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頑張ります!

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久しぶりにブログに


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一時 コメントが炎上したことがあって、承認制にしています

明日は那珂市に行き、中学校で講演します
 仙台に帰ったらそのまま市役所の会議です
遅れるので 明日の朝 那珂市に行く前に市役所によって
  意見書の配布をお願いしてから新幹線に~~

  遺族からの相談を最優先なので
    資料の作成等が後手に回り・・・いつも夜中までかかってしまうのですが
  遺族に
遺族を身近に感じてもらえないようになったら
     自助グループ活動はアウトだと思うので
         当然のこと
30日は31日の講演の資料とレジュメの作成の一日にしようと
あたまにハチマキして望んでいたのですが
  遺族からの電話が4人~
遺族以外に2人~
メールが3人
      明日の講演が・・・と、少し焦っています
新幹線と特急の中で まとめます
   推薦をしてくださった方のお気持ちに応える為にも
       一つでも心に残していただける話を・・・
   頑張りたいと思っています

   児童生徒のSOS教育などと 現実を知らない人たちが考えた・・というか
    SOS教育の対策のほうが  対策の中心になる人には金がながれ   
       面倒な 具体的相談対策をしなくていいと ずる賢い人たちは計算している

本当に知らないでこの対策を推進しているなら
 幼すぎてあきれてしまう

  SOSは出している
 SOSを何度も出して
    無視され続け 絶望して死んでいる子供たちが多いのが現実

  自死の対策は 新たにいろんな仕組みを作らなくても
     今ある仕組みの活性化と
 多種多様な 民間団体との連携があれば
     半分以下に減らせる

   でもそれでは 自死のビジネスにはならない

  ビジネスとするのは
    支援者支援が簡単で 成果も問われない

まるでSOSを出せないから死んだ・・という目線

    助けて!という人を何度も無視して
  助けてと言えない人たちに助けてと言える教育・・・という対策

  せめて助けてという人たちは助けてください

   助けてと言わせて 無視・・・

   こんな対策で減るとは思わない

  楽しく学校に行っている子供を死ぬほど追い詰めた問題の解決をしましょうよ
    仕事も希望を持って一生懸命に会社のために働いていた人を
     死ぬほど追い込んだ問題を解決しましょうよ

    頑張って真面目に 生きていた人たちを追い込んだ問題を
   一つ一つひとりひとり 解決してください
      それが対策であり支援です

支援者の自己満足のために 苦しんでいるのではありません

   でも・・・苦しい人がいないと 支援者は困るのかな・・・

  なんだか
    悲しくなってきます

    さて もう少し やってから寝ます

会員になってくださった遺族の方へも資料をきちんと送るように頑張ります

    約束が守れずにいること ごめんなさい

 岡先生との約束も 野田先生との約束も
    市役所への提言書も
市長との面談も
 学校訪問も
   調査委員会も
講演会の主催も
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山形の青い会にいけばよかったと後悔している

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今日、山形の「青い会」にいこうかどうか
昨日からまよい 寝ていても 頭から離れず ギリギリまで決断できずにいた
 なぜか 気になって
      書類書きと御礼状と手紙・・・
        書類の整理が 山のようにたまっていて・・・
           優先してしまった

    これでよかったのだろうか・・・と 今も気になっている

     なぜか・・・わからないが気になっている

     あれもこれも 自死の課題が見える
        か
  能力が追い付かない

   自死への差別と偏見は いたるところにある
      
   遺族が中心になっていないから・・・

      遺族の事ですら  遺族は蚊帳の外

     蚊帳の外という事に 気が付いていない遺族がほとんど

     「自殺総合対策大綱」「自殺対策基本法」が存在することを知らない人が多い

      毎年多額の税金が投入されているのにもかかわらず
         ほとんどの人は無関心

     自死以外の対策も 多くの人たちは無関心

     自分のことなのに・・・

 自分の知らないところで 自分たちが語られ
      差別や偏見の目で対策が作られていることも知らない
  知らないほうが幸せという言葉が日本にはあるが
   私はそうは思わない
   無知と無関心は 
      社会を偏らせる

