2008年から開催し続けてきた自死遺族フォーラム 9月9日10回目 

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   自死遺族のフォーラム

 2008年1月1日に 全国自死遺族連絡会を立ち上げてから
   毎年開催している
今年で10回目
 2008年の第一回は 5月 仙台市のシルバーセンターで開催した

 午前中から始まり~夕方まで~
 遺族だけの講演者と発言者
    
  なぜフォーラムを・・と考えたのか
それは
 自死遺族がシンポジュウムに呼ばれる場合は
     遺族としての悲しい思いだけを求められ
        代表とかでないと講演の依頼もないことに疑問を感じたから

 遺族だって自由に発言していい
    代表以外にも 誰だって講演したっていい

  どこも誰も講演の場所を与えてくれないなら
    自分たちで発言できる会を開催しよう・・と思った
   
  自分たちで社会への発信の機会を作ろうと・・・

    わかちあいではない活動団体としての連絡会だから

仙台・東京・東京・京都・東京・仙台・大津・東京・郡山・長野
   来年は横浜

2回目からは岡先生を講師に連続9回目
 これまでの講師は故平山先生・日本社会福祉士会の上原さん
    アメリカの遺族フェーゲルマンご夫妻
      アメリカのボークマン教授
  司法書士の斎藤先生
     今年の長野でのフォーラムの講師も岡先生
 自助グループの研究者
海外でも日本の自死遺族の自助グループの事を発表してもらっています

  9月9日 長野市 JA長野県 ビル12階
    13時30分から16時30分まで

岡先生 自助グループの定義とわかちあい

 遺族  

いじめで子供を亡くした親たちの声

  シドニーの自死遺族支援の会議に参加して   
(ポストベンションカンファレンスオーストラリア)

  わかちあいは遺族だけの参加に拘っていますが
フォーラムは
 誰でもが参加可能です
    自死という問題に関心のある方
       自死遺族の話を聞いてみたいという方
 また 上智大学の岡先生のお話を聞いてみたいという方

     取材目的のマスコミ

自死遺族支援に関わっている行政の方々

   参加して 遺族の話を聞いてみてください

     様々な遺族がいることがわかるはずです

本に書いてある遺族ではない
   生の遺族の声を聞いてみてください

  参加費  無料です
申し込みも不要です
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自助グループの活動と支援活動

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「わかちあい」の時間
「わかちあうこと」の意味
自助グループができる「わかちあい」
当事者本人だけだから成立する「わかちあい」

 「わかちあい」のくくりをどのようにするのか・・
   体験した者同士のわかちあい
 「子供を亡くした母」のわかちあい
 「子供を亡くした父」のわかちあい
「子供を亡くした親」のわかちあい
「親を亡くした」わかちあい
「母を・・」「父を・・・」「兄弟姉妹を・・・」「従妹を・・」「恋人を・・」
 「友人を・・」「知人を・・・」
「家族を亡くした人・・」「友人知人・・・家族・・遺族なら誰でも・・何十年前でも・・・」
・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・ くくりはたくさんある

「自死で家族を亡くした」わかちあい
「自死で子供を亡くした」わかちあい
「自死で知人を・・・」「自死で兄弟姉妹を・・」
・・・・・・
  ・・・・・・・
 「自死で恋人を・・」「自死で同僚を・・」
  それぞれに自助グループとしてわかちあいの集いを開催したらいいと思う

自死というくくりだけで 友人・知人・恋人・別れた恋人・別れた夫や妻・・・家族・・
   という自助もありかもしれない
 私は「わかちあい」は自死遺族というくくりをしている
    「子供を亡くした親」というくくりにしている
 「家族を亡くした人たち」というくくりもある
しかし
 家族以外は入れない

家族以外に参加できる会もある・・・
 家族以外の人たちはその会に参加したらいいと思う

   参加したい人は
その会の特徴を尊重しながら 選べばいいだけ
「友人を自死で・・」という会には遺族は入れない・・当然である
その反対に「自死遺族だけ」という会には自死遺族以外には入れない
   それも当然である
認め合う事が大切

 ただ 「仕事」として「ボランティア」「支援者」としてその会に参加する事ができる会は
  自助グループではない
「支援する人」「支援される人」に分かれるのは自助グループではない
  相互扶助という考えが自助グループである

ピラミッド型ではなく
  ジャングルジムのような構図

 誰でもが支援者にもなり誰でもが支援をされる側にもなれる
   それが自助グループのわかちあい

   同じ・・・という事が大切
同じ苦しみ・同じ悲しみ・同じ悩み・・・・

  遺族ではなく  断酒会も同じ  依存症の会も同じ
      広い意味なら
        弁護士会も 司法書士会も 医師会も 議員の会も 県民の会も・・・
    自助グループである

  自死という 差別や偏見の目が強く注がれる遺族には
     遺族だけでの話合いの時間は大切です

 誰にでも 自死でしたと言える遺族なら
    自助グループに拘る必要もないと思う

  支援者と言われる人たちは
     なぜ「自死遺族」に拘って支援したいのだろうか
しかも
「悲しい」時間だけ
  「悲しみ」の以外の支援(法的支援とか)ができないから
    「悲しみ」なら資格もいらないし・・・
  ただ聞くだけでいいし
     ・・・
      「悲しい」話の時間だけでいいし・・・
  ひと月に1回 2時間程度でいいし・・・
     他の時間の接触は考えなくていいし・・

  そんなとこかな

   遺族同士はそうはいかない
  携帯電話番号を公開し 自宅の電話を公開し
  住所もメルアドも公開して いつでも連絡可能にしている
    夜中に連絡がある遺族は極々少数
       それもたまに・・・
でも
  連絡ができるという安心感は必要です
「わかちあう」事
  一人ではないと感じる事

支援団体に参加して 一人だけだとしたら
   孤立感が増す
自助グループは
  運営側が遺族だから 受付も遺族
  参加したら必ず遺族がいる・・・
一人ではない
 参加者が一人でも遺族二人で「わかちあい」ができる

   遺族のわかちあいに参加するだけが支援ではない

  会場の確保 会場の設置 準備
 会場の片付け 
広報等々 たくさんできる事がある

   下働きのような支援は満足感が得られないのだろうか

支援者は黒子の役目 目立つものではない
  雑用係が支援者だと思っている
  
そんな支援者は・・・なかなか・・・いない

 ほしい
   心から そんな支援が欲しい

  わかちあい以外の活動は  様々な人たちとの連携が必要ですから
    つながって欲しいのですが
      つながってくれない

   なんだろう・・・

 遺族が求める支援は拒否して
求めていない支援は積極的にかかわり 当事者の活動の妨げにもなっている

  どうしてでしょうか   

おおさか自死遺族のわかちあい「泉の会」8月20日





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8月20日(日曜日) おおさか自死遺族のわかちあい「泉の会」を開催します

