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法話の会  参加します

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12月2日(土曜日) 浄土宗布教師から法話を聞き、その後、法要の中で、皆さまでお念仏をお称えし、亡き人のご回向ををする集い を開催いたします。
大切なご家族様を亡くされた方なら、どなたでも参加いただけます(病死、事故死、突然死、自死、災害での死、交通事故、過労死、犯罪死等)。
信仰や宗派等は問いません。

日 程 12月2日(土曜日)
    14時00分~(受付は13時30分より)
会 場 浄土宗 八幡山 雲天寺
    302-0109
    茨城県守谷市本町358番地
    0297-48-0565
参加費 無料

*ご回向される方のお名前、没年月日、年齢、法名など、書ける範囲でお書き頂きますので、ご準備下さい。
*法要終了後、新書院にて茶話会も行います。

皆さまのご参加お待ちしております
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基本法も大綱も素晴らしい・・が 実際の対策は・・・?

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やさしい人たちを追い込まない対策を推進して
   自死する人が減るのはありがたいこと

全く問題ない
 大賛成

しかし

  私がなぜずっと 意見を言い続けているのか

 それは
     彼らの根底には自死への偏見と差別が大きく存在するから。

 差別と偏見を持って対策を論ずるから
   見当違いの対策になって

 むしろ 人を追い込む対策になっていると
      自死遺族として自死遺族の人たちから話を聞き
         亡くなった人たちの声を聞き
     活動してきた 私は感じるのです

この問題で亡くなった人が
   今、この問題の対策だというこの内容で 生きているだろうか

  亡くなった人の声が聞こえる
「違う・これではやっぱり死ぬしかない」と。

   反対のための反対をしているのではない

     役に立つ対策だと感じたときは素直に「とてもいい」という
      すごいという
      尊敬もする

   しかし 多くの対策は当事者が欲しいと思うものはあまりない
  たまに
  すばらし内容で実施されても
      必要とされても やめてしまう


   震災後の被災地でのお茶会・・サロンをボランティア団体が開催していた

   たくさんの被災者が参加していた
   求められていた

     しかし 彼らは あっさりと やめてしまった

 なぜ・・と聞いたら

   被災地まで出向くのが大変なので
     人材の確保が難しい

顔の見えない傾聴電話のボランティアが主体なので
  顔の見えるお茶会はしんどい

     というのが理由

    仙台市内で 震災の遺族の集いを開催していたが
       参加者がいないのでここもやめた

   参加者が多いということは必要とされている
    必要とされている会を閉会
     続けようと思っていた会は参加者が少なくて閉会

    自分達がやりやすい方法での支援

   参加する人が不自由だろうが 関係ない

      そんな考えかたの支援が多い

  つながる人たちの事なんて 関係ない

     支援する側が 
楽して 支援をしているという気持ちを満喫できたらいい
  そんなふうに感じてしまう対策が多い

自己満足

    働き方の改革が必要
       でも 24時間サービスを求める人がいる
   土日祭日 夜中朝方 関係なく 同じサービスを求める国民
そのために
 24時間 休みなく 働く人たちがいる

    一日3交代勤務ができる会社はいいが
    できないところは 一人で24時間働くケースが多くなる

 しかもサービス残業

24時間働いたら 次の日休みならいいが
   午後勤務の16時間・・・

週40時間勤務なんて  夢の夢
     そんな会社が日本にどれほどあるだろうか

 働くために生まれてきたのではない
     人生を楽しむためである

   楽しむために 働くのである

     35年間  ほぼ休みなく  働き続け
       自死した人がいる
          全国チェーン

    途中退職者も多く 自死も多い
       でも
    改善されていない

    たまに休暇が取れても  社長の自宅の仕事を手伝うように指示される人たちもいる
     そんな人たちはほぼ休みがない

 人も増やさない

 少ない人数で 仕事の量は多い
  仕事をやらないと 店舗が営業できない

 やるしかない

 やめるか 続けるか・・・

頑張る人が頑張るだけ  人材は増やさない

   

利益は上がる

    過労死・過労自死の運動の歴史は長い
     でも相変わらず 過労とパワハラでの自死者は多い

   学校も同じ
警察も…自動車会社も
  病院や研究室も
 下請け企業も

    自死の対策で効果が出ているのは
 債務問題の自死
   具体的対策が実施されたから

   しかし他の原因は 相変わらず多い

 子供たちの自死は 人数はほぼ同じ
   ということは
少子化を考えたら 割合としては増えている

    日本の自死の対策は
       10年間かけて ようやく当事者の声が届くようになった

がしかし

 今はどうなのか

   一部の団体につながる民間団体の意見だけが取り入れられ
   密かに
    強引に
      やりたい放題の対策が推進されていくことになってしまった

    心の底から 自死の問題を考えている人は少なく
       義務的に 仕方がなく やろうとしている行政には
           いいかげんな 適当な
 派手な パフォーマンスだけの 対策のほうがやりやすい

    そこで犠牲となるのは

   苦しんでいる人たちである

      これから も  自死は減らない

      減っていくとしたら

   コツコツと地道に活動をしている人たちの力
     一人・・一人・・ひとり
  丁寧に 相談に乗り 解決して
    本人の生きる力生きたいと願う思いを引き出すことができる人たちの活動の力

決して
 派手な運動 派手な講演会
 一人のカリスマではない

  生きてください
   生きていてください
      一緒に苦しみ 一緒に解決し 一緒に生きて欲しい
  
ひとりひとり 大切な大事ないのちです


平凡な人たちが天才を発達障害と決めつけて排除している日本

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発達障害の専門家は本来は小児科医
小児神経(発達)

児童精神科ではなく
 小児神経(発達)が専門家医

   通信簿がオール5の子供を発達障害という保健師
   NHKのEテレでも放送していた

  担任が発達障害という診断をするのもおかしい

  うつ病のチェックシートで あいまいな問診を設置して
     うつ病の枠を大幅に広げて 患者を4倍に増やした
  
    発達障害もチェックシートによる問診で 簡単に素人が診断名を付けられるようにした
    
    本来は診断は医師でなければしてはいけない

    遺児免許の持たない人が診断することはできないはず

 しかし うつ病も発達障害も 普通に医師でもない人が決めつけている
  
日本国民 全員 精神科の医師免許があるかのような風潮がある

     私うつ病!あなたもうつ病
   友達いないなんて発達障害よ
   
  生きづらいのは発達障害

 53歳の一部上場会社の部長も大人の発達障害だと
医師に言われ    信じて クスリを飲んでいる
  
たぶん部長になった責任感や仕事への不安が
  落ち込むことになった原因で 精神科に行っただけの人

 53歳 発達障害だとしても
 もう人生半分以上生きてきたんだから これまで通りでいいと思う
 今更
  友達がいないから 発達障害だと言われて
  薬飲んで 友達ができるわけもなく
      老いていくだけ

    スポーツ万能 頭脳明晰

    どこが発達障害?

