fc2ブログ

差別と偏見

img_1045[1]



いろんな新興宗教 いろんな宗教法人がある

 その教えの多くに自死への差別がある

「自殺した人は死後暗闇の中で苦しむ」

「何億年も暗闇から出られない」

「地獄に落ちる」

「浮かばれない」

「成仏できない」

「祟りがある」

「お払いが必要だ」

「語祈祷しなければ 家族に同じことが起きる」

「先祖供養をしなければ もう一人の子供が死ぬ」

「一人の自死者がでたら 3人続く」




自死があった賃貸物件への賠償金問題の根底にある「気味が悪い」という感情は宗教的考え方によると思うと関係者は話していた。

宗教者の中に差別と偏見があり、昔から遺族に言ってきたことが

地域に根差し、自死は気持ちが悪い 自死は祟りがある、と思われ続けてきた。宗教者の中から 自死への差別と偏見が消えない限り

世間から自死への差別は消えない。

高齢者は和尚さんの言葉をそのまま信じる人が多い。

 亡くなり方は様々でも 皆極楽浄土に救われるのですよ

という教えこそが 自死遺族にとっては心の安らぎとなり、

普通に生きていけることにつながり、またそのことが差別と偏見を消すことにつながると信じています。

 被災地でのお化け幽霊話も 無知な人たちの戯言のようなもの

本気にしてはいませんが そのことで傷つく遺族がいます

 それを補うことができるのは

 地元に根差した本物の宗教者であると信じています。

信仰心の深い宗教者に遺族は期待しています。

 息子が逝ってから ずっとお願いを続けてきました。

私が逝くまでには 差別と偏見がなくなることが願いです





スポンサーサイト



普通に生きてください

140429_6481[1]

 自死遺族の個人情報について

  事故物件サイトというのがありますが  ここを検索してクリックするとお金がそのサイトの管理人に入るという仕組みになっていますので、気になるからといってクリックするとその人の商売に協力していることにつながります。

 またそのサイトには  個人の名前は掲載されていません
 個人の名前の掲載は  犯罪に問われることになるかもしれないので そこまではしていません

    ましてや子供の名前は出ませんから安心してください
安心してください・・・遺族の名前も出ていませんから

       そのサイトに住所が掲載されていたとしても  警察に訴えてもどうしようもないのです
  プロです。そのサイトが商売ですから 犯罪にならないように うまく作られています。

  そのサイトの管理人にコメントでもしようものなら 大変なことになります

やっぱり  自死だったんだ・・・俺らの情報は正しいということで2チャンネルで炎上させていきます
 
現段階では 触らないほうがいいサイトです。

 警察庁や国交省 内閣府・・・と この問題については 要望をしています。
また 実際に掲載されていて
     裁判をして闘っている遺族もいます。

 自死について 差別と偏見のある地域でも
        あまり過剰に反応して  怖がる必要はないと思います
   悪い人ばかりでもないと思います
 もちろん  無知で知識の低い人たちはいますが・・・

   自死への差別をする人たちは 浅はかな無知な人たちだと思っています

 怖がることなく 普通に暮らしてほしいと願っています

私は 青森の田舎が実家です、夫も。
  北津軽郡中泊町(旧中里町)の旧家
    
  青森県の新聞にも 自死遺族として記事が掲載されたことも何度かあります
     顔写真いりで・・・

 狭い地域だと 隠しても ほとんどは知っています
    本人にいわないだけ

    言いふらす必要はないですが  怖がることはないと思います

   自死って  ご近所の人たちに何か悪いことをしたのでしょうか
      
    死んだだけです

    苦しくて苦しくて  生きていたいけど 生きていられない
  でも生きたい・・・いや生きられない・・・
    と   人間が最も恐れる死
  自分では死ねないものですよ…なかなか簡単に死ねませんよ

 その死という高いハードルを越える 苦しみがあった人を
   死んだ後も 責め続ける差別
死者に唾を吐くような行為
      ・・・・・・・・差別をする人は  やさしくない人たちです
 ・・・・・・偏見を持つ人は やさしくない人たちです

   どうかどうか  普通に生きてください

 個人名はどこにも出ていませんから安心してください

そして 自死後 何年も過ぎた人の情報は流れませんから・・・

    

コメントがすぐに公開されないことについて

hb40050_ep[1]


ブログへのコメントは「管理人の承認制」にしています。
以前コメントが炎上
 また非難や亡くなった息子への批判等々 ひどいコメントが多く
ブログを読んでいる多くの人たちから 誹謗中傷 イチャモンのようなコメントを読むだけで 心が痛い・・との声も頂き
  コメントをつけないほうがいいというアドバイスも頂いたのですが
     遺族からの非公開のコメントも多いので 承認制という形でコメントを書き込めるようにしています
承認制にしてからは いやがらせのようなコメントはなくなりました
   私だけが読むのでは 嫌がらせにならないということなのでしょうね

 コメント欄や拍手コメントも私は読んでいます。

   公開されないから 読んでいないということはありません

 コメントへのお返事も 一人ひとりはしていません
   メールアドレスも電話番号も公開していますので 私にどうしても聞きたいことがあるとか
      コメントへのお返事がどうしても必要だという方は
 全国自死遺族連絡会や藍の会法話の会やみやぎの萩ネットワークとそれぞれに
    メルアドが掲載されています。
 それぞれに管理人がいますので、管理人から私に転送されてくるようになっています。

