
「藍の会」を立ち上げたとき 支えてくれた市会議員と仙台から能代市で開催のシンポジュウムに参加の往復の数時間
「多くの活動団体は 道を踏み外していくけど、大丈夫?」「講演したりマスコミに取りあがられると いつの間にかずれて行く人が多いのよ」・・という事を言われ 話し合った。
「あなたなら大丈夫ね・・」と最後は言ってくれた。
上智大の岡先生にも同じようなことを言われた
そのほかにも言われたことがある
そんなときは必ず「惑うとき、息子の死に顔を思い出すことにしています」と答える
私の活動の原点は 息子の自死
息子が生き返ってきたら 即活動はやめる
ボランティアは性分に合わない
マスコミに取り上げられてもほとんどは自分で見ない
自分が見るために 取り上げてもらっているのではない
知り合いに 見てとも言わない 見てほしいとも思っていない
苦しい人 悲しみを抱えた人たちが
見て 知って つながりたいと思ってくれたらいい
それだけのこと
講演も 一人でも少しでも自死という問題に関心を持って頂けたらいい
講演することで 一人でも「あ!そうなんだ」と思ってくれたらいい
それだけのこと
だから 本に書かせてもらっても
マスコミに出ても あまり 公開しない 講演も・・・

ここ数年 それでは 声が届けられない気もしてきた
が
変えていない
息子の死を語り 有名になんかなりたくない
どうでもいい
自死が減ってほしい
ゼロになってほしい
生きていてほしい
幸せになってほしい
遺族も元気で生きてほしい
ひたすらに思い続けての活動
そうすると やらなければならないことがたくさん見えてくる
いいかげん てきとうに ゆるやかに・・・
なんでもいいから 元気になったらいい・・・
そう思って続けているが
基本は自助グループ活動
「わかちあい」
定義を守り 譲れないものは 譲らない
自助グループの定義を 守らないなら
自助グループという言葉も支援グループという言葉も
支援者という言葉もボランティアという言葉もいらない
区別する必要がないのだから
自助グループとは当事者本人のみ
弁護士会も司法書士会も 同窓会も
自助グループである
弁護士という資格がないと入れない
○○学校出身でないと同窓会には入れない
自死遺族も同じ 自死遺族の自助グループは自死遺族でないと参加できない
自死遺族の自助グループだけは本人でなくても参加できるって・・・変です
そこだけは拘っている
他は緩やかでいい
連携もゆるやかでいい
私は自死遺族の自助グループを基本とした活動を広げてきた
これからも続けて行く
揺るぐことはない それは息子が生き返らないから・・・
今も息子を愛しているから
惑うことはあっても 道は外さない
笑うことが多くなっても 満面の笑みにはならない
心の底からの笑顔にはならない
でも不幸ではない 逝った息子よりは恵まれている
申し訳ないと思う
来るもの拒まず 去るもの追わず
好き嫌いはあるでしょうから
賛同できない人もひとはそれぞれ・・・
私から嫌うことはない
私は人が大好きだから
息子のことも深く深く・・今も・・・これからもどこまでも愛し続ける
亡き長男も 生きている次男も
夫も
亡くなった6人も親たちも・・・
愛しています
悲しみを抱えつながってくれた人たちも 愛しています
たとえ 嫌われても
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