9月10日土曜日

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全国自死遺族フォーラム第9回開催
9月10日
 

福島県郡山市  商工会議所  会議室
13時30分~
 岡知史教授  講演
  いじめ自死で子供を亡くした遺族の声
  自死遺族等差別問題の具体例とこれまで活動
    全国自死遺族連絡会の活動紹介

午前10時からは岡先生と共に 勉強会

 夕方からは交流会

  1年に一度の 自死遺族が全国から集う会合です
   もちろん 遺族以外の人も参加OKです
たくさんの人たちに  自死に関心を持ってもらい、
他人ごとではない自死の現状を知ってほしいと願っています
また
自死遺族支援や自死の予防・防止に
携わっている行政の皆さんにも参加して頂きたいと思っています
   
問い合わせ先 田中 090-5835-0017
   出られないときは 折り返しご連絡いたします

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悲しみは今も

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 悲しみってどこからくるのだろう
何故、消えないのだろうか
そんなことを息子が逝ってから思うようになった・・・
もがき苦しみながら
出会った言葉が
「悲しみは愛しさと共に」
   「悲しみもまた私のもの」
スーッと心におちた
    わが子を愛してやまないから悲しみも続いていい
自分のからだの一部として、愛しいものとして生きよう
       
    ☆「悲しい本」から☆
誰にも、何も話したくないときもある。誰にも.どんな人にも。誰ひとり。
・・・・・私の悲しみだから。
       ほかの誰のものでもないのだから。

楽しかったこと嬉しかったこと想い出はかなしみ
  失われた愛しい人の命を無駄にすることなく
       活かして行くことが 亡き人達から与えられている
     伝えて生きていこう 幸せに生きていた家族がいたことを・・・


   悲しみは乗り越えられない
           悲しみと共に生きていくことが 息子への愛
   
  お兄ちゃん 愛してるよ
    ずっとずっと 愛してるよ~

     涙があふれる~~今も
愛しているから・・・

  胸が締め付けられる

     かなしくて叫びたくなる

         お兄ちゃん~~~けんいち~~~miyakowasure01.jpg

願い事手帳

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✤願いを叶えよう
まず自分の好きな手帳を買い、ペンを3色そろえましょう

大きいことも、小さいことも、たくさん手帳に書いてみよう
 頑張っているのに、うまくいかない!充実感がない!                    
      このままでいいのか?
そんなあなた・・・
たくさん、たくさん、書いてみましょう
願いを言葉にして、小さな願いをたくさん見つけて生きてみませんか

1)「5キロやせる」「靴が欲しい」ではなく 
  「いつの間にか痩せて、気づいたらお気に入りの服が着れる」
   「好みの靴がひょっこり見つかる」

 ★棚ぼた式でいいことが起こる!というスタンスで書くこと★

2)「お金がないから無理」「何のとりえもないから無理」
  「あれは無理」「せめてこのくらいなら」と
  先回りして限界や障害を考えないこと
  素直に自分が望むもの、叶えば幸せだなぁと思うことを言葉にする

 ★限界や障害を考えずに書く★

3)「何かいいこと」「いい会社に入る」「お金が欲しい」など抽象的で具体的に何を指すのかわかりにくい表現ではなく、
「誰々から自分の欲しいバックをプレゼントされる」
「月給20万円の会社で自分の才能を活かせる仕事が見つかり採用される」
    目指す場所や物が明確で、より具体的な言葉にする練習をする

  ★わかりやすく、具体的に書く★




4)「大好きな〇〇のCDが見つかり、それを聞き心が癒される」
「素敵な料理の本と出合い、手早く美味しい料理ができる」
自分の好きなもの、得意なもの、ささやかでもこれまで積み重ねてきたことに目を向けよう

★自分がすでに持っているものを有効利用する★           
5)「試験に合格する」ではなく「試験に合格して、家族でお祝いのパーティーを楽しく開く」と書く
ハードルの高い願いは、楽しいこととセットにしよう
もしも不合格で願いが達成できなくても、「お祝いは延期、来年パーティーができるように頑張ろう」というように、心にゆとりができ次につながります

   ★努力が必要な願いは、楽しいことと一緒に★

6)「夫の仕事がうまくいって、毎日笑顔で会社に行く」
 「子供が健康で元気で学校に行く」
自分が幸せで居るためには、周りの人たちも元気で幸せであってほしいですね。
まわりの幸せをいっぱい願いましょう

