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9月10日 第9回 全国自死遺族フォーラム 開催のお知らせ


9月10日(土曜日) 第9回 全国自死遺族フォーラム 

日時 2016年(平成28年)9月10日(土曜日)
時間 12時30分~16時30分
会場 郡山商工会議所 中ホールA
    郡山市清水台1-3-8
    024-921-2600

プログラム
12時30分 開場

【第1部】 13時30分~14時30分
 基調講演 岡 知史 先生

【第2部】 14時30分~15時00分
 裁判を終えて 遺族より

【休 憩】 15時00分~15時15分
 休憩

【第3部】 15時15分~16時30分
 全国自死遺族連絡会から報告
 各地の自助グループから
 自死遺族等の権利保護研究会から

16時30分 閉会


入場無料・事前連絡不要です、どなたでもご参加いただけます

フォーラム終了後懇親会も予定しております

遺族の方を含めて多くの方のご参加をお待ちしております

詳しくは 022-717-5066 田中 までお問い合わせ下さい

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本日・藍の会 自死遺族の集い

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今日は藍の会
自死遺族の集いです

  自死の予防や防止対策の中心にいる人たち
   自死の問題が仕事
 自死が減ると仕事が減る
   しかし
減らないと困る(実績にならない)
 適度の減って 適度に増えることが彼らの理想

   仕事にならないと困る 

   自死の対策だけが仕事になっている団体は 
       減りすぎたら 仕事にならない

     仕事が減ったら 生活に困る

NPO法人に努めて仕事にしている人が
   ひとつのNPOに10人いたら
一人35万円(手取り)として(実際は38万円らしい)
 1か月給料支払いだけで350万円
 家賃や雑費・・交通費 その他経費を入れたら
 1か月の支払い
  約500万円
 1年間 6000万円になる

そのほかに 代表の生活費
   
 有名な自死の予防団体  おそらく1億円以上の収入がないと運営はできない

   それでも足りずに  今年度厚労省に移管後は
        国補補助金をもらっても 何をしていいのかわからない地方行政の
  委託事業を多く受けるだろうと思う
    東京都の  一部の区は3000万の業務委託をその団体にしている
 自死は減っていないが  先駆的事業をしているという宣伝もその団体がしてくれている

    持ちつ持たれつの関係

 「自殺は金になる」 と言って 代表は 仕事をやめ今の団体を設立している
かれの思惑通りに 収入は増えている

   自死の予防なんて 何にもできていない

せいぜい 頑張った問題は サラ金闇金 の問題
 債務の問題は具体的解決策が講じられてきた

しかし
多くは  精神科にまるなげ  精神薬にまるなげ

      いじめも 過重労働も
  育児も 介護も 遺族も
 なにもかも 個人の気持ちの問題にすり替え
   精神科を勧める
地震で家が潰されても精神薬
  住む家がなくなっても精神薬
    仕事が無くても精神薬
仕事が決まらないだけで精神薬
  離婚で落ち込んだら精神薬
  介護でつかれたら精神薬

老人性の痴ほうにも精神薬
   認知症にも精神薬
脳こうそくでも精神薬

 不登校にも精神薬

   落ち着きのない子供にも精神薬

忘れ物が多いと精神薬

かぞくを亡くしてかなしい人にも精神薬

  助かるわけがない

 精神薬は悪魔の薬
  精神薬という薬は存在しないという精神科医もいる
 
 精神に効く薬はないのです

    麻薬・・・劇薬

副作用は確実に100%出る薬が精神薬

  その多くは 死にたいという気持ちが増幅される

死は恐怖
 しかし精神薬は 恐怖心を一瞬忘れさせてしまう

   自死遺族の悲しみさえも 精神疾患だという支援者たち

 罠にはまらないでください

    罠にはまって 死んだ息子
 罠を勧めた無知な親 わたし

 二度と 罠にははまらない

      精神薬を飲んで いいことはひとつもない

支援団体はそんなことは言わない
なぜなら
製薬会社からのお金も得ているから
   製薬会社は助成金等の援助をしてくれている
    私はもらわないから言える
お金をもらったら 批判はできない

   他の活動と違い
 自死の活動は減ることが目的
  活動が必要でなくなることが目的
しかし
収入源がその活動しかないとしたら
   活動の目的である自死を減らすことは
  活動も減ることになり
      収入も減る

 だからこそ
 利害のない活動をしなければ
 純粋に自死を減らす活動にはつながらない

    それが 他の活動と違うところである

明日は早い

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明日は水戸市に行き さざれの集いで講演
 茨城県で活動をしている自死遺族の自助グループです

 夕方水戸から大阪に行き なんばに泊まって月曜日に高野山に行きます
    差別問題の講演

 講演の要項を整理しています
   90分の講演は
話しが飛んでしまいそうなので  整理していきます

話したいこと 伝えたいこと 知ってほしいことがありすぎて
  うまく簡潔に伝えられないことが多く
  講演の後はいつも 落ち込みます

  自死ということを知らない人たち
    もちろん 差別があることも知らない人たち 
  どんな言葉でなら 伝わるのか・・・といつも思う
   
   当事者にならないと 気が付かないことが多い

息子が生きていたころは 無関心だった自死

    なんで死ぬのかな・・・
生きていたらいいこともあるのに・・・
  なんて 無責任なことを考えていた

  自死についての差別や偏見などなかったはずなのに
     息子が亡くなって
 活動をしてから 差別と偏見の洗礼を頭から受けた

    衝撃をうけた
 世の中はこんなふうに見ているんだ・・と

    国もこんなふうな概念を持っているんだ・・と

   亡くなったけど 柳田邦男さんも姜尚中さんも  高史明さんも 自死遺族
     それらの人には 見せない顔で 他の遺族を差別している世間
 彼らにも
 知識のない人といえばいいのに
  貧困層だといえばいいのに
     おぞましい死だといえばいいのに
  穢れた死だといえばいいのに
    文章も理解でjきない人だといえばいいのに
      浮かばれないといえばいいのに
  彼らには言えない世間
   弱い者いじめの世間

