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悲しみと活動

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どうしようもなく悲しい

   なにもかもかなしい

叫びたくなるほど悲しい
                 暴れたいほどかなしい

    この悲しみは誰のものでもない  私の悲しみは私のもの
      悲しみもまた私のもの

     人とは比べない

     人の悲しみと比べようがない
     人は人
  一人一人の悲しみは一人ひとりそれぞれのもの

      比較するものではない

     昨日 厚労省から白書が届いた

      いろんな機関から  様々な抄録や冊子や本が届く

         悲しみがいっぱいの日は あえて 読む

     明日・・いや今日31日

  仙台市いじめ防止等条例の骨子案にパブリックコメントを提出する

     さっきまで作成
    記者クラブにも持って行く予定

こんなかなしみは 誰にも味わってほしくない

    そんな思いで 相談にのっている・・が

        人を追い込まない対策が進まない

       ・・・・・いやその前に 遺族の法的問題の解決を
  自死遺族等権利保護研究会の弁護士と司法書士にしてもらわなければ・・と

    9月5日は 東京 6日に帰ってきて
      その日の夕方は仙台市の対策委員会
      8日は横浜
           配布資料の印刷もしなければ・・・

  かなしいと浸っている時間はない・・・

    突然 胸が締め付けられる
           
       明日も バタバタと・・・いそがしい

    なみだはお預け・・

        ごめん!お兄ちゃん
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9月8日11回目の全国自死遺族フォーラム 横浜

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9月8日
今年も岡先生を講師にお招きします。

   11回の開催になりますが 10回連続で岡先生に講演してもらっています。
     時には先生のつながりで
アメリカの遺族や自助グループの世界的権威であるボークマン教授を招いたり
     自死遺族の問題だけに焦点をあててのフォーラム


昨年の長野市
 今年は横浜市
  来年は宇都宮市の予定

    仙台のいじめ自死の遺族二人のお話

  鳥取のコスモスの会や
    大阪の泉の会
      新潟の逢うるの会や
    水戸市のさざれの集い
       長野のやまなみの会
    郡山市(福島県)のえんの会
   沖縄のくくむいの会
       秋田の結の会
      山形の青い会

  盛岡の循環の会
    埼玉のなないろの会
   川崎市のカーネーションの会

    東京のみずべの会
    横浜市の虹の架け橋とあんじゅ

       参加予定の会の方にも発言をしてもらおうと思っている

静岡の会も・・・参加できたら お話しを・・・

   皆さん自前での参加  ありがたいことです

       記者たちも来てくれるという事で 感謝

   遺族以外にも国や県・市の行政担当者
      大学関係者
        司法書士・社会福祉士の団体からも・・・

   昨年と今年は厚労省の補助金を頂き
       冊子も作成し 配布している
 フォーラムでも配布しようと思っています


いよいよ 来週になりました・・・

 1人でも多くの方の参加をお待ちしています

もちろん 無料です

大津市に~

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9月12日

大津市に行く

  ふれあいプラザ 4階ホール

悲しみと向き合うために・・・というテーマで講演

   岩波書店の「世界」での連載をしてくれた
        杉山さんのつながりで・・・ご縁がつながりました

   悲しい時
       苦しい時
            求めに応じて出来る限りの対応をしようと努力して活動を続けてきた
      遺族を訪ねて行く時もある
   
  活動を続けて思う事

    数え切れない遺族とのご縁
         一生懸命につながった人に 泥をかけれられることもある
      恐縮するほど 気遣いを送ってくれる人もいる

   あることないこと  ではなく 
ないことない事 作り話を広められることもある

     遺族の愚痴はほとんどはこぼすまい・・と思う
       たとえ 泥をかけられても・・・

     

        何度 泥をかけられたら息子を救えなかった 私の罪は許されるのか・・・と
          悟りの開けない私は思うこともある

        どんなにひどいことをされても  寛大で寛容でなければならないとしたら
                      活動はつらいものでしかない

     人のふり見て我が身を振り返る事にしている

       私の手をつかんでくれた  弁護士
      議員・・・住職  友人 知人  親たち
       親戚
             本当に
多くの人たちのつながりで活動ができている事を忘れないでいようと 思う
                   その後にいろんなことがあっても  
その人たちにはやっぱり 感謝しかない

     私が泥をかけられるのは
           人徳のなさ・・でしかないと自戒しているが
納得できない場合もある

   たくさん泥をかけても 泥をかけたと思わずに
        私を怖いという人もいる

     亡き人たちのまなざしを感じないのだろうか

    私は息子のまなざしを感じる

   傲慢になりかかるとき  愚痴が満載になるとき
       息子は苦笑いしている…そんな気がする

    カァチャン  受けた恩は 送らなきゃね・・と

     だれがどういおうと  俺が見てるよ・・と

     悲しくてどうにもならない時
  苦しくてどうしようもない時

       が
あったことを忘れてしまうのが人間

    家族の自死という悲しくて苦しい思いをした人たちが
         元気でいれば  どんな批判を受けてもいい・・といえるほど心は広くない

     時々  悪口がしんどくなることもある

          どうして  やさしい気持ちを忘れるのだろう
      人はどうして
           暴言を吐けるのだろうか

      活動の原点は どこにあるのだろうか

        亡き人を忘れているとしか思えない・・・人たちもいる

    藍の会の活動と

    全国自死遺族連絡会の活動は違う

      自死遺族等権利保護研究会

   東北いじめ総合支援センター

    つむぎの会  たんぽぽの会
   マロニエの会  青い会
       クローバーの会
   みやぎの萩ネットワーク

     遺族の茶話会  藍色のこころサロン
等 たくさんの会の運営をしている

   多くの人たちに支えてもらいながら・・・

       ::::::::岡先生のエッセイを読もう:::::::
 
   息子に苦い顔をさせないように

保健師の皆さん 自死遺族の会を自分たちだけで運営しましょうよ

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 明日は水戸市に行きます

 茨城県の水戸市で開催している自死遺族の「さざれの集い」
     講演

〇 いじめによる自死が減らない現状
〇 自死についての社会の偏見
〇自死遺族のために、私達ができることは?