  ★周りの人の願いも いっぱい書くこと★



叶った願いには赤や緑、ピンクのペンで印をつける

叶った願いにコメントをつける「ありがとう」「うれしい」とか・・・

新しい願い事を書き加える

叶わない願いをどうしても叶えたい時はパワーアップページを作る
「更に具体的に願いを書く」





願い事のNGワード
● NG 主体性のない言葉
 欲しい・したい・だったらいいのに・してほしい・
   あいまいな言葉
 いい子・いい学校・もっといい暮らし・何か楽しいこと
   人の不幸
 病気になる・死ぬ・損をする・別れる


〇 OK 幸せな気持ちを呼ぶ言葉
  気持ちよく・楽しく・いい具合に・おだやかに・面白いほどに
    棚ぼたで実現を呼ぶ言葉
 出逢う・見つかる・実現する・手に入る・~になる・~できる
    頃合いも具体的に
 ひょんなことから・サクサクと・思った通りに

願いを書くことで叶うのは

1:本当に欲しいものがわかる
 小さなことでも、自分の願いを素直に書くことで、自己表現ができるようになり、等身大の自分が願っている幸せの形に気づくきっかけになります
自分の中に眠る願いを外に出して実現しましょう


2:目の前にある幸せに気づく
 日々の暮らしの中にある幸せの種を拾い上げる作業が書くことです
通り過ぎてしまいそうな小さな幸せの種に気づき、芽を出したらたくさん喜び、達成感を積み重ねていくことで自信につながります


3:チャンスを逃がさず、行動する力がつく
 「あの人はツイてる」という人は生まれつき運がいいのではなく、身近なチャンスに気づき逃がさず行動を起こしている人です
チャンスの神様は前髪だけです、アンテナを張り巡らしましょう
運はそこから必ずあなたについて回りだします、信じましょう

グリーフとは日本語の悲しみではない。

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グリーフケアが商売になっている
   グリーフケアで金儲けができる

グリーフケアというあいまいなケアを学ぼうとする人が増えているから・・

    グリーフケアってどんなケア?

 グリーフって何?

  最近流行りのグリーフの意味と
    そもそもの英語のグリーフの意味が違うことを知っているのだろうか
  多分知らないでしょう
   最初に日本にグリーフケアを持ち込んだ人たちは
   本来の英語の意味を理解していた

 グリーフとは日本語の悲しみではない

     もっと薄いものである

   かなしい時に 泣いたり 怒ったり眠れなかったり
    そんな症状をグリーフというのです

  症状を表す言葉がグリーフなのです
    
    その意味でのグリーフ かなしい時に出る症状は
       時間と共に軽減されます

 2年も三年も・・・毎日毎日 通夜や葬儀の状態で暮らす人はいません
   朝から晩まで
泣いて泣いて 泣き叫び 暮らす遺族はいません

  それでは生きていられません

   症状は落ち着いていきます。

それはケアしなくても 時間と共に落ち着いていきます

    精神薬さえ飲まなければ…落ち着きます

そして泣いている 症状をどのようにケアするのでしょうか

    ケアなどできないのです
遺族本人が泣き止むしかないのです

    そして 絶対に通夜の時のままではありません
 
     そんな症状のケアだと  癒し人の雰囲気にはならない
       癒し人になれるような錯覚が  癒したい人の心をくすぐる
 悲しみにあふれた人々を 癒し 救うためのケアのスキル
が  グリーフケアだと思わせることが巧みな人たちが 専門家らしい

      それを信じ 深く考えもせず  グリーフケアがすばらしいと支援者は思うようです
最近はお坊さんにも広がり 残念な宗教者が多くなっています

     愛する人を亡くした悲しみで 泣いている人に何をしてあげられるのでしょう

      人間ごときが 何もできるわけがありません

神様や仏様でさえも 悲しみを救えない
   お釈迦様は 子供を亡くし錯乱状態にあって 子供をさらって殺していた人に
      誰も死んだことのない家から 種をもらってきなさい・・・
           生き返らせてあげようと言われた
しかしどこにも 誰も人が死んだことのない家はなかった
   そうです
   私たちは 命を引き継いで生きています
  父母~祖父母~曾祖父母~~~何代何十代にわたり引き継がれて今を生きています

     グリーフとは
日本語の悲しみとは違う意味であることだけでも知ってほしい

   日本語の悲しみがグリーフだと考えている人たちが
   最近のグリーフケアブームを作っている

 愛する人の死  その悲しみはケアできません
    悲しみを薄くするのですか?
それは 愛している気持ちの否定です
  私が息子をいつまでも重い悲しみ続けているのは 息子を今も愛しているから
      私は悲しくていいと思っている
なぜなら 今も深く息子を愛しているから
    楽にならなくてもいい
   息子をずっと深く愛しつづけたいから

  私が悲しいことで 誰にも迷惑をかけていないはず
  なぜ 他人がの悲しみをケアしたいと思うのかわかりません

  お坊さんといえども 悲しみには触れてほしくありません
      お釈迦さまや阿弥陀様を差し置いて  ケアしようなんて
          御仏の教えを軽く見ていませんか?

