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セルフヘルプグループ・・セルフヘルプとは

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今帰宅

藍の会  わかちあいの集い

    混乱状態のとき

   他者の気持ちに想いを馳せる事が出来なかった

  そんな時もある

     其の時に   じっくりと聞いてくれた遺族がいる
       同じ悲しみを抱えている遺族が

     聞いてくれた

      混乱の会話  一日に何度も  
              聞いてくれた

     そうやって 5年・7年・10年

      2~3年の遺族の話を聞きましょう

    聞いてあげませんか

それが  恩送り


   ゆずりあう  許し合う
      認め合う
   そんな心が大切

     自分だけが悲しいのではない

     お互いに思いやる気持ちが 自助グループは大事


   幸せな人が 悲しい人を  支援する会ではない

     話しベたな人がいる

スムーズに話ができない人がいる

     その人に気を使い
        じっと 全員で ことばを発するのを待つ会ではない

     自己責任で  話す

       話を振ることはある
          が
話しができない時に
     どうなの・・・それはどうなの・・・

    と 整理する会ではない

  それは わかちあいとは言わない

      言いっぱなし 聞きっぱなし

     カウンセリングの集いではない

         相互扶助

       話が途切れて  沈黙が続いたときは
           沈黙を破る

    その人が話すまで  じっと  何分も待つことはない

  せいぜい  30秒・・・60秒

  話したかったのに
   と
          人のせいにするのは 大人ではない

     話したいときは 話したらいい

 話せるように
  仕向けている・・・

   話すことができない人の  のどに手を入れて
   無理やり
   話させることはできない


     自助グループは  大人の会

     自己責任において 参加する会

       よしよし・・・頭を撫でられたい  人は

       やさしい支援者の会が合う

セルフヘルプ それが自助グループ

   セルフヘルプグループ

    それが自助グループ

 支援者は誰もいない

   でも

  会の準備は誰がしているのだろう

    お茶もジュースも
     お菓子も

椅子も テーブルも

誰が準備しているのだろうか

  資料も・・・

  誰かがしてくれている

 会場費も誰が払っているのか

    会場の確保も・・だれが

    誰もしなくても
    ひとりでに 会場が確保され
カギをあけ
  机と椅子が準備され

 お茶やコップが自動的に 並ぶのではない

    なにひとつ あたりまえのことはない

   4年・6年・・・10年
     と過ぎたら
   そんなことにも 思いを馳せてほしい

  と思う

感謝はなくていい

   不平不満は  ・・・・   あってもいい

     ・・・・?いいのかな

   会があるのは当然ではないのです

    p_jurian03[1]
悲しみを抱えながら
頑張って会を開催し
 続けている遺族がいるのです

     

  
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明日は「藍の会」自死遺族の自助グループ


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  明日は「藍の会」
     2006年から続けている自死遺族の自助グループ

  「わあちあうこと」を目的としている

     受付も 準備も 全て自死遺族だけで行う

 途中参加もOK
  途中での退席もOK

   本名でなくてもいい
  どこから来たのかも言わなくていい

     スタッフはいない

     セルフサービス
      自分が飲むお茶やコーヒー、ジュースは 自分で選んで自分で注ぐ
   
  最後の片づけはみんなで行う
泣いていた人も・・・・・・・全員で片づける
 それが自助グループ

 お客さんはいない
  支援者もいない


   お客さんになりたい人は支援団体が合う
       かわいそうな遺族でいい人は  支援団体が合う…と思う

  自助グループは  対等 相互扶助
 おたがいさま
     支え、支え合う
藍の会に
12年間 お茶やコーヒージュースを支援してくださる方がいる    
   
     自死が語れない死というが
 誰に語れないのか

  それは 他者に語れない

      身内以外に知られたくない

   できれば身内にも知られたくない

      と思ったから

 自助グループを立ち上げた

     悲しみを知らない  幸せな人たちに
       私の大切な悲しみを話したくない

    サラッとはできるかもしれないが
   深い話はしたくない

     話したところで  憐れまれるだけ

  かわいそうな人と思われるだけ

      惨めになりたくない

    お兄ちゃんを蔑まれたくない


   だから  自助グループのわかちあいを大切にしてきた

     同じ苦しみ 同じ悩み 同じ悲しみ

   
        少なくとも  他者よりは 共通の部分があるから

           話さなくても  わかるものが多い


    社会は他者の中で生きていくこと

       幸せな人に合わせて  生きている

           たまには   本音で 素の自分でいたい

      そんな ひと時を大切にしたい

         「わかちあい」は 私には 必要な時間


    

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自殺から自死へ

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自殺という言葉ではなく  自死という言葉で表現してください

  というお願いを全国自死遺族連絡会としてしています。

      地方自治体で言い換えをしている所があります。
     地元の自死遺族が要望した結果です。

    小説や漫画やコラム等々でも自死という言葉で表現する人たちも増えてきました。

      法律用語(自殺統計等)は法の改正を行わないと変えられませんが
         各県の「自殺対策推進会議」等は「自死対策推進会議」に変えた県もあります

 また 会議や日常の発言の中で「自殺者」という言葉は「自死者」
  「自殺した」は「自死した」
     自殺案件ではなく自死案件というふうに言い換えはできるはずですし、
    実行している地方行政もあります。

  それに反対しているのが遺族支援をしているという○○センターです

   その支援団体が 作成した 文書を添付して 「このようにお願いします」
 と 遺族が要望したら
     行政は「はいわかりました」といいます。

    支援団体が作成した内容は 現状のままでOKですというものですから。

    遺された人たちの事は「自死」という言葉で「自死遺族」「自死遺児」と使ってください
    他の表現に関しては
         死ぬ人が増えるから 自殺でいいです

