循環の会 のわかちあいの会を開催します

日時 3月30日(土曜日)
    13時30分~16時30分
会場 盛岡市民文化ホール 5階 第二会議室
    020-0045
    岩手県盛岡市盛岡駅西通二丁目9番1号
    019-621-5100

会場は盛岡駅前 盛岡市民文化ホール 、5階 第二会議室
時間は13時30分から17時00分まで開催です
個別のご相談にも応じます。申し込み不要
途中参加途中退席自由です参加費200円、事前連絡不要です

参加者は全員自死で家族を亡くされた方です
遺族以外(保健師・ボランティア等)は参加していません
遺族同士亡き人への想いを話してみませんか
ご参加お待ちしております

詳しくは 090-5835-0017 田中 までお問い合わせください

循環の会

共同通信の配信記事

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「ときを結ぶ」(12)「自死遺族」
悲しみは癒えることなく
差別・偏見と闘い続ける


 「あのときの息子の体の冷たさ、それが原点です」。全国自死遺族連絡会の代表理事、田中幸子(70)の長男健一は2005年11月、34歳の若さで自ら命を絶った。当時、宮城県警塩釜署の交通課係長。連絡を受けて仙台市の自宅から署の官舎に駆けつけ「体に触ると氷よりも冷たかった」。
 自分の血と入れ替えれば、体が温まって息子がかえってくるんじゃないか。本気でそう思った。
 その春、塩釜署に異動した。直後に高校生25人が死傷する交通事故が起きる。交通の仕事は初めてだったが、上司は支え励ますどころか暴言さえ吐いた。他の仕事も積み上がり「真面目な子なので全部抱え込んだ」。
 4カ月半、1日も休まず働き、疲れ果てて療養に入る。夫婦仲が悪くなり妻は実家に帰った。
 不信感と恨み
 死の直後に兄の携帯メールの記録を見た4歳下の次男が「これじゃあ、お兄ちゃん死ぬよ」とつぶやいた。追い込まれていく跡が示されていた。受診した精神科医にも心ない言葉を浴びせられたと生前、聞いていた。
 警察にも不信感が募った。親族への連絡の前に家中を捜索したようだった。着いたとき、息子は着替えさせられ、布団に寝かされていた。遺書もなかったと言われた。
 田中は人をうらみ、救えなかった自分を責め、やり場のない怒りで暴れた。何度も昏倒した。次男は母の死を恐れた。トイレでも風呂でも、ドアの前に立ち「大丈夫?」と声をかけてきた。
 死にたかったが死ねない。カウンセリングを受け、僧侶の話を聞き、占いを回った。助けになりそうな本を次々読んだ。
 仏壇の前で泣いていると次男に言われた。「僕が死んでもそんなに悲しんでくれる? お兄ちゃんみたいな優秀な人間が死んで、僕みたいな駄目なのが残ってごめんね」
 はっとした。支えてくれている次男を忘れていた。それからは笑顔を取り戻そうと努めた。
 大切な人を亡くした同じ思いの遺族に会いたい。次男が探してくれた福島の会に出かける。初めて胸の内を打ち明け、少し楽になった。だが仙台にはそんな会はない。
 「誰かに作ってほしい、私を助けてほしい」。あちこちに要望したが、動かない。「だったら自分で作るしかない」
 癒えぬ悲しみ
 健一の自死から8カ月後「藍の会」を始める。藍は警察官の制服の色。息子は仕事に誇りを持っていた。いつも息子と共にという思いを込めた。
 電話番号を公開し、時間いつでも遺族の電話をとる。「私自身が今でも夜や明け方に悲しくなって思い惑う。そんな時間に支援機関は電話に出てくれないから」
 各地の遺族の会の立ち上げも応援し、08年には全国連絡会を組織する。
 地元では遺族が語り合う「分かち合いの会」、それを卒業した人の「茶話会」、サポーターも交えた「サロン」を開く。
 遺族には柔らかな笑みを絶やさない。後追いだけはさせないという強い意志が、その奥にある。
 活動の中で直面したのは、自死した人と遺族への差別や偏見だ。
 例えば行政の担当者や支援組織から「自殺は貧困や無知が原因」という発言が頻出する。自死者は「人生の敗北者」であり、遺族は「敗北者の家族」とみなされる。
 政府の自殺総合対策大綱は「多くが追い込まれた末の死である。(略)様々な社会的要因がある」としているのに。
 07年から08年の自死遺族支援全国キャラバンで、支援団体は「泣く遺族」の登壇を求め、多くの遺族が壇上で号泣した。田中は批判する。
 「遺族は運動の道具にされた。こんなかわいそうな人を出さないために自死を減らそうと。哀れむべき存在だという差別感を強めました」
 
 田中はこうしたスティグマ、(社会的烙印)と徹底的に闘う。「自殺」を「自死」に言い換えるという提案もその一つだ。
 「自らを殺す」という自殺は「自由意思で実行した身勝手な行為」という偏見を生む。提案は実を結び、宮城、鳥取、島根県や仙台市などが「自死」に切り替えた。
 賃貸物件の賠償請求もスティグマに起因する。「けがれた死という烙印です。家賃減額分や改修費用で何百万、アパートの建て替え費用として1億円以上請求された例もあります。泣く暇も与えず火葬場まで来る」
 法律家や医師らと「自死遺族等の権利保護研究会」を作って法的問題を検討し、遺族と支援者のための手引書も作成した。
 「優しい人が優しいままに生きられる社会に」。そう願って走り続けてきた。田中自身の悲しみは癒えたのだろうか。
 「私は幸せになることを望んでいません。悲しみはそのまま。回復するとすれば息子を生き返らせてもらうことだけれど、それはできない」。いったん言葉を切った。
 「親として助けられなかった。息子が生きていた頃のような青い空は見えない」(敬称略、文・佐々木央、写真・尾形祐介)

