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会いたいなぁ~

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  昨夜

  テレビを見ていた夫が
「おがに会いたいね」
 「いつ行っても 笑顔で迎えてくれたおがに・・・あいたいね」と

  おが  とは   津軽弁で「ばぁちゃん」と「おふくろ」の間のような言葉

    私を育ててくれた母

    やさしく  おおらかな・・・

     いい母だった

        母が亡くなった時の葬儀の時

        母への弔辞を読んだ

          尊敬する母だった

     文字も読めないし書けないけど

   人として 親として
           私は尊敬している

       子供を亡くしている母
           心底やさしかった
  強くたくましく・…やさしかった


  夫は自分の両親よりも
     私の両親を慕っていた
                      手放しでこどもをかわいがり
           大きな気持ちで 私たちの事を愛してくれた

    亡くなった息子のことも・・・生きている次男のことも

      会いたいなぁ~おがに

   という言葉に  涙があふれて止まらなかった

     おがが元気なころ  健一も生きていて
     しあわせだったなぁ~~~って

          そうあのころが一番幸せだった

     もう二度と あのころには戻れない

        会いたいなぁ~~~

    おがにも おどにも

 けんいちにも
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明日は東京

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  角田市の自死の対策会議

  事務所に寄って、「みやぎの萩ネットワーク」のチラシを2000枚持って
(かなり重い)配布のお願い

  快諾・・・全戸配布(回覧版で)
    よかった

 中学校や銀行、郵便局…病院・・・
    これから・・・ポスターの配布

  チラシも 各地域で全戸配布できたら・・・

    相談が増えても・・・頼もしいメンバーがいてくれる

         一人では大変だが
  大勢で 受け止めたら・・・
     出来ることが増えていく

明日は
 参議員厚生労働委員会の委員のお一人に会いに行く

  都議会議員にお願いをしていた・・・さっそく会えることになり    ありがたい

  ある団体が  余計なことをしたことで
       東京に行き、議員にお願いが増えてしまった

     ある団体は  一人一人の相談を受けていないから
            目立つための活動だけはできる

      旅費でお金が飛んでいく・・・が
           行くしかない

    自死遺族の個人情報は守らなければならない

        明日の夕ご飯の一部を作って・・・
        サバ味噌・…モズクの酢のもの
           冷蔵庫に・・・

    

コメントは承認制に

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  事故のことで最初にコメントした方が
   息子の仕事のことまで書いたことが許せませんでした。
 しかも
事故の遺族ではない人
   遺族の友人

   人の子供の事、亡くなった子供の事を
    他人は口出すするべきではありません

      ルールです 人としての・・・

   
   コメントは承認制にしました。

  これまでもコメントで炎上して ブログなんてやめたいと思ったこともあります

    活動なんて・・と思ったこともあります

    しかしそれでは 彼らの 思う壺
       
       交通事故がゼロになることを願い祈っています

      自死もゼロになるように  頑張って活動をしています

 明日は角田市の自死の対策会議
 31日の明後日は
  参議院議員に会うために 東京へ・・
  日帰り
2日また東京へ
 3日 国立精神神経センターで勉強会
 5日参議院議員会館で
     会合
   みやぎの萩ネットワークの例会もあり

また 藍色のこころサロンもあり・・・
      
息子のお墓があるお寺さんのお盆のお手伝いもあり
  大阪での人権問題の会合もある

京都府と京都仏教会主催の講演会もある

  野田先生ともあい 今後についての相談もある

    自死遺族等権利保護研究会もある

  遺族の茶話会もある

 茨城県のさざれの集いの法話の会にも参加し講演予定

    要望書の作成や配布資料の作成と
講演のレジュメの作成
   講演内容の作成もある

     山のような活動がある

      時間がたりない

  家事もやることがあるし・・・・目が回るような忙しさ

       お金も飛んでいく
          

   