      と  主張しているのです


      自死に言い換えてほしいと思うなら

    支援団体の資料の添付では  どうにもなりません

   言い換えに反対している指針ですから。

      ネームバリューだけではなく

      自分の求める内容なのかどうかの確認をしてから
       参考資料として 添付することが大事です


      遺族はあらゆる分野で仕事をしています

        その遺族たちが  自分の立場の中で  自死という言葉に変えていくことも
                   大きな活動ではないでしょうか

   支援団体が 自死遺族をどんな人たちだと 思っているのか
          知ることは 重要です

  表向きは やさしい言葉  耳障りの言い言葉で慰めを言っても

  裏で 蔑みの言葉で 発言していることもあります

    田中さんは息子さんを亡くして愛しているから悲しいといわれますが
 子供を殺す親もいるんですから
   息子を亡くして 悲しいとはあまり言わないほうがいいですよ

  と言われた事もあります

       死にたい人
         死にたかった人  

      また  遺族のことは見守りができなかった人

    サインに気が付かなかった人

     家族の仲が悪く  話も聞かなかった人

       そんなことを言う支援者もいます

     地域で 見守りましょう・・・という 予防の呼びかけの言葉

        家族にも言わないのに  どうして
                                 地域の近所の人に悩みを言うと思うのかな

        地域でどうやって見守るのかな・・・

      サインを発しても
          はい!はい!と聞いたふりだけして
    無視する学校もあるのに

      あいまいな
  いいかげんな  対策が多い

  自死遺族の事 を  理解して
       心からなんとかしようと 思っている人は

  おそらく  心・・悲しみの時間に踏み込まない・・・そう思う

     遺族支援団体
        って  何の支援をしている団体?

      自死遺族として活動をして

        何もしなくていいから   余計な事はしないでと思うことが多い

     遺族が求める 言い換えですら
          反対・批判する 支援者たち

     惑わされない事

       自死という言葉は  支援団体が反対しても批判しても
   確実に浸透し 広がってきています

 それは 遺族が遺族と言わなくても
   遺族として 自死という言葉で話そうと思う人たちが増えてきている・・と感じる

    亡くなった人の表現では  自死だけです 自殺というのは

    事故死  突然死  不審死  病死・・・・・交通事故死・・・
    
     同じ死である そんなふうに捉えることができる社会になってほしい

   そして 語れる死になってほしい

残念・・・の一言

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  27日 残念なことがあり、あらためてこれをブログに載せようと思いました。
それは
 全国自死遺族連絡会の運動に反対する支援団体が
   本来行政だけができる指針を作成し
     自殺から自死の言い換えではなく使い分けを~
  などという文書を作り
    自死という言葉を使うと 自殺者が増えるなど・・・
        の主張をしている内容に感銘し、自死遺族として市役所に要望したが
                   遺族と遺児に関しては使用しますが
他は参考資料で添付された指針を参考にしたい、との返答があったとのこと。

 そりゃそうだよ
     この支援団体の指針に そのように書いてあるんだから
       ・・・・・
 あなたは自死遺族として  遺族と遺児にだけは自死という言葉でいいですよ
  他はどうぞ自殺という言葉で表現してくださいという要望ですね・・・わかりましたそのようにします

  という 市役所は間違っていない  と思う

  しかし 彼女は市役所が島根や鳥取・宮城・仙台のように変えないことに憤っていた

   いや・・いや
あなたが  求めたものは  言い換えではなく  使い分け

     市役所の答弁はあなたの要望100パーセント聞き入れたと思います


  支援団体の指針の内容を理解しないで
   参考資料で添付して
      このようにお願いしますと要望した こと  残念に思います

   要望ですから
    無理を承知で 要望するものです
*********************************

自死対策担当者殿

「自殺」呼称を、「自死」に
                  一社)全国自死遺族連絡会 田中幸子


                      全国自死遺族連絡会について
 全国自死遺族連絡会は、2008年1月に発足した、わが国で唯一の自死遺族 による自死遺族のための全国ネットワークです。
会員は、現在3200人(すべて自死遺族)。当会員が運営に関わる「自助グループ」(自死遺族だけでわかちあいを運営に関わる「本人の会」)は、全国23都道府県・41箇所に及んでいます。当連絡会では会員ネットワークを通じて、自死遺族からさまざまな相談受付および共助に取り組んできました。自死への偏見や差別的問題が数多く存在する日本の社会のなかで、当連絡会は、2010年6月から「自死遺族等への差別撤廃を求める法制化(署名)運動」に取り組んでいます。これまでの活動の中で、自死対策担当のみなさま方にはお世話になり、日ごろ自死の問題に関心を持って社会に様々な自死の問題を発信してくださり、感謝いたしております。

遺族が最も心を痛め偏見を生む言葉ではなく
 国は、自死を「その多くが追い込まれた末の死である」として、自死対策の基本法(「自殺対策基本法」)をつくり、自死対策の大綱(「自殺総合対策大綱」)を策定し、自死遺族支援の対策を講じています。しかしながら、「自殺」という言葉が遺された家族の心を痛めていることは、自死対策の専門家と言われる人々を含めてほとんど理解されていません。
「自殺」という言葉は、「自らを殺す」と書きます。それは、「(生きたくても生きれない人がいるのに)命を粗末にした」「勝手に死んだ」等と、自由意志のもとで決定し逝った身勝手な行為であるとの誤解や偏見を与えています。そして、遺族が最も心を痛める言葉のひとつでもあります。
当連絡会は、「悪いことをした罪有る死」まるで殺人者であるかのような「殺す」という文字の持つ印象(イメージ)を払拭することが必要であると考えています。そして、「自死(遺族)等*への差別撤廃」運動においても、追い込まれて自ら命を絶つしかなかったという意味である「自死」という言葉に変える取り組みをしております。もちろん、「自殺」という言葉を単にタブー視するものではありません。
「自死」という言葉に変えることで、自死への差別的問題や偏見を解消し、自死を現状の「語れない死」ではなく、自死遺族が普通に他の死と同じように家族の「自死」を語れる社会、そして、自死問題が社会問題として国民に広く受け入れられるようになると考えております。さらには、それが自死を減らすことにつながり、人にやさしい国づくりにつながると考え、国への要望書も提出してきました。大綱見直し案への意見書でもお願いをしました。

