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明日から~

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明日は
 教育委員会と市長 そして記者会見

一旦帰宅後
4時近くの新幹線で東京  泊まり
 自死遺族等権利保護研究会
     火曜日 あさ7時過ぎの新幹線で帰宅
 11時30分過ぎに 仙台駅に増上寺布教師会のお坊さんたちをお迎えに行き・・・
   岩沼市に・・・いく
「法話の会」

 23日の水曜日は
     仙台市のハイリスク者会議 夜~
折立の第三者調査委員会
 盛岡市の会 仙台市の「藍の会」
子供を亡くした親の会
 遺族の茶話会

 今月はこれから一日も休みはない

先週熱を出して 4日間 朝から晩まで夜から朝まで
  とにかく寝て・・寝て・・・寝て・・・
      寝た
  昨日からはフル回転
このために 寝た4日間のような気がした
(息子は 先を 考えていてくれるようだ)
   今年もやるべきことが山のようにある
      やるしかない 全力で!

  急いで今日は 仏壇の花を買い 
      入れかえた 

  悲しいご縁が増えていく・・・
    予防や防止のための支援機関が 機能していない

   どうしたら 20パーセントでもいいから・・いや10パーセントでもいいから
    機能してもらえるのだろうか
 組織ばかり立派に作っても 役に立たないなら意味がない

     お兄ちゃん

     力貸してちょうだい
頼りにしてます m(__)m
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26日 盛岡市自死遺族の自助グループ 本人の会「循環の会」


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1月26日(土曜日) 岩手県盛岡市自死遺族の自助グループ 循環の会 のわかちあいの会を開催します

日時 1月26日(土曜日)
    13時30分~17時00分
会場 盛岡市民文化ホール 5階 第一会議室
    020-0045
    岩手県盛岡市盛岡駅西通二丁目9番1号
    019-621-5100

私 田中がしばらくの間お手伝いに行きます・もちろん26日は参加します。

  今回こそは 岩手県の遺族の方々にお手紙でご案内を・・と思ったのですが
     できませんでした。
ブログと facebookでのご案内です。
  
    寒い時節ですが お出かけになりませんか・・・
       資料を持って行きます。
   欲しい遺族には無料で配布します。

   

ごめんなさいという生き方

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我が子を2人・3人と自死で亡くした人もいる
    家族を連続で2人・3人・4人と亡くする人もいる

   自死で家族を亡くした時
    まさか・・・と思った人は多い

   だからこそ
       遺族は まさかが続かないように
          取り返しのつかない後悔と懺悔を重ねないように
            自分自身も含めて
         自責の念があるのなら
               なおさら  同じ後悔をしないように
               させないように
         「いのち」を意識して生きて欲しい
     しぶとくもあるが
      あっけないのも命
    家族の自死を体験した遺族は
        夫が妻が親が子どもが
         死ぬはずがない・・と思ってはいけない
  
 自分だけが苦しいと思うのは傲慢
     兄弟姉妹を亡くした子供たちも悲しみはある
        苦しい  さみしい
 自責の念もある

    亡くなった子供をおもうあまり
   生きている子供を忘れてしまう親がいる

   ご主人を思うあまり 子どもを忘れる人がいる

      悲しみに潰されてはいけない

   亡くなった人に「ごめんなさい」と言わせてはいけない

ごめんなさいは生きている私たちが亡き人たちに言う言葉

    助けられなくてごめんなさい   の  生き方
       どんな生き方なのだろうか

    一人ひとり 違う
       自分なりの ごめんなさいの生き方を
                亡き人との会話で見つけてほしい

    静かに瞑想の時間をもつと
               こころに聞こえてくる

「おしゃれしなよ」「おいしいもの食べてよ」
   「苦しませちゃったね」
「こんなに 悲しませるなんて思っていなかったんだよ」
   「長生きしてね」
「たまには 笑ってよ」
  「ケンカはやめて」
「仲良くして」
「懲らしめて」 「真実を見つけて」
 「もう言えなくなったけど、あいつは許せないよ」
・・・・・

いろんな声が聞こえる

  もしかしたら
 自分の心の声なのかもしれない

   その声に素直に従う

  あれをしなければ・・これもしなければ・・・
    と するべきことがわかっていても
  なかなか行動に移せず  進まない事がある
 そんな時は 
 亡き人が「まだだよ」と止めていると思う

  ・・・・時には
   なぜか必要な人たちとの出会いがあり
      ドンドン進むこともある
そんな時は
亡き人が「やりなよ」と応援していると思う

 自分の都合のいい考えだと思うが
    こう思う事で 無理をしないで活動ができる

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自死遺族の自助グループがなぜ必要か

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長野市に行ってきました。

やまなみの皆さんとわかちあいもできて
       悲しいご縁での出会いですが あったかい時間がながれ
         涙あり 笑いあり
自死遺族の自助グループ本人だけの集いならではの時間でした
   長野のやまなみのみなさん ありがとうございました。