コメント

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事故のことでコメントした最初の人
事故の遺族の友人

    「事故のことを書かないでください」だけなら  普通のコメント

警察官は税金で働いているんだから・・とか
 どうせいつか過重労働で・・・・・とか

   自死した息子の働きを愚弄する言い方までしたから

   許せなかっただけです

     その後のコメントの方たちも  息子の仕事の事に触れていますが

   息子の仕事については いわれたくありません

 息子は頑張って働いて死にました

     未処理に事案はひとつもなく  署長は褒めてくれました
   優秀な息子でした
   出世もトップでした
   部下にも優しい息子でした
 だから 自分の仕事を
       部下にふらなかったのです

      死んだ息子の仕事について  は

  事故で子供を亡くした人の友人が口出しすることではないはずです

       亡くなった子供の仕事ぶりについてまで
   10年になる今もなぜ言われなければならないのですか

    事故の遺族の気持ちは大切で
 自死の遺族の気持ちは
       関係ないのでしょうか

    9年前の新聞の記事の事を今言われても・・・

また ブログでも事故のことは書いても
  育英高校という名前まではほとんど書いていません

9年前に新聞に高校の名前が出たことを
   どうしろというのでしょうか
   
     そのために  息子の仕事までとやかく言われなければならないことでしょうか

     息子の仕事については
     最初のコメントの人から始まっています
    最初のコメントの友人の方
      満足でしょうか

   なにが目的だったのでしょうか

       その後にコメントをくれた方たちも

   このことについては もうやめてください

   その人の悲しみはその人のもの…という記事の意味を考えてください

亡き人の事



亡くなった息子のことについてのコメントはお断りいたします

リアルな夢

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昨日 夢を見た

ものすごくリアルな夢

   目がさめるまでは  現実だった

    生々しくお兄ちゃんが仕事に行く前に急いでご飯を用意して
      なぜか
  タコの刺身と 牛肉と糸こんにゃくのすき焼き風

   顔と体にところどころ 赤いブツブツができて
   (皮膚が弱い)
   美味しそうに  少しかゆそうに
      まだ 大丈夫だよ・・・と(遅刻するんじゃないのかと心配している私に)
    
    そんな話をしていたら 目がさめた・・・
     すぐには現実が理解できず
   あれ?なぜ…夢なの?と思ってしまった

      存在がないことが  信じられていない自分がいる

     現実は
       自死の活動をしている自分がいる

    活動は息子の死が原点

       多くの遺族との悲しい出会い・・

   たくさんのこころあるひと達とのつながり

       活動は一人では広がらない

      賛同してくれる人がいて、協力してくれる人たちがいて
          広がっている

  表だって目立って活動をしている人がいるが

 その裏では  多くの遺族やたくさんの支援者の支えがある

     心ある支援者たちが  コツコツと広げてきたことを
        遺族である私たちに引き継がせてくれて・・・
   陰で支えてくれる人たちもいる

    故平山正実先生もその一人
     素晴らしい人 人格者でした

     自分が自分が自分が・・と

      まるで自分がすべてを考えて 運動をしたかのように語る人も多いが

     自分の身を削るように  取材を受けて
          遺族の差別問題を表に出してくれた遺族もいる

      遺族でも体験した遺族の言葉でないと  真実味がない

    そんな遺族に感謝して活動をしている

         そして

 無報酬で  相談を受けて  解決に結び付けてくれる専門家たちもいる

   ありがたい

     野田正彰先生も  岡知史先生も
         支えてくれている

     亡き人たちも支えてくれている

       ありがとう

 息子の夢の話を夫にしたら
  俺もみたいなぁ~~~

     と
          税理士の夫は貧乏暇なしで忙しい

暇に見えるわたし・・・

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  暇に見えるのかな・・・

  