★尚、2013年より島根県と鳥取県、そして2014年1月20日には宮城県が公文書等を自死という言葉で表記と決め、政令都市仙台市も公文書等において自死の使用範囲の策定を決め、実施しております。

率先して「自殺」ではなく「自死」を 「自殺」という言葉の持つイメージを考えていただき、みなさま方が「自死」という文言を率先して使うことにより、自死は追い込まれた末の死であり、個人の問題ではなく社会の問題であることを、自死遺族が大きな声で提言でき、社会的理解が得られることにつながると確信しております。 「自殺」という言葉を聞くだけでゾッとするとか、「自殺」という文字を見ると寒気がする、という今の社会が変わり、人を追い込まない社会への一歩となると思っております。「自殺」を「自死」という言葉に変えることは、自死した人たちの命の尊厳を守ることにもなります。このたび、 国においては、本格的に自死遺族等の差別的問題に取り組んでいただくことなり「自死遺族等支援を考える議員連盟」が野田聖子衆議院議員を代表世話人に、土井亨衆議院議員を事務局として発足となりました。
自死対策担当の皆様におかれましても、法的な言葉を除いて、自殺という言葉ではなく自死という言葉で表現してくださることをお願いいたします。

 等*:「未遂者およびその家族」を示しています。

パンク!

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仙台で 誰でもが参加できる「藍色のこころサロン」を
  2007年2月から開催してきた

青葉区で月に一回だったのが 月に2回になり
  太白区長町で カウンセラーに任せて 月に1回

 毎月3回開催してきた

   6年 引き受けてくれた人が70歳でやめて
  その後は みやぎの萩ネットワークのカウンセラーが交代で参加してくれていた

    でも それぞれに都合がつかなく
           来年度からは閉会とした

    毎月 私は出られない
  藍の会と重なる月は 無理

     まぁ~しょうがない

      仕事としている訳ではないので
            こんなことはある

     忙しすぎて
        やるべきこともできなくなっていたから
               いい機会だったのかもしれない

   電話やメール
  相談  行政  団体  協会  マスコミ

     一人で 補助金の申請と報告

   それが
    全部で10

     相談電話が 一年に3000~

         一人  パンクしています

    目いっぱい  100パーセント 自死の事に力を注いで12年

         息子と語り合いながら・・・

    息子は 時々 ストップしてくれる

         全ての相談のハブの役目

     やらなければいいだけ

   私が やりたくてやっているだけ

         なんか エネルギーの消耗が最近激しい


      69 歳

        配分を考えないと  走れない


    休息の全くない12年

        ダメだなぁ

     今日は船岡

    相談者の地域に出かける

         明日は東京

  あ!

    書類 4箇所  送んなきゃ! ヤバイ
 

眠れない夜のブログ

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土曜日は 

   自死遺族の支援という研究論文のために

     長いお付き合いの 人たちと 仙台で会いました

 東北大学に来たという事でした

    27日は  差別問題の当事者会に行く前に

    記者と会う

  若者の自死について

    児童生徒の自死について

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  育英高校の事故

 交通事故

  RV車の飲酒運転

  これがなければ 健一は生きていた

   高校生が3人死亡した

    飲酒運転がなかったら

     今頃  出世して  いいオヤジになっていた息子

    なぜ  あの時 精神科に行かせたのか 悔やまれてならない

    薬を飲んで  あっという間に死んだ


   すぐ やめさせたらよかった

       1か月半で逝ってしまった

   死にたくない 思いが強い息子だった・・なのに


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    野田先生は 精神医療の専門家としては  すばらしい

     物書きとしてもすごい

いろんな 知識に満ちている

      物書きだから 言葉にうるさい

   視点が違う

 見ている世界が違い過ぎて  説明されても理解できない事も多い

    精神医療に関して

   野田先生と 論破できる 素人がいるわけがない

   専門家でも 論破できないと思う

       精神  福祉  保健  心  疾患  障害  病

       説明できる人はなかなかいない

   精神保健福祉という言葉に対して

 そもそも  精神と  福祉 と保健がなぜ 連なるのか・・・
      と いつも言う

   その意味は何だ・・・と


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  眠れない夜は ブログが書ける

  もうすぐ3時  そろそろ寝よう

負荷を取り除く対策

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   国の自死の対策の委員や大綱見直しの委員
    指針作成の委員
県や市の委員をしているのには 訳がある

 
   コツコツと相談に乗る活動や
わかちあいの会の開催も大切です

 が

それだけでは 国には声は届かない

    意見を言える場に参加できることも 重要なのです


   いくら 周りで叫んでも

     会議に参加しての声とは違う


     肩書なんて  どうでもいい

でも

       委員に なって  意見をいうことが

   少しでも 対策に反映させられることにつながるのです 

    自傷行為と自死を同じという人たちがいる・・が

      私は納得しない

       野田先生は「心」ってなんだ!「心の傷」とは何だ!といいます

    私がブログに精神医療の事を書くと

     精神薬を飲んでいる人からの相談が増えるので あまり書きたくないのですが

     遺族が遺族になってから  精神薬を飲むのはやめてほしいと思うから
       書くのです・・・

 そして
    悩みは 精神薬では解決しないから 書くのです・・・

    生まれつき  負荷も何にもないのに
    悩み苦しんでいる人の事は  私は医師ではないのでわからない

      自傷行為をする人って
    負荷もないのに  こころが傷つく人なのかな?