   思っていたより暖かく雪もなく
       東京から近く 最近は都心の通勤圏内だという事を聞きましたが
                      わかる気がしました。

    12月には鳥取に行き、コスモスの会の皆さんと交流

      自死遺族が直面する法律問題を学び
                    遺族間でも 広げてもらいたいと思っています
    もちろん
      全国の自治体や弁護士会司法書士会等には 送付済みですが
  今後は 送付だけではなく 関心を持ってもらうためのアプローチをとる必要が・・・
    やはり
      訪問して説明をして お願いをしていかなければ
                自死遺族への理解は深まらないと思う

 講師である弁護士の話の中で
  今更ではあるが 気付かされたことがある

   国の自死遺族支援は 自死の予防の一つ
   要するに 「ハイリスク者」としての 自死遺族支援
だから「こころ」が中心
    亡くしたことによる悲しみだけに焦点が当てられている
   それも
「悲しみ」を回復させようという支援
なぜなら 「悲しみ」という症状だけに注目して
    亡くなったという「悲しみ」の原因はどうでもいいのである

自死のハイリスク者の要因の一つに身内の自死がある
    身内の自死+悲しみが継続
       未遂を繰り返す人たちと同じレベルの要注意人物なのです

    他の自死の予防や防止と同じように
  死にたくなるほど追い込まれている要因は無視して
    「悲しい」という表面だけを問題にしての支援

だから
   行政やボランティアの遺族支援は「遺族が抱える複合的問題」は
        関心がなかったのである
「悲しむ遺族」だけが対象であり
      悲しむ時間さえない程、様々な問題を抱えている遺族は
      対象外だったのです
遺族が差別され偏見という問題にどれほど傷つこうが ・・・・・・

という事は
  本当に心から自死遺族が元気になって欲しいとは
   思っていないということ

 それが普通なのかもしれません
     しかし
行政には 気が付いて欲しい
   大学や病院・・・・民間の支援団体が
遺族の心のケアの専門団体ではない事に・・・・
 支援の専門家ではないという事に・・・


 長野での弁護士の講演で
自死遺族支援は
自死のハイリスク者としての支援対象だったからだという事を  あらためて 整理され 理解できました

行政が決めている支援では
 様々な問題を抱えている遺族の支援にはならないということを 痛感し   
 自死遺族当事者本人たちが
  「悲しみ」以外の問題にも注目し
    問題解決のために 動いてきました
それには
   法律の専門家を含む様々な専門家との連携が不可欠でした。

自死遺族当事者が様々な専門家と連携し「総合支援」の実現を目指し
  行政やボランティアの支援者は
 「こころ」だけの支援で満足しているのが 現状です

  行政やボランティアの人たちが 「悲しみ」の気持ちをお聞かせください
     という支援をしていますが
本来同じ悲しみの体験者だからこそ
 自死遺族同士での「わかちあい」が「悲しみ」の相互扶助作用があるのです

   悲しみを取り除くもの・乗り越えるもの・・という考えではなく
     悲しみを人生のじゃまと考えず
 悲しみを愛しいものとして抱えて生きていくという悲しみの考えを
       受け入れて欲しいと願っています

   :::大学で障がい者の助けをするボランティアを募集したら
      車いすを押したり 同伴して図書館や買い物を手伝ったり
      家事や家の草取りのような からだ を使うボランティアには
        応募がほとんどなく
障がい者は心に闇を抱えているはずだから
  苦しみを聞かせてほしいという傾聴のボランティアが殺到したという話を
   ある教授から聞いた事があるが

  具体的支援はできないけど
     苦しみや悲しみのお話を1か月に一時間程度聞くのは
       自分自身の心の豊かさにもつながるし・・・

という 人たちが多い気がする

 自死遺族が「総合支援」の充実を目指して頑張るしかない
    自分たちの事は自分たちでやるしかない
専門家との連携も含めて・・・

  
     

遺族が読んだ短歌

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全国自死遺族連絡会の「遺族の思い」のページに掲載している