おおさか自死遺族のわかちあい「泉の会」は、自死遺族だけでわかちあいを運営しています
2016年5月から3カ月に1回、これまで非公開で、わかちあいのひと時を重ねてきました
2017年8月より、オープンな自死遺族の集いとして開催します

日  時:8月20日(日曜日)
     13時00分~16時00分
場  所:大阪市立城東区民センター 4階 中会議室(案内表示は「泉の会」)
     536-0005
     大阪府大阪市城東区中央3−5−45
     06-6932-2000
アクセス:大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線・今里筋線「蒲生四丁目駅」1番・7番出口より徒歩約5分
     京阪電鉄「野江駅」下車、徒歩約8分

参加費:300円(飲み物は各自ご持参ください
申し訳ありませんが、会場に給湯設備がないためです)
*対象:自死遺族のみ(パートナーは婚姻関係不問)
調査・研究目的の参加はお断りします
*プライバシー保護:会でのお名前と亡くなられた方との関係以外の個人情報を伺うことはありません
*安心・安全な場とするため、みなさんで若干のルールをわかちあっていただきます
*予約は不要ですお気持ちが向きましたら、ご参加ください

●開催予定
当面、3カ月に1度のペースで、原則として第3日曜日の開催予定ですただし、会場予約の都合で日程や会場が変わる場合もあります
○2017年
第1回8月20日(日)
第2回11月23日(木)
私たち「泉の会」は、いかなる政治・宗教・営利団体とも無関係です

正しい知識とは

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  一つの事でも
角度を変えてみることで 違う世界が広がる
そんなことを
  野田正彰先生や岡知史先生に教えられることが多い

やさしい心でみる・・・
 トゲトゲしい心でみる・・・

全く違う世界が見える

  福島の原発事故で102歳で自死
    もう十分生きたんだから・・・いんじゃないの自死でも・・・
     どうせもうすぐ死ぬんだから・・原発事故が起きても起きなくても・・・・
   そう思う人が多い

   「102歳まで生きた人が なぜ自死しなければならなかったのか」
そこには 絶望的な 原発事故という問題があったからではないのか・・
明日死ぬ命だったかもしれないが
  原発事故がなければ  苦しい自死という選択をしなくてもよかったのではないのか

102歳を追い込む社会を問うべきではないのか
    そんな話をしてくれた

人は本来死にたくない本能がある

最も強い本能が死にたくない・・・という気持ち

生きたいというのが本能

 自死というのは
   生きたいという本能を超える苦しみがあった
     追い込んだ何かがあった  からの死

発達障害がいじめを誘発し いじめられる特性があり
   自死に至るのも発達障害の特性だという 風潮が広がっている

 そもそも精神疾患とは 人間社会で発症する割合があるのだが
    いじめは全国どこの地域でもどこの学校でも
世界中どこでも
同じような割合で発生し
同じような割合で自死が起きているのか・・・


 発達障害がある子供がいじめられやすく自死しやすい特性というなら
   どこの学校でも まんべんなくいじめ自死が起きるのである

  現実は
  地域が偏る

 それはなぜ?

 答えは 発達障害が原因で自死が起きるのではないからです
  いじめも発達障害が原因でいじめられるのではないのです

 
過労自死も同じ
   うつ病だから自死したのではなく
うつ的症状が出るほど追い込み
  それでもなお 休ませず 永遠に続く仕事とののしり
 それでも
  踏ん張って生きようと頑張った人が

親切(?)な人たちに 精神科を勧められ
  本人も洗脳されていて
精神薬を処方されて
  死へのハードルが下がり
自死へと追い込まれている

   製薬会社が作り上げた社会
   何にも考えようとしない医師たちが製薬会社の宣伝に従った結果の妄想社会

   そこに 現代人は 巻き込まれ
      全人類 精神疾患の社会に一直線に進んでいる

人を追い込まない社会
  追い込んだことを反省できる社会

 自死した人は特殊な人たちという概念を捨てない限り
   闇色に染まっていく

自死者が多い日本という社会

   亡くなった人を更に追い込むのではなく
なぜ
死ななければならなかったのか
  亡き人の声なき声に耳を傾けて

 助け合い 支え合って
   人にやさしい 社会にしていきませんか

 学校側が職場側が
どんなに弁解しようとも 自死が起きた学校 職場です

  たった一人の信頼できる教師
  たった一人の信頼できる友達
     いじめの自死は防げる
 学校に 一人もいない信頼できる教師
   それが問題です

(一社)全国自死遺族連絡会

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2008年1月1日 設立  全国自死遺族連絡会

 当時も現在も日本で唯一の自死遺族の総合支援を目的とした
 自死遺族当事者の全国組織の活動団体です

  自死遺族の個人会員数が3000人以上
    会員がそれぞれの地域で わかちあいの会等の活動をしています

    「わかちあい」は遺族同士で・・遺族だけ
その他の
  遺族が必要とする支援は それぞれの専門家との連携をして具体的解決をしています

 自死遺族等への差別的問題は
  「自死遺族等権利保護研究会」を開催し
    具体的相談は
「全国自死遺族相談支援センター」
    私「田中」が電話やメールで相談を受け付け
  弁護士や司法書士等につなぎます

   心ある弁護士や司法書士ばかりです

   私が信頼している専門家たちです

  行政の役割は
    わかちあいの会の広報や場所の提供
       総合支援の実現のための連携です

行政
専門家
ボランティア
自死遺族本人
   それぞれが 自分たちが得意とする分野を受け取り
       ゆるやかにつながり  目標は
  自死遺族本人が納得してくれる支援です

なのに なぜ
「わかちあい」が遺族同士で集い話すこと
   と言いながら
遺族以外の人たちが「わかちあい」の時間に混ざるのでしょう

自死遺族の悲しみに興味があるのでしょうか
 人が自死という家族の死に直面した時
     他の死と違う悲しみ方をするのか知りたいのでしょうか

  幸せいっぱいの人たちが
     自死遺族の話を聞きたい・・・その心が理解できません

聞かせてください
  といいながら

「自死遺族の話を聞くことは疲れる事だから
   聞く人たちの心のケアが必要」という支援者

自分たちのメンタルケアまでして なぜ 自死遺族の話を聞きたいのかわからない

   保健師たちも 仕事とはいえ お気の毒

お互いに出来る事をして  つながりあい
   認め合う活動が必要ではないでしょうか
疲れない
  距離で・・・

自死遺族当事者が頑張っていることに邪魔をしないでください

   遺族のエンパワーメントを認めてください
    

以下は 全国自死遺族連絡会の目的です 

 一般社団法人  全国自死遺族連絡会


~自死遺族による自死遺族のためのネットワーク~
全国自死遺族連絡会は、自死遺族の相互交流を深めることにより遺族自身が
まず元気に生きていくことを目的とする会です。
そして
自死した私たちの大切な人のその命を無駄にすることなく
優しいひとがやさしいままで生きられる世の中に変えていくことを目指します
*本会の主な活動*
1. 自死遺族の相互交流を深めることの諸活  「つながりあう」
2. 自死遺族が運営する自助グループ活動についての情報交換「支えあう」
3. 自死や自死遺族に関する情報発信と社会啓発活動「経験を伝える」
4. 自死遺族に関係する機関等との情報交流  「声をあげる」
5. 自殺予防活動  「生きて、と願う」
       

