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遺族の悲しみのケアって・…できるの?

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◆「グリーフケアは要らない」という声が自死遺族にはある   「地域保健」

    岡知史
      

ケアできない「悲しみ」もある
「グリーフケアは要らない」と考えている自死遺族がいる」と聞いたら、 保健師である皆さんはどう思われるで しょうか。 「それは、大変だ。そういう人こそ 4ケ アしなければ!」と思われるでしょう か。支援を拒否する「より困難なケー ス」を考えてしまうでしょうか。それ とも自暴自棄になって、人生を投げ捨 ててしまったような人を思い浮かべる でしょうか。
 
私(岡)が出会った自死遺族たちは 「グリーフケアは要らない!」と言っ ていましたが、決してそのような人た ちではありませんでした。
 
その遺族たちは、みずからの体験を、 同じ体験をしてきた遺族だけで 「分か ち合う」自助グループに集っていました。
その集いがあったからこそ、遺族 たちは勇気を持って「グリーフケアは 要らない」と宣言することができたの だと思います。 「グリーフケア」を拒否するには、大 変な勇気が必要だったことでしょう。 なぜなら「自死遺族にはグリーフケ アが必要だ」と、「専門家」なら誰で も声をそろえて言うような時代なので す。そんな時代に「専門家」ではない 人々、特に彼らからいや応なく「社会 的弱者」と見なされてしまった人々が、 個人の生活においては心に深い悲しみ をたたえたまま、国や自治体のバック アップを得ていまや大声で叫んでいる ような「専門家」を前にして、はっき りと「否 ノー 」と発言しているのです。
 
 「悲しんでいる人を憐れだと思っているのか」

自助グループに集う遺族たちが「グリーフケアを拒否する」というとき、 それは「より良質のグリーフケアを要 求している」のではありません。つま り「心のこもっていない グリーフケア は要らない」とか、「訓練されていない人からの グリーフケアは要らない」 と言っているわけではありません。
 
遺族たちが「グリーフケア」を要ら ないと言うのは、一つの明確な理由か らです。つまり「自分たちの悲しみは ケアされようがない 」と思っているか らです。その深い悲しみは、ケアされ ることなどないのです。まして、同じ 体験を持たない人からは、どんな技巧 を駆使した働きかけを受けても、その 悲しみの深さには届かないと遺族たち は考えています。 「悲しみがケアされようがないなん て、それこそ悲しすぎる」と、あなた は思われますか。しかし、それが真実 なら人間は受け入れるしかありませ ん。そのあまりに重い真実をそのまま受け入れることを決意した遺族が、自 助グループに集っています。
 
それだけの厳しい決意をした人々を 私(岡)は敬いたい。もしも、それで もなお「グリーフケアは要らない」と いう遺族たちは「実はケアを必要とし ているのだ」と主張する「専門家」が いたら、私は問いたい。「あなたは、 悲しんでいる人を憐れだと思っている のか」と。もしそうだとしたら、大変、 傲慢なことだと思う。私たちのうちど れくらいの人々が、いま遺族たちが向 かい合っている真実と同じくらい重い 真実に目を向けているだろうか。

 「遺族は病人ではない」

「グリーフケアの専門家」を遺族たち が嫌がる一つの理由は、彼らが遺族た ちを「ケアを必要とする病人」として 扱うからです。
「病人」とは病 やまい に苦しむ人で す。病人は「病」 が一刻も早く無 く な り、「 病 」 から回復するこ とを望みます。 そのためには誰 かの手、特に専 門的知識を持つ 人の援助も求め ます。なぜなら 「病」の治療法 は「病人」本人 よりも医師など の専門家のほう がよく知ってい る場合が多いで しょうから。
 
しかし、遺族 の「悲しみ」は 「病」なのでしょ
うか。愛する息子や娘が亡くなって「悲 しむ」のは人として当然のことです。 悲しまないほうが、かえって「病気」 であるように思います。5年、 10 年20 年と育ててきた子どもを亡くした親 が、数年でその悲しみから回復される でしょうか。
 
遺族の「悲しみ」が「病」とされる とき、その「悲しみ」が自分の愛する 家族の思い出と一つになっているもの であるにもかかわらず、遺族はみずか らの「悲しみ」を捨てる ことを「専門 家」から強いられているように感じま す(専門家はそれを「回復」と言い換 えていますが、同じようなことです)。
 