   

統計と事情聴取

s0208[1]

遺族の個人情報は現在でも流れています

ほとんどの遺族は警察から事情聴取を受けています

   あくまでも任意ですが
「断る」権利の説明をされた遺族はいるでしょうか?
  遺族が自らの意志で協力したということになっています。

断る権利を知らない遺族は 義務と思い警察という権力を前にして
       しかも 錯乱状態の精神状態で・・・任意であるという認識は抜けてしまいます

  そして その時に 部分的にはこの事情聴取を統計に使用するという説明も受けていません

    その事情聴取の資料から
 警察庁が発表する 自死の原因とか年齢とか地域が公開されています

    一般公開されている資料の他に
       公共機関や団体等が申請すると審査もなく出される自死者と遺族の情報があります
 人口数の少ない地域ではこの資料だけで
    自死した家が特定でき、遺族の事情も把握できます

   そのほかにも 検案を終えて遺体を収めるために葬儀社にお願いをしますが
     その葬儀社からも遺族の情報が流出している可能性は大きいのです

    流れた情報は ネットのサイトで 自死した人の情報や遺族の住まいまでもが特定できるようになっています

 犯罪者でもない遺族の情報をなぜこんなにも公開されるのか・・・
   自死遺族の個人情報は なんらかの利益につながるのでしょうね

   個人情報の保護は国民の権利です
大きな組織力や権力を持つ機関が集めた個人情報を流すことは犯罪であるという認識で
  個人情報保護法が制定されています

   個人情報は守られなければなりません

  今後 精神保健福祉センターに設置されていくであろう支援センターは
      自死遺族の個人情報保護をおろそかにしないでもらいたい
今も
 保健師さんたちが主催の遺族の会では
    保健師さんの転勤に伴い  引継ぎが行われている
 その引継ぎの書類には 遺族の個人情報も含まれている
   ということは  移動があるたびに 担当者がかわり 情報を共有する人が増えて行くのです

   「悲しい」話をするというだけで 個人情報が集められ広がることは 私は耐えられない
       ましてや 
話をするための集いに参加するための面談がある行政の会は
      遺族は特殊な人たちという認識で 面接を実施している

  自助グループだけが安心だとは言わない
     しかし 行政の会に参加するという事は情報が流れてもいいという覚悟がいる

    どのような理由であっても 遺族の許可もなく 情報を公開することは犯罪行為
      今の現状がぎりぎり  グレーゾーンでの情報の公開です

   個人情報保護法は守られなければなりません



      

自助グループの考え方

s0723[1]

 自助グループの活動への誤解が多いように思う

    支援者や支援をしようとしている人たちは特に誤解が多いように思う

  自死遺族の自助グループの活動
同じ悩み同じ苦しみ同じ悲しみを持つ者同士で話をする「わかちあい」の集いの場
 「わかちあいの会」
この時間を最も大切とする
   わかちあいは 同じ体験をした者同士で同じ体験を話す

自死遺族というくくりの自助グループなら 自死遺族として・・・
  子供を亡くしたくくりの自助グループなら 子供を亡くした親として・・・
交通事故の遺族というくくりなら交通事故の遺族として・・・
 つなみで・・・というくくりなら つなみで亡くしたという自助グループ・・・・

 乳がんの患者というくくりなら  乳がんの患者としてのわかちあい・・・自助グループ
  子宮がんというくくりなら 子宮がんの患者同士のわかちあい…自助グループのわかちあいの会

  たくさんの  くくりがあり  それぞれが自助グループのわかちあいの会の開催でいいと思う
   私は震災で家族を亡くしていないから 震災の遺族のわかちあいには入らない
   わかちあうものがない

 家族を亡くした人たちの自助グループ というくくりなら 震災も事故も病気も天寿全うも・・・
     すべてのi遺族と わかちあえる

 くくりはしっかりと明記し 守られるべきだと思う
 参加したい人は くくりを選んで 自分が行きたいと思う自助グループに参加しわかちあうことができる
  今日は自死遺族というくくりのわかちあい
  明日は 自死で子供を亡くしたというくくりの自助グループに参加
明後日は 子供を亡くしたというくくりのわかちあい
 明々後日は 家族を亡くしたというくくりのわかちあい
  と
    選択ができる

  そして わかちあいの時間以外はオープンになっている会が多い

藍の会は
 クールダウンの時間は 自死遺族以外の参加もOk
 懇親会は誰でもOK
 もちろんフォーラムも講演会も誰でもOK

ただし「わかちあい」の時間は 当事者本人のみと分けている

 また 「総合支援」を目的としているので
 さまざまな専門家と連携している
  連携とは「わかちあい」に入るのではなく
 自死遺族に専門家に求める問題があるとき 専門家につなげ相談に乗ってもらうという連携

  精神科医も弁護士も司法書士も税理士も宗教者も含めて様々な専門家が
     わかちあいではなく普段の仕事の中で 必要があれば応ずるという体制を整えてくれている

   それが「総合支援」を支えてくれている
決して 遺族以外の支援を排除しているのではない
  むしろ  連携をお願いしているのです

 遺族同士ではできないことがたくさんあります
   どうか 私たちにできない支援をお願いします・・と。

    どうして 遺族の悲しい話を聞くことだけが支援だと思うのでしょうか

 専門家以外にも
   わかちあいの会にお茶を寄付して頂くだけでもありがたいこと
    お菓子の提供をしてくれたり 場所の提供や 広報の支援
 専門家につなげる支援・・・たくさんの支援の方法があります

  遺族の悲しい話を聞くことだけが支援ではないと思うのですが・・・

 国には国にしかできない支援
 県も含めて地方自治体にしかできない支援
  法律の専門家にしたできない支援
 国家資格を持つ人にしかできない支援
  宗教者という人にしかできない支援
      
遺族にしかできないこと…もあるのです

  区分けして 連携することが 総合支援の実現につながると思うのです

 この主張 このお願い 間違っていますか?

