活動


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自死や自死遺族等への差別問題の是正のために
     自死遺族等権利保護研究会の開催やシンポジュウム・要望書等
      様々な活動をしてきた

 司法書士会・臨床心理士会・仏教会・厚労省等々での講演
      新聞テレビ 数えきれないほどの取材を受けて
         いろんな本にも共著で書かせてもらっている
      
  差別問題の団体とも連携
 「差別禁止法」も目指している
    もちろん「自死遺族等の保護法」の実現も、故平山正実先生からのご提案を受けて
            運動を続けている・・・

  今度 この差別問題を

岩波書店月刊誌「世界」で取り上げてもらう

     これも 自死で亡くなった人たちへの想いのひとつの運動

      自死した人たちを蔑む社会を変えるための活動

    国交省にも数回要望書を提出し パブリックコメントも出してきた
        衆議院議員会館での集会も開催

      被害を受けた遺族の協力がなければ
          社会問題化しなかったこと・・・
     
     支払い済みの問題を 改めて取材を受けるのは
         自分のためではない
   自分のような不当な扱いを受け苦しむ遺族を減らしたいと思うから・・

       
    自死遺族等権利保護研究会のメンバーも素晴らしい人たち
       皆さん手弁当で 弁護士・司法書士・民法の教授・たちが集い
        日々相談を受け シンポジュウムも手弁当・・・報酬はない

         つながった遺族たちが
           心で寄付を送ってくれる…それが資金

       ありがたい

    健一が逝って 幸せという言葉は嫌いになってしまったが
        息子は 私を見て悲しんではいないと思う
   息子の死を 私は活かしたいと思い続けて生きている

    応援をしてくれていると感じている

       人はそれぞれ

    私が息子が逝った後の人生を  幸せと感じていなくても
        それはわたしの生き方
       
 自死への偏見と差別をなくするために 日々相談を受け
       専門家につなぎ
    いろんな人たちと連携し  活動をしている

       自死遺族の相談も・・・

 また 自死遺族を増やさないための相談も
         
     日々・・・みやぎの萩ネットワークを立ち上げ活動を始めてからは
       更に相談件数は増え
            電話が鳴る
     朝から晩まで・・・
     そして 解決のための専門家につなぐ

      つなげられる・・・受けてくれる専門家がたくさんいることはありがたい

    私はみじめな生き方はしていないつもり
          息子が生きていたような幸せにはならないが・・・

       家族も明るく元気です

    美味しいもの食べて 幸せ・・・と感じる遺族も それぞれ

    でも 私は 息子が生き返らない限り 私の幸せはない・・・とおもっている

         幸せはその人が決めるもの
     
       自死への差別撤廃のために
         自死を増やさないために  自死遺族への不当な扱いをなくするために
      毎日 様々な活動をしていきている私を見て
           息子は応援してくれています

      毅然と凛と生きているつもりです。家族全員で。
         
     何度も言いますが 幸せにはなれませんが  みじめではありません
         
     息子が生きていたころのような幸せにはなれませんが
        明るく元気で
               活動をしています

       今日は 藍の会  わかちあい  112回め
   


 
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息子に許されて元気に生きている。



シラヒゲソウ[1]
幸せってなんだろう

   子供が死んでから 幸せという文字に嫌悪感を覚えるようになった
  楽しいとか幸せという言葉に
    心が反応する 時には吐き気が・・・
        ザワザワ・・・ゾクゾク寒気がする

   楽しみです・・・と手紙にも書かない・・書けない
        幸せです・・・という言葉は もっと書けない

      家族が死んでも 幸せと楽しいを普通に使える遺族がいる
        子供が死んでも ・・・
最近、そんな人たちの記事が新聞に掲載されていたのを読んだ

        私の幸せは子供が生きていればこそのこと。
    健一が自死して
       母親の私が どうやって幸せになるというのでしょう
           私が幸せになるには 健一が生き返るしかない

       身体の一部となった悲しみは もう取り除けない
                生き返らないから・・・

       次男はこういう「俺が結婚して 子供が産まれたとしても
            お兄ちゃんが生きていたころのような幸せにはならない」と。

     健康でいることが幸せ・・・と定義なら健康な私は 幸せというのでしょうか
  でも 健康も100パーセントの幸せではない
      心の空いた穴は大きい
       心に悲しみをどっしりと抱えたままで 健康だから 幸せ・・・というのは
             深い底なし沼のような悲しみを抱えている私には 残酷すぎる
        幸せになれないし なりたくないし なってはいけない
            と  思って生きている
    生きている事さえ 罪悪感があるので・・・
        美味しいものを食べたから幸せとは思わない
     美味しいものを食べても
   美味しいとは思うが 
    息子が生きていたころのように心底美味しいとは思わない
        美味しいものを食べても  必ずこころに深い悲しみがあることを感じている
  息子は死んでいるのに
   美味しいものを食べている自分が許せない
       許せないが美味しいと思う自分がいて罪悪感に苛まれる
         
      健康なことも美味しいものが食べられることも
         死んだ息子の許されて・・許してもらってのこと

  24時間(寝ているときも  夢でも 悲しみがある)
     心が晴れることはない
 快晴にはならない
        少しの晴れ間が見えるだけ

      でも 暗い日々を送ってはいない
     笑顔で明るく元気・・・
 明るく元気で笑顔でも 心には常に悲しみはある

     こういうふうに書くと  ネガティブな人生と思う人もいるようですが
       明るく元気で 飛び回って活動をしています

    国や県・市町村や多くの団体
       その他専門家との連携…講演や原稿書き…
           たくさんの会の開催          
       まだまだ やることがあります
         やらなければならないことが山のようにあります

 息子を死なせた親として  
        明るく元気に
              幸せでない人生で送りつづける
              幸せは感じないけど 元気だけはいっぱい 
   生きています



           

悲しい親たち

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今日は 子供を亡くした親の会
「つむぎの会」
朝から電話がなって・・・遅れて参加
       用事があって事務所に来た 子供を亡くしているお父さんも誘って
         クールダウンの時間からの参加
親を亡くした人や
     新聞社の記者も参加して クールダウン

