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自死遺族支援

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自死遺族支援が国の対策になっている

 国が税金を使い自死遺族の支援をしなければならないということで
  研修会を開催しガイドラインを作り 調査研究をしている

その対策の考え方や内容に憤り傷つき「国」に「要望」をしてきた
  ひとつのわかちあいの会では国に意見は届かない
    仙台の「藍の会」はわかちあいの会
  匿名でも参加可能
   したがって 遺族として会への登録はない
     そうすると・・・行政は「藍の会」は田中一人の会 との認識となる
 多くの遺族が参加しても それは藍の会の会員ではないから
   メンバーの氏名を…といわれると 書類には記載できない

 国も同じ 自死遺族の声と言っても田中さんの声だけですよね・・書面ではと言われる

  だから全国自死遺族連絡会をたちあげた
  国に自死遺族の声を聞いてもらい 遺族当事者の声を施策に反映してほしいから

   国がなぜ自死遺族支援を掲げているか
それは自死遺族が未遂者と同じように自死のハイリスク者であり
    精神疾患者が多く知識もなく貧困層であって
        自死は遺伝的要素もあると決めているからです

 だから 自死遺族の窓口は「精神保健福祉センター」になっているのです

  国の自死遺族支援の内容は それに基づいていますので
   「悲しい」ことへのケアが中心
    しかも自死遺族の悲しみは他の遺族と違い病気であるという概念でのケア内容

   だから 遺族面談や(会に参加可能かどうかの面談)
    会への参加資格の条件に 死後半年以降となっているところもあるのです
なぜ半年か・・・それは半年過ぎ手間だ悲しみが消えない遺族は複雑性悲嘆という精神疾患だから
   保健師さんや研修を積んだ遺族支援の専門家が「会」を開き
    お話を聞き その中で 悲嘆から回復していない遺族は精神科医につなぐ・・という構図です

  自死遺族は自分達がどのような目で見られているのかを知って
   行政の会に…ボランティアの会に参加してほしいと思っています

陰で自分達がどのように思われているのか・・・微笑みの陰で・・・

  しかも 国やボランティアの支援は「悲しみ」だけ
   「総合支援」は視野に入っていません
いじめがあった場合の情開示請求や控訴・・
パワハラや過労・・債務・・介護・・家族関係
    育児・・・賃貸物件の賠償金   ・・・・
  こんな支援はしようと思っていません

生きて行くための   総合支援を目的としているのが自死遺族の当事者団体です

  自死遺族の悲しみが 自死することにつながるという考えだけの支援

     しかも 1か月2~3時間のセッション

全国自死遺族連絡会は「自死遺族等権利保護研究会」のたちあげて
   それぞれの専門家に相談にのってもらっています

みやぎの萩ネットワークは 更に幅の広い専門家に相談にのってもらっています

    それぞれの専門家がそれぞれの専門分野で 専門知識を活かして
        そしてそれぞれが繋がり  一人の遺族の支援をする

 それが支援と呼べるものではないのでしょうか

       悲しみだけという狭い分野だけの支援・・他の支援は
たとえ遺族の求められても 相談にのらない・・つなげない

   そんな支援をしている人たちを  自死遺族支援の専門家というのでしょうか

    どのような人たちへの支援も「総合支援」が構築されるようにすることが
     支援者には求められていると思う

全国自死遺族連絡会は自死遺族の総合支援のための団体
 2008年からずっと一貫して続けてきた・・・
     悲しみだけの支援を絶対的正義と主張している自死遺族支援者の人たちから批判されながら

     
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遺族が送ってくれた画像

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息子さんを亡くされたお母さんからおくられてきた画像
   160521_1635~01

 私のブログの多くの画像は ガラケーの携帯写メ
    歩いているとき どこでも花を撮っています

携帯からパソコンに送り ブログに掲載

   ブログを書く時間もなく 5月は慌ただしく 動き回り
今日はこれから東京
第5回自死遺族等権利保護研究会のシンポジュウム
 第一衆議院議員会館で開催
    泊まり  明日の午前中は 今後の自死の対策の展望をある人たちと話し合う

日曜日は「藍の会」

22日の日曜日から関西方面に行き 交流会と講演と個別面談

  お久しぶりの遺族の方とも会って(急に声をかけたのですが会いに来てくれて感激)
    元気確認をして「ほっ」

関西に行くといつもお世話になる息子さんを亡くされた人からは
「てわたしローソク」を頂き  これまた感激

 昨日のつむぎの会で子供を亡くしたお母さんたちに「てわたし」

   亡き人たちの声と遺された人たちの悲しみと
     御仏のお仕え人である僧侶の読経を聞いたローソクがリメイクして
      かわいいローソクとなって 遺族によって・・・亡き人のためにまた灯される

