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押しかけずに待ちましょう

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生きてほしいと願う
  自死で愛する家族を亡くした人たちへ
 
 悲しくて かなしくて 悲しみでいっぱいの毎日
  苦しい
     せつない
会いたい あいたくてたまらない
胸が痛くて
息ができなくなるほどかなしい

   言葉で表せない苦しみと悲しみ

   それでも 生きてください
       自責の念があるなら  生きてほしい
  
亡くなった人を忘れないように
     みんなが忘れても 自分は忘れないように
いつも思い出してあげるためにも
   せめて自分の中で 生き続けさせるためにも

   二度死なせないように
      踏ん張って 生きて  元気で 生きて 思い出してほしい
         それが 償い

   自死で逝った人への世間の目は冷たい
     だが
     遺族の生き方次第で 世間の目は変わる
    不幸が重なると
    「やっぱり」「自死した家族だから」と言われる

   悲しくても  元気に生きていたら
    それだけで
  「亡くなった人が守ってくれてるんですね」と言われる

     自死で逝った人たちの 名誉と尊厳は遺族が元気に生きる事で守られる
  
    まずは自分たち遺族が 自死した人たちを信じ守ってほしい・・・そう願って活動を続けてきました

    どうかどうか 生きてください

     こちら側から逝かずとも

  いつか 亡き人が お迎えに来るまで・・・・待っていましょう

    必ず迎えに来ますから

    押しかけていかないで・・・

       待っていましょう
逝きたくなくても 其の時は来ますから・・・
i320[1]

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最近また増えた ひどいコメント


<
roberia_1m[1]

以前コメントを書き込めば自動的に掲載されるようにしていたのですが
   あまりにもひどいコメントが掲載され
    私だけではなく
      読んでくださっている人たちも 気分が悪くなる事が続き
今は
  承認制にしてあります
自動的には掲載されません

   コメントは 名前を変えても 発心元が同じだと 同じ人だとわかるようになっています

     ブログは訪問しないと見られませんので
      自分の意志で訪問しているのだと思います

  嫌なら 訪問しなければいいのにと思うのですが
 あえて訪問して
   侮辱する言葉を書き込む人がいます
 
  しかも 亡くなった息子の名前だったり  遺族が嫌いな自殺ということばや
   自殺志願者といったネームで・・・

   楽しいのかな・・・それって

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   自分は安全な場所にいて
   人を貶めようとする人

    人をおとしめて 幸せを感じる人って
        理解できない

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  日曜日 息子のお墓のあるお寺で 花見会だった

    テレビでみたよ・・・と声をかけてくれる檀家さんたち

       自死という事に 
あたたかいまなざしを向けてくれる人が一人でも増えてくれるのは
   ありがたい

 コンビニでも声をかけられる
    みんなやさしい

     ・・・・・・・・宮城県内でまた一人の子供が逝ってしまった

    市教委は親子喧嘩だと発表

    昨年の秋の子供の自死も 親子喧嘩だと発表

     自死を社会問題だと捉える視点はそこには皆無

    子供が死んで 錯乱状態にある遺族は
     他者の問いに 私が悪かったというに決まっている
    自責の念はあるのだから
       親の自責の念を利用して  学校は関係ない
       家族の問題だという流れが できつつある
        宮城県は 特に

 
  やさしい人たちが増えてほしい  もっと
        せっかく育った子供たち
    
   幸せに生きる権利があるはずなのに
      
      学校が 楽しくないのは  なんだろう
    私は
   学校が楽しかった・・・
  思いっきり 自由に 楽しかった
 
     今でも 思う あの頃が一番自由だった気がする

   今の時代  物はあふれていつが
      幸せ感は薄いと聞く
 なぜなのかな


      息子は この世に絶望して 逝ってしまった

   息子が絶望した世の中で 私は生きている

 なんだろう

子供は精神科に連れて行かない事

himeringo1[1]