     私たちは幸せだった
        息子も幸せだった

   あの事故 あの仕事  あの上司

  あの時さえなければ 今も幸せに生きていた

     どうして 息子が自死したというだけで 蔑まれなければならないのか理解できない

   家族が自死したというだけで 蔑みを受けなければならないのか わからない

       なぜ気味が悪いと言われなければならないのか意味不明

社会は
 やさしい人を追い込み 苦しませて死なせ
    遺族をも 追い込んで苦しませている

 なにが美しい国日本だ

    人を大事にできない国は美しくない
     死者を大切にしない国は美しくない

    見た目だけの美しさは メッキと同じ

       あ!今日も憤っている
        お兄ちゃん ごめん

岡先生のエッセイを読みます(^◇^)やさしい心になれるように     

死にたいという言葉

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死にたい気持ちに寄り添って
 という標語があります
 支援者たちはよく使います

  大嫌いな言葉です

差別用語だと思っています

   死にたいという気持ちを持つ特殊な人

死にたい人なんて 変だよね・・・
  死にたくないのが普通なのに 死にたいなんて 意味わかんない
   死にたくて死んでるんだよね
   死にたいんだもの・・・
 そんな意味合いをもつ言葉

   死にたいという言葉をよく使い日本人
       もうやだやだ 死んだほうがまし
         死んだほうが楽
  生きてるほうがしんどい
      生きてる方が地獄

    じゃぁ なんで地獄で生きてるの?
      死んだほうがましなら なんで死なないで生きてるの?
  楽なほうがいいよね 誰でも
    死んだほうが楽だけど
   頑張って死なないで生きてる私ってすごいでしょ
   とでもいいたいのかな・・・

   死んだほうが楽なら 人類は滅びてるよ昔々に・・・

    人間は誰でも苦労はしたくない
  楽して幸せに生きたいと思う
     
 死んだほうが楽という言葉は 自死した人を蔑んでいる
   楽な方に逃げたって・・・
  死んだほうが楽なら 死んだらいい

      死ぬほどの苦しみは 生きている私たちにはわからない
 どんなに苦しいと思っても 生きているから

   ご飯も食べてる
 お風呂にも入る
    寝る・・・しかも布団にくるまって

 朝から晩まで24時間一秒の休みもなく 苦しんでいたら人間は生きられない

    生きているということは 苦しみの休憩 苦しみのシャットアウトができている

    ご飯を食べるという行為は 死ぬほど苦しいのだろうか
        お風呂に入る行為は 死んだほうがましなのだろうか

いいかげんで
適当に  死んだほうがましという言葉を使う人が多い

  死んだほうが楽なら病気になっても病院に行かないほうがいい
     でもそんな人に限って 病院に行く
 
  息子は死にたくなかった
  息子は死にたくない人だった
  死ぬのが怖いとよく言っていた
   死にたくないから 病院にもいった 薬も飲んだ

  死にたいなら 病院にもいかない
      薬も飲まずに 即死んだと思う
迷い
泣いて泣いて泣いて 死んだ

 あんなにも死にたくない 死ぬのが怖いと言っていた息子が死んだということは
      どれほどの苦しみだったのかと思う
それとも
精神薬で 死への恐怖心はなくされていたのだろうか

  死への恐怖心があることが 人類が生き続けてきた理由だと思う

その恐怖心をなくしてしまうのが精神薬
   抗不安薬 

 不安を取り除くということは
  思考の停止と低下を招く
            
  自死者の多くは精神薬を処方されている
  抗不安薬処方

     死にたいから死ぬのではない

   自死した人たちは特殊な人たちではありません

  死にたくないという普通の気持ちの人間が自死に至ると思わない人たちに
  自死の予防ができるわけがない

 死にたい気持ちに寄り添う支援
    なんとなく 気持ち悪い     

自死遺族の声

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今日は 9月10日のフォーラムのご案内の手紙書き

 一人でも多くの人たちに 参加して頂きたいのです

   岡先生の講演は 国内ではなかなか聞くことはできません

     全国自死遺族フォーラムでの講演は 終えた時点で予定を入れてもらっています

     一年に一度の機会です

  日本の自死遺族の自助グループの活動を海外に発信してくれている教授です

     やさしく深く・・・尊敬するお一人です
2008年からずっとかわらぬ心でつながってくださっています

    行政の自死の担当者にも 多く参加してほしいです

    自死遺族支援をしている行政の担当者
      自死の予防や防止を担当している人たち
          大勢の自死遺族当事者の声を聴く 一年に一度の 機会です

   自死遺族支援を 支援者から学ぶのではなく
       自死遺族当事者から学んでください

       遺族が何を望み  何に傷つくのか
           
     セルフヘルプグループとセルフヘルプサポーターという支援の構築

     自死遺族の当事者団体と 行政と  専門家との 連携の仕方

       全国自死遺族連絡会が主催の1年に一度の会

     今回で9回目
      連続開催  

  自死の予防がメインではなく あくまでも自死遺族という立ち位置でのフォーラム
     自死遺族支援について
  自死遺族とは
  自死遺族の悲しみとは
   自死遺族への差別とは
      自死遺族として生きて行くことは
    親を亡くした子供
    伴侶を亡くした人たち
     兄弟姉妹を亡くした人たち
   子供を亡くした親たち
    ・・・結婚していた人の死
 ・・・学校に行っての自死
 ・・・仕事がらみの自死
 ・・・・精神疾患での自死
・・・・自死も様々  立場も様々

