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歩きつづける

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今日は「藍の会」114回
 
息子が逝き 半年後に立ち上げた会
   たくさんの出会いと別れがあり 今生きている
私は息子が逝ったあの日のままで 活動をしている
   気持ちがかわることはない
 生き返らない限り
  活動の原点は 息子の死に顔  忘れようがない

 ずっと同じ道を歩き続けている これからも歩いて行く
  このいのちが消えるまで
道幅は広がった
最初は一人で歩き 今はたくさんの人たちと歩いている
遺族もですが 遺族以外の心のある人達と共に歩いている
離れていく人もいる
それはそれでいいと思う
その人なりの道を歩いていくことは大切なこと
同じ道を歩くことが全てではない
どこかで 私と歩いた道をたま~~~~に思い出してくれたら・・イヤ思い出さなくていい
お元気で その人らしく生きていてくれたらいい
ご縁があって 少しは同じ道を歩いたこともあったことは 私には息子からの贈り物ですから。
目的はひとつ
惑ったことはない
ただただひたすらに 目的のために歩いている
元々一人で歩いた道だから 一人になっても歩きつづける
ありがたいことに・・・道が広がった
広がっても 端にはよらない
一筋に 前を見て目的のために歩く
その先には 息子がいるから
息子と会い 抱きしめたいから
かぁちゃん頑張ったねと言われたいから
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自死遺族支援という名の下の差別と偏見

チロリアンデージー070217a-l[1]

 自死遺族支援についての講演が保健師さんや新聞記者、支援の専門家といわれる人たちが講師で招かれ開催される地域がたくさんある
私が知っているだけで 数か所
自死遺族支援について何を語るのでしょうか
保健師さんは
 自分達が主催している 支援者が遺族の話しを聞く会の事について話すのでしょうね。
 支援者も支援者が遺族の話を聞く会を開催して感じることや気をつけている事を話すのでしょうね。
 それって 確かに自死遺族支援ですけど 悲しい気持ちを聞くという部分だけです
 他の支援は考えていないのでしょうか
 自死遺族支援=悲しい気持ちを聞く  だけなんですよね
 他にもたくさんの支援を必要としている遺族がいますが
 その遺族はどこにつながればいいのでしょうか
 全国自死遺族連絡会は 総合支援が目的です
 あくまでも総合支援
 遺族が求める支援をしていく
 そのために 法律の専門家も含めて様々な専門家と連携しています
自死遺族当事者の団体が「総合支援」
  行政は悲しい話を聞くだけの支援
 総合支援をしているのは 自死遺族当事者団体だけ。
  逆のような気がするのですが・・・
遺族の悲しい話を聞くだけの支援で、いったいどんなことを一般に人に伝えられるのでしょうか
遺族とはこんなにも悲しみでいっぱいで、泣きながら話す遺族がほとんどです
会に何回か参加すると明るく笑顔になって、「この会に参加してよかったです」という遺族もいます
とか報告するんでしょうね
あるボランティア団体に参加した遺族が「労災申請をしたいので弁護士を探しています」と言ったら
「ここはそんな話をするところではありません。」と注意され、戸惑い苦しみ悩み同じ会に参加していた遺族が私につなぎ、その遺族を弁護士につなぎ労災申請をして、裁判をし、労災は認められました。
遺族が求める支援の実現にむけてつなぐことが支援者ではないのでしょうか
悲しい気持ちを聞くこと以外には何にもしないという支援者って、本当の意味での支援者ではありません。
カウンセラーは遺族の支援の専門家ではありません
支援者は「ソーシャルワーカー」の役割を担うことです
遺族支援だけではなくどのような支援を行う支援者も「ソーシャルワーカー」であることです
自分ができる支援は自分で行い、自分ができない問題はその専門家につないでいく、ことが支援者の基本姿勢
それなのに
行政の支援者は決めた支援以外は無視
民間の支援者も同じ
研修に研修を重ねて悲しい気持ちを聞くだけ・・・
しかも 民間団体の代表を招いて聞いてもらっている行政も多い
民間団体の代表は 特別な資格もないし 普通の人 ただ代表というだけ
遺族の話を保健師さんだけで聞けないのはなぜでしょうか
そんなに特殊ですか?
自死遺族の保健師さんもいますよね
特殊な人たちですか?
柳田邦夫氏や姜尚中氏も自死遺族ですが 特殊ですか?
自死遺族だから保健師さんたちでお話がきけませんか?怖くて!?
自死遺族とはどんな人たちだと思っているのでしょうか。
社会ですよ、社会。いろんな人たちがいます。
交通事故の遺族 震災の遺族 病気の遺族
みんな同じです
自死遺族だけが特殊な遺族ではありません
普通の遺族です
自責の念も悲しみも後悔も・・・同じです
自死遺族の集いを保健師さんたちが開催することは一種の差別です
 他の遺族の会も開催したらいいのに・・・
どんな差別があるのか・・・
自死遺族は「自殺未遂者」と同じあつかいになっています
自死のハイリスク者である自死遺族は危険である・・・自死の危険がある要注意遺族という認識
他の遺族は自死のハイリスク者ではないんです
なぜ
自死は遺伝的要因があるという認識です
家族に自死者がいる場合は 自死の要因であるとしています
保健師さんが主催してくれているのは 自死遺族が自死の危険人物だからです
家族が自死している人たちは 自死の大きな要因であるということです
そこには
自死の多くは、社会的要因であり追い込まれた末の死であるという大綱の文言は飾りであり
あくまでも 昔ながらの自死への偏見的考え。
家族が原因・生い立ちが原因・性格が原因という個人の問題であると決めつけていることがわかります。
社会的要因と本気で思っているなら 遺族をハイリスク者扱いにしないはずです。
 予算を取る為に 社会的要因とし、やっていることは個人の問題
 だから 社会的要因は無視して、予防は個人を精神科につなぐことだけの対策
矛盾だらけ
遺族には気がついてほしいと願っています
死にたくて死んだんではありません
死にたくないともがき苦しみ 追い込まれ 死んで逝ったのです
死にたくないから 医療にもかかり 悩んだのです
死にたくて死ぬなら、悩み苦しみません。
対策の矛盾を感じてください
対策がきちんとしたものなら  生きていられた人たちがほとんどです。
亡き人たちの無念の思いを遺族は受け止めてほしいと思うのです
 なぜ・・・保健師さんが
なぜ…研修が
なぜ・・・税金が
なぜ・・・他の遺族と違う扱いなのか
なぜ・・・
 それは 支援者全体に自死への偏見と差別が根底にあるからです
特殊な遺族・・・自死だから・・・
  私は差別と偏見の是正のために 声をあげて闘っていきますこれからも・・・息子のために

心のケアって、どんなケア?