その人の悲しみはその人のもの

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明日は子供を亡くした親の集い「つむぎの会」仙台

  角田市の自死の対策会議と重なってしまいました。

一年に一度の会議優先にしました。つむぎの会に参加の方々ごめんなさいm(__)m

  わが子の突然の死

    それは経験したものでなければ わからない

人間が作った言葉では表現できない 気持ちがそこにある

   かなしい…という表現では足りない

    悲嘆などという表現では足りない

ましてやグリーフなんて  おそろしく薄く感じる

     自分と息子の間にあるかなしいという気持ちは
       誰にも立ち入ることのできないもの

  私もまた  他の人の悲しみには立ち入ることはできない

       その人とその人が愛する人の死
          は  その人と亡くなった人のもの

 誰も 立ち入ることはできない

      自責の念に潰されようが  それはその人自身

    潰されて欲しくないから  自分の悲しみとの付き合い方を話すが
     それをどのように受け止め、どのように活かすかはその人自身の考え・・・
  誰も 指導はできない  導くこともできない

      自分の生き方の道を 伝えるだけ

        人の悲しみには 入らないこと

     わたしの悲しみは私のもの
  誰のものでもない  私のもの
   私の大切な 息子への愛

        66歳のわたし

     生きていたら息子は44歳 になる 9月

    産んでから44年  
        息子と私の時間
        
    ほんの少しのエピソードで 親子の関係がわかるはずがない

      だから 立ち入らないこと

      基本のルール

   私は  アドバイスを求めてはいない

       アドバイスを求められたら したらいい

  求められていないのに アドバイスをする人が多い

        ましてや 子供を亡くしたことのない人が
  子供を亡くした人に意見なんて・・・

     私はできない

    私には次男がいる
一人っ子を亡くした親の悲しみに対して
   沈黙するしかない

 2人・3人の子供を亡くした親に 沈黙しかない

     自分の悲しみは話せるが
        その人への意見などできるわけがない
           事故も病気も自死も突然死も…・震災も
   突然に家族の死が現実となった時
       その気持ちを
      言葉にすらできない

     そんな人たちに 体験のない人が何を言えるだろう

     体験のないことは幸せなこと

        しあわせなことは ありがたいこと

          しあわせに感謝で・・・・なにより・・・です

     愛する家族の突然の死を体験しないぐらい 
      しあわせなことはない・・・

       私も体験したくなかった

   体験していない幸せに 感謝したら
     体験している遺族に何をいえるだろうか

     遺族ですら遺族の体験に言葉を失い
          抱きしめるしかないときもある・・・

     
            

喪われたいのちを笑う人

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     人の悲しみを土足で踏みにじる行為をする人がいる
 