  
   さざれの集いには毎年8月に招かれて講演をしています

      今年は大津市にも行きます

   今日改めて驚いたことがあります
     県が主催の遺族が話し合う会
わかちあいという表現をしていますが 遺族以外の人が会に入っている会ではわかちあいは成立しません
  わかちあいとは 同じ苦しみ  同じ悩み 同じ悲しみ・・・同じという共通することを抱えている人同士で成立します。
     悲しみを抱えない人と悲しみを抱えている人で 何をわかちあうのか・・・
 
 支援する人  支援される人
   悲しい体験を話す人と 悲しい話を聞くだけの人

  それが悪いというのではなく
    わかちあいではないということです

      悲しみというものをわかちあいたいのに
         わかちあえるものがないのですから・・・

      保健師が主催の会なら胸を張って専門職としてお話を聞きますという会でいいと思う
  なのに
   保健師が・遺族の会の代表という遺族ではない支援者と名乗る人を講師料を払ってまで呼び
      ファシリテーターという役目を担ってもらっている会が 全国に今もあるという事が信じられません
もう10年以上 ずっと 単なる素人の遺族でもない自称支援者という人を呼んで
  会を運営しているなんて
      もっと保健師はプライドを持ちましょうよ

   自分のお金ではないから 年間50万かかってもなんとも思わないのでしょうが
    もうそろそろ
   自立しませんか?
保健師の皆さん

    もう目を覚ましてもいい頃ではないでしょうか

   自分たちだけで運営したほうが よほど信頼される会になると思います
    自信を持って 保健師だけで会を開催してください

     何の理由があって  遺族でもない素人に頼っているのか
       話し合ってほしいと思います

まだ  地元の遺族にスタッフで参加してもらったほうがいいと思います

  山形県や 神奈川県 静岡県・・東京都など・・
    山口県もでしたが・・今はどうでしょうか

  

自死遺族が直面する法律問題  冊子の配布

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冊子が完成し 全国に配布をしています(自死遺族支援の担当機関)

   個人的にも欲しい人には 送ります。

 自死遺族のための法的な支援は様々にあります。
理解の深い専門家につながることが大切です。

専門家でも理解の深くない法的専門家も多く 相談して、依頼しても
     傷つくこともあり・・・また権利を知らずに 言われるがままになる事もあります

   専門家を上手に利用するためにも  正しい知識を持つことが必要です

 泣き寝入りせずに ・・・・・・・・当然の権利として  法的支援を知ってください

  全国自死遺族連絡会のホームページにも全ページが掲載されています
 
    厚生労働省の補助金事業です


不動産賃貸物件の損害賠償請求や
    鉄道の問題
相続 生命保険   医療過誤

いじめ 労災 等々

   

精神科の門は入ったら抜け出せない 地獄の門

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主治医がいて、通院して薬をもらい、
     ケアマネなどの支援チームがかかわっていて
       ・・・の相談も多い
  その多くは減薬や断薬をしたいわけではなく
    ただ苦しい 死にたい
       未遂を何度も…という内容が多い

減薬や断薬をしたら ずっと楽になれるだろう
    死にたい気持ちもなくなうだろう・・と思う
薬を飲むようになった原因はもうないのだから

    しかし減薬と断薬は勧められない
        怒鳴られることも多いから

  勧めたことがその人のストレスになることもあるから

      結果はわかっていても  本人が望まない事は勧められない

     そして 思う
       主治医がいて  十数年も精神薬を飲んで
原因が消えたのに
      悪化している症状をみて
        周辺の専門家が誰一人として 治らない治療・悪化していく治療に疑問を持たない事に
                 医療として機能しているのか・・と・・・・・

    変なものを食べて 食中毒を起こした
       医療にかかって薬を飲んでも  ドンドン悪化している
としたら
ほとんどの患者は医師をかえる
    ヤブだという
 風邪ひいて 熱と咳がでて病院に行った
  薬を飲んでも 点滴を受けても 
    熱と咳が改善しない としたら
 ほとんどの患者は病院を変える
     
  なぜ精神科に通院の人達は 悪化しても
  変えないのか不思議です


    そして精神という見えないものに対する治療が薬だけという意味が分からない
 ガンという目に見える病気でさえ
     直接薬を投与しても  ピンポイントで治療しても
       治らないことも多い

なのに
 どうして 目に見えない 心の治療に薬を投与するのかわからない

    目隠しをして運転するようなものだという医師もいるくらい無謀な治療をしているのが精神科の薬物治療

  子どもがやんちゃでも精神科にだけは行かない事
     喜怒哀楽が激しくても
   精神科にだけは行かない事
      どんなに悲しくても 精神科にだけは行かない事

  精神科の門をくぐったら最後 必ず精神薬というおみやげを持たされ
       病みつきになり
       依存をしてしまうことになる

  クスリをやめることが不安になっていく

    精神科の医師の飼い猫のように 離れられなくなっていく

      そして 寿命は縮む

これは 著名な医師からの受け売り

 素人の私の話ではない

それぞれの生き方

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昨日も今日も 夜中の帰宅

    宮城県自死遺族支援連絡会の会合をおえて
      遺族と二人で 4時間・・・
    ついつい 話し込んでしまった

        活動を続けてきた遺族が またひとりやめていく

     もうひとり 長く続けていた遺族もやめるようです

            遺族本人が活動を続けるのは 遺族を仕事にしていれば続く人は多いが
               気持ちだけでの活動は
                           気持ちをわかちあえる遺族がいないとしんどくなる

          口を出すのは簡単
               あれこれ文句も簡単
       仲良し会ではなく  仕事でもなく
          気持ちだけで  いろんな人たちを受け入れ
                              対外的にも活動をするのは
           コツコツ目立たない部分での地道な作業をしなければできない