    年齢によっても違う

     大勢の遺族の声は社会そのものの声

   ぜひぜひ  ご参加ください

      福島県は震災後自死が増えています
         なぜでしょうか
  若者の自死が増えています
  なぜでしょうか
      

9月10日 全国自死遺族フォーラム 第9回

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span style="font-size:large;">第9回 全国自死遺族フォーラム 

日時 2016年(平成28年)9月10日(土曜日)
時間 12時30分~16時30分
会場 郡山商工会議所 中ホールA
    郡山市清水台1-3-8
    024-921-2600

プログラム
12時30分 開場

【第1部】 13時30分~14時30分
 基調講演 岡 知史 先生


【第2部】 14時30分~15時00分
いじめ 裁判を終えて 遺族より


【休 憩】 15時00分~15時15分
 休憩


【第3部】 15時15分~16時30分
 全国自死遺族連絡会から報告
 各地の自助グループから
 自死遺族等の権利保護研究会から


16時30分 閉会

以上となります

入場無料・事前連絡不要です、どなたでもご参加いただけます

遺族の方を含めて多くの方のご参加をお待ちしております

詳しくは 一般社団法人:全国自死遺族連絡会 ホームページ


愛と悲しみ・ ケアなんてできませんから・・・

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 昔々のひとたちは
かなしい を 漢字で表すときは 愛しい と書いていた
  哀しいや悲しいではない

   阿弥陀様は  愛する人との別れ   死別の悲しみは 取り除くことはできないとおっしゃっている

     愛していることを 取り除けないように
       悲しみも取り除けない・・・と

   その悲しみを抱えて、悲しみとどのように向き合い
         どのように生きて行くのか・・・
     その教えを お経の中に説かれている

  というお話を聞き、納得

      そして 私たちの主張が正しいと改めて思った

    グリーフケアは 仏教の教えとは真逆の考えであるということも聞き、納得
        日本人であって ずっと仏教の教えを聞きながら育ってきた私には
         グリーフケアに違和感があるのは普通のことだった

      祖母も子供を亡くし、母も子供を亡くし
        周りにも 多くの子供を亡くした親たちがいた中で育ってきた

    お地蔵さま信仰も・・・聞かされて育った

       自国の文化・宗教・風土に根差した死生観を大切にしたい

     アジアのある国が台風で多くの人が亡くなった時
        グリーフケアを勧めようとしたアメリカ人が支援に入った
       大反発を受けた・・と聞いたことがある

    アメリカでも9月11日のテロ事件の後に
     グリーフケアを専門とする人たちが 悲しみのケアをしようと試みたが
    その結果は 散々なものであった
      支援をする人たちだけが喜々として 悲しみを抱えた人たちには何の効果もなかった・・と
          ニューヨークタイムズが報道している

   愛する人が亡くなったから 湧く悲しいという感情
      他人が亡くなっても悲しくないのは 愛が ないから

  毎日毎分誰かが亡くなっている

 こうしてブログを書いている瞬間も誰かが亡くなっている
  でも かなしくない

   それは 亡くなった人と私の間に愛がないから   

   愛は誰にも消せない

   私と息子の間にある愛を誰も消せない 消させない

     グリーフケアとは その愛を消そうとするものである

   愛を薄くしようというもの

     しっかりと考えてほしい

   かなしいという感情は愛している人の死だからうまれるもの
     
  他人がなぜ 私が息子を愛している感情に口出しするのか・・わからない

      悲しみがあっても  誰にも迷惑はかけていません

    かなしくても かわいそうなひとではありません

   同情は必要ありません

       むしろ 悲しみがわかるようになった分だけ
           心は深くなりました

   人の悲しみも 少しだけ 理解できるようになりました

        それは 悲しみを経験したからのこと

 悲しみからのいただきもの
      返したいけど 頂いた 深い深いこころ
       人の悲しみを尊重し 大切にしたいというこころ
  人の悲しみを愛おしく思える心は
     息子からの贈り物
   いのちを愛おしく思う気持ちが深くなったのも 息子からの贈り物

    かなしい贈り物

      誰にも触れられたくない 私と息子の愛と悲しみ

21日・22日・29日・・・6日・・10日

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茨城県水戸市に21日にいく
 さざれの集いで講演

そのまま新大阪泊まって~22日に高野山で講演

 29日は厚労省
   夕方は自死遺族等権利保護研究会
       
  9月6日は茨城県つくば市で講演

    講演の内容はそれぞれに違う

 整理しないと・・・

 厚労省への要望書も作成しないと・・・

   やるべきことがたくさんある

そんな中でも  遺族以外の相談も日々たくさんある
  ひとつひとつ  一人ひとり  つないでいく

   健やかで元気で生きてほしいといつも思う

   平凡な日々  それが幸せ

    何事もなく 日々 暮らすこと
  たまには怒ったり イラついたり 笑ったり 泣いたり
      同じことの繰り返しの日々
         そんな日々が幸せなのだと・・・