死と悲しみ

fot_00049[1]


昨日は 熊本から日帰りで活動を聞きに来てくれた女性と飛行機の時間ぎりぎりまでお話をして・・・

慌てて家に帰り夕ご飯の支度。久しぶりに3人でごはん。

本当に久しぶり。

今朝 夫とコーヒー飲みながら 「悲しみのケアなんてできるものならやってほしい。俺らの悲しみのケアは健一が生き返ることだけ。生き返ったら活動は今すぐやめるよな・・・」と話した。この話題は何度もしてきたこと。

そう・・・無責任なのですが生き返ったらやめます。

別な意味で支援はしようと思うけど、今のような活動はできない

今の活動を10年以上続けてきたのは 息子が生き返らない現実。

寝ても覚めても 自死の問題・遺族のことだけで生きてきた。

 当事者でない人たちが 仕事ではなく 自死の問題にかかわってくれたりかかわろうとしているのを見ると、すごい人たちだなぁと思う。私にはそのような精神はない。

息子が生きていたころは、自分と自分の家族のことでいっぱいだった.
  特別に世間にお世話にならないように生きて行くことも社会貢献だと思っていた

 時々 寄付をすることはあっても それ以上の活動はする気はなかった

だから 息子が生き返ったら この活動はやめる

  私の悲しみのケアとは 生き返らせてくれること

    誰にもできないこと

神様も仏様もできないこと

   極楽浄土で逢えることがゆるぎない真実であっても
この世で会うことは叶わないこと

   死は全く怖くない
死の宣告をされても 恐怖心はない
  息子に逢えるのだから

子供を自死で亡くし  自らも末期がんと宣告を受けた人たちを知っている
    最後まで 淡々と生きて逝った

昔 叔父は 肝臓がんで治療を受けて病院で死んだが
   「死にたくない」と 鬼のような形相で叫び わめき 最後の最後までむくっと起きて
 死にたくない・・と 亡くなった・・・
   今もそのさまが鮮明に残っている

   何が違うのだろう・・・と思う

育ててくれた父と母も祖父母も 淡々と逝った
    父母も祖父母も子供を亡くして 信仰心を持っていた・・・

   悲しみのケアとは どんなことなのかと  2005年に息子が逝ってから考えてきた

  今も考え中ですが 悲しみのケアができると信じている人たちは傲慢な気がする
   自分の子供が突然死んでも
      悲しみのケアができますといえるのだろうか

   人はそれぞれですが

  私の悲しみは私のもの
  息子と私の間にある感情 誰もその間には入れない
    入れなければ 取り除けない
 私の悲しみのケアは誰もできない
    それはこの悲しみのケアができるのは 亡くなった息子しかいないから・・・





亡くなった息子との思いがけない再会

F1000458.jpg

健一が書いた文章に出会えた
 宮城県警が作っている「警友」という通信誌

結婚した後の写真は一枚もない私には この一枚の写真が生きていた年に最も近い写真

つなみで宮城県警警察官だった息子さんを亡くされたお母さんが昨日持ってきてくれた
「迷ったんだけど・・・」
「見るのがつらいかなって・・・」
  と
その人だって 息子さんを亡くして思い出のものを見るのはつらいはずなのに
  私を気遣ってくれ・・・
しかも
 写真は薄い色だけど文字がはっきり見えるコピーと
 写真の色は濃く、息子がはっきり見えるコピーと2枚持ってきてくれた

涙があふれて止まらなかった
   懐かしく 悲しく  逢いたくて あいたくて 
今も…涙があふれて止まらない

その人の息子さんが警察学校に入学したときに 配られた県警の通信誌
  その人の息子さんの遺品としてお母さんが大切に保管していたもの・・・

この記事は 「危機管理」というテーマに投稿した健一の書いた文
写真は新婚旅行で行ったバリ島
海外旅行で感じた危機管理というタイトルで書いていた
彼らしい・・・・・
  田中健一
  あなたが一番幸せで輝いていたころですね

母は それを見て涙があふれています
 なぜでしょうね

 息が苦しいです

自死遺族の個人情報の保護・・・決議されました

hb73320_ep[1]

22日の内閣府の対策会議

「第6回 自殺対策官民連携協働会議」

内閣府から厚労省に4月から所轄が移ります。
内閣府としての会議は最後でした。

そこで  配布資料の一つとして、再度提出したものがあります。
「警察庁長官殿」
地域自殺対策推進センター(仮称)の自死遺族等の情報収集についてというものです。

ライフ〇〇〇との連携で作った議員連盟等が
自殺対策の更なる推進を求める決議を参議院厚生労働委員会に提出し決議したもの
この文書の中の9項目
問題だったのは
 警察等と協力して整える…という箇所
さすがに 参議院の委員会の決議書からは警察等と協力しての文言は消えていましたが
  決議案を出した団体主催の
3月の19日の会合で、遺族の情報収集と・・遺族の研究の発言が・・・,あった