成仏と往生

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成仏という言葉

仏教では そもそも 死んですぐに成仏はしません
 往生するのです
浄土宗ですと 西方極楽浄土に往生するのです
 阿弥陀仏によって
    西方極楽浄土に往き生まれる・・・往生
南無阿弥陀仏
南無釈迦仏
南無妙法蓮華経
「南無」という言葉の意味
  帰依する 信頼しお願いをする
    委ねる お任せする
南無阿弥陀仏
  阿弥陀様に帰依する
     どうぞ阿弥陀様 お願いいたします
 そんな意味です

 仏壇に向かい手を合わせるのは
     亡くなった人に・・というよりは
 ご本尊さまに向かい 手を合わせて お願いしますという作法
阿弥陀仏がご本尊なら
  阿弥陀様 私の息子をお守りくださいよろしくお願いします
    と 阿弥陀様に手を合わせてお願いをする

仏壇は極楽を表している
   位牌には蓮の花が描かれている
  それは極楽浄土の蓮の台に亡き人が座っているという意味

  阿弥陀様は48の願いをたてて修行され
   誰でもどのような人でもわが名を呼べば極楽浄土にすくい取るという誓いを立て
     もしもそれが叶わないのなら 私は阿弥陀仏とならないという誓いを立てたのです
阿弥陀様が阿弥陀さまとして存在する限り
  どんな人でもお救い下さり 極楽浄土に往生させてくれるのです

 自死だから
    成仏できないとか
      苦しんでいるとか
   いろんなことを言う人たちがいますが
      惑わされてはいけません

人の不安をあおり 本を買わせようとか  お祓いをしようとか
     供養のためといい お金を絞り取る人達です

  そして亡くなった人が信仰がなくても
     生きている遺族が 南無阿弥陀仏 南無釈迦仏 南無妙法蓮華経と唱え
   回向をしてあげるのです
  回し向けるのです・・・功徳を積み回向するのです

    死んですぐ 誰も成仏しません
  往生するのですから

    阿弥陀仏という仏様が存在することを信じたら
       亡き人たちが 西方極楽浄土に往生していると信じられるのです

      信じる事  は  大切です

誰も見たことのないところなら
  金儲けの人たちの言葉ではなく
   阿弥陀様の教えを信じることです

      

喪われた子供のいのちを無視しての論議が続く仙台市

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昨日仙台市議会「いじめ問題等対策調査特別委員会」
   を 傍聴してきました。

「有識者からの聞き取り」という事だったのですが
 有識者(中学校校長・臨床心理士の准教)の講演
一人40分 原稿を読み上げての講演
二人の講演を詳しくメモ

 感想は 折立中学校の調査委員会と
   南中山中の再調査委員会を教育機関側を優位にするための準備

二つの学校の自死の案件は「いじめがあった」ことは
  アンケートなどで公になってしまった
   体罰も表に出てしまった

  ではそのいじめをどのように正当化できるのか・・というのが
  仙台市の考えのようです

いじめられて死んだ子供に責任がある
いじめられて死んだ子供は いじめられても仕方がない子供だったという事らしい
  
発達障害 またはグレーゾーンの子供は
何気ない一言
 いじめではないのに
   いじめられていると感じる傾向がある

 からかっているだけなのに
   過剰に反応する傾向にある
  
しかも 落ち着きがなく
   他の子供たちの迷惑を考えられず
   騒いで、授業にもついてこれない

だから
いじめているのではなく
   いじって  冷やかしているだけ

 授業の邪魔をする子供だから
  腹いせの場合もある

 他の子供とコミュニケーションズが取れないことが問題

周囲ともトラブルが多く
   授業の進行が妨げられる
    
そのような子供は 支援学級に行くのがよい

    普通学級にいるから いじめられる


 いじめられる子供の親もまた 自己肯定ができていない
   子どもへイライラをぶつけている
 問題を抱えている家庭が多い


 10パーセント・・12パーセントの子供が発達障害とグレーゾーンだ
  
だから支援学級や支援施設・精神科機関につなぐ必要がある


 いじめは 発達障害とそれを認めない親の子供(グレーな子供)
   が
普通学級にいるせいだ
  支援学級や支援施設で学べば いじめは起きない
という結論のようだ

発達障害とは生まれつきという認識の校長

体罰(粘着テープを口に何重にも張っての授業)
体罰(げんこつで頭をたたくことが日常的)
これらも
 体罰ではなく指導の範囲
     マスコミが大げさに騒いだせいだ
      過剰なマスコミの取材と過大解釈をしている

   という話しもしていた(市役所)

いじめられている子供は
いじめている子供を友達だと思っている
 しかし
いじめている子供は
いじめている子供を友達だとは思っていない

発達障害だから 友達が欲しくて
   いじめられても くっついていく
  
また
調査委員会の公平性を保つという意味を勘違いしているようです

 本来は 学校側が選んだ人・遺族が選んだ人・半数がベストだと思うのですが

遺族が選んだ委員は遺族目線になるから
  公平な人たちではないという発言があった

   学校側が選んだ委員は 文句なく公平性を保てる人という認識らしい

   学校側が選んだ委員は学校側に優位な解釈になるのではという疑念はないのだ

遺族が選んだ委員だけが遺族側の目線になるのでは・・・という考えは ビックリだった

  だったら  
仙台市と関係の深い仙台医師会や元仙台市の職員の委員は公平性があるのだろうか


   遺族は 教師や生徒を犯罪者にしようとしているのではない
    人間は間違いがある
自死に追い込もうといじめたのではないだろう
  自死に追い込もうと体罰をしたのではないと思う
  でも 
 事実は事実  
いじめた同級生が 体罰をした生徒が 自死したのです

   ごめんなさいと言いましょうよ

もう二度と いじめはしませんと言いましょうよ
  体罰はしませんと死んだ生徒に誓いましょうよ


   喪われた命に謝罪し
  二度といじめや体罰をしないから許してというだけでいいんです

    過ちは誰でもありますが  その過ちを認めて生きなおすことができるか
     過ちを認めず 自分を正当化して生きて行くのか・・・

   人としての生き方が問われるのです

 

一年に一度のフォーラム 10回目は長野です

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 1年に一度 全国から多くの遺族が集い交流を深め
    社会に声をあげるフォーラムです
 
  いろんな人たちに ご参加頂きたいと願っています
 参加費 :無料
申し込み:不要

第10回 全国自死遺族フォーラム

 主催 一般社団法人全国自死遺族連絡会
日時 2017年9月9日(土曜日) 13時30分~16時30分
場所 JA長野県ビル 12階 12A室(JR長野駅徒歩10分)
******プログラム******
第1部 13時30分~ 基調講演 岡知史氏(上智大学教授)
~ 自助グループの定義とわかちあい ~