  愛する子供が逝って 思い知らされている

      編み物をして、ミシンをかけ 手縫いをして

 掃除・洗濯をして

 たまーに 外食して たまーにお酒を飲んで

 たまーにカラオケして

  たまーに 旅行して

       幸せな日々

 今は 全国アッチコッチ行く
  講演に・・・

 国の役人とも 連絡をとる
  話し合いにも行く

行政の会議の委員もしている

    マスコミなんて 数え切れないほど出ている

    それは不本意な人生

息子が生きていたら 関係のない世界
     知らない世界

著名な人たちとも知り合いになった

   それは不本意な人生の中での出来事

 誰とも知り合わなくていい

   ひっそりと  息子たちと夫と社会の片隅で生きたかった

     息子が逝ってしまった今

   日々 知らない人からの相談を受け
      たくさんのつながりのある(必要に迫られて作ったつながり)人たちにつなぐ日々

    文書の作成も日々の作業

パソコンもできるようになった
  ワードもエクセルも・・パワーポイントもできるようになった

 ポッカリ空いた埋めようがない悲しみとともに・・

       私の活動が必要とされない社会を目指している

          それは息子が生き返ることと同じように不可能かもしれない

   でも目指す

  理想は高く持つ

  誰も自死で死なない社会

       生きてほしいと願う活動

 遺族にも 元気で生きてほしいと願う活動

   あの頃のような幸せはないけど 元気に生きてほしい

         平凡な人生は終わった 息子の死と共に

            かなしいことです

あ!10日 9月10日は福島県郡山市で全国自死遺族フォーラム第9回です
 
 多くの皆さんのおいでをお待ちしております。

知らない間に決められていく怖さ

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 自殺総合対策大綱
 自殺対策基本法


その存在をしる人は少ない

 見直しが行われ 意見が求められていることもほとんどの人たちは知らない

平成21年度158億円が計上され
 6月にはさらに100億円が基金として追加投入されたことも知らない人がほとんど
 平成19年には246億円
平成20年には225億円
  自殺対策と銘打たれた数々の事業に費やされました
 その後も300~400億円の予算が組まれて自殺対策関連事業が実施されています

遺された人への支援を充実する
という項目が8番目に掲げられています
1)遺族の自助グループ等の運営支援
2)学校・職場での事後対応の促進
3)遺族等のた眼の情報提供の促進
4)遺児への支援

これには毎年1億円が投入されてきました

遺族の自助グループ党運営支援と銘打ちながら
  主語である自助グループ運営支援ではなく
     等運営支援に1億円の資金が投入されてきました
自助グループ活動が活発になり 申請をしても…です
 なぜ 自助グループの支援をしないのですか・・という問いに
    ゆるやかな自助グループの支援とか
       等・・等のほうが活動をしているから…という答弁です

そして 遺族の支援を定める会合にも自助グループを参画させようとしません
   遺族当事者抜きの遺族支援の会議
     ガン支援も障がい者支援も 当事者団体を参画させています
今は多くの当事者団体が 国の対策会議に参画しています

なぜ 自死遺族だけは当事者団体であり全国団体の全国自死遺族連絡会を無視するのか 理解できません

  自死遺族支援の内容について検討するときは
   当然自死遺族の自助グループの活動団体 それも全国団体を委員にするべきです

 しかし
    内閣府の会議への参画も6年間お願いして委員になりました

    厚労省に移管された今年度も  また無視されています

        
2006年から自助グループのわかちあいの活動を続け
   2008年から全国団体としての全国自死遺族連絡会として活動をしていても

国際学会では  日本の自死遺族は社会的活動をしていないと論文発表する日本人の担当者

  十二分に 全国自死遺族連絡会をしっている担当者が
          知らないふりをして 無視をしています

それが現実です

   自死遺族の知らないところで  自死遺族の支援等が決められていきます

そこには 自死遺族の情報を何としても手に入れたい思惑が絡んでいます
    アンケートではなく
 楽に遺族の情報を手に入れようとする人たちがうごめいているのです

    それを利用して 論文を発表し 権威を手に入れたい人たちと
        自死遺族支援という楽して金になる木を手に入れたいからです

  何もしなくていい
誰も参加しなくても 支援の会は続ける
   立派な会を作ってやっているのに 参加しないのは遺族に知識がないからというだけ
      元気にならないのは遺族が精神疾患だからというだけのこと

自死の対策で生活をしている人たちは
    自死がゼロでは困る
適当に減って 適当に増えてほしい
    国の懐に入らないと 手に入れられない情報がある
     私たち当事者に知らされないで
       ドンドン決められていく支援方法と情報の公開