 また 一人の子供が逝ってしまった

    不登校の子供を 精神科に連れて行っても
       不登校は改善されない

 数学が苦手な子供に
    精神薬を飲ませても 数学が解けるようにはならない

友達が少ない子供に
精神薬を飲ませても友達は増えない

    男の子は女の子よりも 発育が遅い子が多い
  知能も・・・
身体も・・・

小さい頃に なんでも親がやってあげ
   幼稚園に入るから・・
小学校に入るから
   と
自分でやるように・・と言われても
 子供は戸惑うばかり

  少しずつ 一つずつ
     がまんも教える

   してはいけないことも教える

人への迷惑も教える

    学ぶことが楽しい環境も 作ってあげる

そして
 誰よりも 親が 自分の子供を認め
 あきらめず
   繰り返し しつける

 3歳とか小学生で
  ウロチョロして 落ち着きがないからという理由で
   おとなしくなる精神薬を飲ませてはいけない

精神薬を飲んで
落ち着いたのではなく
ボーっとなりだるいから おとなしくなっただけ

   麻薬と同じ成分の精神薬

子どもの脳は破壊されていく

   アルコールが子どもに禁止されているのは
      成長途中のやわらかい子供の前頭葉が
          侵されて破壊されていくから

   たばこのニコチンも同じ
   だから 未成年は禁止されている

 それらの何倍も強い 破壊力のある
精神薬を子供に飲ませているなんて  おそろしいこと

  親の言いなりになる子供を求めてはいけない

 子供の成長に 優劣付けてはいけない

     ひとりひとり 違ってあたりまえ

  ウロチョロと落ち着きのない子供が
 思春期になり
  女の子は生理・・・男の子は声変わり
それが過ぎても
  ウロチョロ落ち着きがないなら
     其の時は 話合ったらいい・・子供と

 20代の女の子
   美容師として働いている

   姉に頭脳の良さは持っていかれて
     自分は勉強が苦手でした・・と話してくれた

その子は 美容師で生計をたてている

頭脳明晰で有名国立大学を卒業した姉は
   今 フリーター
     親の世話になって暮らしている

   極端かもしれないが
     国語数学英語理科体育美術等々
学校の勉強が優秀だから
   有名大学を出たから
      
    幸せになるわけではない

   その子が得意としている事を伸ばしてあげる教育が
        真の教育だと思う

    職人になるのもいい
     農業や漁業をやるのもいい
 左官屋さんになるのもいい
 植木屋さん
  料理人  美容師 理容師
       
     警備員  清掃 なんでもいい

 自分の子供は誰に似ているのか
  自分に似ている

遺伝子は自分たちの遺伝子

  他の子は他の人の遺伝子
    だから 比べてはいけない

ましてや
勉強ができないことや運動が苦手なこと
  落ち着きがない事を
 子供個人の責任として
     障害という レッテルを  親が貼ってはいけない 
そして まだ発達途上の子供に精神薬を飲ませるなんて

   学校は無責任
   手のかかる子供は 面倒くさいから
 クスリでも飲ませて
おとなしくさせておけばいい

大人になった時に  廃人になろうが
   重度の精神疾患者になろうが  知ったことではない

死んでも学校が悪いのではなく
   子どもが障がい者だから・・という理由付けになる

    今の発達障害の流行は怖い
  誰もかれもが
   発達障害の専門家のように
  あの子は発達障害だと思う
     この子も発達障害だよ・・・などと決めつけて

親に 精神科に行ったほうがいいよ なんて勧める

    どこまで無責任なのだろうか

子供時代は 18年だけ

   ゆっくり子育てを楽しむことです

二度と 今の時間は戻らないのですから

活動は誹謗中傷の連続~

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  ルンルンのブログ
前向きな言葉のオンパレード
  きれいな耳障りのいい言葉で埋め尽くされているブログ
   を求めているなら
私のブログは 読まないほうがいい

   世の中の理不尽な事にも 腹をたてず
     差別をされても  怒らず

 騙されても 笑顔で
      蔑まれても ニコニコ



  息子が生きていたころは
     作り笑顔  お世辞笑顔
  普通にできていた
 
 世の中の裏もあまり関心がなく生きていた

 息子が逝き  活動をして
     裏を知り 理不尽と欺瞞に満ちている事を知り

    違うものが違う 変な事は変だ
   ずるいことはずるいと
     ウソは嘘と
指摘して活動をしてきた

自死遺族というだけで
  簡単なご案内の文章も理解できないといわれたこともある
自死遺族は知識がなく、貧困で喘いでいて 低階層の人たちであると
   国の自死の担当者が国に出した報告書に書かれていた
 もちろん ネットでも公開された