        
      遺族同士の足の引っ張り合いは もったいない

     でも 自死に限らず 遺族同士足を引っ張る事がある

         それも きちんと理解もせずに

                              かなしい

     明後日は遺族の茶話会
  土曜日は藍の会のわかちあい

   日曜日は水戸市に行く  
  
 さざれの集いで講演をする・・・

       9月末まで 講演やふぉーやむ会合が続く

          元気でいられることに感謝

    元気だけが取り柄

      明日は 冊子の送付を少し・・・

     100歳まであと30年頑張ります

明日・アエル6階 午後3時30分から2人の弁護士の講演と相談会

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明日は仙台駅となりのビル
 アエル 6階 産業プラザネットU
  午後3時30分から
 自死遺族等権利保護研究会の弁護士二人を講師にセミナー
もちろん 無料
   厚労省の補助金事業

 自死遺族の法的問題の冊子ができたので その内容に沿った講演

    賃貸物件の賠償金の問題
  いじめ自死の問題

    弁護士の無料の相談の時間も設けています

   冊子を配布資料とします。

      お待ちしております。

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かなしくないふり

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月を見るとかなしい
   桜も・・・
     なにもかもが悲しい

   なんともない時もある
  無性に悲しくて かなしくて 身震いするときもある

   息子を自死で喪った母だということを 知っていても
        配慮されることもなく 
               
  田中さんは夫と次男と住んでいる・・・から いいよね・・
 私は一人ぼっちという人がいる
    よくきくと 1人暮らし
   子どもは就職して離れているだけ

    離れていても生きているからいいよね・・と言いたくなる
    (やさしくないわたしです)

    有名だよね・・といわれることもある

    何が?と聞きたい

    どうでもいい事

    息子が生き返ったら  活動はすぐにやめる
         
        私は聖人君子ではなく  煩悩だらけ  人のために・・なんて 無理

   息子のために・・・・活動をしている 亡き健一への懺悔

    精神科医療の問題も  どうでもいいこと

       ただ 遺族には飲んでほしくない
          悩みのある人も飲んでほしくない  と思っているだけ

       それは 精神薬は何の解決にもならないから

         苦しみが増えるだけだから・・・

  どうにもならない 悲しみを
         どうにもならない事として 受け入れてはいるが
     やっぱり かなしい

      悲しくないふりをして生きる事が 求められる社会
         
         なのに  時々  悲しい人として話す事を求められる
  
      人が作った言葉なんて 人の心の深い部分は表現できない

       かなしい   悲しい 哀しい カナシイ 愛しい

       どれも  私のkanasimiには 届かない

    忙しいことが救いかもしれない
  日々
  ごまかし ごまかし 生きている
 
   どうして 死んだのだろう・・・あんなに生きたい人だったのに
      

おもいつくまま

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フェンランドは幸せ度世界一位
    日本は

   近年は とにかく病気の宣伝が多い
      肺炎は4人に一人とか
         それはうつかも
      手のかかるお子さんは発達障害かも
  生きずらいと感じるのは大人の発達障害かも

       70歳で 頑固で片付けが下手な人は 発達障害かも

      クスリでは治るものではありませんとはっきりと言いながらも
          精神薬が必要なケースもあります・・という

  精神科が
満員御礼状態の社会は 人々は幸せではない
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    片方では戦争後70数年がすぎても 悲しい・・という遺族を普通と認め
      もう片方では半年過ぎても悲しみが癒えていない遺族は
複雑性悲嘆という病気だから精神科に行きましょう・・という社会
  どうなっているのかと思う


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   酒を一合飲むのは薬といいながら
 精神科医は一合飲むのは アルコール依存症予備軍という

 そういう精神科医の多くは 酒好き
        
      酒を飲むのが一合でもアルコール依存症予備軍なら なんで酒を売るのか
        煙草も同じ
        ギャンブル依存症も同じ
片方で 酒をうり たばこを販売し 競馬や競輪競艇  パチンコ等々を認め
    依存症は精神科にいき薬を飲みましょう・・・という




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  民主国家で生きるには
       正しい情報 正しい知識が必要
 大多数がいいと言うから いいのではない
    自分にとって 何が正しいのか・・・
   意見を持たないと 多数に流されていく
    それが不幸への道だとしても・・・

   医師だから…県だから・・・国だから・・・
教授だから弁護士だから・・・議員だから
大手だから  有名だから
  正しいとは限らない


自分がどう感じるか・・・自分の意思をきちんと持たないと 
    多数意見に流されて 不本意な事になる事もある


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   私は病院には ほとんど行かない
     かかりつけ医もない

    歯科医院だけ・・・

 特に精神科には絶対に行かないと決めている
  何の役にもたたない

  アメリカの精神医学を学んだ医師は 人間の喜怒哀楽全てが精神疾患だと考えている
     診察を受けたら必ず病名がつく



   友達なんていなくても いい
      全ての人に あわせて  いい人だね・・・と言われる必要はない
得意な事もあるけど不得意な事もある
 でも不自由はしていない

     自分が気持ちよく過ごしたいから 掃除も洗濯もする

    仕事だって ずっとしてきた
     
    どちらかというと ひとりですることが楽

  
   遺族の悲しみも 子どもの発達も  精神薬は飲んでもどうにもなりません
      流れのままに 自然に身を任せること

     自分らしくかなしみ
        自分らしく抱える   人はそれぞれ 比べないこと

   

  演技はうまいはずですなのに演じられない私

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講演は
 テーマに沿った内容にしたいと思っている

レジュメを作り、時々作文のように 挨拶から終わりまでを書くこともあるが
   そのまま読むことはほとんどない
    途中でその時の参加者と自分の思いつくままに話してきた

  台本通りに 読み上げた方が 遺族以外の人たちには心に響くのかもしれない

   感動するようなことば  美しい言葉
      悲劇のヒロインのようなエピソード
   時々 なみだを流し  こみ上げる悲しさを抑えて 声が詰まるような話し方
      できないことはない
なにせ 高校時代の文化部は演劇部だったのだから

    でも 私はしない
        演じるのは・・・とてもできない

     夫を亡くして
            20年 恋人がいる
       夫が生きていた時よりも 収入を得て(遺族が仕事)
   
