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死別反応は適応障害というアメリカの精神医学会


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古茶大樹教授のお話しを今月聞かせてもらい
  親しくしてもらっている野田正彰先生の考えと共通する内容が多く
      普通の感覚を持つ正当な精神科の医師が東京にいた!と感動
  一人・ひとり・ヒトリ・・・
     真っ当な精神科医の知り合いを増やしていくしか道は開かれないと思う

精神薬漬けにされて 悪化の一途をたどる症状の人たち
    元気になりたいのに  自死に至る精神科に通う人たちや入院患者

    アメリカの精神学会の考え方は
       人間の喜怒哀楽・・・原因があろうがなかろうが
        悲しみも さみしさも うれしいことも
    個性さえも 精神疾患・・・精神薬を処方すること

 悲しみも障害
         狂った世界である

    精神科・心療内科・・・に行ったら最後~精神薬漬けにされて
                       クスリを やめられなくなっていく
    麻薬中毒患者のように・・・

    そりゃそうだ 精神薬の多くは麻薬の成分が多く配合されている
怖い

   精神薬の真実を知らない人たちは
    精神科医の言うとおりに疑いもせず飲み続ける
   悪化しているのにもかかわらず・・・

 自死の問題から精神医療の問題は切り離せない

    せめて 遺族は飲まないでほしいと願っている
   飲んでいる遺族がいたら
     減薬と断薬をしてほしいと願っている

   悲しみは消えないけど 亡くなった人のためにも元気で生きてほしいと願っていますthQG6K404U.jpg


    悲嘆反応は適応障害
持続性複雑性死別障害 という精神医学会

目の前の一人の患者は「他ならぬその人」ではなく
標本の一つに過ぎない
という考え


愛する人との死別のかなしみを 障がいと認定する精神医学(アメリカ)

   人間の感情を否定する精神医学

    何を目指しての医学なのだろう
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一人で悩まずに・・・

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 個別の相談はコメントを書いていただけたら(メールアドレスを添付して)
  メールでお返事いたします。

近くの自助グループの開催日を知りたい
   いじめの情報開示請求や労災の申請を弁護士にしたいが
     知り合いに弁護士がいない・・・
登記や後見人問題で司法書士の知り合いがいない

精神科の薬を減薬断薬したい

    債務があるが 何とかしたい

賃貸物件で亡くなって 不動屋さんから 賠償金の請求をされている
    
    等々

なんでも 困ったことがあったら 
全国自死遺族連絡会のホームページや法話の会のホームページ
  つむぎの会のホームページ
または
 このブログのコメント
  また facebookのメッセージで
     ご連絡をください

  私にできないことは
  遺族のための無料で相談にのってくれる専門家を紹介します
  もちろん 紹介は無料です

   私が信頼できる専門家だけです

    遺族のご相談が最優先です

    お互いに 顔の見える関係の専門家との連携があります

 少しでも
    これ以上傷が深くならないような 専門家は大切です
 11年の活動の中で
   つながってもらった それぞれの 様々な専門家の存在があります

     遠慮しないで コメントやメールをください

悲しみに精神薬は必要ない

2013040515220242e[1]

愛する人を亡くして・・・悲しくて・・・精神薬を飲んでいる人が多い
   飲んでいる人に聞きたい

飲み続けていかがですか?

   遺族になってから 飲んでいる人たちのほとんどは
         飲んでいない人たちのほとんどの遺族とは時間の流れが違う気がする

    自然な流れになっていないような気がする

   亡くした当時 すぐの頃
   激しい悲しみと苦しみで 気が狂いそうになり
          胸が痛く、頭痛がして 朝から晩まで 寝ないで泣いているころは
  安定剤も必要だと思いますが