休憩  14時30分~14時45分
第2部 14時45分~ いじめの自死遺族は訴える
◆青森県八戸市の息子さんを亡くした母親
◆山形県の高校生の娘さんを亡くした両親
◆宮城県仙台市の息子さんを亡くした父親
◆宮城県仙台市の息子さんを亡くした両親

第3部 16時15分~シドニーで開催された自死遺族支援の国際会議の報告
    ◆長野「やまなみ」の前島さん

自助グループ

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 自死遺族の自助グループ

昨年度
「ワンストップ支援における留意点」
 という冊子に掲載した自死遺族の支援について

その中の1項目
::自助グループとの連携における留意点
 自助グループとはその独立性や主体性が維持されないと
  本来の機能や効果が発揮されない
運営も参加者も自死遺族のみであるのが自助グループの基本スタイルであり、
支援者は、独立性や主体性を脅かすような行動や
連携の形態は避けなければならない。
 特に
行政機関や医療機関、支援団体などとの関係においては
 その距離が適切にとれるような配慮が必要である
例えば、行政機関が無料でミーティング会場を提供したり
広報の手伝いをしたりすることは構わないが
 行政機関主催の事業のような広報をしたり
行政機関の職員がミーティングの主催者のようにふるまったりすることは避けなければならない
あくまでも
主体はグループのメンバーであり
支援者は、メンバーの意向に沿って必要な援助をするという姿勢を維持するべきである
  もちろん
支援者や関係者も参加できるオープンミーティングにおいて
 発言を求められた時は、自由に自分の意見や感想を述べることは構わない

  [わかちあい」以外の時間 クールダウンや懇親会・フォーラム・シンポジウムや講演会等々
    様々な時間で交流することは自由である

また「わかちあい」以外の支援が必要な場合は
  もちろん 専門家との連携が必要となる

    「わかちあい」だけ 「自死遺族」だけにしてください
      というのが
  自死遺族の自助グループの基本です

    自死遺族以外に 自死で親しい人・友人知人・・・だけを対象にした自助グループがあってもいいのです
     自死遺族の自助グループではなく
   自死で友人を亡くした自助グループを作り
   自死遺族は入れないという会があってもいいと思います

     恋人を自死で亡くした会を作り
      それ以外の人は入れない  という会があってもいいのです

    それらが 交流することもアリですし
   また交流しない自由もあります

      自助グループは 自死遺族以外にもたくさんあるのです          
   

自死した人と遺族を責める社会

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自死という問題

 社会的要因の改善・・追い込まないように・・という対策
  
・・いじめやパワハラ過重労働・・介護・債務・保証人・精神医療・・・

 いじめのない学校  体罰のない学校
   過重労働やパワハラのない仕事

    介護の孤立化や経済的負担

いろんなことがあって…駆け込む 精神科の治療

   国は自死の多くは追い込まれた末の死である・・として
     国が税金を投入して 県をはじめとして各市町村に
       対策の推進を指導してきた
あれから11年
   
       社会は自死した本人が死にたくて死んだ!
  自死するのを止められなかった愚かな遺族という風潮が根強い

    死んだのは本人の弱さと家族が気付いてやれなかったからだ!と

    本人は死にました  十分苦しんだと思います
 死んだ後まで 世間様に責められる事はないはずです
   死んだんですから・・・

  遺族もまた 苦しんで生きています
    民事裁判は金の要求になりますが
      金なんてどうでもいいんです
生きてさえいてくれたら
   全財産すっからかんになっても 生きていてくれたらいいんです
 金は働けば何とかなりますから
  いのちは
     どうにもなりません

   自死した人も苦しみました
   遺族も苦しんでいます
責任は十分すぎるほど負っていると思います

   だからと言って
     他の要因を問題にしなくていいのでしょうか

   例えば  弱くても 家族が愚かだとしても
   それだけで死にません

自死した人を弱い人という社会に問いたい
   弱い人は生きてはいけないのでしょうか
  
  弱いって 何でしょうか
   強い人ってどんな人でしょうか

     息子は警察官でした
訓練も受けて 忍耐強い人でした
   管区機動隊が長かったので
    要人の警備は  忍耐・・忍耐の毎日でした
私達普通の市民には想像ができないほど過酷だったと思います

   様々な死も見ています
弱かったのでしょうか
自衛隊員の自死も多いようですが
  私たち市民よりも弱い人たちなのでしょうか

  医師や宗教者の自死もあります
    私たち市民より 弱い人たちでしょうか

  最近は子供の自死は
    思春期うつとか発達障害が要因だという事で片づけようとしていますが
    そもそも
     思春期うつや発達障害と自死との因果関係は証明されていません
        そんな研究も論文もありません

   どうしてそんないいかげんな事を言うのでしょうか

   どこまで死者を愚弄したら気が済むのでしょうか

  人を追い込み 苦しませ 死に追いやり
    遺された人をまた追い込み 苦しませ 
     金儲けの道具に利用していく人たち

   自死の問題にかかわって11年
      自死する人たちの気持ちがわかるほど 
社会の人間の 裏の裏の裏 闇の闇を知った

   あまり深く考えると
    この世界に絶望してしまいそうになるから

 心の温かい人たちとの交流が必要
     やさしい人たちもいる

   どうして こんなにやさしい人たちに
    息子は囲まれなかったのか・・・とも思う
   
  いや 周りにいたのに
     気付かないほど 追い詰められた・・・

    そんな気がします

   


 

おおさか自死遺族のわかちあい「泉の会」8月20日



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昨年から準備してきた大阪市内での自死遺族の自助グループ
今月から公開しての開催となりました
 自死遺族の当事者本人の会です
 


おおさか自死遺族のわかちあい「泉の会」
ブログ:http://blog.goo.ne.jp/osaka_izuminoka

◎第1回わかちあい
 日 時:8月20日(日)13時30分~16時
 場 所:大阪市立城東区民センター・中会議室(案内表示は「泉の会」)
    http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000016635.html
 参加費:300円(飲み物は各自ご持参ください)
 第2回は11月23日(木・祝日)当面、3ヵ月に1回のペースで開催


おおさか自死遺族のわかちあい「泉の会」は、自死遺族だけでわかちあいを運営しています

いじめてはいけない事を教育してください

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  精神医療の闇
精神医療の機関に近づかない事が最大の防御

行ったら最後 精神薬の虜にされて依存体質にされていく

  人間の悩み・・・
      人とのうまく話ができない
        精神薬でうまくお話ができるようにはならない
 
   恋人に振られた・意地悪をされた
    精神薬で恋人とうまくいくようにはならない
    意地悪も改善しない
     振られた苦しみも悲しみもさみしさも精神薬で軽くならない
       意地悪をされたことの苦しみも
        精神薬では軽くならない