 海外一周旅行をして  
               会議でも原稿を読み上げるような人
  だから講演は一字一句原稿を読みあげる
    たまに 嗚咽しながら

  夫を亡くして 再婚して25年
     それでも 講演では
  涙を流して 悲しいエピソードを語る

     オスカー賞をもらえそう

    そんな人の講演に感動する行政や支援者が多い



私のように 泣かず こみ上げもせず 淡々と
   悲しい話だけではない
       要望や傷つけられた話をするのは 好まれないらしい

    遺族への差別を払拭してもらえるように・・・

    普通に幸せに暮らしていたことは 話すが

        他者に泣いてもらえるような 話はしない

       息子を見せ物にしたくない
息子とわたしの深い部分は  息子とわたしだけのもの
     
  支援者は 遺族の悲しみや苦しみには うなずくが

    要望や提案には 反発心を覚えるようだ

     最近はそうでもない 行政も増えてきたが

自死の対策会議の委員たちは 地方レベルだとまだまだ 遺族に意見は言われたくない・・と思っているようだ

     精神科の医師や精神保健福祉士などの 精神医療の関係者はその傾向が強い

       エリート意識 特別意識
   自死する人なんて・・・その家族なんて・・・
 という 12年前に受けた強烈な差別と偏見の洗礼
     は いまも 根深く残っている

   だから 毅然と凛と 社会では生きようと念じている

     社会は幸せな人たちのために作られている
       ことを
            身をもって知らされてきた

    自死した家族を生活の糧にしている遺族もいる

      それで遺族が満足なら 亡くなった人は微笑むだけ

      苦笑いだろうが  微笑むだけ
お前たちがいいなら  いいよ  なんでもいいよ
   と

    私は 息子をネタに 生活費は稼ぎたくない

       だから行政に呼んでもらえるように 媚びは売らない     

   それでも 招いてくれる行政もある

    最近では茨城県の那珂市
      徳島市
          大津市
    上山市 ・ ・・・・・・・ 京都府
       他  たくさん

      本音を聞きたいと言ってくれる

       ありがたいことです

   
     

人為的に作られている発達障害

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国連に勧告されている日本
国連・児童の権利に関する条例委員会は2010年に
「著しい数の児童が情緒面での健康状態が低いとの報告をしていること、また両親や教師との関係の貧しさが決定要因となっている可能性がある。また発達障害者支援センターにおけるADHDの相談件数が増加している事、主に薬物によって治療されるべき生理的障害と見なされ、社会的決定要因が適切に考慮されていないことを懸念する」と勧告している。
さらに「この分野における研究が製薬産業とは独立した形で実施されることを勧告する」とまで述べている
今 発達障害に処方されている
ストラテラやコンサータは精神刺激剤と言われている

発達障害のアンケート質問項目は
「聞き間違えがある、言葉に詰まったりする、漢字の細かい部分を書き間違える、細かいところまで注意を払わない、着席していてももじもじする、指示に従えず仕事を最後までやり遂げない、だしぬけに答えてしまう、大人びている、ませている、含みのある言葉を言葉通りに受け止めてしまう、とても得意な事がある一方で極端に不得手な事がある、常識が乏しい、動作が不器用」といった57項目の悪口の羅列、こんな幼稚な質問紙によって子供を見ること自体が歪んでいる

ADHDは伝染病ではないのに、数十倍に広がっている
 注意欠陥多動性なる性癖を障がいに仕立て上げたのは近年である

製薬会社は薬の宣伝を市民に直接できない
  だからこそ 製薬会社は広告会社のマーケティング技術で 病気の宣伝をするようになった
「もしかして○○病かもしれない」
「もしかして鬱かもしれない」
「もしかして発達障害かもしれない」

信州大学の子どものこころ診療部長は読売新聞に
「中学一年生の女子、誰からも発達障害だと思われていなかった。ある日部活のみんなで試合に行くのに、手前のコンビニに集まって、それから一緒に駅まで行こうと誘われた、彼女は面倒くさいから一人で行くわと答えた」と例を挙げて
「発達障害の一つ、自閉症スペクトラム症の人は、自分のやり方、関心、ペースを最優先させたがる傾向があります。一方で仲良くなるための臨機応変な対人関係に興味がないか、苦手です、そのために集団のなかで浮いてしまい、場合によっては学校にいけなくなる」と述べています
駅のすぐ近くのコンビニに集まるのをめんどくさいと思うのは自閉症だと言っている

彼女が無駄な行動はしないで合理的にと考えるのは彼女の生き方であり
   自閉症の概念とは無関係である

 日本の発達障害支援法の定義によると
  エジソンも坂本龍馬もモーツアルトもアインシュタインもADHD
     多分社長はほぼ発達障害
ホンダの創業者も・・・
   松下幸之助も・・・
               おそらく作家も デザイナーも
          医師のほとんどは発達障害だ
    
        子どもは宝です

 子どもが幸せでない国は いつか滅びます

    現に 日本は過疎化が進み
     私の実家のある青森県北津軽郡の町のほとんどは
       子どもの数が極端に少なく
 45年前までは
    小学校が何校もあって  街の真ん中にある小学校は1200人ほどの子どもでした
    今現在
     ほとんどは廃校になり
   町の真ん中にある1200人の生徒がいた小学校が
     70人弱
      もう10年したら 30人・・・いや20人かもしれない

      子どもは減っている

それなのに さらに ふるいにかけて 薬を飲ませて
     働けなくしていく

精神薬を飲んでいる子供は  20歳になった時 どのように発達しているだろうか


 おそらく 普通には働けない
  精神障がい者となっていくだろう

    そして一生 精神薬を飲み続け 苦しみ
        早死にするだろう

    惑わされずに  正しい知識で 子供を守らないと  大変な事になってしまう

 

追い込まない施策はどこに~~~

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 自死の対策会議
 市町村や国

   対策の構築

様々な分野で様々に予防や防止の施策が・・・

   そのほとんどは 追い込まれてからの対策

 追い込まれないように社会の仕組みを変える対策はほとんどない

   普通に暮らしていた人たちを  追い込む仕組みはそのままにして

     大変ですね・・・苦しいですか?
      悩んでいますか?