    少しでもご飯が食べられたり 眠れるようになったり
       家事も少しできるようになったら
   飲む意味がない
飲む必要もない

   トラック一杯の薬を呑んでも
      愛する人は生き返らない
生き返らない限り
  悲しみは消えない…薄くもならない 軽くもならない

    薬を飲んで どうにかなる問題ではない

     薬を呑み続けている遺族は  
          元気にならない

  感情の起伏が激しく
       ドーンと  悲しみの奈落に落ちる
   気力も失われているから 這い上がる力もない

それは 精神薬の副作用
  脳神経が薬によって支配され 自分ではない自分がそこにはある

 薬は 病気だから飲むもの
 精神薬も同じ
    どの薬も病気だから処方されるし、飲む

悲しみは病気ではない

病気でないのに 飲み続けていたら  どうなるのか

     副作用だけが効果が出てくる

       悲しみは病気ではない
    したがって 精神薬を飲み続ける必要なない

悲しみと共に
悲しみもまた私のもの
悲しみは愛する証
  愛しているから悲しい

愛は消したくない
   だから悲しみもまた消したくない

     精神薬を飲み続けている遺族は
          飲めば飲むほど 精神病を患う・・本物の精神病になっていく

   一人で減薬や断薬が厳しい遺族には
       やめさせてくれる医師を紹介してきた

  悲しみには 精神薬は何の役にもたたない

   同じ悲しみを持つ遺族たちとあい
  共有し・・支え合い・・・
     つながりあってなら 生きられる

   悲しみを愛しみとして抱えながら

  喪われた命の意味を伝えながら

      労災の申請も いじめの問題も
  丁寧に確実に 喪われた命に尊厳を感じてくれる弁護士でないと
     なかなか遺族の意向には沿ってくれない

    弁護士は 自分の問題の専門家ではない
 法律の専門家だけど
    自分の事案の専門家ではない

  弁護士の選出も 大変です

   情報が少ないのも 遺族を混乱させ
   さらに追い込んでしまうことになっていると思う

 できるだけ情報を発信させていきたいと思うのですが
     能力が追い付かない

ただこれだけは 言える

 悲しみは病気ではありません
 だから精神薬を飲み続けては 危険です

本当の意味での 精神病になっていきます

     悲しみは愛する気持ちから沸き起こる感情

   亡くなった人を愛している限り  悲しみも続くのです

     悲しみが軽くなるのは  愛も軽くなることと同じ

     抱えて行くていく 覚悟をどこまで持てるか

    亡くなった人が 生きている私たちよりも 悲しく苦しんだ

       生きている遺族が 亡くなった人よりも悲しい苦しいというのは

             ・・・・私はできない

   苦しみ悲しみ逝った息子のために
      親として 何かを・・・と思い 生きている

    息子が生きていた頃のようには生きない・・生きられない・・生きてはいけない

        と思っている

言葉の一人歩き「心のケア」

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土曜日は円卓会議・・・東京
泊まり
月曜日も東京 上智大に・・・

  土曜日は精神科医の立場から 悲嘆についての講演

  納得のいくお話だった

 月曜日は 自死遺族の自助グループの定義について
  相談に行った

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  心のケアって‥どんなケア?
グリーフケアって・・・どんなケア?

 悲しみというものを知らない人が悲嘆を学び かなしい人のケアをするのがグリーフケアだと思っている

 悲しみを知っている人は 悲しみを学ばなくていい

  100万冊の悲しみについての本を読んでも
     セミナーを受けて学んでも
たった一度の愛する人を失う悲しみを経験した人のほうが
  自分の悲しみについての専門家

  心から愛する人を失った人が
     誰も失ったこともなく 悲しみを本で学ぶ人に
  悲しみについて教えてもらうなんて・・・
   どこかが変です

   悲しみを知らない人が 悲しみについて学びたいなら
  本ではなく
遺族の生の声の本や講演を聞いてみたらいい

   セミナーの講師も 悲しみを知らない人ではなく
   遺族を講師にセミナーをしたらいい

 いろんな遺族を講師にして 聞いたらいい

    深い話もしてあげられますよ・・・

ただし どのようなことも聞く 深い心があるなら・・・

    本で読む悲嘆の症状なんて反応なんて
        生の体験談に比べたら  おままごとのような内容

     遺族の話を聞くことは疲れます・・・から 聞く側のメンタルケアをしましょう
       と よく聞く
 遺族の生の話を聞いて心が疲れる程度の覚悟なら
      遺族の悲嘆のケアなんて考えないことです

  お遊びのような 悲嘆の研修

    自死遺族支援者のための研修会に何度も参加した

    ロールプレーをして
遺族の役をする人が
  人生で最も悲しい体験を語るのだが
 
  引っ越しの話  実家のリフォームの事
試験に落ちたこと・・
  
  猫が死んだこと  犬やウサギ・・・
その猫も 飼っているんではなく 実家の猫
   人の死も・・・友人・・・知人  近所の人
    んんんんんん???・・・・

自死遺族の支援のための研修会???

  私が「ほんの少しですけど自死した息子の話を・・」
と言って 少し話しただけで
   「もう聞けません」「辛すぎます」という人たち
イヤイヤ まだ1000万分の1くらいですが・・・聞けないんですか?