メモ
 自死は1998年から14年連続で3万人を超えたが、2018年は警察庁の速報値で2万598人と9年連続減。それでも年間2万人以上の自死が、遺族に深刻な打撃を与えている。
 自死遺族等の権利保護研究会による手引き「自死遺族が直面する法律問題」は、死後に起こる現実的な課題への対応を平易に解説する。
 例えば賃借アパートで自死し賠償請求されたケースについては、法的根拠やその不当性を説明した上で、裁判や交渉で賠償額を圧縮した実例を紹介。他にいじめ・体罰による自死、過労やパワハラによる自死、鉄道での自死といった類型ごとに実態や対応を示す。

生きて欲しいと願って・・・活動をしています

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いろんな人たちがいる
   遺族の事情も様々

  息子の死をかなしいと言ったら
   ある支援者に、子どもを殺す親だっている!と言われた

  自死は止めなければいけない事ですか?という人もいる
      死んだほうがよかったと思う人もいるんじゃないですか?という人もいる

愛する人を自死で亡くした・・・という言葉にかみつく遺族もいる
   愛していませんけど・・と。
  まぁ~そんな人もいるでしょう

  全てを自分に置き換えて
        活動としての目標に文句をつける人もいる
   「自死」は
   その多くが(自死者の全てとは国も言っていません)
       追い込まれた末の死である
  と 国が「自殺総合対策大綱」に掲げています

社会的な要因の社会には
    自死した人も遺族も含まれています
社会的要因は生まれた時の環境から
       育つ環境・幼稚園・学校・友人・知人・親族・・
      会社・上司・部下・・・・債務問題の仕組み
              労働の仕組み  介護・・・
あらゆる事が社会です

   社会的要因に
家族や本人が含まれないと思っている人も多いようですが
  社会の一員として私たち一人ひとりが存在しています

自死も含めて死んでいい人はいないと思っています

 震災の時に思った事の一つに
   なぜ 遺児支援や伴侶の支援だけを 取り上げるのだろう
 遺児となった子どもには亡くなった親がいるが
   その親の親は「子供を亡くした親」になる

 幼い子供を亡くした親だけが子供を亡くした親ではない
    結婚して子供のいる親にも親はいるのに
           誰も取り上げない
  親にとって
         50歳でも子ども
      60歳でも子供
  なのに
            あれほどの人たちが亡くなったのに
     大人の子供を亡くした親たちの悲しみは
             無視されていた
だから
 子どもを亡くした親の集い「つむぎの会」
   を広げた

   自分の妻が亡くなったとして
          その妻にも親がいる
  既に亡くなっていたとしても
            親はいる
親のいない人はいない
    親が嫌いな人もいると思います
しかし
多くの親は
  子どもを愛しています

慈しみ育てた子供が
  死んでホッとした・・という親がいたとしたら
     本心でしょうか・・・

どうしようもない子供だったとしても
    子どもが死んで
          良かった良かった・・と心の底から
   思う親がいるのか
        居たとして それが大多数とは思えない

多くの親たちは
 子どもの死を嘆き悲しみ苦しむ

もちろん
妻を亡くした人も
 夫を亡くした人も
     親を亡くした人も 兄弟姉妹も・・です

日本人の幸せ感はとても低い
   物が溢れ  贅沢品に囲まれているが 
心の豊かさは少ない
   そんな気がする
人を大切にする  差別や偏見のない社会
  目標がそこにある

 息子が楽しく生きられたであろう社会をめざして
             活動を続けていこうとおもう

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喪われた命の意味を伝えてください

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小・中・高
 の子供が自死した時

いじめの有無を問わず 第三者調査委員会の設置を
   教育委員会に要請することは普通の権利

新聞等に記事として掲載されているのは極一部
  多くは非公開で第三者調査委員会が設置され調査をしている

遺族が公開を望むか非公開を希望するか・・・
    
   親との問題もあるかもしれないが
      学校にも何かあったかもしれない
  何も言えなくなった子供のために
     調査はしてもらったほうがいい

   裁判ではないのですから
      家族の取り調べのようなものはありません

   調査の時に 遺族からの聞き取りも実施しますが
  あくまでも任意ですし
   また一人で受けなくていいんです
 一人親なら
   親族でも友人でも誰でも同席できます(要望したらいいんです)
 夫婦・祖父母何人でも同席可能です。
   弁護士でなくてもいいのです
家で聞き取りではなく、公民館や教育委員会の部屋でもいいんです。