    生まれつき 赤ちゃんの時から

       こころが傷ついている人が いるのかな・・・・

   自傷行為をする人と  息子は同じなのかな

   息子は自傷行為で 自死したのだろうか

     死ぬことと  自傷行為って  同じなのかな・・・

      どうにも理解できない


  自死を  精神・・の問題だけで考えるのは なんか違う気がする

      それなら  自死の対策は 精神医療だけでいい

    普通に働いている人を  追い込まない対策

    普通に学校に行っている人を追い込まない対策

       普通に暮らしている人を追い込まない対策

      普通の人を うつ状態に追い込む社会的要因の是正

 それが 一次予防  二次予防

   今日は船岡に・・・  いじめの面談相談のため

明日は東京に~

  自死の差別と偏見について

    様々な差別撤廃のための 当事者の集い

    お兄ちゃんは
         自傷ではない
自死で逝った

    過重労働  パワハラ・・・  家族  精神薬

     どれか 一つ  なければ 生きていた

    昨日相談があった遺族

    息子さんは 懸命に働き  逝ってしまった

     
      働き盛り世代の自死が多い

   それも圧倒的に男性が多い

                 自死の問題は  本当にさまざまな要因が複雑に絡み合う

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   息子は なぜ死んだのだろう・・・と今も思う  

   

       

悲しみと共に生きる  人間だから・・・ふつうの事

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愛する家族が亡くなって 悲しい
   苦しい  さみしい
       食欲がない 気力がない 希望が持てない
楽しくない  力が抜けたよう
    寝つきが悪い  熟睡できない
  話したくない 誰とも会いたくない
     話しかけられたくない

   落ち込みが激しい
   
   買い物ができなくなった
          趣味ができない   叫びたくなり
歩いていて急に力が抜ける
     何もしたくない

朝はつらい  いつも想いだす

     急に涙があふれる

    だるい  ボーっとしていることが多い

こんな 症状は普通  ごくごく普通の反応

     愛する子供が死んで
  楽しくて仕方がない
      気力満々  悲しくもなんともない
 ルンルン気分
  食欲旺盛 ・・・・泣くなんて考えられない

 という親がいたら

 それは普通でしょうか

     世間や周りは こんな遺族を望んでいるのでしょうか

 それとも 1か月したら
あっさりと忘れて
   悲しいって 何?(^-^) って 笑うといいのでしょうか

    どのくらいの期間なら 泣いても普通と思うのでしょうか

  悲しみとは 愛があるから 生ずる感情です

    愛は 亡くなっても消えません

だから  悲しみも消えないのです

      遺族の悲しみを 精神病 うつ病と勘違いしないでください

    悲しみが うつ病だなんて  アホですよ バカです そんな考えは・・・

     精神薬 抗うつ薬のんで   生き返るなら 治るでしょうけどね

    生き返らないんです  どんなに薬を飲んでも・・・
飲んでも 飲んでも 生き返らない限り 悲しい
  悲しいから飲む 飲んでもいつまでも悲しい 苦しい
    そりゃそうだ
  生き返ってこないんだから

  いくら 薬を飲んでも  悲しい苦しい

      そうやって

  薬を飲み続けたら うつ病になってしまいます本物の・・・

   供養もできなくなっていく

  身の回りも思うようにできなくなり
 片付けもできなくなり
     仏壇・・お花・・・お茶お水 お墓参り

      できなくなっていく

    家事も・・・

精神薬さえ飲まなければ
時間が過ぎると
   悲しみとの付き合い方が上手になっていく

そして 人間の本能である 生きる力 
   自分の甘い本能

眠れないのが熟睡できるようになり
   美味しいものを食べたくなり
美容院にも行くようになり
  デパートに買い物にも行くようになる

    毎日行っていた 墓参りが しんどくなり

     1か月に一度になっていく

      残酷なほど  時間はあまあまの自分を許していく

    それが 時々 つらくなる

  亡き人からの悲しみは
        やさしく 遺族を包むようになっていく

  亡き人を困らせないような・・・
 そんな生き方・・・悲しみ方をしたい

          精神薬で自分を見失う生き方はしたくない

     100パーセントの悲しみを抱えて行きたい
       100パーセント 愛し続けたいから

   

ご近所と親戚の物知り(?)と専門家の違い

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自死は成仏できない・・・浮かばれない
 という
親戚や地域の 物知り(?)な人たちがいる

    遺族も遺族になる以前は そう思っていた人だったりすると
        考え一致してしまう

   仏教での葬儀を行い  仏壇に位牌を納め 本尊もある
       南無〇〇〇〇〇〇〇・・・・と  唱えている

     そもそも  死んだ人は成仏はしない

       仏様になっていない  なれない


     亡くなった人イコール仏様という考えは間違えである


       誰も成仏はしない

         傲慢すぎる

浄土宗・・・往生するという

   往き生まれるのである

どこに往くのか

 浄土宗では西方極楽浄土に往き生まれるのである

     戒名の意味も  葬儀の意味も   位牌の意味も
  何も知らない  物知りの人たちが
      仏教の素人が  いかにも 見てきたかのように 語ることば

     浮かばれてない  成仏できない できていない

        バカバカしい  無知もほどほどにしてほしい

 往生するのです  成仏ではありません

      仏様には  そんなに簡単に成れません

   
そして  仏教には 天国という教えはないのです

     少なくてもいいので  正しい 知識を学び信じてください

無知な 物知りの人たちの言葉に 惑わされることはないのです

  近所の親戚の 物知りの(?)言葉よりも

     お経を学んだ  仏教の専門家のことばを信じましょうよ


    相続税の話も  近所の親戚の物知り(?)に言葉に不安になる人がいます

       
          控除があることを知らない素人は 子どもの数も基礎控除も知らずに

      生命保険や退職金がそんなに もらうなら 相続税が莫大になるぞ‥とか言うらしい

  専門家の言葉を信じましょう   専門家に相談しましょう

     普通の家庭は  莫大な相続税を払うほど  相続していませんから

        素人の物知り(?)の言葉に惑わされない事です

   