「会いたい」の手作りの冊子に掲載した息子さんを亡くしたお母さんの思い


夢幻・無限

○ この子でなくて私が死んだよう この世の中は真実なのか

○ 他の人には分からない どれ程の 苦しみ感じ生きているかを

○ 名を呼べば甘い情感胸に湧く きっとこの子が応えてるんだ

○ 心だけつらいこの世を抜け出して 夢でこの子に会いに行きたい

○ 幸せにしたいと思い進ませて 何故こうなるか母狂おしい

○ 我は死が一番恐いものだった 知ったからには恐いもの無い

○ 苦しくて訳がわからずどうしたら いいか分からず歌作るのみ

○ 死の方が本来の良い環境で この世の方が苦しみらしい

○ 亡き人と対話するのは難しく 我は想像働かすのみ

○ 理不尽でとても耐えられないのです この世は不条理だらけ

○ 傷ついた母の言い分聞いてよと 声を大にして叫びたいです

○ あちこちに連れて出かけた思い出が 蘇るから今日は悲しい

○ もうちょっと人生楽しいはずだった  人生なんと辛いのだろう

○ 頭から我が子離れる事は無い だから一緒に生きるんだよね

○ 楽しみは何かと聞かれて無いと言う 何をやっても悲しみが有る

○ 遺族ってつながりたいね一人でも 多く気持ち分かり合いたい

 全国自死遺族連絡会のホームページにはいろんな遺族の思いを載せている

   このブログは私の思い

「会いたい」の本が絶版になっていて
  欲しいという遺族に応えられないのが残念

今後 書店にお願いをして 買取でもいいので 出版したい
   

今夜はいじめ自死の第三者調査委員会

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今日は 折立中学校のいじめ自死事案の 
   第三者調査委員会  夜7時から~
16回目

遺族は公開を要望しているが
   大半は非公開
 遺族の推薦の委員が3名 臨時委員として入っている
   私もその一人

なんとか 公開を多くしたいと 委員会で議論するが
  教育局が選んでいる常設の常任の委員が4人いるので
        強烈に反対されて 遺族の希望には応えられていない
遺族の気持ちに寄り添い 配慮すること・・という文科省の指針があるが
   この指針は絵にかいたモチに過ぎない
(従うかどうかは 教育委員会の胸先三寸)
 常任の委員たちは 飼いならされた猫のようなもの

事務局である教育局の顔色を伺い
     筋書きができていて…台本通りに運ぼうとしている

とても 第三者性の担保ができているとは思えない

  今夜も闘い・・・一瞬も気を緩められない

  細かな矛盾点を暴かなければ 道は開いていかない

真実は闇に葬られてしまう

 加害者の名前も出ているのに
  加害者も認めているのに
      学校も認めているのに

認定を渋る常任委員たち

     いじめで死んでいるのに
       この程度の事・・という人たち

子どもが死んでいる事が この程度の事という認識の教育局

   奥山市長(前仙台市長)に要望書を提出し 話し合いの時に
     3人では足りませんか?…何人死んだら動いてくれますか? と 言った(私)
あれから市長が変わり
   そして更に2人が死んだ3年ちょっとで5人  5年で9人の中学生が自死している仙台市

   ・・・・・・・でも他人事かな・・・
つなみで大勢の子供たちが亡くなっても
     行政は他人事だものね

   たくさんのいじめがあるが 死んだのは一人だけです・・
 と 囲み取材で言い放ったのが 前仙台市教育長

  そんな考えの大人たち

   何が少子化対策
              いじめないでくださいよ お願いします
             言葉の暴力はやめませんか・・・
 やさしくしなくていいから
    いじめはやめてください




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      今から資料を再度読み込みます

自死の予防や防止は支援者のためのもの

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自死の予防や防止は
   人を追い込んでいる要因は放置して
    苦しいなら精神科に行きましょう
   死にたいと思う気持ちは精神科に行けば治りますから・・・

死にたい気持ちを お聞かせください

死にたいときは死にたいと言いましょう
   死にたいと言えないから死ぬんですから・・・
普通に
  死にたいと言える社会を作りましょう

まるで 何の原因もなく 死にたいと考えている人がいるような錯覚を起こします

   人間は 死にたくないのが普通
 死にたくないから 病院があり
  クスリが開発され
若返りを望み
      不老不死を望む

刑罰の最も重いのが死刑
  死をもって罪を償う

それは人間にとって死は恐怖 最大の恐れだから

   生まれつき 死にたい人はいません
そもそも
 死にたい人なんていません

しかし
   自死の対策は
       死にたい人をどう予防するか防止するのか・・・というのが中心です

自死のその多くは社会的要因に追い込まれた末の死である
    追い込まない対策を講ずる
と大綱には掲げているが
  対策のほとんどは
     追い込んでいる要因には目を背け
         追い込まれた後の対策ばかり

  しかも 死にたい人というフレーズは
     幸せな人たちには更に優越感をあたえるようで 
        支援者やマスコミは大好きな言葉
懸命に働き
  懸命に生きようとした息子
死にたかったわけではありません
 死にたい人という 言葉は  自死した人や遺族を蔑んでいる言葉です