          人間の死も  その人には道具でしかない

     自分は死なないと思っているのだろうか

         自分の家族が死んでも同じことをするのだろうか

    自死という死で家族が亡くなった・…亡くした人たち

   亡くなった人のことも
   遺された人のことも

         せせら笑う人たちもいる

      たましいという存在も

   神も仏も  何も信じていない人なのでしょうね

        会わなくても その人が見える気がする

       人間の親から生まれたのではないのだろうか・・・

      木や石から生まれたのだろうか

藍の会

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  今日は「藍の会」わかちあいの集い

  わかちあいを目的とした会


      おなじ悲しみ同じ苦しみ同じ悩み・・・・をわかちあう

    全国自死遺族連絡会の会員が全国で立ち上げているわかちあいの会も広がっている

       立ち上げてくれた遺族に感謝

      保健師が主催の会は閉会になったところもある

        いずれは 全てが閉会になる

     突然閉会になった時  遺族の集える場所として自助グループの存在が必要です

         尾道にもでき・・・

     44か所

      たくさんの遺族がつながっています

  仕事でつながっているわけではないので
      ひとつのコミニュティー

      遺族のできないことに注目するのではなく
 それぞれのできることを肯定していく集い

     わかちあいは自死遺族だけ
  でも  申し込みがあれば クールダウンや二次会は遺族以外も参加可能

      自助グループとしての活動

     というと 遺族以外につながらないという印象を持つ人が多いが

  自死遺族等権利保護研究会のメンバーの多くは
      弁護士や司法書士

  総合支援のための連携は 多くの専門家としている

       行政もその一つ

    県の機関や県の担当者 もちろん市の担当者や市の機関との連携も
        作っている

 今日の藍の会の開催の場所
 アエル28階「エルソーラ仙台」は男女共同参画の施設
 
      優先登録団体として登録している

    だから仙台という政令都市で  いつも同じ場所での開催が可能

    郡部の市や町での開催は  市と町で 確保してくれている


     連携できるところは連携し

      つながりが必要な活動は繋がり

     遺族だけの時間は守り・・・

    区別しての活動は大切ですF1000398.jpg


        今から準備して  出かけます   

悟りと煩悩

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あるところに、
お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、
ひがんでいる男がいました。

「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。
 いまいましい」

男はそう言いながら、
お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。

ある日、その男はお釈迦様が毎日、
同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。

そこで、男は散歩のルートで待ち伏せをして、
群衆の中で口汚くお釈迦様を
ののしってやることにしました。

「釈迦の野郎、きっと俺に悪口を言われたら、
 汚い言葉で言い返してくるだろう。
 その様子を人が見たら、
 あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない」

そして、その日が来ました。

男はお釈迦様の前に立ちはだかって、
ひどい言葉を投げかけます。

お釈迦様は、ただ黙って、
その男の言葉を聞いておられました。

弟子たちは悔しい気持で、

「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」

とお釈迦様にたずねました。

それでも、お釈迦様は、ひと言も言い返すことなく、
黙って、その男の悪態を聞いていました。

男は一方的に、
お釈迦様の悪口を言い続けて疲れたのか、
しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。

どんな悪口を言っても、
お釈迦様がひと言も言い返さないので、
男はなんだか虚しくなってしまったのです。

その様子を見て、お釈迦様は、
静かにその男にたずねました>>>



「もし他人に贈り物をしようとして、
 その相手が受け取らなかった時、
 その贈り物は、一体誰のものだろうか」

こう聞かれた男は、
突っぱねるように言いました。

「そりゃ、言うまでもない。
 相手が受け取らなかったら、
 贈ろうとした者のものだろう。
 分かりきったことを聞くな」

男はそう答えてからすぐに、

「あっ!」
と気づきました。

お釈迦様は静かにこう続けられました。

「そうだよ。
 今、あなたは私のことをひどくののしった。
 でも、私はそのののしりを、少しも受け取らなかった。
 だから、あなたが言ったことは、
 すべて、あなたが受け取ることになるんだよ」


■言葉の「は」は、ときに刃(やいば)の「は」になりますが、
人を傷つけそうな時には、「返り討ち」を想起しましょう。
傷つけられそうな時には、「受け取り拒否」でいきましょう(^^)/


悲しみの勉強・・・

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ベランダの花

  胸が痛い

   締めつけられ・・・・・・息ができないくらい

     ふ~~~~~と 一息  
 静かに呼吸を整える

      息子が逝き こんな時をどれくらい過ごしたのだろう

        こうしてブログを書きながらも、目から涙がこぼれてくる・・・
     夫は 気がつかない
   
声は出さない・・・静かに  息子の面影を追う
     
     悲しみの説明を  悲しみを知らない人から受けたくない

     8月  複雑性悲嘆の勉強会がありご案内が来た

        遺族を前に彼女は どのように悲嘆の説明をするのだろう

     どのように悲しみを勉強しても 1回の経験には敵わない

      息子を亡くした遺族と、夫を亡くした遺族と妻を亡くした遺族の前で
  どのように悲嘆の説明をするのだろう
      普通の精神の持ち主なら おこがましくて説明などできない