またその「悲しみ」が、遺族一人ひ とりにとって特別なものであるにもか かわらず、「専門家」は、あたかもそ れが自分たちにとってはすでに知って いる事項であるかのように考え、一般 化し「処方箋」を与えようとします。
 
そのときに多用されるのが次に述べる「悲嘆回復プロセス論」です


「悲嘆回復のプロセス論」は遺族の心情を否定する

「悲嘆回復のプロセス論」は、おそら く「グリーフケア」の核になっている 考え方でしょう。少なくともグリーフ ケアの「対象」となっている自死遺族 からすると、そう見えるのです。 「回復させる」ことが、グリーフケア の専門家の「腕の見せどころ」なので しょう。「回復させる」ことができな いのなら、治療できないということで あり、これは専門性の敗北です。です から、それは専門家の沽 こ 券 けん にかかわり、 認められないわけです。 「回復」を良しとする専門家にとって は、いつまでも悲しみをたたえている 人は「病的」です。「問題」であり、「処 遇困難ケース」であり、要するに「継 続することが望ましくない状態」にあ
る人です。「悲嘆回復のプロセス」の 図を使えば、下位の段階でとどまって いる「不幸な人」「前進しない人」と も言えるでしょう。
 
しかし、そのような考え方は「私の 悲しみはケアされようがない」と考え ている遺族を否定するものです。「私 が回復するのは、息子が(娘が)生き 返ったときだけだ」という遺族の声が あります。その声を「病理的だ」とす るのが「悲嘆回復のプロセス論」でしょ う。なぜなら、その声は(誰もが望ん でいるはずだと「専門家」が思い込ん でいる)「回復」を拒絶しているよう に聞こえるからです。
 
「愛からの回復はあり得ない

「悲嘆回復のプロセス論」の間違いは、 遺族の「悲しみ」は、家族への愛と一 体なのだという自明の事実を軽視していることでしょう。「愛からの回復」 はあり得ないように、自死遺族の悲し みからの回復もあり得ないのです。 「悲嘆回復のプロセス論」の中では「悲 しみ」は、人間はできるだけそこから 離れているべき「悪」として描かれて いるようです。なぜなら、プロセスが 進むにつれて「悲しみ」が遠ざかり、 それだけ人間が幸せになるとされてい るからです。これでは「悲しみ」は心 を痛めつける害毒のようで、遺族の「愛 と一体である悲しみ」とは、あまりに 姿が違いすぎるのです。 「悲しみもまた私
いえども、「私」よりも「私の悲しみ」 を知っていると言うことを許さないと いうことです。 「愛しい」と書いて、「かなしい」と も「いとしい」とも読みます。昔日の 日本人は「愛 いと しさ」と「悲しさ」が一 つのものとしてあることを、よく知っ ていたのではないでしょうか。三回忌、 七回忌、十三回忌と、五十回忌まで続 く日本の法事の伝統は、死者とともに 生きることを知っていた、私たちの先 祖の知恵だったのかもしれません。



 「保健師たちに臨むこと」
 
最後に保健師たちに望むことを書い ておきます。 「グリーフケア」の必要性が、国を挙 げて叫ばれていますが、その「グリー フケア」なるもので傷つけられている 自死遺族がいることも、忘れないでいただきたい。 「グリーフケア」は精神科医などが誇 示する高い専門性に依拠し、国と自治 体の承認と奨励という権威に守られ て、ボランティア的な善意で行われて いるという、いかなる反論も許さない 条件の下で、大変な圧迫感とともに与 えられているのかもしれないというこ とを覚えていてほしい。
 
そうすれば、わずか数時間のセッ ションに参加しただけで「悲しみが 減った」という結果を数字で表現させ られ、遺族に「もう二度と来るものか」 という悔し涙を流させた「グリーフケ ア」が、なぜ全国各地で行われていた のかが分かるでしょう。そして、行政 の肝 きも いりでつくられた「癒しの場」に、 なぜ自死遺族が集まらないのか、来た としてもなぜ再び足を運ぼうとしない のかが分かるはずです。
 
自死の予防も大切ですが、防ぐこと ができなかった自死もあるはずです。
その事実の前に、耐えながら生き続け ている遺族たちを「病人」扱いせず、 まして「問題」とはせず、避けられな かった重荷を負った人であるとして敬 意をもって接していただきたいと思 う。
 