  頭脳明晰な子供が 全員育てやすい子供ではない
そもそも
子どもはうるさく とつぜん騒ぎ 意味もなく叫ぶ(意味がないと思っているのは大人の感覚)
  子どもの行動には理屈と意味がある
それを大人が理解できないだけ

   授業中 キョロキョロしたり他のことをするのは
  先生の授業が面白くないから つまらないから・・・

   忘れ物をするのは 生活習慣の改善でなおる

     遅刻も同じ

     落ち着きのない子供もいる

    大人になっても  会議で叫んだり キョロキョロする人はいない

  もしもいたら 発達障害かもしれない

 発達障害とは脳機能の障害
    たいていは知能の低下を伴う
 オール5の頭脳明晰で発達障害という診断をつける保健師は
    無知 ただし知識を持っていない
     医師の言う通り 権威ある人の言う通り
疑問も持たない人
 言いなりに生きている人
  
      平凡な人たちが 有能な人達を 障害者だとしている学校という世界

      おそろしいことがおきている

 世界を変えてきた人たち発明家や芸術家研究者たち等々
エジソンもシェイクスピアも
棟方志功や野口英世も   現在では発達障害と診断されて 
   精神薬を飲まされて
           廃人にされている       
   

追い込まれた末

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国の自殺総合対策大綱
「自死は追い込まれた末の死である」として
「誰も追い込まれない社会の実現を目指す」とうたっている

「死にたい人」ではない

〇のちの電話の標語に「死にたい気持ちに寄り添って」というのがある
「死にたい人」「死にたい人に寄り添う」とか
  死にたいという表現をする人たちが支援者には多く
  社会もまた「死にたい人」が死ぬのが「自死」という概念がほとんど

人間の本能である「生きたい」という人が大多数なのに
 「死にたい」と思う特殊な心を持つ人たちの死が自死
  という無意識の意識がある

 自死にかかわる 専門家や支援者でさえ 死にたい人という認識

  いじめも
いじめた側の加害者に注目しない
 いじめられた子供の性格や育てた親の責任に焦点を当あてている社会
  いじめた子供はそのまま放置
   いじめた子供の将来を考えて・・・というが
   いじめられて死んだ子供の将来は 考えてくれなかったから死んだのに・・
     生きていたんですけど・・いじめがなければ生きていたいのちで将来があったのです・・

いじめた子供だけが守られ
  いじめで死んだ子供は
  死んでも尚 蔑まれる
    発達障害とか思春期うつとか・・・
 いじめられやすい性格の子供だった
    親がいじめられれやすい子供だということを認識せず
        精神科の治療を受けさせないことがいじめが起きた原因だ
   いじめたのは
     そこにいじめられやすい子供がいたからで
   その子がその学級に存在していなければ いじめることもなかった・・・

   という言い訳
             いじめられて死んだ子供がいじめを誘発したかのような教育機関の
                答弁とマスコミ

    弱い人・逃げた人・がまんが足りない人
     いじめを苦に死ぬなんて・・・という認識

      いじめてはダメです 何の権利があっていじめるんですか

   人をなぜ追い込むんですか

なぜ 蔑み なぜ罵声をあびせ なぜ叱責するんですか
    なぜバカにするんですか

   人を追い込む人は  心が荒んでいます
    人を追い込む人は  不幸な人です  
      自信のない人

  人間のクズです

    今の日本は 幼稚なクズが多い

   息子が中学一年の時
     汲み取り便所で 数人に押さえられて
       大便の便器に頭を下げられ
  ズックであざができるほど  踏まれていたことがあった

    担任に相談したら
    「まじめすぎるんですよ」」と・・・

   まじめだと 便器に顔を突っ込まれて  あざができるほど踏まれていいのでしょうか

     あだ名をクソ健・・・
      それでいいのですか・・・

    学校と交渉を続け   
     子どもが担う委員会の委員を違うクラスの仲良しと同じに選んでもらったり
  2年はクラス替えはないのだが クラス替えをしてもらったりした

    息子のクラスは不登校が5人いた


  不登校の子供も 息子も
     そのクラスでなければ いじめられませんでした

 いじめられて当然という子供はいません

  いじめてはいけません
    パワハラもダメです

  罵声もダメです  ののしりもいけません

   人が人を追い込んではいけません

     死にたい人なんていません

     死ぬほど苦しめられているだけです

     最後の最後の 砦であるべき
       精神科医療も
  むしろ 追い込む側です

     自分たちの事は自分たちでやるしかない

   そして少人数でも やさしい心ある人たちはいる

     心のある人たちと 人のやさしい社会を目指す努力を続けるしかない

    自死しましたが
息子は頑張って生きようとしました
 生きてきました
    やさしい人でした

   やさしくて死にました

    死にたくて死んだのではありません

  言い続け伝え続けて行きます

やさしい人が生きづらい社会

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 人の欲望は限りがない
    もっと・もっと・あれもこれも
いのちにかかわる活動をしている者は
   自戒は必須