 その際に 録音を取りたいと言われても拒否ができます

また 学校とのやり取りが苦手なら
  代理人(友人知人・兄弟・誰でもOK)が 
教育委員会などからのやり取りをする事も可能です

 マスコミは一切受け付けないという事も
      教育委員会に告げたら大丈夫です。

   我が子のいのちが
    ただ死んだというだけではなく

   意味のあるものにするためにも
     死んだんだから
     何をしても意味がないとあきらめず

  次のいのちに生かしてほしい

  同じ子供たちが 自死に追い込まれないように

    なかったことにしてほしくない

       全国自死遺族連絡会
                自死遺族等権利保護研究会
              にご相談ください
    
   喪われた命の意味を伝えてください

  労働・パワハラも同じ
        精神医療の問題も・・・・

支援者の支援を大声で主張する支援者・・・

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明日は春彼岸の法要
   お墓のあるお寺に行くことにしている

 終わり次第 
    折立中のいじめ自死事案の第三者調査委員会

  ここ10年ほど
    支援者支援が大きな声で叫ばれている

以前から自死の対策は 支援者の支援ですと言われてきた
 当事者の支援はしません
    当事者の活動も支援しません
   あなたたちを支援する人たちを支援するんです
    と 言われ続けてきた

では
  私たちも支援団体ですから 支援者の支援をしてくださいと要望
    そうすると
今度は「支援ができるほど元気なんですから支援は必要ないでしょ」と言われた
    ???
 ならば当事者でもない
 幸せで元気な支援団体は支援が必要ないと思うのですが
     どうなんですか・・と反論してきた
 
   ようやく 自助グループ活動が認められてきたと思ったら
     支援者の支援が重要だと主張する支援団体たくさん

 いまも 支援者からの支援を受けていない遺族が多いのに
    支援ができていない支援団体なのに・・・

支援もしていないのに
 自分たちだけは支援が必要だという人たち

    いっそ 遺族支援という活動をやめたらいい

   そもそも 会を開催しても遺族はほとんど参加していない
     自助グループがあるところは
           行政や支援者の会には 遺族は少ない
    行政の会が1年間で(6回) 遺族の参加が延べ人数6人

  同じ地域での自助グループ
     1回の参加人数が15名
  1年で(6回)80名以上

    ここの自助グループは全て自前
               支援は受けていない

   1年間に6回開催で6人にの参加で
         スタッフが1回につき3~5人
          支援団体から講師も招き
  講師料も払い 交通費も払い
    遺族の参加が1回 1人?2人?0人?
それで
 どうして支援者の支援が必要なのか理解できない

  多くの遺族が参加
  また相談も毎日たくさん受けて疲弊するほどだというならわかるけど

    参加遺族がほとんどいないのに
      必要な支援とは何でしょう

    1人の遺族の話を2か月に1回聞くだけで疲れるなら
              支援者として不向きですから
          やめたほうがいい
   支援者の支援が必要なら その支援者の支援も必要となり
    エンドレスで支援が必要になり
  当事者の支援ができないことになる

    あなたたち遺族を支援すると疲れるから
      私たち支援者の支援が必要です   なんて
               遺族の前でいう人たち

      そんなに疲れてまで支援してもらわなくていいです

    と言いたい

     疲れるなら聞いてもらわなくてもいいです

     自分たちで何とかします
  法律問題はそれぞれの専門家に相談します

   宗教の事は宗教者に相談します
      
      支援者が疲れる支援はしなくていいですa7cd0e8327de25556d5a10f01ddbfb88.jpg

社会の根底にある自死への偏見(弱い人・死にたくて死んだ人)




  自死を隠さず生きて欲しいと願う
世の中が自死への偏見と差別に満ち溢れている事は十分に承知しながら
 厳しい事を願っていると思っている

 しかし
  このまま遺族が自死を隠したままでは
      自死の問題は「自殺ビジネス」を狙っている人たちには
               金を得るビックチャンスになってしまう
今でも
  自死を食い物にする団体が溢れている
 それも 遺族が語れないことを利用して
       やりたい放題
  
  「死にたくて死んだのではない」という気持ちを強く持って欲しい
    死にたい人などいない
  死にたくなる程の苦しいものがあったのです
   
   我慢が足りないから死んだのでもありません
    忍耐強くないから死んだのでもないんです

  やさしい心の持ち主だっただけ

    学校は本来楽しい所のはず
  勉強ができなくても
          学友と会う事が 楽しみのはず
   学校という空間が 楽しいはず
            部活も 楽しいもの
   職場だって 本当は苦しみであってはならない
      自死の根底にあるのが「言葉」のような気がする

言葉はすぐに消えてしまう
  が 心や頭には残る
     小さな嫌がらせが 毎日続き
  それが気になりだすと その言葉をいうその人を見ただけで
   いや その人の存在を意識しただけで
        吐き気や寒気がおこったり
胸が痛くなったりする
   寝ていても思い出して 不安になっていく

  毎日 10回 バカ・死ね・アホ・クズ・ブス・と
  小さな声でも 1か月・2か月・3か月と続いたら  どうでしょうか

   人を追い込むとはこういう事なんだと思います

  人前で罵声を浴びせたり
      人格否定の言葉を何度も言われると

     よほど攻撃的な人でないと
               自己嫌悪に陥る
   幼稚園の時の経験
   小学校の経験
   中学校の経験
         部活での経験
    地域での経験

   自分を認めてくれるやさしい存在の言葉よりも
             否定的な言葉は心と頭にたまっていく気がする
    嫌な事は
 我慢しなくていいんだという事も教えなければ・と思う
   我慢しなくていいことと  わがままは違う