名目は全ての自死遺族に支援の情報を伝えたいから
   そのためには詳しく遺族の情報を・・というもの
あくまでも遺族支援のために・・・
  自死へのハイリスク者である自死遺族の自死の予防や防止のためにという
いかにも 救うために・・・という絶対的正義を振りかざして
  個人情報を警察から得ようという魂胆
しかも
事情聴取はあくまでも任意ですが
 任意ですよ・断ることもできますと警察は遺族に伝えていません
また 警察庁から公開される自死の実態のデーターは事情聴取からの内容ですが
 このことについても
警察は遺族に対して「このようなデーターに使用しますがよろしいですか、と告知していません
 公開されているデーターは 個人情報保護法違反のギリギリの限界で出されています。
これ以上の個人情報は 犯罪になるということは 法務省も警察庁も厚労省もよくよく理解しているはずですので
 以前から より詳細な情報公開については 難色を示していましたが
ライフ〇〇〇は どうしても欲しいようでした(会議でいつも要望していました)。

彼らの傲慢な強引なやり口には対抗できないけど
 少しでも何とかしなければ・・と必死でした・・・それが
今回もまた 私たちは要望書の提出と説明で終わると思っていたら
まるで亡くなった人たちが守ってくれたように会議の流れが変わったのです
  要望書の文書に反論した委員がいました
  そんな文書は出していない・・と
私が故意に作成したかのような反論
 その要望書の一部分は 彼らの団体が作った内容をそのままにコピーして貼り付けしたものでしたので
   そのことを知る委員たちは彼の援護をしませんでした
それだけではなく
  系列団体の委員までもが 私たちの要望に賛同
議長の権限で官民全員一致の認識で
「自死遺族等の個人情報の保護」については 守られるべきであると決議

厚生労働委員会の委員である国会議員へのお願いにいったり
  要望書を提出してきた苦労が一気に報われたのです

 このことによって
今後 新たなセンターの設置が実現しても
    遺族の個人情報については彼らの望むようには流れません

22日ほど 内閣府の会議の委員であったことが 役に立ったことはない
 と思いました

自死遺族の個人情報

pcd2-042[1]

昨日は野田先生にお願いしていた精神医療問題の面談3組
無事に終えて
 夕方から記者も交えて夕ご飯
先生は今日は朝早くから東京
私は これから内閣府の会議
 
内閣府の会議はこれが最後
 来年度からは厚労省が所轄になる

  ライフ〇〇〇が 要望していた対策の内容に意見はいろいろあり
   要望してきたが 受け入れられるはずもなく
 政治的力も加わり
   彼らの要望そのままの対策に来年度からなる
その中で
現在の都道府県や政令都市に存在する「精神保健福祉センター」
   の中に 新たなる自死の対策センターを設置は決定した
しかしそのセンターが
自死遺族の情報をリアルタイムで警察から得て
  個人情報を 集約しようという内容は 削除されたはずだったのだが

先日開催されたシンポジュウムでは
    実行するということを語っていたようだ

 どんな手を使っても 自分が決めたことをやりたいのだ

   多くのことは あきらめてきた

でも これだけは 許されない

  自死遺族支援の充実という名のもとに
    自死遺族の個人情報を得ようなんて・・・・

許されない

   個人情報保護法違反である

     警察庁がこれを容認するなら  告訴も辞さない

事情聴取も任意である
   許可も得ず  原因や年齢男女別 地域  時間  職業等々が公開されているが
        あそこまでの公開が限界のはず
 
個人が特定される住所がセンターに集約されることは許されない

 自死の予防・防止という名目なら
     なんでも許されると思うのは間違いです

 自死遺族の個人情報がセンターに警察から提供されることは  完全に個人情報保護法違反です

 シンポジュウムで 実行すると語ったと聞かされて
    昨日 急遽 資料を作り警察庁への要望をする
    
   内閣府の会議の配布資料にした

 

盛岡市「風の会」自死遺族本人の会

20large[1]


「風の会」

自死遺族のわかちあいの会

日時 4月8日(金)
    5月20日(金)

13時30分~16時くらいまで

 岩手県盛岡市高校教育者会館1階応接室
(盛岡市志家町11-13)
循環100円バスでんでん虫、バスセンターより徒歩10分
 志家駐車場 徒歩5分

息子さんを亡くされたお母さんが主催します

自死遺族だけでの当事者本人の集い

参加費100円

   岩手県の自死遺族の皆さん 参加してみてください

亡き人からのご縁  大切にと祈っています。

自死遺族

03-05-kita-5-0[1]

自死遺族の人たちが大勢ブログを始めているらしい
  ほとんど 他のブログを見ない私は 事実を把握していない
声をあげられなかった遺族が声をあげ始めていることは大きな変化
 社会が変わる原動力になってほしい

