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活動の原点

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「藍の会」を立ち上げたとき 支えてくれた市会議員と仙台から能代市で開催のシンポジュウムに参加の往復の数時間
   「多くの活動団体は 道を踏み外していくけど、大丈夫?」「講演したりマスコミに取りあがられると いつの間にかずれて行く人が多いのよ」・・という事を言われ 話し合った。
 「あなたなら大丈夫ね・・」と最後は言ってくれた。

上智大の岡先生にも同じようなことを言われた

  そのほかにも言われたことがある

    そんなときは必ず「惑うとき、息子の死に顔を思い出すことにしています」と答える

私の活動の原点は 息子の自死
    息子が生き返ってきたら 即活動はやめる

    ボランティアは性分に合わない

       マスコミに取り上げられてもほとんどは自分で見ない

自分が見るために 取り上げてもらっているのではない
      知り合いに 見てとも言わない  見てほしいとも思っていない

    苦しい人 悲しみを抱えた人たちが
        見て 知って  つながりたいと思ってくれたらいい
    それだけのこと

  講演も 一人でも少しでも自死という問題に関心を持って頂けたらいい

       講演することで  一人でも「あ!そうなんだ」と思ってくれたらいい

  それだけのこと

      だから 本に書かせてもらっても
     マスコミに出ても  あまり 公開しない  講演も・・・


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      ここ数年 それでは 声が届けられない気もしてきた

      が
    変えていない

     息子の死を語り  有名になんかなりたくない

        どうでもいい

      自死が減ってほしい

   ゼロになってほしい

      生きていてほしい

      幸せになってほしい

     遺族も元気で生きてほしい

      ひたすらに思い続けての活動

  そうすると やらなければならないことがたくさん見えてくる

      いいかげん てきとうに ゆるやかに・・・
 なんでもいいから 元気になったらいい・・・
  そう思って続けているが

基本は自助グループ活動
     「わかちあい」
定義を守り 譲れないものは 譲らない

     自助グループの定義を 守らないなら
  自助グループという言葉も支援グループという言葉も
   支援者という言葉もボランティアという言葉もいらない
 区別する必要がないのだから

   自助グループとは当事者本人のみ

   弁護士会も司法書士会も 同窓会も
      自助グループである

弁護士という資格がないと入れない
      ○○学校出身でないと同窓会には入れない

   自死遺族も同じ  自死遺族の自助グループは自死遺族でないと参加できない

      自死遺族の自助グループだけは本人でなくても参加できるって・・・変です

 そこだけは拘っている

      他は緩やかでいい

 連携もゆるやかでいい

        私は自死遺族の自助グループを基本とした活動を広げてきた
 これからも続けて行く
 揺るぐことはない それは息子が生き返らないから・・・

      今も息子を愛しているから

      惑うことはあっても 道は外さない 

        笑うことが多くなっても  満面の笑みにはならない
         心の底からの笑顔にはならない

    でも不幸ではない  逝った息子よりは恵まれている
       申し訳ないと思う

       来るもの拒まず  去るもの追わず
    
       好き嫌いはあるでしょうから
           賛同できない人もひとはそれぞれ・・・

   私から嫌うことはない
    私は人が大好きだから
          
     息子のことも深く深く・・今も・・・これからもどこまでも愛し続ける
  亡き長男も 生きている次男も
      夫も
 亡くなった6人も親たちも・・・
  愛しています

      悲しみを抱えつながってくれた人たちも 愛しています

        たとえ 嫌われても

     

 
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いのち

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夜中に目が覚めた
 次男の帰宅が予定よりも遅い
 1時くらい・・・と言っていたのが 2時・・・3時・・・
    ベランダから 下の道路を眺めて バイクの光がマンションの道路に曲がるのを待っていた
 お腹がキュルキュルなって・・・痛い
 
   夜中3時 どうにもたまらず 次男に電話
明るい声が聞こえた
    涙が止まらなくなった

   「よかった」「生きていて」

次男曰く
「なんかあったら 警察から連絡行くよ」

  馬鹿なこと言ってんじゃないよ!!と・・・わたし

  長男が逝って11年
      子供が生きているという当たり前のことが
  ある日突然 消えてしまう
     恐怖心が 根深く残っていたことを実感

  この次男も逝ってしまうことの怖さ
    毎日抱えて生きてきた 今も・・・思っている

    願うしかない  生きていて・・と・・

私も健康で生きていようと・・・思う

      亡くなった長男をずっと思い続けたい
   悲しくていい
    苦しくていい
 忘れたくないから 愛しつづけたいから
    楽になりたいとは思わない
 楽に生きようとも思わない
       悲しみ続け苦しみ続けていい  親だから
 ただ
 思い続けるためには 元気でいたい