    知らないところで  自死遺族の支援のためのいう名目で税金が使われている

      当人の遺族自身は 恩恵を受けるどころか
   邪魔者扱いを受けている

     29日 厚労省に行く

    要望書を提出する   ために

また 不穏な動きがある

    事前に食い止めないと大変なことになる・・・

  支援しなくていいから  傷つけたり邪魔をしないでほしい  

同期

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今年も 息子の同期の人がお墓参りに来てくれた

 いつも缶コーヒーとタバコを供えてくれる

警察学校の時 仲良しだった人

息子が逝き11年 45歳

忘れないでいてくれる同期に涙があふれる

どうして 死んだのかなぁ・・・

あんなに死ぬのが怖いって言ってたのに

 生きることに執着していたのに

     幸せじゃなかったんだよね

     幸せだと思っていたのになぁ~


    苦しんでいたなんて・・・

      愛していたんだけどなぁ~

   3歳半の娘もいて  かわいがっていたのになぁ~

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11年目

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10日お墓の掃除とお花を供えに行き・・
11日お墓のあるお寺でのお盆の施餓鬼供養のお手伝い
 (お寺さんのいろんなお手伝いをする会に入っている)
13日はお花をお墓に新たに供えるために…お寺に行き
 (13日の朝に 夢で青森の実家で作る甘い小豆とサツマイモを入れた赤飯をつくろうと思いついたので
     あま~い赤飯を炊き仏壇に~)
14日の今日
   昼寝していたら
 お兄ちゃんが笑顔で傍によってきて 話しをした
   いつものやさしい 色白の顔で 元気だよ・・・そのうち生まれ変わるかも・・・
   近くに・・・え!近くってどこ?
     会えなくなると嫌だ・・・
   と・・夢だから 変なかみ合わない会話をして
いつも見ているの?ときいた
  そういつも見てるよ・・とお兄ちゃん

 いっつも みてるよ・・・って

 そっか~みてるんだね・・・

  みんなどうしてる 元気?とわたし

 ん・・元気だよって 息子

(生きている私が息子に死んだ人の元気を聞いている変な会話)

      ずっと夢を見ていた

   たかが夢  でも話したことはうれしい・・というか複雑・・でもうれしい
      11年目
   お兄ちゃんはいつもそばにいると信じてる
   どこかに出かける時もいつもそばにいると感じる

    見守られていると 感じる

 守ってやれなかった私が 息子に守られているなんて 情けない親

     いい人だと思い信じていると 突然切れられたり、反旗を掲げられたリするときもあるが
        後で思う
 息子は知らせてくれている
  気をつけなよ・・・信じてるけど違うよ・・・
と・・・

  ありがとう ごめんなさい  守れなかった親なのに
     いつもそばにいて教えてくれて・・・
        やさしさをいつも感じるいつも

  亡くしてみて  こんなにも深く あなたを愛していたことを知らされています

   生きているのが 当たり前すぎて
        愛していることを忘れて生きていたあの頃
     なんと愚かな日々を送っていたことか

   お兄ちゃんを亡くして
      当たり前のことこそが 幸せなのだと 思い知らされています

 あのころが どんなに幸せだったかと・・・


 昨日は仏壇に リンゴサワーを グラスに注ぎ・・・飲んだかなぁ~

悲しみの体験のない人たち・・・って




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ある教授のお話

ボランティアを募集すると「心のケア」をしたい人たちが殺到

実際に車いすを押したり、掃除を手伝ったりという学生は少ない




グリーフケアの講座も「癒したい」人たちが殺到する

大学にはドル箱の講座 




愛する家族を亡くした悲しみを癒やそうなんて傲慢な行為

かなしいという気持ちは、亡くなった人を愛しているからこその感情。癒したい人に聞きたい「私の息子が亡くなった時悲しかったですか?」「毎日死亡記事が掲載されますが胸が張り裂けそうな悲しみがありますか?」ないですよね

ないのがふつうです

亡くなった人と会ったこともないし、またあなたと亡くなった人の間に愛がないからです。悲しくなくて当然です

かなしみは愛するがゆえに生ずる感情です

悲しみを癒やす・・・悲しみの軽減でしょうか

それは愛の軽減です

例えば私へのグリーフケアという行為は、私が息子を愛している感情の軽減をすることです。なぜ他人に私と息子の間にある愛を邪魔者のように軽減されなければならないのですか。

大きなお世話です。

人間は愛する人が亡くなったら悲しみます。月日と共に消えて行きません。愛が消えないように哀しみも消えないのです。

ただ泣き叫ぶ様相は少なくなります

泣き叫ばないから悲しみが消えたと思うのは愚かなこと

かなしい悲しいと言わなくなったから悲しみが消えたなんて思うのでしょうか

 なんて浅い感性でしょう

 アメリカ人のように日本人は感情を大げさに表しません

 かなしみは愛すること
   愛するがゆえに沸き起こる感情

なぜ 悲しみを味わったことのない人は
    悲しみを味わった人を憐れむのでしょうか
        かわいそうなひと・・という目でみるのでしょうか

かわいそうな人だから 救って差し上げたいという行為がグリーフケア

    グリーフケアを悲しい人たちに勧める人たちって
         自分の幸せに満足していないのでしょうねきっと

   悲しみを抱えた人を見て  じぶんの幸せを確認したいのでしょうか

   何も学ばなくても 一度の体験で 教授よりも悲しみの専門家になれます
  自分の悲しみの専門家は自分ですから


    悲しみなんて学ばなくても  親が死んだり 祖父母が死んだり
     兄弟や伴侶・・子供が死ぬことも・・・
また自分が死に直面することもありますから

     グリーフケアを学ぶ人は  親の死を悲しまない人たち
       祖父母の死を体験しても悲しくなかった人たちなのでしょうか

      それは愛に鈍感な人たちです

他人の悲しみよりも  自分の祖父母の死を体験できますよ
       普通に
順番に・・・逝きますから 
誰も死者を出さない家はないのですから

   父母・・叔母叔父・いとこ・姪・甥・友人知人
    兄弟・・・人は生きていたら 必ず近しい人の死を体験するはず

 それなのに なぜ 他人の死別の悲しみに興味があるのでしょうか

     自分の身近な人の死を悲しみ感性を持ってください

    
    深く自分を見つめたら  権威とかに惑わされません
  グリーフケアに権威を感じるのは
   日本人だけですけど・・・

  まず 他人の悲しみのケアよりも  身近に亡くなった人がいることを確認してみてください
   祖父母が死んだとき どんな気持ちでしたか?