自死がない社会になるように・・・・・・・・ひとりひとり声をあげて欲しい
    やさしい気持ちを広げて欲しい
思いやる気持ちをつなげてほしい

  そして惑わされないでほしい  

権力に媚びることなく 亡き人と自分の間にある悲しみから
    メッセージを受け止めてほしい  と思う

そんなことを言う私自身 惑い苦しみ虚しさと闘い活動をしている

thV1RYW728.jpg



 人は誰かに何かをして貰ったことは忘れる
 しかし 自分がしてあげたことは覚えている
    傲慢である

チヤホヤされると 鼻が高くなる
 偉そうになる

講師に呼ばれて講演をして  先生と呼ばれると偉くなった気がする


代表と言われると いい気分になったりする

助けられました…といわれると 救った気になり心が満たされたりする
 神様や仏様にでもなったように・・・
    





5dc96fe5-7f39-4c2f-8b53-540406b038c3[1]

人は人を救えない  助けられない


   手助けならできるかもしれない
実行するのは 決定するのはその人自身の力です


傍を歩くことはできる
 道を示すことはできる
光をさすことはできる


ましてや 権威なんて  何の役にもたたない

  愛する人の死

その悲しみ

 ケアなんて言葉で  癒そうなんて思わないでほしい

  癒されようがないのだから


NMY055[1]






私は 講演するときいつも思う
  どうして 私はここにたち講演しているのか・・・
 「それは 息子の自死」
   自死遺族という立場での講演
 自死遺族という立ち位置での活動と対策への提案


悲しみと共にいきているからこその 活動

  一生 癒されようがないからこそ  
    悲しみがふかくあるからこそ   支援者にはならないと思っている

人の苦しみや悲しみを救えないとわかっているから

   人間ごときが 人間の深い悲しみを癒やせるなんて思う事が傲慢そのもの

  私は 今も深い深い 悲しみの底を歩いている
    それでいい
 健一を愛しているから…悲しくていい

    大切な私の悲しい気持ち


愛しています いつまでもいつも  いつも 健一を愛しています
  私の息子健一


20120522202408.jpg

見た目だけの自死の対策

ab277ba06157eb516ace649802103e16[1]

◆自死の予防・防止

子供の自死については
    文科省をトップにして 地方自治体の教育委員会・教職員組合・PTA等々 
教育関係機関は「いじめ」を無くする対策
 子供たちが楽しく学べる学校  学校に行きたいと子供が思う学校作り
   それと同時に 働く教職員の労働環境の整備
多くは言葉の暴力
大人の自死については
厚労省は労働の問題と福祉と精神の問題に分けての対策
 パワハラや過重労働・賃金や福利厚生問題・介護福祉や精神医療問題等々
   言葉の暴力
   金融庁は闇金やサラ金・連帯保証の問題等々
様々な人たちへの差別問題
  人が人を差別する・・・言葉の暴力

言葉による暴力は 人の心を傷つけ 時には命さえも奪う
  心の血が流れているのは 誰にも見えない
ズタズタに切り裂かれようが 誰にも見えない
  自死に追い込んだ人は ある意味で完全犯罪の殺人を犯している
    しかも 無意識?
意識して追い込んでも 追い込んだ人の心も見えない
直接手を汚さずに 殺すことができる言葉
   証拠は残らない
勝手に死んだんでしょ・・・と言っておしまい
 死人に口なしである
また 生きていて いじめられたと言っても パワハラを受けたと言っても
 心が弱い・・・と言われておしまい

大きな声で罵声を浴びせるだけがいじめではない
 小さな声でしつこく優しそうに微笑んで いじめることもできる
しつこくしつこくしつこく・・・人格の否定をすればいいだけ
 違うと言えば言うほど しつこく言う
   ありもしないことを  噂され広げられ 違うといくら言っても
 どんどん ウソのうわさが広まったら・・・誰も自分の言い分を聞いてくれなかったら
    人は追い込まれていく
  
パワハラも同じ
  先の見えない残業 先の見えない我慢 先の見えない言葉の暴力
  いつまで耐えたらいいのか  いつまで頑張ったらいいのか
いつまで バカにされたらいいのか
  この状態がいつまでも続くように思わせる言葉による暴力
      
息子が自死で逝き
 自死遺族の対策の内容の酷さに愕然とし 大きな声で訴えてきた
10年間 訴え続けてきた
しかし  届かない
支援者の声だけが認められる
支援者の対策方針だけがもてはやされる
 自死遺族からの相談やつながりは多岐にわたり
    件数も比較にならないほどおおくても
自死遺族当事者団体の声よりも 支援者の声に納得する人が多い
   それは 納得する人たちも支援者だから・・・
当事者の声は耳の痛い事実が多い
 自分達が想定した内容と違うことが多い
面倒だ・・・だから聞こえないふりをする
まるでいじめ
 自死の対策の中枢にいる人たちは 人を自死に追い込んでいる人たちと同じ匂いがする
 人の話を聞かない・・・聞く気がない
「いじめられています」といくら言っても 届かない
「パワハラを受けています」といくら訴えても スルーされる
 無視はつらい 無視の連続は人を追い込む
無視とありもしないことをうわさされる・・・虚しくなる
 抵抗しようという気さえなくなる

来年度から これまで信頼していた自死の対策の良心と思っていた人たちは自死の対策から外れる
   外れるように仕組まれた
強引に傲慢に・・・推し進めた自称自死対策の専門団体
   自死が減りすぎたら困る団体
支援する人や対策を推進する人たちは
  やる気のある本物の対策では困るからパフォーマンスのうまい団体と協力する
そりゃそうだ 
 やったふりだけしていたらいいのだから
所詮 他人の命だから
 
 :::::::::