ご相談ください~というもの

    支援をするための支援対策
  支援をする人たちが忙しいふりをするための自死の防止対策

    また 自死予防と防止の支援を仕事として金を得るため
  いわゆる自死ビジネスの推進

  幸せな人たちが より幸せに・・・自己満足ができるか・・・それが自死の予防や防止の支援・・・対策

      追い込まない対策は どこにも見当たらない

   学校教育も
     働き方改革も
 介護問題も   いじめも パワハラも
  精神薬問題も
      債務問題も(これは少しだけ是正された・・・だから減った)

      問題解決と同時に  人を追い込まないような対策をしていかない限り
  永遠に自死は高止まり
      急激に減らないほうが 支援者は仕事があっていい・・かも

  管理治療  管理教育  管理社会
    自由なようで自由ではない

    個性豊かな天才は日本では はじかれる
        海外で有名になれば  排除した日本が・・・さすが日本人・・という
            おかしな社会

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      目立たず・・・・・・・黙々と働く大勢の人間が必要・・・それが日本という国
 一部の金持ちのために・・・いのち削って従順に働く人間に育てるために
         学校教育がある
   思うようにならない子どもは 発達障害という診断をして障害児として精神薬を飲ませる
     従わせるために

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発達障害の診断基準は(教員等から聞いた話)
    場の空気が読めない子ども
    ひとのかお色を伺い 相手に合わせて話ができない子ども
       授業中話す子供
     友達が少ない子供
    如才なく誰とでも仲良くできない子供
  好き嫌いがある子供
  遅刻をする子供
忘れ物が多い子供
     叩かれてからかわれて反発する子供
        親の職業
      借家住まいかどうか
   などなど  たくさんある
      1割が発達障害児
         100人いたら10人
  1000人いたら100人
     一万人子供がいたら1000人の子どもが発達障害だなんて
  アホらしい
   バカバカしくてお話にならない

 でも これを信じている学校や社会・・それが今の日本
    
 
    生まれてよかった・・幸せ・・と感じる人たちが増えてほしい
       
      若者の自死が世界で一番多い国が日本
    
     決して 豊かではない
      物質が溢れているだけ
          それは 企業の利益のため  豊かさは企業だけ
   
    自死は物質の豊かさではなく  心の豊かさに比例する・・・そんな気がする

    

今も悲しみで胸が痛い

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8月はお盆の時期
   お寺さんのお手伝いもして・・いつものようにお盆の供養を終え
    今日は17日 
 一雨ごとに涼しくなっていく

   健一が逝って 今年の11月で13年を迎える

     まだ13年という思いと もう13年という思いと両方ある
        なぜ死んだのか・・・と 今も思う
  言葉にできない気持ち
      言葉で表現しようとすると 薄っぺらい気がして 納得できない
   日本語は機微に富んでいると言われるが それでも足りない思いがあるということを
        息子を亡くして感じている

   あんなに 死にたくないと思って生きていた息子が
       なぜ 死んだのか・・・

     時々 思う
今の日本の社会は やさしい心を持っていたら生きにくい・・・しんどくなる
 ずる賢い方が楽
     適当にいいかげんに  他人のことなどあまり考えず自分勝手な方が 楽
       自分の意見を持っていると 余計に厄介でしんどい

何にも考えず 流れに流され  悪も見てみないふり
    いじめもパワハラも 意地悪も 隠ぺいも ウソも
       見てみないふりが普通にできた方が楽

    正義感を持つと 生きずらい
         
   お世辞を言い  仮病も使い
       弱さを強調し  服従の姿勢があり
  長いものにまかれて いたほうが  楽

        譲り合いの精神というけど  キリがなく譲ることになる

      岡先生のエッセイに「真理について」というのがある
その最後のほうの文章
自分の命と他者の命は等しく同じだけ価値があるという「真理」を本気で生きることができる人など何人いるだろうか
誰かに脅迫されて、目の前の人間を殺せば一日だけ殺すのを延期してやろうと言われたとき
ぼくたちは 何人の人を殺したあと自分の命を諦められるだろう
おそらくは百人殺しても、まだ自分は百一日生きたいと思うかもしれない

・・・・・・・・・・・・・

********


自死はそんな人間の最大の欲望である生に対する執着を超える苦しみがあったのだと思う


  やさしい人がいいというけど
     今の日本はやさしい人がやさしいままで生きられる空間は狭い

  幸せ度が54番目だという日本
        
      頑張ることが美徳
       忍耐が美徳
   努力が美徳
        辛抱強いが美徳
     まじめな人にしわ寄せがくる

   何を言われても理不尽さに耐えて・・・恩をあだで返されても がまん・・・

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       ずるい人間に育てたら 息子はいきていたかな~
          

私は いいかげんで適当だから今も生きている
    息子よごめん!

いまも かなしく 胸が苦しい
      息をするのがしんどい

茨城県のさざれの集い(自死遺族の自助グループ)に26日行ってきます

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25日に仙台わかちあいの会「藍の会」
  26日の日曜日は水戸市に行きます
  「さざれの集い」「という茨城県の遺族が開催している自助グループに招かれています。

〇いじめによる自死が減らない現状
〇自死についての社会の偏見
〇自死遺族のために、私達ができることは?

   をテーマに話します。

 代表は一人息子さんを亡くした母
   2006年11月にNHKの朝の番組で全国放送になった後・・すぐに連絡をもらい
         ずっとつながっています。

  茨城県総合福祉会館で開催です

  彼女は 80歳まで開催を頑張ると言ってくれています、ありがたいことです。

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  息子が逝ってから 自死の問題だけを考えて生きてきた

 12年と9か月

    様々な事をやりながらの 自死の問題ではない
   この問題だけ
       他を考える気持ちはない

    息子が逝かなければ  のんきに機を織ったり 編み物をしたり 旅行をしたり・・と
          社会の事など・・ましてや自死の問題など考えもせずに生きていた

   ボランティアは嫌いで・・・人の世話にならずに生きるのがボランティアだと思っていた
      自分のことは自分でする お金がなければ働く 買わない・・・
        自分で考え 自分で決めて生きてきた

    突然の息子の自死
   様々な問題が一気に起こり  人の裏側も見た
       苦しみと悲しみとで 半狂乱の日々
  助けを求めても
      支援という機関は何の意味もなかった