  いじめと不登校が蔓延している学校という社会

       それはどうしてなのだろうと最近思う

    野田先生や堀先生と学校について話すことが多くなり
  教職員組合の人たちや高校の校長からも話を聞き

      最近の中学校は 部活も必須に近く
        柔道剣道という武術を推進し
      1分刻みでスケジュールが決められ
          体育の時に着替えたら  制服に着替えずに ジャージのままで
  授業を受け・・・午後の掃除に備え
     部活にと流れる

    午前中に体育があったら 午前中からジャージで授業を受け、昼ごはんもジャージ
       午後の普通授業は全てジャージ

   着替える時間がもったいない・・・という考えのよう

      1分2分 どうでもいいと思うのだが・・・
どうにも細かい
   挨拶もロボット・・・いや 軍隊のようにハキハキというらしい

      大人の都合に合わせる 教育

     子供時代は二度とない貴重な月日
    大人の時間は長い

     子供時代はあっという間

       5歳は5歳なりの
  10歳は10歳としての
 その年齢にしか体験できない
    自由な発想を楽しんだらいいのに

    大人の発想を押し付け
 大人の価値観を正しいと決めつけ
     大人がみて いい子供を育てようとしている
 
   昔天才 今普通  
       よくある話

    軍隊のように 制服を着て
  軍隊のように 隊列を組み
  軍隊のように 教師の命令に従い
  親のいう事を聞き
    いい学校 いい大学  いい会社
 成績だけよくても
     人間としてクズのような人がいる
  教授でも医師でも 
    人柄が最低の人も多い

   義務教育は 社会に出て 幸せに暮らせる知識を身につけること

  それだけでいいのになぁ・・・

  なんか違う
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悲しみは病気ではない 病院に行く必要はない

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愛する人を亡くした遺族の皆さん

   悲しみは病気ではありません

     気分が落ち込む
 食欲がない  ぐっすり眠れない
  悲しい  涙が出る  苦しい さみしい  虚しい
   気力がない  希望が持てない 楽しくない
      以前出来たことができない
人と会いたくない  
   ・・・・・・・・・
      やる気が出ない
  いつも 亡くなった人の事を考えている

   全部 普通です 普通の反応です

   愛する人が亡くなったことでおきた反応

     愛する人でなければ このような反応は出ません

        生き返らない限り  悲しみは消えません
     
悲しみは愛しているからこそ…沸き起こる感情

    愛を消すことができない限り 悲しみも消えません

   悲しみを消すことは 愛を消すこと

  愛を消して  忘れていいのでしょうか

  たとえば 私の場合
  息子への愛が消えて
    悲しくもなんともない

    そんなふうには なりたくありません

      子供が死んで やる気満々
          毎日が楽しくて仕方がない
   なんて
 母親には 私はなりたくありません
   また
そんな人は親の資格がない

    遺族になる前から 精神薬を飲んでいた遺族には
          薬をやめなさいとは言いませんが

   遺族になってから 精神薬を飲んだ遺族は やめたほうがいい

      何の役にもたちません

   出来なくなったことを数えるのではなく

     悲しいけど  ぐっすり眠れないけど
         少しは寝れてる
      ご飯も少しは食べてる
  お風呂にも入れる

     顔も洗える
歯も磨ける
  髪もとかせてる

     トイレにも行けてる

      お水も飲める

     そして 亡くなった人のために 葬儀もできた

        お花も供えてる

     電気もつけて 消して  カーテンも閉めたり開けたり

  できている

     それで十分 生きてる

      時間が過ぎると 厚かましく ずうずうしく ごまかすことができるようになる
        悲しみを~

   ごまかして 楽している自分が 時には嫌になる

    ひどい母親だと自分で思う

    美味しいものも食べたくなる

  毎日いっていた墓参りも
    週に一度 一か月に一度・・・となっていく

    残念な自分がいます

   悲しみは病気ではない
      病気ではないなら クスリは必要ない

     クスリは病気だから飲み 病気に効くもの
  悲しみは病気ではないから クスリは効かない

       時間は必要です・・・ごまかしのためにhekizanen_renngeshouma.jpg

自死と遺族への偏見と差別

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   自死と自死遺族に対する偏見と差別は
      私の想像をはるかに超えて 根深く 多くの人たち様々な職種の人たちの存在する