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    息子の死を見つめて向き合って生きようと覚悟を決めて11年

 ごまかしはしない
         私にも責任はあった

  子供が生きているのが当たり前すぎて
     不平不満をいい
  贅沢に生きていた
      自分がかわいかったのだ
  なんて
   愚かな生き方をしてきたのか・・と今更に思う

もちろん息子が死んだ責任は私だけではなく
  夫にも・・・息子の妻も・両親も・・・上司も・同僚も・・警察という組織にも・・・
   ある
      
    人はうつ状態で死ぬというが
   うつ状態まで追い込んだ原因があるのに そのことに言及しない人がほとんど
  
    私は自責の念ももちろんあるが
         人をうつ状態に追い込む原因を野放しにしてはならないと思っている

    うつ状態に追い込んだ要因の一つが 私にもあると自覚したから
      私自身の生き方 家族への思いは変えた
        長男の命が喪われて  時すでに遅しだが
           残った家族のために 
ありがとうを伝え感謝する気持ちを持ち続けている
    生きていてくれることに感謝を・・

      社会の要因も変えたいと活動をしてきた
   様々な要因がある
    人にやさしくない社会
      金と名誉と権力が王道の世の中

       やさしい人が我慢し耐える社会

      やさしい人が虐げられる社会
     
     裏表のある人が認められる社会

 ずるがしこい人が 徳をする社会

        このいのちが尽きるまで 頑張り続け・・亡き長男に報告したい

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いじめ

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遺族が遺族を追い込む
 徹底して嫌がらせを行う
    つぶれてしまうくらい  死んでしまうくらい追い込む
どうしてそんなことをするのかな・・・
   かなしくないのかな・・・
私は 今も息子を思い胸がいたくなる
    息ができなくなる  詰まって苦しくなる

 なんでもない時に ふっと思う
  強く思う
       かなしくて たまらなくなる
  できるだけ遺族にはやさしく・・・といつも思う
 毎日遺族からの電話やメールを受ける
     その度 思う
  あああああ・・・・・・・また 命が・・・・失われた
      何にもできていない 予防や防止
   救えなかった・・・
   生きていたかった命
生きられたいのち
   せめて遺族は死なせない
  つながった人は死なせない・・・と思う
 意地悪をしている余裕はない
   いじめている暇もない
    いろんな活動がある
たくさんの活動があり 多くの人たちが自死という問題に関心を持ってほしい
    そして人にやさしい社会になってほしい

  どうして 悲しみをやさしさに変えないのかな・・・

   自死した人が 遺族をいじめている自分の家族を見て
      どう思うのでしょうか
  息子を自死で逝かせてしまった親として
     遺族を追い詰めることは考えられない

   だからいつも 無理なく・・・と伝える

    私も遺族になって活動をしてから
   語りつくせないほど 理不尽なことをされた
   
   汚い人間もいる

    支援者も遺族も 人間

   人間性が問われる

亡くなった人と向き合い 問いかけることを忘れてはいけない
 
  かなしみを忘れてはいけない
    悲しみの上に活動がある
悲しみの気持ちがあれば
   人にやさしくできる
悲しみの力である    
    息子への 罪の償いの活動
 
 仲良くしなくていいから
   意地悪はやめよう

    

法話と茶話会

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 阿弥陀様の教えは  愛する人との別れは苦しみであり悲しみである
              昔から かなしいという言葉は愛しいと書いて表してきた
               愛するということを消せないようにかなしみもまた消せない
        その人自身が亡き人を愛している気持ちは何人たりとも消してはいけない
      阿弥陀様は かなしみは消えないがかなしみを抱えたまま・・どのように生きて行ったらいいのか
          その教えを説いている
  その教えを伝えるのが宗教者・僧侶である
     その教えを伝えて頂き、遺族がどのようにその教えを受け止め、悲しみと向き合うのか、それはその人自身である
    グリーフケアとは真逆の教えである
       臨床宗教師というものがブームのようですが
     日々の暮らしが僧侶は臨床である・・・あえて臨床宗教師という資格を取る意味は何もない