     しかし 看護の専門家を自負する彼女は あえてこのテーマを選んだのだろうから
          ある意味すごいなぁ~と思う

     悲しみは看護の領域なのだろうか

      悲しみの看護って・・・・どんなことをしてくれるのかな

      10年前ならこのテーマも あきらめるが

      時代の流れについてこれていない 支援者たちが見える

         悲しみについても考え方はこの10年で変わってきた

 岡先生が 論文発表を海外でもしてくれていて

   学会でも認められてきている
      
         日本人の自死遺族の自助グループの悲しみについての考え方・・・

    自死遺族の支援・・と自負する人たちが  自死遺族の自助グループの考え方を
        学ぼうとしていないから
  ズレてしまう  ドンドンずれていく
         私たち自助グループは日々学び  日々考え
            進化している

   自死遺族の支援を語るなら
   自死遺族の自助グループの活動を知らないと 時代遅れの支援になってしまう

    多くの遺族と接する機会がないなら   多くの自死遺族と接している
      当事者団体の発言や活動や資料を読み、聞き、・・
           知ることが必要ではないのだろうか

   私も遺族の経験はあるが 私というひとりの経験でしかない

      多くの遺族とのつながりから教えられることがほとんど

     2000人の遺族とのつながりは2000の体験的知識を知ることにもなる

     そこから  必要なことを学ばせてもらっている

      要望も多くの遺族の声の集約である

       こうして 書いていても  息子がいつも頭にある
  いつも そばにいる  いつもいつも 息子を感じる

     時には笑い  静かに  やさしく

悲しみは愛しさと共に

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明日は「藍の会」
  息子が逝ってもうすぐ10年

    悲しみは変わらず鮮明に存在する

    愛する息子を亡くしたことでの悲しみ

       消しようがない
消されてはならない
    消したくない
   
  軽くならなくていい  楽に生きることを望んではいない
 
       悲しみを消して 新しい人生を生きようとは思わない

    悲しみという重い苦しみを胸にズッシリと抱え込みながら

        悲しみと苦しみの中でもがく人生でいいと思っている
   もがくことも 許されないと思っている

        じっと…ひたすら・・・・息子の死という悲しみと一緒に生きたいと思う

      笑っているのは・・・・自分のもう一つの顔
           社交辞令
       女優のように演じて生きている

      いつもいつも かなしい 笑っていても心底は笑えていない
   まだ演技賞は取れない・・・
        本気で笑っていない・・・が
         演じて笑うこともなれてくる

     笑顔の裏に  泣き顔が潜んでいる

       この気持ちが 誰に理解できるというのだろう
    
  一人の人間の悲しみは その人一人のもの
   誰にも理解できない
  まして 支援などできるわけがない

      70年過ぎても かなしいという人がいる

     悲しみは癒えないという新聞記事・・もたくさんある

一方で悲しみを癒やす活動という支援も掲載される

    不思議
       
      支援者たちは  遺族の悲しみという症状だけを捉える

     暮らしている時間を想像しない

     支援者と会う時間の遺族と
      生活している遺族の顔・・・裏の顔が見えていない

     かなしい気持ちを話す時もあれば  普通に暮らしている時間もある

 普通に暮らしている時間のほうが圧倒的に多い

  月に2時間 支援者の前で悲しい話をする

700時間以上…遺族は支援者以外の人たちと過ごしている

    たった2時間で  癒した…という人は傲慢である

     多くの時間を遺族は一人で必死で生きていることを想像したら・・・
       2時間のセッションで 
 悲しみを癒やしてあげてますなんて・・とても言えるはずがないのだが   

   藍の会も  ほんのひと時・・・
       日常頑張って生きている遺族が 本音を語れる時間になれたら・・・

      その程度・・・のもの

    何か特別なことをする集いではないが
     同じ悲しみを抱えた人たちといる・・・というだけで 
        張りつめて生きているこころが ホッとできる空間
    
   演技がうまくなるのは  本人…その人自身
       
     しあわせな人よりも幸せな顔ができるようになる時が来る

      元気に明るく・・・

        悲しみの河の流れに身を任せて生きていることを
                            知っているのは 亡き人と自分だけ

遺族

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我が家のベランダの花

  たくさんの花が咲き乱れて ジャングルのよう


   次男も夫も仕事

 一人で明日の「藍の会」の準備をし、
      自死についての書類を読んでいる

  お兄ちゃんがいるから 二人かな・・・

    昨日は「遺族の茶話会」
    まだ日にちの浅い人も 13年過ぎた人も・・・・
       
      みんな世間には かなしい顔は見せないように
          合わせて生きようとしている
     しあわせな人たちを  不愉快にさせないように 頑張って笑顔で接している