      寒い雨の日
  参加者はいつもより少な目の10人

      来月の4日の「法話の会」のご案内をし・・・
     廻向師さんの雰囲気を説明しぜひ体験して欲しいとお誘いを・・・

    東北ではなかなか体験できないことなので・・・

  明日は遺族の茶話会
     様々な死別の遺族の集い

       わかちあい ではない

     気楽な雰囲気の遺族同士の茶話会

     泣く人もいれば 笑っている人もいる
         
         日曜日の29日は「わかちあい」の集い 自死遺族のみ

     今年の宮城県は市役所の職員の自死や
       中学生の自死  高校生の自死
      東北大学の学生や職員の自死
         若い人の自死が多いような気がする

        悲しい親たちが増えている

悲しい気持ちのケアって…なに

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ふっと
 鮮明に記憶がよみがえる
     健一が生きていたころの日常が・・・

   涙が止まらない

    昨夜 グリーフケア研究会の理事長とグリーフケアについて少し話した
        ただただ 寄り添って話を聞くだけだ・・・ということだった
      
   聞いてもらいたい遺族が参加している
       無理やりには誘っていない
         だから 聞くだけ・・・それがケア グリーフケアだという

     その事業に対して  多額の補助金や助成金が出る

          
      グリーフケア   悲嘆のケア  悲しみのケア

      今日のこの気持ちをどうやってケアしてくれるのでしょう

        会の開催日まで待って…その日のその時間にケアするから来てください・・という会
            
    今日のこの悲しい気持ちは 誰もケアしてくれない
     
         じっと 1か月 2か月 一人で抱えて  2時間ほどの時間 そばで話しを聞いてもらう
             一人で頑張っている時間がほとんど
      
        話したい人が来る  だから聞く・・・ただただ聞く 
          それでケアできていると思っていることがすごい

       その人の悲しみをケアできるなんて 思ったこともない

     私の悲しみも 誰もケアできないと思うから
      わたしのかなしみは 私の悲しみ
         突然激しい悲しみに襲われることもある

        一人で健一と向き合うしかない
    
      話しを聞いてもらうと 一時 悲しみが沈む
          心の底に・・・
    
     でも沈んだだけ
       またふっと 湧き上がる  その湧き上がる思いが強い時も弱い時もある
           が
       ずっと悲しみが沈んでいてくれない

   たとえ 沈んでいたとしても  心の底は重たい悲しみがあることを感じているいつもいつも・・・

   悲しみは 身体の一部になっている

     かなしみのケアという言葉は 傲慢な言葉
        おこがましい言葉

      恥を知る人は 使えないと思う

           10年が過ぎた今も 私の心は悲しみでいっぱい

      ボーっとして 何もしたくないときもある
        悲しくて息が苦しいときもある
         胃がいたい 胸が痛い

    複雑性悲嘆だ   といわれそう

        本物のグリーフケアを受けていないから 悲しみがあるのよ・・・といわれたこともある

       私の悲しみは 健一を愛しているから
         悲しみのケアをすることは 私の愛のケアをすること
     健一を愛している気持ちを
       どうやってケアできるというのでしょう

    1時間聞いてもらっても 悲しみはどうにもなりません
         自分で向き合うしかないのですから

これも自死への偏見のひとつ

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今の社会死んだ方が楽
  希望がない

という言葉がfacebookで たくさんみかける
   精神薬を飲んでいる人に多い

 しかも  自死遺族の記事に対するコメント

     死んだ方が楽なら 人間は楽な方を選ぶと思うがなぜ楽な方法を選ばないのだろう

   死の宣告をされた人がなぜ苦しむのでしょう

       死が楽なら  手術しないで死を迎えたらいいのに
      人は死にたくないから治療を受ける
       病院はそのためにある

   死にたくないのが人間
    死が怖いのが人間
      仏教の四苦八苦の中に  死もある

      生きている人
  きれいな楽しそうなfacebookを書いている人が
      死んだ方が楽と 簡単にいう

   自分はあえて苦しい生きる方を選んで頑張っているが
         自死した人は楽な方法を選んだと思っているのでしょうか


          死にたくないから もがいて 病院に行き 精神薬をのみ
             それでは 元気にならないから  減薬をしようとしているはず

      死んだほうが楽   という言葉

         拷問よりひどい苦しみを毎日味わっているとでもいうのでしょうか

   そのわりに  美味しい食べ物の写真を載せています
      趣味の記事も・・

   生きているということは
   苦しみもあるが  ホッとするときもある
       美味しいと思うこともある

   お風呂に入って「あ・・・」と一瞬でも 気分がいい時もある
      
      死んだ方が楽なら  生きる努力をしないで 精神薬も飲まなければいいのに

       それとも
精神薬は 悪化したいから
 もっと苦しみたいから
        飲んでいるのかな

     精神薬を飲み続けたら 一歩違えば 副作用で死ぬから 飲んでいるのかな

         そんなことはないでしょ

    生きたいから 楽になりたいから
      精神薬を飲んでいるはずです
               
         社会に希望が持てないなら
         希望を持てるように 社会を少しでも変えようとしたらいい

            なんにもしないで  
           自死遺族の記事に  死んだ方が楽・死んだ方がマシ
                と
    書き込みをする人は
      自死した人は楽をして 自死遺族も楽をして生きていて
    自分だけが苦しいのを我慢して
        拷問よりも苦しい思いで頑張って生きている

       とでも思っているのでしょうか
   
            死をわかっていない
      自死をわかっていない   遺族の気持ちも全く分かっていない

           腹がたつだけ無駄ですね

kobana[1]














苦しいときは・・・毒もはけない

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    生きている人で 

死んだ人はいいよ・・・

 生きている苦しみのほうが 辛い という人がいる

         うつ病の苦しみを死んだ人はわからない  と
             遺族も うつ病の自分よりは苦しくない・・・と

        正しい治療を受けていない人だと思う
     facebookにコメントできるってすごい・・・
        そもそも ひどいうつ病だとしたら
facebookをみることもできなくなるだろうし
    人の書いたものを見てコメントもできないと思う

       生きている人に 死んだ人の苦しみがわかるはずがない

       息子が逝き
 3週間くらいで 12~13キロやせた悲しみと苦しみ
  食べてはいけないと思い  食べない
     寝てはいけないと思った・・・
葬儀もできないほど興奮し 失神しては起き 倒れては起き上がり
   でも葬儀の準備はしなければならず        
        睡眠薬を飲み
       それでも「寝ない」という自分の意思が薬よりも勝ち
      暴れる
        暴れて叫んで 疲れて「バタン」と寝る
    1~2時間で起きる
      睡眠薬の頓服を飲み・・・暴れ 疲れて「バタン」   

