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支援とは当事者は部外者

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  当事者の知らないところで
  当事者の支援が論じられ 決められ
     対策に税金が投入される

   一旦 国が決めたことを 覆すことはほぼできない

  当事者の声が反映されない 対策
それでも
 当事者以外の人たちは
  当事者が求め当事者に必要なものであると信じて疑わない

  それが当事者を苦しめるものだとしても
     国が決め 地方行政が従い
     公務員が担当者となって実施するものを 誰も疑わない

    当事者が 見当違いですといくら訴えても
       それでは当事者が苦しむだけです 何の支援にも 対策にもなりません
 と いくら大きな声で伝えても

      そんなことはありません
 専門家が決めた事 国が決めた事です と言われる


     当事者本人が 団体で訴えても 
全員ではないですよね・・と言われる

   全員ではないが  当事者3000人ですよ・・と言っても

      専門家を自称する支援者のいうことを信じる

    それが日本の社会

 自死遺族支援という名の対策がある

   内容は  保健師たちが主催で「悲しい話を聞く会」の開催
     
   その会で 労災申請の話をしても
   いじめという事で学校への情報開示の話をしても
     相続の事を話しても
   
相談には応じない

   そこはあくまでも「悲しい話」限定の時間

  支援者の会も同じ

   生と死を考える会や聖路加での会
     いのちの電話主催の遺族の会
       グリーフケアの会も同じ

    「悲しい話」限定

     遺族の悲しいお話をお聞きする時間なのです

    賃貸物件の賠償金や お祓い料

    相続税や登記の事

 労災の申請の手続き  いじめ自死の調査委員会の設置
  供養の事

  遺産相続放棄等

   様々な手続きの問題

    相談には応じない

   ただただ「かなしいはなし」を聞くだけ

   その結果
  彼らは遺族は「悲しみでいっぱいで 普通の生活ができない人」
    「精神疾患者」という レッテルを貼っている

 本人でなければどうすることもできない「悲しみ」をどうすることができると思っているのか聞きたい

    いくら聞いてもらっても 悲しみは消えない

     消える悲しみがあるなら教えてほしい

  悲しみって 消えるものなのか教えてほしい

   しかし

この悲しみのケアに 1億円が毎年投入

   自死遺族の自助グループ活動等支援に1億円

   自助グループには 補助金はほぼ出ない

      等・・「等」の団体に ほぼ1億円が出されている

 国の税金 厚労省の補助金

     ある団体に 自死遺族支援という名目で 3000万円が補助金で認められている

      そこの団体は  自死遺族支援限定では  傾聴・・・のみ
                   補助金のほとんどは 人材育成と広報につかわれている

     遺族当事者の団体の多くは 自前の資金

       遺族からの寄付金

    何のための補助金
        自助グループ活動支援って 大綱に掲載して
          等の活動支援がほとんどなら
自助グループ活動支援と掲載しなくていい

      まるで 自助グループが補助金をもらっているかのように見えるから
 ホントはもらっていないのに


   こんなふうに  言い訳のための文書掲載で 

  当事者に補助金をおろしているように見せて 

   実は支援者たちだけで 確保しているケースが多い

支援者のための支援

 支援者が豊かになるための補助金

    支援者の満足のための支援

 当事者は部外者

 それを

  支援というらしい


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この世に要らない物の一つ それは精神薬

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 この世の中に 必要でないもの
   原発と精神薬

精神薬は 百害あって一利なし
  
  精神薬は飲んではいけない

 そもそも 精神病院に行ってはいけない


   日本の精神病院は 治療をしていない

     クスリの卸売業

    精神病院は  暇が通常

    入院病棟が満杯って
  異常

   精神病院に患者が殺到するって異常な社会

 精神科医が 社会の問題解決ができるなんて
     妄想

 うつ病という枠を広げ
     誰でもが風邪のように
一度はうつ病になる・・なんて アホらしい

 風邪は 一生薬を呑まなければいけないなんて医師は言わない

   人間の喜怒哀楽という感情の全てを精神疾患や障害としたアメリカの精神学会
 そのバックには
   精神薬を売りたい製薬会社がいる

    うつ病という概念を広げ
      認知症や脳梗塞 ガン患者や遺族までもがうつ病と言われるようになり
   介護施設では
     高齢者に統合失調症の薬を飲ませ