   誰も死んでいませんか?

私たちは

 血族の誰かが死んで  命を引き継いで生きているのです

   お釈迦様の教えにもあります
  誰も死んだことのない家はないんです

   自分の身近な悲しみには鈍感で
     他人の悲しみを癒やすことに心を躍らせている人たち

  視点を 天に変えて想像してみてください

  空から  自分の行為を見ている自分

     愛する人を亡くしてかなしんでいる人の悲しみをケアしようとしている自分

    そばで家族が苦しんでいることにも気が付かず








愛する人を亡くした悲しみは癒されようがない

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息子が逝き、もがき苦しみ 地獄のような悲しみから少しでも逃れたく・・・
考えられるあらゆることを探し求め 実践してみた
 そして 自分のことは自分でやるしかないと気づき、
自助グループ(当時は自分の活動が自助グループだということも知らなかった)の「わかちあい」の集いを立ち上げた。
 準備段階で「自死遺族支援」「自死の予防」団体から大反対を受けた。
「勉強もしないで・・」「まだ半年で・・」
「今は早すぎるから 春まで待って 秋に私たちが立ち上げるから 春のほうがいいよ」
   などなど
「助けてください」
「死にそうです」
「会を立ち上げてください」
「いつごろ立ち上げてくれますか」
 などなど
無視し
「会を立ち上げる予定はありません」
「いや~いつ頃になるか全く予定がたっていません」
  という反応
だから
仕方がなく 必死の思いでたちあげたのに・・・
  立ち上げたら立ち上げたで
「きちがい」
「排他的団体」
「訴訟女」
「燃え尽き症候群」
「精神病」
「怖い・おそろしい」
「遺族のコネをもっている」
「マスコミと怪しい中」
などなど
 そんな中で 以前から自死遺族支援を実践していた故平山正実先生は温かく見守っていてくれた
   その後
「グリーフケア」大反対論を広げてきたが
  平山先生は グリーフケア以外の部分では全面協力してくれていた
最近になって思う
 平山先生は「グリーフケア」は悲しみの症状・反応をケアするのであって
   悲しみを悲嘆をケアしようとは思っていなかったのでは・・・と

最近の「グリーフケア」は「ケア」したい人たちを集めて利益を得たいために
 ケアしたい人たちの心を揺さぶるような「癒し人」育成の様相を帯びてきた

 数十万円という多額の研修金
 そうやって癒し人の民間承認を受けた人たちは
    癒し人だという自負でせっかくの資格を活かしたい思いで「悲しい」人を探す
悲しみを抱えている人たちに近づく
手っ取り早く
どこかで災害が起きると
  被災地に数日滞在しては 新聞に癒し人として取り上げてもらう
  
   正しいグリーフケアを受けたことがないから
     田中さんは今も悲しみがあるんです、私が癒してあげます

     と いう グリーフケアの専門家と名乗る女性

   被災地でグリーフケアの資格を取得したという男性が
      支援のための打ち合わせで泣いていた
   奥さんを亡くしたという人
       グリーフケアで人々を癒やしたいという事だった

    でも 打ち合わせの会議で泣いている

    ケアされていない

   自分が自分のことで 涙が止まらないほど 泣く人が
     昨日息子が亡くなりました・・・という遺族を
     どのように癒すというのでしょうか
自死遺族に・・・グリーフケアを押し付けようとしている方々
岡知史先生の 講演録を読んでください
  また海外でも論文も読んでみてください
  本も発刊されていますから

  愛する人を亡くした時に起こる反応は
   亡くしてない人よりも亡くしたことのある人のほうがわかります
 体験していない人・・・本を読んだだけの人と
   体験した人・・・遺族
 一度の体験だけで 十分すぎるほどわかりますから・・・
   悲しみについての専門家です遺族は・・・
その人はその人の悲しみの専門家です
   一人ひとり違う悲しみ
悲しみ全般の専門家など存在しません
   悲しみの全てがわかる専門家がいるとしたら
それはイエスキリストであり阿弥陀仏です

  人間が…幸せな人たちが・・・愛する我が子を亡くした悲しみの何がわかるというのですか・・・
   自分の子供を亡くした時 初めて「こういうことなんだ」と理解できますよ・・・

   悲しみを体験した人に 体験したことのない人が
  何を教えるのでしょう・・・か
     傲慢そのものではないでしょうか

  あいまいな喪失  あいまいな悲嘆
  などという言葉
      行方不明のままで 死亡届を出す家族の気持ちを逆なでしていますよ

   喪失感はあいまいではありません
      
   言葉では表現できないほどの悲しいという気持ち
      そんな感情を 
    日本語として悲しみとリンクしない訳をして
      何を偉そうに・・・鬼の首でも取ったように発言しているのですか

    ご自分のかわいい子供さんが亡くなっても あいまいな喪失 複雑性悲嘆
   遅延性悲嘆 あいまいな悲嘆といえるのなら
        ご立派です

   グリーフケアという言葉が大嫌いです 吐き気がします

  でも グリーフケアの人たちと交流はしていますし 個人の攻撃はしません
     やりたい人はやればいい
  ただ
 私にグリーフケアというキーワードで話しを求めないでください
       
     私のこれまでの活動の邪魔…敵ですから

  国に認められ 国の遺族支援の中心がグリーフケアです
    半年すぎても悲しみが消えていない遺族は精神科にいくように勧めるという対策です
 それとの闘いできた11年
     