   阿弥陀様の教え、お釈迦様の教え、法然さまの教えを真剣に深く学ぼうとしたら
  一生かかっても学びきれないものです

     心は深さで表すように 誰にも見えない 誰も図ることはできない
      心に寄り添うというが その人の深い心にはよりそえない
           一人ひとり それぞれに 深い心を持っているのですから・・・

  その人以外にはその人の かなしみも見えない わからない
      深いものですから・・・
その人自身も見えない深さがあるかもしれません

  というお話でした

   どこにいても 必ず阿弥陀様は救いとり
   極楽浄土に連れていってくださります
        どこにいても 亡くなった後は必ず極楽浄土で一緒になりますよ・・・

    そんなお話・・・

   僧侶が「おばけ」があると肯定し、マスコミでいうことや
  シンポジュウムで講演することも
      僧侶としての仕事が満足にできないということ
       葬儀の否定・・仏経の否定
      極楽浄土に 阿弥陀様が連れて行っていないということ
      本願の否定になります・・・


     お念仏を唱えること
 南無阿弥陀仏と唱える意味
        それと
  お化けと幽霊
   成仏できていない話と往生の話

 たくさんお話させていただきました

 奈良県葛城市の「西光院」さんでの法話の会でも
     たくさんお話を聞かせて頂きました

     次回は12月・・・尼崎市行きたいと思っています・・

自死の予防と防止と支援が職業・商売

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  息子が逝き 11年
      自分の悲しみと 世間の自死への差別と
         自死遺族への偏見と差別との闘いの11年

   自死の予防や防止をやっています。というNPO法人
     自死遺族支援をしています。というNPO法人

  法人の職員は仕事で活動をしている
       無報酬ではない  生活費を稼いでいる
   給料がもらえなければ 予防も防止もしない
      仕事を持ちながら 予防や防止、支援をしている人たちは少ない
   有名な団体のほとんどは ビジネス
        営利目的ではないというのがNPO法人だが
      グリーン車にのり、ビジネスクラスにのって移動
       行政から事業の丸投げをされて 委託事業として年間3000万・・
       その他・・・助成金・・・寄付金・・・補助金・・・講演料・・・著作料・・等々
   講演料が20~50~100万なんて普通
    職員の給料 40~50万円
  1~3億円の事業費
         自死の予防と防止をうたい文句にしている
    いろんなところで自死の予防や防止
    自死遺族支援ということで 金稼ぎをしている人たちがいる

     愛する家族を亡くしていない人たちが多い
    最近は遺族もその流行りに便乗している人もいる
私は
  息子の自死を語り 生活費は得ない
      家族の自死で生活費を稼いでいる人たちは
         家族が自死していなかったなら、生活費はどうやって稼いでいるのだろう

      自死が減ってしまったら
    自死の予防や防止で稼いでいる人たちは
         生活費をどこから得るのだろう

      家族の自死以外に 金を得る術がないとしたら
          家族の自死はないよりあった方がよかったのだろうか
    (毒のある言葉ですみません)

    私はとてもとても 息子の死で飯は食えない

      息子の自死がなければ 活動はしていない
           息子が生き返ったら 即 活動はやめる・・即!!!
    
    自死がゼロになっても  家族が自死でなくても
       生活ができる自分でありたい
 自死が減ったら 収入が減るとか
    自死遺族といわなければ収入にならない・・・という暮らしはしたくない・
息子が生きていた方が豊かで幸せ
     息子が生きていたら 今頃夫とオーロラを見に行っていた
        
    社会は自死の予防や防止を仕事にして、ビジネスにしている人を専門家と信じてる
 ある意味では商売だから 専門家なのかもしれない
        自死の防止や予防が専門の仕事って・・・

自死が大幅に減ったら困る・・・減らなくても困る

 適当に減り・・適当に増えてほしい
       どこかにそんな匂いがする団体が多い

 自分達の愛する子供が自死しても
       そんなことができるかな・・・と思う

     自分の子供は自死しない・・・なんて思っているのでしょう・・が
      ある日突然人の命が喪われる
それが人生・・それが今の日本
       絶対家族は死なない・・なんて  傲慢そのもの