言うまでもなく、私(岡)が接した 自死遺族はすべての自死遺族の姿と重 なるというわけではありません。「グ リーフケア」を積極的に求める人もい るし、うつなどの精神症状を持ち、「病 人」としての扱いが必要な人もいます。
 
しかし、基本は同じだと思っていま す。遺族の声に耳を傾け、その意思を 尊重するということがどこまでも求め られるのだと思います。
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自死…差別

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23日茨城県水戸市に行き、さざれの集いでお話をさせて頂き
  お坊さんの法話を聴かせてもらいました。

 水戸駅の近くのホテルに泊まり・・・お坊さんと尼さんたちと懇親会

     東京でも「法話の会」が・・…できるかも?



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25日は大阪に行き、人権問題として自死への差別を取り上げてくれている団体の会合へ
      様々な差別が日本にも根深くあることを強く感じ
             人間の弱さと卑しさを改めて痛感

    当事者の発表と支援者の発表
      支援している人たちのやさしさに 感動した一日
   大阪に泊まって
     26日帰宅




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   27日は
子供を亡くした親の集い「つむぎの会」仙台

     28日は「遺族の茶話会」

    自死遺族の参加も多い


  明日は自死遺族だけの「わかちあい」の集い
                藍の会

     遺族だけでの集う時間を大切にしたいと思っている

    法的な相談等々はもちろん専門家と連携

      宗教的な支えには宗教家と連携

             区別して
    それぞれに 時間も場所も違うことが大切

          かなしいことは病気ではない

          だから 「悲しみ」を語るとき  医療の専門家は必要ない

     同じ苦しみ
        同じ悲しみ
おなじ悩み  同じさみしさ  同じ・・・

  体験が同じような人の話を聞き  自分も話しながら

      その中で  同じ体験をした遺族が生きてきたことを知る

         自分の生き方を自分で見つける

  悲しみを抱えたままで生きる方法を・・・・

       健一が逝き もうすぐ10年

      過ぎてみればあっという間の10年

       過ぎるまでの10年の1日1日は長かった       

今も
   時々 なぜ健一がいないのか 不思議な感覚に陥る

           込み上げる悲しみに 涙があふれることだって・・・ある

      揺れ動くこころ  

         子供が逝き 親として それがあたりまえ

           と思う

        31日は「自死遺族等権利保護研究会」東京に行く
  
  賃貸物件や保険、健康保険・等の 差別と偏見の問題を話し合う

      36回目?

     支払う前に相談を!!と願っている

 かなしい気持ちを逆なでするような  請求がくる
      
         理不尽な請求

故意の死という考え  心理的瑕疵 という考え

     自死への差別は法の中にもあり  社会の中には数多くの差別と偏見がある

            誰もが自死遺族になるかも・・・・
それが今の日本という国
       
    いじめもパワハラも  学校も職場も
     労働も 介護も
精神医療も
    福祉も   当事者を見ていない




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生きていてほしい

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     明後日 水戸市に行く
        さざれの集い  自死遺族の所グループ

       法話の集いが開かれる

     私も賃貸物件の賠償金等々の自死への差別問題の話をすることに・・・

          さざれの集いの大森さんとは 2006年に藍の会をたちあげ
     NHK「生活ホットモーニング」50分間放送されたことが縁

        9年になる

       毎月藍の会に通ってきた彼女は

 今、水戸市で「さざれの集い」というわかちあいの会を開催している

      茨城県の対策会議にも参画

      少しでも一人でも・・・と  活動している

    昨日も今日も 仙台市で自死の報道があった

        虚しく思う

     亡くなつた人のことと共に  遺族を思う

        これからの 日々を思うと  胸が痛い

      死なないで・・・生きていてください

    苦しいと声をあげてください

          死ぬほどつらいと家族に話してください

    お願いしますm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m

自死への差別(健康保険)

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健康保険

 病院に行ったときに提出して保健で補ってもらうという制度
 
しかし 

健康保険税を支払って
 健康保険証をもっていても
    自死の未遂で治療を受けた場合
      保健の適用にならないことも多い

数年前に 全額負担で1か月350万円の医療費の支払いが毎月・・・
     息子の心臓を包丁で刺し殺したという事件があってから
 一部
健康保険の適用を認めた
   だが
   全部の未遂が適用ではない