エゴノキ・ピンクチャイム080518b-l[1]

悲しい気持ちは病気ではない
 愛する家族を亡くして 悲しみが湧くのはあたりまえのこと
  悲しみのケア とは 悲しみをどうしてくれるのでしょう
   軽くしてくれるのでしょうか
残念ながら
 生きかえらないかぎり 悲しみは軽くならないんです
 生き返ったら
支援者よりも元気で幸せになります
亡くなった人のことを思い 涙する 悲しむ その気持ちはケアできません
 話を聞くことはできます
  それをケアしているというのは おこがましいことです
 私は
毎日 遺族から泣きながら電話がかかってくるのを聞く 聞く 話す 聞く
ケアしているとは 全く思わない
ケアできないから  
 遺族同士で話し合うことが大切です・・・
遺族同士が話し合う会です・・・という支援団体
  支援者はなぜいるの?
話し合う時間は遺族だけにしてくれたらいいのに・・・なぜ聞いてるのかな?
遺族同士が話し合う会ではなく、支援者も交えての話し合いの会ならそれはそれでいいと思う 
支援者と共に 話し合いましょう・・・という会でいいと思います
  支援者がいたほうがいい遺族もいると思います
幸せな人が傍にいたほうがいいという遺族もいると思います
そして   
家族が亡くなり精神薬を飲み続けている遺族の皆さん 悲しみが消えましたか?
 苦しみは軽くなりましたか?
  さみしさは無くなりましたか?
同じですよね
 そりゃそうです
 愛する人がいないんですから・・・亡くなったんですから

 トラックいっぱい毎日飲んでも 生き返らない限り
     楽にはなりません
精神薬を飲み続ける遺族は 元気にはなりません
 本物の精神病になっていきます  
 薬物性精神疾患です
亡くなった人は自分が死んだことで 家族が精神薬を飲み精神病になる姿を見てどう思っているでのしょうか
「ありがとう精神疾患になるまで悲しんでくれて」と思うのでしょうか
それとも「ごめんなさい 悲しませて苦しませて本当にごめんなさい」と謝罪するのでしょうか
亡くなった人は十分苦しんで逝きました
 苦しませるのはもう十分ではないでしょうか
 
そして矛盾しているような感情ですが
楽になりたいと 私は思っていない
 苦しくていい かなしくていい さみしくていい
   息子は 私以上に苦しみ死んだ
そのことを思うと 私の苦しみは当然のこと 受け止めなければと思う
  私の苦しみや悲しみなんて 息子に比べたら 
    なんてことはない
楽はしない 息子が死んでいるのに  親の私が楽に生きたいなんて
      
息子が許しても 私が私を許さない

でも 元気に生きています 
 笑い 泣き  笑い  泣き 元気に生きています
   元気に・・・  

羨んだりしない みんな同じ

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人を妬んだり羨ましがったりしないと思っている
 人は人 私は私
   衣食住も 分相応
人と比べない  比べても仕方がない
 昔から比べたりしない

金持ちに対しても お金のない人にも ほとんど同じ
 大臣にも 教授にも 遺族にも大体同じ
あまり変わらない  目上の人への敬意は払うが・・

両親が離婚してもらわれっ子だけど 別にどうということはない
  育ての親はいい人だった
    文字も読めない母だったが 世界で一番尊敬している
 昔のことだが 三越本店に母と行ったとき 真っ黒な顔で津軽弁で話す母と堂々とどこでも津軽弁で話して買い物をした
   真っ黒な顔は働いている勲章
 
 息子が逝ってから 美容院もほとんど行かない
  講演に行く時も 自分でハサミでカットしている
化粧もしない 白髪も染めない
 ドライヤーで乾かすこともしない そのまんま

   人の着るものも気にならない
  きれいに洗濯していたらいい

贅沢は 洗濯とお風呂と掃除
  
   ものすごいお金持ちの人ともお付き合いがあるが 私は私のまんま
        比べる必要がない 
  亡くなった長男も生きている次男も 
    比べたりしない 妬まない 羨ましく思わない
      自分は自分
   人は人
それぞれ だから人を蔑むことはない
  嫌いにもならない
でも 嫌われたりする
とんでもなく   蔑まれたり ひどいことをされたときは
    きちんとお返しはする
半分程度
  頂いたらお返しはしないといけないと思っているから・・・  少しでも・・・

   人の恵まれたことを羨むと 自分がみじめになってしまう
     出来ることは努力はするが越えられないものは認めたほうが楽
       
  毅然と生きようと思っている
     息子のためにも・・・

未熟者の私

  


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息子の結婚式をし、マンションを買い、・・・葬儀をし、お墓を・・・
  公務員の我が家のお金は底をつき
生活はできるけど、会の立ち上げ資金は無理で
悲しみで働けなくなりやめてしまった仕事には戻れず(笑顔が必要な仕事)
近所のマンションで
 パートで掃除の仕事をして資金を稼いでいました
雨の日も雪の日も よそのマンションの掃除をして得たお金で会を開催していました
    げっそり痩せて体力のない状態で・・・
  ::::::::::::::::::::::::


悲しみで働けなくなり・・・
でも このままでは生きて行かれない 
でも遠くの遺族の会には参加できない
でも遺族に会いたい   どうしよう・・・
遺族の会を作ってくださいと行政にもボランティア団体にも何度も電話した
だれも相手にしてくれない
しかたがない  自分のことは自分でするしかない
と立ち上げた自助グループです。ひとりで。

  ::::::::::::::::::::::::
 助けてと叫んでも 死んでしまいそうですお願いですと叫んでも
 誰も助けてくれず無視!
それが10年前のことです
:::::::::::::::::::::::::::
       