   水を飲むことも 許されないとおもった
     でも
  トイレには行く
      トイレに行くことも罪悪だった

           死のうと思った・…が死ねなかった

       私の苦しみ悲しみは 息子よりは楽なのだ
           息子は苦しんで悲しんで逝った
  あれほど生きたいと・・死にたくない・・・と  小さい頃から言ってた息子が・・・
     泣いて泣いて泣いて・・・逝った

        死んだ方が 楽  だなんて
        生きている人の傲慢
    
     犯罪の一番重い罪は死刑
    死を持って償うのである
        生きている方が死ぬよりも苦しいなら
            死刑はなんのためにあるのか

       うつ病が 自死よりも楽なら
            死刑ではなく  
                     精神薬を飲ませて うつ病にする刑を与えたらいい

          うつ病は治る病気
     治らないのは医師の責任

     一生うつ病でいるということは
      精神医療の怠慢
          
           うつ病が治らない病気なら 難病に指定したらいい

        普通の医師に治療してもらうと治る
   精神科医には普通の治療ができる医師が少ない    

       死んだほうがマシ  という言葉は

    遺族への配慮も 自死者へのやさしさも 何にもない

    毒を吐けるのはうつ病ではない

   

生きているだけでいい

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未遂の人や未遂をした家族からの連絡を受ける
  
  家族の未遂を恥ずかしいと思い 家を売り 転居を続けている人がいる
      (たぶん恥と思っている気がします)
  何度転居しても
     近所が噂をしている・・・とか
       未遂の話を転居先まで流しているとか・・・
          そんなことを思いこみ
       ビクビクして暮らしている

     なぜ?
生きているのに~
   せっかく助かった子供のことは大切ではないのかな・・

   自分の体裁が大切?
        自分が何を言われても 子供は悪いことをしたわけでもないのだから
            守ってかばってあげるのが親だと思うのだが・・・

     生きているのに

    不動産の売買のことまで気にしている
       事故物件として 告知義務があって当然だと思っている

      未遂でよかっじゃないですか・・・
           と  今日は言った
      生きていてよかったじゃないの?・・・と

        未遂して生きている子供は  転々とする親を見てどう思うのだろう
        
  子供が 生きていることに感謝の気持ちはそこにはない

     未遂したことだけが 世間に知られ 噂になることが怖いのだ
     子供が死んだら
      天国と地獄くらい 苦しみが違うのに・・・

  生きていてくれたことに感謝の気持ちを忘れてはいけない

      未遂で生きている子供も 兄弟も 外に出るときは隠れてマスクをし、サングラスをして
         顔を隠して生活している  って
    自死って  未遂って
        何を世間に迷惑をかけたというのだろう
      
    自死の未遂で・・・生きていて 幸せな事です

       自死した子供の親である 私に 何度も何度も相談
       
 みんなが見ている
   みんなが嫌っている
      みんなが噂している

あああああああ~~~~いいな~~~生きていて
     噂しても嫌っても みていてもなんでもいいから
     生きていたらいいな

   生きているだけでいいのにな・・・

裁判では証拠にならず 統計では認められる・・遺書

totiba_ninjin[1]

未遂した人の言葉というのがネットに載っていた
 しかも 海外の人たち

 自死した人の気持ちがこれでわかる・・・ということのようだ

   自死した人と 未遂した人では180度違う
     自死した人は死んでしまった
      未遂した人は生きている

    全く違う

 人間 は  死にたい・・・とか死んだ方がまし  とか よく言う

   自死者の8~9割は一度の決行で死んでいる
   残りの1~2割が 未遂者の自死

    遺書だって  追い込まれたことについてはあまり触れていない
      
      遺書に実名で追い込んだ人のことを書いても 証拠にならない
        なのに なぜ 遺書を証拠として
           原因の統計を公開するのだろう
       
  遺書が証拠となるなら 裁判でも証拠として認めるべきではないか

     未遂者の言葉を 自死者の代弁として捉えるのは大きな間違いである

         自死した本人が死の間際に書いた遺書でさえも
               裁判では原因として認められないのだから

          死にたい・と思うことは 生きていれば何度もある
             そんな思いと本当に死ぬことは別もの

         私は息子が逝って 死のうと思ったが死ねなかった
      だから
     二度と 死にたいとは言わない
          死ぬほど苦しいとも言わない

    死んだ息子に失礼だから・・・
        息子は一度で逝った
      というよりも  失敗してもすぐに繰り返して 逝った

   私の苦しみは そんな覚悟のない苦しみ
     それほど追い込まれていない
          だから生きている

  生きるしかないと 息子に懺悔した時から
     自分の生き方を変えた
    息子が生きていたころのような生き方をするのは 息子に申し訳ない
        煩悩を少なくしよう  
          欲望はなくしよう・・・
       そんな思いで生きている

     でも  イラつき 怒り 許せないことも多い
   
     その都度 反省し 戒め 
           息子を思う  息子の顔を思う 声を思う
               しぐさを思う
   
  遺族である私は
      未遂者と自死した人の気持ちを同じだとする人たちの言葉は傷つく
 誰にもわかるわけがない  息子が死んだ理由
   
  想像するしかない息子の気持ち
            
     なぜ世間はこうも 遺族の気持ちを 切り刻むようなことを
        偉そうに自慢げに もっともらしくいうのだろう
      
  遺族の声は聞かずに  遺書も参考にもせず
      ・・・
      死んだ人の言葉も 遺された人の言葉も
           届けても届けても無視して 
 どうして関係のない人たちの言葉に納得するのだろう

     未遂者と自死者は180度違います
         

イヤな奴の自分

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魂の存在
       説明できない出来事がある

 しかし 私は「おばけ」「幽霊」という表現をする番組や
      新聞記事には自分の不思議な体験は話したくもない

 自分の不思議な体験
         それは 誰かに理解してもらうものではない
    自分と亡き人との間に存在する

   しかもそれを「幽霊」「おばけ」などと表現する人に
        触れて欲しくない
 
    でも 幽霊という表現でいいという遺族もいる
      お化けという表現でいいという遺族もいる

       それはその人の自由

        その人がそれでいいならそれでいいこと

    そんな人が
           グリーフケアへの私の意見にコメント
  
    私の活動も運動も 闘いも 何も知らず
        グリーフケアのこともよく調べもせず

      いやな性格が どんどん 出て 自分がつぶれてしまうほど
        イラついた
    イライラして
     書き込まれた facebookのコメントに 返信したが
             それでは イライラが治まらず
         その人を facebook友人から削除した