全国の遺族に届いてほしい
  きっと届く

5月27日 第一衆議院議員会館

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第5回自死遺族等の権利保護シンポジウム
~自死遺族等の差別問題を考える


自死遺族が直面する、差別・偏見と法律問題等を実務と法的解決の現状について考えます。

【日時】 2016年5月27日(金)午後4時30分から午後7時30分 【場所】

衆議院第一議員会館 多目的ホール *入場無料・事前予約不要 入口で係りの者から通行証を受け取りご入場下さい。




~~~ プログラム ~~~

【第一部】 午後4時30分~5時 全国自死遺族連絡会から報告・遺族から

【第二部】 午後5時~6時30分 法律専門家による現状と問題点 <休憩> 6時30分~6時45分


【第三部】 午後6時45分~7時30分 基調講演 野田正彰氏


第二部パネリスト 和泉貴士弁護士 大熊政一弁護士 斎藤幸光司法書士 細川潔弁護士 山田創一専修大学法科大学院教授(五十音順)
□□□□□ 「自死遺族等の権利保護シンポジウム」の歩み □□□□□
【第1回】 2010年6月3日 虎の門日本財団ビル2階大会議室
テーマ ~自死遺族の総合支援をかたちづくるために~
【第2回】 2012年7月9日 赤坂スター会議室
テーマ ~アパート損害賠償請求裁判・控訴審を前に~
【第3回】 2013年3月26日 衆議院第2議員会館 多目的会議室
テーマ ~個別的解決と立法的解決~
【第4回】 2015年5月18日 衆議院第1議員会館多目的ホール
テーマ ~改めて自死への差別・偏見を考える~

精神科での患者拘束、全国1万人超 10年前の2倍




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精神科での患者拘束、全国1万人超 10年前の2倍

[2016年5月9日9時33分]  共同通信

精神科病院で手足をベッドにくくりつけるなどの身体拘束を受けた患者が2013年度、全国で1万229人に上り、10年前の2倍に増えたことが9日、厚生労働省の調査で分かった。内側から開けることができない「保護室」に隔離された患者も約3割増の9883人だった。



 精神科病院での身体拘束などは精神保健福祉法上、本人や他人を傷つける恐れがあるなどと精神保健指定医が判断した場合に限定的に認められている。



 厚労省は調査結果について「明確な因果関係までは特定できない」とした上で「アルツハイマー型認知症患者の割合が増えている背景はある」と説明。識者からは安易な身体拘束を指摘する声もあり、人としての尊厳や権利の制限につながるとの懸念から「適切性を第三者機関が判断する仕組みが必要」との意見も出ている。



 精神科に関する全国調査は厚労省が毎年度実施し、入院患者数や医療従事者数、病床数などを集計。データがまとまった13年度の対象は1616施設だった。



 その結果、身体拘束を受けた患者は1万229人に上ることが判明。最多は北海道の1076人で、東京の992人、埼玉の878人が続いた。また「保護室」への隔離は9883人で、最多は大阪の612人だった。



 身体拘束に関する調査項目は03年度に加えられ、同年度は5109人(対象は1662施設)。その後増加の一途をたどっているという。03年度に保護室に隔離された患者は7741人だった。



 一方、精神科病院への入院患者数は減少傾向にあり、03年度に約32万9千人だったのが、13年度は約3万2千人減の約29万7千人となった。



   ――◇――



 <不当な身体拘束は高齢者施設でも表面化>



 高齢者に対する不当な身体拘束が疑われる事例は近年、特別養護老人ホーム(特養)など高齢者施設でも表面化している。ベッドや車いすに縛り付けるといった行為について、識者は「高齢者を追い詰め、心身の健康を損ねる危険な行為。認知症などの場合、症状を悪化させる恐れもある」と警告する。



 厚生労働省は、「身体拘束ゼロへの手引き」で<1>ベッドの四方を柵や壁で囲む<2>ベッドや車いすに体や手足をひもで縛る<3>介護衣を着せる-などの行為を例示。これらは介護保険法に基づく省令で原則禁止とされ、入居者や他の利用者に危害が及ぶ恐れがあるなど、施設の職員がやむを得ないと判断した場合に限って認められている。



 だが昨年には、埼玉県内の特別養護老人ホームで、必要な手続きを踏まずに認知症の入所者の身体拘束を続けていた問題が発覚し、県が行政処分を出す事態に。東京では、高齢者向けマンションで行われていた身体拘束について、区が「妥当性を検討した形跡がない」として虐待と認定したケースもあった。



 淑徳大の結城康博教授(社会福祉学)は「身体を拘束する行為が情緒不安定な状態やうつなどの症状悪化を招き、問題行動が増えた結果、さらに拘束が必要になるという悪循環に陥ることも多い」と指摘。「安易な拘束を実行する前に、問題とされる行動の背景や原因をよく考え、本人の心情や体調の変化などを理解するよう努めるべきだ」としている。(共同)