 本当に悲惨な生活に追い込まれてしまう遺族もいます
   家族を亡くし 更に追い打ちをかけるように 賠償金の請求をされたり
   慰謝料や建て替え費用の請求を数千万円単位で請求されたり
 毎日 罵声を浴びせる電話が来たり
      訪問しては 罵られたり…する遺族もいます
   そのような被害を受けている遺族を少しでも何とかしてあげたい・・と動いているのは自助グループです
    全国自死遺族連絡会です
自死遺族等権利保護研究会 ・・・です 自死遺族相談センターです
    この問題を 社会問題としたのは全国自死遺族連絡会です
この問題を社会の問題として取り組まなければならないと言ってくれたのは
  故平山正実先生です。
    たくさんのこころあるひとたちのおかげで  自死遺族の個人情報が民生委員や町内会に流れていないのです
     たくさんの良識ある人たちがいなかったら
今頃は 自死遺族という個人情報が 県や市町村の支援窓口はもちろん
町内会、交番、民生委員等々に流されて共有されて  見守りという名目で見張られていたのです。
地域から。
  全国自死遺族連絡会は防ぐ役割の一端を担ったと思っています。

 知らないところで 自分が守られている ことを  知ってほしいと思うのですが
   本当の助けは
    知らされないで 知らない間に助けらているのだ・・・・と岡先生はエッセイに書いています

  その意味では 私は未熟者です
        知ってほしいと思っているのですから・・・

比べないこと

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   一人っ子が亡くなった人の気持ちは私にはわからない
      ・・・
田中さんは孫がいてよかったですね・・・とよく言われた
んんんん・・・会えるならね・・・・・

  我が家のように 息子が亡くなって10日目で 断絶をされたら
       どうしようもない
いっそ 孫なんていないほうがよかったと思う
   家族3人一気に失った
        流産死産の会の人にこういわれたことがある
思い出がたくさんあっていいですね・・・と

 思い出は生きていたら楽しい
がしかし  死んだら    思い出は全部悲しみ
      思い出が多い分 悲しみも多い
小さい子を見ても悲しい  中学生を持ても悲しい  車を見ても悲しい
    警察の制服を見ても悲しい パトカーを見ても悲しい
  海もスキーも花火も・…入学式も・・・見るもの全てが悲しい

   一年だから・・とか  50年だから・・・ではない
 
親を78歳で亡くした(自死)人に 78歳だから・・・というのは残酷
     その人にとっては 78歳まで生きていても世界で一番悲しいのです
 自分の悲しみに同調しなくていいのです
 自助グループのわかちあいは
「いいっぱなし」「ききっぱなし」というルールがあります
 その人のはなしを受け止めなくていいのです
     受け止められないんですから・・・全員。

   人と比べないことです

自分の悲しみは自分のもの
 悲しみもまた私のものなのです
誰のものでもなく 私の悲しみは私だけのものですから。

表の顔と裏の顔

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自死遺族だからというだけで 憐れまれたくない
    蔑まれたくない
        かわいそうな人あつかいはされたくない

 私は悲しいだけ・・・

   やさしそうな支援者が裏で自死遺族の事を どのようにいっているか私は知っている
      知らないほうが 支援者を信じたのかもしれない
  でも たくさんの自死遺族支援者に蔑まれ馬鹿にされ 気ちがいといわれた
      自死遺族を支えるために・・・研修が行われている
 内容は 特殊な人たち・・・精神異常者の集まりをどうするか・・という内容です
 遺族同士喧嘩したらどう対応するか・・・
  遺族は貧困者が多いから 借金の申し込みを受けたらどう対応するか・・・
  知識のない人たちだから、全てに正常な判断ができない人たちであるから、遺族同士の繋がりを認めてはいけない
  自死遺族は精神疾患者が多いから、遺族に支援者の連絡先は教えないこと
  会以外には つながりを持たないこと
 遺族の話は重たくて疲れるから 遺族の話を聞いた後は支援者だけでミーティングを行い
    スーパーバイザーにケアをしてもらうこと
等々・・・・・・
そして 報告会を開き、検討会を開き、一人一人の遺族の話題がでます
  行政の場合は 担当者が転勤になったら 次の人に情報を引き継ぎます
   書面で報告し、係長・課長・部長・局長と報告書に承認を得ます
 その都度 自分の情報がみんなの目にさらされるということです。
そして 
 自死の対策会議等で 報告されます
どこどこの誰さん、このような事情の遺族がいて、このような話をして相談を受けたので
  このような対応をしました。というものです。 

 情報が支援者全員に共有されてもいい遺族は 参加したらいいと思います
   
 悲しみ比べも
   心で思うのは自由です
 自分が世界で一番悲しい、誰よりも私が一番悲しいと思うのは当然です
  相手が二人亡くそうが3人亡くそうが  自分が一番悲しいのです
それでいいのです。
  それをお互いに認めながら
   声に出さないこと・・・でください。

私は必ずこのように説明をします。

悲しみは愛しさと共に
  悲しいという感情は愛しているから・・
深く愛しているから深く悲しい

他人よりも家族への愛が深いのは当然

  だから 自分が感じる自分の悲しみは 自分が世界の誰よりも悲しいと思って当然
    それはお互いさまなのです

 お金がたいへんな人のために 参加費100円です
そして、宮城県内各地域に会を開催しています。
メールや手紙でも交流しています
電話もかけ直しをしています(電話料金の負担が大変な人もいますから)
それと
無料にしたら施しのようになるから、100円です
  施しを受けるのではなく 自分のお金でお茶を飲んだりジュースを飲むという気持ちで参加してほしいからです
    お菓子も食べない人にも食べた人にも 持って帰ってもらっています。
    亡き人へお供えして下さいね・・・と。

私は支援者側という立場もあるので、支援者の人たちとの交流も多くあります
 ほとんどの支援者は私が遺族だということを忘れているようで、遺族への愚痴を聞かされます
 研修会も何度も参加しましたが 遺族を何だと思っているのか…というような内容です。

私は あんなことまで裏で言われて お世話にはなりたくない
  遺族以外でも 支援者でなくとも 心ある人はいます
     岡先生もいい人です  野田先生もいい人です
   裏表のない態度で接してくれます  坊さんたちもいい人たちもいます
     保健師でもいい人たちもいます。もちろん弁護士も司法書士も…いろんな専門家の人たちも