理不尽な事にまで 耐えるのは美徳ではない

   自分が嫌な事は 他人にもしてはいけない

      自死は 家族にももちろん責任はある
            本人にももちろん責任はある
 がしかし
     それだけではない
     社会全体に大きな責任があると思う
    だからこそ
  国が莫大な税金を投入して取り組んでいる

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  人にやさしい社会であれば
  自死はなくなる
      自死率が低い国の人が日本で住むと
                自死率が高くなるのはなぜ・・・
  それは 
     人にやさしくない社会だから

  見た目
 表面だけは きれいで 豊かでやさしそう
     現実は
 差別がたくさんあり
     人と比べて 蔑み   偉そうな人たち
  狭い地域で自慢し
      バカにする
         
 どこの幼稚園?
    あら!あそこ・・・ふ~~ん
   うちは○○幼稚園ですの。

 ご主人はどこにお勤め?
   お子さんはどこの高校?

孫は? 結婚は?
  どこにお住まい?
      ・・・・・・・・・

 どうでもいい事
      が 自慢の人たちが多い

 バカバカしい限り
人ではなく 住まいや学校勤め先でさげすむ社会

    幸せ感の低い国日本
             
 息子は優しい子でした
    やさしくて追い込まれてしまった
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  かなしいです

死別の悲しみに精神薬は不要

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昨日はさいたま市で開催の「なないろの会」に参加
 たくさんの遺族が参加していました
    アットホームな雰囲気

いつもの部屋が取れなくて、小さめの部屋での集い

2006年「藍の会」の当時を思い出しました
   狭くても やさしい心がそこにあれば
         悲しみを共有できる人たちがいたら
     孤立は防げる・・・かな・・・と

一人ではないんだ・・という思い
    生きられる・・生きようと思う時間が遺族には必要だと思う

 今月末には盛岡の「循環の会」
   次の日の日曜日は  仙台の「藍の会」

  今日もこれから東京
    日帰りして 仙台市の対策会議

 資料を読み込んで 少しでもほんの少しでも
              実効性のある内容に出来るように意見を述べたい


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 愛する人を亡くした悲しみは病気ではない
   絶対に精神科にはいかないでください

 毎日のように電話を受けるが
    その中で1年・3年・5年
         過ぎた遺族が 精神薬を飲んでいるケースが
                それなりに多い

  ドンドン悪化
       激しく 叫んだりする状態が 1年・2年・3年と続く

 悲しみは
   なぜあるのか

それは愛する人を亡くしたから
   愛から沸き起こる悲しみを クスリでどうできるのか
  なにもできるわけがない

愛を消せたら  悲しみも消せる
 クスリで愛が消せるのか?
消せるとして
愛を消していいのか

 私は息子を今も愛している
  だからかなしい
息子への愛を消してほしくない 消したくない
  だから 悲しみがあっていいと思っている

かなしみもまた 私のもの なのです

  悲しみも愛しいもの
なぜなら
   愛があるから 悲しみがあるんですから

   精神薬は
     神経をマヒさせる
  その反動として
      冷静さを失い  少しの事に敏感になったり
   他者の事には  鈍感になり
     自分勝手になっていく

人への配慮が欠けていく

   こんなことがいた
(遺族ではないが)

「サロン」に参加にきた人
  (サロンは いろんな人たちが集う場)

音がうるさいのはダメなんです・・と耳を塞ぐ
   エアコンの風がだめなんです・・と 身をかばう
(冬で寒いんですけど・・他の人に寒さを耐えろという事なのかなと思った)

 その割には 大阪の話で盛り上がり
  旅行もしている様子
(大阪って 静かな地域???)

離脱症状で・・・苦しくて 死んだほうが・・・という
 「サロンではなく主治医に相談に行ったほうがいいんじゃないの」といったが
    無視
減薬は長く禁断症状が出る人もいるし
 反対に簡単に断薬できる人もいるし様々だよね
    ゆっくり 減薬したらいいんじゃないの
      長くかかっても あせらないで・・
 突然
「長くかかるなんて言わないでください」とキレて
   謝ってくださいと命令
  
 「申し訳ありませんでした」と謝りましたが
   ここは「サロン」
いろんな人が集う場所
  
突然来て  あれもダメこれも無理
 苦しくて・・・死にそうです・・
   といい
食べ物は食べ 飲み物は飲み
 参加費は払わず

 私の苦しみを理解してくれないなんて
   ひどい!と泣き叫ぶ
(かなり やんわり書きましたが・・)
他にも参加していた人たちがたくさんいたのに・・
   
 精神薬を飲んで20年という女性

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精神薬は
   人を幸せにはしない

  

自死の対策会議は人を追い込む社会の縮図

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明日は さいたま市で開催している
   「なないろの会」に参加しようと思っています。
さいたま市の自助グループは、はじめてですが
     時々 全国の自助グループの会におじゃましています。

今月の最後の土曜日30日は
  盛岡市の「循環の会」に参加します

 自助グループは
      最初からの精神をそのままにして
      継続することが
         難しいと思うようになりました
 仙台で開催の「藍の会」は
   2006年から~今年2019年
     13年間  変わらず同じ場所で同じ内容で
           同じ思いを「わかちあい」
  お互いに支え合い・・・
      語り合う事をしています

 「わかちあい」を卒業したいけど
   遺族とたまに語りたいという遺族のために「遺族の茶話会」
        を開催
 悩みや苦しみを抱えるいろんな人たちが集う
「藍色のこころサロン」も開催・・もちろん遺族の参加もOKです