      なぜこんなにもイラついたのか  自分で理解できていない

      今も イラついている
              
       どんな思いで 9年以上 グリーフケアという支援と闘ってきたのか
              自死遺族の支援イコールグリーフケア
        そして精神疾患という考え
    遺族になんか 自助グループが運営できるわけがない・・・きちがい排他的団体とまで言われて
         闘い続けてきた・・・9年半
 
震災がおきて 石巻・気仙沼・・と広げたつむぎの会
      
        悪気はないのかもしれない

   でも  この頃傷つくことが多すぎて  
           嫌な人になりかかっている
       
    いやなやつのわたし

   忙しくて手紙も書く暇がなかったが ここ数日 手紙を書いている
  イラつきが少し治まる   
    糸と布が大好きなので
       編み物を始めた
     イライラが治まる・・少し

     黙って去る人は ・・・なんともないが
        泥をかけていく人  泥を浴びせる人
             そんな人が多いと  いやな性格がでてくる
     
何もしていないのに  恩義に感じて くれる人もいる
          自分ならできない・・と思うほどに
                かえしてくれるひともいる

      そんな人たちに 感謝して

       泥をかけられても  イラつかず 許せる自分でいたいのですが

           未熟者のわたしです

    

 

悲しみと幸せ



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子供と孫を亡くしたお母さん
  最近もう一人の子供に孫が産まれて
複雑な思い・・・が・・・

 私にはわからない・・・が

こう思う
幸せという感情が勝こともあれば、悲しみという感情が覆ってしまうこともある
それが生きるという煩悩の世界


惑い苦しみ必死でもがきながら 生きるのが人生。

 悲しみという感情は亡き人と自分の間に存在するもの。

 幸せという感情もまた、産まれてきた命と生きている命と自分の間に存在するもの。
  どちらも自分。

 亡くなった人たちも大切・生きている人たちも大切です

   どちらも大切な感情

そんな気がします

     



ひとりごと

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16日に息子の命日 10年
  17日に育ての母の命日 3年
 18日は・・・今思い出したのですが
   45回目の結婚記念日
息子が逝ってから 忘れて・・・というよりも 忘れたい日に・・

  久しぶりに手紙を書いてみました
       10通ほど・・・
  今日は今から「藍色のこころサロン」で たぶん帰宅は夜
    でも
  帰宅後に数通の手紙を書く予定
        
明日から3日間は 原稿書き
    締め切りが30日

  電話での相談が日に何度も・・・

     精神薬を飲んでいる人からの電話は 夜が多いので大変
          ご飯時から夜中まで・・・
  どうして 夜なのでしょうね
    これも精神薬の副作用ですねきっと

     命日も関係なく  お墓参りの最中にも電話は鳴る

       遺族からの電話は 昼が多いので・・・
           ありがたい

    震災後に  悲しみは精神科に~~~と勧められて
          抗うつ薬を飲んでいる人たち
  
アルコール依存にもなり パニック障害にも・・
    日常生活ができない4年半をすごし・・・今も悪化の一途~    

  悪化しているのに  飲み続ける人たち
       他の病気で一旦断薬すると  回復する
       他の病気が治ったら  また飲むのはなぜ?
  
10年目の命日
3年目の命日
  連続の命日・・・涙は今も変わらず枯れることなくあふれる
        でも 元気
   胸がしめつけられる悲しみが今もある

   でも  元気

 やることがたくさんある
       やらなければならないこともたくさんある
    落ち込んでいられない
落ち込んでも
   立ち上がる
  沈んでも 這い上がる

     息子からのメッセージ 息子からの問いかけ
       息子からの導き
  母として
     応えたい

   懺悔の活動
          どうにもならない現実を知り 虚しくなることも多い

   でも  でも
        やらないよりはやった方が 
              伝えられる
    理解者も増える
         すぎてみたら あっという間の10年だった
    後2回あっという間が過ぎたら
       私は86歳
      それまで元気で活動で生きていたら もう少しは理解者が増えるはず

 あっという間の時間を 精いっぱい 頑張って生きたい

 息子が逝くまでの私は
  だらしなく 煩悩のままに生きてきたから

     息子を失って悲しみから 頑張る力をもらっている  
           アホな母
 生きているうちに もっと頑張ればよかった
  愚かな母

    さて  サロンにでかけよう~~   

次男の愛

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 健一の命日は夫と次男と三人でお墓参りなのだが

 今年は次男が仕事が休めず  夕方仕事帰りに寄った・・・という

   暗いお墓でお線香とロウソクを灯していたら
      涙が流れて止まらなかった・・・・と

 亡くなった日のことが よみがえり 涙があふれて・・・と   40歳が・・・

       仲のいい兄弟だった

     今も仏壇のお供え物は次男が買ってくる
        お菓子も果物もジュウスもコーヒーも
           健一の好きなおやつ類

      10年過ぎて 泣いている40歳の次男のことも
    グリーフケアの支援者たちは
        複雑性悲嘆というのだろうか

     大好きな兄が逝って
          時々思い出して涙が流れるのは  やさしさだと思う

      人間のやさしさ 愛する気持ち
                それらを否定するケアには  人間味がない

    人間が人間らしい感情は 悲しみ・・・

         人を愛し、愛する人との死別の悲しみをケアしようとしている人は
                             人を心の底から愛したことがないのかもしれない             

   

10年目の命日

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今日は健一の命日
  10年目

 昨夜は胸が痛かったずっと・・・
   10年前の今頃…彼は苦しんでいたのだ・・と思ったら・・・眠れないかな
     なんて思っていたら  いつの間にか眠っていた
 生きているって
    なんて自分勝手なんでしょうね

      推測朝の7時に逝った
    
   毎日が命日のように 悲しいが
         11月16日は  特別悲しい

      

明日は大崎に

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明日は大崎市に行き講演
  民間団体に呼ばれていく

   声をかけて頂いたことに感謝

 9月に   京都仏教会に呼ばれて 京都市と宮津市で講演してから
     久しぶり~  
     頑張って  配布資料を  多く用意したら
         夫は「多い配布資料は 迷惑だと思う」と・・・

     そうかなぁ~

   私は資料が多いほうがいい  家でも読めるから・・・

       
   20120916_224859[1]