   団塊の世代をターゲットに 認知症予防という精神薬を飲ませ

  今度は
  できるだけ早くから 精神薬中毒の人間を作ろうとして
   発達障害という枠を広げ

子どもなら普通の事を
  発達障害と診断させ
  精神薬漬けにしている

   金の力は偉大
      行政も洗脳され

  行政主導で  精神薬を子供にも飲ませている

   子どもから高齢者まで
      精神薬漬けの人間が増えて行くばかり

    結果
 働けない人が増え
    生活保護や精神しょうがい者が増えていく   

  そもそも 遺族の悲しみに精神薬が何の効果があるというのか
  説明してもらいたい

   悲しみは病気ではない
 クスリは病気だから飲むもの

 病気でない人に薬を飲ませる 理由は何か・・・

    それは 精神薬は やめられなくなるから
  精神薬依存症になるから

    悪化していくから

  精神病にしたいから

    精神病院と精神薬の常連にしたいだけ

   人間の幸せなんて   全く考えていない

    最近
  精神科医って  変な人が多いと思うようになってきた

    人間として ?????な人が多い
    考えも偏っている
   差別的思考の人も多い
     
 人間として 尊敬できる  医師として尊敬できる
 精神科医
    ・・・誰かな・・・

どこにいるのだろう

     患者から相談を受けるが
  薬を呑むと苦しいとか
    死にたくなるとか
  家事も何もできなくなってきたとか
 暴れたくなる
   とか
    薬を呑んで悪化しているという事がほとんど

   主治医に話したら・・・というと

主治医には話せないという

  怒られるから 無理ですという患者

    精神科の医師が  患者が苦しいと言っているのに

    怒るなんて 
精神科医として失格です

 そんな医師がほとんど

   くすりを増やすだけの医師

    精神科医って

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父の命日

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 明日13日は 昨年4月に起きたいじめ自死事案の調査委員会

    15日はみやぎの萩ネットワークの例会
      セミナーの講師が決まらず 急遽 自分がすることに
         司法書士の一人が 手をあげてくれて  2人で2時間

16日は 野田正彰先生の講演会
   発達障害と精神薬

   17日は いじめ自死の再調査委員会
  一般公開

    20日 ・21日・22日・23日・24日・26日・28日と 日程は詰まっている

   宮城県の条例作成への意見書の作成
   国が作る自死遺族支援の指針作りへの意見

     3月も・・・つまっている201110-IMGP3483_m.jpg


   今日は
    育ててくれた父の命日
    2月12日
     猛吹雪だったが  今日もすごい雪

     3月3日は祖父の命日

    年を重ねると カレンダーが 命日でうまる

     9月6日が父 19日が母

    11月16日が息子で 17日が育ての母

夫の父8月13日 母10日

  祖母は・・・10月・・あれ?何日?

     夫の兄・・ 古くからの知人

叔父・叔母・・・

  ガンで逝った  遺族の人の命日も・・・

    家族は増えるもの というのは 錯覚
   減っていくこともある

   年を重ねるという事は
    死別が多くなる事

      悲しみなんて  学ばなくても
        十分

 物心がついたときから
   隣のおじさん となりのおばあさん
    従妹
      担任教師の子供
  本当に多くの人たちと 死別してきた

    通夜も葬儀も たくさん 参列
 遺体も見てきた
   それなりに  たくさん

だから 悲しみとは!なんて 誰かに教えてもらわなくていい
 記憶に残っているだけでも
    本当にたくさんの 人との死という別hasunohana411[1]
れがある

悲しい気持ちは
   普通のこと
人間だから   悲しい事も抱えながら
   相手に合わせて笑うこともある

 笑っているから  悲しみがないわけではない

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 悲しみを 抱きしめながら
  今日は書類の作成を~
明日は委員会に~

   私を愛してくれた父
  母 そして息子
   今も 愛を感じる
私も 父や母を愛し 息子を愛している

          活動は命ある限り続ける

    育ててくれた父母への恩返しと
      息子への罪滅ぼし

     

おもい  

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 玄関に・・・

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飾りびな11[1]