    私は浄土宗の教えを信じていますので 阿弥陀様法然上人の教えを学び信仰したいと思っています
       その教えは 息子を救い 私も救われる教えです
 しかし まだ教えの深さに到達していません
  だから 苦しみ悩みもがいています
   でも  グリーフケアで諭されるのは まっぴらです

   御仏の教えは  ケアではありません
        信じる心を持つこと・・・信じきれたら救われる教えです

   信じ切れていませんが・・・

      宗教者は御仏の教えの専門家になってもらいたい

    症状だけのグリーフなんて  お経の教えに比べたら浅すぎて・・・

      多分  想像ですが  お経の教えを究めるのは 難しすぎて 深められない人が多いのかな・・

     その中にも 努力して宗教者として 人柄も素晴らしい方たちもいます
        尊敬します
    若い人であっても すばらしい志の僧侶もいます

    本物が生き残る社会を作っていきたいと強く思っています     

ふっと思うこと

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 血のつながる両親は離婚
   まだ生まれたばかりの私・・・
親戚中たらいまわしになり、子供を亡くした他人のところに養女に。
 農家だったが女の子を亡くしていた養父母は男ではなく女の子を養子にした
  朝から晩まで働き、働き、働いていた養父母
 昔の農家はみんな朝早くから夜中まで働いていた
   子供が病気でも病院にも連れて行かず・・・
       だからたくさんの子供が亡くなった
 養父母は 
   自分の子供を亡くし 母方の親戚からの養女も亡くし
     もう一人、父方の親戚からもらった子供は
 1年育てたら本当の親が返してほしいというので親の元に返したら、その後すぐに死亡

  育てた子供を3人亡くした
     
      その後悔からか・・・私をとにかく大切に育ててくれた
      
しかし よく私のことで 祖父ともめていた
    農家なのになぜ男の子をもらわなかったんだ・・と

    働いても働いても  ののしられる毎日
祖父は酒癖が悪く 飲むと父を罵声し、たたいていた
     取っ組み合いのけんかも珍しくなく 日常茶飯事

 ある日 母は夜中に私を起こして 家出した
   トロッコ線路の跡を歩き・・十三湖という湖に行こうとしていた
 {あ!湖に飛び込むんだ」、幼い私にも伝わった
   大きな声で泣いた・・死ぬのは嫌だ!~~~と
      今でも鮮明に光景が浮かぶ

    それからも 祖父の酒癖は治ることはなく
        罵声とののしりが続いていた・・・
          中学のある夜 いつものように祖父に両親がののしられていた
   母が突然 納屋に走り
      父が追いかけた   農薬を飲んだ母
          それを追いかけて  すぐにのどに手を入れて 生卵を流し込み
          吐かせていた父
   農薬の強烈な匂いが今も思い出す
    母はのどと胃が焼けただれ 長く入院した

      その後、祖父は70歳を過ぎ、衰え・・・酒も飲まなくなり
         75歳で亡くなった

  母は やさしい人
       地域や親せきの人たちに 金も貸して 返してもらわず
    それを気にすることもなく
        「いいんだよ  困っているんだから」と・・・
    
  子供だった私は 事情を深く理解していない
     しかし
   いろんな思いが交差する

         家族ってなんだろうなぁ~~~と思う

     私は養父母を最も尊敬している

     やさしい人たちでした
                    祖母もやさしい人でした
    祖父も私にはやさしい人でした

      世の中は理不尽なことが多い
                      
     今、理不尽なことを少しでも是正したいと活動をしている
        やさしい人たちにとって 生きていたいと思える社会になってほしいと思う
     不平不満を陰で言うだけでは社会は変わらない
           大海の一滴であっても  多くの人たちが大海の一滴になったら
             さざ波は起こる
   何もしないでいるよりは
        理不尽に憤る気持ちを なにかに表せたら
              大海の一滴が 社会を変える
     そう信じています