   精神薬とは  どんな薬なのか・・・を知らないと罠にはまる
    うまい言葉で誘惑する
     幸せになれる薬のように誘う
  悩みの解決 苦しみの解決
  悲しみの解決
  この薬を呑めば  何もかも嫌なことは忘れて
     ルンルン気分になれる・・・
ハッピーな気分で暮らせる・・・
 そんな宣伝文句が社会に躍っている

生きづらいあなた・・・精神疾患ですよ
  生きづらいのは社会の責任ではなく
  あなた自身の精神の疾患によるものですよ・・・
  病気なんだから
   生きづらさは精神病なんですから・・・
精神薬を飲めば 生きやすくなりますよ・・・と誘っているテレビも雑誌も・・
  国も県も市も・・街も
     みんなで
  生きづらいのは あなた自身の病気のせいですよ・・・と言い続け洗脳している

    友達ができないのは障害ですよ
     忘れ物が多いのも障害ですよ
  おしゃべりなのも 障がいですよ
  無口なのも障がいですよ
    一つの事に夢中になるのは障害ですよ
   飽きっぽいのも障害ですよ
     片付けが苦手なのも障害ですよ
   
  落ち着きがないのも障害ですよ
   興味があることが多いのも障害ですよ

    算数が得意でも国語が苦手なのは障害ですよ

   遅刻が多いのも障害ですよ

 いじめられるのも障害ですよ


   だから 精神薬を飲んで 発達を促して
      遅刻をしないように  お友達がたくさんできるように
       忘れ物をしないように
    いろんなことが程よくできるようになりましょうね

   秀でてはいけませんよ
    という
  社会が今の日本

 どこかの国のよう・・・

    小学生になってからいじめられる子供を把握するために
      発達障害を幼稚園時代から早期発見 して  学校に報告すること

  なんて 馬鹿な事が実行される

   いじめをなくしましょうよ
 いじめる子供のほうが問題なのに
  どうして
いじめる子供はそのままにして
  いじめられる子供に問題があるという発想になるのか理解できない

   100歩譲って 幼稚園児の発達障害 があったとして
   障がい児だから
 いじめられる という発想は 
     理解に苦しむ
教育の破壊破滅です・・・

文科省の皆さん
教育関係者の皆さん  いじめはしてはいけないと教えてください

 

健一への想い

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ある時こんな言葉と出会った

  誰のために泣いていますか?
    あなたはあなたのために涙を流していませんか?

 息子を亡くした私って・・悲しい・さみしい・・苦しい・・・

   亡くなった息子のための涙ではないことに その時 気付いた

   私ではない  悲しいのは息子  死んだ息子が一番悲しいのだと・・・

   息子のための涙が流れたとき
       生き方が変わった

    涙は 息子の無念さ・・息子の生きたかった思いに触れたときに・・

   自分の想いを話して泣くことはなくなった

    どこかで息子の姿に似た人を見たとき       
以前はさみしい…悲しい・・と
自分の想いに涙していた

    今は 息子はどうして逝ったのか
なぜ 死んだのか
   今 どんな思いでいるのか・・

   生きていたかったであろう息子の気持ちを思う

     警察官という仕事の仕組み
       彼の性格
   上司 の  人柄
  同僚・・・・家庭
     残業 昇級 ねたみ
  やさしさ  いじめ  意地悪
     嫌がらせ
           休日なし
精神薬
 精神科医療
        社会はずるがしこい人がずるく生きられる仕組み
    ウソを適当につけて
     本音をあまり言わず
 お世辞を言い  
 たとえ仕事場にゴミが落ちていても拾わず
  与えられた仕事以外は 働かず
    つらい時は ずる休みをして
      誰かに仕事を回し
   上司へのごますりはして

  適当に働き  適当にずるく
  適当に立ち回れる人

     そんな人たちが 認められる社会

     一生懸命に
      本当に公僕であろうとする警察官は 県民には好かれるが
         署内では 嫌われる

それは警察だけではなく
   会社や行政  大学

 集団で仕事をするところは同じ・・

      なぜか 組織の人間になると
         組織になじまないと はじかれる

   赤信号 みんなで渡れば青信号である

  息子は正義感が強かった
     正義感が強い人は 組織では生きづらい

   みてみないふりが得意な人ほど  生きやすい

   次男が会社のトイレや事務室が汚いので掃除したら
     田中、そんなことしたら ずっとお前の仕事になるぞ!と言われたという
  時々忙しい合間に ベランダや事務所を掃除している次男に
   嫌味を言う人はいても
  手伝う人はいない

  それが社会だ・・・

  長男が自死し・・・いろんなことを考える
     社会の矛盾
 理不尽  なんて生きにくい社会なんだろう・・と思う

   人にやさしくない・・この一言に尽きる

  長男は 生きづらかったと思う
    正義感あふれ まじめで一生懸命だったから・・・
  争う事が嫌いだったから・・・
    理不尽な人たちに 振り回されて我慢して我慢して  
   耐えて耐えて 頑張って逝ってしまった

    人間の我慢には限界がある
  限界を超えたとき
   相手に向くのか・・・自分に向くのか・・・

   

悲しみのケアと支援って・・・どんなこと?

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  悲しい人をケアする
 悲しい人を支援する

    正直私は好きではない
  長男が生きていたら  縁遠く生きていたはず

  サラリとかかわるのは 容易い
  しかし 本格的にケアや支援を考えたら 24時間365日様々な人たちとの連携を得て
      一人ひとり  ひとつひとつ
 取り組んでいかなければ
 ケアや支援という言葉に失礼になってしまう

    だから 支援していますと言われるのも自分で言うのも苦手
     居心地が悪い
  愛する人を・・・親を・・子供を・・亡くした人の悲しみのケアなど
    できるはずがないことを
    息子をなくして身をもって体験している
 誰にも私の悲しみのケアができないことを 私自身が知っている
  自分ですらどうにもできないのだから・・・
     愛する気持ちが消えたら 悲しみも消えるのだと思う

    しかし
 今でも  息子を深く愛している
  だから悲しみもまた深く今もある

   遺族の支援とは・・・

一人の遺族が求める事への手助け
   それは一人ひとり違う

 一人ひとり違う求めに対して
    全てに応えたいと思う
しかし不可能である

   だから 分担が必要

  様々な専門家が 様々なニーズに即座に応えられるように
   体制を整えて 連携を取り合う

 そんなふうな支援の構築カができている団体などどこにもない
   ましてや悲しみのケアなど
      誰がどのようにしているというのか

  以前にも書いたことがあるが
     40代50代になった人は
   祖父母4人・・・祖父母の兄弟姉妹・・
     かわいがってもらった親戚や近所の人
  誰かが亡くなっていると思う