  苦しんでいる人悩んでいる人追い込まれて人
     であって
  死にたい人ではない

   要因を取り除いてくれたら 元気になりますから

パワハラやいじめを やめてくれたら
    普通に働き 普通に学校に行けますから・・・

休暇も与えず
  朝から夜中まで働かなければならない労働環境
  を 改善してくれたら
    
   不当な経理処理の強要がなくなれば・・・・

差別したり蔑んだり
   言葉による暴力がなくなれば

債務も 整理できたら
 元気で働きますから



     介護も介護制度の見直しをしてくれたら
  負担が軽くなりますから

   精神科医療も  薬物治療の見直しをしてくれたら
      自死が減り 心不全も減り
         障がい者も減り
  働ける人が増えますから・・・

  上層部の報酬の一部を
労働者の賃金に還元してくれたら   
   多くの人が 貧困に苦しまずに済むのに・・・

 普通の人を追い込む要因はそのままにして

死にたい人の気持ちを聞く電話
  死にたい人の気持ちに寄り添う電話
死にたい人のための掲示板

 支援者のための支援が国の施策ですと言った
   国の担当者は正直者

支援する人の仕事が減らないように
 支援する人が心豊かになるために

  死にたい人が減っては困る・・・のかも
だから
 追い込んでいる要因はわかっているのに
    みんな  知らんふり

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普通の自然なキュウリは曲がっている

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日本人は平均が好き
 平均基準
  野菜も曲がっているのは基準外
     キュウリなんてものは
      自然に育てたら曲がるのが普通
しかし
日本人は まっすぐで 同じ長さ同じ太さのキュウリを基準としている
  それはなぜか
見た目のきれいさ
   切るときに楽?
他に何があるのか
    味は同じ
一本そのままで食べるときは真っすぐがいいが
    細かく千切りや スライスにする時は
  曲がっていても 問題はない
機械で作るものは
    基準が当てはまるし 基準があるのが普通
しかし
 自然に育つ野菜に
   機械で作るものと同じに基準を決めるのは
        ものすごく効率が悪いし、必然的に値段も高くなる
 形の悪いものは
   規格外の烙印を押されてしまう
 トマトやリンゴも
  形がいびつでシミのある方がおいしいことが多いのに・・・
     もったいないなぁ~とおもう
農家で育った私には
  今の野菜は不自然なかたちに見える
 キャベツや白菜など
    丸くなる野菜は 自然に育てると丸くならないものも出てくる
では
なぜ今は畑にある全てのキャベツや白菜が丸いのか・・・
 それは
  幼苗時に葉っぱが出てきたら
       中心に丸くなるのを促進する薬品をたっぷりと注ぐのである
  
 私の実家では
    キャベツや白菜の芯は食べない
なぜなら 自分が薬品を注いでいるから・・・
    決して食べない
 絹サヤインゲンも
    大葉(シソの葉)も
 朝から晩まで農薬を使って育てている
      虫食いの穴が一つでも空いていたら規格外だから
売り物にならないから
   売り物にするものは たっぷりの農薬を使っている
  家で食べるものには
   農薬を使わない 穴あきの野菜を食べている・・・
なぜそうなるのか
  見た目のきれいさが平均基準だから・・・

本当に国民は 農薬を使い不自然にまっすぐな野菜を求めているのだろうか
でも
国の基準なのです

人間にも最近は平均基準があてはめられ
   基準を満たさないと 「障がい」と診断され
発達にまで
1歳の基準 2歳の基準 3歳の基準を決め
  小学1年の発育の基準
    2年の基準
今は 大人の発達にまで 平均の基準がある
   友達がいるかどうか・・・多いのか少ないのか
     そんなことがどうして人間の発達の障害の基準になるのだろうか
人間は
 得て・不得手があるのが普通
 国語が苦手・・・というより 読むのが苦手・書くのが苦手
  漢字が苦手だがひらがなは得意・・
  と バラツキがあって普通だと思うのだが
国語・古文・漢文・
漢字を読めること・書けること・・・全てを求める
  数学も同じ
しかも音楽・絵画・図工・裁縫・体育・保健体育・地理・歴史・物理
 楽器も・・・
そして
静かに授業を受け
 先生の言う事はよく聞き 親の言う事もよく聞き
   友達と仲良く
適度の騒ぎ 適度のおとなしく
   大きな声でハキハキト・・・
要するに
 手のかからない 子が 基準

知能指数が高すぎる子は
     この基準に当てはまらない
   得意分野が際立つ子は 平均基準値の子ではない
       
人はみんな違う
   双子でも違う
 誰にでも話を合わせられて
  みんなに好かれて なんでもできる人はいない
 
発達障害と診断している医師を観察してみたらいい
  精神科の医師の多くは他者とのコミュニケーションは苦手
(平均基準から かなりずれている人が多い…私の知る300人~500人の医師に限りですが)
  ただ
   本人は 周りが気を使っている事に気が付いていないから
       生きにくくはないと思う
 学者も変わり者が多い
     一人ひとり 全員違う人の集まりが社会
 多様性を認め合う社会といいながら
   日本は人間の発達にまで 平均基準を設けて
   しかも
  発達の支援の促進ではなく
   薬物のよって自然な発達を抑えようとしている