  

    自分の事ではないのだから
       ふ~~~ん  大変だね!
と他人事でいれば  誹謗中傷は受けないで済んだかもしれない

  精神薬の事も 知ったことか!
     関係ないと 無視していたら
他人が死のうが困ろうが 苦しもうが
     知らんふりをしていた方が
 楽だったかもしれない

   息子の死が 楽して生きる事を拒否

 人への批判は 匿名ではなく
   実名で行うことが大事

   私は 匿名で意見は言わない
      批判的内容も 匿名ではなく実名で書く・・講演もする

 国へも要望書という形で 批判的意見も述べてきた
   国の会議でも 県や市の会議でも
      これは おかしくないですか?と訴えてきた

   ボランティアなら…私的資金での活動なら
      どんなに間違った事でも
           いうつもりはない
お好きにすればいい
    
   ただ 税金での支援 税金でのケア
     となると 話は違う

  家族が自死で逝き
    前向きで希望に満ちて ルンルンにはなれない
 
あそこの スィーツがおいしい・・・  
  ここのパスタが美味しい
      私にとっては
  どうでもいい事

    興味がない

    人でも 死んでほしくない・・・生きてほしい

    やさしい人たちが  幸せに  生きられる社会を・・・と

それだけを目的として 活動を続けている

批判は覚悟のうえIMG_0262.jpg


   

操作される大勢  

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高畑勲氏が講演
   和を持って貴しとなす の言葉は すばらしい
がしかし・・・・・・・・・
   と戦争のことを語っている

物言えぬ空気を読むと  大多数の空気を読む人たちの空気に流されて
   空気感を作った 人たちの 思い通りに流されていく

 戦争反対は犯罪とされた時代

    人を殺すことが戦争  大勢殺した者が英雄

   他者のものを奪い取るのが戦争

それを立派な行為とする

 精神薬も同じ
    国をあげて 精神科に行くように勧める 心のケアという支援
       心が薬で元気になるとは思えない
 もしも 心が クスリで意味もなく元気になるとしたら
    戦争時代のヒロポンのような 危険なクスリ

 債務があって悩んでいる人や
    過労とパワハラで疲れ切って 気力をうしなっている人に
  精神薬を飲ませて
     元気にするって ありえない
 まずは債務問題の解決
 まずは労働環境の見直しとパワハラの禁止
     それが 対策であり支援・・・ケア
  
それなのに
 なんとなく 精神薬が悩み解決の万能薬のような空気感が漂っている
   国民全員が精神科医かのように
あ!それは 精神科に行ったほうがいいよ!と勧める
  よく考えもせず

最近はやりの 発達障害も同じ
  大人の発達障害とかいう意味不明な言葉で
     不安をあおっている社会
  
普通に生きていくことが 大変な社会を作っておいて
    生きづらいことは 障害ですよ・・といって
    社会のせいではなく
   個人のせいにしている
社会問題なのに 個人の性格の問題にすり替え
    さらに 精神薬を勧め
      個人の幸せ感を薄くしている

  操作社会である

 それに気が付かず  空気を読んで
    作られている流れに従っていくと
戦争のように
   反対する人が 少数となり
      反対する人間が 間違っている・・と言われる

 いじめも同じ
  いじめる子供が多数  見てみないふりの子供が多数
   いじめられている子供は一人・・・
多数決で
  いじめている子供の意見が正しいとなっていく

  学校も いじめ自死をいじめが原因と認めると
       いじめそのものをなくする教育に力を注がなくてはいけないから
    いじめられて死んだ子供が特殊な子供・・・
個人の性格 個人の精神的病 障害が原因という結果を出す事に懸命になる

   正義はどこにもない

人のいのちを守る・・とか
  いのちは地球より重い  なんて言葉は パフォーマンス

 心にもない言葉だ

   自死の問題は  
       戦争と同じ・・・1年に2万5千人
   WHOの基準だと
     10万人を上回る
  20年で 200万人  30年で300万人の自死者
    社会の犠牲者

   権力ある所の情報に疑問を持つことが必要
   
政治もみてのとおおり
    忖度が行われ  情報操作が行われ
     公文書まで消える社会
改ざんと隠ぺいと ・・・
印象操作・・・

和を以て貴しとなすというすばらしい言葉の持つ
    裏を知っておきたい

 

