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精神疾患は死ぬ病気ではない



野田先生いわく

 本来 精神疾患では死なない

  自死は精神疾患で起きるのではない

 また様々な事件も精神疾患だから起こすのではない


    治療方法に問題がある・・・と

薬物だけの治療
   診断名もいいかげん
 正しい病名がつけられない患者に
 どうでもいいような薬物を処方する

   効能はあまりないが 副作用だけは確実に発揮する薬

     副作用が50種類程度あるのが 普通の精神薬
  効能はなんだかよくわからない

病名はわからないが  とにかくうつ病の薬を処方して 少しでも効果があったら
      その薬の効果があったという事で うつ病という

適当にうつ病と診断し
    薬を飲ませているうちに 病名が変化していく

うつ病から双極性障害という真逆の病気に変化していく
  患者は 納得している

   変だと思わない患者が多い

   真逆の病気になるわけがない

    なったとしたら 薬物による変化

  人間の普通の精神的反応

たとえば
息子が死んで悲しい
  食欲もない 気分がすぐれない 深く眠れない
      希望がない だるい 
            涙が出る 叫びたくなる
      人に会いたくない 話したくない

これで精神科に行ったら 完全にうつ病と言われる

   子供が死んで ルンルン気分で楽しくて楽しくて 人生がバラ色
という親のほうが
     精神病だと思う・・が 違うのだろうか

   死んだ子供が生き返らない限り この症状は消えない

   世間に合わせて 笑えるようになる
   楽しそうにふるまえる
しかし心の底は いつも 楽しくない 悲しい 落ち込んでいる

    それを11年間続けているが 精神科に行ったらうつ病か双極性障害と言われるだろう

   薬物治療をすべて否定はしない・・が
  薬物はずっと飲み続けるものではない

しかも 副作用が50以上もある薬・・・
  副作用で 気分が悪いのか  病気なのかさえ分からなくなってしまう

    薬に支配される人生ではなく

 自分らしい心をもって 人生を送りたい

 悲しみもまた 私のものだから
  息子を愛しているから 悲しいだけだから

    私のこの悲しみは 精神病ではない


  精神科に行き 精神薬を飲み続け
  幸せな人生を送っているなら ・・・それでいい

  長生きできるならそれでいい

  今 精神病院で心不全で死亡退院する患者が増えている

    しかも若い人が・・・

精神疾患は 心臓や血液の病気ではないのに・・

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自死遺族の私

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自助グループを誰も認めようとしないから 自助グループの大切さを伝えてきた
  そうすると
当事者性だけを主張する・・・と言われる

 自死の問題を
精神疾患だけに特化するのではなく
   普通の人を追い込む社会的要因を何とかしてください・・というと
精神疾患は自死の重大な問題だといわれる




  では
自助グループはどんなに活動をしても認めない・・

自死は精神疾患の問題だけでいい・・・

と言えば 文句は言われないのだろうか

   どうして もっと広く 視野を広げて 問題を見られないのかな

   支援者グループもあっていい
 治療グループもあっていい
 でも 自助グループもあっていいのではないでしょうか

     生まれつきの精神疾患の自死もあるでしょう
しかし  多くの精神疾患者は  社会生活を営んでいく中で 病んでいる

    多くの自死者は 普通に暮らしていた人たちが 何らかの社会的圧力を受けて
        精神的に追い込まれて死んでいる

      人間を追い込んでいる社会的要因を問題にせず
    個人の心だけに注目するのは・・・いかがなものでしょうか・・

  と言っているだけです


  被災地では自死の問題はマスコミは取り上げてくれない

震災のことは お願いなんてしなくても
   なんでも取り上げてくれる

   記者から連絡が来るのは 震災で家族を亡くした人を紹介してほしい

 そればかり

  自死遺族の声なんて 自死の予防の話も含めて
     取り上げてくれない

     いつまでこの状態が続くのだろう

      しかも

自死遺族の私の声が大きすぎて 疲弊するという人もいる

 耳障りだと・・・

     自死遺族は 発言せず 黙っていろ・・・ということなのだろうか

   差別以外の何物でもない

自死

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「自死に向き合う」~かいま見た青年の生と死~

斉藤司法書士が書いた文書の最後の部分

自死は追い込まれた末の死であるといわれる
また背景には様々な社会的な要因があるともされている
にもかかわらず、個人をしに追い込んでいく社会が歴然とあり、
自死の結果は個々の遺族や、関わった人々が個人として負わされている現実がある。
・・・・・・・・・
・・・・・・・・

************
自死の背後に精神疾患があった。それ故自死は本人の責任ではない」という主張
過労死訴訟など、自死をめぐる過去の訴訟でも切り札となってきた主張
自死の法的責任が問題となる時 今後も使われ続けるであろう主張

精神疾患によって自死は引き起こされたものだろうか
 なんらかの精神疾患がなければ、死なずに済んだのだろうか

ならば 個人の性格という事になるのか

   社会的要因はどこにあるのか

普通の人を  精神疾患になるまで 追い込んだ要因は問題とされていない

社会的要因によって追い込まれた末の死であると大綱には掲げている
  がしかし
現実は
   普通の人を自死に追い込む社会的要因には 触れることなく
          個人の精神疾患ということでなければ  訴訟等は主張しても ほとんど認められない
企業の責任も 学校の責任も 福祉の責任も  何も存在しない
  