   亡き息子への懺悔・・・の人生を生きています         

心が痛い

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妻が自死した時、妻の親族から「殺した」と言われる。反対に夫が自死すると、夫の親族から「殺した」といわれる
検案の書き方で「自死」となっていない場合
どう見ても自死であっても 最近多い、その他不詳の死因となった場合は、最悪検察が取り調べをする・・・
子供がいる場合、親族は残った伴侶を殺人者にしてその子供たちをどうするつもりなのだろう・・と思う
子供を亡くした悲しみで、孫の悲しみも孫の将来も考えず
 残った妻や夫を怒り、ののしり追い込んで金をもらおうとする親族もいる。
幼い子供たちを残して死んで逝く人
 残された大人は育てるという責任を負う
祖父母よりも親がいいに決まっている
 一人の親が死んで もう一人の親を祖父母が追い込んでいることがよくある
子供を亡くした自分だけではなく、伴侶や孫のことにも思いを馳せてほしいと思う、それが亡くなった人から託されているのです
自死した人たちは争うことが嫌いな人たち
 残した自分の家族の幸せを願っている
それなのに かなしい者同士が憎しみ合いいがみ合い
  追い込むなんて・・・
亡き人へのご供養にならない
 そんな相談が時々ある・・心が痛い

悲しみもまた 私のもの

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「悲しみもまた私のもの」
                       岡知史 エッセイ

 悲しみに沈んだ人がいる。その人を見るにみかねて助けたいという人が現われる。「どんな悲しみがあるか知れないけれども、時が解決してくれるものだよ」とか、「物事は考えようだよ。この美しい青空を見てごらんよ」と言葉をかけて励ますのだが、悲しみに沈んだ人は、いっこうに耳を傾ける様子はない。そして「私の悲しみも私の一部です。私が私の悲しみとむきあってすごしている静かな時間を乱さないでください」と言う。

 悲しみにある人がしばらくそうしていると、今度は「心を癒すことが仕事だ」という人々が現われる。そして、こうすれば悲しみを乗り越えられるという方法を教えようとする。彼らが示すのは「悲しみからの回復」である。どうやらそこには階段があるらしい。彼らが言う通りにすれば、階段を一歩一歩のぼるように、悲しみから回復できるのだという。

 しかし、悲しみにある人は、それは登れるような階段ではないことを知っている。深い穴の中なのか、高い山の頂上のようなところなのかはわからないが、身動きできないことは確かなのである。

 愛する我が子を自死で亡くした親の気持ちは、きっとそのようなものだろうと私は想像している。その悲しみは時が解決してくれるものでもなく、「時がたつにつれて、ますます深まっていく悲しみがある」と、息子を亡くしたお母さんは私に語っていた。

 癒されるうる悲しみがある一方で、どうしても癒されない悲しみがある。一人娘を自死で喪ったお父さんは「私は遺族ケアとか支援とかという言葉は嫌いなのです。(私の悲しみは)ケアされようがない、支援されようがないのです」と語っていた。

 現在、自死遺族ケアの必要性が多くの専門家によって指摘され、法律も行政がそれに取り組むように指示している。しかし、そこには「ケアされようがないほどの深い悲しみがある」という可能性は考えられていない。「どんな悲しみでもケアによって軽減される」と誰かが経験的に証明したとでもいうのだろうか。
 唐突だが、私はここで「障害もまた私の個性である」と身体障害者たちが主張し始めたころの、医療・福祉関係者の戸惑いを思い出すのである。障害者にかかわる「専門家」の使命は「障害を無くすこと。無くせなくても軽減させること」であった。だから「障害も私の一部だ」と障害者たちが言い始めたとき、「専門家」は自らの専門性を否定されたようにも感じたに違いない。

 たしかにリハビリテーションや手術によって軽減され、あるいは無くなる障害もある。しかし、そうでもないものもある。無くならない障害を正面から受け入れ、それがかけがいのない自らの一部として組み入れたとき、社会を大きく動かす障害者運動が始まったのである。

 自死遺族の市民運動も「悲しみは私たちのもの」と高らかに宣言するとき、力強い一歩が始まるのかもしれない。訓練で身につけた技法や頭で覚えた理論など、人間が後で身につけたもので、人生の最も深淵な死の悼みを救えるはずがない。それを認めたいか認めたくないかにかかわらず、ダチョウが空を飛べないように、蝶が水中を泳げないように、遺族ケアはある人々の前には無力であることは否定できないのではないか。生死の根源の苦しみを自ら体験した者だけがもつ威厳に、「専門家」は沈黙するしかない。それを「救える」と考えること自体がおこがましいのだ。

 「障害も個性の一つ」という考えは、社会的に広がっている。それでもリハビリや医療の重要性は誰も疑っていない。両者は共存できるのである。遺族ケアも「悲しみは私たちのもの」という遺族の主張を認め、それを前提としたときにこそ新しい段階に進むのだろう。




