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全国自死遺族フォーラム 第11回 横浜

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9月8日  土曜日
 横浜市で全国自死遺族フォーラムを開催する
  11回目
     遺族が大勢 集まる

   活動している人  していない人
     20年30年になる人  まだ日にちの浅い人

  昨年の長野でのフォーラムには 海外の大学で医者になるために学んでいる遺族も参加
      遺族以外にも
         学生や院生も・・・
また 自死という問題に関心のある人も・・・

    年を追うごとに 参加者は増えている

  遺族が一年に一度集い
    交流を深める

       情報交換も・・・

    また 上智大学の岡先生(自助グループの研究者)のお話もある

めったに 大学以外で お話をしない先生
  海外の学会での発表はたくさんされていますが・・・

  多くの皆さんに参加してほしいと思っています

  来年は宇都宮市での開催を予定

     

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ブログやfacebookへの 異常なコメントは削除しましょう

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ブログも掲示板もfacebookも
   インターネットで発信するという事は 誹謗中傷も受けるという事
 
正しい事だけが 発信されるわけではない
    人を非難して 快感を覚える人もいる

   以前 コメントのあまりの炎上に耐えられなくて
     承認制にしました

承認制にすると 私のブログの管理者である私の承認がないと公開されません

    そうすると 反応が見えなくなるので ブログ荒らしのようなコメントは減ります

それでも 私の精神を攻撃するようなコメントは届きますが
  即削除しておしまいです

  精神に悪影響を及ぼすコメントは削除してみないことが最大の防御です

     神様や仏様の事も非難する人もいます

      どうしようもない人です

    かかわらない事が大事です


    人を困らせて快感
       人を追い込んで快感
     そんなひとの言葉をまともに聞くのは 時間がもったいない

      ボロクソに言われ続けての活動

でも  理解してくれる人も大勢います

    心ない言葉を吐く人は 山のようにいます

しかし
    思いのある深い心の人も 山のようにいます

       心ない言葉を吐く人を どうにかしようと思っても無駄!

    どうにもなりません

   疲れるだけです

       闇の人の世界に 引き込まれないように

     そして

     生きてください

       自分なりの 楽しみを見つけて

   人間否定の言葉を散々受けて活動をしています

     でも  いいんです
 全員から否定されていないから

    人間は 認めてくれる人が100人いても
   1人からの否定が気になり 囚われてしまう生き物

     全ての人から認められるなんて ありえない

      ボロカスに いう人もいる

        全員が否定しているわけではない

  認めてくれて  思いやってくれる人が  一人でもいたらいい

       それだけで十分

      
    そんなふうに おもうように  

       意識をかえるだけで  楽になれるはず

          アホな おバカな 人に非難されても 

  いいとおもいます


 最近も 異常なコメントがありました


 即! 削除!

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会いたいの本


  
  会いたいの本はどこで買えますか?
と最近 頻繁に連絡が来る

    絶版になっていて アマゾンでも相当に高い値段になっている

   手元に1冊しかなく どうにもならない

 図書館にはあるので  勧めている

    今年中に 何とか再版して 発売にこぎつけたい

明石書店と交渉予定
    頑張ります

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遺族が推薦する人を調査委員会の委員に任命してもらいましょう

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 突然 とてつもない 虚しさに襲われる
      寝ていても  突然 
 それを どこかにおいて 感じないふりをしている
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    調査委員会  いじめ いじめ自死  第三者委員会ともいう

    教育委員会・教育局・子ども未来局・教育庁・・・
        委員は常任に場合もある
    いじめ自死の調査委員会が常任で存在するということが異常
      いじめ自死が起きることが前提で常に設置されている


その委員たちは 教育委員会・教育局・・・・等で選出し
    市長や知事が任命する

   調査委員は遺族側も選び 委員として任命してくださいと要望ができる
     その権利があることを 行政は知らせない
          
  様々な資源は 知らないと手続きができない

遺族が権利を主張して要望しても
      条例では 行政が選んだ委員だけが調査委員となります 
         と言われることが多い

    また この問題に詳しくない専門家は
       行政には逆らわないほうがいい
    遺族推薦なんて要望したら 心証が悪くなるから・・・と遺族にアドバイスする・・が

     バカ言ってはいけない

     誰のための調査委員会でしょうか
        県や市の心証を気にしてどうするのでしょうか
    子どもは亡くなったんです
 
 そして 自死が起きた時点で 行政は遺族は敵とみています
「とんでもないことをしてくれた」
 「面倒なことになった」
   「出世に響く」「うんざりだ」
    こんな言葉を 行政や議員から 聞くことも少なくありません