 



自殺の場合の健康保険の給付については、健康保険の給付制限が行われています。

健康保険法に給付制限の条文があります。

第116条  被保険者又は被保険者であった者が、自己の故意の犯罪行為により、
     又は故意に給付事由を生じさせたときは、当該給付事由に係る保険給付
は、行わない。

  この「自己の故意の犯罪行為」に自殺未遂が含まれていると解されています。

また、通達も出ています。

◇自殺未遂による傷病に関しては、療養の給付等又は傷病手当金は、支給しない(昭
11.1.9保規394号)。

ただし、次の場合には、制限は受けないとされています。

◇精神異常により自殺を企てたものと認められる場合においては、法116条の「故
意」に該当せず、
保険給付は為すべきものである(昭13.2.10社庶131号)。

この方の場合、何が自死の起因となっていたのか・・・
このように療養の給付等は制限されますが、もしも亡くなられた場合の埋葬料は制限
は受けません。

◇被保険者の自殺による死亡は「故意」に基づく事故ではあるが、死亡は“絶対的な
事故”であるとともに、
この死亡に対する保険給付としての埋葬料は、被保険者であった者に生計を依存して
いた者で埋葬を行うものに
対して支給されるという性質のものであるから法116条後段に該当しないものとして
取り扱い、埋葬料を支給し
ても差し支えない(昭26.3.19保文発721号)。


健康保険と違い、国民年金では次のような通達があります。

「自殺は、故意の犯罪行為もしくは、重大な過失に該当しないので、法第70条によ
る給付制限は受けないものであること」

としています。自殺が未遂に終わり、結果として障害が残った場合は給付制限は行わ
れないとされています。

しかし、これには例外があり、通達によると下記のような解釈も明示されています。

「給付制限の規定(法69条)は、故意の行為に基づいて年金給付の原因となる事故
の偶然性が
そこなわれることを防止する趣旨の規定であるから、同条は、自ら障害となる意図を
もって障害の
直接の原因となった事故を生じさせた場合を年金給付の対象から除外するものと解す
べきである。」

としています。

つまり、障害年金を受給することが目的で自殺未遂を行った場合は、給付を制限され
てしまうということです。


  まだまだ
  自死は追い込まれた末の死ではなく
 故意の死であるという認識が多いのです

     でも 故意であろうがなかろうが
        治療を受けているのに 治療費が保健対象にならないということに疑問を感じます

    治療を受ける権利はだれにもあり
      それを阻害するものがあってはならないはずです

      国民総保健制度には

国民の誰もが治療を受けられるという目的があるはずなのですが

 自死という行為は 未遂で治療が必要な場合も
       お金がない人は治療を受けられないということになります

しかも 健康保険税はきちんと払わされて・・・・

    

自死への差別と偏見

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   10年前の今頃
       健一は生きていた

  今はいない

 いつもいつも 頭から離れない

        いまも「お!」と帰ってきても不思議ではない・・と思っている

   自死への差別や偏見があると知ったのは 活動をしてから

     自死遺族への偏見や差別も 想像を絶するものだった

   「自死遺族とは 知識のない人たち」
    「自死は低階層の人に起こる」
「自死遺族の48・6パーセントは精神疾患者である」
    「自死遺族は 文字も読めないひとたち」
「案内の文章も読めない人たち」
    「自死は遺伝的要素がある」
「自死者は浮かばれない」
   「自死者の葬儀は しない」
「他の遺族と連絡してはいけない」
 「遺族同士で集まるのは危険である」
   「きちがい」
       「ホームページが作れるなんて」
「燃え尽き症候群」
  「双極性障害」 「攻撃性がある」
「排他的団体」
 「訴訟女」
      「自死のことなんて気味が悪い」
「そばによるな」

    警察官の息子が自死し  頼んでも頼んでも
     誰も助けてくれないから
         仕方がなく
            遺族の会を作っただけなのに・・・