自助グループの定義  地方行政は間違えています

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自助グループ

自死遺族の自助グループの定義

 そもそも自助グループとはどのような集まりなのか

    12年前 国も行政も民間団体も  自助グループの定義を知らなかった

  国は知っていて あえて  ゆるゆるの表現にしていた

   あれから  上智大学の岡知史教授
       自助グループの研究者とともに  自助グループの定義の周知を図ってきた
それと同時に
  自助グループを広げてきた

今   国の指針では  自助グループの定義がある程度正確に示されている

 しかし  地方行政  県や市のレベルで  保健師さんの理解は進んでいない

 間違えていると 思っていないようだ

   声を大きく言いたい

    保健師さんがスタッフでいる会は  自助グループ・当事者会とは言いません

    ボランティアさんや医師・臨床心理士がいる会も
   自助グループとは言いません

         会の開催や閉会  何時から行うのか
             重要な事は 全て当事者本人・・遺族が行い

   わかちあい  の 時間に   当事者・・遺族以外の人が参加出来る会は
   自助グループとは言いません

      準備も  受付も  スタッフも  全て 遺族が行う
            
           そもそも

       保健師さんや臨床心理士や医師と
   自死遺族は 何をわかちあうのでしょうか

  わかちあうものがないのに  わかちあいはできません


    同じ苦しみ  同じ悩み  同じ悲しみ

    そして  相互扶助の関係であること

 支援者と支援される人に分かれるのは  自助グループとは言いません

     保健師さんのいる会を求める人もいるでしょう
 医師がいる会を求める遺族もいる事でしょう
  ボランティアさんがいる会のほうがいいという遺族もいるでしょう

  それを否定しているのではなく

      自助グループではない  と言っているのです


      支援者の会  医師のいる会   臨床心理士のいる会でいいと思います

       自助グループと名乗るのはやめてもらいたい

        自助グループの定義

   会の持ち主が当事者であること

       自死遺族であることが  基本です

   そして  運営にかかわる人すべてが 自死遺族であること


      周りで応援してくださるのは 大歓迎です

   お茶を提供してくれるとか
  会場費の補助をしてくれるとか
    寄付をしてくださるとか

     広報をしてくださるとか

   また  法的な問題の相談に乗ってくれるとか(別な場所で)

     いろんな支援があります

   そして何度も言いますが

  保健師さんが主催の会もあっていいのです
   臨床心理士さんもいいのです

ただし
 それを  自助グループと名乗らないでほしいのです

 自助グループではありませんから

  自助グループがいいとか  言っているのではなく

     保健師が主催でも自助グループ
       臨床心理士がいても自助グループ
 医師がいても…   
  誰が参加しても 自助グループというなら

     支援者団体とか 当事者団体とか いう言葉も必要がなく

   またはグループの全てが 自助グループとなってしまうのです

       自助グループではない 会を 自助グループと紹介するのはやめてください

   岩手も滋賀も 名古屋も・・・広島

     その他・・・の地方行政も   自助グループの定義を知ってください

   
           

精神科に行ってはダメです 幸せになりませんから絶対!

himeringo1[1]

   今日は 宮城県の対策会議

   帰宅後に午前中着信の在った人に折り返しの電話
     その間にも着信は続く  メールも届く

     昼ごはんも食べずに 2時半が過ぎ
        ようやくご飯・・と思ったら

      また・・・

     ・・・・取材の電話も

     今・・ふっと   健一の写真をみた

    なぜ死んだんだろう・・・・・・・と 思う

       あんなに  死ぬことが嫌だ…怖いと言っていたのに

          なぜだろう・・・・・・・・・

最後に死へのハードルを下げたのは  精神薬だったと思う

       今も  精神薬を飲んで  元気になろうとして 
            死んでいる人がいる

    ほんとに 日本の精神科医は 心が痛まないのだろうか

      精神薬を処方するだけの医師で疑問を持たないのだろうか

 今日こんな人がいた
   30錠 毎日飲んでいる
   ろれつが回らない
        声もかすれている
   手が震える
       記憶障害が起きている

   ブクブク太ってきた・・・・

     25歳の時に 統合失調症と言われた
 それ以来   25年以上  クスリを飲み続け
     クスリを減らしてくださいと言っても
   増えるだけ

     不安障害
  解離性障害
   睡眠障害・・・なんとか障害と・・・障害を4つくらい言われている

本人は この薬を飲むと 苦しむことを知っているのに
 医師は必ず飲むように指導する

    この人の病名は  7~10個以上あるのだろうと思う

   本人には統合失調症と 2~3個の障害名を告げているが・・・

    そうでないと 30錠の処方はできない

  頓服でリスパダールも処方

   統合失調症でも 一錠でいいはず

  25年間も飲む必要はなく  断薬したら
        ろれつはまわっていただろうと思う


     元々幻聴も幻覚も何もないという

      素人でも  この30錠はヤバいと思う

   この薬の添付文書を読むと  怖くなる

 副作用だらけ

  多分このままでは  目が見えなくなり
 声も出なくなり
     腎不全か心不全で死亡…そんな気がする


  医師なら  治すことが仕事

なぜ悪化させるのだろうか

  数ある患者の中には…と医師は言うが

  ほとんどの患者・・・いや  あなたの前に座ったら最後
      治ることはない人たちを毎日目にして

  ほんとに精神病は不治の病だと思っているとしたら

       医師ではない

     人間でもない

           人間を人間として見られない精神科医が多過ぎる


     治さなくていいから  せめて悪化させないでください

  治さなくていいから

     障害を増やさないでください

               良心というものはないのでしょうか・・・

    精神科の門はくぐらない事
それが人間らしく普通に生きる道です


        自死の対策も  安易に精神科に行かなければ   半減します

         そして  人にやさしい  おおらかな社会にしませんか

   違いを認める社会

     落ち込むことを許す社会

         一人ひとり  働き方も 考え方も
      生き方も  運動も  生活も  違って当たり前


   ロボットではない  人間なのですから

  そして  いじめをしない事

       意地悪もしない事

          支え合って  生きませんか・・・

  健一は  やさしかった

  思いやりがあった

     だから追い詰められた

   そして 最後に精神薬で追い込まれた

      人にやさしい  社会

      なってほしい

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自死した人と遺族の悪口・・・こころの貧しい人たち

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自死への差別と偏見

   弱い人が死んだという考え

 いじめられても 耐えるべきという考え

     いじめられないようにするべきだという考え

   いじめている側を 問いたださないという考え

      いじめた人が正しいらしい

      いじめたくていじめたんじゃなくて
        いじめられやすい性格だから いじめただけという考え

        どっか  歪んでいる

なぜ いじめを悪だといえないのだろうか

    多分  そんな大人たちは  いじめっこだったのかもしれない

  いじめられた経験を持つ大人なら  教師なら
       いじめがどんなに残酷なのかが理解できるはず


    自死した子供の親の服装まで 悪く言う人がいた

    ある時謝罪に 来たその母親の服装が  その場にふさわしくないという

    それを  言っている  その人の服装は
         私から見たら とても変だった

     この場に着てくる服装ではない・・・と  感じた

遺族の服装の悪口を言うまでは

    それは その人の好み 感性だから  と思っていたのに

      他の親の服装を変だといった瞬間

 「いや」あんたも 十分変ですけど・・・と  心でつぶやいてしまった

    その場にふさわしい服装って  何?!