   私は自助グループに拘って活動をしていますが
   自助グループが嫌いで支援者のお世話になりたい人はそれでいいと思います
 ただこれだけは言いたい
 自死遺族の悲しい話を聞くだけで 彼らは他は何もしようとはしない
    差別的問題の是正のために・・とか
      偏見をなくしたいとか・・・
いじめの裁判の支援をしようとか・・・
 過労死裁判の応援をしようとか・・・
生活に困ったら相談に乗ってくれるとか・・・
   供養の相談にも・・・家族の問題にも・・・
   何にもしない
ただただ 遺族の悲しい話を聞くだけ

 自助グループは ある意味 大人の会
     自分の意思で参加し 自分の意思で受け止め 自分がたちあがり
  自分で歩く  誰もよしよし・・かわいそうね・・・と思わない
    同情はしない
共感はしても 同情の気持ちはない お互い様だから
    相互扶助の精神が自助グループだから

  自助グループは自主参加…自分の意思で参加
     受付に来て迷う遺族がいても声はかけない
あくまでも自分の意思での参加
        私は裏の裏を知りすぎているのかもしれない・・・が
    支援を求めた時   たくさんの支援者から 傷つけられたことを忘れない
今は
その何倍も  すばらしい人たちに支えられて活動をしています・・・
    感謝です

法話の会 2月6日 葛城市

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(仙台のつむぎの法話会のお寺さん「慈恩寺」12月の様子)
  たくさんの遺族の人たちが参加
「法話」を聞き、亡き人のためにひとり一人回向をし、お茶会
「わかちあい」ではないので自己紹介はしません
  お坊さんとお茶会の時に直接お話して相談ができます
    もちろんお茶会に参加しないで法話と回向だけでもOKです
 病気・事故・交通事故・突然死・震災死・自死…どのような形の亡くなり方でも参加できます
  亡き人と阿弥陀様と自分と・・・そんな時間
布教師さんによる本当のお経のお話
   やさしく説いてくださいます

 平成28年2月6日(土)
場 所  西 光 院(さいこういん)
奈良県葛城市竹内959
近鉄南大阪線 「磐城駅」 徒歩20分
時 間  14時30分~17時
受付開始は14時から
参加費  無 料   

平成28年4月2日(土)

場 所  成道山 「法輪寺」

兵庫県尼崎市武庫之荘4-4-10
阪急神戸線 「武庫之荘駅」徒歩9分
 時 間  15時~18時
受付開始は14時30分から

  

 

わかちあいとは・・・クールダウンとは

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  自死遺族のわかちあいの会
支援者…遺族以外の人がスタッフとして交じっている会もある
 遺族以外の人が 精神科医・精神保健福祉士・臨床心理士・看護師・宗教者・精神保健福祉センターの職員・ボランティア等
    だったりする
 その場合・・・多くの遺族は支援者に気を遣う
      支援者が一人入っただけで雰囲気は変わる
このことは 自死遺族だけではない・・・と 岡先生は講演で話している
  
精神障害者・難病・アルコール依存症の会でも 当事者だけでの時間と支援者が入った時間では話す内容が違うと言っている
  両方の会に参加するとよくわかる

そもそも
 支援者がいる会を「わかちあい」というのはおかしい
   支援者と何をわかちあうのか

家族を自死で亡くしていない 幸せな支援者と何を分かち合うのか
 わかちあう「悲しみ」が支援者にはない
 「悲しいだろう」とは思えるが 「胸が張り裂けそうな悲しみ」は体験した者にしかわからない
    わからないのが悪いというのではない
   わからなくてふつうなのだから。
のどから鋭い剣を刺されているような 痛みを伴う悲しみは悲しいけど体験した人しかわからない
 体験したくなかったけど 遺族になってしまった
    心から血を流し 亡き人と自分の涙が河となっている時間を
時には沈んでしまいながら 必死でもがき岸に這い上がろうとしている遺族の気持ちがわかるはずはない
   何度も言うが それが悪いとは言っていない
それでいいのですから。ほんとなんですから。幸せなんですから。いいんです幸せで。
幸せなのに不幸なふりして
 幸せなのに悲しいふりして
  幸せなのに泣かなくていいんです
だって幸せなんですよね・・・いいじゃないですか。
  わかちあいとは
 同じ苦しみ同じ悩み同じ悲しみ・・・が前提で成立します
だからこそ
 なんでも話していいのです
話せる時間、空間、雰囲気を作るのも 運営側です

 深い重たい話しもでます
  
 だから「クールダウン」の時間を設けています

カウンセリングの手法のひとつ
 重たい辛い話を引き出し吐き出してもらうという手法
しかしその後のフォローが大切であり重要なのです

わかちあいも同じこと
クールダウンの時間は必要不可欠な時間です

 藍の会は クールダウンの他に二次会もあります

 深い重たい辛い話をした後は
   お菓子を食べ、お茶やコーヒーを飲み ワイワイワイワイガヤガヤ賑やかに
      笑い泣き・・・・笑い 過ごす
 わかちあいが延長してクールダウンが少ないときは
   会場の時間を延長して クールダウンはきちんとすることにしています
わかちあいの時間と同じくらいクールダウンの時間は大切です

だから重たい話しも辛い話しも苦しい話しもどんな話もしていい時間が共有できます

幸せな人たちに自分の話を聞いてもらいたい
 遺族の話は聞きたくない
という人は 支援者団体に行くのがいい

  自死遺族の話は重たくて頭の混乱した遺族の話を聞くのは訓練を受けなければやれない
  ということで 訓練を受けた支援者が聞いてくれる支援者のいる会に行くのがいいと思う

自助グループは 訓練を受けた人たちがいるわけではない
  ただただそこにいるのは同じ悲しみを体験した人たちだけ
話さなくても聞かなくても 同じ悲しみを持つ者同士とわかる 一人ではないと思える

「わかちあい」を卒業した人は 参加しなくなる
  一人で社会に合わせて生きられるようになったひとは 卒業する
「わかちあい」の会卒業する会
   学校のように 同期会のように同窓会のように
      たま~~~~に参加するひともいる

わかちあいだけがいいと言っているのではない
 自助グループだけがいいと言っているのではない
ただ どんなことでも話せる空間は必要
    それが自助グループのわかちあいの会の役割

 支援者たちの会では賃貸物件の問題も検案料の問題も
   差別的問題も 話題に上ってこなかった
自助グループが広がって初めて 自死遺族等への差別的問題がクローズアップされてきた
  それは支援者がいる会で 遺族は本音を吐かなかった ぶっちゃけ話しをしなかったからです