子供の自死と日本スポーツ振興センターからの支給




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小学生、中学生の場合は  自死であっても学校に申請を依頼したら
支給されます。

裁判をするにしても 必要な経費になります
 まずは請求してほしい。

請求しなければ支給されないのです

共同通信の記事
 愛知県立刈谷工業高2年の山田恭平さん=当時(16)=が2011年6月に自死し
た問題で、学校の管理下での事故に見舞金を給付する日本スポーツ振興センターが一度
不支給とした決定を撤回し、遺族に2800万円の支給を決めたことが23日、関係者
への取材で分かった。決定は15日付。
 センターの施行令で高校生の場合、「故意に死亡したとき」は、原則給付の対象外だ
が、センターは「学校の管理下で発生した事件に起因する死亡に該当し『故意に死亡し
たとき』に当たらない」と判断した。不支給決定を覆したのは異例とみられる。
 自死を調査した愛知県の第三者委員会の報告書によると、山田さんは所属した野球部
の顧問が他の部員に平手打ちや蹴りを加える様子を見聞きしたことや成績の悩みなど複
数の要因が影響して、うつ病が進行し、自死につながった。
 遺族は14年11月、死亡見舞金の給付を申請。15年7月、 センターは第三者委
の報告書を基に、自殺と体罰を見聞きしたこととの直接の因果関係を認めず、「故意に
死亡した」と判断して不支給を決めた。
 遺族代理人の野口善国弁護士は、報告書にはない野球部員から体罰に関して聞き取っ
た録音や、センターの理事長が15年9月に国会で「精神的に極度に追い詰められた状
態で起きた自死については給付の対象になりうる」と答弁したことなどを基に不服審査
を請求した。
 野口弁護士は「自殺は追い詰められた死だという理解が進んできた。給付の考え方が
変わりつつある」と評価している。
 見舞金はセンターが運営する互助共済制度で支払われ、掛け金は教育委員会など学校
設置者と保護者で分担している。小中学生の自死では高校生のような規定はなく、学校
での出来事との因果関係が認められれば支給される。

精神科に入院・通院の患者の死亡数

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不健康は悪なのか~健康をモラル化する世界

  信じがたい統計数字
精神科病院で死亡する人は1か月に1882人(2011年6月・厚労省)
2003年は1242人
年々急増
しかも1年未満の入院患者が51パーセントを占める
  死ぬはずのない精神障害でなぜこんなにも死ぬのか
多量に薬を呑まされているのではないか

アメリカ精神医学会の「精神障害の診断・統計マニュアル」は
1968年180種類の精神障害名をあげていたが
1994年の改訂では350種類を超えている
 26年間で精神障害の種類が2倍になった
例えば
注意欠陥障害の患者数は3倍
自閉症は20倍に増えている
 かつては少なかったそううつ秒(今は双極性障害)は
ここ数年で40倍になった

日本でもうつ病などの気分障害が96万人になり
 15年前の2・2倍
 しかも患者は2・2倍
精神薬の販売高は5倍の1000億円


マーケティング手法による病気づくり

愛する人の死への悲しみさえも精神疾患とする社会
  人との付き合いが苦手な人も精神疾患
相手の顔色をみて その人のご機嫌を損ねないような会話ができないのも精神障がい
奥さんの育児の手伝いをしないのも発達障害
 子供の忘れ物や寝坊も発達障害
   妊娠もうつ病
 産後もうつ病
 5月もうつ病  秋になるとうつ病
おしゃべりすぎても発達障害
   寡黙な人も発達障害
 なんでもかんでも 精神病
  日本人は全員精神障害らしい

 そんなことをいう精神科医のほうが精神病だと思う
   精神薬を売る製薬会社は悪魔の住処

 治せないのに 治ると虚偽の宣伝
   精神薬で幸せにはなれない
     元気にもならない

   普通の人間の苦しみや悲しみを精神病と宣伝し
    精神薬を飲ませて
脳神経を破壊し
 本物の精神疾患者に仕立て上げる
    恐ろしい社会

1か月に1882人の死亡退院
 1年に2万2千584人が精神科の死亡退院
    自死者3万人のうち 6割が精神医療の受診を受けていた人(警察庁発表)・・健康問題のほとんどは精神の健康問題
 1万8千人が精神科の受診あり
  合計
1年間に精神科の受診をして通院・入院で死亡した人)自死も含む)
   4万人以上    
  精神病は死ぬ病気ではないのに・・・不思議な現象がおきている

5月の日程

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12日はみやぎの萩ネットワークの幹事会
13日は 東京
 自死遺族等権利保護研究会の定例会

 泊まって 次の日14日は  郡山市の「えんの会」に参加
   15日は大河原町・・・の「マロニエの会」
19日は藍色のこころサロンとみやぎの萩ネットワークの例会
 22日は大阪市 自死遺族の交流会へのお手伝い
  23日は神戸で講演
