
シドニーで過ごした 時間
参加した5人全員が 一つになり
南の空の下で
いろんな国の遺族とつながり
いろんな 考えを学び
意見を交換し合った
真剣に~
自死について 自死遺族について
対等に話し合った時間
妙になつかしく 活動の支えの一つになっている事に気づく

会場の雰囲気が
亡き人を大切に思う空気に包まれていたことが 印象的
日本で自死の会合というと
遺族を除く 支援者の身の会合となることがほとんど
自死遺族支援も含む会合なのに
活動をしている自死遺族の姿はそこにはない
当事者抜きで 支援が語られ 研修が行われ
知識として学ぶ支援者が増えていく
そして 自死遺族の事を自死遺族よりも理解しているという支援者が広がっていく
自死遺族の自助グループとしてソーシャルワーカーの役割を重要視してきた理由と
支援者たちが考えている自死遺族支援に必要な社会福祉士の役割は
ずれがある
それはなぜか
社会福祉士の自死遺族支援の研修に 当事者の自死遺族ではなく
支援者・・研究者 を 講師に招いているから・・・仕方がない
社会福祉士は
本来 当事者から 支援の必要性を学び
できるだけ当事者が必要とする支援につなぐというのが本来のあるべき姿だと思うのだが
なんだろうなぁ・・・・
いかにも日本・・・
当事者は知識がないもの
肩書ある人から学ぶという視点
支援をするには
何を必要としているのかを知ることが大切
何を必要としているのかは
肩書ではなく 当事者の体験的知識から 知り得るものではないだろうか
これまで
散々 ・・・いや 今も 口が酸っぱくなるほど
何百回も 支援の内容は 当事者本人の集団的体験知識から学んで
出来ることとできない事を分けて
つなぐ支援をしてください
「かなしみ」は 触れないでください
長い期間」かなしみ」があっても 精神科に繋がないでください
精神科に通っている遺族には「あなたの悲しみや苦しみは精神病ではないですよ」と
悲しい気持ちは 愛する気持ちと同じことなんです と 悲しみを肯定してください
と要望し続けているのにもかかわらず
相変わらず 長引く悲しみは 後追い自殺になる危険があるから・・などと
講演し レジュメを作成し 自死遺族支援の研修資料となっている
このことは 遺族への二次被害 差別と偏見そのもの
ドイツも当事者本人の体験的知識を重んじるという事だった
それは遺族だけではなく
患者に対しての支援も
日本でも 車いすを必要とする人たちの支援は
長い年月をかけてではあるが
当事者本人の団体を会議に参画させ
当事者本人の意見を重要視し、改革を重ねて
バリアフリーが広がってきた
またパラリンピックへの参加も・・・
自死遺族の支援も
当事者本人の意見を 聞くことからはじめてほしい
いや
聞いたふり では どうにならない
施策に反映させてもらいたい
支援者に
自死遺族とはこんな人だと語ってほしくない
決め付けないでもらいたい
当事者と共に考え 当事者と一緒に・・・
支援の在りかたとは それが基本ではないのだろうか
12年の活動が虚しくなる 出来事が最近続いている