 ずるい人 厚かましい人 
   悲しくない人 心が痛まない人
    そんな人たちを ずるいと思う気持ちが芽生えたことを反省し


     今日は毒のあることを書きました

   自死を食い物にしている人たちが増えていることやそんな人たちが有名になっているのを見続けてきて11年
     追い込まれそうな自分と・・・なにもかも投げ出したい自分がいて
          息子がわかってくれていたらいいといいながら
             惑う自分がいて・・・自戒の意味を込めて・・・書いています                       

ゆるやかにつながれる活動

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書くことをためらっていたことがある
 やっぱり自死遺族は・・・と言われたくないから。
でも書くことにした
 それは自死遺族だから起こることではなく、人間だから起きる行為

 個人的な感情の好き嫌いで 遺族の会へ参加している遺族を批判すること

 人間は好きときらいはある
   嫌いな人と一緒にいたくないのはわかる
  しかし 自分の好きときらいで 参加する遺族を排除することはいかがなものかと思う
     人の悪口をいうのもどうかと思う

仲良し同士で 言ったらいい

  私が嫌いな人を排除しないと私は参加しないという人もいる
      その時その人の言うとおりにその人が嫌いな人を排除したらどうなるでしょうか
   次に その人のことが嫌いな人がその人を排除してほしいといったら
      その人のことも排除・・・することになるのですが
   最初に排除をしないと参加しないという人は
  自分が排除の対象になることもあるということを想像していない
  誰からも好かれるはず・・とでも思っているのでしょうか
      あの人が嫌い この人が嫌い
   そんな感情をあらわにして 活動はできません
       くる人拒まず 去る人追わず

    できる限り 誰にでも公平に・・・
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     個人的な集まり・・・公的な集まり
 公的な集いは一定のルールはある
    ルール以外に運営側の個人の好き嫌いの理由では 参加の拒否はしない
 たとえば 自死遺族の集い
  オープンな集い(参加資格を厳選し、選別しない・参加したい人は自由に参加できる)
     あの人のことが好きではないから排除する 悪口を言う
      そんなことは 運営側はしてはいけない
あくまでも公平に 自死遺族なら誰でも参加できますよ・・・ただしルールを守ってくださいね・・という会
 この人は好きだけどあの人は嫌い・・という会があるとしたら「仲良し会」
    仲良し会は仲良し会であって 公的な集いではない
  クローズな会である
 社会に開かれていないことになる
     よくある行政の自死遺族の集いと同じ
自死遺族への面談が行われている
  会に参加できるかどうかを面談で決められる
 参加したくても お許しがなければ参加できない
     参加したいために 運営者に嫌われないように 気を使い参加するなんて
           誰のための会でしょうか
 運営者のための会であって…参加する遺族のための会ではない

 個人的な感情と会の運営は違うはず

   個人的感情は表さないことが運営者側のルール

 感情を表さないのではなく 個人として参加してくれる人を好き嫌いと感情で見てはいけないということです

    主催者に好かれるようにしている会・・それは個人の会「仲良し会」
      一般公開して参加を促すものではない

行政主催の自死遺族の集いで 面談があることも解せない

また 行政が 自死遺族の支援団体への支援はするのに
            自死遺族の自助グループへの支援を拒否するのも解せない

   行政は公平に・・・が基本

     行政は支援団体は好きだけど自助グループは嫌いだから
      支援はしたくない・・・ということはあってはならないことです

   そして
        地元の自死遺族の団体が住んでいる県や市の対策会議への参画を求めたとき
           県外の自死遺族団体が入っているからという理由で断ることはあってはならない

   県や市の対策会議は 県内に人材がいない場合はともかく
   県内に参画を求めている活動団体があるなら 地元の団体が優先である

     県内の自死の問題は県内の人材で対策をすることが基本ではないでしょうか
 県内の自死遺族の声を無視して排除して  
   県外の人を委員に任命することはいかがなものかと思います