◆ 岡知史氏と出会い、交流が深まる中で、このエッセイを頂いたとき、涙が溢れたのを思い出します。遺族の多くは、「悲しみもまた私のもの」という言葉に救われています。
「私の悲しみは私のもの、誰のものでもない私のもの、だから悲しみはそれぞれでいいのだ、何年たっても涙が溢れてもいい、それは私のものだから。」
                             田中幸子

鈍感な人たち

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忙しすぎて ブログを書く時間がとれなかった・・・
  夜中になると 眠たくなって…バタン!と倒れるように 爆睡

 最近 悲しみを抱えた人を救いたいという人があふれているように感じる
   新聞も本も・・・セミナーも講演も・・・
グリーフとは
 グリーフケアとは  子供のグリーフとは
   悲嘆とは
悲嘆からの回復とは
複雑性悲嘆とは  遅延性悲嘆とは
  災害と悲嘆
      死別の悲嘆
 癒してあげたい人たちでセミナーは満席になるらしい
    
     愛する家族を亡くし・・・悲しんでいる人に 何をしてあげたいのだろう
愛するからこそわきあがる悲しみ
 どのように悲しもうが 誰にも迷惑をかけていない
   なぜ 悲しみをケアしたいのでしょうか

悲しみがあってもいいと思うのですが・・・

      泣いてもいいと思うのですが 泣いてはだめなんでしょうか

     いつまでも泣いていても 社会に迷惑はかけていないはずですが
       泣いたらいけませんか?
  
    悲しみを味わった人は 悲しみがケアできるなんて思わない
     セミナーに行く人は 悲しみを体験したことのない人
         でも不思議です
  おばぁちゃんやおじいちゃんが亡くなっていないのでしょうか
    身内や親せきで 誰も亡くなっていないのでしょうか

  誰かはなくなっているはずです・・・が
 
おばぁちゃんやおじいちゃんが亡くなっても
    葬儀にも出たこともない・・・とか
      自分の親たちが 祖父母の死を悲しんでいることを見たこともないのでしょうか
   
  悲しみを ケアできるような年齢まで生きてきたら
      自分の親族の死を体験していると思うのですが・・・
         一度も体験したことがないという人だとしたら
          感性が鈍く  感受性も浅い人です
  だから 人の悲しみを学んでケアしようという傲慢な人格が形成されるのでしょうね

     幼い頃から 親しい人たちが亡くなるのをたくさん体験したら
         そのことに気が付いていたら
            悲しみがケアできるなんて思わないでしょう

     ケアができると思っている人たちこそ ケアができない心根の人
       遺族が最も嫌う人格の人たち

    ケアできない・・何もできない・・・
  と自覚できる人たちこそ  支えてくれ一緒に歩いてくれる人たち
  これまでの死別の体験とは深さの違う息子との死別
そんな時
    そんな人たちにたくさん出会い 多くを学び  支えられ生きてきた  

     ケアします・・支援者ですという人たちに追い込まれ傷つけられてきた

      本当の意味で 悲しみのケアができる人は
             求めることを 一緒に考え 必要なことにつなげてくれる

     決して  あなたのグリーフケアをしてあげますとは言わない

     泣いて泣いて 涙を流すことしかできない時もある

          息ができないほど 泣く時もある
 泣きたいときは泣くこと泣いたらいい
  泣き疲れて倒れるまで泣いたらいい
   それでも涙は枯れない また涙があふれる
その時はまた泣いたらいい

    それしかない

    どうしてこんなにも 悲しみをケアしたいという卑しい人たちが多くなってしまったのでしょう
まるで自分には 悲しみなんて関係のないことのように 悲しみについて学んだりして
     心から幸せでないのでしょうね
  幸せなのに・・どこか満たされていない
   その満たされない思いを埋めるために・・・悲しい他人と接して 自分の幸せを確認したいのでしょう

    この人たちって なんてかわいそう 子供が死んで・・・
   私は幸せ・・・子供が生きているから・・あ~~~よかった

       心の声が聞こえそう

グリーフケアのセミナーに人が殺到するのは
     幸せを感じられない人たちが多いということ  
         モノがあふれて 本当の意味での幸せに気が付かないのでしょうね
    別な意味で かわいそうな人たちです
   

                 

     

人間の悲しみ

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今から新潟市に行く
 「逢うる」が主催のイベントに参加
    月曜日の明日は新潟から東京へ
   取材を受ける