 そして 自死した個人の責任を問い
     遺族に責任を負わせる社会

   故人を追い込み  遺族を更に責める社会

   茫漠とした思いに 虚しさだけが残る

今3時

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木曜日は「つむぎの会」(子供を亡くした親の集い)
  金曜日は遺族の茶話会
   でも 福島県の郡山市に行き、市議会の委員会の傍聴
「えんの会」の代表と一緒に・・・

終わって すぐに新幹線に飛び乗り 茶話会に参加

    8時過ぎまで・・開催

   なぜか 笑って泣いて・・・泣いて笑って・・・

    時間があっという間に流れて・・・

 日曜日は東京に行く 帝国ホテル
  

   社会貢献支援財団からのご招待
      
初めて「藍の会」をお休みすることに・・・

茶話会に参加の遺族に 藍の会のわかちあいをお願い
   皆さん こころよく引き受けてくれ
        ありがたいことです

  2日は「宮城県自死遺族支援連絡会」主催のシンポジュウム
3日は「藍の会」10周年のフォーラム

   今夜は次男と連絡が取れなく  心配で眠れないので 起きている
  さすがに3時になって 電話してみた

    まだ仕事だよ・・・と声を聞いて
     ホッとした

      寝ようかな・・・

 

日程


21日から23日まで
お風呂の改装工事

24日は河北新報に行く  つむぎの会

 25日は 遺族の茶話会なのですが 
  郡山市の「えんの会」の活動応援のために郡山市に行く

27日  藍の会留守にして  東京「帝国ホテル」
  社会貢献支援財団から表彰を受ける
28日も同様


29日は 朝日の取材

1日はサロン

2日 宮城県自死遺族支援連絡会主催のシンポジュウム
3日 藍の会10周年 フォーラム
4日 茨城県常総市 「弘経寺」さんの法話の会に参加
5日川崎市内で合宿のセミナー
  3時に抜けて厚労省の大綱見直し会議に参加
6日川崎市内での合宿セミナー
7日 仙台市「慈恩寺」さんの法話の会に参加
9日茶話会
11日静岡市 
12日東京 自死遺族等権利保護研究会 忘年会
13日みやぎの萩ネットワークの幹事会
15日藍色のこころサロン・みやぎの萩ネットワークの例会・忘年会
17日尼崎市「法輪寺」さん法話の会参加
18日帰宅
22日 つむぎの会 エンパワーメントランチ会
24日藍の会
26日 厚労省の大綱見直しのための会議2回目

多くの頂いたご縁に感謝です

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 どうしてこんなにいい人なの・・という人がいます。

    出逢う事・・と信頼すること
ご縁・・・
    自分でできることは自分でする
自分ではどうにもならないことは 助けてもらう・・・

     自分では何にもしないで  あれもこれも全部助けてもらう・・
        いろんな人たちがいます

    チャンスの神様は前髪だけ・・という

   アンテナを張っていると チャンスの神様をつかめるが
       下だけを向いて 求める気持ちすらない人は
   過ぎた後に ああ~~~と 見送り 
        つかめない・・という

 ダメダメダメ・・とダメばかり思うと ダメが叶う

    信じ・望み  願い  絶対こうなる・・と思い続けたら
        チャンスが見えてくる

幸せは 向こうからはやってこない

     どこに幸せを見つけるか・・・それは人それぞれ

 息子が逝き  息子が生きていたころの幸せはもうない・・・が
     元気で生きていられることに感謝している

 次男も健康で生きていることがありがたい

     不平不満ばかりだと

     家も暗くなる 家族も暗くなる

   息子が逝き   以前のような不平不満は思わない

      当たり前のことが どんなにありがたいことなのかと思うから

      普通のことが 普通にできることが ありがたいと思う

   自死のことに全く関係のない人が 支えてくれる

      また多くの自死遺族にも 支えてもらっている

        ご寄付をしてくれる人もいる

    お花やチョコ等  送ってくれる人もいる

     いつも 会に コーヒーやお茶を寄付してくれる人もいる
      124回継続

         近況を連絡してくれる人もいる

      応援しています・という人もいる

   その時々に  支えてくれた人が大勢いる

    助けてください・・と  何度も何度もお願いをしたこともある

        応えてくれた人もいる  無視もされたけど

     でも  本当に心から心配し 支えてくれる人はいる

    長男を逝かせてしまった私は

      次男は死なせないと思っている

      夫も・・・

     大切に 一日一日の時間を過ごそうと思っている

今日という日は二度とこないから・・

    今という瞬間は 過去だから

     二度と戻れない時間を大切に生きたいと思う

       長男を逝かせた後悔を 繰り返したくないから

   今こうして生きている自分は 多くの出会いに支えられてきました

   ありがたいことです
    

言葉という刃物

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いじめでの自死
パワハラでの自死
  ことばという刃物で 心をズタズタに切り刻んでも
      消えてしまう言葉
        血を流している心は瀕死の状態でも 目には見えない