  それは ただ単に 好き嫌いでの判断だとしか思えません

       公的な集いや公的な機関の委員・・・好き嫌いで判断してはいけません

       遺族同士も その居場所に嫌いな人がいて顔を会わせたくもないとしたら
           自分がその場に行かなければいいだけ
 
     その人が嫌だけど  他の人たちと会いたいから参加しようと思うのもじぶん

  
  個人の自分と 公的立場の自分
       思考や言動は分けなければ・・・と思います

自死遺族の相談センター

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自死遺族の相談センター

http://nizihigai.web.fc2.com/

  家族に自死が起きたとき
     賃貸物件に住んでいたら  連帯保証人になっていたら

       大家や不動産屋に「賠償金・・・」という話しが出ることもありますが

       慌てず・・・相談してください

   090-5835-0017(タナカ)
 
     専門家につなぎます

司法書士や弁護士につなぎます

     対応の仕方をアドバイスしてくれます
      
    電話が来て困るときは 窓口になってくれます

 一人で悩まず 苦しまず・・・電話をくだされば この問題の専門家を紹介します。

自死遺族の相談センターのサイトから 直接専門家に電話されてもいいと思います

      「すみません…ご迷惑をおかけして…払います」と言わないこと

    書面で請求してもらうこと
  
     それからでも相談は遅くありません

 お金を払ってしまったら  取り戻すことは難しくなりますが
    支払う前なら 相手側のいう金額を減額できます
      
ゼロ円にしたいのですが・・・
   でも請求金額よりは はるかに減額できます

      自死だけが 賠償金請求されるなんて・・・差別以外のなにものでもありません

   この日本で  死への差別があることは あってはならないことです

     泣き寝入りせず  ご相談ください

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自死遺族と賃貸物件の家賃の賠償問題

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ここ数日 連続で 自死遺族からの連絡を受けている

 賃貸物件の賠償金の問題
    
      亡くなってすぐに口頭で「賠償してもらう」ということを言われる

   部屋で自死していないのに・・・住んでいたというだけで請求される

       家族が亡くなり・・・悲しいのに
         大家さんに「申し訳ない」と謝り
管理会社から「どうしてくれるんだ」「賠償してもらう」と言われ
     謝り
親戚から「なんで気が付かなかった」と言われ
         ・・・・・・自責の念に苛まれ  ストレスで病気になり 死ぬ遺族もいる

  どうかどうかどうか  死なないでください
     どうかどうかどうか生きてください

    悩みがあったら精神科に行っても無駄です
      どうかどうかどうか 悩みを話してください

    精神科に行っても 何の解決にもならず  死にたくなって
      死ぬことしか考えられず  自死に至ってしまいます

      家族は  大家さんにののしられ  謝り  不動屋さんにののしられ 謝り
    親族にののしられ  謝り
       気味が悪いと言われ  遺伝だと言われ
              賠償金や慰謝料まで請求され
        
    自死した人を愛している家族の悲しみは 一生続く

       死にたくなければ 精神科に行かないこと
          具体的な悩みを解決しようよ
  解決できない悩みなら
        そこから離れようよ
                      しがらみを捨てよう
      無責任でもいい
          生きてほしい

    遺族に「悪いことをしたのではない。死んだだけだから」
         「謝らなくていいのよ・・亡くなっただけですから」
    という・・と  緊張して相談していた糸が切れたように  泣きじゃくる
       泣く余裕さえないくらいに追い込まれている遺族
         数百万  数千万という金額の請求がくる賠償金

      亡くなり・・・葬儀をして・・・
        賠償金・・・御墓・・・供養・・・
            莫大なお金が必要となる

       涙を流す余裕もない遺族・・・

           悪いことをしたから仕方がない・・・と あきらめず
  自死しただけですから 相談してください
         支払わなくて済むお金は支払わなくていいんです
      
      自死した人も追い込まれ  遺族も追い込まれる社会

     人にやさしくない社会

           是正するために「自死遺族等権利保護研究会」の運動と
              「自死遺族の相談センター」活動もしている

      明日は  東京で「自死遺族等権利保護研究会」の会合

全国自死遺族フォーラム  第9回


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多くの皆さまに ご参加いただきたいと願っています

【拡散希望】第9回 全国自死遺族フォーラム 

開催地:福島県郡山市
日 時:2016年(平成28年)9月10日(土曜日)
会 場:郡山商工会議所 中ホールA
時間:13時30分開始

(一社)全国自死遺族連絡会
http://zenziren.web.fc2.com/
会場への地図です
http://map.yahoo.co.jp/maps…#
https://t.co/UQE2dox9K2