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当事者本人の会と行政の会

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自助グループ

 当事者本人の会

    立ち上げては閉会となることも多い

自死遺族のわかちあいの集い
   遺族だけの会

   誰かが立ち上げ
      スタッフがいても  いなくても
         半年や5年・7年 10年・・・で 閉会となるケースがある

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それが自助グループ

   仕事として保健師が主催する会は
       担当の保健師が移動しても 誰かが担当になる
 それは命令 任務
     かかわりたくなくても  本心は面倒でも  仕事としてかかわる
  仕事の時間だけ

 仕事の時間以外は 遺族のことなど思い出しもしない

    それがあたりまえ

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 ボランティアはどうなのか

   ある支援団体は  日当や講師料 を もらっている

    行政に頼まれている支援団委の代表は  講師料と交通費をもらっている

    無料ではない

    当事者たちの自助グループは・・・というと

全てが無報酬
    むしろ 自己負担が多い

   交通費も お茶代も  自前

      会場費も・・・

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しかし

 行政の会  保健師が主催の会は
   国が対策を緩め  補助金も出さなくなれば
あっさりと
 閉会となる
   再開することもない

 支援団体も同じ

    自死遺族支援団体と言いながら
  震災が起きれば  遺族支援団体と定款をかえる団体まであるのだから


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藍の会は2006年に立ち上げた
   つむぎの会仙台は2007年
 全国自死遺族連絡会は2008年
 
    自死遺族等権利保護研究会は2010年

  藍色のこころサロンも遺族の茶話会も2007年

    続けてこれたのは

  いろんな人たちのおかげ

      閉会も自由
  立ち上げも自由

それが 自助グループ

  以前から  ずっと考えていること

   全国の自助グループに 1年に1回は  おじゃましようと思っている

    1年に1回フォーラム
  1年に1回シンポジウム
  は開催しているが

    参加できない人たちもいる

   つながりを大切に・・・

   していくとはどういうことなのか ・・・

      お兄ちゃんと相談しながら

       遺族の ・皆さん・・・・・ よろしくです
      

悲しみは薬を飲んでも消えない

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 悲しみが消えるクスリはない
  悲しみが軽くなるクスリもない

 悲しみが薄まるクスリもない

   だから クスリを呑んでもしょうがない

   クスリを呑んで 頭がボーっとしても

      クスリが切れたら また悲しみがある

   悲しみそのものが なくならない限り
      クスリではどうにもできない

     睡眠薬飲んで 寝ても

     起きたら 悲しい

 寝てても 悲しい

     身体全部が悲しいんだから 睡眠薬で寝ても 忘れられない

    不安薬なんて  何の役にもたたない

    そもそも不安薬ってなに!