   近畿ブロック浄土宗青年会に招かれてます

昨年の9月の京都府と京都府宗教連盟に招かれて
京都市と宮津市と連続二日の講演をしたときに 反省点がいっぱいだったので
 (自死遺族への差別問題をテーマにしました)
   わかりやすく自死遺族としての思いを伝える言葉を探しています

次の日の24日は大阪の自死遺族と個別にお会いします
 
   26日は「つむぎの会」子供を亡くした親の集い
27日は
衆議院議員会館でシンポジュウム開催
29日は「藍の会」

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ひとりごと

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遺族支援者のための研修会の資料
  最後にという部分にこんなことが書いてある

「悲しみを止められるということは、
亡くなった人のことを忘れるわけではありません。


悲しみ事が少なくなればなるほど、
一層亡くなった人が近くにいるように思えるのです。

というのは、ともに笑い、楽しかった日々、
そして記念日を思い出すでしょうから。」

 唖然として・・・空いた口がふさがりませんでした

悲しみを止められるって 何でしょう
  止められるのでしょうか・・・
どうやって?
   悲しみが少なくなればなるほど・・・って
悲しみがどうしたら少なくなるのでしょうか
  
笑い・楽しかった日々は  悲しみなのですが・・・
     全くわかっていません

支援者に亡くなった人が近くにいるように思えるのです。なんて言われたくありません

    愛する人を亡くしてもこの人はこのようなことが言えるのでしょうか



この資料は  国立精神神経センターの中○さんのものです

   

日本の研究者は日本人の研究をせずに
  アメリカの研究者の論文を翻訳だけして
     そのまんま 講演しているだけ・・・

ここ10年 遺族たちは声をあげています
自分達で 教授に頼んで 共著で論文も発表してもらっています
 日本の遺族たちと協力して 日本人独自の遺族の研究をなぜしないのでしょうか
  
「複雑性悲嘆」
「持続性複雑死別障害」
「遅延性悲嘆障害」

「仮面悲嘆反応」
「複雑性悲嘆の危険因子」


オランダの自死遺族は

うつ病 10・5パーセント
複雑性悲嘆 57・4パーセント
自死念慮 9パーセント

自死遺族の76・9パーセントは精神健康の悪化だということです

うつ病治療やPTSD治療
薬物治療が必要であるとしている

「通常の悲嘆反応」というのが決められている

一人ひとり違ってあたりまえなのに
  普通の悲嘆反応というのが決めてある

サポートグリープといいながら
同じ経験をした当事者同士が集まって支えあうと言っている

自助グループはサポートグループとはいわない
 カタカナでいうなら
セルフヘルプグループ

当事者同士だと お互いを比較してしまう  としている
いやいや 
支援者とだって 比べてしまう
  悲しいふりをして聞いてくれているけど
 家に帰れば 家族がいて 幸せいっぱいな人なんだよな~~~と

遺族同士だから比較するのではない
  支援者との比較のほうが大きいと思う

専門家との連携が不十分である場合のデメリットとも書いてある
   専門家って?誰?
精神科医?
なんで精神科医との連携が必要なの?

悲しみは病気と決めつけているから
  特に自死遺族の悲しみは病気・精神疾患という概念がある

 自死遺族支援が「精神保健福祉センター」で行っていることがその証拠
   保健師が主催して自死遺族の会を開催していることが
 そもそも差別と偏見

 自死遺族のほとんどは精神疾患者であるという前提

自死遺族の人たちには 考えてほしいと思っている
   自死者と自死遺族への差別と偏見から  保健所が会の主催をしているということを・・・
知らず知らずのうちに
自分達も差別と偏見を増長させているということを・・・

一人ひとりの保健師さんたちはいい人も多いと思う
しかし
  仕事として・・・市や県の自死遺族支援担当者としての研修では
    自死遺族をどのような人として 見ているのか・・
 自死遺族には知ってもらいたい
    自死への差別をなくしたいと願うなら
  亡くなった人をさげすまれたくないのなら
    保健所・保健師・という意味をもう一度考えてほしい

   そして  ボランティアというものも・・・

  わかちあいは自分達で
      具体的支援はそれぞれの専門家にお願いをすればいいだけ

これも私のひとりごと
  ひとりごとです

愛と同じように悲しみも自分のもの

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愛する人の死の悲しみ
 その悲しみを最もよく知る人はその人自身

一人一人が  一人一人の悲しみの専門家
 その人自身がその人自身の悲しみの専門家

私の悲しみの専門家は私

 すべての人々の悲しみの専門家はいない

 亡くなった人とその人自身との間にあるものが悲しみ

子供を亡くした夫婦でも