子どもを亡くした親の会「つむぎの会」
   も2007年2月から開催

 ・・・・・・・・・・
   たくさんの種をまこうと思う
 ・・・・・・・・
    たくさんの・・・

 昨日は国の会議
   私以外は全員が「支援者」
  
行政職員は自分たちの地域での対策の報告
  その結果・・減ったのかどうか わからない

  支援者目線の事業が99.999パーセント

  行政の職員から
        どのような自死遺族支援をしたらいいのかという
          問い合わせがあるという団体の代表の言葉
 
 自助グループ支援というけど
        自助グループ支援に拘らなくてもいいのではないか・・と言う発言

   そもそもこの人自身が
   自助グループをわかっていない
      それと 自助グループ支援をしてくれている自治体は少ない

  自助グループの全国団体である
     全国自死遺族連絡会も
      国からの補助金が認められたのは3年前から・・・

  この支援団体は
     自助グループが少しでも認められると
                 その流れを止めようとする

賃貸物件の問題等の活動をした時

 「排他的団体」が「排他的ないかがわしい運動をしている」
   と大批判

それが 今では
  まるで自分たち支援者が 賃貸物件等の差別問題を最初から
                活動としてきたかのような発言
「よく言うよ!」と 彼らの発言を聞いて思う

  恥を知らない  面厚かましい人たちです

自死の対策の会議に出ると
  「あぁぁ~こんな人たちがいるから 追い込まれて死ぬんだなぁ~」
      としみじみ感じる


 生きにくい社会の縮図が自死の対策会議に見えます     

行政マンと話をしていると 虚しくなってしまう

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寺岡小学校の事案の
  第三者調査委員会の委員
      遺族推薦を委員にしてもらうために
仙台市の教育局と交渉し、やっと職能団体に依頼書を
     送ってもらう所まで来た

 再調査委員会・調査委員会・県の調査部会・調査員会
   4つの調査会の人選

ほぼボランティアのような報酬
    県は同等の委員資格だが
  仙台市は遺族推薦は、臨時委員

   第三者調査委員会の人選の件で文科省とも電話で話したが
     なんとも 歯切れの悪い対応

  国もですが 教育行政はもはや聖職ではない
  ただの公務員
      民間と違い 仕事ができなくても
           部下が死のうとも
     仕事の対象である子供が死んでも
       こころが痛むこともなく
 哀悼の意もない
     教え子が死んでも
 担任も校長も焼香にも行かない学校という社会

  病気で亡くなった時は焼香にも行き
          黙祷もするのに
    いじめが疑われると
           一般社会常識が欠けてしまうのはなぜ?

    自死の問題のど真ん中で
      生きているが  活動をすればするほど
 裏社会が見え・・・虚しくなる

   本気で取り組もうとしている行政マンは
                    100人のうち1人 1パーセント
     保身のみ
全力で保身に取り組んでいる
    なんで自死したんだよ・・・面倒だなぁ~
             というのが伝わる

自分の身になった時も 保身に走るのだろうか

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     素人だと思ってバカにしているのか

弁護士は誰でも同じようにいじめ自死の問題がわかると思うのですが・・・
  と アホな事を言う 教育行政の担当官

 弁護士も含めて専門性の高い職業こそ
    得意分野がわかれるのに

   弁護士も離婚問題が得意な人
     交通事故に詳しい人
労働問題に精通している人
  他・・・
自死もいじめも 学校問題は扱ったことがない弁護士が
   依頼されて
   第三者調査委員会の委員になったり 委員長になったり
しているのを 委員会を傍聴に行き、知っているけど
 チンプンカンプンな
    受け答えをしたり
      何も意見を言わなかったり
 調査委員会なのに 裁判のように
 「いつ」「どこで」「誰が」「どのような」「言葉」や暴力が
あったのかを証明しなければ
   いじめだとは言えない・・というように

文科省のいじめの定義すら 理解していない弁護士だっている

  夫の職業の税理の仕事も同じ

医師も・・・
医師だから どの分野でも得意という人はいない
 
   それを
 あえて どの弁護士も・・・どの医師も
  という
     行政職員

  知らないのではなく
     わざと・・・

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全文は掲載しませんが
 以下のようなコメントが届きました。


私はもうあなたのブログを見ませんが
一生息子を死なせてしまったと言う人生を背負って生きてください。
間違った情報は伝えないよう調べつくしてください。
行政に聞けばわかるはずです。
思い込みだけで活動するのはやめてください。
他の遺族にきちんとした事実を伝える活動をしてみろ。


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 持ち家があっても条件が整えば生活保護を受けられることも
   車も持つことが出来ることも
     同棲という形でも 二人とも受けられることも
     それなりには知っているつもりです
        
精神医療のことも 精神薬を飲みたい人は飲めばいいけど
   飲んで苦しんでいる人がいて
     減薬や断薬をしたいと考えている人も大勢いる事も事実なのに
 見てきたのか?とか 偏見だという意味が分かりません
  減薬の相談にもたくさん乗ってきたし
     成功例もたくさんあります・・・

精神薬を飲んで ハッピーならそれでいいと思うのですが
 なぜ
 原因のある落ち込みは精神病ではないから
     原因を取り除き、薬に頼らないようにしませんか
   という意見に
攻撃するのか
   理解できません
 クスリでハッピーな日々を送っている患者に
  精神薬をやめなさいとはいっていないのに・・・
 気にせずに飲んでいたらいいと思うけど・・・