    その人が死んでも ことばの暴力で追い込んだ人たちは 平気

    完全犯罪の成立

        死なないでください

  悲しむのは あなたを愛している人たち

     あなたを苦しめた人たちは  笑うだけ

          こころは痛まない

     生きて生きて生きて  

   見届けましょうよ・・・意地悪をした人たちを

        追い込んだ人を・・・

    愛している人に 打ち明けてください

      苦しい・・と

         本当に愛している人は  あなたの苦しみを受け止めてくれますから・・

           いきていてくれるだけでいいのですから・・・

       

母の命日にひとりごと

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昨日は息子の命日
 今日は母の命日(育ててくれた母)

 親たち6人は逝ってしまった

     やさしさって何だろう

   美辞麗句・・・綺麗な言葉・・・
     いつもありがとう   どんなにひどいことをされても 感謝
そんな人がいたら
    すごい
でも
     それでは 社会は変えられない

    仏様のことも批判する人もいる

  神様を批判する人もいる

    人って 自分勝手

    批判と意見は違う

  日本人は 意見を言う事を批判ととらえる

 民主主義に慣れていない

    反対意見もあって  議論して 決め従う・・のが民主主義

野田先生いわく  日本人は議論が苦手だ
    反対意見を許さない
怒りも許さない
   大勢への意見は反発と受け取る

いい人と思われたい人が多い

     いい人だけでは社会は ずるがしこい人たちに占領されてしまう
  多様性を認めようとしない社会
     隣国と大して差はない

    声が大きくて 耳障りだ・・と 言われたこともある

  声を大きくして活動しても 自死遺族への差別はなかなか変えられない
     声が大きくて 何が悪いのかわからない

表面ではいい顔して 裏でコソコソいうだけでは社会は変えられない

    公開しての活動を続けてきた
これからも公開して活動はする
     
    個人的批判を受けることもある

      しかし 私はその人たちの個人批判はしない

     活動でのお付き合いは 個人感情を超えたところにある

    怖いといわれることもある

怖いって…意味がわからない

  その人に危害を加えていない
  その人を攻撃していない
 その人を批判していない
   その人と個人的付き合いはしていない

    なのに なぜか 怖いという人がいる 

    息子が生きていたら 頼まれても活動はしていない

   息子が逝き 助けて!と 血の涙の河底で這いつくばって 叫んでも
   誰も助けの手を差し伸べてはくれなかった
      自死遺族として差別され 蔑まれ ののしられた
 
 今も 変わらない構図

    形が変わっただけ

      自死への差別は相変わらずある
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  息子は 相変わらず 微笑んでいる
   しゃ~ないなぁ~  カァチャン
      世の中そんなもんだよ・・・と
のんきに 寝転がっている

      

嫌味には慣れたつもり・・だけど 

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息子の命日

毎日365日
 電話やメールで相談がある
毎日毎日~~~~~~相談は来る

   ただ話したい人・・・
具体的相談の人
     遺族だけではなく  精神医療の相談も多い

   朝から 夜中まで 

  その繰り返しの11年

  もちろん  無報酬

      入院の保証人になることもある
(無職ではなれないので、夫に頼むことになる)
    生活保護の緊急連絡先
   仕事の紹介  行政窓口への同伴や  病院への同伴もある

   米を送ることもある

 洋服を買ってあげることや  たまに少額だけどお金も貸すことも・・・もちろん返ってはこない

    電話で8時間半連続という人もいる

面談で15時間という人もいる

     様々な専門家にもつなぐ

    同席することも多い

     それが苦痛ではない

    つながる人が元気になってくれたらいいと思っている



私の怒りの多くは 支援する人の向けられているはず

  遺族支援をする人が 遺族の批判をするなら遺族支援はしないほうがいい
  と思うからそう言っているだけ

    仕事なら  仕事として割り切ることも必要

遺族支援がボランティアなら  遺族支援ではなくても  もっと楽しい支援活動もあると思う

 あえて 遺族支援を選んでの支援活動なら

    遺族の悪口は遺族に言わないでほしい・・と思う

  悪口を言うくらいなら  遺族支援はしないほうがいい

       と思う



私は 遺族支援をしているつもりはない

   相互扶助  おたがいさまの活動をしている

      だから  遺族とのつながりは
  何時間でも苦ではない

     私にできることは なんでもしようと思っている できること・・だけですが

   お坊さんのことも 自死遺族等への差別発言があるから
        陰で言わずに 要望書や講演等で伝えているだけ
(ブログも私の実名です)

   自死遺族支援の仕事ではなく活動をしている人たちのことも
     陰口ではなく  きちんと伝えている

    堂々と・・・公開討論会を希望したことがある・・・が

 政権交代になって…実現しなかった

     公開討論を望まないのは 遺族ではなく支援者たち・・・

  
  私は 遺族になりたくてなったのではない

    遺族をやめたいが やめられない
だからこの活動を続けているだけ

  

命日の日のブログへのコメント・・やさしい人です!?!?


