![img_7[1]](https://blog-imgs-75.fc2.com/k/e/n/ken0314/20150219203251266.jpg)
長野市に行ってきました。
やまなみの皆さんとわかちあいもできて
悲しいご縁での出会いですが あったかい時間がながれ
涙あり 笑いあり
自死遺族の自助グループ本人だけの集いならではの時間でした
長野のやまなみのみなさん ありがとうございました。
思っていたより暖かく雪もなく
東京から近く 最近は都心の通勤圏内だという事を聞きましたが
わかる気がしました。
12月には鳥取に行き、コスモスの会の皆さんと交流
自死遺族が直面する法律問題を学び
遺族間でも 広げてもらいたいと思っています
もちろん
全国の自治体や弁護士会司法書士会等には 送付済みですが
今後は 送付だけではなく 関心を持ってもらうためのアプローチをとる必要が・・・
やはり
訪問して説明をして お願いをしていかなければ
自死遺族への理解は深まらないと思う
講師である弁護士の話の中で
今更ではあるが 気付かされたことがある
国の自死遺族支援は 自死の予防の一つ
要するに 「ハイリスク者」としての 自死遺族支援
だから「こころ」が中心
亡くしたことによる悲しみだけに焦点が当てられている
それも
「悲しみ」を回復させようという支援
なぜなら 「悲しみ」という症状だけに注目して
亡くなったという「悲しみ」の原因はどうでもいいのである
自死のハイリスク者の要因の一つに身内の自死がある
身内の自死+悲しみが継続
未遂を繰り返す人たちと同じレベルの要注意人物なのです
他の自死の予防や防止と同じように
死にたくなるほど追い込まれている要因は無視して
「悲しい」という表面だけを問題にしての支援
だから
行政やボランティアの遺族支援は「遺族が抱える複合的問題」は
関心がなかったのである
「悲しむ遺族」だけが対象であり
悲しむ時間さえない程、様々な問題を抱えている遺族は
対象外だったのです
遺族が差別され偏見という問題にどれほど傷つこうが ・・・・・・
という事は
本当に心から自死遺族が元気になって欲しいとは
思っていないということ
それが普通なのかもしれません
しかし
行政には 気が付いて欲しい
大学や病院・・・・民間の支援団体が
遺族の心のケアの専門団体ではない事に・・・・
支援の専門家ではないという事に・・・
長野での弁護士の講演で
自死遺族支援は
自死のハイリスク者としての支援対象だったからだという事を あらためて 整理され 理解できました
行政が決めている支援では
様々な問題を抱えている遺族の支援にはならないということを 痛感し
自死遺族当事者本人たちが
「悲しみ」以外の問題にも注目し
問題解決のために 動いてきました
それには
法律の専門家を含む様々な専門家との連携が不可欠でした。
自死遺族当事者が様々な専門家と連携し「総合支援」の実現を目指し
行政やボランティアの支援者は
「こころ」だけの支援で満足しているのが 現状です
行政やボランティアの人たちが 「悲しみ」の気持ちをお聞かせください
という支援をしていますが
本来同じ悲しみの体験者だからこそ
自死遺族同士での「わかちあい」が「悲しみ」の相互扶助作用があるのです
悲しみを取り除くもの・乗り越えるもの・・という考えではなく
悲しみを人生のじゃまと考えず
悲しみを愛しいものとして抱えて生きていくという悲しみの考えを
受け入れて欲しいと願っています
:::大学で障がい者の助けをするボランティアを募集したら
車いすを押したり 同伴して図書館や買い物を手伝ったり
家事や家の草取りのような からだ を使うボランティアには
応募がほとんどなく
障がい者は心に闇を抱えているはずだから
苦しみを聞かせてほしいという傾聴のボランティアが殺到したという話を
ある教授から聞いた事があるが
具体的支援はできないけど
苦しみや悲しみのお話を1か月に一時間程度聞くのは
自分自身の心の豊かさにもつながるし・・・
という 人たちが多い気がする
自死遺族が「総合支援」の充実を目指して頑張るしかない
自分たちの事は自分たちでやるしかない
専門家との連携も含めて・・・