    謝罪の時は  通夜のように 黒のスーツを着て行けばいいのだろうか

       急いで謝罪に向かうとき 家にいるままの服装で駆け付けたのかもしれない

       人は 人を 色眼鏡で見ると

   何をしても  おかしい人というレッテルを貼る

      あそこの子供は・・あそこの家は・・・あそこの親は・・・

      子どもを自死させるような家だから・・・

    死んだ子供への悪口三昧

   悪口を引き出そうとする   関係者たち

      死者を愚弄している

     いじめられて死んだ子供を 悪者にして

          いい子ぶって  いい大人ぶって  
正義面して生きていく人たち


     教師も同じ 校長も・・・教育長も・・・


毎日毎日   朝から晩まで

     「くさい」「きもい」「死ね」と 言われ続けられ

      死んだのは
生きている価値のない 死んで当然の子供だといいたいのだろうか

      勉強ができなくても  蔑まれていいという事はない

    臭いから  死ぬほど  くさいといっていいのだろうか

      死ぬとは思わなかった・・・というが

      死んだのは事実


     死ぬとは思わないで  いじめ   たら

   たとえ死んでも
               

       死んだ子どもが  死んだのが悪いのだろうか


    どんな子供であっても  その子を 毎日毎日 いじめてはいけない
        からかいも  度が過ぎたら  いじめである

いじりも  毎日 毎日  続いたら  いじめである

    自死した人を悪く言い  自死した人に責任を負わせ

  遺族を悪く言い  遺族にだけ責任を負わせる 社会

   国が なぜ 基本法を作り 大綱を策定し

  税金を投入し  対策をたてているのか

        社会は考えるべきである
             

                

宇都宮市で開催の自死遺族の集い「オレンジ色の会」



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栃木県宇都宮市と鹿沼市で開催している自死遺族の自助グループ
「オレンジいろの会」と「ひなたぼっこ」

オレンジいろの会は、自死遺族だけで運営しています。
◆自死遺族の自死遺族による「わかちあい」の会です。
「オレンジいろの会」は家族や身近な人を自死で亡くした方々のわかちあいの集いです。

自死で大切な人を亡くして、誰にも言えず、一人で悲しみ苦しんでいるのはとてもつらいものです。
同じ自死遺族同士なら、同じ苦しみ・悲しみ・共感できる部分がたくさんあります。
会を運営しているのは全て自死遺族です。
胸のうちの想いをご一緒にわかちあいませんか・・・


◇ 匿名での参加もかまいません。
◇ 予約は不要です
◇ 途中参加・退席も自由です
開催日   奇数月の第4日曜日開催  (3月25日)
場所    栃木県庁西側  
    
とちぎボランテアNPOセンターぽ ぽ ら
電話    028-623-3455
時間    13時30分~15時
会費    200円


「ひなたぼっこ」
開催日   偶数月の第2日曜日開催
場所   鹿沼市文化橋町1982-18
     「市民情報せんたー」3階 学習室
会費   100円
時間   13時30分~15時































学校は責任は取らない 絶対に!

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昨日は いじめ自死と第三者委員会等についての講演を
 明石の渡部弁護士を招き開催

 大阪市もひどいようです
  神戸も・・・どこもひどい

教え子がいじめられて自死しても  好んで死んだかのように思うことのできる教師と教育長や教育局

  自分の学校で 生徒が死んでも  心の痛まない校長

    学校は 子どもが死んでも責任は取らない

    宮城県石巻市の 大川小学校も同じ
   
 何十人死のうが 学校jは責任は取らない

     だからこそ 親は学校の言いなりになる必要はない

    親の判断で 動くこと

    発達障害でもないのに 発達障害と言われて
       薬を飲ませて おとなしくなったjから・・よかった

   なんて
         まんまと 学校の  罠にはまり 
             子供の自然な発達を妨げている

精神薬を 子供時代に飲ませ続けていたら
   発達は遅れる
 身体的な発達もとまってしまう

    発達障害と言われ 発達障害を治すために精神薬を飲ませ(薬物治療は効果がないと医師は断言している)  

  結果 発達しない

 飲んだ頃よりも悪化する

     

    発達障害と言われて 治療薬を飲んで 20歳になった時
     その子は どうなっているのでしょうか

    発達はせず  一生 死ぬまで 精神薬漬け

     どうせ 治らないなら
      くすりは 飲まないほうがいい

  治るから クスリを飲むのです

  全く治らないのに  薬を飲むなんて ナンセンス

   害があるだけです

  15歳すぎたら たいていは 幼い子供のような動き方はしません

 どうして それまで 待っていられないのでしょうか

     子どもの発達は  一人ひとり違う

     他の子供と比較しない事
そして
   いじめは いけないと 何度も諦めずに教えることが大切です

     