講演
上智大学 岡知史教授 
遺族の声
「娘をいじめで亡くし、裁判をしなければならなかった思いとは」
全国で活動をしている遺族からの報告

全国自死遺族連絡会から
自死遺族支援の現状と連絡会が取り組んでいる問題と具体的解決のための方法等
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全国自死遺族連絡会の活動の一つ

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「藍の会」も「全国自死遺族連絡会」もやる気満々で立ち上げたわけではない

2005年当時は 遺族の会はほとんどなく

  遺族と会いたいと思い 遠くの県外の会に参加しても遺族よりも支援者が多く
    「悲しい話」を期待されている雰囲気に傷ついたりした
 お菓子も用意されているが
   会が終わった後に箱に入れ~二度目にまたその箱から出していたのを見て
      気になって、賞味期限を見たら 期限が切れたお菓子が入っていたり
       後ろで「勉強に来ました」という人たちが 泣いている私たちを見ていたり・・・
   メモを取っていたこともあり 会が終わってから遺族だけでレストランでお茶会をしたのですが
      気兼ねなく自由に話せて 親近感も湧き、力をもらえました

 100万都市である仙台市になぜ遺族だけの会がないのか・・・と
   仙台市や宮城県 いのちの電話や仙台市立病院(ネットに遺族の会を立ち上げるという事が載っていた)に電話で尋ねたり
    お願いをしたり 知事や市長に手紙を書いたり
   自死やうつ病というシンポジュウムや故宴会に参加しては
   質問し、お願いをした・・・
しかし
どこも・・だれも・・・応えてはくれなかった
 息子の死後精神薬を飲むようになり  未遂を二度していた私はこのままでは生きられないと思っていた
    あることがきっかけで議員と連絡を取り
    議員と話し合うことができ「遺族に会いたいなら自分で立ち上げなさい、全面協力するから 」と言ってくれた言葉で
      そうだ・・・
    自分でやるしかない
  と決意
    一人で立ち上げたのが「藍の会」
会場の確保もチラシも広報もすべて一人
      広報には力を入れた
 テレビと新聞社には手紙を書き取材の依頼をした
   顔も名前も連絡先も事情も全部公開
      日本で初めてということで 話題になり 全国放送もされた
とにかく 遺族に会いたかった
  その後 国の対策に声を反映させるには   全国組織が必要だと思い
(藍の会では 相手にされなかった・・
  はい・ハイ・とは聞くが、聞くだけ・・相手にされていないことは身に染みた)
 「全国自死遺族連絡会」をたちあげ
     国に対して要望書の提出を行ってきた
それまで
賃貸物件の問題など誰も関心もなく気が付いた人もいなかった・・・
  それを社会問題化したのは「全国自死遺族連絡会」である
    いまでこそ
 いかにも以前から問題意識をもって相談にのっています・・みたいな団体が増えていますが
   この問題を表に出したのは 自分の体験を話して取材に協力してくれた遺族たちと
   全国自死遺族連絡会です
内閣府・厚労省・文科省・国交省・警察庁・法務省・国税庁と
 毎年 国会議員同席での要望書の提出と会合を持ち話し合いを続けてきたのです
      そのことを受けて 故平山先生が協力してくださり
        今の自死遺族等権利保護研究会の発足につながったのです

    遺族の支援は「総合支援」が必要だということも全国自死遺族連絡会が訴え続けてきたものです

     遺族の差別的取り扱い問題への関心が広まってきていますが
       この運動を散々批判した団体までが
          いかにも以前からこの問題に取り組んでいます的な発言をしていることに
                情けない気がします
     
    必死の思いで 取材を受けてくれた遺族がいることを 忘れてはならないと思います
 
    新聞やテレビは当事者本人の言葉でつたえることでインパクトがうまれます
        代弁では薄くなってしまうのです
       本当に仙台のある遺族にはご協力頂きました
          10年かけて やっと表に出された差別問題です

     コツコツやっていたころは誰も相手にもしなかった問題が
         注目され始めると
 私も・・私たちも・・・と 群がってくる
       なんだろうなぁ~~~

    まぁ・・いいけどね
 本当に 取り組んで解決してくれるなら・・・
      
       なにをしたいのかな・・・



   私は明確に目的がある
 その目的のために 日々 活動し 相談を受けている

    能力が追い付かないけど 続けている

 必ず 達成できると信じて・・・