   それが 自死遺族支援養成講座

     支援者を傷つけないように 話しを選ぶのは
       大変です

  自分の親が生きている人でも
  親の親  祖父母のうち一人くらいは亡くなっていると思う
ましてや
  40代50代・・なら  
全員
90歳・・100歳まで生きている家族って・・あまりいない

   祖父母の死は悲しくなかったのかな・・・

   他人の悲しみを 本で学ぶのではなく
    自分の親から 親の悲しみを聞いてみたらいいと思う
  身近な人の死の悲しみ・・
     
それを聞いても かなしくないとしたら
   
   他人の悲しみに関心があるのは なぜかな

  私は 幼い頃から たくさんの死を見てきた
    死はいつも身近にあった
隣のおばちゃん おじちゃん
 本家のおじいさん おばあさん
  母の親
 親戚の甥や姪
  学校時代の同級生
      ・・・担任の先生の子供
  友人の子供
     
親は6人
  ・・・
息子の死は 比較できないほどかなしい
  ことばでは表すことができない悲しみ

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自死への差別と宗教

hanakaidou[1]

    自死への差別と偏見

 自死とキリスト教

日本カトリック司教団「いのちへのまなざし」より 2001年
「神は正義の神であると同時にあわれみの神でもあります。
この世の生を終えた人々を【神がどのように裁き、どのように受け入れられるのか】、
それは私たち人間の思いをはるかに超えた神秘です。
裁きは、すべてをも通される神の手に委ねるべきです。
この世の複雑な現実と、人間の弱さを考えるとき、
私たちは自死したかたがたの上に、
神のあわれみが豊かに注がれるであろうことを信じます。
しかし残念なことに、
教会は【いのちを自ら断つことはいのちの主である神に対する大罪である】という立場から、
これまで自死者に対して、冷たく、裁き手としてふるまい、差別を助長してきました。
今その事実を認め、私たちは深く反省します。
 この反省の上に立って、
これからは、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、
慰めと励ましを必要としているその遺族のために、
心を込めて葬儀やミサや祈りをおこなうよう、教会共同体に呼び掛けていきたいと思います」
と宣言された。

また仏教では
仏さまの最高峰である阿弥陀仏は
 全ての人を救う力を得たということで「阿弥陀仏」となられた
    全ての人々をすくい取れなければ「阿弥陀仏」にはならないと誓いをたて
 48本願の全てが達成されたことで「阿弥陀仏」となられた
  本願18 は 「阿弥陀仏」の名を呼べばすくい取るとおっしゃっている
「南無」「阿弥陀仏」である

 煩悩・・・
 教えの中に「殺生」という項目があり
   その解釈を自死に広めた人たちが僧侶の中にいた・・ということのようだ
殺生は 私たち誰もが行っている
   魚を食べることも殺生
  肉を食べることも殺生  野菜も殺生

  霞と水しか摂取できなくなってしまう

生きるためには 野菜や魚果物肉様々ないのちを頂いて 生かされている
 そのことを忘れないように
「いただきます」「ごちそうさまでした」というのが日本人

   阿弥陀仏の阿弥陀仏たるゆえんは 全ての人人びとを救いとるという事にあるといっても過言ではない
「南無阿弥陀仏」なのです

   人々を脅し、不安にさせ お祓いや祈祷をし
       お金儲けをしようとした人たちを信じた庶民が
         死を穢れたものとした
  死者は祟らない
  祟りがあるなら  殺された人たちが殺した人に祟って
     殺人者は呪い殺されている
不幸になっている
  でも
  ぬくぬく 長生きしている殺人者は大勢いる

  捕まっていない人がたくさんいる

   残念ながら  亡くなった人に 呪い祟るという力はない


当事者の声が届かない社会




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自死遺族の会がなぜ保健所を中心に存在するのか

✤.自死遺族のための行政主催の「わかちあい」
公的機関(権力)が個人の心の領域に踏み込むのは 自死遺族を精神疾患として位置付けているから。

他の遺族のわかちあいは公的機関は開催していないことが、その証拠。
自死遺族は特殊な遺族・自死は血筋が要因であるから 自死遺族も自死の可能性が高いという認識


✤.公的機関(権力)は本来、心の領域ではなく、自死遺族等を取り巻く偏見・差別問題の解消に取り組むべきであるのだが
自死の多くは「追い込まれた末」と規定しながら、手を付ける気はない

 自殺から自死という言葉さえも 遺族が要望しても無視どころか 反論する自死遺族支援団体とその団体に事業を丸投げしている自治体がある。
「心のケア」は結果が出ない時は 遺族の責任にできる
法的支援は結果が誰の目にもあきらかにわかるから パフォーマンスではできない。