   やさしい人たちが自死する社会
  
  弱い者いじめではなく・・・やさしい人いじめ

      くさい キモイ と人に言うやつは
         歪んでいる
     悪の心でいっぱい
人の不幸を喜び 人の苦しみを見て満足する

    時々そんなやつを 思いっきりいじめてやりたいと思うこともある

    目には目を・・・
  社会はそれでいいのか

   学校はなぜいじめる子供を 指導しないのか
    なぜ
   いじめられている子供の責任にするのか

     いじめられている子供にいじめられる原因があるという学校や社会の言い分が理解できない

   いじめている子供は
  やさしくない子供である
     いじめている子供は どこかに不満があり
  生育に問題がある

 普通に育てたら  いじめる側にはならない

     いじめている子供の親は 反省しない

    自分の子供がいじめたことで 人の子供が死んでも平気で
   いじめられた子供に 責任がある

  うちの子供はいじめていない
 からかっただけ

という

 からかいで死んでしまう子供の親が悪い

    そんなふうにいう

   意地悪をする子供
  人に臭い きもい 死ねという子どもは普通ではない

    いじめる側が多くて いじめられる側が少ない

    学校は 大多数のいじめる側の味方をする

     学校がいじめを認めているのが現実

    大人の世界でも同じ

 日本の若者の死亡原因の一位は自死
   それって普通ではない

   若者が夢を持てない社会
   それは大人たちが作ってきた今の社会が人にやさしくないということ

   自死者は減ったというが
   債務問題だけが半減しただけ

    若者の自死は国の発表よりはるかに多い

 WHO世界保健機構の自死の基準

    を日本は無視して

   行方不明者は自死とカウントしない
変死も入れていない

  何割かを自死とするというのが世界的基準

    日本はこの基準を守ると
 10万人越えになる

    世界の中で ダントツの一位になってしまう

   国は 検案した結果自死と監察医が自死と認めた事案だけのカウント数が現在の自死者数

    その検案も・・・

精神薬を多く飲んだり
  橋や崖・ベランダや窓からの飛び降り等は 事故死・不審死としているケースが増えている

 そんなふうに細工を施しても
  若者は増えている

     なぜ・・・

それは 追い込む原因の改善はしていないから

 いじめもそのまま
パワハラもそのまま

 過重労働も ・・・

  自死の予防のカリスマ専門家のNPO法人の代表が
    愛知の豊田市の自死は減っていない と発言

そりゃそうです

 トヨタ自動車があるから・・・

     自動車会社の自死は多い

下請けも多い

     債務問題のように 具体的対策をすれば 必ず減る

    学校のいじめが増え いじめ自死が増えたのはなぜ

   対策が見当違いだからです

     幼稚なのです・・・

 立体的に 人の苦しみを見られない人たちが対策をたてているから
幸せな人たちだけで
  対策をしているからです

 当事者の声を聞かずに
   苦しみなんて味わったことのない人たちが
     たてる対策が  
 見当違いになり
 むしろ追い込んでいる場合もあります

   自死の予防や防止ではなく

 自死推進対策のような気がします

    自死の予防という全体的正義を掲げて
       自分たちの欲望を満たしている人たちが多いのですから

    必然です

子供や若者・働き盛りの自死が減らないのは

 あたりまえです

力のない自分が悔しく悲しい

自死対策が生活の糧・・・カリスマ?専門家?

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 12年間自死の問題だけを考え生きてきた
 息子が生きていたころは
   幸せな不平不満を言い暮らしてきた
  息子が逝き 24時間365日 いつもどんな時も
  自死の事だけ
    たくさんの資料も読み
   いろんなセミナーに出かけ 
   要望し
     意見を言い 講演もしてきた
本も書かせてもらった
  新聞にも寄稿や投稿もしてきた

    純粋に この問題だけで12年間生きてきた

    講演で得たお金は活動につかい
 年金も全て自死の活動に使い
      
     ご寄付も全部 自死の活動だけに使い
         相談を受け 会を開催し
      様々な人たちと交流し 連携を広げ
    意見を聞き 学び
      自分の見識を高め 自死という問題を多面的に視ることを考えてきた

   新聞に掲載されることや
 テレビで報道されることも 講演も
    なにもかも 自分が声を出すことで 少しでも遺族につながってほしい
またこんな遺族がいることを知ってほしい
   そして
元気で生きてほしいと思ってきた

  悲しい気持ちは  どうすることもできないと分かっているから
  せめて 元気で健康で生きてほしいと思う

   自分が出たテレビを見ることはほとんどない
       誰か必要な人につながってほしいだけ

   遺族である私を必要とする時に つながってほしいだけ

  つながらないほうが幸せな 縁ですが
      亡き人からのご縁が あった時は
          つながって・・・と思って活動をしています

そして
 誰も自死しない社会の実現
  自死遺族が増えない社会

     遺族の会が必要とされない社会

     そう願いながらの活動です

  この活動で 生活費を稼いでいる人たちも大勢いる

  支援が仕事の人たち

  支援の対象はあったほうが収入が増える
  支援の対象となる
    苦しい人が減ったら 支援者は必要とされなくなる
  そうなったら
支援者自身が困る
 生活費が稼げない  失業するのである

 苦しい人 悲しい人が減る社会は失業へとつながる
    
  死にたいと思う人が増えた方が 仕事も増え 収入も増えて行く

    自死がゼロになることは 支援者には幸せではない

  矛盾したことになるのです

  精神障がい者も増えた方が援助者にはいい
      発達生障がい児童も支援施設には増えたほうがいい

仙台市は発達障害の施設が二倍に増え 支援者の就職が増えた
 これが減ったら
 失業者が増えてしまう

   施設の収益のためには 障がい児が必要

 自死の問題の支援団体でそれが職業の団体は
     自死が減ったら 仕事が減り収入が減るから
  死にたい人がほどほどいてほしい

    彼らは 苦しい人が元気になっていくことも望んでない

   社会に苦しい人がたくさんいた方がもてはやされる職業

  よほどの理念を持ち合わせてないと道を踏み外す

     施設維持のために 障がい児の枠を広げることにもなる

      自死の問題はこのままでは

      大変な事態に発展すると思う
   
   怖い

  自死遺族の権利は守りたいと思う


 憲法13条は守られなければならない

危機感を抱いている事

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自死遺族の私が目指す社会は
 死にたいと思うことのない社会
生きていてよかった
 この国に生まれてよかったと思える社会

  私と共に活動をしている人たちは
   遺族も含めて法的な専門家や様々な職業の人たちも
      自死をゼロにしたいと思っている

 理想であっても 理想は高く掲げるべきである

   自死遺族と反対に
  「死にたい」という人を支えたい
「死にたい」といえる社会を目指す
「苦しみ」を言える社会を目指す
自死遺族等への差別の問題も
  「差別を受けている」事を言える社会を目指す
 