    自分が欲しいと思った集まりを作り
      民間団体として
       要望したり要請したりして声をあげただけなのに・・・

    自死への差別や偏見は
         息子への蔑み

      息子への懺悔として  自死への差別を払拭したいと思っている
        
       頑張って生きた息子
      生きたかったであろう息子

   追い込んだ社会

   追い込んだ社会に 更に蔑まれるなんて・・・

        後 20年 86歳まで・・・
             現役で活動を続け
    自死への差別と偏見のない世の中にしたい

         それが実現できたら

   自死のない社会になれる・・・

    信じてます

自死対策の円卓会議の準備会

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自殺対策円卓会議準備会のご案内

趣旨 
自殺対策基本法のもと,わが国の自殺対策は急速に発展してきました。その一方で,自殺に関連する要因が多様であるという特徴から,様々な論点が同時に浮上し,自殺対策のあり方などについて,意見の対立が起こりがちな状態が続いてきました。例えば,自殺を精神保健の観点から捉えるか,その社会的背景から捉えるか,などです。
WHO(世界保健機関)は,健康について「健康とは,病気でないとか,弱っていないということではなく,肉体的にも,精神的にも,そして社会的にも,すべてが満たされた状態にあること」と定義しています(日本WHO協会訳)。この定義を自殺対策に当てはめるならば,肉体的,精神的,社会的のいずれの観点も必要です。自殺のような複雑な現象には,「あれか,これか」ではなく,「あれも,これも」というとらえ方が必要ですし,そのための橫の連携が求められています。
“自殺予防はみんなの仕事(Suicide prevention is everybody's business)”という言葉があります。これからの自殺対策の発展には,意見の対立を乗り越えて,それぞれの考え方から学び合い,お互いを尊重するという風土づくりが大切です。このような風土に基づく広範な協働は,わが国の自殺対策をさらに発展させていくことに役立ちます。
自殺対策円卓会議は,自殺対策における学び合いと尊重の風土づくりをとおして,地域づくりにも貢献していくことを目的とします。

運営方針
 個人の意思による参加です。
 すべての参加者に公平です。
 互いに理解し,信頼できる関係を築いていくための場です。
 社会の矛盾への問題指摘はしても,他者批判は行いません。
 特定の政治的立場や信条に基づくものではありません。
 代表者は置かず,裏方を務める世話人のみ設けます。
 自殺対策円卓会議の発足に向けて準備します。

日時
平成27年9月18日(金曜)13時30分~18時

会場
司法書士会館
〒160-0003東京都新宿区本塩町9番地3






プログラム
13時 開場
13時30分-13時40分 趣旨説明 竹島正(川崎市健康福祉局障害保健福祉部)
13時40分-14時40分 情報共有
「米国のNGOの活動から学ぶこと」 高橋祥友(筑波大学)
「リスクコミュニケーション-会議の進め方の参考として-」 堀口逸子(長崎大学)
「自殺対策円卓会議への期待」 小澤吉徳(日本司法書士会連合会) 
14時40分-15時 休憩
15時-17時 「それぞれが大切に考えていること,考えてきたこと」
17時-17時40分 自殺対策円卓会議要綱の検討,世話人の選出,今後の予定等
17時40分-18時 クロージング-ポトウア東野健一さんによる「狼の魂」

参加者および参加方法
自殺対策円卓会議準備会の趣旨に賛同する方,関心のある方は,どなたでも参加できます。
準備の都合上,プログラムの 「それぞれが大切に考えていること,考えてきたこと」において発言を希望する方,または懇談会に参加を希望する方は,必ず,氏名と連絡先を下記アドレスにお知らせください。
自殺対策円卓会議準備会事務局
sui_entaku@yahoo.co.jp
(suiの後にはアンダーバーがあります)

参加費
1,000円(資料代,会場費等)

※会議終了後,2時間程度の懇談会を開催します。どうぞご参加ください。(自由参加・会費制)



日程

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今月から来月にかけても 東京や大阪、京都と出かけることが多い

     20日藍色のこころサロン
    23日茨城
    25日大阪泊り・・・27日帰宅
    27日つむぎの会
    28日遺族の茶話会
    30日藍の会
    31日東京泊り・・・1日帰宅
    3日京都・・・4日京都  5日 帰宅
    6日仙台でシンポジュウム
    7日みやぎの萩ネットワーク例会
    11日遺族の茶話会
    12日郡山
    13日東京全国フォーラム泊り14日仙台
    13日岩沼法話の会

 内閣府の会議は京都と重なり不参加
 サロンも・・・

   家族に感謝    myweb4221002[1]

お寺さんでの集い

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お盆もあり、忙しすぎてブログに向き合う時間がとれなかった