大きく広い深い心で・・亡き人のために

20070715174505[1]

 必要としている人に必要な情報が届くように
    
   そんな思いで
     ホームページを作っている

    悲しみと苦しみで 
        もがき 生きる力が少なくなっている遺族もいる
  でも「わかちあい」は苦手という人もいる
     自死というくくりでないほうがいいという人もいる
    子どもというくくりのほうが 安心という人もいる
兄弟姉妹というくくりがいいと言う遺族もいる

   いろんな雰囲気の会があってほしい

     ずっと参加の人もいる
 1回・2回で 来なくなる遺族もいる

     藍の会も  連絡先を書いてもらった人だけでも
       780人以上
サロンも合わせると
   1200人は超える

    その中で 1回目からのつながりは
     7~8にん
 スタッフ制にした方が継続して参加するのかもしれない

    しかし藍の会もサロンもつむぎの会もスタッフ制にはしていない


 お手伝いをしてもらっている遺族はいる

  新しく参加する遺族を ウエルカムで迎え入れることが
     大切
藍の会は
  時々 参加している遺族に
    最近 新しく参加する遺族がいないね・・・なんで・・・と言われる

   自死遺族のわかちあいの会に参加の遺族は
      いつも同じ参加者だと 疑問を呈する

   あらたに遺族になっている人がたくさんいるのに
      どうして?と・・・

   広報が 行き届いていないと反省する

             藍の会も含めて自助グループは
   新たな遺族を迎える雰囲気をいつも持っている事が大切

  何度も参加している遺族だけで
   ワイワイガヤガヤと 仲良しグループのような雰囲気では
      一人で悩み苦しみ やっとの思いで参加した遺族は
  疎外感でいっぱいになる
       溶け込めずにいる遺族に配慮することが
          大事
   そんなことはめんどくさいから
   いつも同じメンバーで いいという遺族もいるが

   公開して いろんな人のお世話で開催している会では
     それは アウト

いつも同じメンバーで集まりたいのなら
    人の世話にならず
 自分たちだけで  集ったらいい

 しかし よく考えてほしい

   どこで 知りあったのだろうか

    どうかどうか
      悲しみでいっぱいだった
     居場所を探してもがき苦しんだ あの頃に想いを馳せて
 今もがき苦しんで 求めている遺族にも
     居場所を・・・・

   それが 亡き人たちへの愛

  亡くなった人たちが  見ていますから・・・・

まなざしを感じて・・・
      
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支援なのに どうして当事者本人の要望を軽んじるのかな・・・



シドニーで過ごした 時間

     参加した5人全員が 一つになり
          南の空の下で
        いろんな国の遺族とつながり
    いろんな 考えを学び 
         意見を交換し合った

   真剣に~
   自死について  自死遺族について

        対等に話し合った時間

     妙になつかしく  活動の支えの一つになっている事に気づく


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   会場の雰囲気が
      亡き人を大切に思う空気に包まれていたことが 印象的

   日本で自死の会合というと
      遺族を除く 支援者の身の会合となることがほとんど

 自死遺族支援も含む会合なのに
    活動をしている自死遺族の姿はそこにはない

 当事者抜きで 支援が語られ 研修が行われ
      知識として学ぶ支援者が増えていく

    そして 自死遺族の事を自死遺族よりも理解しているという支援者が広がっていく

     自死遺族の自助グループとしてソーシャルワーカーの役割を重要視してきた理由と

       支援者たちが考えている自死遺族支援に必要な社会福祉士の役割は
              ずれがある
それはなぜか
   社会福祉士の自死遺族支援の研修に 当事者の自死遺族ではなく
        支援者・・研究者  を 講師に招いているから・・・仕方がない

   社会福祉士は
     本来 当事者から 支援の必要性を学び
         できるだけ当事者が必要とする支援につなぐというのが本来のあるべき姿だと思うのだが
      なんだろうなぁ・・・・
   