死にたいと言える場所をたくさん作るためには
  人材が必要だと主張
いじめのSOSを出す教育と
 SOSを吐き出す場所と傾聴する人材の確保
    
  支援者たちは

いじめのない学校
  幸せに思う社会の実現

  とは 決していわない

   なぜ

たぶん 支援という仕事が無くなるから
求められなくなるから

   いじめられたと聞きたい
   苦しいという話しを聞きたい

  死にたいという話を聞きたい

     聞いて 問題を解決する気はない

 問題が解決しないほうが  自分の存在が求められる社会だから

  自死の対策を論ずる人たちの中で
  本気でゼロにしたいと思い 活動をしている人はどれほどいるでしょうか

   私は本気です

国はさすがに理想を掲げている
   「誰も自殺に追い込まれない社会の実現を目指す」と
大綱にうたっている

若者が死にたいと言える社会ではなく
この国に生まれてよかったと幸せに思える社会を目指すことである

 今 座間市の事件後
  世間は死にたい人の声を聞くことが大切と騒いでいる

 そのためには 悪質なサイトであっても必要であるとまで言って
  国が歩み寄っている

   死にたいと口に出していたとしても
  死にたい人ではない

   また自死した人と 今死にたいと思っている人は180度違う

   なぜなら  自死者は死んだ人
  死にたいと思う人は生きている人


    死にたいという若者が増えている事を社会問題として危機感を抱かずに
       気持ちを吐き出す場所と人材・・などと騒いでいる人たちは

 癒したいひとたち

   自己満足したいだけ


 若者に死にたいと思わせる社会的問題を変えようという気持ちはどこにもないようだ

       幸せに生きる権利がわたしたちにはある

    幸せ感の薄い日本の子供たちと若者

      
   テレビによく出る人
   本を出している人  講演を頻繁にしている人

イコール 人格者  という考え

 専門家イコール なんでもわかる人という勘違い

    自死という問題は 立体的な視点で考えないと
       自死した人を追い込んだ人たちと同じになってしまう

   
目指すは死にたいと言える社会ではない

   学校の保健室に死にたいと大勢の子供たちが駆け込んでくる現象を異常と思わない感性の社会

    ものすごく異常です

子どもから若者・労働者・高齢者まで
死にたい死にたい死にたいと叫んでいる国

 異常な社会ですよ


    それを異常と捉えず

   死にたいと気楽に言える社会を目指す人が多い日本

        狂ってます

     生まれてきて 生きていて
  幸せだと思える社会にしなければならないはず

     あと残りどのくらい生きられるかわからないけど

     残りの時間すべてをかけて伝え続けようと思う


      次世代の人たちにも受け継いでもらいたい

        自死者ゼロの社会

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支援の押し付け

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自死の対策のためなら 何をしてもいいわけではない

   水道料金の滞納者の情報を
      水道局が 自死の対策担当部署に伝え
       借金があると判断し
    訪問する

     何をするのかというと
  パンフレットを持参して 債務があるのではないですか・・・
     というだけ

    借金を返してくれたり 金でも出してくれるなら助かるけど
      パンフレットを渡されても・・・どうにもならない


これがすばらしいことだと 支援者たちは思っている

    行政機関が目的以外に個人情報を使用してはならないのは常識

  民生委員からだって情報は漏れまくり

    自死の問題を普通の事と言いながら
 例に出した事案は
特異な事例だった

   養父に死ねといわれて自死した子供のはなし

    それは自死ではない
 殺人
なのに
自死の象徴的な事例として紹介していた

   まるで家族に問題があるという言い方だった

    家族に問題があるという考えの団体に遺族が賛同する意味が分からない

  自分は違う と思っているのだろうか

    自分も遺族だとしたら
 同じようにみられているという事に気がつかないのだろうか

   自死遺族は・・・と 言われたくないから
    毅然と生きようと誓っている
 自死で逝った息子を蔑まれたくない
 あんな親だから やっぱり息子も・・・
 そんなふうには言われたくない

   自死で子供を亡くした親なんて・・・あんなものといわれたくない

     息子は 頑張って生きた
 いいこだった  
   私はダメ親だったけど
 息子は親に似ないでやさしく穏やかだった

     その息子のためにも
  頑張って頑張って   自死への偏見と差別はなくしていきたい

 そのためにも 毅然と凛と生きたい

    犯罪者でも情報は流さないのに
    なんで 自死した人の情報は 集められて管理されなければならないのか・・・

    我が家の情報は12年前だから 彼らには要らないようだけど

  日にちが浅い亡くなった人の情報を集めたいようだ

怖い 恐ろしいことです

    今日はこれから石巻市役所に~~~

自死の対策のためという名目で個人情報の保護が危機に!内閣府の会議での結論が無視されている。

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昨日はトップセミナーだった

 村井知事の4分4秒間の話がよかった
 スッとした

自殺ではなく自死という言葉で話すという事
 座間市の事件は自死の問題とは関係ないといったこと
自死はゼロを目指す
  ゼロにするんだ・・と

  
全国都道府県で開催される

義務ということ
このトップセミナーを開催しないと
  自死の対策を実施している評価はゼロ
    次のステップの事業計画の作成も認めない
補助金も認めない

 まるで脅しのよな セミナー
 絶対的権力で強引に全国の都道府県に開催させる

また 内閣府の会議で全会一致で決まった
 遺族の個人情報保護も名目を変えて集めるらしい

    亡くなった人の詳細にわたる情報を
  市町村別に 細かく情報を集めて
      一元化集約 カルテ化

 自殺総合対策推進センターに集める
    ライフリンクもかかわる

 その他に
    未遂者・貧困・等の個人情報も
  病院や関係機関から情報を集めて一元化集約 カルテ化をする

 自殺総合対策推進センターに集める
  ライフリンクも関わる

  それらを
必要に応じて 各関係機関に情報を提供する

    悩みの相談に行くと 行政機関の場合は全部が一つに機関に集約されてしまう
    それも
   自殺総合対策推進センターは独立行政法人
     ライフリンクは民間団体

 かかわっている人たちも
    若い人たちも多く 普通の人たち

  守秘義務なんて・・・守られるわけもなく
  個人情報はながれ放題

    例えば 人口2千人の村や町
     なんとか町何とかの何番地の男性
          ○歳
     結婚して子供がいる
        借金で 壊死  家の中で
   何年何月何日

      こんな情報が 集められる
           一か所に

 そして それが 関係機関が要請したら どこにでも情報を流す

    おそらく 事故物件のサイトにも流れる

    警察は 遺族に了解を取らずに 事情聴取の情報を
      データ化して
   警察庁の発表としている

     原因も含めて

 本来は違法

ほぼほぼグレーの範囲で流している

   これが 他の目的で提供するとしたら
      完全に違法である

    断固抗議したいとおもっている

 この問題は 内閣府の会議で否決されたにもかかわらず
      強引にやろうとしている

   彼は やりたいことは どんな反対にあおうとも
   違法であろうとも
     国会議員をつかい
       手に入れるタイプ

    そうやって いろんな人たちを排除してきた

    だが
 個人情報保護法違反は
    許されない

    名目は 自死の対策にいかすため

 助けるためなら何をしてもいい という考え

   困っている人 死にたい人を助けるなら個人情報保護なんて関係ないらしい

   死にたくて相談してきたのに
   せっかく紹介したところに何で行かないの?
    ダメだよ行かなきゃ・・・

     助けてほしんでしょ・・・

こんな考え

   そして相談者のデータを集め
 亡くなった人のデータを集め
また ビジネスになっていく

 彼らの名誉と金儲けのために
  苦しみ死んだのではない

   今苦しんでいる人も 彼らのための苦しんでいるのではない


   昨日のトップセミナーの会場に
    亡くなった人たちの写真が飾ったあった
 ライフリンクで作成したもの

違和感がある
 展示会ではない

 あくまでも知事や市町村長を含めてのトップセミナー

 憐れんでみている人たちをみていて
 悲しくなった

   かわいそうね・・・という会話が聞こえてきた

    遺族の皆さんは個人情報が流れてもいいのですか
    死ぬほど苦しんでいる人たち
  自分の情報が流れていいのですか・・・

     遺族もほとんどは遺族といわずに暮らしている

それが 共有されてしまうんですよ

     私は許されない

 警察庁も含めて 各関係省庁に 要望をするつもり
 要望というか抗議

   小林先生に相談にいこうかな

個人は尊重され個人として守られなければならない

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悲しみは病気ではない

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遺族の人たちへ

  悲しくて苦しいのは みな同じ
 あなた一人だけが悲しくて苦しいのではない
愛する人を亡くした悲しみと苦しみと寂しさと切なさと虚しさと・・・かなしさ
 会いたくてたまらない気持ち
   身体から力が抜けて 歩けなくなって たてなくなって・・・
      しゃがみこんで 一日中・・・何日も過ごしたり・・
  水も飲むことや寝ることが許せなくて
    記憶が消えて欲しいと思ったり
     消えたら忘れてしまうから 消したくないと思ったり