    普通のお坊さん 普通の友人
  普通の父や母
     普通の親戚
  が それぞれの役割で助けてくれた

      私が自死遺族になる前から  国は民間団体と共に会合を開き
        自死遺族支援というものを考えていた

      自分が遺族になって  それらを知り、つながろうとしたとき

        差別と偏見で 深く傷ついた
         臨床心理士によるカウンセリングを受けようとした時も・・・である

   そんな一つ一つに対して 疑問を抱き 国にも訴えた 何度も何度も

      マスコミにもたくさん取り上げてもらった

      散々誤解された  今も誤解している人たちもいる

     私は まっすぐ活動をしてきたつもり

  あくまでも 自死遺族の事を活動としてきた
     自死の予防や防止に関しての意見も 自死遺族という観点からである

     息子がなぜ死んだのかも含めて 自分の体験と
 たくさんの遺族から聞かせてもらってきた事

     体験的知識 が 私の基本

 自死遺族が少しでも元気で生きられますように・・・
  自死遺族が増えませんように・・・

      そんな活動を続けてきました

  虚しさとの闘い
     無力さとの向き合い
        
     心あるたくさんの人達とのつながりがあって今を生きています

  亡き息子と生きている息子に見守られて・・・

 あ!忘れてた 夫も(笑)a00757.jpg

    

     

自助グループと全国自死遺族フォーラム

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9月8日  横浜市
            TKP横浜ビジネスセンター―
 午後1時30分から
    
  「全国自死遺族フォーラム」第11回
      是非とも多くの皆さんにご参加頂きたいと願っています。

午前10時30分~
   自助グループの開催をしている人たちとの勉強会(近況報告等)があります
     これから立ち上げたいと思っている遺族
      どこかの会のお手伝いをしたいと思っている遺族
 開催しているけど 悩んでいる遺族
    等々
        連絡会は支援者グループを否定はしていません
     
    遺族でも遺族以外の人たちと「遺族の話を聞く集い」を開催している人もいます

   「わかちあい」を目的とするなら
       同じ苦しみ同じ悩み同じ悲しみを持つ者同士で・・・というのが自助グループの考え

     どんなに共感・共鳴しようとも 同じ悲しみにはならない

      悲しいだろうな・・・悲しいよね‥そうだよね

        でしかない

     言葉では表しきれない 悲しみを言葉なしで わかると言えるのは
       同じ経験をした人

   それだって 100パーセント同じではない

         ましてや 他者は・・・

 でも
 他者にしかできない事もある

      専門家としての支援である

     法的専門家  医療の専門家  福祉の専門家等 様々な専門家は
     専門家としての支援ができる

     何の専門家でもないけど  何かしたい・・という人たちの役割もある
  がしかし
     一番難しい「かなしい」という心に入ろうとする素人が多い

    なんの専門家でもない人が

   グリーフケアなどというものを 学んで  遺族の心の専門家のように遺族に指導までする

     遺族に悲しみを教えるなんて  普通の感覚ではできない

        それなのに  日本では 遺族当事者から 悲しみを学ぼうとせず
           グリーフケアというものを 遺族以外から学び 目の前の遺族にてらし合わせる

      しかも グリーフケアの考えはアメリカ人の悲しみの一部でしかない
          日本語に訳しているが 直訳も多く 日本語の意味が通じない

      自死という形での死に対する偏見と差別
        多くの遺族は自死という事を隠して生きている

   おおっぴらに 自死遺族と言えない人がほとんど

    だからこそ わかちあいは遺族だけで…と思う

      様々なその他の支援は 専門家に受けたらいい

     そのための連携も必要 

  総合支援のためには 自助グループでのわかちあいも必要である

       同情は要らない
    あわれみもいらない

  悲しい人ではあるが  かわいそうな人ではない

       遺族にもフォーラムも含めて 活動はできる事を発信しようと

       2008年から 開催してきた

  皆さん   参加してみてください

  何かが 見えてくる・・・はず  

  お待ちしております

 9月8日 横浜ビジネスセンターで・・・

自死した息子と共に

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ようやく 少しだけ
   自死遺族の自助グループが認められてきたような手応えを感じる

    12年の月日

      一歩・一歩・一歩・・・・・・・・1年に一歩 12歩 進んだことが目で測れる歩幅になった

   たくさんの人たちとの出会い

     多少の考え方の違いはあってもいい

   同じ思いを少しでも共有できたら・・・と  つながってきた

       批判されることも多い・・が
           賛同者もたくさんいてくれる

  ありがたい事

     いつも 亡くなった息子の気配を感じながら
       問いかけながら  生きてきた

     申し訳ないという思いと  どうして・・という思い

     同じような思いの遺族が増えないように・・・
      同じような悲しい死が増えないように・・・

     遺族が健やかに生きていけますように・・・

        いつも思う

    追い込んだ人たちが  追い込んでないと自分を騙してウソをつき
                生きている姿を見ると 最近は憐れに思う
        情けなく 悲しくなる