子どもの発育は 時間がかかります
  そして 一人ひとり発育の速度が違います

野菜なら 農薬で無理矢理にまっすぐにしてもいいですが
  人間は
   クスリで 強制してはいけません

脳神経を破壊する成分が入っているのが
    精神薬ですから 

活動の見直し

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高野山 奥の院

 急いで往復した
   ゆっくり歩いてみたい
    もう一度行こうと思う

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  法話の会も最近参加していない
 こころが ざらつく気がする

今月22日
   岩沼市の中央公民館で
 増上寺布教師会のお坊さんによる法話の会がある
    息子に想いが通じるかな  

    自死遺族の様々な問題が山のようにあるが
         知らずに権利も求めず
               周りに 言われるがままにいう事を聞き
        傷つけられても
                耐えて
     屈辱的な言葉を言われても耐え
    ただただ耐えて暮らしている遺族もいる
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自死遺族には
 相談してほしいと願って
  広報も頑張っているのですが
           パフォーマンスが下手なのか
      遺族になったばかりの人に届いていないことが多い
   この事に力を注がなければならないのに
   
    遺族以外の人からの相談が多く
        手間と時間がとられ
     しかも
        仕事で相談を受けていると思っている人が多く
        あたりまえのように 無理難題を言う人もいる
  仕事ではないんですよ
    無報酬で・・・気持ちで・・・
        相談を受けているんです・・と言っても
     信じてもらえず
        仕事なんだから ちゃんと受けろよ!
     とか
言い方が気に食わないとか
    携帯の料金が高くつくから かけなおして頂戴!とか
       いろんなことがある
  この頃
    予防や防止の 直接の相談は受けないほうがいいような気もしている
自死遺族からの相談と
  自死遺族の問題だけを活動にしたほう
              丁寧に対応でき、イラつかない気もする

      精神薬を飲んでいる本人や
        家族からの相談は  恨まれることもあり
    ・・・・・・
  減薬・断薬すれば
    元気になるのになぁ~と思うけど
             相談を受けると エネルギーを使う
     
    債務の相談は 専門家につなぐ
       いろんな問題はそれぞれの専門家につなぐ・・が
 
    問題がないのに  悩んでいる人は大変
 先々の事を考えすぎたり
    全てが不満だったり
        の人は じっくりと考え方をかえてもらうしかないから
                  時間と手間暇がかかる

 人生は計画通りには行かない
    のに
計画ばかりたてて
  計画の段階でつぶれている人
10年先のことを考えて
  今、何にもできない人からの相談
    

・・・・・

  夫の稼ぎに不満
     でも働きたくはない
  美容院には行きたい
おしゃれはしたい
    旅行もしたい 
自分の親も世話になり
家事は苦手 片付けも苦手
  専業主婦
貯金はない
  離婚したい 精神科に通院中

でも 働くのは無理

    希望は
夫が稼いだ金は自由に使い
   旅行しても家事をしなくても
  夫は認め
 夫が家事をして働き
    朝起きたいときに起き 寝たいときに寝て
 おしゃれして
     暮らしたい

   ・・・・・・・・ 死にたいほどの悩みらしい

   自死遺族が受ける自死の防止電話相談としては
       イラつく  (すみません 心が狭い私です)

自助グループ本人のわかちあいを・・・全国に

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息子を亡くし
  支援者の会に参加し
会を終えた後に遺族同士で話し合った時間が
     リラックスでき
仙台市内に
 自死遺族本人の会のわかちあいの集い「藍の会」
    をたちあげ
市や県 国の支援に疑問を感じ
   大綱には自助グループ支援とあるのになぜ自助グループの藍の会を支援してくれないのか
          と厚労省や参事官・知事・市長と 要望した

しかし 
   聞いてはくれるが 日本語が通じていないような反応だった
支援団体や支援者たちからも
    冷ややかな笑いを受けた
 「何も知らない遺族が!」
    「自助グループとは ゆるやかな自助グループという意味」
「ゆるやかとは、遺族以外の人達が参加しても自助グループといいます」
「自死遺族を支援したり、自死遺族本人の活動を支援するのが行政ではないんですよ、
   自死遺族支援をする人たちを支援するのが行政ですから」
(では、自死遺族を支援する自死遺族として支援してください)と頼んだら
「活動しているくらい元気なんですから支援を受けなくていいんじゃないですか」
  といわれ
(それならば 遺族ではない人で支援活動をしている人は もっと元気なはずですから支援はしなくていいんじゃないですか)
  と反論し
「怖い」と言われた事もあります