    しあわせな人たちは  それで満足しているようだ

   「  よかったわ・・・お元気で・・・悲しみは消えたみたいね・・・」  と

          挨拶をしても 会話をしても

  歯を食いしばって  泣き顔は絶対に見せないように
  涙は流さないように・・・・
        変わらぬ笑顔で・・・・

      暮らしている
暮らして行かなければならない・・・それが世間…社会のお付き合い
    不思議な世界

  かなしい人が  しあわせな人を不愉快にさせないように気を使っている

       ある遺族が話していた
  (息子が亡くなり・…その後夫がガンで亡くなった人)
   ご近所から回覧版が回ってきたり
    お寺やお墓詣りに行く途中に会った時
      笑顔で挨拶をしていたら「二人も亡くしたのも薄情な人」といううわさが・・・
      「よく出かけるわよね…おしゃれして」とも・・・

     息子さんを亡くして落ち込んでいた時・・・
「まだ泣いてるの?いつまでもくよくよしていないで」
 「次男さんがいるじゃない・・」
「最近 話しかけにくい」とまで言われたのに・・・

     泣いていても いろんなことを言われ
   笑顔でも言われ・・・どうしたら満足するんでしょうね・・・と いっていた

   茶話会でもそんな話が出た

   気にしないこと

・・・・・・・そんなことを言う人たちは
    困った時には笑うだけ  何もしてくれない

    

    孫の自慢と夫の自慢・自分自慢
  家自慢・持ち物自慢・・・・・

     それ以外に話題はない

     人のうわさ話だけ

        しあわせな人たち・・・・いいことです

   私は混ざらない
      交わる気持ちはない
              
          息子が逝き・・・悲しみを抱えて生きる人生
    息子から与えられた仕事がたくさんある
        しあわせな時には
   考えたこともなかった世界があり そんな世界にどっぷり浸かって生きている

      出逢うことさえなかった人たち
その数の多さ・・・有名な人・権威ある人も含めて・・・
     学ばせてもらいながら  試行錯誤しながらも 
幸せな時とは
    全く違う世界で生きている    

    遺族とのご縁がつながるとき・・・
        予防や防止とは何なのか・・・と深く思う
      こころが痛くなる

  生きて欲しい  生きていたい人たちを生かす社会はどんなものなのか・・と考える

   私は海外の事例は 参考程度に思う
      ここは日本だから

   日本には日本事情・・・風土・文化・教育があるから

       海外の真似は役にたたない・・と思う

  遺族の暮らしも・…遺族の悲しみも・・・供養の仕方も考え方も・・・

       

心理的剖検

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心理的剖検

厚生労働省の自死の研究

息子が亡くなった
   2005年にはもう実践されていたので 2004年ころから行っていたと思われる

全国にモデル地域を設定して、
 県の精神保健福祉センター長や 地元の大学の精神科の教授
 市立病院の精神科医等々
   が 研究費で
 モデル地域の市や県との共同で
    自死の一次予防・二次予防・三次予防の調査研究が行われていた
 2008年~2009年ころまで続いたと思います

 ネットで公開されているはずです

  自殺未遂者と同じハイリスク者という扱いで自死遺族支援が決められていました。
25~6年前から 検討会議が開催されています。

   宮城県も鶴ケ谷地域と東松島地域がモデル地域でした。

  県の対策会議で その地域の保健師が自死遺族を訪問して
        相談を促したということが発表されています。
また、仙台市の自死の対策の情報開示資料にも記録されています。
(仙台市は 情報開示の請求に大反対し、訴訟女とまで罵られました)
 仙台市の当時の担当課長からは
 個人情報保護法の問題だというなら
  「厚生労働省を訴えてください 私たちは厚生労働省の事業に協力しただけです」
   と開き直られたものです。
これを仕切っていたのが雅子さまの主治医の大野裕先生です。