 愛する・・・ことや 愛されたことの心を感じる人なら
    祖父母の死をさみしく 悲しく感じた一瞬はあったはず

    家族・親族の死を 悲しいと感じたことがない人たちが

  悲しみという現象を学んでいるとしか思えない
    
   机上の悲しみは所詮 疑似である

    私は物心ついたとき
      養母の父親が亡くなった・・・今でも鮮明に思い出す
  野焼きだった・・・
     土葬も様々にみた
 養母の姉の夫の死も・・・壮絶だったことを思いだす

   養母の祖父母 養父の祖父母
 実母の祖父母  実父の祖父母
  叔父・叔母  高校の教師の子供の死
      従妹の死
   隣のおばあちゃん おじいちゃん
  おじちゃん・おばちゃん
      本家の人達
    同級生 部活の仲間

   大勢の人たちとの死別を体験してきた

  父母6人の死も・・・

     さみしく 悲しく ・・・・

   悲しい時の人々の反応もたくさんたくさんみてきた

 特別に学ばなくても 体験として 心に刻まれている

  息子が亡くなった時
    グリーフケアの本を読んだ
  宗教の本も読んだ
     たくさん
   救いにはならない事をあらためて実感した

    読み漁った  図書館に通い詰めた
    だが
何の助けにもならないことを知った

   それでも 何かが救ってくれるかもしれないと・・・
     占いや精神科やカウンセリングも受けた

 結果 自分で抱えるしかない  と 気付いた

   同じ思いの人たちと わかちあいながらなら
       少しは楽に(?)生きられるかも・・と
   だから
     会の活動はわかちあいが中心
  でも
わかちあいだけではない事を求められたら
  それはつなげたいし 紹介もしたいし
   情報も提供したい
 だから
   様々な専門家との連携を作ってきた
 1年目より2年目…今11年目が過ぎ
   連携の輪は広がり
  すばらしい専門家たちとの交流がある

   毎年 広がる

   支援という活動をするなら
    いろんな人たちと 顔の見える関係が必要

   自分の満足のためではなく
   その人のために・・・と考えたら

    やるべきことが山のようにあり
  常にお願い・・感謝・・お願い・・感謝
     お願い・・の連続
      ありがとうございましたの連続
  
   そして 選ぶのはその人
  動くものその人
   元気になるのもその人
 
活動はほんの少しのお手伝い

   学ばなければ 悲しみすら理解できない人たちに
      悲しみの何がケアできるのだろう

    謙虚でない人たち
   繊細でない人たち
  感受性が薄い人たち

    多すぎる気がします

 そんな中で
自分をわきまえ 自分の立場を理解し
   ゆるやかなつながりの中でできる限りの事をしてくれる人たちの存在があります

  いろんな意味で  その人柄が見える気が・・・

  悲しみのケア  悲しみの支援
  って
  どんな事でしょうか

   

静かな暴言

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物心がつくと 人はいじめをする
 自分がかわいいから・・・
    自分の満足のために・・・

満足感をいじめという形にする子供や大人
他人には厳しく 自分にはやさしい人たち

  いじめる子供は なんらかの問題を心に抱えている

    いじめられて困っている子供を助けるのが
教師や同級生だと思うが
   違うようです

いじめている側を支え 応援している
   だから集団でのいじめがおこり
    教師も一緒に体罰をし、みてみないふりをする

   パワハラも同じ
  過労自死の場合も 必ず言葉の暴力はある
   ひどい言い方・・・「死ね!」とか「バカ」とかではなくても

 人格否定をする人が多い
 「無能」・・とか
  また仕事・仕事・仕事・・で ほとんど休んでいない同僚をみても
   部下を見ても
上司を見ても
    知らんふり  自分は休みを取る人たち

  100の仕事があり 5人で20ずつやればいいのに
   4人は10しかやらず
   1人に60を負担させえる

    それはいじめです

   人にやさしくない

   無視する・・・誰も話しをしない
 相談をしても ニコニコ笑いながら 無視する

それは パワハラにはならない
   
  毎日耳元で「お前はうつ」「お前は無能」「お前の責任」と
  ささやかれたら・・・
     証拠は残らないが いじめです

  周囲に聞こえるような暴言だけがパワハラではない・・・

    毎日「くさい」「くさい」「くさい」と言われ続けたら
       自分の匂いが気になっていく・・・

そうやって  静かに人を追い込むのは 陰湿ないじめ・パワハラ

   それは死んでしまったら  証明はできない
     生きていても 録音でもしていないと立証は難しい

    卑怯者が 言葉で人を追い込むのだと思う

    そして 人が 死んでも 平気でうそをつき
      何もしていないと言い続ける

  完全犯罪は 静かな言葉の暴力で成立する  

     いじめにはいじめで返したらどうなるのか

    学校も社会もメチャクチャ

   私たちは多くの人たちのやさしさや思いやりで暮らしている

 意地悪な人たちは  恩を受けたことも感じない

  他人には厳しく 自分にはやさしい、甘々な人たちだから・・

     教育は大事

人にやさしい教育
    人を育てる教育
 思いやる教育

    が  完全に欠けている

    公立の幼稚園や保育園に行くと
     子どもらしい子供は  障がい児を言われる

    公立の小学校や中学校に行くと
        個性にあふれる 天才肌の子供は異端児扱いをされて
           発達障害というレッテルを張られる

  よほど 親たちは知識を得て 学校に送り出さないと
   教師のいう事を聞く イエスマンの子供以外は 精神科に送り込まれることになる

   才能のある子どもは
      子どもの才能にあった私立の学校でないと潰されてしまう
 最悪
自死  ・・・  薬漬け・・廃人

   大人が子供らしさを認めず
    平均的子どもだけを良しとし 管理しやすい子供だけの集団を作っている

   大人が子供をいじめている
それを見ている平均的な子供は
    いじめても大丈夫だと思う

 平均的な子供 平均的な発達
 平均的な大人・・平均的な学校  標準値に近い知識

  日本人は とにかく  平均と普通を好み 安心している

  違う感性を認めない

   潰し続けるが  つぶれないで有名になると
      天才だとか言ってもてはやす

    なんの信念もそこにはない

    社会に流されないこと
      自分を信じる事
子どもを信じる事
     正しい知識を身につけないと 
        社会に殺されてしまいます

    精神科に行くかどうか 最終的に決めるのは親であり自分です
      いじめを許さない社会にしなければ・・と思う

 人に意地悪や いじめや暴言をお互いに吐かない
    蔑まない
   差別しない

自分に厳しい自分でありたい

自助グループへの誤解

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自助グループを広げてきた事で誤解をされることが多い

それは 支援者グループを否定していると思われている事
そして
 遺族以外の悲しみを認めていないように思われている事

   そうではないのです

当時・・今もですが
  支援者グループはたくさんあります

今から12年前は公開しての自助グループは皆無でした
  クローズな集いが一つ…不定期なクローズな集いが一つ

クローズでしかも わかちあいだけで
   一切の他の活動はしない・・という会です

  過労自死というくくりでは 過労死家族の会がありましたが
     そこはわかちあいの会ではなく 裁判等の活動の会

 自死遺族が純粋に自分達だけで悲しみや苦しみを話す集いは
  遺族になったばかりでは 探すことが困難でした

   そこで 自死遺族の自助グループ本人の会のたちあげをしました

それが2006年
   その当時は 遺族が公開して主催して会をするなんて
とんでもない事!だということで
    国も県も市町村も ボランティア団体も どこも誰も認めず
      批判の嵐  誹謗中傷だらけ
  差別されさげすまれ
      叩かれ踏まれ・・・裏切られ・・・
死を考えるほど追い込まれたものです