でも 苦しくて苦しくて 叫んでみたり・・
   暴れてみたり
  やつあたりしてみたり

   やりどころのない悲しみに潰されそうになっていきている

    でも 精神薬に頼ってはいけない

 精神薬とは病気だから飲む
  薬は病気だから飲むもの

愛する家族を失い 悲しい気持ちは精神病ではない
    精神薬を飲んでも 悲しみは消えない

   なぜなら 悲しみは病気ではないから・・・

  苦しい気持ちも消えない
    それは生きて戻らない限り無理

   泣き叫び 悲しい悲しい悲しいと言い続け
      精神薬を飲んでいたら
    生きて帰るなら  毎日朝から晩までr叫び続ける
でも
  天地がひっくり返っても 帰っては来ない

    遺族は嘆き悲しむ事だけでいいのだろうか

    つらいからと言って  精神薬でごまかしていいのだろうか

    助けられなくてごめんなさいという気持ちがあるなら
      きちんと生きてほしいと願う

  悲しくていい 苦しくていい  つらくていい
     仕方がないよ
        覚悟を決めようよ
 悲しくて苦しくて辛くて当然だと・・・

   だって 愛する家族が死んだんだから
   悲しくて辛くて苦しくて普通

   自責の念があるなら  受け止めませんか
  悲しみも  苦しみも  
         亡くなった人を今でも愛しているからなんだから
            と

   亡くなった後にも  してあげることはある

     何をしてあげるかは  それぞれ違うけど

        亡くなったことを嘆き悲しむことだけが 
            生き方だろうか

   自死の場合は 特に 遺されたものの生き方で世間の自死への見方がかわる

   幸せにはなれなくても
   普通に生きているだけでいい
       普通に生きていたら 自死した人の悪口はいわなくなる
   「やっぱり自死した家だから」
という言葉は
 遺族の生き方次第で「亡くなった人が守ってくれてる」に変わる

   私は自分への蔑みはいくらでもうける
   が 息子への蔑みは許されない

  だから 懸命に生きると決めている
     息子を蔑まれなくないから
 息子を人生の不運のように扱われたくないから

  息子の自死が 家族の運気を下げたと言われたくないから

    亡くなった 息子のために
       カラ元気でもいいから元気なふりして生きようと誓っている息子へ

   自死遺族のほとんどが精神疾患だとか
  自死遺族は知識がない
 自死遺族は貧困層だ
 自死遺族は無知
 自死遺族は家族への愛がない
自死遺族は常識がない
自死遺族は家族仲が悪い…等

    そんなことを言われている 
 
そんな偏見と差別は  自死した人への差別と偏見

しかも 祟りがあるとか
   
   それは 遺された私達の生き方で変えられると思う

   普通に生きてほしい

  私の悲しみ苦しみは 息子を今も愛しているから・・
    悲しみもまた私のもの 誰のものでもない私のもの

   消されたくない消したくない

  苦しくていい つらくていい
     息子を助けられなかった母として あたりまえ

  どんなに苦しくも悲しくても  息子の苦しみと悲しみには遠く及ばない

 息子はもっともっと悲しみ苦しんだ・・・

   このくらいの苦しみ 息子に比べたら なんということはない

遺族の皆さん

 悲しいから苦しいからと
精神薬を飲まないでください

    亡き人たちが 悲しみますから

  亡くなった人達を悲しませないように
  生きませんか?

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自死で逝った息子に失礼のないように生きたい

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  死にたいという言葉を聞いたり見たりすると
    心臓がバクバクする
  遺族にはとてもキツイ言葉
    
  息子の死後 精神薬を飲んでいた私は
     息子の後を追いたいと 二度試みた
  死ねない自分がいた
    息子は一度で逝った
    2度試しても死ねないのに、死ぬとか死にたいという言葉を言うのは
  息子に失礼だと思ったから
   2度といわないことにした

   そして  生きるしかできないなら
     これまでの生き方を改め
自死の問題に取り組んで生きようと思った

   どんなことを言われようが 息子が残した自死という事に生きることの全てをかけようと・・・
     怖いものはない
       批判もたくさん言われてきたし今もある
 でも私は息子からの・・・
    他の遺族からの・・・亡き人たちからのメッセージを聞き
伝えて行くと決めている

愛する家族を失ったからこその気づき
     たくさんの遺族の声を聞き その声の中にある亡き人の声を聞き
      自死の予防や防止・・遺族支援・・・を生業としている人や
  ビジネスにしている人・・そして真面目に取り組んでいる人も含めて
     自死に一番近い遺族の声を届け 
対策や支援にいかして
   自死を減らしてほしいと願っている
 
  ビジネスにしている人たちは
 程よく減り 程よく増えてほしい
   ゼロになったら困る
 
支援が仕事の人たちも減っては困る
  苦しい人たちが存在しないと支援ができなくなるのですから・・

   全員が幸せだと困る人達もいる・・・残念です

     遺族として 私は自死がゼロになってほしい
   そう思って活動をしている

   遺族の会も必要としない社会であってほしい

     そのためには

    やるべきことがたくさんありすぎて・・・
      
ひとつひとつひとつ・・・一つずつ・・

     精神医療の腐敗はひどい
    生きたい!元気になりたい!幸せになりたい!と
     医療を信じ 
    悪化し 薬に追い込まれて自死した人はものすごく多い

    最後の砦であるべき医療が 役に立っていない
       
    精神薬の支配は国を亡ぼす

      苦しみを死にたいという言葉で表現する人が多い
   死ぬほどの苦しみとか
 死んだほうがマシ・・とか

   本当に死んだほうがマシと思っているのか・・・は?