   戸籍係から情報が提供されていたのです。
(死亡届を提出する係です)
 
   全国的には過疎地域がモデル地域に指定されていました。

青森県の当時の精神保健福祉センターの所長の渡辺さんは
  強引に(遺族が傷つき抗議されたりしています・・このことも報告されています)
     多くの遺族の情報を集めて調査研究し
 その実績が認められて ある大学の教授で栄転し、
   当時、国では自死遺族支援に絶大な力を誇示していました

    テレビと新聞の記者と協力して全国のモデル地域に電話で聞き取りをしました
  どこから遺族の情報を得ているのか・・・と
      厚生労働省の心理的剖検の一部なので  
         悪気もなく普通に戸籍課からですと答えています

 当時は自死遺族が活動をするとは想像することもなく
     自死遺族が活動をしても隠れて行動するから 
     表だって反論などするはずがないと思っていたのです

顔も名前も事情も全て公開しての活動は日本で初めてといわれたのですが
 自死遺族がハイリスク者という想定で支援を決めていた人たちにとって
  私の自助グループ活動は 
       自分たちのこれまでの研究の否定になってしまうということで
         無視されたり、きちがいといわれたり
           批判と罵りのオンパレードでした

    仙台市も県も国も支援団体からも・・・・

          自分たちの研究結果の是正と対策の見直しを迫られたのですから・・・

認めてもらうために
  上智大学の教授との連携や
   大野先生への意見書の提出
    国立精神神経センターへの抗議
厚労省への要望・・・
 そんな中で出逢った人たちに
     故平山先生や、故良原さんがいます

 研究や対策ではなく
 現実に活動をしている自死遺族がいる・・ということを認めてくれた人たちです

そんなことの繰り返しがあり
   やむなく中止となったのです

ホッとしていたら
 昨年からある団体が遺族の詳細なデーターが必要だという要望を繰り返し
   内閣府の会議でも月現して、決まりそうになったときもあります
  大反対したのが全国自死遺族連絡会の私だけです

     あきらめきれない団体が
    今年参議院厚生労働委員会の決議という形で強引に実行しようとしています
   それを防ぐために
      6月は要望とお願いと実情を知ってもらうために 
          歩き回っていました

  マイナンバー制になるので個人上保護法は更に厳しい内容になります
 そのための委員会が開催されています
     が
   議会で実践するという法律が決められたら防ぐことはできません

  個人情報の問題は
 遺族が関心を寄せなければ多くの人たちは他人事です
      これから遺族になる人には 関心のないことです
 まだ遺族ではないので 遺族の個人情報が洩れようが 
      公開されようが自分の事ではないのですから

 また もう遺族になった私たちにも関係にないことなのです
    私たちの情報は流れませんから・・・

彼らが求めるのは 亡くなって日にちの浅い遺族の情報です。
  警察から受ける事情聴取の情報です

     未然に防ぐことができるのは
  遺族になった私たち以外にはありません

   地域の警察から、交番や町内会長、民生委員。保健師等々に流されることは許されません

    ウソのような事実があるのです

  国の対策とはそのようなことで決まるのです

     気がついたときには決まっていた・・ということです

       自死の予防のためという名目です。遺族以外には誰も異議にない目的です

決まった後に抗議しても

公開されいます。反論しなかったんですよね。知らなかったということは理由にはなりません
   といわれるだけです

沖縄から北海道まで モデル地域が設定されて
  その地域の遺族の個人情報が 戸籍課から提供されて
   調査研究の対象にされていたことは 公開されている情報です。

    