     いかにも日本・・・
        当事者は知識がないもの
         肩書ある人から学ぶという視点

  支援をするには
    何を必要としているのかを知ることが大切

  何を必要としているのかは
   肩書ではなく  当事者の体験的知識から 知り得るものではないだろうか

     これまで
散々 ・・・いや 今も 口が酸っぱくなるほど
     何百回も 支援の内容は 当事者本人の集団的体験知識から学んで
       出来ることとできない事を分けて
          つなぐ支援をしてください
 「かなしみ」は 触れないでください
  長い期間」かなしみ」があっても 精神科に繋がないでください
     精神科に通っている遺族には「あなたの悲しみや苦しみは精神病ではないですよ」と
        悲しい気持ちは 愛する気持ちと同じことなんです と 悲しみを肯定してください
と要望し続けているのにもかかわらず

 相変わらず  長引く悲しみは 後追い自殺になる危険があるから・・などと
       講演し レジュメを作成し 自死遺族支援の研修資料となっている

   

      このことは 遺族への二次被害 差別と偏見そのもの

    ドイツも当事者本人の体験的知識を重んじるという事だった
それは遺族だけではなく
  患者に対しての支援も

   日本でも 車いすを必要とする人たちの支援は
     長い年月をかけてではあるが
        当事者本人の団体を会議に参画させ
           当事者本人の意見を重要視し、改革を重ねて 
  バリアフリーが広がってきた

     またパラリンピックへの参加も・・・

   自死遺族の支援も
      当事者本人の意見を 聞くことからはじめてほしい

   いや
  聞いたふり  では  どうにならない

    施策に反映させてもらいたい

支援者に
      自死遺族とはこんな人だと語ってほしくない
決め付けないでもらいたい
    
   当事者と共に考え 当事者と一緒に・・・

      支援の在りかたとは  それが基本ではないのだろうか

    12年の活動が虚しくなる 出来事が最近続いている


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亡き人からのご縁

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   法話の会

関西は尼崎市や葛城市
   最近は三宮市
関東は
 茨城県内の浄土宗のお寺さんで開催

 自死遺族の会は国の対策になっていて
全国の自治体    
保健所や精神保健福祉センターで 仕事として開催されている

しかし
 病気や事故・交通事故・等の死
    子供を亡くした親が集える場所は そんなには多くない

  商売として開催されている会はあるのかもしれない

がしかし
    純粋に 同じ目的を持つ遺族が集う場所は少ない

   悲しみは同じなのに・・・

思いは同じなのに・・・

  法話の会も含めて  公開されて開催している会は
     あらたな 参加者を快く受け入れてもらいたい
       先輩の遺族が  あらたに遺族になって 苦しみ悲しんでいる人を
  あたたかく迎えてほしい

   自分が苦しい時 居場所を作ってくれた人たちがいる
      その居場所を 自分だけの 自分たちだけのものにせず
   自分が与えてもらったように
       求めている遺族に 与えてほしい


それが 恩送りということ

    受けた恩を 恩を与えてくれた人ではなく
      自分がして貰ったように 次の人のつないでいく
その行為こそが
    亡くなった人たちへの 回向
回向とは
南無阿弥陀仏と唱える事だけではない
日ごろの生き方
  心の持ち方も含まれる

やさしさ
 おもいやり
       それも大切な功徳
 回向となる


   誰かの努力で  設置されている公開しての会に参加している人たちは
      必要としている人を
          やさしく迎え入れるべきである
会を立ち上げた人たちは
 必要としている誰もが参加できるように願ってたちあげている
だから
 自分たちが参加できた

会を継続することは容易いことではない
   立ち上げは簡単
でも 継続は地味な努力の結晶

   目立たないところで 会の継続のために
    いろんな 作業や いろんな人たちとのつながりを大切にしている人達がいる

    恩義に感じなくてもいい

       日の浅い遺族に
  やっと たどり着いた 遺族を  迎え入れる  広いふところを持ってほしい

   全国自死遺族連絡会は
  やさしい人がやさしいままで笑顔で生きられる社会を目指してきた

      数少ない 遺族が集う場所を

       公開し 必要とする人たちと つながってください

   亡き人たちからのご縁
       亡き人たちが結んでくれたご縁

   大切に 大事に  しませんか?

