
生徒がいじめられた
いじめた生徒といじめられた生徒を同席させて
指導したから
いじめが行われない・・・と信じていた
そんな弁解を仙台市の教育委員会はしている
アホとしか言いようがない
いじめる生徒が その程度でいじめをやめるわけがない
チクった・・・ということで 更に陰湿に いじめが行われる
相談したことで 更にいじめがエスカレートし、いじめがひどくなると
二度は相談しない
また相談したら 今よりももっとひどくいじめられる・・と思うから
どうして そんなことにきがつかないのだろう
教師・・・教育委員会の人たちの多くは いじめられた経験のないエリートなのではないのだろうか
いじめというものを知らない教育関係者たち
今もあるようだが 昔の昔
いじめが発覚すると
「みんな目をつむって」
「さぁいじめた人は手をあげて」と教室や講堂で教師がいう
想像してみて下さい
誰が手をあげるでしょうか・・・
薄目をあけて 見ているかもしれない 中で 正直に手をあげるくらいなら
いじめていません
いじめをする子供が 正直ものだと信じているのが不思議
正直に手をあげる ような いい人なら
いじめはしていません
もっと いじめる側の心理
犯罪者の心理
ウソを言う心理 人間の心理
いじめられている子供の恐怖心・・を 学ぶべきです
いじめの皆無な 集団はあり得ません
集団ある所に 必ずいじめはあるのです
それが 人間です
宗教者でも・・・いじめはあるのですから
SOSの出し方教育に力を入れると国は言っていますが
これを強く推進した 自死の対策団体と議員連盟・・・
SOSを出しても その後の対応が今のままだと
チクった・・ということで 更に暗闇の中でいじめは陰湿になるだけです
どうして 当事者の声が届かない対策や指導になるのかが不思議です
当事者が 支援者よりも 当事者のことを知っているのが普通です
当事者よりも 支援する側が当事者の問題を知っている・・というのは錯覚です
大きな間違いです
病気の仕組みや治療に関しては 患者よりも医師が知識があるでしょう
しかし
他の多くは 体験した当事者本人を超える人はいません
体験した人の話をまとめる人はいるでしょうが
まとめるだけで 経験はない
痛みがないのです
しかも 想像力不足の人が多い
立体的に 総合的に 物事をとらえる力
いじめやパワハラなどの対策 自死の対策には
それが大切です
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