     みやぎの萩ネットワークの話もしよう・・と思っている
        チラシの配布もお願いしよう・・・

    自死への差別と偏見のことも・・・

        レジュメは作ったけど 原稿は作らないことにした

             さて・・・どうなるかな

      講演の後は 必ず自己嫌悪でいっぱいになる
         伝えたいことの1割も伝えられない自分の能力の低さをいつも思い知らされる
      
     ひとつでも 伝えられたら・…いいとするかな・・・

            頑張りますp(*^-^*)q

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自己嫌悪

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自死遺当に対する差別問題を解消するために

 「ヒューマンライツ」という月刊誌〈部落解放・人権研究所)に書かせてもらった
   これまでもいろんなタイトルでいろんな本に書かせてもらった
    
    何度書いても うまくならない
 
講演も何度やってもうまくいかない
   いつも落ち込む

    日曜日は京都仏教会以来の講演だが・・・たぶんまた自己嫌悪に陥ると思う

       うまく伝えられない
    
       伝えたいことは溢れるほどあるのだが
            難しい

   本の執筆は編集者がうまく訂正してくれるが
      講演はそうはいかない

   金曜日は東京・・・明日は法話の会  土曜日は慈恩寺さんへ
      月曜日は大学 質疑応答
   日曜日が講演

     レジュメを作らなければ・・・

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忘れたくない

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ご主人が亡くなって7年という遺族から電話があった
    二度目です・・ということでした

    1時間半・・・

  深く愛しているから 深く悲しい ことを話す
   記憶喪失になれば
       全てが忘れられる…悲しみも苦しみも・・と思ったときもある
    でも  イヤ忘れたくない  と思った
       悲しくても苦しくても 忘れたくない
     記憶が薄れることも 
          絶対にダメ  ずっと思い続けたい
    生きていたことを
        愛していることを・・・
   
     そんなことも話した

     聞いて聞いて、話す 

自死への差別は歴然とある
     法の中にもある
                  街頭で署名運動をしたとき
      近寄るな!
       気持ち悪い自殺なんて!うつる!と叫ばれたこともある
    
  ある県の講演会の時  自死遺族という看板をみて従業員が
            自殺だって 気味が悪いよね  よくこんなところでやるよ…と話していた
    柳田先生にも姜先生にも
       気味が悪いというのだろうか

      自死への差別の払しょくのためにも
        遺族には毅然と凛と生きて欲しいと願う
    
   自死遺族の生き方で 自死への差別は少なくなる・・・とおもう

      不幸なことが重なると やっぱり・・・という
           落ち込んで暗いと やっぱり・・という「
   
普通に元気で暮らしているだけで
        亡くなった人が守ってくれているのね・・という

     幸せはもう二度とないが  元気には生きていける
       元気だけど
            元のような幸せではない
     幸せではないけど
              困ってはいない
      悲しいけど苦しいけど
            悩んではいない

       悲しみも私のものだから

      私の体の一部だから・・・

         悲しみが消えることが怖い


    消したくない
            今も深く健一を愛している
      誇りに思っている
           
     遺族が増えないことを願う

      遺族が元気に生きることを願う

           明日の法話の会
      心をなめらかにできるよう
         無心でお念仏しよう・・・っとthHG5MFRZZ.jpg

明日

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   ベランダに出していた 鉢花を居間にいれた
 例年のように 今のベランダ側の日当たりの良い場所は 鉢で埋め尽くされる
   最近は冬にベランダで過ごせる花と木を買うことにしている・・・が
       挿し木や種で増やした花は増えるばかり・・・

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     家中にある一輪挿しに冬の間飾れる

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    健一が生きていたら44歳
       
     明日は岩沼  増上寺さんの法話の会

   仙台のご住職から
甘いお菓子のお土産を 持ってくてくれるという連絡があり
       気分が上向き

 明日は早めに家を出て 駅で打ち合わせ
   増上寺さんの僧侶をお迎えし  岩沼へ

           健一が生きていたら 知らなかった世界の中で生きている私

結婚祝いの絵

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健一が結婚するときに
 私の職場の上司が絵を描いてくれた
     コスモスの絵
 そのひともさちこという名前

    死んだ後に 嫁から返された  着払いで送ってきた

      今、我が家の玄関にかけてある
        
     花火は見たくもない
        息子が逝く2か月前
   ベランダから家族みんなで楽しんだ
         息子は花火が大好きで  楽しそうだった
まさか その後 まもなく死ぬなんて

    月も嫌い
        息子が亡くなった日は満月
その月をきれいだと眺めていたわたし
  息子が死んでいるのも知らずに のんきに 笑っていた

        この世の中のいろんなものに心が痛い
    警察の制服も 機動隊の制服も
   パトカーも

     RV車も・・・本人も乗っていた

       旅にも行けない
   
    スキーも温泉も  

   
       辛いものをあえてみようとするときもある

    心に力をいれて みることもある

         10年目
こんな私の心を話すと

   複雑性悲嘆とか PTSDとでも世間はいうのかもね

ひとりごと・つぶやき

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ひとりごと
   つぶやき
たまにあること
      

:::::::::::::::::::::::::
  精神薬を医師に断薬してもらった
 その後数年 ほぼ寝たきり
          寝たきりで実家に住んでいる・・・

でも数年生きているから
食べたり飲んだり、風呂に入ったり、掃除をしたり・・・
生きるための作業は
   寝たきりだから 家族にしてもらっているのだと思う

      数年は長い  数年間 どこの医師にもかからず ただ寝ていたなんて信じられない
          動かれないのだという
  慢性疲労症候群のようなものだという
       動かれないなら 身体的な疾患があるのだから
         内科や神経科や整体等 診てもらったらと思うのだが
             行っていないらしい
なぜ・・・
     断薬して動けないのは 異常
  異常な症状を改善してもらうための医療は必要ではないのだろうか

     それなのに
   また精神科を求めている
       精神科に行って 身体が動かない状態を薬を使わず改善したいらしい

 栄養剤の点滴を受ける方法も・・・という
     栄養剤なら内科でいい
    なぜ精神科にこだわるのかな・・・
    断薬して数年
      寝たきりなのでお金が大変だから
       障害者年金を受けたい・・・?!
       福祉もうけたい
 精神障害者でないのなら  身体疾患としての障害年金?
    身体疾患の障害者としての福祉制度?かな・・・
      