自戒を込めて!

hasu-2[1]

  

     

知らなくてよかった世界

s-anemone-hupehensis-diana01[1]

自死した人と
  生きている人は100パーセント違う

     自死した人の苦しみは 生きている私にはわからない

  私が活動をしていなければ 見えなかった世界がある

    息子の自死がなければ  活動はしていない

    生きていたら  今ごろは孫に囲まれて
     海外旅行でもして

 大好きな  糸を紡ぎ 染め  機織りをしていた
その予定だった
  老後は好きな事をして暮らそうと思って働いていた

     人生は予定通りには行かない

     もちろん  ブログなんて やろうとも思わなかった

 パソコンに向かう気もなかった

    自死の問題なんて 他人事だった 関心もなかった

     息子が逝き
            半年後に 活動した時から

    私の知らなかった世界を知ることになり

       差別を受け 蔑まれた

今 自死問題の活動をする人たちには それなりに知られるようになり
     蔑まれることは なくなった

  でも

   自死そのものに・・・自死遺族そのものに対する差別は
          頻繁に聞こえる 

   ネットは特に怖い

    裁判をすると 子どもが死んで 金が欲しいのかと言われ

      死んだのは 親のせいだといわれ

      家を覗かれたり

          学校では 自殺したんだってな!と 言われる

     ゴミを捨てに行っても  聞こえるように 自殺だって!と言われる

       過労自死の場合

    みんな同じように働いて 死んだのは一人・・と言われる

学校も  いじめは 日常茶飯事  
 でも死ぬのは  一人・・・
他のみんなは 自分で解決している・・・
  親が気が付かないから
   親子の仲が悪いから
     親も発達障害だから

  家族全員 精神疾患だから・・・

 お父さんは 単身赴任でいないのに

 自死する前の日に  お父さんが激しく怒ったから・・とか 言われる

 晩酌が  酒乱といわれ

     借家に住んでいると  貧乏だから  
         ろくな教育もしていない・・とか

   反対に  持ち家だと
      借金だらけだってさ!と言われる

   旅行に行くだけで
       死んだ子供の金でいったんだよ・・・いやだね・・・とか

    夫の自死の場合は

     夫婦仲が悪かった・・

      殺したんじゃないか 生命保険金ほしさに・・とか

    とにかく  いろんなことを言われる

      教師は通夜に来て 出世が遅れた・・と遺族にいう
         怒らないで育てたから  簡単に死ぬ子供になったんじゃないですか・・とまでいう

     教育委員会や教育局の言動は
        蔑みそのものである

      市役所の職員は偉く 市会議員も偉く
      自死した人の家族なんて
       無知で 貧乏で 愚かな 人 
 着ているものまで批判される
      
    活動をしていなければ  叩かれることもない

      が どんなに叩かれようとも
活動は息子を救えなかった罪滅ぼしだから・・死ぬまで続ける

    知らなくてもいい世界だった
 知らないほうが幸せだった

    息子の死で  私は知らない世界を知ることになった

      この活動は仕事ではない

    自死の予防や防止・・調査委員会や議会傍聴
        裁判傍聴
            そんなことに12年間かかわっていると
いろんな人に遭遇する

  自死の対策会議で
  行政職員が 「自殺という言葉は縁起が悪い 会場の前に自殺対策・・と書いてあって入りたくなかった・・」
   自殺という文字を見ると気味が悪いという職員もいる

  瀬川さんが書いた「自死」という本を持っているだけで
  近づかないでください・・気持ちが悪いですから・・と言われたこともある
   行政職員に・・・

   署名運動していたときは

  近寄るな!うつる!と叫ばれた事もある

      息子が自死というだけで
 文字や文章も読めない人!という 扱いを受けたこともある

時には 子どもが死んで悲しいというけど
  子供を殺す親もいるんだから
     みんなが悲しい訳ではない・・と言われたこともある


    かなしい 社会です

差別を差別と自覚していない社会

miyamakaidou[1]

自死への差別は 是正されない
   偏見も・・・
       宮城県は 震災があってから なお一層 強くなっている気がする

    新聞も 自死の問題はほぼ取り上げない
    たまにいじめ自死の問題が取り上げられても 遺族の話ではなく
          教育委員会等のコメント

  そして 地域全体が  自死した子供を蔑み 親のことも蔑んでいる

    当然の権利として  情報開示請求をしても
     調査委員会が設置されても

       自分で勝手に死んで  それに気が付かない親も親だ
          学校は悪くないのに
            金が欲しいなんて ひどい親だ!とか
   普通に言われている