なんとか自助グループを正しく知ってもらいたいと悩んでいた頃
   岡知史先生の本に出会ったのです
「セルフヘルプグリープ」
 ~わかちあい・ひとりだち・ときはなち~

「わかちあいは『本人の会』の基本です。会の活動はここからはじまります。
わかちあいは、同じ体験をもつ人と出会いたいという気持ちからはじまります。
それは単なる慰めあいではなく、もっと積極的な意味をもっています。
わかちあうのは共通の体験にともなう各自の気持ち、役に立つ情報、どんどん力が出てくる考え方です。」

自死遺族の中には、自分には「わかちあいの会」は必要ない、同じ体験者といえども他人に辛い思い話したくもない、過去を振り返らず前を向いて歩きたい-、などなど、そうした思いの方も少なくないでしょう。


しかし、同じ思いの人と話してみたい
  私だけ苦しいのか聞いてみたい
     どうやって生きているのか知りたい

そんな思いの遺族も多いと思います

「自助グループ」は 増えては来ていますが
  まだまだ 少なく
近くになく 遠くまでは・・と思う遺族もいるはずです 

   遠くまで出かける力のない遺族もいます

47都道府県に欲しい
    そう願っています 
半年に1回でもいい
 1年に1回でもいい
  遺族だけでの集いを47都道府県で開催したい

    

原則公開の第三者調査委員会

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第三者調査委員会

    いじめが疑われる自死の時に
                      設置される

10年以上前は
    遺族が要望しても 第三者調査委員会の設置をしないケースが多かった
     設置する義務は教育委員会には課せられていなかった

 だから 遺族は真実を求めるために裁判をした

     しかし裁判も非公開が多かった

現在
 第三者調査委員会が設置されることが増えてきたが
   基本「公開」の委員会が
    ほとんどは「非公開」で開かれている

「公開」と「非公開」の違い
「非公開」での開催だと
  遺族も傍聴できない
    資料も議論内容もアンケートも全て・・遺族もみられない
情報開示請求をしても
 委員の名前すら
 黒塗りでA4の用紙全部がまっくろ
黒のインクを流したように黒一色

 亡くなった自分の子どもの事が調査されたのか  
    全く知らされることなく
   「答申」だけが発表される

委員会は原則公開だが
第三者調査委員会の委員の3分の2をもって非公開とする事ができる・・・
 という条文が制定されている事がほとんど



行政が選んだ委員たちは
 個人情報を理由に非公開を主張します

いじめた子どもの名前が特定されないように。
 どうやっていじめたかが特定されると、
いじめだと認定されないうちにその行為をした子供が自分の事だと気が付き、
          傷つく可能性があるから。
では
 いじめだと認定された時には 名前は公表するのか・・というと
   絶対にしない。
 
加害者の人権は守る
しかし
 被害者の人権は死んでしまったから守る必要はない
 (死んだ人の人権はない)
・・・・
こんな考えです

 公開にすると
 遺族はもちろん傍聴できる
  情報開示をしても 議事録がそのまま出てくる

   自分が出した要望がどのように議論されているのか
  自分のこどものいのちがどのような扱いを受けているのか
      どの委員がどのような考えなのか
また
  事務局である教育局の対応も 目の前で見ることができるのです

     議論を傍聴すると
       自分の思いと何が違うのかがわかる
 委員会への要望も
      的確にできる

 原則 一般公開という形になるが
    からかい半分の市民が傍聴に来ることは ほとんどない

    マスコミには
      写真を撮らないように・・・
        個人情報は出さないように・・・
   声は変えて・・・
      腰から下だけ・・・とか
 細かく お願いができる

      どんなことがあったのか・・・を
                    知りたいと思うなら
      非公開ではなく
   公開での委員会を望んだほうがいい

     非公開だと
        亡くなった子供の悪口三昧の発言も多くある
                     親の悪口も・・・   

当事者不在の支援


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Nothing about us without us! 

「私たちのことを私たち抜きに決めないでほしい。」

   当事者不在の自死遺族支援を見直してください
   と
チラシを作り 国に訴えてきた 2008年から~

 自死遺族支援を担う民間団体
                    = 自死遺族支援の専門家でしょうか?
 精神医療や心理学の専門家
                   =自死遺族支援の専門家でしょうか?
自死遺族のわかちあいの運営スタッフ
                   =自死遺族支援の専門家でしょうか?
  こういった方々が自死遺族支援の一面を担ってくださっているのは確かですし
    感謝します
しかしながら
 当事者でない方々が 自
死遺族当事者の思いを正確に代弁することは難しいのではないでしょうか

調査研究ついでの自死遺族支援」は本当の支援にはなりません
 「本気でこの国の自死を減らす気持ちがあるなら
   自死の対策に当事者の声を反映させてください」
「遺された人の苦痛を和らげる」という前に
   自死遺族を苦しめる行政の対応を見直してください

自死に纏わる理不尽な扱いの排除に取り組んでください

   自死遺族支援=心のケア???