      理解ができない

       何のために断薬したのだろう
     でも   
      身体的疾患なら その専門の医師に診てもらった方がいいと思う
     
     実家にいて 数年寝たきりで スマホもできて・・・
          家族のおかげという意識はないのかな・・

     当たり前なのかな・・・

      家族と言えども 当たり前のことなんてないのに・・・

     動けないからやってもらうのは当然!ではないのに・・・
       やってもらったら 家族といえどもありがとう・・・ではないのかな・・

      精神的な問題ではなく
          身体的問題で動けないなら 身体の専門機関に行った方がいい
   なぜ
      精神科に行きたいのかな・・・
        わからない

      トイレに行くことも 厳しいという

        ご飯はどうやって食べているのかな・・
            家族に口に運んでもらっているのかな・・・

      そんなひどい状態を なんで 数年ほったらかしているのかな
      
数年・・・って   1           
  :::::::::::::::::::::::::::

どんな専門家につなげたらいいのかわからないから 社会福祉士の人を紹介します
    といったら  無視

  私が直接相談に乗りますからと携帯教えても無視

私を了見の狭い人と 批判
 
   人の紹介は 信用問題だから 
「紹介して!」と言われて
「はい!この人」とは紹介しない
    一度も会ったことのない人から頼まれ 話しもしたことのない人を紹介するなんて
    
私の頼んできた人が困っているって言ってんだから
  黙って頼まれた人の紹介をしてくれたらいいのに・・・
      相談者を信じていない・・・という・・・が
  そもそも
  私はあなたを知らない

   知らない人から知らない人を 私の知り合いの医師に紹介して・・といわれても・・・
        
     医師もですが弁護士も司法書士も税理士も社会福祉士も
  カウンセラーも他のすべての専門家についても
    適当には紹介しません
  
 いい加減なアバウトな性格ですが
       人の紹介については 信用を無くしますので 慎重にと思っています

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テレビ

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11年目でテレビが壊れた

その当時は けっこうな値段だった薄型テレビ

 昨日 次男と夫が会に行き 今日届いた

  超薄型  値段も安い

    最近 家族は円満
       
お互いを認め 感謝

   亡き息子からの贈り物のひとつ
    
    息子が生きていたころから こうして生きていたら
        息子に たくさんの 幸せをあげられたのになぁ・・・と
   トゲトゲして
       不平不満ばかりだった

    息子を喪い  あの頃がどんなに幸せだったのか・・と思う
   生きていてくれるだけで
       幸せだったのに・・・

   生きていることが当たり前すぎて
     命あることに 感謝していなかった

    当たり前と思う当たり前のことが奇跡であると思う
      
   普通のことが奇跡なのだと思う

     息子たちが元気で 夫も元気で
         生きていることが  奇跡だったのに・・・

   傲慢に もっともっと   満足を求めていた
  あれもたりない  
    これもたりない
   こんなふうになってほしい
    あんなふうにしてほしい
  そうではないのに・・・
   どうして わからないの・・・と

      そんなことなんて  どうでもいいことだったのだと
          息子が逝っておもう

   生きていてくれるだけで 幸せだったのだと・・・

   壊れたテレビを買ったときは息子は生きていた・・・

    お!すごいな・・・いいね・・と 喜んでいた息子の顔が浮かぶ

自分が嫌いになりそう

a href="http://ken0314.blog.fc2.com/img/20150810070327c08.jpg/" target="_blank">140513_6967[1]


夢・ドリーム・・・
   
  ルンルン…夢・夢・夢・・…ルンルン      
   ドリーム\(^o^)/ドリーム\(^o^)/

たのし~~~~~い

という遺族がいる

なぜだろう       イライラする

なぜかわからないが・・・イラッと・・・

本心なのかな・・・心底夢に酔いしれているのかな・・


  と思う
  
    若い人なら理解するが・・・

  それなりの年で・・・

   こんな考えを持つのは  私が年?????
     
 仕事なら夢を売るというのもわかるが・・・
     日々の私生活がルンルン・・・!???????

  家族が自死して ルンルン気分
なんて・・・
   本当は違うのかな・・・
       理解不能

    わからない  どうしてもわからない

私は         息子が死んでから「夢」物語を語ることはなくなった

     すごいなぁ~
            ルンルン気分で暮らせるって・・・・・・・・・でも違うのかな・・・
                とも思う・・・が

  私って暗いのかな?

       元気では生きているけど・・・大声で・笑うこともあるけど・・・
              いつも心には重たいものがある
  カラオケもうたう時もあるけど
     楽しそうにはふるまえるけど・・・

          心の底からは笑えない
  心から 楽しくない・・
       いつもいつも どんな時でも 息子が死んだことが心にはある

     だから 活動は自死の問題・・
           遺族のこと
       生きて欲しいと願う活動 
  
     毎日毎日  遺族の問題と自死の問題
        
   やっぱり  根暗なのかな・・・

          いいのかな

 夢・ゆめ・夢  ドリーム ドリーム・・・

      の遺族がいても・・・いいんだね  きっと

      
   人はそれぞれ  遺族もそれぞれ

        ルンルン気分で  悲しいのかもしれないものね

   その人の 悲しみはその人のもの

   私には見えないから・・・・

  イラつく私が
      了見が狭いんだね

            きっと 悲しみは深いんだろうと思う

     人は表面では測れない・・・と思う

  思う・・・・・というよりも  思うことにしないと  
      自分が自分を嫌いになってしまいそう      

     5日 法話を聞いて心をなめらかにしなければ・・・

 

悲しみと苦しみと精神薬

 

シラヒゲソウ[1]
家族の自死

   「悲しい」「苦しい」「つらい」
    
  周りの人から「精神科」の受診を勧められる人が多い

   本人も飲みたいと思う
 
    私も半年間は飲んでいたから気持ちはわかる

でも

飲んでも飲んでも「かなしみ」は消えない
  医師にいう・…薬が増える
 半年後は「うつ病」と言われて抗うつ薬の処方
しかし「悲しい」
 また増えていく

「悲しみ」はどんなことをしても消えない
   
 生き返らない限り

      生き返るまで精神科に通院するとしたら
  自分が死ぬまで精神薬を飲みつづけつことになる

 それでも生き返るのではない

      飲んでも悲しみは消えないから飲んでも無駄だと・・
        ずっと伝えても 飲む人はいる

   飲んでも家族ではないから  止められない

しかし  飲んでも 悲しみが消えない苦しいと電話が来る
    そんなこと わかっているから  伝えてきたのに・・・
      何十時間も 話して 伝えてきたのに・・・
  