    自死遺族だけでの「わかちあい」の時間が欲しかっただけなのに・・です

そしてかなしいだけではなく「生きて行く」ために
「総合支援」が必要と思い
   法的な専門家を含め 行政や社会福祉士の方々のつながりを求めて
      お願いし続けました
  
差別ではなく 区別し  ゆるやかにつながりあう事が
  必要であり大切だと思ったからです

  それが遺族支援・・遺族が元気に生きて行くために必要だと感じたからです

 保健師やボランティアが主催の会はそれなりにありました当時も・・・

  でも それでは参加できない遺族がいる
だから
 自助グループを立ち上げた・・・だけ

   誰にも語れない死
     自死だと言えない遺族
世間に知られたら 差別偏見の目で見られる
    誰にも言えない
    病気だ事故だと嘘をいいながら 生きている遺族

・・・・だからこそ 自死だという事を話せる場所が必要でした

    一つもない自助グループ
  そこから広げてきた・・・だけです

   支援者は最初から元気で幸せです
  会の立ち上げも簡単でしょう
    行政の支援も受けて・・・
  新聞等マスコミの取材も可能でしょう

 でも  遺族はそもそも悲しみを抱えながらの立ち上げです
 顔も名前も公開して取材なんて・・・ハードルは高いです

そんな中で  遺族たちは頑張って自分たちの集える場所を作ってきました

  支援者の会は全国に200か所あるという事です
  国の調査です
全国47都道府県全部にあります
一つの県に10か所の支援の会が存在するところもあります

   東京都などは 行政も含めて、ボランティア団体や病院・教会・僧侶も含めて支援者団体は
     30は超えると思われます

 その中で東京の自助グループは2か所だけです
だからこそ
  多くの遺族が参加しています

 私は遺族の自助グループを広げてきました
それはわかちあいの時間は・・・というよりも
  わかちあいというものは  当事者本人たちだけでないと無理だとおもったからです
 
そう考えたら
 恋人を自死で亡くした自助グループ
   友人知人を自死で亡くした自助グループ
そこには
親族は入れない・・・という会があってもいいのです

 兄弟姉妹の自助グループもあります
 子供を自死で亡くした自助グループもあります
  親を亡くした自助グループもあります

他者を入れない・・・のが自助グループですから。


恋人を自死で亡くした気持ちは 子供を亡くした私にはわかりません

知人友人の気持ちもわかりません

   お互いにお互いの悲しみは分かり合えないのだという事を理解し認め合うこと・・

    が 大切ではないでしょうか

遺族が立ち上げた会が他者は入れない・・というなら
 それを認め
自分たちの居場所は自分たちで作ったらいいだけです

   遺族も必死で 作ってきたのですから・・・

多様性を認め合い  ゆるやかにつながりあえばいいだけです

   それらを選ぶのは遺族であり 当事者です

 恋人の会も友人の会もあったらいいと思います

  誰でもが参加できるシンポジュウムや講演会・フォーラムや
  サロンや研修会・懇親会もあります

   わかちあいは同じ苦しみ・同じ悲しみ・・
同じ体験をした人たち・・・

耳の聞こえない人たち・・・
  ガンの患者同士
  難病の会・・など  自助グループはあくまでも同じ・・・体験
   
   分かり合えない人たちに混ざってもわかちあえませんから・・・

   お互いのためにも
        くくりは大切にして
参加できる集いや会合に
 参加することが お互いのためにいいのではないでしょうか

  支援者とも一緒にやれることはたくさんありますから。

恋人も知人・友人も参加できる会はあります

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コメントへのお返事

 息子が亡くなった時 高校時代の友人(親しいグループ)に、自死という事を伝え
その人が全国に散らばっている仲間に声をかけて、葬儀に来てくれました。

その後にも 愛知県や青森県から個人的に自宅に来てくれたりしたので
 1周忌には連絡をして 3人ほど休暇を取ってきてくれました(皆さん仕事をしていますので)

警察の仲間の方々も自宅に来てくれたり…今もお墓にお参りに来てくれています
(タバコとコーヒー缶が供えてあるのでわかります)

 素直にお参りをしたい気持ちを大切にしていいと思います。

  遺族も思い出話はつらいことですがありがたいことでもあります。

忘れないでいてくれる人がいる・・ということは感謝です

     自死だからということで妙に気を使われてしまうと ん?となってしまいます。

遺族との交流は 普通に気持ちのままに
  遺族がお断りするまでは お手紙やメールなど やり取りされたらいいと思います。

また遺族の会への参加は
大切な人を亡くしたというくくりで 恋人・知人・友人もOKの会もありますので
   そちらの会に参加したらいいと思います。

自助グループの場合は
 ほとんどは親族というくくりになっていますので 恋人・知人・友人の参加ができるのは少ないと思います

   が・・・・
自助グループでも参加できる会もあるかと思います

   支援者が主催の会は 恋人・知人・友人の参加が可能な会が多いと思います
ただし
 参加者は少ないと聞いています

   これは私の考えですが
   遺族の会に参加できなくても ご供養はどこでもできます

 わかちあい
  は
   同じ苦しみ・同じ悩み・同じ悲しみ・・・という事が原点です

  僧侶の会などは 親族以外の参加も認めていますし
     生と死を考える会も参加可能だと思います

  例えば 子供を亡くした親と 子どもの知人や友人・恋人とは理解し合えないことも事実です
   子供を亡くした親と 亡くなった子供の妻やその子供とも・・また兄弟姉妹とも
   分かち合うのは難しいと思います