>
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息子の命日の本日
   私のブログへのコメントです

私は神様ではありませんので 何をされてもありがとうと言えません

 やさしそうに 傷つく言葉がつづられています


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なんだかいつも怒ってばかりですね…


息子さんの気持ちは息子さんにしかわからないですが、自分を傷つけたり、気に入らない考え方の相手に対して自分が人として正しい考え方のように書き、暴言を吐いてる母親を見て喜ぶ子供はいないと思います…


子をなくすというこれ以上ないくらいの悲しみを経験したからといって例え相手が気に入らなくても他人に暴言を吐き許される免罪符にはならないと思います。

辛いこともあるだろうにいつも感謝の言葉を口にし、優しいお母様のブログを見ると自死したこの人の子の為にもこれ以上自死する人や自死による遺族が増えませんようにと思えます。



怒りで相手を攻撃する人間の子を可哀想だな、自死がなくなってほしいな、協力したいな、とは思えないと思います。


相手がどんなに頭ごなしだろうが、頭が固かろうが、優しくなかろうが、その相手に対して悪口を言ってしまうことは簡単で、同じ土俵の人間になってしまいます。


人に優しさを求めるなら自分に優しい人にだけ優しくではなく誰に対してもその気持ちがないと、優しさは連鎖しないし、自死を選ぶ人は減らないと思います。

息子さんがお空で楽しく過ごしていること願っています。
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 息子の11回目の命日にこのようなコメントありがとうございました。

11月という月

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みやぎの萩

  昨日の夜は みやぎの萩ネットワークの幹事会
    終わっての雑談の時に
 司法書士の草〇さんが 11月が息子の命日ということを知ってくれていて
    私の気持ちに寄り添ってくれたことに感謝でした。

私の遺族としての想いに心を寄せてくれる支援者は数少ない

昨日と今日

   岩手県の遺族からも手紙が届いた
 埼玉県の遺族から メールが届いた
    鹿児島県の遺族からもメールが届いた

茨城県の遺族から 野菜が届いた

   なにか・・・不思議

 昨日はスーパームーン

    息子が逝った日が満月

その年に朝方に沈む 大きな月を見た(寝ぼけていたのか・・朝の太陽と勘違いした事を覚えている)

   輝く月を見た(息子が逝く前の2日間)

    月が大好きだった私だけど
  それからの月は過呼吸になりそうなくらい悲しい存在

11月
   信頼していたお坊さんから 退会という封書が届いた

     なんでこの時期かな・・・・!と 心が痛い日が続いていたのだが

      昨夜の司法書士の草〇さんの思いがけない言葉に
          胸がいっぱいに・・・
そして
   メールや手紙と続き・・・

世の中 捨てたもんではない・・・
  私なんかより 細かい心遣いのある人たちが大勢いることを知りありがたかった

    連絡会を支えてくれる人たちもたくさんいる

   連絡会を必要としてくれる人たちも大勢いる

     気持ちを原点に戻し 頑張ろうと思う

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遺族の気持ち

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遺族の気持ちとは            全国自死遺族連絡会
                                 
遺族から聞く訴えや要望を集めました
◆簡単に励まさないで
「そのつらい思い、わかる、わかるよ」と、親切心からの言葉だと 思いますが、このつらい思いがかえって軽んじられるようで、一層つらくなります。「若いんだから、まだまだ先があるから・・・前を向いて・・・」「生かされてやるべきことがあると思うよ」と言われて、亡くした人を軽く考えられているように感じました。


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◆今の気持ちに心を寄せて
「昔から“時薬”と言われているように、いずれ時間が経てば、必ず気持ちは楽になりますよ」と慰められても、今とてもつらい思いをしている自分には、何の慰めにもなりません。今がつらいのです。

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◆善意の押し売りはやめて
善意から慰めようとして薦めてくださるのでしょうが「何々などの趣味は心にいいですよ」「外にでてお花でもみたり、ペットを飼われると、アニマルセラピーとかで、心が癒されますよ」等と、押し付けないでください。自分がこれまで好きだった趣味さえ気持ちが向かないのに・・・

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◆他の子が代わりだなんて言わないで
「あなたにはまだ、もう一人子供がいるではありませんか、その子を代わりだと思い、なくなった子供の分まで大切にしてあげて」と諭されたとき、どんなに傷ついたことか。亡くなった子の死を悲しんでいるのに、そのようなことを言われ・・・

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◆何処で、どのようになどの質問はしないでください
「なぜ、そのようになったのか」というような理由は詰問しないでください。そのことが、どれほど私の心をズタズタにしてしまうか、わからないのですか・・・
遺族がしゃべらないことは、あえて質問しないでください。

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◆私の大切な人が、あの世で苦しんでいるなんて言わないで
遺体が見つかっていない遺族や、葬儀や埋葬をしていない遺族に「成仏していない」とか「天国にいけない」などは言わないでください。
「死に様はいろいろあるけれども、死んだら皆平等です。亡くなった方は全て安らかですよ」という宗教者の言葉で心がほっとしました
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◆グリーフケアとか心のケアとか言わないで
遺族のケアってなにをするつもりですか
大切な家族が亡くなって、悲しいのはふつうです。悲しみを取り除こうとしないでください。遺族の悲しいは「愛しい(かなしい)」です。深く愛しているから深い悲しみがあります。
記憶は消えませんし、消せません。愛は消せません。
亡くなった人が生き返らない限り自分たちの回復はない!と遺族は思っています。「ケア」と言われるたびに傷ついていること、知らないのでしょうね。
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◆疲れない距離で接して
人と会ったり、電話で話したりすること自体が大変な負担でした。気持ちの負担にならない距離で,会わなくても気にかけてくれているのが伝わると、安心できました。こちらのペースでやり取りできる手紙やメールがありがたかったです。