  かなしみは愛
    愛は消せません
消えません   愛を消そうなんて…人でなしです
 私が息子を愛しつづけようと 大きなお世話です
     悲しみを持つ続けようと大きなお世話です
 悲しみを抱えているけど 元気に生きています
  グリーフケアをしてあげようとしている支援者よりも私は元気そのものです

    そして 悲しみを抱えていきてきたからこその力があります
        悲しみのちからです

  昨日 変なメールをもらい
    岡先生に相談しました・・・

  怒り心頭に達して 今朝は5時前に目が覚めて眠れません

     今日は東京に行きます

   心穏やかに その人と接するように仏壇に手を合わせてからでかけます

キツイかなわたし・・・

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ウソはつけない
  うそはいいたくない
 
 そうよね
 かなしいわよね
     つらいよね
  大変ね
   そうなんですね

   と ただ 聞くだけのほうが楽

アドバイスなどせずに  そうね・・・と聞くだけのほうがいい人でいられる
    
  精神薬のことも  飲んでいても知らんふりしていた方が楽

    悪化することが分かっていても
        黙っていた方が 面倒でない

    適当に聞いていた方が楽
      でも
本当にその人を思うから 精神薬のことも本当のことを言う
     悲しみについても真実を言う

   悲しみが消えないこともいう

   ウソを言って かなしみは精神薬を飲んだ方が楽になるよ・・・
なんて言った方がいいのかもしれない

      嫌われることはないのかもしれない

   ひどいことを言うと思われなくていいと思う

     かなしみは消えないことも本当のこと

  子供が生き返らないことも本当のこと

     もう一人の子供のことも考えてあげて欲しいということも本当のこと

 元気でいてほしいということも本当のこと

    泣いて 寝て 泣いて  寝て

家事もしない 生きている子の世話もしない
   亡くなった子の仏壇も埃だらけ
   花も枯れている
      亡くなった子の好きなものも供えない

 ただ泣いて 落ち込んで  寝ているだけ


      大変ですね お辛いですね
          かなしいですよね  眠れないですものね睡眠薬は飲んでいい
                     なんて言えない

 先が見えているから
    決して 遺された家族にいいことは起きない
       家族が不和になり
 もう一人の子供が不安定になり
     悪いことが続くようになる

だから アドバイスをする
     きついことも言う
 
     悲しみも消えないよという

   亡き人と向き合ってほしいと願う

    悲劇のヒロインになってはいけない

 一番悲しいのは 亡くなった子供

   生きている親ではない

  真剣に相手を思うから本当を言う

      ダメになることが分かっていても 知らんふりしていい人になった方がいいのかな
    と思う時もある
 でも
 いつか 必ず私のいうことがわかるときがくると思っている

 あ・・このことだったんだ・・と

  他人だから  いい人でいた方が楽
   他人が不幸になろうが 悪化しようが 関係ないといえば関係ない

   おせっかいな活動をしている

   迷惑だと思う人もいるかもしれない・・・

     そんな人はごめんなさい

   無報酬だから  無償だから

    ごめんなさい

      ただ かなしみは消えないけど元気で生きてほしいだけ

     死の連鎖は防ぎたい
遺族が不幸になるのを防ぎたいだけ

   地獄は一度でたくさん

 でも惑う  いい人でいた方が楽かな・・・と
  
   お兄ちゃんが苦笑いしてそう
    カァチャン 頼むよ・・いつものカァチャンでいてよ・・と

     いい人で終われない 活動を続けている

   きついと言われることも多い

やさしいのになぁ~~~~~と
   自分でいっているわたし

     お世辞の活動は  支援にはならないと思っている

 やっぱり キツイかな               

第9回 全国自死遺族フォーラム





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第9回 全国自死遺族フォーラム 

日時 2016年(平成28年)9月10日(土曜日)
時間 12時30分~16時30分
会場 郡山商工会議所 中ホールA
    郡山市清水台1-3-8
    024-921-2600

プログラム
12時30分 開場

【第1部】 13時30分~14時30分
 基調講演 岡 知史 先生


【第2部】 14時30分~15時00分
 裁判を終えて 遺族より


【休 憩】 15時00分~15時15分
 休憩


【第3部】 15時15分~16時30分
 全国自死遺族連絡会から報告
 各地の自助グループから
 自死遺族等の権利保護研究会から


16時30分 閉会

以上となります

入場無料・事前連絡不要です、どなたでもご参加いただけます

遺族の方を含めて多くの方のご参加をお待ちしております

詳しくは 一般社団法人:全国自死遺族連絡会 ホームページ


悲しみを消す薬なんて存在しない

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 遺族が精神科に行き精神薬を処方されるケースが多い
 精神科に行くと必ず薬が処方される
    精神薬という薬はない と ある精神科医は断言している
精神に効く薬というものは存在しないというのだ

そもそも 
精神のどんな部分が脳のどこにあってどのような効果が出るのかが理論づけされていない
   
エビデンスがないのである

偽薬 薬ではないものを薬ですよと言って飲ませた方が
    薬として販売しているものよりも効果がありましたということが添付文書に記載されている
プラセボ効果

 薬ではないほうが 効いたという事実
   薬ではないものよりも効果のない物を薬として売るって…どういうこと
    効果のあった薬ではないものを薬として売った方がまだ効果があるのに・
    ・なぜ偽薬を本物にして売らないのかな
 偽薬のほうが 薬ではないので副作用がない
  副作用もなく 効果もある 薬ではないものを売る方が良心的