 不安の緩和って

    ボーっとさせるだけ

 思考の低下
   考える力を弱めるだけ

   悲しみのみ 考える力を緩和することはできない

    思考全体の緩和  低下

  家事はできなくなる

    掃除もしたくなくなる

    人への配慮はできなくなる

衝動的 本能的な 部分だけ残る

     悲しみは 愛している人だから悲しいという感情が生まれる

   こうしても 亡くなっている人はいる

でも悲しみを感じない

テレビや新聞で  亡くなった人の報道があっても

    自分の愛する人が亡くなったような悲しみは感じない

   それが人間

  愛という感情が  悲しみという感情を生み出す

 誰も 一人も  愛する人がいないひとは

   周りで誰か死んでも 悲しみという気持ちはうまれない

    愛という気持ちとイコールなのが悲しみという気持ち

 愛が浅ければ
    悲しみも浅い
           愛が深ければ 悲しみも深い

   深さの表現は  人それぞれ

 ひとりひとり 違う

でも人間は

   悲しくても ご飯は食べる
    悲しくてもお風呂にも入る

 悲しくても 洗濯もする

     悲しくても 仕事もしなければ・・・収入がなくなるから働く

   悲しい悲しい悲しい・・・と 毎日朝から晩まで泣いていても
    お腹は減る

  寝ないで 悲しもうと思っても
   3日過ぎると眠くなる

    トイレにも行く

   時間は必要です

       亡くなったばかりの時と
 1か月後 半年後 1年後
  5年後 10年後  20年後 30年後

   同じではない

   それが人間

時間はいろんな意味で残酷

 遺族は薬は飲んではいけません

 遺族になる前から飲んでいる遺族は  私は医師ではないので何とも言えませんが

 遺族になって  精神薬を飲み始めた人は やめたらいいと思う

 飲んでも 百害あって一利なし

 無駄です

    何の役にもたたない

    遺族の相談を受ける人も
 遺族の悲しみに効く薬はありませんから
    勧めないでください


悲しみもまた わたしのもの 大切な愛

    悲しみが 消えない 自分は 息子を今も深く愛しています
     母として息子を愛する気持ちに誇りを持っています

    悲しみもまた 私の誇りです

息子への愛ですから0bd3dcd7161e6ac340ab8cecfc80fdab.jpg


   

予防と防止と支援

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 自死の予防や防止
支援の内容に 疑問を持ってほしいと思う