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◆こちらが話すまで、死について触れないで
故人や死に関連する話題は、たとえ、どんなにためになる話でも、拒絶反応がおきました。私が死について触れる話をしないときは、そっと、さりげない話がありがたいです。(季節の話とか)

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:みんなが同じなんだからあなただけが辛いんじゃない・・・
:仕方のないことだった・・・
:いつまでも悲しんででも仕方ない・・・
:市にたてついてそんなにお金がほしいのか・・・
:親がいつまでも悲しんでいたら犠牲になった子供がかわいそう・・・
:責任は誰にも問えない・・・
:もう大丈夫だから元気になったとなんで言えないのか周りのために・・・

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◆安易に精神科医療を勧めないで
精神薬を飲んで、ある日肉と骨がバラバラになる感触があり、怖くてやめました。それ以前に、悲しい自分の心と、テンションが高くヘラヘラ笑っている自分との違いに、自分を責めて生きている資格がないと思った時期があり、薬をやめてから普通の悲しい自分でいられています。(心のケアの人に勧められて精神科医療機関に通っていました)
薬を呑んでも悲しみは薄くはなりませんでした。よけいに苦しかった

若い人の死

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ことばにできない悲しみ
   今も続いている

   笑った後に襲う虚しさ

    どこを探しても 息子はいない

 交通事故で若者の死亡が続いて報道された

    親はどんな気持ちだろう・・と思う

  テロで若い人たちがたくさん死んで逝く

   自爆テロ・・・親はどんな思うだろう・・・

 子供を産んで育てる・・・親の気持ち

 若い人たちの死はたまらなく悲しい

    どうして 人は人を追い込み 傷つけ 死に追いやるのだろう

 人を蔑み 差別し
   また 権力を得たいために 領土を拡大したいために
       金を得たいために
  人を追い込めるのか  わからない

     人は必ず死ぬ

死ぬときは 何も持って行かれない

   どんなにお金があろうが

   どんなに権力を持とうが  死んだら同じ

あの世に 権力は通用しない

    あの世にこの世のお金は通用しない

 いじめて 楽しい人の気持ちがわからない

  差別して楽しい人の気持ちがわからない

    知らず知らずに 傷つけることはあるかもしれない


  いじめやパワハラは 意識しての行為

  差別も蔑みも  意識してやっている

     精神科医療が栄えたら 世の中は最悪の方向に進む

   やさしい人が損をする社会

    悪が栄える社会

     希望の見えない社会

  頑張ってもどうにもならない社会

     どうして こうなってしまったのかな
いつからこうなっていったのか・・・

     自死・・・

       息子は 死という事での別れを 遺して逝った

    その 遺して逝った思いを 全部受け止めて 
       あれから11年  生き  活動をしてきた

    被災地で どのように伝えたら自死の問題が伝わるのだろう

      力不足を痛感する  
        
  

11月13日

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お腹も胸も 締め付けられるようで 苦しくて眠れない
 布団に入ったが 11年前の今日は生きていたと思ったら・・・・寝れなくなった

 今なら…11年前が今なら・・・
   毎日 息子にメールを送り、電話をして・・・連れて帰った・・・
      生きていたと思う
なんて愚かな時間を過ごしたのかと今更に思う

    泣いて泣いて 一睡もせず 飲まず食わずで 苦しんでいた息子を
      思い出しもせず  のんきに暮らしていた

   メッセージはあったのに・・・

 11年前の今頃・・・月の明かりがきれいで 眠れずに起きて
   夜中に月を眺めていた

なんて綺麗な月なのか・・と

   二日続けて  夫を起こしてまで  月を眺めた・・・夜中に

      その時  息子は眠らずに苦しんでいた

  それなのに 何の行動も起こさなかった

     助けられたいのちだった  そう思う


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亡き人たちを 蔑むことは人でなし

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 我が家は浄土宗
      私の実家は日蓮宗
   生んでくれた母の実家は浄土真宗
      父方は曹洞宗
  よく遊んでもらったに実家の隣は天理教の教会
 (天理教の経典もよく読んだ)
      高校時代に読み漁ったのは 聖書
   息子が逝き、読みまくったのは 仏教の本
般若心経の解読の本もいろんな人のを読んだ

    ご縁を頂いた 浄土宗のお寺さんにことばをかけてもらい
       今を生きている

宗教者も人それぞれ
    行政の人たちもそれぞれ
  仕事ではなく 肩書でもなく

    人はそれぞれ

岡知史教授の「知らされない愛について」のような 愛のある人のようになれたらと思う

   人に説く人たちは  謙虚であること・・と思う
「泥棒にも3分の道理」という言葉がある
  一人ひとり 全員  良いところもある  
      でも
人と接する 人を導く 仕事にある人は
「知らされない愛」を持てるような人に・・・と思う