 金曜日の茶話会で質問を受けた
    グリーフケアという意味について

故平山先生の著書にはグリーフとは「悲しい時に起こる症状のこと」とある
   現在信じられている「悲しみ」ではない
「悲しみからの回復」がグリーフケアではない
 「悲しい時に起こる症状」
    泣きわめいたり 怒ったり  イラついたり
     八つ当たりしてみたり ご飯が作れなかったり
お風呂に入れなかったり
   人と会うのが怖かったリ  話したくなかったり 無性に話したくなったり
   様々な症状が出てくる
  眠れなかったり  突然涙があふれたり
     
根底にある悲しみをケアするのがグリーフケアではなかったはず
  どこかで 悲しみのケアに入れ替わってしまった

   泣き叫んだりすることは  少くなくなっていく
    だからといって 悲しみが少なくなったわけではない

    平山先生はそのことを理解して グリーフケアを唱えていた

  しかし 最近は 悲しみをケアするというグリーフケアになってしまった

 それは きちんと学んでいない人たち・・
いや学んでいながらも 金儲けができる悲しみのケアという看板を掲げたのだと思う

   卑しい人たち  傲慢な人たちである

  平山先生は謙虚な方でした

    本当に よくしてくださいました

    パフォーマンスだけの支援は支援ではない
  ケアするという事は大変なこと

   遺族はほとんど自分の力で耐え忍び 道を光を探している
       会の開催なんて ほんのいちぶ
  1か月1回 2時間程度で どんなことができるというのか・・・
      気付けるきっかけになれれば いいと思うだけ
無理に立たせて 歩かせることはできない
   一人で立って 歩くだけ
 一緒に歩くことはできる
   先に歩いて 歩きやすいように 石ころをどかすことはできる
      傍を歩くことはできる
  でも 手を引いて ずっといつもいつも歩くことはできない

 その人がその人の力で歩くだけ
       悲しみもまたその人のもの
その人の悲しみはその人だけのもの
    かなしいという感情は  自分と亡き人の間に生ずるもの
        自分以外の人がその間にはいることはできない
 
  岡先生が講演でこんなことを言っていた

 他者から見える悲しみとは

水槽の中で泥が渦巻いている
  波立っている
 泥が悲しみだとしたら
    人は水槽をみて 悲しみがいっぱいと思う
少しずつ時間が過ぎて
  泥が沈殿していくと 水槽の水が澄んでくる
     きれいになった水槽をみて 悲しみが消えたと思う
しかしその水槽の底には 泥がたまったまんまである

 時々  揺さぶられ  泥がまた水槽を濁す
       そしてまた沈んでいく

    きれいになった水槽を見て人々は すっかり悲しみが消えたと思う

   そんなことではないでしょうか・・と話してくれた

 なるほど!と思う

    症状は穏やかになっていく
       グラグラしない
     でも悲しみという泥は  ずっと水槽という心底にある

時々 地雷を踏み  揺れ動く
   泥が舞い上がる   人々はまた悲しんでいると思う
      いや突然沸き上がったのではなく
いつもいつも 悲しみと一緒にいるんですよ・・・
          それが
愛する人との死別の悲しみ
   誰にも 取り除けない
 取り除かなくていい
    大切な人との間にある愛だから
 私の愛を取り除こうなんて やめてください

   今のグリーフケアは
  愛を取り除こうとしているとしか思えない

 ご自分の大切な人への愛を取り除けますか?

     人が人を愛する気持ちを 愛し続ける心を否定する行為が今のグリーフケアです

  深く考えてみてほしい
 浅すぎます
      人の悲しみなんて 深いもの

   人間が考えた言葉でいい尽くせないほど深いものです

英語のグリーフと日本語の悲しみの違い

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グリーフケアって何をどのようにケアするのでしょうか
   ケアとは関心を持つこと・注意を払うこと・介護・世話
      という事のようです
 グリーフを死別の悲しみと訳すのは乱暴です。
   グリーフを悲嘆と訳すのも乱暴です。
そもそも訳は訳
  日本語の持つ深い意味合いには届かない
     日本語は英語のように英字ひとつの表現ではなく
  カタカナ・ひらがな・漢字と3種類あります
    かなしいもひらがなでの「かなしい」
    カタカナでの「カナシイ」
また漢字は何種類もある「悲しい」「哀しい」「愛しい」
   そのかなしいを「グリーフ」と一括りにすることは 繊細ではありません
      わびさびも・・・あうんの呼吸も 英語にはありません
 