  無責任なのが学校  無責任なのが会社
 無責任なのが行政  政治

    自分の身は自分で守ること

    それが 今の日本で生きる術

      一人ひとりは いい人なのかもしれないが

   組織という枠にはいると  目に見えない組織という力で 
 人間らしい気持ちが 薄らいでいく

    家に帰れば  いいお父さんが
       学校で  教え子がいじめにあっても
          しらんふり

  教え子が死んでも  死んだ子供がしにたくて死んだだけ
   
    それが教育者

       それが 社会

    亡き人の命を 無駄にしないためにも

     人を追い込む要因を 一つ一つ
           潰し続けるしかない

    人間の悪の部分ではなく  善のこころが大きく広がるように

    
    お兄ちゃんは 私の宝もの

     二つの宝物の一つが消えた

     今でも なみだが溢れて止まらなくなる

     胸が 痛くて  身体から力が抜けていく

        この胸の痛みは 一生続く

     今なら  救えたいのち

        今頃 いいオヤジになって

           カァチャン  ジャンボハンバーグ!食べたい

     と  ボソッと 低い声で・・・

        照れ笑いをしながら・・・

             言って  家族で遊びに来ていたのかな・・・


      守ってやれなかった   わたし

自死への差別と偏見払拭のためにも自助グループが広がって欲しい

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 自死遺族の自助グループが全国各地にある

 それぞれの地域で 自死遺族本人たちが 同じ思いをしている遺族だけでの集いを開催

   自死遺族は 病気とか事故とかと同じように
      自分で死んだんです・・・とは言えない   遺族が多い

   多くの場合は 病気で・・とか
        事故で・・とか
                  親戚にも言う遺族が多い

    それはなぜか

        それは 悪いことをしたかのような イメージがあるから

     家族の恥  親族の恥
      
   なんの根拠もない こと

   最後は自分で死んだ

    しかし 死にたくないともがき苦しみ 絶望感に苛まれて
      死ぬしかない・・と 思い込んでしまった
  
  思い込ませたものは何だったのだろうか

       本来 人間の本能は死にたくない  これが最も強い本能

    死という恐怖すら超えてしまうほど追い込んだもの

    多種多様な問題がそこには存在する

    だからこそ
国は
   誰もが追い込まれない社会を目指すと 自殺総合対策大綱に掲げている

    自死のその多くは 社会的要因によって追い込まれた末の死であると明言している

   社会的要因の中に

   亡くなった本人・・そして遺族も入るだろう

 しかし それだけではない

     それが社会的要因という意味である


  だが

    自死した人たちを 蔑む風土が日本にはある

      アジアは多いようだ

      この間 台湾の自死の対策に関わる人達との話の中で

     驚いた事は

 台湾では 自死で亡くなった家を「凶宅」と表現するという

    占いの盛んな国は 自死への差別と偏見が根深い感じがする

     縁起が悪い・・という意味なのだと思う

     死は縁起が悪いとされている国
       神の信仰の国が 死を忌み嫌う風潮にある気がする


    自死への差別と偏見は そのまま自死遺族にのしかかる

    そして 多くの支援者たちは
  自死遺族を特異な目で見ている

    他の遺族の支援は国が推進していないのに
自死遺族の支援だけが 国が推進している

  そこには自死遺族は特殊だという意味合いもあると支援者たちは思っている

   死にたくて死んだ 変な人たちではない

    遺族も変な遺族ではない

 ただ
   日本には自死への偏見と差別があり
     自死でしたと語ろうものなら

      珍しいものでも見るような罪人でもみるような 視線が注がれる・・・かもしれない

    という 恐怖心が遺族にはある

 だから

   普段の生活で 自死を語れない

   

   1か月に一度でも 1年に一度でも

     遺族が集い  遺族だけで語れる場所が必要だと思っている

そこには
 支援者は必要ない

 支援者は
 法的な問題  宗教的問題

    生活の問題  等々  専門家として支援をしてほしいと思っている

 心の専門家は その人自身
 その人の心の専門家は その人

悲しみもまた同じ

   遺族の悲しみの専門家 という 支援者なんていない


     自助グループが広がって欲しいと

 願い続けて
    13年目になりました・・・    

自死遺族支援の支援者とは・・・

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支援者は自死遺族の大多数ではなく
  特異な人に注目する

  自助グループ
 自死遺族だけでの当事者の集まりでは
      いろんな人がいて あたりまえと思っている

  そして支援者は

  こんな大変な遺族がいます・・・報告でおしまい
    こんな大変な遺族がいて こんなふうにかかわりをして
       事なきを得て 大事に至らず に います

    という報告はない

  いわゆる「あ!大変な遺族がいる」
       でも知らんふり
   で・・・ 大事にいたると こんな遺族がいてこんな風になったんですよ・・でおしまい

   子どもが自死で亡くなり
  夫婦関係がぎくしゃくする
  よくあることです(と私は思っています)

家族関係もうまくいかなくなることもある

   よくあること(と私は思う)

 だから アドバイスもする

 私もそんなときがあったけど
  こんなふうに して 今がある・・・と

   誰しもが 子どもが亡くなり 夫婦関係や家族が壊れることを本人は望んでいない
   相談をするという事は
 何とかしたいから  話す
壊れてもいい人は 話さない

 話してくれたことの気持ちを感じて

  いろんな 体験を話す
      遺族の先輩として・・・

   そうすると  私も・・おれも・・・と
 いろんな体験話しがでてくる
  その中で  その人が気づき その人が何かを感じ
      亡くなった人のために  最もいい方法を選んでいく・・・
      そう信じている

 支援者たちは  参加している遺族に元気になってほしい  と思っているのだろうか

     なぜか 元気になってほしいという 想いは感じられない

    元のような幸せなんて なれっこない
 ならない なれない

   でも 元気に生きていくことはできる

  元気と幸せは違う

    悲しみと苦しみで覆われている日々だけど

 そんな中でも  お風呂に入ったとき 「あ・・・ふー」 と あったかさにホッとする一瞬もある
    あったかいご飯を食べて  お茶を飲んで
      ふ~~~と 思う時もある

    それが生きているということ

それだけでも
   亡くなった人よりは 恵まれている・・と思う

    亡くなった人に 「ごめんなさい」と 言わせない生き方

   それは 悲しい気持ちを抱え 元気に生きていくこと
  悲しい気持ちは 亡くなった人を愛している証 そして苦しい気持ちは自責の念

   それを持ちながら  元気に生きる事

元気に生きる事は 亡くなった人に「ごめんなさい」を言わせないため

    私が死んで苦しませて悲しませてごめんなさいと言わせないため

     私が死んだことが 悪いんです・・と言わせないため

      
 13日の午後つくづく 思った
「自死で遺された人に対する総合的支援のための指針(案)」の作成の会合で
  しばらくぶりで会った支援者たちが

こんなふうに自死遺族を思っているんだ・・と

 自死遺族の多くは 亡くなった人を愛していない・・大切な人とも思っていない

    という発言にも 絶句

  頭にきたので

「私の息子が亡くなったことが 悲しいですか?」と聞いた
   私にとっては 何十人亡くなったよりも 息子の死が悲しいです
 あなたたちは 私の息子の死が悲しいですか?