   仕事や活動は 個人的感情は抜きでしなければならないと思う

     浄土宗は南無阿弥陀仏の教え
          本願を達成したからこそ阿弥陀仏となられた阿弥陀様がご本尊

        自死は浮かばれないというお坊さんがいる
             自死者の葬儀も行っているという
  自死だからこいつは浮かばれないと思いながら  「南無阿弥陀仏」と唱えているのだろうか。

  それなら 葬儀は必要ない

      無宗教になる人の気持ちが理解できる

     誤解されると困るが  私は小さい頃からそれなりに信仰心は厚いと思っている
が・・・
   自死した息子を 成仏できないと 浄土宗のお坊さんに言われたことは
           忘れられない
      我が家の菩提寺の住職は 阿弥陀様が西方極楽浄土に連れて行ってくれています
       往生していますよ・・と いつも言ってくれる

同じ 浄土宗でも 人によって 自死への差別発言がある
     
    曹洞宗も それぞれ  本当に人は様々

      心ある人もいれば 心ない人もいる

   グリーフケアや宗教…警察・保健師・・・様々な職業の人たちに意見を言う私ですが
    個人攻撃はしない
     仕事等の専門家としての発言には厳しくいう
        
     日本の自死への差別的問題の根っこにあるのは宗教的絡みがあるといわれている

   自死は穢れている
     おぞましい  祟りがある  お化けになる
    浮かばれない  成仏できない
          気味が悪い  等々

   それらの言葉の底にあるのは  ・・・

      あの世に行けない 気味の悪い死 

    葬儀は何のために・・・戒名は何のために  お念仏は何のために

     お坊さんが 気味が悪い ・・・成仏できないといったら  葬儀はしないほうがいい
         
     法を説くことばも 偽善に聞こえてしまう

      こころは見えない
  だから言葉は大切

   12月は法話を聞く会に3回参加する
      法話を説くお坊さんの心は見えないのですから
     ことばでは 本願を説いてほしい
阿弥陀様の教えを言葉にしてほしい  
そしてせめて 遺族のいる場所では 自死は成仏できないといわないでほしい
        遺族のいないところで 亡き人たちを批判してもいいですから・・
亡き人たちは 極楽浄土にいますので 
     生きている人たちの暴言も蔑みも 許してくれますよ・・・
         自死者が成仏していないという皆さん。

継続してこその活動

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亡くなった長男が大好きだった花
 
   今月は11回目の命日

 命日の月に 信頼していたお坊さんから 退会の手紙が届いた

    みやぎの萩ネットワーク

       一人・二人・・と退会していく

    が・・・新たな参加もある

 活動は継続が力である
        どのようなことがあろうとも 決してくじけない あきらめない  続けて行くこと

   依存症もやめるのは簡単だ・・と 松本俊彦先生は講演で話していた
     やめるのは簡単だが 継続することが難しい・・と。

 活動も 始めるのは簡単
   継続が難しい

支援も するのは簡単
   でも 続けての支援は難しい

   ボランティアも同じ

    変わらぬ姿勢で 続けて行くことは 難しい

     私の活動は 息子を亡くしたことが原点
息子が生き返らない限り 続けて行こうと思っている
  だから 続けられている

    変わらず・・・ずっと・・・

   声が大きすぎて(伝え続けること) 嫌悪感すら感じるといわれることもある

しかし 声が枯れるほど 大きな声で伝え続けても
      伝わらない世界がある
10年 同じことを言い続けて ようやく 少しだけ 国も含め自死の問題に変化が起きてきた

    声を出せない 自死遺族がほとんどである

     それでも 11年前よりは  声をあげる遺族も増えた・・
   でも ほんの一握り

    自死遺族の声は 他の遺族の声よりも  世間には届かない

   先頭に立ち続ける 自死遺族として
         必然と声は大きくなる

     小さな声で 控えめにしていたら 自死の問題なんて誰も見向きもしない

しかし 嫌われることも多い

   私の活動が嫌いな 人たちもいる

       でも応援してくれる人たちも大勢いる

    活動は私的な感情は抜きにしている

      個人的な好き嫌いの感情をそのままにしていたら活動はできない

       来るもの拒まず  去る者追わず

    息子の死に顔が原点の活動だから

      続けていくだけ      

       

12月の法話の会

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日時 2016年(平成28年)12月4日(日曜日)
   13時30分~17時00分頃
会場 弘経寺(ぐぎょうじ)本堂
   茨城県常総市豊岡町甲1番地
   0297-24-0895
参加費無料

 浄土宗布教師からの法話を聞き、その後、法要の中で、皆さまでお念仏をお称えし、亡き人のご回向をする集いがあります。
 大切なご家族を亡くされた方なら、どなたでもご参加頂けます。(病死、事故死、突然死、自死、災害での死、交通事故・過労死、犯罪死等)
 信仰や宗派などは問いません

*ご回向される方はお名前、没年月日、年齢、法名など、書ける範囲でお書き頂きますので、ご準備ください。
*法要終了後、新書院にて茶話会も行います

 