 わかちあいで話したことを遺族に許可をもらい公開
 被害を受けた遺族に取材を受けてもらい 公開してきた
    そして泣き寝入りしないで 話し合いをしたり 裁判をしたりする遺族が増えてきた
  
法律の専門家たちも 知らなかったということだった
 国の自死遺族の指針を作った人たちもわからなかったということだった

 自助グループの研究者の岡先生の講演記録や論文を読むとよくわかる
   日本の自死遺族の自助グループは自助グループの研究者たちが論じたとおりに進んでいる   

ずるい人 岡知史氏のエッセイ

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「ずるい人」岡知史

ずるい人に、あなたは怒っている。
「ずるい人は楽をして、得をしている」
「私はまじめにやって損をした」と訴える。
ずるい人は、あなたを見て嘲笑(わら)うだろうと、あなたはいう。
たしかにそうかもしれない。
あなたが何日もかけて手に入れたものを、あの人は、
さっと横から奪ってしまったのだから。
公平じゃないというのですか。
確かに公平ではない。
規則を破っているというのですね。
確かに、あの人たちは規則を破っている。
でも、気をつけてください。
ずるい人に、そんなにまで怒るあなたは、もう思いはじめている。
「私も、そうすれば良かった」と。
あなたは、ずるい人になりかけている。
ずるい人は、なぜ、そんなことをするのでしょう。
疑問に思ったら聞いてごらんなさい。
「だって、みんな、やっていることだから」ずるい人は、そう答えるでしょう。
ウソではありません
ずるい人は「みんな、ずるいことをしている」と思うから
ずるいことを平気でします。
ずるい人にとって、正直なあなたは、その目の中に入っていませんでした。
あなたが、いままで正直だったのは、「みんな、正直だ」と信じていたから。
だから、ずるい人を見ると心が揺れる。
ずるい人が「得をしている」と思い、あなたも、その仲間に入れば、
ずるい人はきっと笑うでしょう。
「みんな、ずるいことをしている」という
自分の考えは当たったのだから。
でもあなたは、一つ見落としている。
それはずるい人が「みんな、ずるい」と思っている事。
その人にとっての世界は、ずるい人でいっぱいなのです。
ずるい人はずるい人に囲まれて暮らしている。
いつも騙されないように、利用されないようにと気をつけている
うっかりすると大切なものを奪われるかもしれないと、
たえず目を光らせている。
・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
 欲の深い人たちは、他の人もみんな欲が深いと信じている
奪われないようにいつもビクビクしています。
人を傷つけて平気な人は、
誰もが平気で人を傷つけると思っている
だから自分を守るのに必死です。

あなたが正直であっても
決して損はしていません。
あなたは正直な人に囲まれて過ごしています。
それはずるい人たちが味わえない 日々に違いありません

・・・・・・・・・・・・・
「ずるい人」になりかけたことが何度もある
  楽して認められて ・・・いいなぁ~と。
個別相談を減らして 講演に力を入れて 取材してもらい
   金を得て・・・なんてことを・・・
有名にはなれるだろう
 講演にも呼ばれるだろう
・・・
いや 違う 私の原点は息子の自死
   息子に認められ・・・遺族が元気になってくれたらいい
 自死が減り遺族も減り・・・
   活動が必要でない社会が目的

悲しみと

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  自死遺族の中で 精神薬を飲んでいる人がいる
     家族の自死を体験してから飲んでいる人
 こんな相談があった
 夫が自死 当時は 自分も働いていた
   悲しんでいる妻をみて 精神科を親戚が勧めた
3年過ぎた~~~現在
精神薬が増えて、今は仕事もやめて 家で寝たり起きたり・・・引きこもっている
  動けない 声もようやく出る程度
  薬のせいだとおもうから もっと多く処方したい医師には断っているが
    それなりに多い薬はそのまま飲んでいる
  やめる気力もない
             動けない・・・

薬に頼らずに悲しんで生きていたら・・・3年過ぎたら 悲しみはあるけど表面は普通に暮らせる
 なぜ薬を処方するのか
    医師に聞きたい
     悲しみは病気なのだろうか
     愛する人が亡くなり・・・悲しいと思うのは精神病なのだろうか
   何という病名の精神病???
かなしい気持ちは「うつ病」ではない
   かなしい気持ちさえ湧いてこないのが「うつ病」
 喜怒哀楽が表現できなくなるのが「うつ病」
かなしいとわかっているのに笑っている 涙がでない かなしいはずなのに・・・悲しめない
     亡くなった人を想い 哀しみ嘆き涙がでるのは 普通の反応
病気ではない人に
   薬を飲ませることはできないので 医師は遺族に病名をつけている
   悲しみはどこから来ているのか
   悲しみは  愛する人が亡くなったから・・・
    生きていたら悲しみがない  生き返ったら悲しみがない
生き返らない限り かなしみは消えない
  生き返るのか  いや 生き返らない
     どんなに薬を呑もうが  悲しみは消えない
    悲しみを消す薬なんて世界中どこにもない
悲しみを消すということは
  愛する気持ちを消すこと

  私は健一を忘れたくない 健一を愛してる
   だから かなしくていい 悲しみもまた私のもの
    健一を思って泣く気持ちを消したくない
健一がいないのに悲しくもないなんて・・・そんな親にはなりたくない
     いつもいつも悲しくていい
   いつもいつも愛しているから健一を・・・

精神薬を飲み続けている遺族は 元気になれない
   多くの遺族をみてきて思う
      精神薬をやめて 自分のままで生きたほうが自然

 震災から5年が来る
    まだ薬を呑んで精神科に入院している遺族が大勢いる
     通院している遺族も多くいる
 遺族で後追いをする人もほとんどは精神薬を飲んでいる
   苦しくても悲しくても
      飲まないほうが 時間の効果が出る
    飲んでいたら時間と共に悪化していく

   悲しみは精神病ではありません

他の生き方ができない

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10年過ぎても 自死の問題にどっぷり浸かって生きている
息子の自死から頭が離れない   どうにもできない