   夫と息子の間にある悲しみは 誰にも分らない
     夫自身が専門家である自分悲しみの・・・
私と息子の間にある悲しみも 夫も理解できない

お互いに そのことは理解している

     悲しみの深さは 愛の深さ
他人が 私の息子を 私と同じに愛していることはない  当然である
 だから 私の悲しみの深さを理解できるわけなどない

  わかってほしいと 思っていない
    私の息子への愛を 他人に強要するなんて おこがましいこと
 
息子を愛してほしいとも思っていない
  
   だから  卑下もしないでほしい
      蔑まれる理由もない

人が人を 蔑むなんて・・・
    何て傲慢なことでしょうか

  自死遺族からの電話が毎日のようにある
     10年間
 人の悲しみは  本当に一人ひとりだと痛感しています

  そして それぞれが世界で一番悲しい
     それは 他人への愛よりも  愛が深いから・・・
世界で一番愛しているから  一番悲しいと感じている
   世界で一番悲しい人たちが  遺族の数だけいる
 それは
  あたりまえのこと

 他人に 自分の悲しみが世界で一番誰よりも悲しいと認めてもらいたいと思うのは 傲慢
  誰に認められなくても
 亡き人と自分が思えばいいこと
    悲しみなんて人に認めてもらうものではない

  自分が誰かを愛することを
    ほかの人にも同じように愛してほしいと思うのは傲慢
 人間としての愛と
    個人への愛を同じようにはできない

息子と同じような愛で 世界中の人を愛することはできない
  深さが違う

人類愛のような 広く浅い愛と
   息子への愛・夫への愛・親への愛はそれぞれ違う

 悲しみも経験したことのない人に
  「お辛いですね」などと 言われても 心には響かない
本でしか悲しみを知らない人に
 悲しみとは・・・こんな症状が出ますよ・・などと言われたくない
また  泣きじゃくろうが 涙が出なかろうが・・・
    それでいいんですよ・・ともいわれたくない

愛する人の死の悲しみを話してくれている人に
    他者は何ができるのだろう
受け答えは学んでできるものではない
  その時の自分の感性に従うしかない


支援者が悲しい話を聞くという行為は 自分の人間性を問われること

   自分を磨く修行を積むことが必要だと思う
 
感性が やさしさであふれている人は そのままでいいと思う
  そこにいるだけで なんでも話したくなる人もいる

 そんな人になりたいと思うが
   私はなれない・・・
ただ
 息子を亡くした悲しみを抱えているから
     素直に聞くことはできる
何もできないと知りつつ
    何時間でも聴くことはできる
それだけ・・・
  それだけ・・・です

 その人の代わりに  悲しみを背負ってあげられないのです・

 その人の悲しみは その人の身体の一部ですから・・・
    取り除こうとすると
   傷つき 心から血が流れてしまいます
 乱暴にしたら
   出血多量で 死んでしまいますから・・・

 その人の悲しみを大切にしながら
     聞くことと体験を伝えるだけ

    それが わかちあい        

流れが変わるかも・・・

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坂口幸弘教授

グリーフケアのその先へ
~癒しきれぬ悲しみと共に~

そもそもグリーフケアって何だろう?

 よく死別の悲しみと言いますが 悲しみ以外にもさまざまなことを経験します。
英語でこれをグリーフと言います。
 グリーフという言葉は 怒りや罪悪感、不安や恐怖といったいろいろな反応の総称として使われます。
身体の反応としては、食欲がなくなったり、夜眠れないという事が見られます。
こういったものは いずれもグリーフなのです。

と 第10回連続講座「いのち」を考えるで坂口氏は語っています


グリーフケアとして何をすればいいのか?
  相手の思いを尊重すること。
この相手の思いを尊重することは意外にも難しい
 知識が増えるほどわかった気になってしまいます
  しかし死別体験はきわめて個人的で 本当の深い部分は その人にしかわからない・・
わからないなりに その人の思いにどこまで近づけるのか 話しを聞かせていただくのか
      そこが出発点だと思う  と坂口氏は語っています
  
 その人のグリーフをケアできたかどうか 支援者が決めるのではなく
    遺族がケアされたかどうか感じるかどうか だと言っている

  悲しみは消えない と 言っています

  何をいまさら あたりまえのことを語っているのかとさえ思う当たり前すぎることを
 講演しています・・・が
   私も当事者として 同じ内容を講演したのですが(連続講座)
     私の言葉が 拙いのか 伝わらなかったようでした・・・支援者には
支援者は
  支援者が・・しかもそれなりの肩書を持つ人がいうと 納得するのだと改めて 納得。

愛しみ と書いて  かなしみ と読む  ことも
 岡教授とともに  ずっと前から広めているのに