  12月4日   茨城県常総市 弘経寺
 12月7日    仙台市      慈恩寺
 12月17日  尼崎市      法輪寺

    3か所に参加予定です。

自死遺族の自助グループを立ち上げた思い・・・

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4日に東京に行き、泊まり・・・
 5日6時過ぎの新幹線で仙台に戻り~自宅
  10時過ぎの新幹線で奥州市へ~~~
     岩手県の9か所の保健所管轄のほとんどに招いてもらっている
   息子を亡くした11年前  岩手県盛岡市に「りんどうの会」
          福島県福島市に「れんげの会」 東京に「生と死を考える会」
              東京に「小さな風の会」とクローズの開催で「青い空の彼方」があった

     青い空・・・は閉会 小さな…も閉会
  れんげの会は 遺児が中心に・・・  

 さすがに行政が仕事で開催している会は
   業務としての開催なので 広がってきた

  ボランティア団体や行政が開催する会があっても
      自助グループが立ち上がり 普通に開催したら 多くの遺族は自助グループに集う

 裁判等で闘う遺族は闘う団体に集う
   
いじめ・・・過労自死
    原因が明確にある自死・・
      そこに特化しての団体もある

         何が原因なのか特定できない自死もある
   その人たちは 誰にも支援されない…それでいいのか・・
      そう思った
   お金と時間のある人は 遠くの会にも参加できる
     しかし 事情があり遠くまで出かけられない人は 一人で抱え込むしかないのか
 そんなことを思った

近くに欲しい  歩いて行ける場所に欲しい
   遠いなら 手紙もある メールもある 電話もある
        そんな思いもあった

    自死遺族の多くは 自死という事を隠している
      そんな人が 訓練を受けているとはいえ 他者に自死という事を言えるのか?
    幸せな人に いきなり 自死遺族といえるのか・・・
       そんなことも考えた

   今朝はここまで~~~
これから
藍の会10周年の会で配布する冊子の印刷に出かける

  昨夜 表紙は印刷済み
       
帰ってから また 続きを~

藍の会 10年が過ぎて 




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藍 の 会

~自死遺族の自助グループとして10年が過ぎて~
「喪われた命の意味とは」
✤✤✤自死遺族が語る亡き家族への想い✤✤✤ 
12月3日(土曜日)14時~

場所:TKPガーデンシティ仙台勾当台
~仙台市役所前勾当台広場西側ビル3階~
    (1階右側にローソンがあります)
バス*県庁市役所前 地下鉄*勾当台公園駅 徒歩2分

参加無料
途中参加・途中退席可

問い合わせ:090-5835-0017 田中

不思議な日本の自死遺族の活動の研究

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今後
大綱の見直しが行われる
   全国自死遺族連絡会  は 委員として参画する

    昨年度までの 内閣府の対策委員に任命されるには 
                    6年間要請しつづけた
     今回は1度の要請で決まった

       自死遺族支援という対策が大綱に組み込まれているのに
                 自死遺族の当事者の全国組織団体が委員に選ばれなかったのである
        わかちあいの会ではなく  全国団体として活動の実績があっても 
                     国は入れなかったのである

    日本の自死遺族の指針を作り 自死遺族の研究をしていると自負している組織ですら
          全国自死遺族連絡会の活動を無視して
日本の自死遺族の活動は アメリカの自死遺族と違い社会活動をしていないという論文を発表している
     
    全国自死遺族連絡会の活動をよ~~~く知っている人たちが 
日本の自死遺族は社会的活動はしていないと断言して論文を書いている

  私とは11年間つながりがあり
       一緒に酒も飲んだことも何度もあるし
       シンポジュウムで一緒に講演したことや
ゲートキーパー養成講座で一緒に講演したこともあり
      インタビューにも協力したことがある人たちが 私たちの活動を無視し
          全国自死遺族連絡会という会すら無いことにして
今年の5月に 国際自殺予防学会で論文を発表した

     今度 会ったら 問いただしてみるつもりでいる

   どんな意図があって 全国自死遺族連絡会の活動を無視したのか・・・と。

研究者が現実を無視して 研究論文を発表するなんて 研究者としての資質を疑う

    自分たちが困ったときは  全国自死遺族連絡会の力を貸してほしいと頼んでおいて
              
           会うつもりでいる

    自死遺族は英語の論文を読めないと思っているのかもしれないが

      遺族も様々・・・・翻訳を仕事にしている遺族もいる

          上智大学の岡知史教授に協力して
 海外で 私たち日本の自死遺族の活動を論文で発表してもらってきた
     海外で岡先生の論文は評価を受けている

    実態を見ないふりして 一部分しか見ない 現実からかけ離れた研究の発表は
      恥をかくだけだと思うのだが・・・どんな思惑があり 私たちを無視したのか興味深い

   敵対するつもりはない
 あまりにもおバカすぎてお話にならない行為だと思っている

      自死遺族の自助グループの活動こそが 社会活動もしている

   悲しみのケアというだけの   自死遺族の支援団体や行政の活動は社会的運動はしていない
      それは 岡教授の論文に書いてある

     行政(保健師)の会は 仕事
       時間内だけのお付き合い 目的は悲しい気持ちへの支援
          話すだけの集いである

     支援者(ボランティア)の会もまた 悲しい話を聞くだけの集い
         遺族への差別や偏見 を
              是正しようという気なんてない
      いじめやパワハラ・・・の問題も 改善しようという気はない