    息子が自死で逝ってから 
      死にたいとか死にたい気持ちとか
    自殺願望とか自殺志願とか
 悲しみのケアとか
     癒しとか
  深く考えてしまうようになった

    悲しみを癒すとかの言葉にはイラっとする
 自死を貧困と決めつけて いる人たちにも ムッとする

   理不尽な社会
  無知な人たち
私も無知の極みですが・・・

    私は自死した息子に失礼をしないように生きようと思っている

何やってるんだよ・・・といわれないように

    息子への償いの一つとして
死にたいという言葉は決して言わないと決めている

いじめは悪である


シコタン草
    
   いじめはいけない

   いじめをいけないとなぜ言わない人が多いのだろう
自分もいじめたことがあるからだろうか
それともいじめられた経験があるからだろうか
  
   いじめてはいけない事は絶対であるのに・・・なぜ

     からかいはいいという認識もおかしい
からかいも
 人格の否定に近いからかいや
    毎日毎日続くからかいは からかいではない

 いじめをする人の心は どうなっているのか知りたい

  人をいじめて 人が苦しむのを見て楽しくなるって歪んでる

    人を馬鹿にして 楽しい・・
             それを普通とする社会
  バカにされた人に問題があると公言する人達
   いじめられた側が過剰に反応してからかいをいじめだと思い込んだ・・という教師
     そしていじめた側の親

    いやいや  いじめてはいけません

    いじめて楽しい子供は異常ですよ・・・

     人を蔑み 罵声を浴びせ
        くさい・・汚い・・・という人は 悪人です

     適応障害とか 発達障害とか
   何とか障害という障害名が増えていますが
      障がいとは本人に存在するのではなく
   社会がその本人に適応していない
     だけ

   いじめられた経験のある人が増えているのは
      いじめを悪として指導しない社会に問題がある

    いじめを許す社会が今の日本

        悪人が世の中を支配したら善人は消えていく

     悪人だらけになったら  さらに悪人が生き残るだけ

     それでいいのだろうか

 何の権利があって  人をいじめるのか

 しかも  学校や会社・・・人間社会の中でいじめをする人たち

   善と悪のこころ
       どちらを選ぶかは教育

   人を殺すことを善と教え込めば 
     テロを繰り返す集団のように10代でテロを起こす

     サリン事件を起こした集団も・・・おなじ

  教育は大切
     だが学力だけが教育ではない
 人として生きる知恵 人格
    その基本的な事を教えるのが 義務教育の機関 期間
 
   人がひとをいじめ 蔑んではいけない

    

死ぬなんて言わないでください・・死なないで・・・ください どうしたら生きていてくれますか?何をしたら生きていてくれますか?

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自死遺族の悲しみがどんなものなのか
   多くの人たちに知ってほしい

若者にも・・・
死にたいという言葉が口癖のようになっている人たちにも・・・
精神薬で死にたい気持ちが増幅され
  死にたくないのに死にたい気持ちだけが強くなり苦しんでいる人たちにも

愛する家族を亡くした遺族がどんな気持ちで生きて行くのか
   知ってほしい

  大きな穴が開いてしまった心
    心から笑えない人生
 いつものどに鉛の塊が引っかかっているような息苦しさ
  虚しさと後悔と罪悪感

   突然胸が苦しくなり涙があふれてしまう日々

    年月が過ぎて 普通に生活ができる事への罪の意識
       申し訳ない気持ち

   自死した人たちは
               自分が自死して悲しむのは
 自分を愛してくれている人だけ
    自分を追い込んだ人は 笑っていることを 死んだ後に知る

  その時はもうどうしようもない

 だから まだ生きている人たちに伝えたい
   苦しい時  つらい時
       家族に伝えて・・・

親に伝えて・・・子供に伝えて
  兄弟姉妹に・・・伴侶に・・・友人に・・

    そして伝えられた人は
        誰かに頼って  いろんな人の手をかりて・・・

   精神科医療に通って 死にたい気持ちが消えない人は
        その医師はヤブ医者です

 普通の治療をしてくれる精神科医は
   患者を苦しめません

    治療してもらいたくて医者に診てもらい
  悪化するなんて
    普通にあり得ません

   あなたの事を心配して
あなたの幸せを願い あなたに生きてほしいと祈っている人たちがいます
 あなたを愛している人たちです

  この世の中には 他人の事でも
     真剣に心配する人たちもいます

 
  息子が逝き 12年になる
     一日も 一時も 忘れたことがない

   苦しくて さみしくて  悲しい
        どうして死んだのか・・・といつも思う
あの時こうしていたら
    といつも思う

    死なないでください

    悲しいです・・・

願いを叶えよう

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  願いをかなえよう

まず自分の好きな手帳を買い、ペンを三色そろえましょう

大きいことも、小さなことも、たくさん手帳に書いてみよう
 頑張っているのに、うまくいかない!充実感がない!
   このままでいいのか?
たくさん,たくさん、書いてみよう
   願いを言葉にする、小さな願いをたくさん見つけていきましょう・・・

例えば
1「5キロやせる」「靴が欲しい」ではなく
  「いつのまにか痩せて気づいたらお気に入りのワンピースが着れる」
「好みの靴がひょっこりみつかる」
*棚ぼた式でいいことが起凝る!というスタンスで書くこと*


2「お金がないから無理」「何のとりえもないから無理」とか
 「あれは無理」「せめてこのくらい」と
 先回りして限界や障害を考えない事
素直に自分が望むもの、叶えば幸せだなぁと思う事を言葉にする
*限界や障害を考えずに書くこと*


3「何かいいこと」「いい会社に入る」「お金が欲しい」など
 抽象的で具体的に何をさすのかわかりにくい表現ではなく
「誰誰から自分のほしいバックがプレゼントされる」
「月給20万円の会社で自分の才能を活かせる仕事が見つかり採用される」
 目指す場所や物が明確で より具体的な言葉にする練習をする
*わかりやすく 具体的に書くこと*

4「試験に合格する」ではなく
「試験に合格して家族でお祝いのパーティーを楽しく開く」と書く
ハードルの高い願いは 楽しいこととセットにしよう
もしも不合格で願いが達成できなくても「お祝いは延期、来年パーティーができるように頑張ろう」というように
心のゆとりができ次ぎへとつながります
:*努力が必要な願いは楽しいことと一緒に*

5「夫のしごとがうまくいって毎日笑顔で会社に行く」
「子供が健康で元気で学校に行く」
まわりの人たちも元気で幸せであってほしいと願いましょう
 私も周りも元気で幸せになるという願いにしましょう

小さなことから大きなことまで・・・たくさん書きましょう

  大好きな美味しいコーヒーがランチ会で飲める
     ブーツを夫が買ってくれる
  部屋がきれいに片付く
      本が出版される
      ・・・・とか たくさん書きました

 叶ったこともたくさんあります
   叶わないこともありますが・・・

   叶った願いには赤や緑、ピンクなどのペンで花丸をする
 叶った願いに「ありがとう」「うれしい」とコメントをかく
 叶った願いに感謝し 
   叶わない願いに執着しことすぎない
 どうしても叶えたいときは
  パワーアップページを作る
 より具体的に書く

本当に欲しいものがわかる
小さなことでも自分の願いを素直に書くことで
 自己表現ができるようになり、等身大の自分が願っている事に気が付くきっかけになります
 自分の中に眠る願いを外に出して表現しましょう
   