 だから 家を失う悲しみ・転勤する悲しみ・犬を亡くした悲しみ・仕事がない悲しみ
  本をなくした悲しみ・失恋の悲しみ・転校の悲しみ・洋服を買えなかった悲しみ・
財布を亡くした悲しみ・猫が死んだ悲しみ・金魚が死んだ悲しみ・
 試験に失敗した悲しみ・・・・あらゆる喪失感をグリーフという英語圏の意味と
    かなしいという言葉の表現がたくさんあるような微妙な心の変化もあらわす日本語の意味とは同じにならない
  それを
同じかなしみだ…という考えでのグリーフケアはそのままでは日本人の心にはそぐわない
  国の言葉はその国民の感情を表現するにぴったりにできている
    日本語の悲しいを英語で訳すことも難しいと思う

  よろこび・悦び・歓び・慶び・ヨロコビ・ と よろこびということばもたくさんある

   一つ一つ意味が微妙に違う

かなしいという言葉もひとつひとつ微妙に違う

      グリーフという一つの言葉で日本語の日本人のかなしみを表現して
  しかもケアしようとしている日本人は 繊細さに欠けているとしか思えない
      
     日本人独特の微妙な感情の表し方に思いを馳せられる人は
      乱暴に一つのグリーフという言葉でのケアはできない

    人間の死の悲しみも
     他人の死 家族の死 子供の死 親の死 祖父母の死 従妹の死
         ・・・・・・・・ご近所の人の死・・・・・・
  それぞれに違う悲しみ
 ましてや 仕事や家失恋の悲しみとは 悲しみの質も違う
    
   それを遠くから見たら悲しみは一緒ですという考え方がグリーフケア

 英語圏のアメリカでは何の役にもたたない!
   ケアしている人たちが喜々としているだけ!というニューヨークタイムズの記事や
   ジャーナリストが書いた本や教授が書いた本もある
      
しかし日本人は反対論は翻訳しない
   それは支援者に不利になるから翻訳しないだけ
 支援をしたい人たちが増えるとグリーフケアを生業としている人たちは儲かる
     悲しみにはケアが必要です
   ケアしてあげる人たちの存在が必要です
    ケアしてあげることは人助けです
 人びとを悲しみから救ってあげるのですから・・・
    人びとを悲しみから救う人になりませんか?
 と宣伝されたら
      救うことができると錯覚する人が研修を受けに費用を出してくる・・・のです
 それが 3日間で28万円だろうが…1日6万円だろうが
    救い人になりたい人が参加するのです

       それは 
自分よりも苦しい人をみて自分の幸せを確認したい という人間の本能を突いていて、ビジネスとしてはすごいです
   最高のビジネスです・・・楽して金儲け・・

  愛する家族を突然亡くした遺族が参加しなくても
 納得しなくても・・・支援者を育てたらいいだけ・・・のグリーフケアの専門家たち

       大学も金儲けのドル箱らしい

ケアしたい人たちが殺到するそうですから・・・

     お金を出して学ばなくても 自分の家族が亡くなったら 何十倍も悲しみを知るのですけどね
      自分の家族は死なないとでも思っているのでしょうか・・・ 

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支援・ケア・ってなに

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当事者同士が潰しあうのが一番悲しい
  大きな権威と戦うとき 全部が同じにならなくても
   すべてに共感できなくても
ひとつの目標が同じなら 緩やかにつながり応援したいと思う
    大きな力を持つ組織は 当事者同士の分裂を望んでいる
      市民運動が広がらないことを願っている
足の引っ張り合いをすることを 笑っている
   同じ苦しみ同じ悲しみを持つ者同士 批判しあうことがある
     とてもかなしい
私は支援者には厳しい
  誰にでも厳しいのではない
    仕事で遺族支援をするという人たちに対して
    遺族の耳に届くように「遺族の話を聞くのは疲れる」というのはいかがなものですか?と言ってきた
遺族に聞こえないように「悲しい話は心がしんどい」「聞いた後にケアしないとやってらんないよ」というのはいいと思います
   聞こえないんだから・・・
ただし
昨今
聞こえるように大きな声で「悲しい話を聞くことは聞く側が疲れてしまうから自分達のメンタルケアをしましょう、これが最も大切な事です」ということをネットにも書き込み公開している

 アメリカからきた手法なのだと思う
 アメリカ人はそんなことを言われても多分平気で「私の話を聞いて!」といえるかもしれないが
  日本人は「いや・いや申し訳ない・・聞いてもらわなくてもいいです」としり込みする民族
     