  いろんな人たちがいる
      表面上 自死の問題とは関係なく生きて行く人もいる
   亡くなった時は激しく悲しみ 深く沈んでいた人たち
その時を知っている 私は 時々思う
   多くの人たちは 強いなぁ~って
 語らずじっと自分の胸にしまって 日常の生活がかわりなくできる人たち
    すごいなぁ~
 健一が逝ってから半狂乱になり、苦しくて苦しくて悲しくて悲しくて
   もがき地を這いつくばるように生きてきた
  なんとか・・・・生きてきた
       健一が逝った自死という問題を見極めたいと思って・・・生きてきた
なぜ あの子は死んだのだろう
なぜ 死ぬことになったのだろう
なぜ・・・自死とはどんなことなのか・・・なぜ自死に至るのか
  人生が一変した
     快楽を求め 楽しみを求め 満足を求め生きてきた
   息子の自死で 私の生活は自死の問題一色
寝ても覚めても 自死の問題を考えている
  息子を死なせた私の懺悔の日々
弱いから 活動をしていると思う
活動をしないと 息が苦しくなってしまう
 罪悪感で・・・・
罪の意識に潰されそう
 天地がひっくり返っても息子は生き返らない
もう二度と 健一とこの世で話せない
あの子の喜ぶ顔も見られない
 子供の喜ぶ顔は 生きる力
・・・・・悲しいご縁の人たちを思い出す
 こんなことを電話で言った人がいる
「田中さん 俺、泣けないよ 泣いたら立ち上がれない気がするんだ
 だから笑っているんだ ・・・」と。
その人は2人亡くして、一人だった
  私は甘い 自分に甘い
 だから 律しないと 崩れてしまいそう
   息子のことをいつも思っていないと 後悔する気がする
   相手に合わせて笑うことはできる
    相手に合わせて 楽しめる
そんな時 息子は遠くにいる   ・・・・自己嫌悪に陥る
講演をする・・・自己嫌悪
  この世にいない息子と どうやって一体になって生きるか・・・
      どうしたら 息子を感じて生きられるか
   やっぱり 自死の問題から離れられない
   息子がこの世からいなくなったのが 自死という死だから 
    自死の問題のど真ん中でなら  生きられる
息子を最も身近に感じられるから・・・
  他の生き方ができない
      自死の問題から離れて生きられない
            いつも祈る
親にとってはいくつになっても子供は子供
どうかどうか子供たち、生きていてください 
 子供に死なれて
    毎日が修行
        時々休みたいが修行に休みはない
   ただ 積み重ねるのみ
      どうしたら  自死のない社会ができるのでしょう
         ・・・連日息子は夢に出てきて 話しかけてくれている
        ・・・・どうして?

つむぎの法話会

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浄土新聞
  仙台市・慈恩寺で「つむぎの法話会」
 東日本大震災、自死、事故、病気など様々な理由で大切な家族を亡くした遺族を対象に、法話、回向などを勤める「つむぎの法話会」。12月4日、仙台市の慈恩寺(樋口法生住職)で開かれた模様を取材した。
「震災によって子どもを亡くした親が、自分を責め、行き場のない苦しみを抱えています。お寺で静かに手を合わせ、遺族どうしが分かち合える場を提供してもらえないでしょうか」
 震災直後、樋口住職にこう願い出たのは、仙台市に住む田中幸子さん(66)。田中さんは長男を自死で亡くしたことから平成16年、子どもを亡くした遺族の会(つむぎの会)を立ちあげ、公民館などを会場として、同じ境遇にある遺族とともに心の思いを語り合ってきた。そして樋口住職には、震災前から自死、命についてたびたび相談をしていた。
 樋口住職はこの願いを快諾。23年10月からふた月に一回、寺の本堂を会場に名称をとくに「つむぎの法話会」として、自死や震災などそれぞれの事情で子どもを亡くした遺族が樋口住職の回向法要、法話に耳を傾けながら心を落ち着けて自身と向き合える時間を持つようになった。
 今回の「つむぎの法話会」は年末の特別版。通常の「つむぎの法話会」に参加する遺族を中心としつつも、誰でもが共に祈れる場をと、樋口住職が所属する大本山金戒光明寺布教師会とともに年末に開いているもので、今回が3回目。同会布教師の苅安卓也師が法話を行い(写真)、蓮の花の写真を全員に配布しながら、「最愛のご家族は阿弥陀さまのお慈悲によって、蓮の台(うてな)に往き生まれ、痛みも、苦しみもない極楽浄土におられます。遺された私たちは、どうかお願いしますと、お念仏をとなえることで、必ず再会が果たせます」と、遺族一人ひとりに語りかけるように説いた。
 法要では回向を行う僧が「施主にとりては愛しき息子にして、世に居ませし時の名を・・・」と、施主と故人との繋がりを哀愁のこもった節で詠みあげると、堪えきれない感情が筋となって遺族の頬をつたった。
 会を終え田中さんは、「遺族は喪失感のなか、藁にもすがる想いで宗教書やスピリチュアルの書籍などを読み漁ります。しかし、〝こうでないといけない〟という考えに縛られ、逆に苦しみが増幅してしまうこともあります。こうした悩みをつむぎの会で語らうなかで、〝お寺で本物の教えを聞きたい〟ということになりました。慈恩寺さまでは、法話をお聞きし、その後に直接質問もできるのが何よりありがたいです。〝お仏壇にミルクをお供えしてもいいですか?〟など、些細なことかもしませんが、ご住職の『大丈夫』という言葉がどれだけの安心になるか。また法話のなかでお教えいただいた〝極楽で再会できる〟という教えは遺族にとっては本当に救いになります」と語った。
 〝震災から今年で5年〟
 そんな文言は遺族にとっては何の意味もなさないかもしれない。震災に限らず、いつまでも節目を迎えられない遺族は多い。
 「ずっと、ずっと続けてほしい」
 遺族の一人がつぶやくように語った。その想いに応えるように樋口住職は「まだね、来年も待ってっから」と、東北訛りの優しい口調で再会を約束していた。

人を愛したことのない人たちの発想?