   苦しみが続き泥沼にはまって埋まってしまいそうな時
    脱出のきっかけの一つになるはずです

 願いに使うといいことば
気持ちよく・楽しく・いい具合に・穏やかに・おもしろいほどに
  出会う・見つかる・実現する・手に入る・~になる・~できる
  思ったように・サクサクと・ひょんなことから・・

この続きは明日~

  

見当違いの対策・・当事者を追い込んでいるかもしれない

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 シドニーの自死遺族支援の会議で感じたこと

日本との違い

 自死の問題の中心に自死遺族がいるということ

  支援者が中心ではない

日本は自死遺族を無視して
支援者天国

   支援者がやりたい放題

  言いたい放題

遺族の悲しみについても
遺族よりも遺族の事を知っている支援者たちが大勢いる
遺族よりも遺族の事を知っているという思い込みをさせる研修会がほとんどである
それは 講師が遺族の事を遺族よりも知っていると豪語する人たちだから  
    当たり前である
      
   遺族当事者の活動に
     支援者は関心すら持たない

  完全に切り離している感がある

    自死遺族は支援者が支援するための道具でしかない

  研究のための道具だったり
     データをとるための道具

   活動をするための道具

     遺族を心の底から元気にしようと思っている支援者は少ない

   いつまでも 元気にならなくていい

     ずっと 参加してほしい

   そして 活発に活動をしても認めようとしない

   所詮 遺族という扱い

     「悲しみは愛しさと共に」
「グリーフ・イズ・ラブ」
 「悲しみもまた私のもの」

  という考えも  支援者には響かない

   違う遺族もいる・・といわれてる

  子供を殺す人もいるんだから 子どもが死んだからといって親が全員悲しいわけではない
    といわれたこともある

  そうかもしれないが  極端な例をだして
   遺族の気持ちを否定する支援者たち

     そして ここは日本  日本人
悲しい心は
  風土・文化・死生観・宗教観・・・が影響する
  
なのに

アメリカのほんの一部の地域で知られているに過ぎない
   悲しみについての考えが 正しい悲しみへの支援だと信じている人がいる

    それを 教授という肩書の人が講演すると 行政や幸せな市民は信じてしまう

     遺族の体験的知識というのは
       個人の体験ではなく
         大勢の体験的知識・・自助グループとしての体験的知識
      のこと
   個人ではなく 自助グループとしての体験的知識は
   専門家の知識を超えるものである・・・という見識が自助グループの研究者たちにはある

  自死の未遂者と  自死者とは違う

同じにとらえている専門家が多いが
    遺族には違う

 未遂者は生きている
     自死者は死んでしまった

  180度違う存在である

     自死者の9割弱は一度で逝っている

自死した人に最も近いのは遺族
  死んでしまった人からの声は聴けない

   だから 遺族の「今なら助けられる」という思いを聞いて
    自死した人に何が必要だったのか
   なぜ自死に至ったのか
   どんなことで追い込まれていったのか 等々

    喪われた命のメッセージを聞いて
      役立ててもらいたいが
   日本は
      遺族の声を自由に言わせないで
   アンケートをとる

 アンケートとは
  項目を決める人が先に結論があってそこに導くことが多い

   自由にいうことでいろんな問題が浮き彫りになるのに・・・

     まとめる力量がないという事に尽きる気がする

  それでは 自死は減らせない

    社会は これからも ずっと 生きづらいまま

  支援者最優先の自死の対策

自死遺族の支援も見当違い
   しかも一部だけ

おそらく
 自死の予防も防止も見当違いが多いと思う

   自死遺族の支援が 遺族が生きていて声をあげても届かなくて
        むしろ傷つく対策が推進されている

    予防と防止は 当事者不在のままで
  想像で決められているのだから

   対策そのものが 追い込んでいる可能性もある

    仙台でのいじめの対策は 子供たちを
      追い込んでいるとしか思えない
こんなことが たくさんあるように思う
    残念です

                

誰もが追い込まれない社会を目指す 

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自死は追い込まれた末の死である
  誰もが追い込まれない社会を目指す

     と 
国の大綱に掲げられている

 しかし現実は
自死の対策に関わっている人ですら
   自死は個人の問題 家族の責任
     逃げた人  弱い人
 死にたくて死んだ人

   という考えがほとんど
   
対策を講ずる人や様々な社会問題にかかわる人たちが
   その程度の意識ならば
   一般の人たちは 
自死の多くは追い詰められた末の死だと理解できるわけがない

   自死への理解を広める立場の人たちの意識をまずは変えてほしい

    死にたい気持ちに寄り添って
         死にたい気持ちに寄り添う事も重要だが
     死にたくさせた問題の解決はしなくていいのか
      
 普通に生きてきた人を 死にたい気持ちにさせた社会の問題はそのままの放置して
    寄り添うだけ・・・の対策に力を注ぎ
      寄り添い人の育成に懸命だ
   寄り添う場所と人材育成
     
根本的問題解決はしない

  債務問題での自死は半減した
それは具体的対策を実践した結果である
追い込まれない仕組みを作った結果の減少

   3万人から2万2千・・・
多くは債務問題
他の原因での死は減っていない

    それは 相談や相談場所作りだけの対策だから
   減るわけがない

 教育をかえること
長い年月がかかるが教育をかえる必要がある

経済も大切だが
    人を大切にしたうえでの経済だと思う
  経済優先・・・いのちは二の次
    経済優先・・・人間らしい暮らしは二の次
 とにかく経済・・・
   人を追い込む働き方の考え
     
    義務教育が 楽しくない
       教える側も幸せ感がない
   教わる子供も苦しい

   義務教育は 楽しく学べることが優先されるべきだと思う

   介護に関しても 重労働である介護職の賃金も含めた補償の薄さ
      介護という職業への無理解

   農業も都市周辺の地域は収入も見込めるが
      私のふるさとの青森県北津軽郡の津軽半島の北の端っこでは
        農業での収入では暮らせない
  だから昔は出稼ぎをしていた
 