後追いをする人たちだから 危険な人たちであるという認識のわりに
1か月1回の会でおしまい
普段はかかわらない

 認識している事と 実行していることが伴わない

 全ての自死の対策と同じ

   危機感を煽り 事業の必要性を訴えて税金を確保し
実際は
   救うことなどできない パフォーマンス事業

   当事者以外の人たちは  派手なパフォーマンスと講演で満足

 ギャグのような対策が続けられている

✤全国自死遺族連絡会は偏見・差別問題に取り組んでいる。
がしかし
日本のPostvention専門家は全国自死遺族連絡会の活動を知っていながら、
昨年5月の国際会議で「日本の自死遺族は政治的な発言をしない」と発表

  自死遺族の多くが精神疾患者であって 自分達では何もできない人たち
     半年悲しみが回復しない遺族は 複雑性悲嘆という病気だから 精神科につなぐ
  という構図が崩れてしまうことを恐れているのだろう

  自死遺族も様々
  社会の縮図

    自死遺族はこんなひと!という事は決められないはず


   当事者の声を届けて11年

    ようやく少しだけ 届られる時間が短くなった

     そうすると今度は 支援者たちが
         当事者の声が大きすぎて 聞きたくもないという

     支援と支援者との 闘いの日々

    自死への差別と偏見
   更に支援との闘い

       踏まれて強くなる麦のようになるしかない   

お遊びと本気

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 愛する人を突然失った悲しみを
    ケアしたいと考える人は多い

   なぜ・・・?

グリーフケアという考えは海外でも反対論が根強くあるという
   
  他人の悲しみを勉強する 
  悲しい人たちを救ってあげる

   なんか 幸せに輝いているような 癒し人のような
  神様のような・・・
      崇高な支援をしているような錯覚による満足と幸福感

    他人の悲しみを学ぶって・・・ある意味ひどい行為
無神経な行為

  親しい人や祖父母の死を体験しても
   かなしい気持ちにならない人でなければ 悲しみを学ぼうと思わない
 悲しみを体験した人は 悲しみを学ばなくてもいい
   自分の悲しみだけで十分だから

  私は 幼い頃に 育ての母の親の死や
   かわいがってくれた近所のおじさんやおじいさん おばさんやおばあさんの死を体験した
     友人も級友も 亡くなった
  たくさんの知っている人たちの死を体験して生きてきた

   だから 悲しみを学ぼうなんて考えたこともない

  息子が逝き
 救いを求めて グリーフケアを学んだ
  救ってくれるのかと思ったから

   でも それは救いではなかった

 私の悲しい気持ちを 否定し 苦しめた

   自分の悲しみは 誰にもどうすることもできない
     と 悟った

   悲しみは愛しさと共に

 愛する人の死だから かなしい

  愛しているから かなしい

       愛しい(かなしい)

息子が逝き
       女であることは やめた
ひととして生きているだけ

 生きることの全てを 自死の問題にかけたいと思って生きてきた

    そういう生き方でしか  生きられない

     活動はいのち
いのちを捧げて続けてきた

   覚悟のない グリーフケアの専門家と自負する人たち

     この苦しみと悲しみが ケアできるもんならしてみてちょうだい!
         
       遺族に傷つけられた なんて いう程度では
            お遊びです グリーフケアなんて

   毎日遺族の連絡を受けて  
      毎日 苦しい人からの悩みを相談されて
          寝る時間も 削って 過ごしてきた11年

     相談者に傷つけられたなんて  ことを言うようになったら
     活動はおしまい

    そう思っている

     息子の死を考えたら  たいしたことはない なにもかも

なにをしても 満足感はない

   息子のいのちが ここにはないから

    

「泣いてもいいんだよ」娘を亡くした母の詩




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藍の会のリーフレットに掲載している遺族の詩

 海外の人が感動して6年過ぎた
今送ってほしいとメールが来た
    と
岡先生

不妊治療をして やっとやっと授かった一人娘さんを自死で亡くされたお母さんの詩

「いいんだよ」

泣いてもいいんだよね
だって大事なもの失ったんだもの
辛くて当たり前なんだよね
だって大好きな人が亡くなったんだもの
忘れなくていいんだよね
だって忘れることなんてできるわけないもの
いいんだよね いいんだよね
でも いいんだよ って言われると
ちょっぴりだけど楽になったよ
苦しいの 辛いの 泣きたいの
皆 ”おんなじ”だよ
でも 同じだと解るとちょっぴりうれしいよ
いいんだね いいんだね
泣いてもいいんだね
話をしてもいいんだね
いいんだよ いいんだよ