ただ 遺族の悲しみは精神病ではないという事は事実です
 誰が考えても
    悲しみが病気だなんて
      ありえません
  
人間の普通の感情です

一生息子を死なせてしまったという人生を背負って生きろ・・・という事ですが
  もちろん
    息子の死は一生抱えて生きていきますから 
           言われなくても大丈夫です

 また行政に聞かなくても大丈夫です
   行政がわたしに聞くことも多いですから。

   また 私はこの人のように
家族が  息子が 自死してよかったとは思えません
   思いたいと一瞬も考えた事はありません

  息子が死んで良かった
  ああああこれで私が楽に生きられる・・と
      私が思うならば
          もはや母親ではなく、人間ではなく
            鬼です
動物だって、落ち込み沈むのに・・・

   そんな私なら 次男からも夫からも
 親族からも
          離縁でしょう  
     あきれられ 誰も相手にしなくなるでしょう
亡くなった息子からも
   あ・・そうなんだ 俺は死んで良かったんだ
  せいせいしてるんだ
  じゃまだったんだね
    じゃぁ なぜ生んだの?と 問われそうです

    自責の念は消えませんが
 押しつぶされないように生きる事だと思っています。

  息子の自死という問題を抱え
   悲しみは自分の体の一部として生きていますが
  潰されてはいません

     以前にも
  早く息子の所へ行け!というコメントをもらった事もありますが
     言われなくても
 確実に一日・一日近づいていますから、
命令されなくても大丈夫です。

  いつか必ず息子が迎えに来ます。seironmatsuri1.jpg

仙台市の第三者調査委員会の遺族推薦の手続きは、遺族への配慮は皆無です。



facebookのメッセージに情報をくださったSさん
   消えたのかどうかはわかりませんが
    どこにも見当たりません
またブログのコメントにもアドレスがないので、お返事ができません。

  寺岡小学校のいじめ心中の件に関しては
    多くの皆さんから たくさんの情報を頂き感謝しております。
 ただ
  お一人お一人にお返事はできずにおりますことも
     ご了承頂けたら助かります。
 年度末でもあり
  また寺岡小の事案だけではなく、抱えている案件が山のようにあり
   出来る限り精いっぱいの対応をさせてもらっているつもりです
  ご不満はおありでしょうが
    自死遺族等権利保護研究会の専門家とも相談し
  遺族本人とも相談しながら 動いています。
    情報も全てを公開はできませんので
     内密に動いている部分もありますので 歯がゆく思う事もあるでしょうが
  信頼してもらえたら ありがたいです。

  遺族推薦の委員の人選が大事ですので
    今はその事に全力を尽くしたいと思っています
 仙台市の人選の方法は
   皆さんが想像する方法ではありませんので
   繁雑な手続きや交渉が続きます

要するに
   依頼される側の人たちに 過大な負担がかかるのです

個人の推薦は認めませんので
  弁護士なども 事務所に依頼はできません
弁護士会に推薦依頼をするか
  弁護士会の中にあり 頼みたい弁護士が所属している委員会に
                  依頼をするのかを決めなければなりません
 まずは何処からの推薦が可能なのかを
      頼みたい弁護士と相談して決めます。
そして 頼みたい弁護士本人から
  推薦をしてくれる委員会も含めて会長に
      仙台市から委員の推薦依頼が来たら
  自分を推薦してくれるように頼んでおかなければなりません

会長がOKしなければ その弁護士を委員に推薦ができないのです
遺族がどんなに望もうが弁護士がどんなに受けたくても
  無理なのです。

そして委員長や会長がOKでも
そこから 理事会や委員会が開かれ
   推薦を認めるかどうか…を決めます。

推薦を認めた段階で
  はじめて仙台市に○○弁護士を推薦する理由を
  書面に書き(推薦状)会長や委員長の名前で仙台市に送付します

送付後 仙台市がその弁護士を認めるかどうかを含めて
  協議し
推薦した委員会や弁護士会に この人で了解したという返事を出します

そこで さらに正式な推薦状を書き仙台市に送付します
  その上で
    委員に推薦された弁護士に連絡して
      受けてくれるかどうかを確認し
  その後に
   説明に直接行くことになります
  さらにその後に
  その弁護士に 委員を受けますという承諾書を書いてもらい
  仙台市に送付

そこから日程調整です

宮城県の方法は
  ○○弁護士を推薦しますと遺族がいうと
    直接○○弁護士に連絡をして 承諾を取ります
その場で 説明の日程を決めて
  即説明に行きます
 その時に 委員の承諾書を書いてもらい
  日程の調整をします
これで 第三者調査委員会の日程が決まります

  この違いは何でしょうか

    遺族の気持ちに配慮されているかどうかです
仙台市の手続きの煩雑さは
   遺族にとっては
ハードルが高く 嫌がらせのようなものです

楽な生き方って・・・何?



 「楽」になろうとは思っていない
そもそも「楽」な生き方って何?