     断薬するのに  苦しみが続く

   だから 飲んでも無駄だと・…あああ~~~~~なぜ 

    多くの人たちは  飲まないで踏ん張ってくれる
     飲まないでよかった・・・と 月日がたつといってくれる

    悲しみが消えて楽になる薬

     あるわけがない

        苦しみが消えてしまう薬  
           存在しない

    肉体の痛みでさえ 特効薬はない・・・と 痛みの学会で教授が発表している

   心の痛みなんて  心がどこにあるのかもわかっていないのに
      ピンポイントで心の痛みが取れる薬なんて  この世には存在しない

     悲しみや苦しみ辛さが 無くなる薬があるなら
          精神科が入院患者で溢れていない
    宗教も必要ない

    薬さえ飲んでいたら
      楽しい毎日  苦しみも辛さも悲しみもない毎日がつづく
            そんな薬 
   どう考えても 麻薬

     自分が自分でなくなり 人間の感情が消えたら 
       愛する家族が死んでも ルンルン気分で暮らせる

  私は
    息子が亡くなり  幸せにはなれないし なろうとも思っていない
      苦しくていい
悲しくていい  辛くていい
         息子が苦しんで死んだのに 親の私がルンルン気分で暮らしなんて・・・

     でも 元気で生きて行こうとおもう
元気でないと 供養もできなくなる
   息子のことを思えなくなってしまう
       自分のことばかり(つらい・苦しい・悲しい・痛い・だるい・)考えてしまいそう
 ぎっくり腰で動けなくなったとき
     腰の痛みで息子を忘れているときがあった
       膀胱炎でお腹が半端なくいたかった時・・・この痛みをどうにかしたい…とばかり思った

    息子を忘れたくない一時も・・・
     だから健康で元気でいようと思っている

    げんきだからこそ  息子の好きなものも仏壇に供えたり
        お花もたくさん供えられる 仏壇がかくれるほど・・・・たくさん
    そして  いっぱい思い出して
      いっぱい涙・・・
  絶対に忘れたくないから・・・

     精神薬は飲まない  家族で決めている
          絶対に精神科には行かない
  
 健一に精神科を勧め  精神薬を飲むように勧めた
    バカな親です
   息子が亡くなって  宣伝を信じたことを後悔しています

    健一の苦しみは精神薬では解決できることではなかったのに・・・
          
     精神薬を飲んで彼の苦しみは 倍増しただけ・・・
    飲んでも飲んでも治らないのは
      自分が悪い・・・・んだ・・・・・・と 健一は思ったはず

      追い込んでしまった…取返しのつかない後悔

      お兄ちゃん



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日程

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今週の木曜日 明後日5日

 岩沼市の市民会館 (中央公民館) 増上寺さんの布教師会による「法話の会」開催
  
藍色のこころサロン の開催なのだが  岩沼に行く予定

 サロンはお任せ

   8日 日曜日は 大崎市に行く  民間団体に講演に行く

9日月曜日は東北大学へ
 毎年講演に行く(1年生)

  12日はみやぎの萩の例会・・・というよりも過労死のシンポジュウム

  1遺族の茶話会のある13日は東京の会合
   14日は 遺族のご両親の10年遅れのご葬儀

707[1]

    
      

自死の対策の無駄

yanagirani[1]
mematuyoigusa01[1]

  自殺対策基本法ができて 大綱が作られ

   1年に400億円の税金が投入され  強化基金や補助金がばらまかれて  
        10年
   いじめは変わらず・・・過重労働もかわらず
      パワハラもそのまま
   介護問題も子育てもそのまま・・・

   教育もそのまま

      困っている人を探すための  ゲートキーパーの養成が盛んになった
    内容は うつ病の発見者育成

       離婚して苦しい  と相談すれば 
  精神科に行くように勧め
      不登校と言えば  精神科に行きなさいと勧められ
   仕事がなくて生活が苦しいと言えば
       精神科を勧める

    過重労働で眠る時間がないと言えば  精神科を勧め
       パワハラで落ち込んでいると言えば 精神科を勧める

    過労死防止基本法が制定され    職場のメンタルチェックが義務化された
   
     仕事の問題で悩む人たちは 全員精神科につなげられる

    過重労働の解消が先ではないのだろうか
       サービス残業の廃止が先ではないのだろうか
職場での言葉の暴力の改善が先ではないのだろうか
      
 労働条件の改善こそが 先だと思う

が 落ち込む原因はそのままに
     落ち込んだら精神科につなぐ道は確実に作られた
    
 いじめのない学校を目指さずに
   いじめられて落ち込んだら精神科に行くような道はできていく

      社会のひずみを改善せずに
          悩みや苦しみを増やして
     落ち込んだ人は
     精神科につなぎ薬を飲ませる

  何の解決にもならない

      今でも精神科は患者で溢れている

    入院病棟も満員御礼状態
           日本人は精神が病む人が特別多いのでしょうか

    そうではない

     人を追い込む社会的問題はそのままにして

       個人のメンタルの問題に すり替えているだけ

    自死は「社会的要因によって追い込まれた末に・・・」と大綱には明記しているが
      対策は
 個人のメンタルの問題として勧められている・・・

    変だと思う人たちが声をあげても  届かない

     欺き  騙し続けるつもりなのでしょうか

       個人のメンタルの問題だとしたら  税金を使って対策をたてる必要はない
 個人の責任なのだから・・・

    片方では社会問題としながら
        もう一方では 個人の問題としている

 矛盾だらけの対策である   
       自死の問題も過労死の問題も
           本当の意味で真剣に取り組む人は 少数である
     その人たちの活動には
        税金は補助されない

    無駄な対策には 湯水のように税金が使われていく

事業報告の      
     シンポジュウムと講演会

     支援者たちの自己満足の行事が続く

         苦しい人悲しい人困っている人には 関係のない内容

        つながることもできない 

  当事者無視の対策はエンドレス

たくさんの別れ

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多くの出会いと別れ
     どれくらいの人と出会い・・別れたのだろうか