ケアはしなくていいのでせめて邪魔はしないで・・・

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今年は 事務を少なくできる・・と 期待

 活動を続けられていることに感謝

     健一の写真に囲まれて パソコンに向かっている

   4畳半の縦長の部屋は仏壇と事務室・パソコンと電話と本と書類の山
      事務所が別な場所にあるが・・・そこには個人情報が記載されているものは置けない
       手紙や署名用紙・FAX等々

   今朝も相談電話
       紹介した弁護士事務所が明日まで休みのようで つながらないことに戸惑っていた
    午後は電話機を買いに行く
     (FAX機能が故障 使えない)
      
  昨日は社会福祉協議会に冊子の送付
     明日は今年初めての「藍色のこころサロン」

   数か所にメールを送り・・・手紙を書き・・
     明日の送付の用意をして・・昨年の相談件数のまとめをして・・


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 昨年は 縁の切れた人 縁のつながった人 様々な事があった
今年も 様々な事が多くあることでしょう

    でも
私の最大の悲しみは 2005年の11月から続き
     そのことに比べたら  どんなことも 大したことではない

   
  活動を続けて思うのは

      具体的支援をしてくれる人たちは
   クールに付き合い グダグダしない

        宮城県内でお付き合いのある行政マンも おもしろい人たちが多い

     最も厄介だと感じるのは 「悲しみのケア」を支援とする人たち

      やっぱり  と思う人が多い
                なぜでしょうね

   他人の悲しみに興味のある人って
        自分自身が何かを抱えている気がする・・・

   心底幸せなら 悲しみへのケアではなく  具体的な支援をすると思う

        わざわざ 他人の悲しみに 近づくなんて

  神様のように崇高な精神の持ち主とでも 言いたいのでしょうか

      この人たちの存在が  遺族の活動にとっては大きな妨げ

        遺族が話を聞いてください
とお願いをするくらいの人なら ありがたいのですが   

    私が知り合ったグリーフケアの人にはほとんどそんな人はいない
   
唯一  故平山正実先生だけです

   このことがなければ

    もう少し  活動の時間が取れ・・気持ちが救われるのですが

      何ともなりません

  悲しい人たちを癒やしてあげたい人たちは増えるばかり

    アメリカ人の心を日本人の心にアレンジもしないで
  そのまんま応用する
     意識の低い人たち

   日本で グリーフケアを究めるなら
      日本人の悲しい心を素直に受け止めるところからだと思う

 アメリカ人のデーターによる 悲しみの感情ではなく・・・

  いつか 気付くのでしょうか・・・
 それとも
 気付かずに 権威を持つ教授とシスターのいう事を信じるだけでしょうか

 遺族の声を聴かずに また遺族の声を色付きできいて

  権威に媚びて  遺族をデーターに当てはめて満足するのでしょうか

   今年もまた 現行の自死遺族支援との 闘いです
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45年前

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45年前の健一と私(千葉市)





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 15年前の健一と私(結婚式)








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 孫娘の1歳の誕生日 


  幸せな日々の34年間

  あっけなく 逝ってしまった


   あれから11年

     24時間寝ても覚めても 自死の事だけを考えて生きている

   365日 健一を忘れられない

  ぴったりと私の心にくっついている

 夢でも自死した・・と理解している

   死んだのに  なんで生きて話しているの
    なんで笑ってるの・・・
なんで 帰ってきたの
  本当は死んでないの?
    いや…死んでいるはずなのに・・・と

    夢でも死んだことをおもっている

   会いたいです

   いつの日か 会える日が来るのでしょうか

      あれから約10万時間 自死の問題を考えて生きてきた

        自死という問題の中で生きてきた

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気持ちの悪さに耐えかねて

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熱心なキリスト教の信者さん
  息子さんが自死  20年以上前

私が出会った頃は 息子さんを亡くされて10年だった

   藍の会の設立の時にお世話になった方

 たま~に  お手紙と教会の冊子が送られて・・・

  一言 田中さんになら何も言わなくても この冊子を送った意味が分かると思います・・・と添えて

   いま・・・資料の整理をしていたら
       お坊さんが 遺族に寄り添う・・・という記事や
 「大切な人を亡くした遺族の悲しみと支援」という看護師の講演のまとめ