カウンセラーではなくソーシャルワーカー的支援が欲しい

  傷つけてから「ケア」をするのではなく
  はじめから傷つけない仕組みを・・・

   これこれこういう所で傷ついています
   こういうふうに変えてください

   と
 訴え続けてきました

    しかし 代弁者から自死遺族支援を学ぼうとする行政の姿勢は
             相変わらずで
当事者から 何を必要としているのかを
             学ぼうという視点は少なく 
ほとんどは支援者から教えてもらって満足しています

    なぜでしょうか?
        本気で支援を考えていたら
     当事者から学ぶのが普通ですが・・・

本に掲載されている遺族ではなく
    生の遺族の声を聞いてください

    想像の遺族ではなく
        苦しんでいる遺族の声を聞いてください
 支援者にお世辞を言うしかない遺族ではなく
     本心を言う遺族の声から学んでください

   実のある支援をしてください

     自助グループが開催されている地域は
        行政の会に参加する遺族は少ない
  なぜ?
      参加しない事が答えです
  求められていないという事です

      自死遺族支援の民間団体   
             行政の会
    自死遺族の事を本気で考えていますか?

     ・・・・・・・
         本気なわけないですよね
           それが普通です
   私たち自死遺族は
     本気になるしかないのです
  自分の事ですから・・

年始の桜は 悲しい心にやさしい

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我が家の年末年始の飾りの
 主役は「桜」

息子が逝き、すぐの年末に、息子が亡くなるまで勤めていた職場の事務の若い女性から
   桜の宅急便が届きました。
 元旦に満開になるサクラ
後で知ったのですが その女性のお母さんは自死でした
 手紙をやりとりして・・・その人のお母さんの事を教えてもらいました
  
 まだ 亡くなって2か月ほどでしたが
     錯乱状態の私の目にはやさしい色でした
   冬の桜は 花も小さく 華やかではなく  どことなく悲しい・・・

啓翁桜

 多くの人たちは精神科を勘違いしている

パーソナリテー障がいの女性に振り回されている人がいる
   この人の妻も家族も振り回されている
妻は夫を精神科に入院させたら
    改善されると思っている
・・・・・違う
 精神科に入院するという事は 精神薬が処方される
    振り回されている夫は 精神疾患者なのか?
  ・・・・・違う
  振り回されないようになる精神薬はない

   国語と算数が苦手・・言葉も遅れているようだ
国語と算数が得意になり、おしゃべりな子供になる精神薬はない

いじめられている
 学校に行きたくない
     いじめはそのままで 学校に行きたくなる精神薬はない

 残業が続き パワハラが毎日続く
    ストレスで胃がいたくなり
   食欲も落ちてきた
     仕事に行きたくない
残業はそのままで
パワハラもそのままで
    食欲もモリモリ 仕事への意欲もドンドン湧く
そんな精神薬があったら ヤバイ!

   就職ができない
     人間関係が苦手

 就職が見つかり 人間関係も上手になる精神薬はない

 借金が減る精神薬もない
  金持ちになる精神薬もない

 精神薬で 悩みは解決しない

   なんでもかんでも
     困ったことは精神科に行けばいいという 考えは 
          どこから来たのだろうか

   夫の浮気も 精神薬では解決しない
    介護も精神薬では楽にならない

   

  悲しみも同じ
訳もなく悲しいなら精神薬で何とかなるかもしれないが

 愛する人を亡くした悲しみは
    精神薬を飲んでも どうにもならない

   遺族の悲しみに精神薬は必要ない

 幸せになる精神薬はない
 時間を戻す精神薬もない

   息子が生き返るクスリはどこにもない

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1月2日・・・思う

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自助グループを立ちあげるのは簡単
  やめるのも簡単
でも なぜ 躊躇する人が多いのか
それは
 参加した遺族を 元気にしようとか支援をしようと思うから
  できなくなる

遺族の「わかちあい」は
  遺族が集い 話をする
      それだけの事
泣いていたら
  泣くがままにしていたらいい
    鼻水をぬぐうティッシュペーパーを傍に置くだけでいい


 もしも 遺族がカウンセリングやセラピーを望んでいるなら
     自助グループの「わかちあい」ではなく
   カウンセラーやセラピストとの
     セッションをしたらいい  それだけの事