   両親が離婚して 親戚中たらいまわし
      (だったと 高校生で聞かされた)
     養子縁組して子供として育ててくれた赤の他人

 死による別れだけでも たくさんある
   近所のおじさんおばさん おじいさんおばあさん
     親戚の人たち
  姪…甥 従妹  
   血のつながりのある叔父・叔母・・・
     血のつながりのない叔父・叔母・・・
       父方の祖父母 母方の祖父母
   育ての親の祖父母
     隣のおばちゃんおじちゃん  
  同級生 友人・知人

    たくさんの人たちとの死別
     究極 息子との死別
  
    葬儀も数えきれないほど参列し。火葬も・・・
    

死別以外の別れ
    転勤 引っ越し  就職 結婚
        たくさんの人と出会い 別れがあった

   人生とは  別れの体験が増えること
 最後は自分自身がこの世と別れること
      
       人との別れ  物との別れ  地域との別れ
            様々な別れを
        どのように受け止め消化していくのか
  また抱えて行くのか
            固執と執着の心との葛藤
   奢りと傲慢さと謙虚さと・・・・の闘い
        
       毅然と凛と 惑わず孤独を受け入れられるか・・・

       自分に甘いのが人間    
   
   大いなる力の存在が 人間の弱さには必要

      息子の死でさえも  自分の甘さを100パーセント治せない

    時にはおいしいものも食べたくなる
   時には着るものも欲しくなる
     楽して生きたい気持ちが湧いてくる

     どれほどの 悲しい別れを経験しても
          自分がかわいい・・・

     悟れない・・・

   この先も 別れの積み重ね
                   悲しいと言いながら  笑える自分がいる
         心が   冷たいのかなぁ~~~


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謙虚さ・・・

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     謙虚に生きることの難しさを思う
 謙虚でないほうが 社会には認められる
    ほら吹きくらいがちょうどいいらしい

   コツコツと真面目に生きることは 今の社会では厳しい
     悟りの境地になれたら
   誰も認めなくても コツコツ・・・
     自分の仕事を奪われて手柄にされても 笑顔でコツコツと・・・

    苦労して努力して  地道に・・・ 
       そんな人は生きにくい

    だから逝ってしまった・・・

    自死の予防や防止の企画を作り  地方自治体から委託を受けて委託料をもらい
            講師派遣をして指導し  具体的な業務は自治体の職員が行う

   こんな楽な商売はない
        手を汚さず  人の相談を受けることもなく
           企画を作成し、指導し、
    結果自死が増えていても   素晴らしい事業をしている自治体ということで
       自己評価して 講演する
自分がお金をもらっている自治体が先駆的な取り組みだと
       宣伝してはばからない人たち
           そこには謙虚という文字はない

    自死したひと達とは 真逆の人種

         それで 減るわけがない

ハッキリ言えば  減っては困るわけです
      飯の種だから

       時々減ったり 時々増えて・・・そんな繰り返しが好都合な人たち

   自死が減ってしまい ゼロになったら  収入の元が亡くなってしまうのですから・・・

       自死バブルを味わっている人たちがたくさんいます
    自死で豊かになった人たち

 震災バブルと同じ・・・震災でゆたかになった人たちもいっぱい

           人の悲しみや苦しみ  支援という名の下に 
                  補助金や助成金、寄付金を莫大に集め・・・
     給料を得、また講演料を得て、
          懐も豊かに 心も人助けをしているという満足で豊かに・・・
        
     悲しい人や苦しい人の声には耳も傾けず
         聞こうともせず   
悲しい人や苦しい人の気持ちを論じている人たち

   亡き人たちは どう見ているのだろう

 亡き人たちの目線なんて 気にもせず
      命なんて  頭の片隅にもないひとたち   
  
そんな人たちは  寒気がするような 美辞麗句は並べられる
       救った話が得意
    一通のハガキを チラシに掲載し
      助けられたという人からのハガキです・・・・と自慢する

  また その自慢げな 態度に 感動している社会
       助けたのはすごい・・・と・・・

    助けたことは自慢するものではない
          
        そこには謙虚という言葉は存在しない

    そんな人たちが  もてはやされる社会だから
       心の優しい謙虚な人たちは 追い込まれ 死んで逝く

      

 

人の煩悩は

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愛する人が亡くなって 間もない人から連絡がある・・・日々
   悲しい 苦しい  声が聞きたい  会いたい
       あいたい・・・謝りたい・・・どう思っているのか…知りたい
  
 会えない ・・・・・声が聞こえない・・・
    
    どうにもならないことを 思い 悩み 苦しい
         亡くなった人と jこの世でどうやって会うのか・・・
     亡くなった人の声をどうやって聞くのか
      亡くなった人とどうやって会話するのか・・・

   直接 どうやって 会えるのか・・・

   会えるわけなどない  絶対に   以前のようにリアルタイムで会えるわけがない

        肉体はもうない・・・お骨だけ
           肉体がないのに 肉声が聞こえるはずがない

    人間は どうにもならないことを どうにかしたいと思い悩み苦しむ
      どうにもならないことがあることを認めなければならないのです
         亡くなった現実は 
         認めようが認めたくなかろうが 現実
 
     この世は無常

        亡くなったことを認めながら・・・どうやって亡くなった人に想いを伝えられるのか

          亡くなった人に声を届けられるのか
              会話ができるのか・・・

      それは 魂を信じ  亡き人の声が自分の心に伝わるように 
         煩悩を少なくし・・・こころを清め  ひたすらに念じ思うこと・・・
   悟りの境地に少しでも
        近づけるように・・・自分を戒め、
              亡き人のまなざしが感じられるように・・・・と いつも思い生きています

        煩悩だらけ てんこ盛り煩悩のかたまりの私は
       毎日反省・懺悔・・・です

       息子が逝き 生き方をかえました

     息子のメッセージを感じたいから・・・

           涙が流れるときは 流れるがままに・・・

      健一のまなざしを感じるから  裏表のない生き方を・・・

          反省しながら・・・

      家族への不変と不満は もう何もない

     生きていてくれる・…健康でいてくれる

        ありがとう・・・(*^_^*)m(__)mの連続

         当たり前のことは何一つなく  全ては奇跡

       偶然や当然のことこそが奇跡

         健一が生きていることも奇跡だったのに  感謝していなかった
                                         傲慢な私

         一日・一日 健一と直接会える日が近くなっていく
    二度とない今日を
     大切に生きよう・・・と思う

              健一が逝き、あっという間の10年だった・・・
  後2回
   あっという間が過ぎた頃は・・・健一に必ずあえる・・・から

    諸行無常がこの世