   自死の要因はそのままにして

   相談しましょう  SOSを出しましょう

    って
変ですよ

    それは予防ではない

    支援

予防は 要因の排除

    普通の人が 死を考えるほど落ち込まなくてもいいような社会作り

    日本人は 幸福感が少ないといわれる

     子供たちも  幸せ度が低いそうです

    なぜ・・・

 そこが問題です

    物は豊富にある
     でも貧富の差は大きい

    物がなくて買えないのではない
  物はあるが 金がないから買えない

    ピンキリで物がある

いいものはいい
 安いものはそれなり

    たくさん物はなくても生きていける

    価値観 の教育

    人は人  自分は自分
  人と比べない

    自分の価値観を持って生きる教育が足りない

   人と比べ 人と同じ
  人が持っていたら 持ちたい

 人のものがうらやましい
     常に人と比較

 平均的生活  普通の生活
 平均って 誰が基準
 普通って 誰が基準

     人をねたみ  人を蔑み

 人をうらやむ

   どこかの国の大統領が言っていたが
   物は豊富でも
  心は貧しい国・・・

    心が豊かな国では決してない・・と感じる

予防と防止・・支援 の違いも知らず
  自死の問題の専門家を自負する人が多く
    社会も認めている

   自死遺族支援とはなんなのかを考えもせず
     支援の専門家を名乗る人たちがいる

 それを信じている社会

 肩書のある人がいうと 疑問も抱かず  信じる人たち

    なんとなく変だとおもっていても

   流される人たち

    頭脳明晰=いい人ではない

  大学の教授=人格者ではない

 医師=人柄がよいわけではない

    局長=能力の高い人ではない

  文字も読めなくても 書けなくても
 人間としてすばらしいひともいる

    私は育ててくれた母を尊敬している

     学歴はない
          字も書けない人だった
でも
人間としての彼女は
     誰にもまねができないほど すばらしいことをたくさんして生きた

    この国に生まれこの国に育ち
     幸せだった
  と思い 生きてる人たちがほとんどであってほしい

     幸せになるために 生を受けたはずなのに

  苦しみ ~ 人間にとって最大の恐怖である「死」を自ら決行せざるを得ない苦しみを背負わせる社会

      なんとかしたい・・・と 息子が逝き 思い悩んで生きてきた

    これでは 息子でなくても死ぬだろうなぁ・・と思う現実がある

      理不尽で ずる賢い人間ほど認められる社会

      うんざり  時々 吐き気がするときもある
    人間模様に・・・

自死が多いのは 幸せではない人が多いという事
   幸せでない自死遺族も増えるばかり

 幸せを感じない人が 毎年増えて行く

    幸せな人たちが  自死という究極の問題の中心では 見当違いにもなる

  自死という問題に最も近い 遺族が中心となって
問題を提起し
  幸せな人たちが それを受け止めて  予防や防止の対策を一緒に論ずるべきだと思う

   しかし
一向に そんな方向にはいく気配はない
 残念な社会です

息子と 母に会いたい

  今朝息子の夢を見て 起きても息子の気配がしていた

     最近 健一がそばにいる気配が強いのはなぜかな・・・

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怒り

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自殺予防学会の理事長 張先生

自死という表現について

「おのずから死を選んだというニュアンスが強くなり
 事の重大さが隠れてしまうのを恐れる」
から  自殺ということばを使い続けると発言

  自死ということばが自ら死を選んだと感じるとしたら

  自殺はどうなのだろうか

この主張で考えると

   自らを殺したという意味になる
     事の重大性が際立つとしたら
 殺したという・・殺すという文字の影響を考えてみてほしい

 それなら 自死遺族支援  自死遺族の心のケアなどと言わないでもらいたい

 自死遺族が傷つくことばを 使い続け
  自死遺族の心を ズタズタにして
  心のケアなどを語るのは
 
  加害者が被害者のケアをするようなもの

   まずは傷をつけないように・・することこそがケアではないのだろうか

   自死遺族を傷つける言葉や法等の 差別や偏見はそのままにして
  自死遺族が変えてほしいと要望しても
     自分たちの理屈で 反対し 傷つけ

     自死遺族の心は 大変ですね・・・なんて 茶番です
     
    支援とは  自死遺族が求める支援に出来るだけ 寄り添える内容にするものではないのでしょうか

  遺族を散々 傷つけ 
     遺族が求める支援には反対し

   遺族支援をしてますなんて  アホらしい

     そんな言葉で表現しないでくださいというのに

     自殺自殺自殺って  

自死という言葉が 少しずつ広がってきてから
  自死は減っています

  精神疾患の人の中には 自殺という言葉はきつくて 死にたくなりますという人も多くいます

 死に誘われる気がします という人もいます

 強烈すぎて
  人を追い込む言葉です

     追い込まれた末の死であると国は言っています

 追い込まれた末に殺したとは言っていません

     誰もが追い込まれない社会なのです 目標は

     断崖に追い詰められて 飛び降りた人を自殺というのでしょうか

      死なざるを得なかった人です

    死ぬしかなかった・・・それが自死です

     いじめやパワハラ DV  セクハラ 過重労働
      様々な要因で
  人は追い込まれます

     追い込まれた末に死んだのです
追い込まれた末に殺したのではない

   精神科医の視点は 偏っています

そして自死の  最大の要因は
 日本の精神医療のお粗末さです

   助かりたい 死にたくない 生きていたい
元気になりたい  幸せになりたい  もとのようになりたい
 と
医師に助けを求めて

医師の言うとおりに 薬を呑んで
    死んでいます

死にたくないから飲んだクスリ

     医師は 本人が死にたくて死んだというが

     死にたくないという気持ちを 尊重して
         死にたくない気持ちになるクスリを処方してくださいよ

   死にたくなる薬を飲ませて どうするんですか

    死への恐怖心が薄れるクスリを処方してはダメです

    精神科医は自死の予防の専門家ではなく
  反面教師なだけ

     

体育館や教室にカギがかかっている学校

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仙台市 いじめ自死のあった中学校

   体育館は終日カギがかかっている
     体育や部活以外は使用禁止
昼休み時間に使用したいときは 許可が必要

  空き教室はカギがかけられ
    美術とかで教室をあけるときは カギがかけられている

  屋上ももちろん カギがかけられ
そのうえ
屋上に通じる階段には 椅子とテープでバリケードが作られている

他の教室はもちろん 出入り禁止

他のクラスの子と話したいときは
    廊下で話すしかない
なぜなら
 教室の扉の所では 立ち止まって話してはいけない

   呼び出すのも 気後れするような 張り紙が貼ってある

     殺風景な廊下

 貼ってあるのは
 高校のポスター  1年から3年まで 廊下にびっしり
 空き教室がたくさんあるのに
  わざわざ
 カウンセラー室は 教室の前にある

   利用率は少ないようで

   登校日にもかかわらず  午後2時半頃
   寒々として
   暖房が使用された気配は全くない

 色どりの少ない学校

     寒々とした廊下と玄関・階段

    空き教室の雑然とした空間

    刑務所のような・・・・学校

 校長室は ものすごく立派
  これまで訪ねた中で 一番立派

    職員室は狭く ものに埋まっていた

子供たちが作った作品は あまり飾られていなかった
 なんだろうなぁ
     人間味のない学校  そんな気がした

なによりの驚きは
  体育館・武道館・教室・・とにかくカギがかかっていること

   何かあった時
 子供たちは体育館には逃げられない
屋上にも逃げられない

   忘れ物をしても  先生にカギをあけてもらわないと
  教室にも入れない


 