    青森だけが過疎ではない

      全国 過疎地が増えている

     70歳前後の団塊の世代が 一番若い人という地域

 あと…20年したら 空き家と空き地が増えて行く
      子どもも減っていく
     人口も減少  

   若い人の自死が減らない

     子供の人数が減って少子化対策といいながら
  生まれた子供を大切にしない国

   産むことの推進も大切だが
       生まれた子供が
   生まれてきてよかったと思える仕組みづくりはしない

 産んでくださいといい
 産んだ後は 社会で追い込んでいく
                       
     人を大切にしない国

    若者の自死が多いのは 大人が作った社会の責任

   一見平等
 一見自由

   しかし 同じでないと 生きにくい
     島国としての日本

   違う事を一見認めているふりをして
        秩序を保つという名目で排除している

   自死の問題の中で100パーセント生きていると

   社会のゆがみや歪み
  理不尽さ や  不平等さ
     差別と偏見

   いじめ・いじめ・・いじめ

 利己主義 権威とは 
       ・・・・
 様々な人間を知ることになる

 自分で考え 疑問を持ち
    自分で判断する   という人が少ない

権威が大好き
 ブランドが大好き
    有名人が大好き

 おれおれ詐欺も日本独特のもの

    教育は大切
 教育は国の宝

教育は学力だけではない

知識と教養と学力はイコールではない

  自死の問題は社会の問題

   追い込まない社会を目指すことが自死の対策の中枢である

 追い込まれる社会を認めてはいけない

    人が死にたくなるのが普通の社会は異常である

心のケアという言葉に傷つく

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どうして幸せな人たちは「心のケア」が好きなのでしょうか

「心のケア」とは どのようなケアなのでしょう

    これまで「心のケア」をしていますという人たちをみたり
            活動の報告を聞いていると
    遺族の場合は「悲しい」気持ちを聞く・・・傾聴のみ

     何の専門的資格も持たない人たちが
       成果が見えない「心のケア」をして 満足している

    そして最近は大学の学生に遺族の心のケア・・・のスタッフとして参加させ
             単位を与えている講師や教授もいる

      震災で親を亡くした遺児
          7年になる
                      7歳の子供も14歳に・・
   10歳は17歳に・・・ 15歳は22歳に・・・

    どんどん大きくなる・・・

    子どもは大人になる  大人になっても遺児というくくりでケアを受けるのだろうか
      自立はしないのだろうか

   新聞に見たような聞いたような内容で掲載されていた
    福島で  遺児と遺族と一緒に心のケアをする団体

  代表を務める人は 以前仙台にいた人

     この人を遺児と遺族のグリーフケアに引き込んだ人は
   今は ある大学のグリーフケアの教授

     この人にどれほど 裏切られ 誹謗中傷をされひどい目に合ったことか・・・

      しかし 自己アピールしたもののほうが マスコミ受けはいい
          支援者受けもいい
         そりゃそうだ
      同じ 支援者目線 癒してあげたい人たち同士だから・・・

        癒したい人たちは癒したい人たちで集う
               遺族の気持ちなんて 何にもわかっていないから

         こんなことができる 

     癒しの伝道師 らしい  自称

        癒しの伝道師を 研修で増やしている

         遺族ではなくても
    やさしい深い心の持ち主は
        癒し人になろうとはしない
    賢い人たちは
          心のケアはできないことを知っている

      一緒に歩くこと・・・
 ゆるやかにつながり
あなたの人生と私の人生の一部を
   共に歩く時間をほんの少しだけ作ることしかできない
         事を知っている

   悲しみのケアなど 人間にはできないことを知っている

    しかし賢い人の言葉は
        世間の多くには届かない

     なぜなら ほとんど
    人の不幸が自分の幸せ確認の道具であることに気が付かないから
 よかれと思って
   遺族の心に入り
   遺族の悲しみをケアすることは善意 と信じているから
  
   結婚したこともなく 子どももいない
    20歳くらいの女の子が
     自死で子供を亡くした親たちの苦しみや悲しみをケアできると
       思っているとしたら
   本人も指導者も 浅い思考の持ち主としか言いようがない

  ましてや 20歳の娘を亡くした親が
    同じくらいの年頃の大学生に 娘の自死を語り
       悲しみや苦しみを心底話せるだろうか

     私は話せないし・・話そうと思わない

     善意だったら 何をしてもいいのだろうか・・
      
岡先生の講演で
 「車いすの人たちへの学生のボランティアを募集すると、心のケア・・話を聞いてあげたいというボランティアが殺到して
    車いすを押すとか介護のボランティアはほとんど希望しない」と話していましたが
    「なぜ」と聞くと
「車いす生活の人たちは きっと心が荒んでいるし、絶望感もあると思う、かわいそうな人たちだから」という・・・

 遺族の心のケアをしたい人たちも同じような気がする

 遺族ってかわいそうな人
       ・・・
  悲しい人だけど かわいそうな人ではない・・
     こんなことを言うから 心のケアをしたい人から
        田中さんの言葉に傷つきました・・・といわれるのかな・・・p_jurian03[1]

悲しみの時空の中で生きていくこと



 我が家のベランダから見えた虹

二重にかかっていました

   息子が逝った11月が近くなると仙台では頻繁に虹がでます

      虹は悲しい思い出
   息子とのたくさんの思い出は宝物だけど 
息子が逝った今は悲しみ色の宝物

     全てが悲しみの色で染まっている

美味しいものを美味しいと食べられるようになった
   でも
  息子が生きていたような美味しさにはならない

 胸に引っかかるものがある
 重たいもの・・・・空虚感・・・
    
  人間が作った言葉では人間の複雑な感情は表せない

   伝えられない

      自分の心は 誰にもわかりはしない

伝えられないのだから  わかるはずがない

   言葉は薄く浅い
       息子を自死で亡くしたこの気持ち・・・
          心の表現は表面だけなら 伝えられるけど
宇宙のように無限大に深く広いこの悲しみの心は
     自分にもわかりきれない

  簡単な言葉で表現はできるが真実ではない

真実の一部でしかない

    だから『心のケア」「悲しみのケア」
       「遺族の悲しみとは」なんて 
遺族でもない人が
 遺族の心を知りたい人へ講義をしているのを見ると
 吐き気がする

   あの人たちが  知っている遺族の悲しみは
  ほんの一部 
遺族の悲しみが 大宇宙だとしたら
    銀河系の端にある太陽の周りをまわっている地球の
   そのまた一部の日本
そのくらいの範囲での悲しみへの理解です

    愛する人を亡くしてみないとわかりません 絶対に・・・

   岡先生のエッセイにありますが
       魚が空を飛べないように 事実・現実なのです

   今月は命日
  12年になります

     早いような遅いような…12年
       活動も11年と半年

 24時間365日 自死の問題だけ考え向き合い生きている
      自死の問題に特化した活動

月をみてもかなしい
   雲も 青い空も
      何もかもが悲しみ色で染まってしまった

   その悲しみの空間で生きてきた

    私の時間はすべてが悲しい

    悲しい私の空間は  楽しく幸せな人たちと共存している

    悲しみのない人には 私の空間は見えない

   見えてもほんの少しだけ

     私は幸せで楽しい人たちの空間を知っている

なぜなら 私もその空間にどっぷりとつかっていたときがあったから

    その時には 悲しみ色に染まった世界があるとは想像もしなかった

    虹がきれい  と 思える人は 
 虹色が悲しみ色に見えない幸せな人

     二度とそんな世界に住めないわたし

    幸せ色の世界しか知らない人は
        幸せなまんまで生きてください

   悲しい  仲間を増やそうとは思っていませんから


 増やさないように 活動しています


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