副作用だけが確実に100%でる精神薬という薬
   効能は 薬ではないほうがあるというのに 副作用が出るものを薬として売る製薬会社
  それはなぜ・・・
  副作用が出た方が もっと薬が売れるから

 副作用がないと 薬を増やせないから 

 副作用がひどい方が 本物の精神病になっていき 薬を手放せなくなるから

    知的障害も発達障害も アルコール依存症も精神薬では改善されない
   認知症も改善されない
        もっと悪化する

飲めば飲むほど 身体に影響が出る
      腎不全や緑内障 味覚障害
          幻聴幻覚・・・
 睡眠障害  暴力 記憶障害・・・等々

   愛する人が亡くなったから起きる悲しいという感情
      どんな薬で悲しみが消えるのでしょうか

かなしいという感情は 愛しているから沸き起こるもの
    悲しみが消えるということは 愛を消すということ
薬で愛を消せるのでしょうか
     そんな恐ろしい薬があるとしたら  世界の終わりです

    冷静に考えてみたら
    悲しみなんて消えるわけがありません
      記憶障害 記憶喪失になるしかないのです

  愛する我が子を忘れたいでしょうか

   私は忘れたくない  どんなに悲しくても忘れたくない
        
記憶喪失になって わが子を忘れるなんて  死ぬよりつらい
   どんなに悲しくても 私は忘れない
  健一をいつも思い出してあげたい
  鮮明に思い出したい
    だからボケたくもない
   健康で長生きして ずっと思い出し 悲しみを持ち続けたい
       私の大切な子供だから
 精神薬なんかで 
   私の感情を支配されたくない
         
   かなしくていい 苦しくていい
       息子が死んだのだから

   それでいい

   楽になんて生きたくない
         生きているだけで息子より幸せなのだから

   ご飯も食べてるし、お風呂にも入る・・
     それだけでも息子より幸せ
      申し訳ない

  これ以上楽になんて 贅沢すぎる

    息子に許されて今生きている

    ごめんね・・・お兄ちゃん

元気に生きるよ  まだまだ生きるよ


かなしみは愛 息子のいのち

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  愛する人を亡くしたとき
  子供を亡くした時
     のどからお腹まで一直線に締め付けられ 痛みで息が苦しくなった
 血圧があがりすぎて 気を失い倒れる
     気が付き また倒れる
  錯乱状態と冷静状態が激しく繰りかえす
     精神薬を飲んでも睡眠剤を飲んでも
        効果はない
 寝ないという意識のほうが睡眠剤よりも勝つ

    本も読んだ

もがき苦しんだ  

   長男の死を悲しみながら 次男を死なせられないとも思った
     二人とも我が子

亡くなった子を嘆き悲しむあまり
    生きている子供を忘れてしまう人もいる

   私も一時はそうだった・・と思う

「俺が死んでもこんなに悲しんでくれるの」
「ダメな俺が残って、優秀なお兄ちゃんが死んでごめん」と次男に言われたとき
 「ハッ」とした

    それから 次男の前では涙は流さない

   それでも 次男は私の悲しみを十分知っている
 また次男も悲しみを抱えて生きている

      子供の死が不幸なことだとしたら
    不幸の連鎖が起きないと誰が保証できるだろう

   次々に不幸に襲われて 次男まで死なせられない
      次男は幸せにしたい
         「お兄ちゃんが死んで もう二度と あの頃のような幸せはないよ」とも次男はいった

そう・・・あの頃のような幸せは二度とこない
   でも 次男には 少しでも笑顔で少しでも幸せに生きてほしい
    不幸になってほしくない
長男も幸せだと思っていた・・・が 逝ってしまった
      苦しんで悲しんで 涙を流して逝ってしまった

 二度と 家族には自死はさせられない
    不幸にもさせられない
     元気で笑顔で生きてほしい
 笑顔の下の悲しみがあっても  笑顔で生きてほしい
  悲しみを抱えているからこそ 笑顔で生きてほしい

    そのために 私は生きている 
家族がいるときはいつも笑顔で・・・

     一人でいるときに 泣き叫んでも   いつも笑顔で

 かなしいかなしいかなしいと言わなくても
   家族は悲しいことを知っている
    亡き長男も十分に知っている いつも見ているから

   「ごめんね・ごめんね・ごめんね・・・」と左の脳に聞こえた日から
  苦しんで逝った子供に謝らせている私を恥じた
    悲しんで苦しんで逝った息子に謝るのは私なのに
  亡くなった子供に「ごめんなさい」と言わせる母親の私を何とかしなければと思った

   その日から どう生きたらいいのかを 模索し 今がある

    今、長男が生きていたら と思う
      あの当時と同じ状況が起きたとしても
     今なら 生きた・・・はず

   生かせたはず  助けられたいのち 今なら

    息子を救える方法が 支援の原点となっている

     自死の活動の原点が息子のいのち

虚しくなることもある 生き返らないことが現実だから
      なんで他人のために・・と思う時もある
 しかし
  何もしないで 悲しむだけでは親として息子に申し訳ない
    子供のいのちを 救えなかった親だからこそ 
    少しでも一人でも他の命が生きる糸になろうと思う

もちろん 遺された家族の元気のためにも

   涙は今も流れる
    胸も苦しくなる
虚脱感に襲われることもある
   
 でも 家族のために 亡き息子のために  元気に生きようと思う
  かなしみは私自身
   私にはいつも悲しみがある
      それは 息子への愛の勲章
   息子を愛しているからこその悲しみ
      息子への愛の誇り
ずっとずっと 息子を愛している
  だからずっとずっと悲しくていい かなしみは息子のいのち