  何とも言えない気持ちの悪さに イラついている私

 フッと 私に教会が出している遺族のケアの冊子を送ってくれた遺族を思い出した

  彼も 今の私のように 気持ちの悪さにいたたまれずに 私に送ったのでしょう・・ね


    両親をガンで亡くした経験を活かしたいと思い
「子供を亡くした親のケア」を・・という気持ちがわからない

 両親をガンで亡くした経験をと思うなら
  普通に考えたら
   親をガンで亡くした遺族のケア・・・少なくともガンで家族を亡くした遺族の会を立ち上げると思うのですが
 なぜ・・・そこで子供を亡くした親の会の支援に行くのかなぁ・・・・


自死遺族の会を立ち上げた看護師の話もあった

 自死遺族とは・・・を語っている



悲しんでいる人を助けたいと思っている方への提案というのもある

自分でできる悲しみの癒しかたというのもある

   4人の講演のレジュメのような冊子
    内容に流れている考え方は
「グリーフケア」である

   悲しみはその国の風土・文化・が影響する

    日本には日本人の悲しみの抱え方や受け止め方がある

    アメリカ人の悲しみがお手本にはならない

悲しみにそもそも  正しいとか お手本はない

   人はそれぞれ

     子供を亡くしたら  嫌でも子供を亡くした親の気持ちがわかります

     嫌というほど わかりますから・・・悲しいことですが・・・

それまでは 子供を亡くした親の気持ちに興味など持たずに
  幸せでいたらいいと思いますよ・・

     諸行無常を忘れずに・・thQG6K404U.jpg

誰にもできない悲しみのケア

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健一を想う

毎日 こころから消えることはない が
  時々どうしようもなく 深く想いだす

  涙があふれてくる
                 胸がせつなく苦しい


   産んだ時の事
  ハイハイした時の事

   それからそれから

     健一が失恋した時の事

  婚約が決まった時の事

     自分の娘がうまれ  喜んだ日の事

        そして 事故の処理で  運転手に怒っていた事

    自宅療養になって

     松島を船で横断したこと

     遊園地に行ったこと

 一緒に 焼き肉を食べたこと

    あれからあれから  一人 泣いて泣いて泣いて 逝ってしまった

  かなしいなぁ・・・・

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 こんな悲しみを
  言葉にできない悲しみを

    悲しみを知らない人が  どうやってケアしてくれるというのだろう

      この悲しみを  どうしてくれるというのでしょうか

       健一が 生き返らない限り どうしようもないこの悲しみ

    ケアって・・・何?

  悲しみのケアって  なに?

    意味が分からない

       健一を愛している  今も深く深く愛している

   その健一が いない 逢えない

     この悲しいという感情を
   どのようにケアしてくれるというのだろう

   できないことを

まるでできるかのように 語るのは 他のことは許せるが

   悲しみのケアという まやかしはやめてほしい

  期待した分だけ  傷が深くなるから

      悲しみのケアなんてできるわけがないんだから

         誰にも

神様にも  仏様にも

     できない事  それは悲しみのケア

   それぞれに それぞれの方法で 抱えて生きるしかない

  日にちは
  悲しみのごまかし方を上手にしてくれる

   時間は
悲しみからの逃げ方を教えてくれる

それだけただ

19歳以下の自死・毎年800人~900人

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19歳以下の自死者数
学生・生徒
26年 874人  (小学生18人)(中学生99人)(高校生213人)     
27年835人   (小学生6人)(中学生102人)(高校生241人)

平成19年から減っていない  高止まり状態が続いている


いじめの相談は増えている

    いじめられている と 相談しても  相談を受けた教育者はそのままに放置する
なぜ・・
 相談を受けた人が一人で対応をしなければならないから・・・

   例えば  担任が相談を受けた・・として
    主任も教頭も校長も教育委員会も 担任に対応をさせる
担任は仕事が増えて行くだけ・・・
   学校全体の問題として 学校全体で対応する体制がない

  子どもが自死したと知ると 学校は隠ぺい工作に走る

    

学校内で自死した場合でも なんで責任が学校にはないのだろうか

   学校内で 授業時間内で・・・死んでも
       それでも 学校には 全く責任がないとしたら
    学校の安全配慮義務や責務は
      お飾りの言葉なのだろうか