    大げさではなく 真実です

   調査委員会は非公開がほとんどです

   非公開であるということは 情報開示をしても 議事録は黒塗り
    遺族も傍聴はできません

お情けで  1~2かい冒頭の部分だけの傍聴ができる程度です

     ということは 委員会で自分の子供がどのように議論されているのか
         知ることができないという事です

そして 聞き取り調査も
     行政が描いた物語の台本通りに結論が出るように 誘導されます
アンケートも聞き取りも
    結果ありで 質問をしていくのです

    だからこそ 調査委員会の委員は遺族も推薦して 任命してもらう事が大事です

    真実を知りたいという願いは  闘わないと叶いません
     
   戦うには 委員会に遺族側推薦の委員を入れなければ 土俵にも立てません

      弁護士は どのような事案でも専門ではありません
        得意とする分野があります
    依頼するとき・相談するとき
        労災・過労・いじめ・学校・行政・薬害・医療・・・等
    得意とする弁護士につながらないと はじめから負けです

      真実は明らかにされず
        故人を傷つけ 遺族も傷を深くし
          侮辱されておしまいです

   正しい事が正しいと認められるのが調査委員会でもなく裁判でもない

    力勝負です  どれだけ 力が発揮できるか・・・です

   力のあるほうが 正しいとなるのが 今の社会  残念ですが

遺族として生きる事をやめる遺族たち・・・(それぞれの生き方のひとつ)

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久しぶりにブログを書こうとして・・・
書いていたら 音声で読み上げるという操作をスイッチオンしたらしく
    ブログを書いたそばから読み上げる声が消えず
   仕方がないので  ブログを書くことをやめて削除した
     
     あらためて 書こうと思ったら さっき書いた言葉が浮かばず
        全く違う内容になりそう

あ!そうそう
    一つ思い出しました
自死遺族として生きることをやめる人はそれなりに多い・・
   自死遺族の会を立ち上げたり・・・スタッフとしてだったり
    と・・・自死の問題にかかわりを持っていた遺族の中で  
自死の問題とかかわるのをやめて生きて生きたいという遺族
    様々な理由があるのだろうと思う
                私はできそうもない

息子が逝き 自死遺族という立場で活動をしてきた
そもそも 活動は好きではない
   ボランティア活動も好きではない
 支援も好きではない

    支援を受けないように・・・ボランティアの世話にならないように・・・
        と 生きてきた

    私なりのボランティア活動は
 支援を受けずに生きる事もその一つだと思い生きてきた

   だから 今の活動も自助グループとしての活動
  
  息子が生き返ったら  即やめる
       無責任であろうが  息子が生き返ったら  自助グループの活動ではなくなるから・・・
    遺族ではない人たちが  
      無償でないにしても  自死の問題にかかわってくれている事が
            不思議な気がする
  私は遺族にならなければ  全く関心を寄せずに生きていたと思うから

   蔑むこともないが  関心もなかった

     自分の事 家族の事だけを考え生きていた

  ある日突然息子が逝き
   自死のど真ん中で生きることとなった

   自死というを考え活動を続けている事で 息ができている
      息子が生きていた時のような幸せな100パーセントの世界では 息がつまってしまう

       遺族として生きることをやめる人たちを目の前にして
                    そっか・・・そうだよね そんな生き方もあるよね・・と 漠然と思う

        私にはできない生き方だから・・・

      自死の問題は深い  闇も深い
         自死をビジネスとする人たちも多い

    また 自死の問題に遺族当事者が参画しないと  とんでもない事にもなると感じている

      ほとんどの自死の専門家という人たちの参考文献は海外である

 日本の文献はほぼない
               日本人は海外のひとの研究論文をもとに・・というより
   海外の対策そのまま 日本の対策にあてはめることしかしない
     
         風土文化死生観宗教観・・・等  その国その国によって違うものがあるのにもかかわらず・・である

       自死遺族の悲しみについても
                 悲しみを知らない人たちが 
悲しみが全身に沁みている遺族に悲しみというものについて教える・・・グリーフケアが支援者間では浸透する日本
   そもそもグリーフケア発祥のアメリカで否定的な見方をされているグリーフケアが
          悲しみの指針となっていることが おかしいのである

     遺族への対策  その内容が遺族を小ばかにした
      蔑んだ内容であることに  声をあげず  そのまま ありがたく受け取っている事が
 また 遺族を蔑むことへつながる事に想いを馳せてほしいと思う

      また自分だけ認められたらいいというのではなく

      自死全体自死遺族全体の問題として 

          考えてほしい と 思う

 権威ある人の参加に入るのではなく
  同等の立場で 活動してほしい  そう思う

   ・・・・・・遺族の活動の限界は  継続の難しさ

      継続は力です

     今、車いすでの外出は普通 旅行も普通
      運動することも普通
昔は考えられなかったこと・・・

    それは 社会に訴え 発信し続けてきた当事者がいたから


        自死の問題も同じ  
これからも 発信し  続けていこうと思うimages.jpg