春彼岸回向で 息子のお墓のあるお寺さんにいってきたからかな・・・
  ざわつく心・・・
思うことを思うままに少し書いてみた

地道にコツコツと

F1000436.jpg

今日、ご主人を亡くして息子を育てていた遺族から連絡があって
   息子さんが国立大学合格ということでの報告でした
 遺族年金も受けられず 働いて・働いて~小学・中学・高校・・大学
    本当に頑張ったと思います。

朝は 子供を亡くされた遺族からの連絡を受けて・・・・悲しみを共にして、
   お昼頃に、この合格の連絡を受け・・・
続けて遺族ではない人たちからも 合格の連絡を受け・・・
     子供の成長は親の幸せだと痛感しつつ 一方で子供の死の悲しみを痛感し
        喜怒哀楽の忙しい一日でした
 今日の午後からの茶話会にも久しぶりの遺族が参加(入院していたので心配だったのですが)
     この前の茶話会に静岡県から参加したお子さん連れの遺族の写真をみんなでみて
       (以前は仙台だったのでよく参加していた人) 懐かしみ
 夕方からみやぎの萩ネットの幹事会を開催して 帰宅は10時半
    なんとなく いろんなことがあった気がする今日です
明日は どんな日になるのか・・・
hasu-2[1]
   
   自死遺族の自助グループが盛岡市に立ち上がる
    4月から~~~
 ありがたいことです。 
    「風の会」です
  つながられる会ができるのは 感謝・感謝・感謝

  少しずつ  ひとつずつ  一人ずつ・・・
     ゆっくりでも  地味にでも  確実にコツコツと開催し継続する遺族たちの活動

 誰の世話にもならず、自分で、自分たちで・・・
      
      自慢することもなく 見栄も張らず  謙虚に続けていくだけ

   thZZ6L6NE5.jpg

      

所詮、生臭い人間の考え(グリーフケア)

fot_00049[1]

 昨夜は 眠ることができなくて 3時過ぎまで起きていた
   寝れないときは起きることにしている

 息子が逝くまでは
  (親戚・近所・友人・祖父母、実母・・・叔母や叔父・・・たくさんの死を経験した)が
自分が死ぬことの恐怖心は人一倍強く、小学生のころから「死後」のことを考えて、怖くて怖くてたまらなかった
 無になるのが怖かった  この世から消えることが怖かった
   死から逃れられない現実に おびえていた
どうして人間は死ぬのだろうと 幼い頃から考え とらわれていた

2005年に健一が死んでから 死は恐怖ではなくなった
 自ら死のうとは思っていないが 死は怖くない
自分の命よりも大切な息子の死は 死への恐怖心さえも消した

 息子の死を思ったら 何にも怖くない

 私の悲しみを ケアしてあげたいという人がいた
  香港での岡先生の悲しみ学会での発表後に
      「田中さんは、きちんとしたグリーフケアを受けていないから 悲しみは愛だとか、悲しみと共に生きて行くなんて考えるんですから、私がケアをしてあげますから」といったグリーフケアを生業としている人がいる
  たくさんグリーフケアの本も読みました。グリーフケアを広めていた教授とも親しくしていました
    ワークシートもあります。
でも しっくりとしなかったのです
  心が納得しませんでした。
国の自死遺族支援担当者からも 散々言われました
 でも 納得できなかったのです
この悲しみが消えるなんて・・・・とんでもないことなのです・許されないことなのです

 あまりにも悲しくて苦しくて 食べられない(食べたくない)寝られない(寝たくない)
   記憶を消したい!と思ったこともありました
がしかし そう思う自分が許せませんでした。
 息子を忘れるなんて そんな残酷な事ができるわけがありません
  息子を忘れられない限り  息子の死は悲しいのです
     いつまでも 忘れられない息子
       いつまでも悲しい気持ちとともに 息子を思い生きています
 息子への悲しみは 私の息子への愛です
   私が生きている限り ずっと続きます  薄らぐことなく・・・ずっと

私の悲しみのケアって  私の悲しみをどうするのでしょうか
 その人と亡き人の間にある「かなしみ」を 他者がどうやって・・何をケアするのでしょうか
  息子を愛している限り続く悲しみをどうしようというのでしょう
そして
 私はその人に頼んでいないし、頼もうとも思っていない
   この悲しみを なんとかしようとは思っていない
ケアしてほしいとも思っていない
 悲しみを軽くしてほしいとも思っていない
     悲しみを浅くしてほしいなんて 絶対に思わない
 私の息子への愛が軽くなるわけがない
    私がどのように息子を愛し、苦しみ悲しみと共に生きようが 誰にも何も言われることはない

  愛する大切な人の死
     その悲しみをケアしようなんて思う人たちは 何て傲慢なのでしょう
  癒したいなんて なんて傲慢な考えでしょう
  それほど 立派ですかご自身は・・・
 ご自身の姿を 鏡に映したことがありますか?
    亡くなった人は見ています
  その人の心の・・すべてを  見透かされています亡き人に・・・
    
   私の悲しみは  誰のものでもなく 私のもの
      
アメリカでも異論のあるグリーフケア
    シスターや神父が  仕える神様ではなく 人間が考えたワークで人の悲しみを癒やすなんて・・・
      宗教者がご自身が仕える仏様や神様に対して  ゆるぎない絶大なる信仰心があるなら
         グリーフケアではなく  御教えを伝えて 救われる道を説くでしょう
 グリーフケアやスピリチュアルケアを宗教者が信じ、
     神様の御教えよりも 仏様の御教えよりも 人びとを救えると思っている姿は滑稽だ
       宗教者という肩書は外したらいいと思う
 