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死別悲しみ2週間で「うつ」
 診断基準 米学会が改訂
2013年5月11日の読売新聞の記事
米国精神医学会が近く公表する新たな診断基準「DSM-5」で
子供や配偶者などを亡くした後の気分の落ち込みを 安易にうつ病と診断する恐れのある改訂がなされたことがわかった
米国精神医学会の診断基準は
日本を含む世界各国で用いられている
病気ごとに代表的な症状が列記され、あてはまる症状の数などで診断する
うつ病は「抑うつ気分」「興味または喜びの喪失」の一方または両方とほぼ毎日の「不眠や睡眠過多」など 計5つ以上の賞状が2週間以上続き 生活に支障がある場合に診断される。
新基準ではこの規定が削除され
脚注で正確な診断のポイントなどが記載される。
うつ病を早期に治療することを重視する流れがある。
だが 子供や配偶者を不慮の事故などで失ったときも
2週間で立ち直らなければ病気とされる可能性がある。

基準を決めた人たちは自分の家族が突然亡くなっても2週間で立ち直るんでしょうか
   2週間で興味や喜びでいっぱいで 熟睡でき 気分はルンルン
       家族を愛していない人たちなんでしょうね

予定

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木曜日は「藍色のこころサロン」
金曜日は「遺族の茶話会」
土曜日は東京で自死の対策のための円卓会議の参加
泊まって次の日は ジャーナリストと打ち合わせ
 本当は日曜日も泊まって月曜日に司法書士会のシンポジュウムに参加したいのですが
  11日月曜日は山形市で開催の「青い会」に参加するので日曜日に仙台に帰る
新しい人の参加もあるので
  一年に一回は山形の会にも行く
 ヤマコーホールという便利のよい会場
  駐車場は無料
9日は福島県の郡山市で「えんの会」があるんだけど
    円卓会議があり、また全国自死遺族連絡会のことで遺族と会うことに・・・
 上智大の岡知史教授にも相談に行きたいのですが
     なんとか 2月までには行かなければと思う
 2月の前に 厚労省と警察庁に要望書も出したい
   宮城県警本部にも行かなければならない
全国の県警本部にも要望書を送りたい
     
    全国自死遺族連絡会は 自死遺族の自死遺族によるネットワーク
     自死遺族の問題が中心
   しつこく継続して要望し続ける
    めげずに何度も何度でも・・・
     自死遺族が元気に生きていける社会を目指している
        もちろん 自死遺族が増えないための活動も。

今夜は 円卓会議の配布資料を作成しよう
   おにいちゃん
     一緒によろしくね
    明日は歯の治療
あ!忘れてた!
京都市と宮津市での講演の文字おこしのチェックと
   内閣府の会議の日程調整の表を書かなければ

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毎月
 第一木曜日と第三木曜日は「藍色のこころサロン」管工事会館
  最後の日曜日は「長町サロン」
第二・第四金曜日は「遺族の茶話会」
 最後の木曜日は 「つむぎの会」仙台
    そして「藍の会」


自死遺族等の権利保護研究会



   みやぎの萩ネットワーク例会と幹事会
 宮城県自死遺族支援連絡会例会
     

おもいつくまま・・・

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  オーバーワーク状態がずっと続いている
あれもこれも  相談の際に書いたメモを出先に持って行き
  電話しなければ・・・手紙も書かなければ・・・と思って手帳に挟んで持って行くのだが
       忙しくてその時間がなく  
そのうちバタバタと片づけをして あ! そうだ!と思い出し 探すとない・・ない・・ない
   あっちもこっちも手帳をひっくり返して探すが・・・ない

ごめんなさい  手紙が届かない人 資料が届かない人 ごめんなさい
    もう少し ゆっくり 落ち着いて行動するように心がけてみます

  今日は手紙を5通書いた
     書かなければ・・と思っている先が 50通くらいある
 
栗原市から頼まれた原稿もある
  10000字の原稿は終わった  要望書も書かなければ・・・
     文書を書くのは苦手
   でも 書くことが多い  
        講演の原稿も・・・書かなければ・・・
           
円卓会議で配布する資料も作成しなきゃ・・

     でも・・でも・・でも
          相談も受けなきゃ
  
   みんなどうやって 活動してるのかな
   
    一応主婦だしね
    家事もあるし・・・ベストも編んだ
    
  健一のことはいつもいつも心にあるしなぁ~~~
      孝一のことも気になる。
   
     仏壇も気になる  お墓も・・・

   お兄ちゃん 苦笑いしてる?
       しゃ~ないなぁ~~~って

    美容院に行けず  ハサミで自分でカット
        健一が生きている頃は考えられないこと
 
   昨日は寝たのが3時半(今日だね)
      めまいがひどかったが、今日は少しだけ
  時々胃が刺すように痛む・・時々
     心臓がキリキリ痛む・・・時々

     でも病院には行かない  ダイジョウブ  大丈夫 だいじょうぶ

生きてるときは短いから  ねむくないときは寝ない
     どうせいつか ずっと寝ることになる

つらつらと思いつくままに~~~~~~何も考えずおもいつくまま

     

癒してあげたい人たち

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被災地は 新聞もテレビもまだまだ 震災のことが日々・・・たくさん取り上げられている
被災地以外ではもう掲載されていないと思いますが、取材の依頼も被災のことが多く自死のこと等
ほとんど取り上げられていないと思います。それでいいと思います。
その中で 幽霊とかお化けとか浮かばれていないとか
  腹を空かせてコンビニに並んでいるとか
     記事になったりしている

 それがどんなに遺族を傷つけているのか知ろうともせず
   

仏教の葬儀が多かった被災地
 仏教の教えを信じたらいいと思う
   幽霊って何!
     うかばれていないって何!
  苦しんでいるって何!
阿弥陀様・・法然さま
    その教えを信じたら 幽霊はない
  亡くなった瞬間
阿弥陀様が
蓮の花のつぼみの中に包みこみ
 西方極楽浄土に連れて行ってくれ
  そこで蓮の花が開くと 先に逝っている家族や知り合いが待っていてくれる
    苦も無く悩みもなく老いもなく病もなく・・・
 遺族は救われる
私たちも必ずそこに行くことができる
 会える日が来る・・・
もしも
お念仏をしても
幽霊とかお化けとしてこの世にいるなら、うかばれていないなら
  阿弥陀様は阿弥陀様ではなく 観音菩薩としてもう一度修行をし直さなければならない

阿弥陀様という仏様がどんな仏様なのかを知らない人たちの言葉は遺族を傷つける

しかも    霊魂と幽霊とお化けと・・・ごちゃ混ぜにしている

また
亡き人からのメッセージは その人のことを愛している人に亡き人が伝えるもの
  全くの他人 どこの誰だかわからないような人に
             少なくとも私の息子は 「カァチャンに伝えて欲しい」なんて言わない
   人見知りで、遠慮する性格
      息子は私に語り掛ける