   今頃・・・とさえ思ってしまいます

悲しみと共に生きて行く
悲しみは愛しさと共にある・・という内容の講演

前から岡先生と共に 広めてきた考え方です

喪われたいのちの意味について
   というタイトルで
岡先生のエッセイを引用し
   命の意味は 残された遺族に委ねられていると伝えてきたことがそのまま語られている

 良くとらえたら  私たちの主張を認めてくれている講演
    
   吉野教授も・・・坂口教授も
私たちの考え方を認めてくれたという事だろうか

    もしもそうなら 岡教授のおかげ  
遺族の通訳者として
   論文を学会での発表や 講演をし、記録を公開してくれてきた成果だと思う

故平山先生も 当事者の気持ちを大切にしてくれました

   当事者の気持ちを無視する遺族支援者は 支援者ではないと思う

 著名な人たちも認めつつある 悲しみは愛しさと共にという考え

    10年・・という月日を感じます

 いつか 国の指針も変わると信じています
多分 一番最後でしょう・・・が

  

 

5月27日 衆議院議員会館




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 多くの皆さんのご参加をお待ちしております

 自死遺族支援をしている皆さま
   自死という問題に関心のある方々
 自死遺族当事者の皆さん

自死遺族が抱える問題が様々にあります

悲しいだけではない・・悲しんでいられない問題があります
   知ってください
支援してください  関心を持ってください
  愛する家族が亡くなって
     家賃の賠償金も含めて 様々な請求が遺族には襲ってきます
 火葬場にも押しかけて来ることもあります
   ついこの間も
       火葬後・・すぐに請求  数百万円の賠償金

   そんな時は  払わずに  すぐにご相談ください

   法律の専門家につなぎます
  不当な請求には応じないでください

    

 第5回自死遺族等の権利保護シンポジュウム
~自死遺族等の差別問題を考える~

自死遺族が直面する差別・偏見の問題を実務と法律的解決の現状について

【日時】  2016年5月27日(金)
午後4時30分から午後7時30分
【場所】  衆議院第一議員会館 1階 多目的ホール
(千代田区永田町2-2-1)
            *入場無料・事前予約不要

<<< プログラム(予定) >>>

【第1部】 4時30分~5時
全国自死遺族連絡会からの報告
当事者である自死遺族の声

【第2部】5時 ~6時 30分
法律専門家による実情と問題点
  休憩 6時30分~6時45分

   【第3部】6時45分~7時30分
      野田正彰氏講演


●「自死遺族等の権利保護」シンポジュウムの歩み

第1回 2010年6月3日 虎の門日本財団ビル2階:大会議室
        テーマ ~自死遺族の総合支援をかたちづくるために~
第2回 2012年7月 赤坂スター会議室
        テーマ ~アパート損害賠償請求裁判・控訴審を前に~
第3回 2013年3月2日 衆議院第2議員会館 多目的会議室
        テーマ ~個別的解決と立法的解決~
第4回 2015年5月18日 衆議院第1議員会館多目的ホール
テーマ ~改めて自死への差別・偏見を考える~

茨城県那珂市「引接寺」さんでの法話の会

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 茨城県那珂市の引接寺さんで「法話の会」を開催して頂き
 1日参加してきました。

広い敷地に花木や草花がたくさん咲いていて 明るい墓地と明るい境内
  温かくほんわかした雰囲気・・・
(ご住職は仙台でお会いしてお世話になっている方です)
久しぶりの遺族たちとも会い  抱き合い・・・(戦友のよう)
 
 日にちの浅い遺族も誘い参加
    回向の最後に席を外したので 回向を終えてから外に探しに行き
そのまんま お寺のお庭で 「立ちわかちあい」
   もう一人の遺族も外に出てきて 3人で立ちわかちあい  1時間半

  なんか お庭で ポカポカと太陽の温かさに包まれながら
     茶話会の笑い声も聞きながら
         墓地も見ながら 花に囲まれて
 泣いて泣いて泣いて・・・話して話して話して
     最後は涙も止まり・・・

絶妙のタイミングで ご住職から声がかかり・・・
    感謝の一日でした

   法話の会はわかちあいではないので  話しても話さなくても
      ただひたすらに 阿弥陀様と亡き人と自分

  法話もいいお話でした
       わかりやすく ・・・
誰をも救ってくれる阿弥陀仏の教え
  本願

  東北では仙台で・・・関西では奈良と尼崎で・・
そして茨城で・・・と広がっています

  事故や病気・・・交通事故・震災・・自死
     本来のお寺のあるべき姿がそこにはあります

檀家も檀家でない人も
 宗派も関係なく  神道のひとも・・・無宗教の人も キリスト教の人も
    
   次回は未定ですが
 秋ごろには・・・