 自分の悲しみが 精神病疾患だと思うなら
  精神病院にいけばいい

「わかちあい」は 医師や支援者とはできない
   同じ苦しみ・同じ悩み・同じ悲しみ
    お互いに同じ・・・ものがないと「わかちあい」は成立しない

愛する人を亡くした悲しみを抱えていない人は
  同情はしてくれるが
    悲しみという感情は理解できない

  100冊の本を読んでも
    1000回講演を聞いても
  所詮 対岸の火事 机上の話
     体験ではない

一度の体験だけで
   ことばで表すことができない悲しみがあることが身に染みる


 しかし

遺族が自分だけの体験で  遺族を癒やそうと思うのは
    大きな勘違い

 しかも 自分は悲しみを乗り越えたと思っていたとしたら
   なおさら
    勘違い

 最初は悲しみという濃い霧でおおわれていた人柄が
   少しずつ 薄くなったり
     一部の霧が晴れたりすると
  その人の本来の姿になる

    そこからが 悲しみとどう向き合いどう生きるのか
      が 問われる・・と思っている

 やさしい人が ずるい人に
      死ぬしかないというほど追い込まれてしまう自死
  

    自死した家族がいての自死遺族
       
凛と生きることと
        遺族を肩書にして生きるのは違う

    悲しみに沈んでいたころの自分を忘れてはいけない
     
   同じ悲しみを持つ遺族同士・・・
      亡き人のまなざしを・・・亡き人の顔を・・声を・・
    感じて生きていきたい

自助グループが広がって欲しい
 わかちあえる場所が増えることを願う

     自死遺族が増えないように・・・を願う

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自死遺族支援がなぜ保健センター(保健所)なのか

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自死遺族の「悲しみ」をお聞きします、という集まりは
  行政(保健師)を中心に広がってきた。
なぜだと思いますか?
それは
 自死遺族は「自死のハイリスク者」
     未遂者と同じレベルで、要注意だという位置漬けです。
 自死の要因の一つに「家族に自死者がいる」とあります。
  そして自死は「遺伝」という考えです。

 家族に自死者がいる=自死遺族
   自死遺族であることが 自死の未遂者と同じなのです

だから 精神科医がいる精神保健福祉センターや
保健所の保健師が「悲しみ」を聞き
 「悲しみ」が癒えない遺族は 医師に診てもらう構図になっているのです
(ある行政の会は 一年過ぎても悲しいという事を言う遺族は、精神科の医療の受診を勧めています)

  一部の保健センター主催の会は
 参加の前に保健師による面談があります

また遺族になって半年は参加できないという行政の会もあります。

 いのちの電話の自死遺族の会や
    臨床心理士(教授)・病院(聖路加等)精神科医等の主催
 行政と民間団体との連携(民間団体の代表が講師や進行役)
 して開催している会
  の多くは 自死遺族は研究の対象だったり
          データを取ったり
  特殊な人たち(自分たちとは違う人たち)という認識で接しています

 彼らの根底にあるのは「グリーフケア」
     「複雑性悲嘆」「遅延性悲嘆」「遺族うつ」
 自死のハイリスク者・・・遺伝・血筋・
     
    表向きはやさしい声で接してくれます
    表向きは 美しい言葉で
        いたわります
         
  対等ではありません

    支援してあげなければならない特殊な人
      蔑みがそこにはあります

   法的な問題は それぞれの専門家に依頼すればいい
     もしも精神が病んでいるなら
       きちんとしたカウンセリングやセラピーを受けたらいい
 供養で悩んでいるなら
   教会やお寺に相談したらいい
(神父や牧師・住職)
   ただただ
    遺族で話したいなら
   遺族だけで話すのがいい
他者がいる空間では
 「わかちあい」にはならない
 「ここだけのお話にすること」と言っても
    遺族ではない人に「聞かれた」ということに変わりはない
 陰で
 遺族の事を話題にしていることを 知ってほしい

  私は支援者と一緒に会合に出ることも多い
      だから よく聞こえる

  どうせなら
  まだ保健師だけのほうがいい

    彼らは守秘義務が法的に課せられる職業だから
 民間は
    法的に罰せられない

     自死遺族同士はお互い様
       他者に言う事は 自分が遺族と公開することになる

    そして
遺族は 遺族を傷つけないようにしてほしい
  人と比べないこと
  夫婦でも違う悲しみ

   自分が誰よりも悲しい!と思うのは自由
   でも 声に出して比べてはいけない

  そして 「わかちあい」は 悲しい気持ちが中心
  元気になった遺族のほうが
    まだ涙があふれる遺族に気持ちを寄せること
涙があふれて止まらない遺族が
  元気な遺族にあわせることは難しい
ただ
 帰りには
  片付けなどは してほしい
      支援する側 支援される側という 分けることなく
   相互扶助
     お互いに支え、支えられ…の精神
それが
 自助グループのわかちあい無題