   救いは
 保健室と図書室は
  とてもいい雰囲気だったこと

 
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いじめは卑怯者のすること



学校で遊んでいて 誰かに足払いをされて
転んでけがをした場合

   ケガをさせるつもりでした足払いという行為でないとしても
      ケガをさせた事実は事実として
   ケガをさせた子供の保護者に学校は伝える義務があると思う

    学校が病院に連れて行き治療を受けさせても
       ケガをさせてしまった子供の保護者に伝えない学校は
 学校として当たり前なのだろうか

   故意でなければ ケガをさせられても ケガをした方の責任なのだろうか

     押されて 肩を脱臼しても
   脱臼した子どもの責任・・・脱臼しやすい子供・・ということで
       おしまいになるのだろうか

  いじめも
いじめられやすい子供という理由が通るなら
 
いじめの肯定
  いじめをしても許される学校になっていく

    いじめは卑怯者のすること
       学校がその卑怯者を認め 肯定するなら
   いじめの対策はしなくていい
  いや
する必要がない
    仙台市の教育行政のトップは
       いじめられる子供が悪いとおもっているようです
     だから  仙台市のいじめ対策は
   仕組みだけ作り 人材だけ派遣し
       具体的解決はしない内容になっていることは 不思議ではない

そもそも
  いじめる側は 全く悪くないのだから
 いじめはあってもいい
 いじめがあるのは普通
    いじめられる子供が 学校にいなくなればいいだけ

   いじめられやすい子供は 支援学級にやればいいだけ

      しかし
集団とはそんな単純ではない

    いじめっ子ばかりの学級
全員がいじめる子供たち・・だとしても  その中でまたいじめられる子供が出てくる
   そうしたら
また いじめられやすい子供ということで
    排除し
支援学級へ

そして またいじめる子供だけの学級ができる

だが またその中で いじめられる子供が出る

 それが 人間 集団

  だからこそ

  いじめはいけないと教えることが大切である
    人をいじめてはいけませんと親も学校も教える
 
    何度もなんども ~~~

そのうえで
いじめをしている子供を諭し 保護者にも伝える
 一緒に考える

 いじめっ子は 何らかの心の闇がある

    人をいじめて ストレス発散
  人をいじめて楽しむ
 人が困っているのが快感
   人の悪口を言うと ルンルン気分

  歪んでいる

   いじめられ苦しいのが普通

    いじめを見ていて なんとも思わないのも 異常

     いじめが楽しい子供こそ 要注意 要支援 要配慮の子供であるべき

     いじめられる子供が 配慮の必要な子どもという認識が変


    いじめっこが 反省しない限り ターゲットは変わりいじめは続くだけ

大人の場合も同じ

   それが パワハラ モラハラ  セクハラ

    と続く  

言葉は大切です


人が嫌がるのを見て 幸せを感じる人は 異常です

  そんな人ばかりになったら 社会は破滅main.jpg

国によって悲しみについての考えは違う

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自死遺族の事を論文にする人も多く
   研究する人も多くいる

大いに結構な事だと思うが
 ただし
それが 自死遺族のために役に立つことが重要である

  自死遺族への差別を助長したり
     自死遺族への偏見を増幅させる内容だったりした場合は
         抗議もするし 反対意見もいう

   
   自分が遺族で 遺族の事を一番に考えてきた

  遺族の悲しみは取り除けないが
  遺族の悲しみ以外の 問題は解決したい
   遺族が悲しみと向き合う時間をさえも奪う今の社会

   そして 悲しみに暮れていると
   病気だという支援者たち

    国が個人の問題ではないと決め
     国が基本法を作り大綱を作り 補助金や研究費対策費を投入し
      対策をたてている
がしかし
   行政の担当者ですら 支援者ですら
       自死は個人と家族の問題という意識が強い