法話の会のブログにご案内を掲載します

   7月は奈良県葛城市で開催です

 日ごろ 心がザラつくことが多い私似は必要な空間
    
    法話の会が少しずつ 全国に広がり 
様々な形で愛する人を亡くした遺族が集える場所となることを願っています
   
   

吉野淳一教授の論文

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札幌医科大学の吉野淳一教授
「保健の科学」 第57巻 第6号 2015年

「自死遺族へのアプローチ」

この論文の中で 地域保健で全国自死遺族連絡会が協力し岡教授が書いた「グリーフケアは要らないという声が自死遺族にはある
  と題した報告を認め
自死遺族は「自分達の悲しみはケアされようがない」とグリーフケアを拒否する理由を述べている
  と書いてくれている

そして
これまでの悲嘆からの回復の指標が見直される新た潮流があることや
当事者である自死遺族自身がグリーフケアは要らないと公言していることを踏まえたとき
あらためてわれわれ援助職は自死遺族にどのようにアプローチすべきかを言及すべきだろう。と述べている

流れを感じました

上智大学の岡知史教授が
自死遺族の自助グループの悲しみについての考え方を国内だけではなく海外の学会で論文発表してくれている
「悲しみは愛しさと共に」という考え方
 愛する人が亡くなっても 愛する思いが消えないように
  悲しみも消えない
悲しみもまた私自身のものであり・・誰のものでもない
   愛する気持ちが深いほど悲しみもまた深い
亡き人と共に生きて行く
  
悲しみは愛である・・・
愛しいと書いてかなしいとよむ
    これは日本だけ
かなしい カナシイ 悲しい  哀しい 愛しい 
  こんなにもかなしいを表す文字があり・・微妙に意味合いが違うのも日本語

    英語はグリーフ・・・だけ?

日本人の繊細な微妙な感情を表す文字は英語にはない

言葉や文字は その国の文化 その国の人たちのあうように形作られている

  吉野先生が 岡先生が「地域保健」の中で書いた文章をある意味で認めてくれたことは大きい
    専門職の中にも 自助グループ当事者の意見を聞来受け入れる人がいることは 希望である
 頑なに遺族の意見など聞く必要がないという専門職が多い中で
  吉野教授は 専門職には影響力のある人ですから 保健師等の研修で広がっていくと思います
    そう願っています

 

別れ

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夫が昨夜「オドとオガに会いたいなぁ~」と・・・
田舎に行くと いっつも 笑って一緒にご飯食べて・・・
  話したいね・・・あの頃のように・・・
 あったかく ・・・幸せだったなあのころ・・・と

  たま~~~に 夫は  私の両親を思い出して いい人たちだったな・・という 今も・・

涙があふれてきそうになり  必死でこらえ 別な話に変えた・・
 涙が止まらなくなりそうだったから
大声で泣きそうだったから・・・

 さみしそうな夫

いつもは 仕事をして趣味も楽しんでいるのに
    心の底はさみしくて 悲しいんだなぁ~~~と あらためて 思った

父は  健一が逝った時も 電話で私の話を聞いてくれた
  ただただ 黙って・・・聞いてくれた

脳こうそくで 倒れて不自由な体で・・・母もボケていた・・・
  でも 父は 泣きじゃくるわたしの話を何度も何度も  聞いてくれた
      かわいそうなことをした・・・
あんないい子が・・・
    と

   生きているということは  別れの連続
出会いがあれば 別れも・・
 ご縁があれば  別れも・・
    年齢とともに 別れが・・多くなる

 別れは慣れないもの
  特に死という別れは 慣れない

親も6人逝ってしまった
  子供まで逝ってしまった
話したい 会いたい どうにもならないことを思い続けていきている

   年を重ねることは  悲しみを重ねること
     悲しみの前には 幸せもあった・・・のに
幸せな出来事が 涙になってしまうのが  死という別れ

   人生は  ほんの少しの幸せと  多くの悲しみを抱えて生きること
    
   そんなことを息子が逝き 思い知らされて生きています

日本人の心理

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 震災で亡くなった娘夫婦の孫を育てていた人の言葉

 遺体が見つからず  ようやく発見されて葬儀となった時に

   3歳半の孫をみて 周りの人や支援者が孫に声をかけた・・・という
・・・・・・・・
 孫と自分と 遺体が発見されるまでどんなことを話したかもわからず
        発見された後に葬儀まで どんな話しをしたかもわからず
     安易な慰めの言葉を孫にかけているのを見て
        「やめて!」「必死で耐えているんだから!」「頑張ってうけいれようと話し合ってるんだから」
      孫にはかかわらないでほしいと泣きながら語っていた姿が今も浮かぶ