 マスコミに言わないほうがいいですよ
 とか
出世が遅れてしまう
とか
 親の育て方が悪いとか
・・・・言いたい放題

いじめをなくしますから  誰にも言わないでくださいと言いながら

   いじめの対策はしない学校

夏休みや冬休み・春休みが終わり
   登校日に自死が多い

と断言しているが

   要因として挙げているのは 
家庭生活・学校生活・・というふうに 家庭生活をトップに掲載

家庭生活が原因なら  登校日ではなく 休み期間中に増えるはず

   登校日・・という事は  学校に要因があるということ

10代前半は事前に予兆がない・・・と記載しているが
 いじめの相談は増えている

  データーと データーの分析があっていない

  矛盾する

   なぜ 矛盾が起きるのか

それはデーターの分析を重視しての対策ではなく
  担当者の思うとおりに対策を勧めたいから・・・

   ならば データーは必要ない

思うように やったらいい  やりたいようにやったらいい

    自死の予防や防止は あらゆる方向からの視点が必要であり
       多様な考え方が集約されなければならない

   一人の人間の能力で 日本の国の自死の対策を牛耳ろうという野心は横暴である

       自分よりも能力の高い多くの人たちの意見を聞き
          議論し
        そこから いのちが見えてくるものだと思う

   

茶番

1[1]

難しい理屈なんていらない

   人を追い込む社会的要因をなくしてほしい

      人を追い込むのは言葉

   労働時間が多くて 長い
      だけでは
 過労死はおこるだろうが 自死にいたることは少ない・・・

    過労自死の多くは  パワハラが必ず存在する

    人間関係は 人を追い込んでいく最大の要因

     残業しても  いたわりの言葉や
       ねぎらいの言葉が上司や仲間からあれば 自死までには至らない

     家族には心配かけたくないから  愚痴は言わない

      なんとか自分で乗り越えようとする

     それに追い打ちをかけるように  罵声を浴びせる職場

       寡黙な人ほど 追い込まれてしまう

   反論し 労基署に届けますよ・・・と言えたら 自死しない


      学校のいじめも同じ  体罰も同じ

         ことばは怖い

使い方によっては  人を死に追い込む

   しかも ことばは消えてしまうから 証拠にならない

      完全犯罪ができるのは  言葉    

      罵声や ののしり  反論を許さない
 意見を言わせない
        蔑み
           無視
 逃げ場のない 言葉の暴力

     
  やさしいこころで ことばを言えたら
       自死は減る

    やさしい言葉は  丁寧とは違う

  丁寧な言葉で蔑むこともできる

      人を蔑まないこと  差別しないこと

       それができたら  自死は減る

  福祉資源を知ることも大切
 権利を知ることも大切
     福祉資源を利用するには  福祉資源の専門家に教えてもらう

     福祉資源の専門家は 社会福祉士

 どこの県にも  社会福祉士会はある

     ソーシャルワーカーである

   一般的には医療ソーシャルワーカーが知られている   

   社会福祉資源の多くは毎年 手続きや受けられる資格がかわる・・・

   だからこそ  専門家に聞くことが必要

  言葉と福祉資源

 これだけでも  自死は減る

     なぜ簡単なことを実行しようとしないのかわからない

    あえて 理屈っぽく 面倒にしているだけ

    追い込まれた末に 落ち込んだ時の
精神医療の利用方法が間違っている

  精神医療の利用方法や
      薬の知識があれば   自死は減る
     未遂も減る

精神薬を飲んでの未遂に対して
偉そうな   理屈をつけているが
 精神薬を減薬 断薬できたら 未遂はしない

        簡単

無駄な金と無駄な労力をかけて

 減らせない予防と防止の議論をしている日本

  茶番劇を見せられている

   自死した人たちは  あきれている事でしょう

  それが 自死の予防と防止の現実

わかちあいの会と全国自死遺族連絡会

ha_278[1]

2016年5月 東京で開催された 国際自殺予防学会

 自死遺族支援

  アメリカと日本の自死遺族の意識の違い

    日本の自死遺族は自死の社会的問題に関心がない
      という結果

そりゃそうだ   アンケートの対象になった遺族は
       精神保健福祉センターが主催の遺族の会に参加している人たち
それと ファシリティーターをしている保健師や自死遺族支援団体の偉い人

    自助グループを対象としていない

      そもそも わかちあいの会に参加している遺族は 
        まだ社会問題として自死の問題をとらえるまでに至っていない人が多い

    自分の悲しみでいっぱい

       全国自死遺族連絡会はわかちあいの団体ではない

     わかちあいの会と全国自死遺族連絡会を比べる人がいますが
        内容が目的が違うのですから 比較する団体ではない

  全国自死遺族連絡会は活動が主たる目的

 ~自死遺族による自死遺族のためのネットワーク~
全国自死遺族連絡会は、自死遺族の相互交流を深めることにより遺族自身が
まず元気に生きていくことを目的とする会です。
そして
自死した私たちの大切な人のその命を無駄にすることなく
優しいひとがやさしいままで生きられる世の中に変えていくことを目指します