ここはアメリカではなく日本なんです
  生活習慣や考え方感じ方が違う民族なんです

 ましてや 心 精神  悲しみなんて・・・表現方法が違います

    支援する側が 深く学んでいないからこんなことが起きる

   グリーフケアなんて時代遅れ・・・という人たちが欧米には多く見られる
     日本では 鬼の首でも取ったように 自慢している人たちが多いのようですが
        昔々の考え
 今はその国にはその国の悲しみや喪の文化があると言われている
      それが主流
    アメリカ人の喪の文化が正しい悲しみ方ではない
 悲しみに正しい悲しみ方なんてない
    そのひとそれぞれ・・・一人ひとり違う
日本は日本の風土文化宗教観に根差した喪の習慣がある

     心は人の真似はできない

    支援者に嫌われることが多いようなのですが
      支援者には嫌われてもいい

当事者本人が 元気に生きてくれるためなら
   息子が褒めてくれると思うから…

でも・・でも
    野田先生や岡先生 山田先生や斎藤先生・・・
他にも大勢支援してくれる人たちがいる
     遺族以外にもたくさん支援してくれる人たちがいる

   県や市とも 仲良くやっている 県警本部も・・・

  マスコミの人たちも理解を示してくれる人たちは大勢いる

      まだまだ 自死は語れない死
        偏見と差別の目で見られる死

  変えていきたい  普通に話せる社会
  自死のない社会
    やさしい人たちがやさしいままで笑顔で生きられる社会
   生まれてよかったと思える社会に変えたいと願って活動をしている

    まだ11年・・・
もう11年・・・thRBFX4W4F.jpg


心理的瑕疵の拡大解釈

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衆議院議員会館での「自死遺族等権利保護研究会」主催のシンポジュウムは無事に終えました。
野田先生はじめ 弁護士・司法書士・民法学者・・そしてお手伝いに来てくれた遺族
 ありがとうございました。

5回目の開催
 それぞれの専門家の発表がとても分かりやすく
  「これなら 社会の差別を是正できるかも・・・」と思った時間でした

「善管注意義務違反」
「告知義務」
「心理的瑕疵」

アパートを借りるとき 「私はここで自死します」という意識で借りる人はいないはず
 「この子は自死すると思いますが貸してください」と連帯保証人になる親はいない
  ・・・
また告知義務は
 自死に限らず 孤独死についてや 同じ物件内で離婚が続いたとか
この物件に住んだ人が次々と破産したとか・・・
隣の土地が御墓だとか
昔刑場だったとか やくざの事務所があるとか
いわゆる 借りたい人が
「縁起が悪い」
「気味が悪い」
「物騒だ」
と あとで
「イチャモン付けのようなことをを不動産屋にいうと
     もめたり信用問題になるから
事前に借りる人に伝えますという事を決めた宅建法によるもの

その中でも 殺人が起きた物件は犯人からは賠償金は取れないし
 殺された遺族からは取れないから
自死は遺族も悪いと思っているから
  そこに付け込んで 取れる遺族からはとろうということのようです

遺族が不当な請求には応じないという毅然とした態度で望めば
  是正されていくはずです

心理的瑕疵

これが拡大解釈されたら
    何もかも気味が悪い
ということで
 ほとんどの不動産の価値が下がり
    日本全土が気味が悪い土地という事になります
心理的瑕疵は日本全土にあります

戦争で人が死んだ土地 戦国時代に戦いの場だった土地
 交通事故 昔の病院跡地  刑場跡地
    震災で人が亡くなった場所
御墓・・・お寺・・・
  突然倒れて人が亡くなった場所
昔は家で亡くなった・・・
 昔からある家の場所は 人が亡くなったことのある場所
  東京も広島も仙台もですが空襲で多くの人が亡くなった
      人が亡くなった土地が心理的瑕疵と判断するなら  ほとんどの土地は心理的瑕疵が生ずる

人はいつどこで亡くなるかわからない
   人間が死んだ場所が 瑕疵  汚れ・穢れとなる文化がある日本
    
宗教的な考えから来ているといわれる

 日本の宗教は 祈祷が最初
     災いを祈ってはらうという信仰

   亡き人が悪さをしているから  災いが起きるという考え
        
   亡き人を愛していない文化

     自分も亡き人になるのに・・・

     極楽浄土に往生するという教えが広まってほしい

 そしたら 亡き人が怨霊となるような考えは無くなる
     
  阿弥陀様の本願を広めてほしい

   穢れた死がなくなる

亡き人にやさしい社会 それは生きている人にも優しい社会
今の社会は
 生きている人にも冷たく
    亡き人にも唾を吐いている

   日本は世界で最も自死が多い国
  
正確には7万人以上とも言われている自死者
若者の死亡原因トップが自死