  悲しくないですよね

 それは 亡くなった人と遺された人の間に 愛があるか愛がないか・・ですよね

 と 言った

あなたたちは私の息子を知らないし 愛してもいないから 悲しくないですよね
  それが普通で・・・愛する気持ちがなければ悲し気持ちはわかないんです

  悲しくない 大切でもない 愛してもいない人が亡くなって
   どうして
 遺族の集いに来るんでしょうか・・・

    もしかしたら  ことばでは愛していない大切でもない  と言いながら
       とても大切だと思っているのかもしれない

      という事に 想いを馳せることができない支援者たち

愛してもいない 大切でもない
 どうでもいい人が死んだことで

    人が遺族の集いにくるとしたら

   その人に聞きたい

なぜ 遺族の集いに参加しているのか・・・

  支援者たちは とにかく 自死遺族を特別な人 特殊な遺族にしたいらしい

   こんな支援者がいる 集いに 私は参加したくない

    遺族のダメな部分ではなく
 遺族になっても 出来ることに注目する 肯定することが大切だと思っている

    支援者たちは 遺族ができなくなったことをクローズアップして
   こんなに大変な遺族を私たちは支援してあげているといいたいのだろうか
      
    残念な支援者たちと一緒の13日

    感性が違う人たちとの会合は疲れます

  主催した 人たちの ほうが 支援者としては 真っ当でした

    

愛する人・大切な人・という言葉に傷つく自死遺族がいるという支援者のことば・・大切な人を亡くしたという言葉は遺族を追い込んでいる・・・らしい  

2007_05_23-5-Geranium_robertianum-himehuurou-b[1]

ずっと忙しく…2週間風邪で咳がひどく
熱もあり   だるく・・・・食欲もなく
  病院で薬をもらい  飲む限界を超えて ドリンクと薬の飲み放題(やばい)

最低限の活動だけして…電話は受けられず・・・
    それでも 東京の会合は抜けられず
       東京と仙台 往復 5回・・・
今後3月は あと 3回 東京へ・・・

 電話をくださっていた皆さんには 失礼をいたしております。
  昨日から少しずつ かけ直しをさせてもらっているところです

   限界を超えた!と感じたのが  13日夕方~
    一歩も歩けなくなったのです

ホテルにタクシーでいき、歩道(4~5歩)をあるきホテルの玄関にいけない
   歩けない  立つのがやっと
      足が前に進まない
    歩道に座り込み 頭を下げて・・・しばらく休み やっと立って
       チェックインも座って・・・
 翌日は延長して・・・厚労省に行くギリギリまでホテルで寝て・・

 ~~~~なんと 14日 夕方から 食欲が出て
    飛躍的に回復

  ブログもようやく書けています

   昨日15日は みやぎの萩ネットワークの例会と総会
     藍色のこころサロン

   無事に終え
 今日は午後から 明日の講演会のために資料印刷

  神戸から 弁護士を招き いじめと第三者委員会  いじめ自死についての学びの時間

     月曜日 また東京です

  
13日は 国の自死遺族支援のためのガイドライン作成の委員会でした

   意見は多少反映されたと感じています

   3回目にして 初めて 反映されたと思っています。

     複雑性悲嘆を含む 死別反応についてはその多くを削除

      うつ病を含む精神疾患という文言もほとんどを削除

 あくまでも 自死遺族支援
     遺族の悲しみは病気ではないという前提でのガイドラインに・・・

      具体的な支援の内容の簡易版

        
    そんな中で  支援者団体から
          愛する人・・大切な人 という  言葉は  遺族が傷つくといわれ ビックリ

    怒りがある遺族は

愛する人を亡くした人というくくりは傷つく
 亡くなった人を愛していないのに・
怒りしかないのに愛する人を亡くした遺族 大切な人を亡くした遺族と言われたくない
    人がいるのだという主張だった

 愛してもいない人が亡くなって なんで 悲しい話が中心の遺族のわかちあいに参加するのだろうか
  大切でもなく 愛してもいない
ようするに どうでもいい人が亡くなって
  死んでせいせいした…厄介払いができて・・・
    死んでくれて よかった

 と思う 人が なんで 遺族の会に来るんだろうか

    もしも 本当に 心から 死んでくれてよかったと思うなら
遺族の会には参加しないと思う

   あんなやつ  とか
     しんでくれてせいせいした  とか いう遺族がいても

    遺族の会に来ているという  裏の心 ことばとは違う感情を思わない支援者たちがいるとしたら

    やさしくない 支援者たち   だと感じる


ほんとに心の底から  愛していないし 大切でもない 人が死んだだけだとしたら

    悲しくないし 怒りもない・・苦しくもない

  はず

      だって 今この瞬間に誰かが亡くなっている
でも 悲しくない
 それは その人を愛していないし 大切な人でもない・・私にとっては

    悲しみとはそういうもの


    なのに なぜ 愛する人 大切な人という言葉に傷つく遺族が大勢いるかのように
  支援者たちは 発言するのだろうか

    自死遺族という人への偏見と差別がある気がする

     特殊な遺族という目線


    京都の団体 ・・東京の支援センター

    それぞれの代表の言葉に  一瞬 何を言っているのか 理解できなかった

 (風邪で熱があったこともあるが・・     ) 

     その次に 目の前の二人を見て思ったのは

あ・・・やさしさのない 人
    おもいやりのない 人

   ある意味 哀れでかわいそうな人・・


     亡くなった人たちからは  応援されない  人

     そんなことばが浮かんだ  13日の東京でも午後でしたmig.jpg