*本会の主な活動*
1. 自死遺族の相互交流を深めることの諸活動
「つながりあう」
2. 自死遺族が運営する自助グループ活動についての情報交換
「支えあう」
3. 自死や自死遺族に関する情報発信と社会啓発活動
「経験を伝える」
4. 自死遺族に関係する機関等との情報交流
「声をあげる」
5. 自殺予防活動 「生きて、と願う」

  5つの目標があります


  わかちあいの会とは違うのです

     わかちあいに参加したことはないけど
        目的に賛同し、登録する遺族は多い

     登録遺族の8割は わかちあいに参加していない遺族

     住所や名前を登録することで 全国自死遺族連絡会の活動に協力してくれています。

       社会活動をしている全国自死遺族連絡会を無視して

        日本の遺族は・・・と 比較するのは いかがなものかと思う

     遺族も様々

      わかちあいの会には 参加しないけど・・という人や
         社会活動はできないという人・・・

     さまざま

       様々な遺族がいることを認めない支援者や支援団体

       支援団体は 社会活動には関心がない
        遺族の悲しみだけが支援の対象

      遺族が法的支援を望んでも  支援はしない  つなぎもしない

 あくまでも 自分たちの支援は 遺族の悲しい気持ちを聞くことだけ

    悲しい気持ちは  どうにもできないことを承知しながら
      悲しい話を聞く
   悲しい話を聞くことは 疲れることだから 支援者のケアが大切だという

     悲しい話以外には 聴こうとしない

    不思議な支援

       遺族が求めることを支援するのが支援者
  自分ができない支援なら  支援できる人たちにつなぐ それが支援

     簡単な事なのに

   悲しい話にしか興味がないらしい

   歪んでいる気がする

      普通に支援を考えたら  普通に遺族が求めることを支援しようと思うはず

         日本の遺族が 自死の問題を社会的視点でとらえていない

        という  偏った論文は 
日本人でありながら  日本の遺族を蔑み
   アメリカの遺族と研究者に媚びている気がする

  何をしたいのだろうか


img_16[1]

自死問題の世界

konashiL[1]

  自死遺族等の差別的取扱い問題

      長年 誰も取り上げてこなかった

    自死遺族支援として 誰も考えていなかった

     2008年から国の機関に要望し
        2010年から法制化運動をはじめ・・

  当事者である遺族の協力を得て
   マスコミに取り上げてもらい   社会に問題提起した

     それまで  いかがわしい活動をしていると批判した人たち・団体
    が
今度は 自分たちこそが 取り上げた問題だといい始めた

      遺族が弁護士に相談して解結したとしても

      差別は根深く  自死遺族支援の本に掲載している民法570条の解釈についても
           自死は瑕疵担保責任を問われる・・・とある

     そんなことを書いた人も  今や 差別問題の専門家のように語っている

  不思議なものです

     排他的団体  いかがわしい法律を作ろうとしている田中
訴訟女等々
     散々 批判した人たち・・・

     協力的になったのではなく

        自分たち 自分が  第一人者と国に申し出て
              委員になったりしている

    魑魅魍魎の世界が 自死の予防や防止 支援には広がっている

      社会的弱者と金の流れのある所には 必ず群がる 強かな人たち

      悲しい思いもせず  叩かれることもなく

       遺族が苦労して 社会に出したとたんに 
                  いいとこだけ さらって 偉そうな地位に座っている人たち

     遺族とともに 手弁当で 活動を続け広げてくれた専門家たちは
         おれが・・おれが 俺たちがやってきた・・とは言わない
   謙虚な人たちがほとんど

      有名になってほしい支援者は  目立つことを望まない人たち

         大したことをやっていない人ほど
          目立ちたいらしい

     ずるい人の勝ち ずるい人が認められ ずるい人が得をする

         コツコツ 地道に実践をしている人たちは
              相談者の遺族からは信頼される

     が  中身を知らない多くの人たちは 目立つ人を信頼する

       世の中って  こんなもの  

今年もまた 目立とうとしていない本物の支援者と一緒に活動を続けて行こうと思う

    専門家も様々
       遺族も様々
  行政も様々  マスコミも様々

      心ある人たちと 今年もつながっていきたい

  こころのあるひとたち・・・

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