息子が逝って「楽」に生きようと思っていなくても
   時は残酷なもので
   亡くなった当時の気持ちのままではない
食べたり飲んだり しないと思った葬儀の当時と違い
   たくさん食べて 酒も飲み
     好物も食べたくなる
 テレビを見て笑う事もある
       
  毎日 唱えていたお経も ほとんどしなくなり
 ほぼ毎日行っていた墓参りも
    正月・春彼岸・お盆・秋彼岸・誕生日・命日 大晦日
   時々の草取り等
1年に10回ほどになった
     仏壇の掃除も毎日だったのが今は4日に1回
   仏壇のお花だけは14年変わらず
        10個の大小の花瓶にいっぱい
     ジュウスやお菓子・果物も変わらず
            あふれている
   次男もよくお兄ちゃんのために
      飲み物や食べものを買ってきては供えている

でも お通夜と葬儀のような生活が毎日ではない

    「楽」に生きたい人は生きたらいい

 但し、自分の生き方が全てのように
私に「楽」に生きるように勧めないでくださいませんか

   少なくとも 私は元気ですから
   見た目も明るいですから
     
 苦しんでいる遺族から相談があった時は
      最優先で 相談にのりたいと思って生きています
   自死の予防や防止のための
活動もしています
   様々な専門家と共に・・・


  遺族のための・・・自死した人たちのためにも
    自死への差別と偏見は是正したいと運動もしています

  そして 
   遺族の悲しみは精神病ではありません
  これだけは
声を大きくして言いたい
   家族を亡くして落ち込むのは普通
       かなしいのも普通
   さみしいのも普通
     気力が出ないのも普通
  食欲がなくなるのも普通
 楽しくなくなるのも普通
     何も手につかなくなるのも普通

「時」
「話」
「涙」
が必要です

元のようにはなれませんが
     日常生活はできるようになります

それで十分です
私は
     たぶん私に生き方をアドバイスしてくださる人よりは
     元気いっぱいだと思います

今までの私のブログを読んで
  私を暗くてジメジメして
      不幸を全身で背負って生きているように 
 見えるとは思えないのですが・・・・・

  再度言わせてください

   私は幸せになろうと思っていない事や
  楽に生きようと思っていない事が
 私がわたしを追い込んでいる生き方ではありません

   息子への懺悔は足りていません
 

   最終的には 私は私が可愛んだなぁ~と
        自分が嫌になるときが多いんですから

    息子が生き返ってきたら
      誰よりも幸せです

が現実は生き返りません

そんな私にとって  青い空だって息子が生きていたころの青さではない
  サクラだって
   息子が生きていたころのようには 見えない
     
 笑っていても
   息子が生きていたころのように
  腹の底から笑えない

 それでいいんです

    それでも空の青さはわかります
 桜もきれいに見えます
   笑うことだってできます

  「楽」な生き方ってどんな生き方でしょうか

 自死した家族を
    死んで良かったと思う事だとしたら
 私には
 絶対に出来ませんから
      どうぞ勝手に 
死んで楽になってよかったと思って生きてください
  
生きていてほしかった・・・
息子には生きていてもらいたかった
   私のいのちと引き換えができるなら
        息子が生きて 私が死ぬのはなんとも思わない
息子が死んで楽になって
 良かったなんて・・・
        どう考えたら
  そんなふうに思えるのか
 私にはわかりません

   そんな言葉は 私の神経を逆なでし
     攻撃的になる私がいて
      亡き息子に怒られそうです

 カァチャン  やめなよ・・・って



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家族が自死してよかったと思える遺族がいる日本の社会・・・

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自殺総合対策の推進に関する有識者会議(第1回)の開催


1 日時 平成 31 年 3 月 15 日(金)16:00~18:00

2 場所 TKP 新橋カンファレンスセンター ホール 1A
(東京都港区西新橋 1 丁目 15-1 大手町建物田村町ビル)

3 議題 自殺総合対策大綱及び座間市における事件の再発防止策の実施状況

 大綱見直しの会議にも参画・今回は大綱推進の評価に関する会議に参画
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国の会議に当事者団体を入れてもらえるようになったのは
 活動から7年後
 それも
   入れるように要請を続け 粘りに粘って入れてもらった

    全国それぞれの地域で活動する遺族の自助グループへの
   少しばかりの追い風になることと
       行政に声を届ける事と、反映させてもらうために・・・
喪われた命を意味のあるものにするために・・・

国の委員の他に
    宮城県の対策委員・仙台市の対策委員
  ハイリスク者会議の委員
      第三者調査委員会委員他
        行政の会議に参画することで 当事者としての声を
               届け続けてきたつもり
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   他の地域でも 地元の遺族が行政に声を届ける活動もしている
                   そんな自助グループが増えてきたのは ありがたい

    毎日 新たな遺族から電話やメールが届く
       いつも死と向き合う活動

    でも 私は頑張っているつもりはない

       ::::::時々 コメントで 私を憐れむ人がいるが
                 人はそれぞれではないでしょうか
生き方は一人ひとり違って普通
    価値観も違った当たり前

     息子が逝き
   私は「幸せになろうとも思わない」また「幸せにはなれない」
  幸せという言葉が 嫌いです
      自分の名前の幸子の「幸」も・・・あまり使いたくない
 が 親がつけてくれた名前だから
  このブログも幸子という本名で公開にしている

    遺族でも幸せになれる人はそれでいいと思う
     自死してよかったと思えるならそれはそれでいいと思う
       精神疾患で苦しんで・・・いたから
  自死して楽になれてよかったという人もいる
   否定はしない

