
啓翁桜
今年も仏壇には「啓翁桜」を飾り、年を越す
家のどこにも正月飾りはない
息子が逝き 12年が過ぎた
年賀状も書かない お供え餅もしない
玄関に正月飾りもしない
正月らしいこと は 啓翁桜が仏壇に飾られること
それと お餅が大好きな息子のために
一昨日からお餅が毎日とっかえひっかえ 供えていること・・・
お墓に 少し正月らしく 松の枝と縁起物の千両万両の花の混じった花束を供え
明日の元旦もお墓参り
忙しすぎて
ブログを書く暇も 手紙を書く時間も
丁寧に対応ができない電話やメールも多く
反省の連続の今年でした
野田先生にも ご意見を頂き 反省
いじめの事案にかかわることが多く
相談も増え 過労気味の日々
やるべきことが ありすぎて 能力が追い付かない
お世話になりながら お礼が遅れたり
と
失礼を重ねている・・・
でも
伝えて行きたいことが多く
変えたいことがたくさんあり
あれもこれも 目につく
のめり込んでしまう 性分
健一が逝き ずっと自死の事だけにかかわって過ごしてきた
自死の問題の活動をしている人や団体はほぼ知っている
団体の流れも 国や県の流れも見てきた
知らなければ 悲しい・・だけで終わっていたのかもしれない
知ることは 社会への怒りとつながる
理不尽な世の中
ずるい社会
ずる賢いのではなく ずる悪い人たち
金と権力
民間団体も 大学も 政治も議員も 教授も 医師も
金と権力
人をおとしめ 恩なんて どこ吹く風
社会は 大多数の無関心者と
組織と肩書と・ テレビを含むマスコミが作り上げる有名人
ほんの一部の人間で 社会の動向がきまる
深い部分 問題の裏側を見ようとしない大多数の人達は
表面だけで判断し
洗脳されていく
人が死んでも 生命保険が入るとねたみ
賠償金が入るとうらやみ
人の不幸が大好きな社会
日本という国が大嫌いなりそうな今年でした
仙台という街も嫌いになっていく自分がいる今年でした
でも
志高く すばらしい人たちとの出会いもいただき
悲しいご縁の出逢いも含めて
大切にしていきたいと思える出会いをたくさんたくさん頂戴した一年でもあります
知らないことも教えてもらいました
あたまの良いひとは 同じものを見ても
視点が違うということを痛感した一年です
健一の13回忌も終え
70歳を目の前にして
決意を新たにしています
なんと言われようとも
やさしい人がやさしいままで 生きられる社会を目指すために
喪われた命の意味を伝え続けます
今日も悲しいご縁がつながりました

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