 論文も研究も
     
遺族の悲しみはグリーフケアが基本的考えになっている

    そもそも グリーフケアはキリスト教的死生観や宗教観

    日本人のほとんどがキリスト教の信徒なのだろうか
  
グリーフケアを信じている人たちは キリスト教の信徒なのだろうか

   仏教の伝道師でもあるお坊さんでさえ
  グリーフケアを信じているのが奇妙な気がする

   アメリカ人の悲しみに関する考え方と日本人では違う

文化や風土が違う

    日本人は日本人の悲しみとの向き合い方がある
どこの国も
 そこの国民の悲しみ方がある

  アメリカ人の悲しみ方が 一番正しいなんて誰が決めたのだろうか

  保健師もお坊さんも
    民間の支援者も
        大学の教授も 医師も
   グリーフケア一色

 どうしてもっと深く日本人の悲しみについて考えないのだろうか
   
   自死遺族の研究するなら
    論文書くなら

   日本人の遺族の環境・生まれ育った地域を加味し
    祖父母・両親・本人・・・
       どのような中で生まれ育ち そして遺族になったのか
  また遺族になったあと
 どのような中で生きているのか・・・

    そんなことも考えながら 研究してほしい

 上っ面の
     しかも脚本ができている研究なんて
        
         それも
遺族に何の役にもたたない
 むしろ 遺族を追いつめる内容・・だとしたら
     
    ・・・新たな遺族からの相談を毎日受けていると

    社会へのいら立ちが 強くなっていくばかりです41Up5c-CaqL.jpg
   

自死の対策は見当違いが多い


自分で忙しくしているといわれる
   性分だから仕方がない
(家事もあるから・・・)

 自死の予防や防止は やれば結果は出る
   5分の3以下に減ったのは 債務の要因

他の要因は増えている
なぜ・・・見当違いの予防と防止対策が多いから・・その一言

いじめ自死がパーセントでは増えている 人数が横ばいということは
 児童生徒の人数んが減っているのだから 占める割合は増えている
なぜ~
 方向違いの対策がほとんどだから

  まずは 人を追い込まない対策が ほとんどない

    要因はそのまま~人をおいこみ~苦しませ~相談を受けるといい
~つなぐ先は精神医療~悪化させ~自死
 
 相談先を増やしても意味がない
     相談先の相談員が理解し整理し 的確な支援先に繋げないのだから

  教育の問題もそのまま
  介護の問題もそのまま
    精神医療の問題もそのまま
        過重労働・パワハラ・いじめ もそのまま
 福祉資源もお粗末

   シングルマザーが働く場所も少なく
賃金も安い
   働いても賃金がやすくて 結婚どころか 一人暮らしもままならない

 健康保険も入れない

   ようやく働くと サービス残業が普通

     農業も 農業だけでは生活ができない
     跡取りはいない

    根本の根本を解決できないなら

せめて
 相談先のスキルアップをしてほしい

     安易に 精神医療につなぐのはやめてもらいたい

 
  支援者たちにとって 自死は減っては困るのです
   適度に減り適度に増える
      問題を残しているほうが支援が必要な人が増えるからいいのです

   しかも あまり 具体的に解決するのは疲れるけど
 適当に話を聞き
  精神科につなげばいい
 また
 やることはやっているんだけど  相談者が来ないだけ
  という支援がほとんど

人材育成のオンパレード
 それもスキルアップはほとんどない

  12年間ずっとかかわってきた私は
   セミナーに行くと うんざり
また また同じ話しばかり

    12年間同じ内容で セミナーを開催している行政

 そのことを つっつくと  
  毎年 担当者がかわるので・・・

 毎年 初心者研修
     それが他の部署に行ってもいかされるならいいけど
 無駄の一言

  支援者が学び  支援者を配置し
     そこまででおしまい

    具体的問題解決をしていないのですから
     減るわけがない

     それが現実

  2万1千人に減ったというけど

    不審死と事故死が増え
 行方不明も増えている

    WHOのガイドラインを無視して

    不審死や事故死行方不明者の 何割かをカウントしていないのが日本
  10万人を超える自死があるのが日本

  それでも
    対策は見当違い

    なぜ・・・
それは自死に一番近い遺族の意見を聞こうとしないから
偉い人たちが偉そうに
   自死する人たちは特殊だという対策にとどまってから
   誰でもが・・・といいながら
       自分とは関係のない世界だとおもっているから

   遺族も遺族になりたてのころは
     違う世界の事だった
        まさか
・・・幸せだったのに
自分が     こんなことになるなんて
     誰よりも 幸せだった・・・自死遺族になるなんて

  思う人が多い

  世界で一番幸せだと思う人も
  ある日突然遺族になる
   それが今の日本

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