  幼い子供への心のケアなんて 他人ができるわけがない
    会ったこともない大人が  事情もよく知らない大人が
      親を亡くした子供だからといって・・・親族を抜きにかかわってはいけない
毎日生活をしている親族が 子育てを 孫育てを できる環境整備のほうが大切であって
     直接子供の心に入る行為は慎むべきである

     ましてやここは日本

   自死で親を亡くした子供に アメリカ人のように 
    隠してはいけない  隠さず正しく伝えることが大切です

  なんて  ・・・・ことを 支援者が親族にいうのは無責任です

    アメリカの遺児の暮らす風土・文化と
     日本の遺児が暮らす日本という風土・文化の違いは
 アメリカがいいとか日本が悪いというのではなく
    国民性の違いなのですから 比べるものではない

  日本の遺族支援者たちは どうもアメリカ思考が強い
     アメリカ人のケアが正しいと思っているよう

 アメリカではアメリカ人のための考えたケアや支援は有効かもしれない
   それは国民性を大切にしているから・・・

 日本人のケアや支援なのに
   アメリカ人のための支援の考え方をそのまま当てはめているから
       日本人の遺族には受け入れがたい部分が多い

   靴はいて家の中で暮らしていない
     毎日 パンとスープの生活はしていない
広いベットで広い居間で シャワーの生活で
  ハグして キスはしていない
     オーマイガット  とは言わない
 
 こころは  その国の国民性がもろにでる

   日本人から見たら  ある意味大げさなしぐさをするアメリカ人
       アメリカの人は日本人を何を考えているのかわからない人種という


   愛する人を亡くした悲しみという究極の人間の感情は
      繊細な部分が多い
    日本人の心に寄り添うなら 日本人の悲しみを研究し学んでほしい

   日本人の悲しみに寄り添う人たちが学んでいるのが
   すべてアメリカ人の心では
       寄り添えるわけがない

     きちんと日本人の心理を勉強してから グリーフケアの専門家と名乗ってほしい    

グリーフケアについて(岡先生と話して)

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グリーフケアがなぜしっくりこないのか

岡先生の講演ではよく語られているのですが・・・

グリーフを「悲しみ」と訳してしまったところから、問題が生じている。
 グリーフとは日本語の「悲しみ」ではない。
日本語の悲嘆という意味でもない

グリーフは、単なる反応。悲しいという反応。

 だから グリーフケアの本には遺族の悲しみの反応が書いてあるだけで
  具体的なケアの方法は書いていない。

***
岡先生は
このことを講演で何度も話しているのですが、いまひとつ、聴き手からの反応がないのは、(私もです)
悲しみと悲しみの反応を分けるということが、日本人の感覚ではピンとこないから。


認知症ケアの論文で
西洋文明では、身体と心を分けて考えるので、
心を失った人間には価値がないと思えてしまうとか。



西洋文明は、身体と心、感情と思考、というように、いろいろ分けて考えるという事です。
全体をひとつのものとしてとらえる東洋的な考え方と真逆になるのだそうです。

「科学」という装いのもとに、
異文化の考え方を押しつけられている日本の遺族。
ここに「心理学」の「後進国」である日本の難しさがあるのでは・・・




西洋の、お棺は、ふたが重く、
日本の棺のように顔をみるようなことはできないもの。
また、牧師(神父)も、参列者に向かって話しており
、日本の葬式のように、
お坊さんが死者に向かって経を読んでいるのとは対照的。

宗教者が向いている方向が真逆。


死者とどう向かい合うのか。


それは文化によって全く違うはず。

アメリカ式の向かい方が、「科学」でうらづけされたものとして押しつけられている。

それが日本の遺族支援の根本的な勘違い・・・
  心理学は日本が後進国だからこそ起きている問題

  グリーフケアというがケアの方法は具体的に示されていない
    しかも日本人の考える悲しみのケアではない

精神科医たちが アメリカの学会の論文を都合よく解釈して訳し
 「負荷はどうでもいい(原因は考えなくていい)症状だけを診て、薬を出すだけでいい」と指針を作っています。

グリーフケアも同じ  負荷はどうでもいい悲しいという反応だけを見て
 他人が見える悲しいという反応が見えなくなったらケアをしたことになるのだ

    心の中に悲しみがあるが  周りに気を使い 
悲しみを見せなければ
 ケアが成功したことになるのだ

   それはケアではない

遺族に気を使わせているだけ・・・

     遺族が幸せな人たちに悲しい気持ちをみせて不愉快にさせないように
落ち込ませないように
     幸せな人たちの心のケアを求められているようです


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