知識として学ぶ姿勢は素晴らしいと思うが  自分はどんな仕事をして誰に仕えて 何をするべき人なのか・・・
     道幅は広げればいいというものではない
 二兎を追う者は一兎をも得ず
    人品人柄を深めるために学ぶことは大切だが
      自分が神様や仏様の領域に踏み込んではいけない
所詮 人間ですから・・・

金の闇に包まれている対策

2U6aZ[1]


「自死は金になる」と言って 自死の対策の専門団体と宣伝し それで有名になり金を稼いでいる人
  最近はそんな人が増えてきた気がする
国からの税金の投入・・ハイエナのように金に群がる人たち
 汚い人たち
そんな人たちに追い込まれたのに・・・おなじ質の人たちが「善意」を売り物にして
    助けるふりをして  助けもせず  ふりだけで稼ぐ
 自死の問題のど真ん中で 様々な人たちを見てきた10年
   全国の自死の予防や防止、支援をしているという団体や人物のほとんどは知っている
 全てではないが 多くを知っている
 たぶん 私のことも知っていると思う
   人間の汚さの渦巻く世界
 自死の問題だけでなく 震災も同じ
    震災ビジネス
    自死ビジネス
 同じ構図が見える
金が動くと欲望も動く
      たちが悪いのは 人を助けるという名目
誰もが反対できない活動を前面に押し出して 中身は???
  自死が減ったら 自分達の活動が実を結んだと言い
    自死が増えたら 社会と個人のせいという
まるで精神医療
 治れば 医師の治療がよかったといい
  悪化したら本人と家族のせいという

上っ面だけの知識で 海外の対策や支援方法を取り入れ、自慢げに広げる
   ここは日本  アメリカではない
もう少し 自分の国の文化や風土を学んでほしい
 精神は 国によって大きく違う
感じ方や表現方法も大きく違う
  なんでもアメリカの真似
    アメリカの考えが正しいと思っている日本人
心の持ち方は日本人とアメリカ人では違う
 心のケアというなら 日本独自の考え方を研究することが必要
   悲しみのケアなんて 出来るわけもないのに グリーフケアが大流行
 人のいのちも
   人の悲しみも  金にする日本人
        他人の悲しみと他人の命で有名になる日本人
    こんな日本だから
        自死は減らない
減ったなんていうのは 数字の操作
  統計のマジック
まやかし
  待機児童の数字の操作と同じ
    数字なんていくらでも操作できる
私たちは 信じ込ませられているだけ
 


みてみないふりを得意とする社会

146260927_624[1]

 「忘れたふりにたけている」
「忘れたふりをして昔を残す」
過去の過ちも責任もあいまいにして、忘れたふりをするには 鉛のような無神経さが必要。
それが日本人の意識の底にずっとあると思う
 と辺見氏は語っている。

大震災がおこり2万人が死んでも
    みんなで「花は咲く」を唄っている日本
 どうしてもっと声をあげたり 怒ったり 嘆き悲しんだりしないのか・・・
:::::::::::
ホントにその通りだと思う

自死の問題も 社会的要因と言い 国が対策を・・といいながら
 実際は何もせず 個人と家族のせいにしている

精神疾患だから死ぬ…精神が弱いから死ぬ
 家族が死ぬのを気づきもせず いい加減だから自死が起きたという
   家族に自死の責任を負わせる社会
*賃貸物件の賠償金の請求*
  普通に幸せに生きてきた人を死ぬほど追い込んでいる社会的問題は放置したまま
    みてみないふり
いじめも みてみないふり
  何十人の生徒が自死したら 改善されるのだろうか
    おそらく何百人の生徒が死んでも  何もしないことでしょう
同じ上司で数人の自死者がでても  そのまま見ないふりの職場
  福島県警の同じ部署で3人自死
   関西でも同じ部署で2人
 茨城でも3人
  我が家の息子も同じ上司で2人目
あるバス会社でも 同じ上司の下で  複数の自死
    同じ高校で複数の自死
同じ会社で毎年複数の自死
  なぜ?
何もしないから  反省したふりはするがふりだけ
   人を蹴落としても 生き残ったもの勝ち
     人を殺しても生き残ったもの勝ち
  死んだ人には人権はない 
    人をだましても 贅沢三昧し放題したもの勝ち
大人が嘘をついているのを みて育つ子供
  子供に嘘をつかないようにいう嘘つきな大人
子供は大人を見て育つ
  大人の社会は いじめだらけ
   ずるいもの勝ちの社会
そんな社会で育つ子供は  そんな社会になじむ
  悪に染まらず 真面目に 一生懸命な人は追い込まれてしまう
 悪な人は幸せに生きる
   それが今の社会
やったもの勝ち
  ウソでもなんでもいいから目立ったもの勝ち
   おおぼらふいても  有名になったもの勝ち
中身が何にもなくても
  自己アピールが上手いと 勝手にマスコミが宣伝して 有名になっていく

   あの人もこの人も・・・・そんな人が蔓延している
その中で生きていると
 心が荒み 息苦しくなっていく毎日・・・
そんな時
心ある人たちとのご縁を頂くがある・・・
  心が息を吹き返す