        慈恩寺さんの法話の会にも参加できず・・・
             東京を往ったり来たり~~~
      お寺さんでの集いは お寺さんのご厚意
         感謝を忘れてはいけない
   遺族だから してもらって当たり前・・・ではない

     忙しい時間を割いて、朝から準備をして 迎えてくれる気持ち・・・
一日私たちのために使ってくれる・・・
      ありがたいことです

         仕事ではないのですから

     無償の愛

      見返りを求めない愛

       集う私たちも  感謝というこころがないと・・・あまりにも傲慢

      こころのあるお坊さんたちとの出会いは
           仏縁
  亡き人からの贈り物
           大切に…と思います

  遺族との出会いも悲しいご縁ですが
      亡き人からの贈り物

           大切に・・・・と・・・思います

      健一は 私と違い  穏やかな性格

       私が惑い…イラつき、イガイガと心がとんがっているとき・・・
  「カァチャン・・・・」と 低い声が聞こえる気がします
        
         感謝を忘れそうな時も・・・

      亡き息子にたくさん諭され許され・…今を生きています

           23日は水戸に行きます

   さざれの集いに~

       法話の会のつながりが 茨城にも広がってほしいと願いながら・・・
           
           仕事で仕方がなく遺族の集いを開催してもらうよりは

        こころから遺族を想い・・・

        時間から時間で「ハイおしまい」
       ではないお付き合いができるつながりに感謝しています

   わたしは  5日の法話の会は参加できなかったけど
      多くの遺族の参加があり、お盆のことが学べたということでした

          広報もしているわけではないけど

              口コミで広がる参加者に

       私だけではなく  

多くの遺族が 法話と住職との会話もまた
  生きる方法のひとつとして望んでいることを実感しています

      



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第8回「全国自死遺族フォーラム」





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「全国自死遺族フォーラム」第8回開催



◇日時 9月13日(日)1時から4時
◇場所 「きゅりあん」6階 大会議室 東京都 大井町駅 (2013年開催と同じ場所です。)



【第1部】 13:00~14:25
 
 岡先生 講演

 自死遺族等の権利保護研究会から


 休憩


【第2部】 14:40~16:00


 自助グループの座談会


・各グループの方々にグループの紹介(3~5分)をして頂いてから、テーマごとに意見交換
今回は4グループ位を予定しています。(全グループ登壇できる様に次回2016年以降も予定しています。)

 12:15 開場
 13:00~16:00 フォーラム
 16:00 会場現状回復
 17:00位から2時間懇親会


● 懇親会会場は未定ですが場所は会場から徒歩圏内(大井町駅前)の予定です。
● 会費は飲み放題4000円程を予定しております。
● 時間は2時間。(2次会・3次会当日受付けます。)

   多くの遺族が参加します。
年に一度だけ会う人たち
  自分の住んでいる地域だけではなく
     全国の人たちとの出会い

   もちろん 遺族以外の人たちの参加もOkです

   自死遺族支援をしている人たちや
これから自死遺族との関わりを持とうと考えている人たちの参加もOKです

      活動をしている遺族も多く参加します

    「わかちあい」は自助グループの場合
他者を入れませんが
   フォーラムや懇親会は 開放されています

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自死の死因究明と徹底解明のために 遺族の個人情報の保護は無視されようとしている

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31日東京
 2日東京・3日東京 5日東京

  自死遺族と自死の問題が 
 ウソのような本当の話で
  想像を超えた 利権が絡み合い
自死した人やその遺族のことなど 予防と防止の道具と金儲けの道具にしか見えていない
    人たちによって 
莫大な税金の流れを 
  懐にいれようと 巧みに操作されようとしている・・・

   いつの間にか戦争が
 いつの間には 赤紙が
 いつの間にか戦死

   時の政府はいつも同じ

  国民に知らされることなく 重大なことを決議し
      そのとばっちりを受けるのは国民
決めた人たちは
 安心安全な場所に鎮座する・・・だけ

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 自死の死因の究明・徹底解明が必要である
     5日の「自殺対策を推進する議員の会」にヒアリングで言われていた

自死があった時
   家族への事情聴取が行われる
短い人もいるが
 時には 警察署に連れていかれて
  4時間という時間拘束されることもある
    また
  葬儀しているときにも訪問し 警察署に連れて行き
    連日10日間の事情聴取を受けた遺族もいる