     議会でも  普通に蔑みの発言が飛び交う

     学校がいじめがあったと認めても
       議会も調査委員会の委員も
         子どもの責任と親の責任だという

     いじめた子供は 個人情報で守られ 
    親も子供も  幸せに何事もなかったかのように暮らし

    いじめられて死んだ子供は
     死んでもなお 蔑まれ 悪口を言われ
       親も 悲しみに追い打ちをかけられ 責め立てられる

   死にたい人なんていない

      何らかの原因があって 自死にいたる

    幸せなら死なない

     苦しみの中で死んで逝く

        幸せなのに  苦しんで死ぬ人はいない

     人が人を蔑むことは 

      傲慢そのもの

        自分はどれほどの 人物だと自負しているのか・・・

    同じ人間  大したことはない

          自死は弱い人 逃げた人

      という 発言をする人も多い

     無知は怖い

    生きているあなたは  どれほど強いのか聞きたい

        強い人が生きているのだろうか・・・

   そうは思わない

   いいかげんで 適当で
                  ずるい人が生き残っている気がする
          もちろん  私もその一人

     繊細でやさしいこころの人は
       今の社会は つらいかもしれない・・・

  見てみないふりをして
      みんなと同じことをして
 長いものに巻かれ
  権力に従い 疑問も持たず
     そんな生き方ができたら

                       追い込まれないで済むのかも・・・

  世の中は理不尽な事ばかり
          
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 お兄ちゃん

 かなしいね

     なんだろう

 とてもかなしい夜です

  

自助グループがひとつなくなった

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自助グループは 発足しては 消えていく

 藍の会は12年目を迎える
   変わらず同じ場所で同じ時間で同じように開催している

 しかし
   大阪市や埼玉・盛岡・千葉・青森・・と消えた
   が
また  同じ地域で会ができることもある

   会は作るのは簡単
継続が難しい  いろんな面で・・・


  全国自死遺族連絡会も10年が過ぎた

    子供を亡くしたつむぎの会も11年が過ぎた

      息子が生き返らない限り  活動は続けていくつもり

    仕事ではないから
        適当でもいいのかもしれないが

     性格なのか 
いや
 息子の自死が原点だから

    めいっぱい 活動を・・・

    連携の輪を広げ
          人とのつながりを広げ
パンクしそう(パンクしている)なくらい
    
 その結果が顕著に出てしまったのが
  手紙を書いていない事

反省して2ねんあまり

 今年度は書こう・・・
    私の活動の原点だから

 
自助グループが必要な地域があっちもこっちもある

   身体がたくさんほしい

そんな今年

     3月 また きえた

 仕方がないと思うが
  残念

   力不足を痛感し
 無力感でいっぱいになる

    
目配りが足りなかった

 と  反省

     仕事で開催する行政とは違い
   自助グループは  遺族自身の気持ちだけでの開催

     立ち上げたいと思う人が  

      でてくるのを 待つしかない

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自死遺族として

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今年の春は いつになく自死遺族からの連絡が多い

    自助グループ  セルフヘルプグループ 本人の会

       「わかちあい」は当事者で・・・

  「総合支援」のためには
    それぞれの専門家と連携して・・・

    遺族が遺族とつながりたいと思うのは自然な事

      12年前は  遺族が遺族とつながりたいのに
         支援者が間に入らなければ危険だとされた
      しかも 支援者たちは 遺族同士がつながる事を嫌がり
       禁止・許可制にした支援者の会もあった・・

    私はほぼ遺族のハブセンターのような役目
          ソーシャルワーカーの役割

     遺族に元気に生きてほしい

   悲しみは 取り除けない
 悲しみはその人自身がその人なりに抱え方を模索するしかない
  相手の悲しみに 直接触れられない
      究極悲しい時は
        触れてはいけない
    自分で自分の悲しみを感じながら
      小出しにするか・・・ごまかすのか
どのタイミングで 悲しみと対峙するのか それともしないのか

    自分が自分の悲しみの専門家なのだから
      他の誰でもない  自分の悲しみは自分だけのもの

     「悲しい本」 SAD BOOK
  マイケル・ローゼン作  クェンティン・ブレイク絵
 谷川俊太郎訳
     この本を時々読む
「わらっている絵」がはじめにある
  :::これは悲しんでいる私だ
この絵では、幸せそうに見えるかもしれない
じつは、悲しいのだが、幸せなふりをしているのだ
悲しく見えると、ひとに好かれないのではないかと思って
  そうしているのだ