   一見理解があるように思える人たちも
   実は心の底には 自死と自死遺族への偏見があるのを
       会議や会話の中に発見する日々

   まだ マスコミの人たちのほうが 偏見と差別が少ない

     例えば 自死遺族の支援という事で
       自死遺族のための会を開催している支援者たち

    支援者団体の多くは 自死遺族にマスコミの取材を受けさせない

     取材をしたいという話がありますという事も伝えない

          遺族は取材を受けないと決めつけている

      自助グループ・・・私は取材の話は 記者と深く話をして
       この記者なら・・と思った時は
    遺族に話をしてみる  取材を受けて 公開することで 生きる力を得る遺族もいる

 伝えたいと思っている遺族もいる

      受けるかどうかは その人が決めること・・・

もちろん 断っていいとも伝える

        取材の途中で 無理なら 私が断ってあげる

   遺族には絶対に取材は受けさせないと決めているのが支援団体に多い

        また
    いじめの調査委員会などでも

   遺族は 教育委員会や調査委員会の人の訪問を受けないと決めている事も多い

       委員会の報告とあいさつに行きたいということで遺族に頼んだ結果
     「どうぞ」と言われて 戸惑う事務局

       断られることが前提で お願いをしている

       だからOKがでると  「遺族が家に上げるなんて…焼香をいいというなんて」
     と発言してしまう
          つい本心が出てしまう     

       委員会の一般公開も同じ

       遺族が公開するはずがない
なぜなら  自死遺族であることを知られたくないはずだから・・・と決めつけている

  だから一般公開でお願いしますと遺族に言われ

 戸惑ってしまい
  個人情報が・・・遺族は知られたくないと思うから・・と遺族の前で発言してしまう

  いや・・・だから 遺族がいいと言っているんですよ・・と 
       大きな声になってしまう

     遺族は隠れているもの

 遺族は語れないもの

 遺族は意見を言えない

   遺族は貧乏で汚い家に住んでいる

      服装もみすぼらしい

     という意味の言葉が  深く考えず出てしまう人たち

     思ったよりも きちんとしていた・・とか

     意見を言ってましたね・・・とか

          また 遺族が家族を亡くすることのつらさや悲しみを語る一方で

 普通に生活を過ごしていることに衝撃を受ける支援者もいる

  仕事を続け
   学校に通い 家事をすることが
      不思議だと思うような人が支援者にはいる

 要するに 毎日が通夜や葬儀の日のようであると思っている

   毎日が 支援者の前でかなしみを語る生活だと思っているのだ

しかも
 自死遺族というカテゴリーなのに

 友人知人も恋人も同僚も・・・自死遺族という見解が一致していないとまでいう始末

      自死遺族とは 読んで字のごとく 遺族である
遺族とは
 民事上の遺族という意味で
国語辞典だと身内という
 身内とは 親子兄弟など ごく親しい血縁関係にある人 
また死後に遺された家族とある
家族とは親子・兄弟・夫婦などの関係で結ばれた人

なのに なぜ遺族のくくりに
  知人友人恋人を入れるかどうかで見解が一致しないのか理解できない

    自死遺族が意見を言うはずがないという見解で
          このような意味不明な 事が まかり通っている

  このことにも異議を申し立てても無視されてきたことも事実である

  遺族の事なのに 遺族の意見が無視され
   支援者の意見で遺族の事が決められ 遺族とはこういう人たちだと
        論文になり 世界に広がる事も 許せない

     無知すぎる支援者が多い

   無知というか 知ろうとしない支援者が多い

     遺族にも 
自分たちが支援者からどのような目で見られているのかを知って支援者と接してほしい

 最初は無理でも  少しずつでもいい
    知ってほしい と思う

   それは 亡くなった家族の尊厳の為でもあるのです

   蔑まれないように

     苦しんで亡くなった人を ・・・

      遺族の生き方で  自死した人への差別と偏見はなくすることができると思う

     悲しくても苦しくても

      毅然と生きてほしい

 そう願っています

  倒れそうになるほど 悲しいけど
   凛と生きてほしいと願っています

 それが 亡くなった人へ 遺族ができる懺悔

  自戒を込めて hekizanen_renngeshouma.jpg