![DSC01280[1]](http://blog-imgs-88.fc2.com/k/e/n/ken0314/201601061410171ac.jpg)
グリーフケアという言葉が嫌いです
そもそもグリーフのケアって どのようなケアでしょうか
愛する人を亡くした悲しみ
わかりますか?
子どもが生きている人に
子どもを自死で亡くした悲しみ わかりますか?
言葉にはできない悲しみ
かなしい という言葉では 足りない気持ち
かなしい苦しい切ない・・心から血を流すような
地獄のような・・・
息ができない悲しみ
鋭い刃物を飲んでいるような痛みと苦しみ
身を切られるような悲しみと痛み
そもそも かなしいことが痛いって 理解できないでしょう
笑っているのに かなしい
食事を美味しそうに食べていても 心は悲しい
こうしてブログを書いていても かなしい
胸が痛い
お腹もいたい
胃も痛い
一秒も 生きていたころのような心にはならない
寝ていても かなしい
夢もまた悲しい
目が覚めた瞬間もかなしい
お風呂に入っていても カナシイ
突然涙があふれる
洗濯をしている時も
干している時も
新幹線に乗っていても
本を読んでいても
突然 深い悲しみの泥沼に落ちてしまう
見た目は・・・幸せな人たちと会うときは笑顔がいっぱい
満面の笑みを浮かべられる
知らない人が見たら 本当に幸せに見えるでしょう
幸せな人よりも 元気いっぱい
走り回っている
でも 私はかなしい気持ちでいっぱい
もうすぐ12年
悲しみは変わらずいつもいつでも私と共にある
それは今もお兄ちゃんを愛しているから
こんな私のグリーフを
他人が何をしてくれるというのか
しかも 幸せな人が・・・
悲しみを本や教授から学ばないと理解できない人が・・・
どうやって 言葉にできない悲しみをケアしようというのだろうか
お話をお聞かせいただく事
その人の悲しみにどこまで近づけるか・・・
って
傲慢です
私の悲しみに グリーフケアの専門家という人がどうやって近づくというのでしょうか
私の悲しみがどこにあるのかわからない限り近づくことは不可能です
どこにあると思っているのでしょう
悲しみは深さ
どのくらいの深さで どのくらいの広さがあるのか
宇宙のように果てしなく広く永遠にある悲しみ
近づけるのでしょうか
近づけるわけがありません
悲しみとは
一人ひとり・・・宇宙のように無限大にあるのです
一人ひとりに悲しみという宇宙があるのです
本人でさえ 悲しみの迷子になることもあります
お話をお聞きするなんて
一時間・二時間 100時間
全く足りません
毎日毎日・・
12年間聞いてくれますか?
これからも 私が死ぬまで聞いてくれますか?
グリーフケアでは 伴侶の死が世界で最も悲しいという
では なぜ再婚や恋人ができるのでしょうか
悲しみ比べはしてはいけませんと言いながら
なぜ 伴侶が一番悲しいと断言するのでしょうか
本にも書いているのでしょうか
悲しみとは 一人ひとり…その人と亡き人との間にあるもの
私の場合
長男の死という悲しみは
夫と長男
次男と長男
私と長男
それぞれに存在する
それぞれが自分の悲しみが世界で一番悲しい
グリーフをケアするなんて おこがましいこと
私の悲しみについて 幸せいっぱいの人から
アドバイスやコメントを頂きたくもありませんし
説明もされたくありません
私の悲しみは私のもの
誰のものでもない 私だけのもの
長男と私のもの
同じ思いを体験した人の話は
ストンと腹の底に落ちる
そっか 私だけでなく 同じように感じているんだ
悲しみもまた 同じようにあるんだ
そこには言葉ではない 共感が存在する
はじめて わかちあいの会に参加した人は
受付の時・・部屋に入った時
涙があふれる人もいる
同じ思いをしている人たち・と思うだけで
孤独感が少し軽減されていく
そこには 特別な言葉は必要ない
人間が作り出した言葉は
人間の細やかな感情を表現するには 役不足である
無言の共感
無言の理解
それは
同じ悲しみを体験した者同士だから 生まれる
時には存在そのものだけで
言葉よりも 支えられることがある
愛する人との突然の死別
その悲しみは 他者がケアの対象にするものではない
人智を超えた存在
仏や神
以外に
グリーフの ケアができるとしたら本人だけである
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