  立場によって悲しみが違うのですから・・・
それが普通です

 そのことをお互いに認め合うことが
    お互い距離が近くなるのでは・・とも感じています

  講演会やシンポジュウム・フォーラムなどに参加されて
       いろんな意味で 自死の問題を身近に感じて頂けたら
それもまた 亡き人への想いかな・・・と

  9月9日 長野市で全国自死遺族フォーラム第10回があります。
    多くの遺族が参加します
  懇親会もありますので 参加してみてください

懇親会もフォーラムも どなたでも参加できます

    亡き人への想いは
  わかちあいの時間だけではなく 様々な方法で抱えて行くことができると思います

   私は今でも お墓参りに来てくれる息子の友人を愛しく思いますし
   ありがたいと思っています

  また わかちあい以外の会に参加してくれたり
    自死の予防や自死遺族への支援などに協力的な友人・知人・恋人等の人たちは
ありがたい存在でもあります

   亡き人を思うのは  どこでも場所を選ばずできます
   
親族だけの集いに入る必要もないです

    区分けして  それぞれの立場で出来る事をされていくことが
  本当の意味で 亡き人への想いがある・・・という事ではないでしょうか

   いろんな会があります
  それらを認め合い  それぞれの特徴を知り
    参加できる会合に参加したらいいだけです

  自分にあう会に参加したらいいと思います

   亡くなった人の家族との交流も
程よい距離で
   お返事をもらったら  勘ぐるのではなく
素直に感謝し、続けて行かれたらいいと思います

   儀礼てきな返事でもいいじゃないでしょうか

   何も求める必要はないはずです

お菓子や果物を供えるのも  贈るのも
  家族にではなく 亡き人への想いなのですから・・・

  もう  いいかな  と思ったら 無理に送らなくてもいいと思いますし・・・

  周りに惑わされない事・・・
    ご自身の気持ちを大事になさること

   求めない事・・・

黙とう

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長男が亡くなった時
  のどからお腹まで一直線に 激痛が走り
  それがずっと続き、息ができないほどの息苦しさと痛み
     そして 突然意識不明になり ひっくり返る
   そんな状態を改善しないと葬儀もできないと思い
  精神科に行き、激痛はとめてもらった

   今でも 時々
  激痛ではないが 胸が痛み・・・息苦しく
胃もお腹も・・胸も痛む
   
それは 言葉を失うほどの憤りを感じたときに起きる

***********
     黙とうは嫌いです
シンポジュウムの時に  自死した人への黙とう・・
  会議が始まる前にいじめ自死で亡くなった子への黙とう
  議会の前・・とか
様々な場面で黙とうが行われる

   いら立ちを覚え 息苦しさを感じる
そんな時
  私は黙とうをしない

   法話の会で阿弥陀様に向かい  手を合わせてお念仏をするのは
          スッと心に収まる

   心のない黙とうは いら立ち 怒りすら感じる

  会議は会議をしたらいい
    議論は議論をしたらいい

 祈りの時間は祈りの時間で設けたらいい

    それなりの雰囲気で・・・場所で・・・

日本人は黙とうがお好きのよう

   会議室で ただ黙とう・・・なんて  安易で・・粗末にされている気がする
     大切な命なんです
 
  震災で亡くなった人たちの慰霊祭
  と言いながら
    遺族は後ろで 主賓は有識者たち
       祈りは少しで・・・あとは復興の話

  遺族は傷ついています

    会議もシンポジュウムも  祈りの場でありません

     祈って頂けるなら
祈りの時間と場を設定し 祈りをメインにしてほしい

 あれもこれも 混ぜなくていいのです

   形ばかりの黙とう

その後の会議も形ばかり

    それなら 黙とうよりも 会合の中身を充実させてください

  自死をなくするために 真剣に議論をしてくださる方がありがたいです

     憐れんでほしくない
        息子をあわれまないで欲しい

 哀れな人ではないのです
             
    上から目線の黙とうなんて・・・

      支援者の幸せの・・・満足を得るために 死んだのではありません

     亡き人に思いを馳せる事は
             思いやる気持ちが希薄な人たちには無理です

      見当違いの好意や善意は  当事者を傷つけます

    大多数の当事者は  「え!」と思っても
「ありがとうございます」と社交辞令でいうのかもしれない

   わたしは 社交辞令は得意だが
    遺族という問題では社交辞令は言わない
   

声なき声を聞くことの意味

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  亡き人の声を聞く・・という事の意味を
    直接声が聞こえるんですか・・という人達

   感性という言葉はそこには通用しない

いじめで自死した子供たちが なぜ自死しなければならなかったのか
そこには何があったのか

その子は どのような両親のもとに生まれ
  どのような環境の中で育ち
    幼稚園・小学校・中学校~と通い
何が得意で何が苦手だったのか
    どんな友達がいて何を話して 生きていたのか

   いじめはなぜ起きたのか

  「くさい」「うざい」「ブス」「キモイ」
「整形でもしろ!」「うんこ」
 「頭の悪いのが日本語しゃべってる」
 「しね」
 「バカは学校にくるな」

トイレもどこも数人でついてくる   
    小突かれる
バカだ・お前はバカだ・・と毎日数人から言われる

 数人で抑えて ズボンを下げる
     等々

その様子を笑ってみているクラスメイト

その時の気持ち
どんな気持ちで学校に行き 一人で受けていたのか
 先生に伝えても
    「ハイ・ハイ」でおしまい
親が訴えても
「ハイわかりました」でおしまい

    集団でのいじめは更に悪化して陰湿に続く

そんなことがなぜ起きたのか
その時 いじめられていた子供は どのような気持ちだったのか

それを 考え 想像し  自分に置き換え
    問いかけて行く

   そんな地道な作業の中で  亡き人の声なき声が聞こえるのです

    思いを馳せる・・・
           ことが少なくなってきている気がします

   13歳の子供が自ら命を絶つ

それがどんなに苦しんだ結果なのか  と考えず

  死にたくて死んだんじゃないの
   心が弱いから逃げたんじゃないの
      自死は逃げた死だよね

と思う人には  亡き人の声は届くはずがありません

     人間は死にたくない動物だということが前提です

   自分は死にたくないけど  自死した人は死にたい変な人たち・・・
  そんな考えが少しでもあったら
      亡き人の声なき声は聞こえません
心の耳で聞くのですから

    刑罰の最も重いものは死刑
 なぜでしょうか
それは死というものが人間が最も怖く恐れるものだからです

その死という恐怖を 超える苦しみ
   生きているよりも 死んだほうが・・・と思わせるほどの苦しみ
   それは生き地獄です

 亡くなった子供の友達や親・兄弟・・・環境の全てにふれて
    亡き子供に手を合わせ
      心を研ぎ澄ましたとき
声なき声が 心に聞こえるのです

    いじめた人を罪人にしようとか
    刑務所に入れ
  と望んでいるのではないのです

犯人捜しではなく

  いじめたことはいじめたこととして認め、

死ぬほどいじめるつもりではなかったんです ごめんなさい

 と お詫びをする気持ちを持たせないと

   また いじめは続き
 社会にでて今度はパワハラ セクハラ  モラハラ
      人をいじめる快感が 病みつきに・・・

そして
また 誰かが死んで逝く

 そして いじめは 口答えのしない人
   真面目な人
        時々反応する子 が ターゲットになる

   自分よりも体格がよく、力も強く
  口も達者で
     先生にすぐ告げ口をするような子はターゲットにしない

    しかも 一人ではできなくて
必ず集団でいじめる

 卑怯者です

  いじめはいけないことです

 人が人をいじめる行為はいけないことです