     亡き人のことを思い 心を清め 
        こころ静かに向かい合う時 亡き人の声を感じる

 息子の声が聞こえたこともある
  脳の中に・・・
  匂いも感じる
   息子の匂いも  母の匂いも
        父の気配も
  母が亡くなる寸前に 「あ!亡くなる」と感じた
  青森と仙台
 先に亡くなっていた母の姉妹たちとの賑やかな話声が、上から聞こえた
その瞬間「亡くなった」と感じた
   5分くらいしてに実家から電話がきた

祖父が亡くなるときも不思議な体験をした
しかし
 それは 私の愛する人たち

この瞬間も人は亡くなっている
 全ての人のその瞬間を感じたら 私は生きていられない

 亡き人は 愛する人に伝えたいと思うはず

   「悲しみもまた私のもの」
「誰のものでもなくわたしのもの」
 「悲しみは愛しさと共に」
「グリーフ・イズ・ラブ」
  「亡き人との継続する絆」

自死の差別問題に苦しめられている自死遺族にとって
     お祓いは差別の究極の行為
自死は穢れた死だから
  心理的瑕疵であるという意味でのお祓い
    
どのような形での死であろうが  阿弥陀様が極楽浄土に連れて行ってくれている
    そう信じている
 差別は人間が作ったもの
    差別する心も煩悩 


 

遺族は遺族で毎日頑張って生きている
 震災からもうすぐ5年  
全国いろんなところで 災害で死んでいる人がいる
   なぜ 東日本大震災で亡くなったひとだけがメッセージを伝えに全国の霊能者の所に行くのかな
   不思議

 私は阿弥陀様を信じている・・信じようとしている
    亡き人たちを愛しているから 信じる

霊が見える人からの電話

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いろんな人から電話やメールFAXが来る
ブログへのリンクのお願いも・・・
  占いや霊能者・・・亡き人の写真を絵にかく・・・亡き人のお人形を作る
・・・・・
 遺族に頼まれたときは 紹介することもあるが・・・
 あくまでも頼まれてどうにもならない時用には 紹介先はある・・・
  が  お遊びとしてである

真剣に行かれては ひどいことになるから 何度もお遊び程度だよ・・・という

    50数件も占いに行き、 占いの勉強もして・・(図書館)
比較的当たるといわれる 人の所にも行った・・・
(安かった)
 霊能力を高める訓練もした
   精神を研ぎ澄ます訓練もした
      おまじないも勉強して実行した
  考えつくままに やれそうなことはなんでもやった

 今・・・法話の会に心の学びがある
      ざらつく心  ざわめく心  トゲトゲしているこころ
   そんな心を なめらかにしてくれる

惑い苦しみ学んだお遊びのような様々も 時々は役にたつ
     信じる心は自分を救ってくれる
・・・
理に適っているお遊びもある
   お金がかからず手軽にできる元気になるおまじないのようなワークは
       お遊びで教えることもある
    元気になってほしいと思うから・・・
悲しみはしょうがない一生続くと覚悟を決めた
  覚悟を決めて欲しいと思う
    消えないし 軽くもならない
    しかし 元気で生きて行くことはできる
  元気で生きて行くことも供養
       健康で生きて欲しいと願う

 霊が見えるという人がいる
   誰の霊でも見えるのかな・・・

 殺された人の霊と話して 犯人を捕まえてほしい
 行方不明の人の霊と話して 遺体の居場所を見つけてほしい
    どこどこの誰々ですが 私の遺体はここにあるので ここを探してほしいということを聞いてほしい

 苦しいとか かなしいとか 心配しているとか
     誰にでも当てはまるような話は必要ない

 ある占い師にいわれたことがある
    霊が降りました・・・と 言われたら
 自分と亡くなった人しかわからないことを質問してみることです・・と

そこで返事できなかったり 外れたら
  あなたは違う人ですね・・・私の誰々ではありません・・ときちんということです・・と

      今日 1月1日  夕方のご飯時に  霊が見える人から電話が・・・

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中学時代(青森)の息子の友達のメッセージ

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今日1月1日は健一の墓参り
 毎年 お寺の敷地の墓地にある息子の墓に行く

 健一の一周忌に友達がきてくれ 寄せ書きをくれたのを久しぶりに読んでみた

*******

たなけん

お前が俺たちと簡単に会えないようになってからもう1年が経つんだよなぁ。
俺は仕事もプライベートも相変わらず突っ張っていて波風だらけの毎日(笑)
全く落ち着かないけどさ,マジにお前の事を思い出さない日は無いよ。

この前、携帯の機種変更(6台目かな)したんだけど電話帳にあるお前の
名前や番号が消せないんだよね。またお前がひょっこり電話やメールして
来るんじゃないかと思えてさ・・。コンピューターのエンジニアしてるくせに
可笑しいだろ。。

でもさ、話したいよ。

バカ話したいよ。

声聞きたいよ。たなけん。

今度いつお前に会えるかわからないけど、会ったら昔話でもしてゆっくり呑もう!!
ほんじゃまた。

***********

仲間唯一の子持ちの既婚者として、もう少し色々話してくれたらよかったのに!
時間ができたら墓前に文句言いに行ってやる!

*************


たなけんへ

そうぶんです。近くまで行きたかったけど、いろいろあって行けなくてごめん・・・。
今日はたなけんのことを思いながら一人、酒でも飲みますね。
たなけんの永遠の魂が、安らかに未来へ。

************

田中健一君へ
早いもので、1年が過ぎてゆきます。こちらに在る人達の中で、私はしばらく生きることに
多分なるでしょう。折に触れて想い出していきます。

私は空の下、たなけんは空の上、お互いに安息でありたいですね。

***********

お久しぶりです。元気ですか?
早いもので。1年。たなけんとの数々の思い出は、ちょっぴり甘く。ピュアで若く
幼かった学生時代の懐かしい思い出です。
今は何処かへ行ってしまいましたが、中学卒業の時にお願いしてもらった第二ボタンは
高校の制服にこっそりつけてることもしました。
今家建て直し中で欠席します。
大変申し訳ありませんが、十和田よりお祈りしております

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このうちの一人は上場企業退職し、大学院に入り、臨床心理士になった・・・
 たなけんの死で人生が変わりましたとお手紙をもらいました。

あれから10年・・・