    息子は懸命に生きた  人を騙さず
   けなさず  蔑まず
   いじめることなく  まじめに生きようと頑張った

     職場の上司も 伴侶も 伴侶の家族も

           悲しい人たち

   人の死を悼むことなく
          供養することもなく
         
                       パワハラもいじめも  自分の犯したことから逃れられない
          
         ごまかしても 記憶は消えない

     
      遺族には 悲しみを抱えても

        毅然と生きてほしい

          悲しみとともに 凛といきてほしい


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     悲しみを消さずに  生きてほしい

         
  悲しみは愛しい人への想いだから

自死遺族という生き方

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 私を強いという人が多い
   そうだろうか

  自死の問題でしか生きられない
    他の生き方ができない

   息子への懺悔の生き方として 私の生き方は自死の真ん中を歩くしかない

    一人ひとり 生き方は違って当たり前

    これは私と息子との間にある気持ち 他の誰かと比べたことはない

    ひとりの活動からはじめた

      正確には息子とわたしかな・・・

    自死の問題を考えずに 生きられる遺族はすごいと思う

      多分 私は胸が苦しくて息ができなくなると思う

    家族もそれがわかって 許してくれている

          家の電話を公開 もちろん携帯も公開

  住所も公開  アドレスも公開
             毎日 遺族も含めて 様々な電話やメールが来る

家族が休みの時も  食事の時も
      父母の葬儀の時も・・・

    家族の理解がなければ  活動はできない

     この人は生きられないと思ったと夫も次男も言う

     時間のほとんどを自死の問題に・・・

遺族の問題に・・・

   それが私の生き方  それしか生きられない

     人はそれぞれ・・・

     残念ながら  こんな生き方しかできない

ある意味で 弱い人間だと感じる

     ただ 誹謗中傷 差別や偏見には強い

        負けず嫌いなのかもしれない

  それと 息子の自死という悲しみとは違う

      息子への悲しみという感情が 活動の原点
全部が
    強いわけではない

     強い部分もある

     嫌われても 媚びは売らない

       信念はまげない

       信念は息子の自死

     12年がすぎ  多くの賛同者が一緒に歩いてくれている

  ありがたい事

     今を生きているのは ありがたいこと

        多くの皆さんに許されて生きています

   9月8日  横浜でお会いしたいです
       

悲しみは薬では消せません

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自死遺族に精神薬を勧めないでください

  自死遺児に精神科を勧めないでください

   精神薬でつらい気持ちが消えるわけがありません

    精神薬でかなしい気持ちがなくなりはしません

    精神薬で子供がお父さんの死を忘れて勉強ができるようにはなりません

精神薬でお母さんの事を忘れて ルンルンにはなりません

    子どもに精神薬は飲ませてはいけません

    よ~~~~く考えてみてください

     精神薬って何ですか?

      記憶を消す薬ってあるのでしょうか

     もしも記憶が消せたとして   部分的に
   ピンポイントで 家族の自死という部分だけ消せるクスリってあるでしょうか

     悲しい気持ちが 軽くなるクスリってどんな薬

     軽くなるには どうしたらいいのか

     死んだことを 考えなくする薬

         それって  そこだけ考えなくするクスリって事?

        脳のどこで家族の自死の悲しみを考えているのか
                 わかっていないのに
    どうやってピンポイントで消せるのだろう

    ガンがそこにあると分かっていても  小さくするのは難しいと言われている
      またガンだけではなく 周りの細胞も傷つけてしまう可能性があるという事も言われている

     鮮明にガンの大きさもわかっていても・・・

       それなのに
  脳細胞のどこに 家族の死の悲しみを感じる部分があるのか全く分かっていないのに
      この辺の脳細胞の感覚を鈍らせる薬を飲めば
         なんとなく 悲しみを考える力を弱めるだろう・・・
   効いたら儲けもの程度のクスリ
  その儲けものになる効果を得るために  失う他の記憶もあるかもしれないが
           まぁ いいか!程度のクスリが精神薬

  睡眠薬も同じ

     世界中どこの国民も  日本人のように睡眠薬は飲んでいない
  
         また長生きというが  健康寿命は日本人は低い
  
   寝たきり~意識なし 
    自分でご飯は食べられない  点滴だけ  胃瘻だけ
      そんな長生き寿命が多いのが日本

  健康寿命
   または自分の意思があっての長生きの人が増えてこそ
         本当の意味の長生き国

     幸せになる精神薬はない

     元気になる精神薬もない

 テンションが高くなる精神薬は
      全てにテンションが高くなり
                       悲しくても楽しくなる
       人の苦しみも楽しくなる
                     人格破壊されていく

  脳が破壊されていく

    精神薬が必要な精神疾患はほんの少しだけですから・・・

  
  家族が亡くなったことでの悲しみや苦しみは
  薬を飲んでもどうにもなりません

  時が過ぎていくこと

     それだけ   です
        
        

全国自死遺族フォーラムを9月に控えて

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2008年の5月に開催した「全国自死遺族フォーラム」
 今年で11回目を迎える

仙台で1回目 全国初の自死遺族による自死遺族のための自死遺族フォーラム
その後 赤坂の日本財団の会議室や大森のきゅりあん・他東京で4回 京都で1回
 大津市のお寺で1回 仙台
    福島県郡山市1回・長野市1回 
11回目の今年は横浜市
  来年は宇都宮市

  全国から  多くの自死遺族が集う 一年に一度のフォーラム

 遺族が公の場で発言する機会がほとんどなかった2008年
  与えられないなら
    自分たちで発言の場を作ろうという思いで開催した

  内容は自死遺族フォーラムなので 自死遺族に関することが中心

     遺族以外の講師を招いても・・・講演内容は自死遺族日本語関することのみ

  
    自死遺族等権利保護研究会という自死遺族の総合支援のための専門家たちとの会を2010年にたちあげ
      シンポジウムを開催するようになってからは
     自助グループの研究者である上智大学の岡教授を毎回招いてきた

   自助グループの定義を知らない人たちが大多数の日本で

     自助グループの定義に沿った運営を行政も含めて社会に認めてもらうのは至難の業

       あいまいな概念で  当事者以外の人が運営にかかわっても  
            自助グループと名乗っている会が多い

     自助グループがすばらしい  というのではなく

       当事者以外の人が運営にかかわる会は  そもそも自助グループ(セルフヘルプグループ)ではない

  2006年から ずっと 訴えてきた

     自助グループは自助グループ
    行政主催の会は行政の会

   ボランティアの会はボランティアの会

    セラピーの会はセラピーの会

     医療の会は医療の会

     法的な会は法的な会

   支援の会は支援の会

     わかりやすく 区別して発信して下さいと言い続けてきましたが

     県や市が主催の集いが ホームページに堂々と自助グループと掲載している地域があり
         残念です

 自助グループの定義を知ってほしい

    遺族が代表でスタッフが遺族ではない場合も自助グループではない

   保健師が主催でスタッフが遺族でも自助グループではない

     会の開催や閉会 場所や時間  ルール等
 全ての運営を当事者だけで決める事が自助グループの基本
決定権が当事者にある事

   参加する遺族が選べるように  
          誰が運営して  どんな内容かを広報することが必要
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      8月は 水戸市に行く「さざれの集い」に招かれての講演