  それらの内容を 公開していいですか・・とは
   遺族の全員が聞かれていない

    それなのに

個人名や住所を抜きにして、
多くの情報は警察から公的機関に流されている
そして 公開されている

仙台市なら
青葉区
何歳なのか・・・同居人はいたのか
 職業は何なのか

原因は何なのか
 遺書の有無
場所はどこなのか
 方法は・・・
 何曜日なのか
時間帯は何時なのか

未遂の有無
 男か女か

  これでは足りないという団体がある

ライ〇リン〇とその系列団体である

 もっと詳しく公開されるべきだと言っている

 5日も そんな主張をしていた
国会議員も・・・

    ネットで自死遺族の 個人情報が流れていて、
     自死遺族が追い込まれている事件もある

   自死は故意の死であるから 生命保険の免責期間は 他の死より長く設定する・・・ということが
  商法にも明記されている
また自死があった物件は 売買の場合は 
自死があった物件だと報告する義務があるとされています
賃貸契約時も同じです
 そうなるとどのようなことが起きるのか
    自死があった物件は気持ちが悪い
 穢れた死である・・…祟りがある…というように言われて
売買時には
 価値が大幅に下がり
 家賃も下げることになり
     賠償金の支払い請求や
       お祓いの請求
   過度なリフォーム代の請求につながっています

   妻が自死したけど 夫の実家では自死した嫁のお骨はひきとらないとか
  葬儀もしたくないからと  嫁の実家に遺体をひきとらせたり・・・
  様々な
    差別的問題が起きています

そんな世の中を  そのままにして

    遺族の情報だけを公開するというのは あまりにも配慮がなく
    それはもはや    支援ではなく
  遺族を  追い込む社会を作ろうとしているとしか思えません

自死したひとも社会に追い込まれ
  遺族もまた社会に追い込まれ・・・・

そんな社会が自死の防止などできるはずがありません

     遺族の個人情報が公開されようとしていることは
  私の妄想ではなく
 現実の問題として 今まさに 実施されようとしています

   それを防ぐために
  要望書を作り 議員にお願いをしています

    厚労省と警察庁にも要望書を作り説明に行くつもりです

    


   

     

     

明日また東京

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昨日は 参議院議員会館に行き、議員に会ってもらい
     厚生労働委員会の決議についての要望を説明

   6月に ある団体が 要望書を出し、決議までさせ
     検討会まで開かせ
        今までの自死の対策を根本的に見直すことを要求

     自死の対策も  今までの積み重ねを無視して
         新たなセンターの立ちあげと
     自死遺族の個人情報保護を無視した
       支援という形を作ろうとしていることを防ぐために
          東京に行き、議員に要望を伝えることに 忙殺されていた

       自殺から自死へという言葉の変換運動を始めたときも

         全国の地方自治体の自死の対策担当機関に
    メールで反対の文面を送り
   新聞にも 掲載し・・・・内閣府の会議でも反論し
         自死遺族支援を目的としている団体が
           自死遺族の自助グループ・自死遺族本人の全国団体の要望に
    真っ向から反対している構図は
   ある意味滑稽なものだった

       今回も同じこと

       直接 自死の予防や防止  自死遺族の支援をしていない人たちの団体
           の考える対策や支援は
       狭い範囲の想定しかできない
          
   自死遺族の私も  私だけの経験では  狭い
     たくさんの遺族から  たくさんの情報を得て
   たくさんの問題が見えてくる

          また  私だけではなく
全国で多くの遺族が活動をしている・……それらの遺族とのつながりも大切
        私が知らない問題を
            知らされることも多い
  
   明日 また東京
    静岡の遺族と会い 一泊

  月曜日 
      勉強会に行く

    国立精神神経センター

      「複雑性悲嘆」ということを学ばせてもらう予定

       川崎の遺族と静岡の遺族と わたし・・・

     3人とも「複雑性悲嘆」の本人たちだと思うので
(支援者から見たら)
        回復の方法を聞いてみる

     3日帰ってきて
  4日は
  息子のお墓のあるお寺の
 毎年恒例のお盆のお参りの檀家さんのための
       氷水提供  の  準備

    その前に  事務所に行き 角田市に「みやぎの萩ネットワーク」のチラシを送り
  5日
また東京

    そのための 配布資料 40人分を4日に印刷予定

      家族の協力があっての活動だと つくづく思う