がしかし
   そもそも精神疾患だから
     死ぬほど苦しいというのは
世界の先進国ではありえない事

負荷のある精神症状は
 負荷を解消すれば症状は緩和される

日本の精神科の医師は
負荷を無視して 対処療法だけ

統合失調症でも 4割は完全に回復し
    全体の8割は ほぼ改善されていくと示されている
  世界の先進国では裏付ける論文がある

   日本は
クスリも苦しみを緩和させるものなのに
  飲んで苦しむ人たちは大勢いる
そんな人たちの事は考えず
  自分が飲んで幸せだから
  だから精神薬を否定するのはおかしいというのは問題の論点が違う

  精神薬で苦しみ死んでいる人が大勢いる事実をどうするのか
     精神薬を減薬して幸せを人間らしさを
  取り戻していく人が大勢いるとしたら
      飲んでいる人たちは それを否定してはいけないはず


 飲んで楽で幸せなら
  いいと思う が

 飲まないで元気になろうと思う
      その人を否定はしていない


自死して良かったと言葉にする遺族がいても
  本心で100%死んでくれてよかったと感じているのかは 誰にもわからない

一欠けらの迷いもなく
死んで良かった
死んだほうが幸せだと思う遺族がいたら

 死んだほうがマシな世の中で
   どうして生きているのか不思議

それは「死にたくない」というのが人間の本能だからです
産まれつき「死にたい」という人はいない
「死にたくない」から病院に行って薬を飲む
  死にたくないから飲んでいるのに
 どうして
苦しみは緩和されず 精神薬処方をされて
  死にたくなくて一生懸命飲んで
    死ぬんだろうか



  そして 私は 疑問に思う
      死んでよかった・・と 他者がいうものではないのではないかと・・・     
亡くなった人が
   死んで良かったと言っているなら どうして?と聞けるけど
     亡くなった人以外の人が 
亡くなった人が死んで良かったと思っていると決めつけるのは
  どうなのかな・・・

 それで遺族が楽になれるなら それはそれで否定はしないけど
  私に押し付けるのはやめてほしい

  
    精神薬を飲んでいる患者さんと議論する気持ちはない
  満足で幸せなら
   何も 私の言葉に惑う事はないし
      生きる上で問題がない事だと思いますから
 
   そして 私の生き方について
 私はアドバイスを求めていません

  私にアドバイスする人が時々いるのですが
     私と亡き息子の間にある感情については 誰にも言われたくないです

    一番 嫌いなのが
     息子を思う私の気持ちとしての生き方に
「自分を追い詰めないでください」とか「自分を責めないでください」とか言われることです
 「私は私を追い詰めてはいません」
   これが私の生き方です。
  
私は精神薬を飲むほどしんどくないです また   誰のお世話にもなっていません

    次男もですが
 お兄ちゃんが生きていたころのような幸せは
もう二度とないね・・・といいます。

でも働いて元気で 明るく生きています
 明るく元気でバリバリ働いている事と 幸せは違う・・と私は思っています

   私は自死への偏見と差別も含む
  シティグマ、社会的烙印の是正のための運動もしています

   自死者は貧困と無知
 遺族も貧困と無知
  知識がなく 低階層の人たちに自死がおこり
    穢れた死である
  
自死者のほとんどは精神疾患者であり
   精神疾患も遺伝的要素が多く
自死も遺伝的要因がある・・・

    そんなことを論文に書いていたり本に掲載したり
 会議でもそんな発言が頻出

    
    次世代に引き継ぐ活動をしていると思っていますので
      たくさんの種まきをしなければなりません。
 開墾の活動です
   ようやく道が少しできたところです

  日本は本当の意味の先進国ではありません
     人にやさしくない国です    
福祉も今や後進国です
   大きな悪には気が付かず 騙され
   自分と少し違う活動の庶民を批判し 足の引っ張り合いをしている国

  だから 自死が多いんです
 世界の先進国 の中で自死率ダントツ一位
    ワーストワン

銃社会のアメリカよりも多いんです

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気になって・・・・

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 土曜日川崎市に行き、日曜日帰ってきて
    月曜日東京 火曜日帰宅
  明日は折立の調査委員会
明後日はみやぎの萩ネットワークのセミナー

   今日・ご主人亡くした人からの連絡を受けたら
          急に気になる遺族がいて
(同じような感じの人だったせいもあるのかもしれない・・・)
   ショートメールをしてみた
   何度か夜に電話をもらっていたけど
      他の電話に出て居たり・・
約束しても、その時間に他の遺族からの電話が入ったり・・と
  都合が合わない時が
  続いた事もあって
      ずっと心にスッキリしない気持ちを抱えていた・・・
  今更と思ったかな・・・・と反省
    でもやっぱり気になっている自分がいる

今日は 返事は来なかったけど
     必要としてくれた時は 連絡くるかな・・・・・・・・

  返事が来ない事もそれなりに多い
活動だから まぁ仕方がない

    
Silenealpestris.jpg

 いじめ自死が起きた時
     第三者調査委員の設置も含めて
  アンケートや遺族推薦の委員の選出・記者会見等など
     弁護士を頼まなくても
               遺族と支援する人たちで出来る

 損害賠償を求めて裁判する時は弁護士が必要だが
    それまでは 頼まなくてもできる

    労働基準局に提出する労災申請と
 学校は違うことを
   知ってほしい