  9月は8日が  横浜でフォーラム

     12日が大津市に招かれて講演
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      自死遺族は小人数ではない
   20年間の自死遺族は
 おおよそ300万人近くいる
     30年間だと450万人  少なくはない

    自死遺族が自死遺族になるのではない

      自死と関係のなかった人たちが自死遺族になる

     家族数が年々少なくなっている現在

      いつも10000世帯の地域だとしたら
       昨年1人 今年2人  
            毎年遺族の世帯が増えて行く  割合が増えて行く
  
      自分の周りに自死遺族が増えるだけ

        だからこそ

   予防や防止も含めて  差別のない社会
      人を追い込む社会
           いじめのない社会
 人と人が支え合う社会
        
     お互いを認め合う社会

  悲しみを自然の事として認め合う社会

     遺族が増えないような社会

      そんな社会を目指したい  と思っている

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悲しみ比べ

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わかちあいという時間

   たくさんのルールを作っているところもある
      
   藍の会は 2~3個を必ず確認し合う

     その一つに 悲しみ比べがある

     例えば 子どもが亡くなったというけど  もう一人いるから 一人っ子を亡くした私のほうが悲しい
           年老いた親は順番だから・・・私が子供を亡くしたよりマシよ

          孫がいるからいいよね
                 34歳まで生きたから  私よりマシだと思う私の息子は20歳までしか生きられなかったから
      夫を亡くしても 子どもがいるから 私よりいいわよ 私には子供がいないんだから

           などなど

        気持ちは 自分が世界で一番悲しいのは当然

   他人の死よりも家族の死のほうが 自分には悲しい  当然です

  その当然が 他の人も当然なのです

       私の息子の死が 私にとっては世界で一番悲しい

 でも 他の人にとっては他人の死に過ぎない  当然です

     ひとりひとり それぞれに それぞれが 世界で一番悲しい・・・

        それが人間です

   なぜなら

   悲しみとは 愛とイコールだからです

  愛があるから悲しい

    愛の深さが 悲しみの深さとなる

        愛を比べられないように 悲しみも比べられない

   お互いに  そのことを認め合う事が わかちあいでは大切です

  言葉に出さなくても

     あなたの悲しみをあなたが一番悲しいと思っている事は事実です

    悲しみという感情は
     亡くなった人と自分の間に沸き起こるもの

     たとえ 子どもの死でも 父親と子供の間にある悲しみと
    母親と子供の間にある悲しみは違う

     悲しみは 誰のものでもなく 自分のものだから

    全員が 世界で自分が一番悲しいと思っていて普通


      ただし 声に出して相手に言うのは 人として幼すぎる

         と思う

    お互い 認め合い 意思を尊重しながら  
       わかちあう

     人間社会の最低限のマナー

         亡くなった人のまなざしを感じて やさしい心を持ちたい

              持たなければ  と いつも自戒する愚かな私です

       

        

     

死ね・バカ・キモイ・臭いが飛び交う教室

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   明日は 調査委員会
     初めて 一般公開となる
 なんとか 少しでも市民の皆さんにも 遺族にも 真実が伝わってほしいと願う

    
行政・・学校・・・委員たちには
市民が子どもが・・・亡くなったという事実を事実として受け止めてほしい

  人間は好んでは死なない

  死にたくて死ぬ人はいない

    そもそも 死にたい人はいない

      そこが大きな間違い

     自死の問題の調査に  自死の事など何にも知らない人たちが有識者で委員になる

       死んだ人の性格の問題だという ストーリーができている

        人は人をいじめてはいけない

      パワハラもいけない

 そもそもハラスメントはいけない

     ヘイトスピーチもいけない事

     差別もしてはいけない


       毎日 「死ね」という言葉が飛び交う学校が普通という感覚の大人たち
            
        そんな言葉を使わないように  子供たちは育てた

      私も  チョー田舎で育ったが
      「死ね」という言葉は  どんなに喧嘩しても使わない

       教育を受けていない母だったが   そんな言葉を聞いたことがない

   どうしたら 「死ね」が日常会話となるのだろうか

      今の学校で学ぶには 「死ね」という言葉に慣れないと  空気の読めない子になってしまうのだろうか


      死ね・臭い・キモイ・バカが日常会話の学校・・・家庭
        それって 普通なのだろうか

      その言葉に 傷つく子供は  弱いのだろうか

     そんなことを 最近思うようになった

なぜなら

  調査委員会の委員たちが  死ね・バカ・キモイ・臭いの言葉が学校では普通と主張し

    そんなことを気にする 私は繊細過ぎる・・と言い放ったことがきっかけ・・・

  学校での日常会話がそれだとしたら

    社会に出ても 同じように言うだろう

それが パワハラとなるに違いない

     人を蔑む言葉を  認めてはいけない

     何の権利があって   死ねというのか聞きたい

       言葉は大切

       死ねと馬鹿が飛び交う学校を認める仙台市

     いじめを正当化しようとするがあまり  常識がずれてきている仙台市

        子どもが亡くなっているという事を忘れての 調査委員会はあり得ません

      自死という事への差別は
   計り知れないほど 底深いものです

       無意識の差別も根深く存在します



全国自死遺族フォーラム 第11回  横浜

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一般社団法人 全国自死遺族連絡会


第11回 全国自死遺族フォーラムの日程と会場が決まりました

日時 9月8日(土曜日)
   13時30分~16時30分
会場 TKP横浜ビジネスセンター
221-0835
神奈川県横浜市神奈川区鶴屋町3丁目30-85
045-450-6317

●横浜市営地下鉄ブルーライン 横浜駅 西口 徒歩5分
●東急東横線 横浜駅 西口 徒歩5分
●京急本線 横浜駅 西口 徒歩5分

基調講演  岡知史氏(上智大学教授)
 ~自死遺族の自助グループ活動と悲しみについて~

◆遺された私たちが伝えたいこと
~いじめ自死でわが子を亡くした親4人の声~

◆会場からの発言
~それぞれの地域での自助グループ活動の報告等~

◆全国自死遺族連絡会から活動の報告

懇親会の会場は川崎のカーネーションの会の代表が経営しているイタリアンのお店を予定しています

遺族の方を含めて多くの方のご参加お待ちしております