      ただただ「大変でしたね」「おつらいですね」と 
    時間内で聞くだけ

   どちらの会も 会を開催している時間だけのお付き合い・・つながり

  それは 仕方がない

   当事者ではないのだから

    当事者本人の会は わかちあいの時間以外のつながりも続く(遺族が望めば)
       相談にも乗る アドバイスもする
  弁護士も紹介する  ランチ会もする
       入院の保証人もうける時もある
    生活保護の連絡先にもなる・・・仕事の世話をすることもある

    葬儀の手伝いに行くこともある・・・

遺族が元気になれることなら  なんでも・・という活動

      川〇さん  お会いして 無視した理由をお聞きしたいとおもっていますのでよろしくです

11月8日 0時

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神戸新聞の記事
     自死という言葉で掲載してくれていた

 沖縄から北海道まで 各地域の新聞社に「自殺」から「自死」への変換のお願いを書面で送った
    個々の記者やジャーナリストは「自死」という文字で書く人も増えてきたように思う
漫画家も自身の漫画で「自死」と書いている人もいる

     自死という言葉が主流になった時 本当の意味の自死対策ができたといえる
         遺族が求めている支援を無視して
              遺族の支援をしているとは言えない

 支援者だけが納得する支援を押し付けてもそれは遺族の支援ではない
     支援の対象者である遺族の求める支援をできる限り実現することが支援である

遺族が自死という言葉での表現を求めているのに
   あーだこーだ・・と屁理屈を並べて  自殺でいいという言い人はもはや遺族の支援者ではない

    そして遺族も様々であることを 理解せずに
        一括りに決めつけての支援は  傲慢ですらある

 社会には様々な人たちがいる

 それと同様に 遺族も様々な人たちがいる

          一人ひとり違う

    お互いに認め合いながら  生きていけたらと思う

     かわいそうな人たちではない
 哀れな人でもない
       悲しみを抱えた人たち・・・
     悲しみを抱えている人イコール可哀そうな人ではない

     幸せな人たちも いつ 悲しみが訪れるかわからないのが人生

        親もいつまでも生きてはいない

  いつかは 別れがくる     子供も自分も病気や事故にあわないと誰にも保証できない

       認知症になったり  ボケたりするかもしれない

          死ぬまで 毎日が楽しく ルンルンと暮らす人なんていない

       諸行無常・・・明日のこともわからないのが人生

            生きていることは奇跡

   息子を失い  あの頃の幸せを感じる

      幸せだという事に気付かず   不平不満ばかりだった

自死遺族は1年間に15万人と言われている
   10年で150万人 20年で300万人

    自死とカウントされていない  行方不明者  身元不明の遺体
            不審死の遺族
 合わせると 1年間に遺族等は50万人ともいわれる
    10年で500万人 20年で1000万人の遺族
  決してマイノリティーではないのが自死とその遺族

   自殺ではなく

 自死という言葉をもっと広げていきたいと思っている    

11月7日 ひとりごと

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 金曜日は東京で「円卓会議」
    土曜日は奥州市に行ってきた

    新たな遺族との悲しいご縁

   毎日のように 遺族からの連絡がある日々・・・10年半

     減っていないと感じる

 なぜ・・・ それは具体的対策が実行されていないから
    債務問題の自死は具体的対策が打ち出されてから 確実に減ってきた

しかし 過重労働も パワハラも いじめ・精神科医療の問題も含めて
     普通の人を追い込む問題は 何も具体的対策は実践されていない

  その時その時の 対処さえできていない   

      言葉の暴力
   言葉の嫌がらせ  言葉によるいびり
      ことばの犯罪
   ことばでの蔑み  人格否定   無視  

そして 顔に表す嫌いオーラ

    どうして 人は人をいじめ 蔑み 無視するのだろうか

     その人の悪いところだけ 探して悪口を言うのでしょうか

           人を追い込んで 幸せを感じる人

    理解できない心理です

          やさしくしなくてもいい

       意地悪をしないでほしい  と思う

      人を差別しないでほしいと思う

           ことばは大切

        人をだますのも言葉
                      人間が作った言葉
      人間が作った社会 
          目に見えないものに操られて 人は人を追い込んでいる
            この世には目に見えない魔物が住んでいる…そんな気がする
       その目に見えないものに 操られ 人を追い込んでいる人たち
           心が汚れているのだろう
                   
  今の社会は 心が汚れていた方が 心地よいかもしれない
       やさしい心の人たちは  住みにくい気がする

     適当に  いいかげんに  要領よく
          ずるがしこく  無責任な人の方が 幸せに生きられる社会・・・

    それでいいのかな・・・

          今月16日 長男の命日 11年
   11年前の今に戻りたい
   ドラえもんのどこでもドアがほしい
      タイムマシンが欲しい
              11年前に戻れたら  死なせない絶対に・・・