なんとかなるかな・・・と思う時間

    なんとかしたい・・・

   

悲しみとの付き合い

026_1024-500x333[1]

息子が逝き 10年が過ぎた

 34歳 生きていたら 44歳 今年の9月で45歳

いつも 健一の年を数えている

 次男と3人でご飯を食べていて・・・思う
なんでいないのか・・・と
 生きていたら 美味しいとニコニコしながら食べていただろうと・・

子供が自死した親の悲しみは 誰にもどうすることもできない
  自分が抱えていくしかない
押し潰れそうに重い悲しみであろうと 抱えて生きるしかない

底なし沼のように  深い深い悲しみであろうと 抱えるしかない

  体験したことのない人には 絶対にわからない

本に書いてある悲しみの表現は 甘い
   言葉では表現できない悲しみがある

人間が考えた言葉や文字なんて 感情の表現には 少なすぎる

   今でも 突然 深く苦しい悲しみが襲ってくる
胸が押しつぶされそうになる
 息ができなくなる
息苦しく胸が痛く前進の力が抜けていく
  立っていられない
 へたへたと しゃがみこんでしまう
    イヤ 床にへばり倒れる

毎日そんなことが突然おこる
  
 でも 見た目は元気いっぱい

 バリバリ活動をしている

心はたくさんのことを抱えている
多面性と多様性がある
 そんな心のケアなんて 誰にもできないこと

私の突然襲ってくる悲しみを誰がどうやってケアできるというのだろうか

 健一が生き返らない限り無理
生き返らないことがわかっているから ケアは無理

 そっとして欲しい

私は10年以上の悲しみとの付き合いで
  自分の悲しみとの付き合いはうまくなってきました

 自分は自分の悲しみとの付き合いが上手だと思う
  自分の悲しみの専門家は自分
自分の感情だから・・・

  私の悲しみは 健一と私の宝物
どんなに苦しくても 悲しくても
 それは 私の大切なもの

悲しみが消えたら 健一への思いも消えてしまうこと
 息子健一への思いは消えない消さない消すものではない
    いまも 愛しているから
これからも健一への愛は消えない

 楽になんて生きようと思わない
   楽に生きるなんて考えたくもない

生きているだけで 健一よりは楽をしているんだから

   頑張り続けなければならない
無理にではない それが自然の事
 親として当然
それだって 息子の苦しみに比べたら たいしたことはない
  
 苦しくても悲しくても ご飯は美味しいと感じるようになって・・
     笑うこともでき お風呂に入ってホッとすることも 酒を飲んでいい気分になることもある
生きているということを日々実感
 子供が死んでも 笑える自分がいます
生きているということは残酷な事実を体験確認
  
  それでも 生きています

息子に聞いてみよう

F1000394.jpg

時間がなく、ブログを書くこともできず 今日まで・・・
これから夕方の新幹線で秋田市に行きます 「結いの会」主催の講演に呼ばれています

 明日が講演

 まだ何を話すかも決めていない

 私の活動の原点は健一の自死
   それ以外に何もない
なぜ彼は自死したのか・・・・どうして・・・
 2006年から自死遺族のわかちあいの会を開催して
 たくさんの遺族とつながってきた
2008年からは全国自死遺族連絡会をたちあげ
  全国の遺族ともつながってきた
2010年からは自死遺族等権利保護研究会も立ち上げ
 自死遺族の差別的取扱い問題も相談に乗って 専門家につなぎ解決してきた
 
自死遺族の総合支援を目指しての活動
 
しかし 国は自死遺族の活動を認めない

   その根底にあるものは  自死遺族は精神疾患者であり自死のハイリスク者であるという考え
    だから自死遺族の支援はグリーフケアが中心

  支援者のほとんどはグリーフケアを学んでいます

 自死遺族の当事者団体が 自助グループとして
  自助グループの研究者とともに グリーフケアではなく グリーフ・イズ・ラブだという
悲しみについての考えを論文で発表してもらい 海外の学会でも話題になっているのに・・・
  支援者は  頑なにグリーフケアを推進しています

ケアの対象となる自死遺族の多くが 悲しみはケアできませんから・・と言っているのに・・・です

グリーフケアで癒されるという遺族もいますから・・と支援者は言います
  そうでしょう・・・そんな遺族もいるでしょう
しかし 多くの遺族はケアできませんと言っているならば
  グリーフケアという考えが自死遺族支援の中心になり 莫大な税金が使われるのはおかしいことです
 
国の対策の中心となる考えが 当事者の多くが賛同できない内容だとしたら
  誰のための支援でしょう

ハッキリと 自死遺族の支援ではなく
  支援者の満足のための支援を推進しています そのための税金投入です、というべきです

 約10年活動して・・・
 自死遺族自身の活動は広がってきましたが
支援者の意識は いつも初期のまんま
  
 これからさき どのくらいの声で伝えたら 声が届くのでしょうか

  なぜ あんなにも 傲慢でいられるのでしょう

こんな人たちが多いから
    自死に追い込まれる人が減らないのだと思う

やらなければならないことが増えていく毎日
   年老いていく自分
 蔓延る 癒したい人たち

 自死の対策だけではなく
   どんな対策も 当事者の声は届かないような気もする

どんな方法なら  届くのだろうか

  健一と話してみよう・・・

 ねぇ~~~~おにいちゃん 
  どうしたらいい・・・
なにをしたらいい・・・