悲しみがとても大きいときがある
 どこもかしこも悲しい、からだじゅうが、悲しい
:::::
 ::::::
   とつづく

   息子が逝き 12年が過ぎた
     活動をして12年になる

   自死遺族は毎年15万人ずつ増えている
    これまで180万人が増えたことになる

    なのに どうして  自死への差別と偏見は根深くほとんどの人にあるのだろうか

自死遺族だって言わなくていい
   隠していい
でも
 他者の人に 話を合わせて 差別するのは やめてほしい

    せめて 自死遺族が 差別と偏見を持たないように・・・そこから広げたい

    日本人の半分以上が  親族の誰かが自死という社会が いつかは来る
   
   30年前からの遺族を数えたら
    4500万人が遺族

    全員が 意識して 自死への偏見をなくしたら
   世の中は変わる

   悲しみを抱えている分
        やさしく  元気で生きていきたい

     いまでも  息子はなぜ逝ったのか  納得していない

     明日は
  いじめ自死の調査委員会
    午後7時から

   補助金の報告書の作成がまだ・・・
     報告書の提出の締め切り日がもうすぐ
   
時々 なにをやっているのか・・と思う

   お兄ちゃん  カァチャンとりあえず頑張るね!

遺族が求めていない「悲しいこころ」に踏み込むケアは もはや被害です

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全国自死遺族連絡会として
   新たにやるべきことがあることを  きづかされた

   自死遺族支援という対策があることはありがたいのですが
   これまでも
     見当違いのことが 行われてきた

  抗議もし、要望もしてきた

    その中の一つに
       遺族への「心のケア」は 本人が求めたときに応えてほしい
        よかれと思って 近づかないでほしい、と。
母親が亡くなった高校生に
  教師が学校で呼び出して 個別に母の自死について話を聞いた

    地方都市の狭い範囲で暮らしている子供たちは
       なんとなく 自死という事を知っていた

    廊下で聞き耳を立てて聞き
        その日から  お前の親 飛び降りで死んだんだよな・・・
 あいつの親は
      ・・・・・・・・と噂になってしまった

      その子の父親が頼んだわけでもなく
 本人が頼んだわけではない

     よかれと思って  呼び出して聞いただけ…なのかもしれないが

その子は高校を退学した

    その責任は教師は感じていない


    いじめで子供を亡くした親に
      学校がカウンセリングをするのは いかがなものだろうか
しかも  要りませんという遺族に
   イヤイヤそういわずに 必ず来てくださいと
    無理やり勧める学校

    兄弟姉妹にも 中学校から小学校に 情報が流れて

      子どもへのカウンセリングを強引にする学校

     自死も・・・津波も・・・

       子どもへは保護者の許可なく カウンセリングはしないでほしい

  カウンセリングが トラウマとなってしまうケースもある

     人間不信になる場合もある

   家族が亡くなって  すぐに 
     なぜ カウンセリングを・・しかも望んでもいないのに
    勧めるのだろうか

    望んだら・・・・望んでから・・でいいと思うのですが

   遺族を無知な人間と思っているから
  無知な遺族に
     物知りの自分たちが カウンセリングという存在とすばらしさをつないであげるとでも思っているのかもしれない

       今度 聞いてみよう
  学校とスクールカウンセラーに・・・
  どのような意図で
     求めていない遺族の「かなしみ」に立ち入ろうとするのか・・・

支援は押し付けるものではない

    当事者が求める支援に応えるのが支援である

      求めていないものを支援するのは
          余計なお世話という

     そして 求めていない支援をしようとする人たちは
   傲慢です


    そして
   その支援をしている人たちは
    どうして 嫌だというのですか
       あなたの為を思ってしているのに・・・という

    突然に愛する家族を失った人の悲しみを
       どうすることができると思っているのでしょう

     緩和できるとでも思っているのでしょうか

  どこからそのような自信がでてくるのか不思議です

       遺族が(子供も含め)求めるまで そっとしてください

   求めたら
    応えてください

       悲しみに 素手で触れないでください

       悲しみを 雑に扱わないでください