言葉

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「いのちを大切にしましょう」という言葉

    遺族であっても 自死以外の人には普通に聞こえると思う

      そうよいのちは大切にしなければ・・・と

 自死遺族の私は  いのちを大切にしないで死んだ・・とも聞こえる

      世間からよく言われる言葉だから

      他の人が聞いたら  とてもいい言葉

     一方で  責められているように聞こえてしまう
            それを いつも気にしていたら  生きるのがしんどい
    
    
  

かなしいという感情

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  今日は 3時半に起きた

昨日は9時には寝てしまった・・・・起きていられなかった

     仏壇にお茶とお水を供えたが・・・息子は寝坊なので(私と同じ)
        朝早いなぁ~~~ 勘弁してよ・・といっていそう

   母は笑っていそう・・・・お!めずらしいね・・と

      知らされないやさしさに 助けられていることが多い

     そっと やさしく思いやってくれる人たちがいる

        力をもらう
    
    息子が逝って10年になってしまう
    もう10年もあっていない・・・ことに 愕然とし、落ち込む
  
   しかし 落ち込んでいられない

     次から次へと  支援者の専門家という人たちが
     机上論を語る
    遺族とは・・・・・と。

遺族の前で遺族でもない人から
    遺族とは・・こんな症状があって・と  語られてもピンと来ない

    遺族の弱点だけを学ぶのが遺族支援の研修会
  遺族のできることを学ぼうとはしない

なぜなら  支援者は遺族のできないことを探して
  ここはできないですよね。。これもできないですよね・・と指摘し
     意識させ、支援をしてくれるのかと思えば・・ただ話を聞くだけ

 話を聞くだけなのに  なぜ…遺族の弱点だけを学ぶのだろうか

     学ばずに 普通にお話を聞いてくれたらいいだけなのに・・・

 また 複雑性悲嘆ということを学ぶ研修会がある

   東京に学びに行こうと思っている

 質問する予定

  複雑性悲嘆についてはよくわかりましたが
  どのように支援していけばいいのですか・・・・
       またどのような支援で回復するのですか・・と

 たぶん私も複雑性悲嘆だから
        
      しかし  講師よりもある意味で元気

       人間は・・・・しかも 
愛する家族を突然の喪った悲しみを抱えている遺族は
   多重人格のように多面性を持っている

一人でいるとき  社会と接するとき
家族といるとき  仕事をしているとき  遺族といるとき
     その時々も  その時によって変わる
   悲しくて
   しゃがみこんで泣く時・…今でもある
   歩けなくなってしまう
 突然 声をあげて泣く時がある
  家事もできないときもある
     何もしたくないときもある
    怒りに体が震えたり  食欲もない時もある
     誰とも話したくないときもある

  また
    カラオケで歌う時もある
  テレビを見て大笑いするときもある
        しあわせな人のようにふるまう時もある

   バリバリ仕事をこなす自分もいる

   どれも自分

   それがにんげん ではないのだろうか

なぜ 悲しみが続くと 複雑性悲嘆という言い方で
  遺族の悲しみを表現し、差別するのだろう
     そんなことを語っている講師は 愛する子供が死んだときどんな反応をするのでしょう
    泣かないのかな・・・
 半年で悲しみは消えて ルンルン元気になるのかな

   悲しみなんて  何?という感情になるのだろうか

      あまりにも人間を単純に考えすぎていないだろうか

     今日みたいに3時に起きて眠れない日もある
  5時までも・・・いや 
一睡もでみないときもある・・・
     人の悲しみを 区分けしようとすることは無理がある

  自分でも自分の心がわからない時があるほど心は複雑

 複雑な心が普通

悲しみは愛しさと共に

 悲しみもまた私のもの
  愛しているから悲しい  愛が消せないように悲しみもまた消せない
 深い悲しみは深い愛の証し
      かなしい 悲しい 哀しい カナシイ 愛しい
   

コメントと活動

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ブログへのひどいコメントに時々応えると炎上し、
それが 多くの遺族にとって(まだ日にちの浅い)
      心が痛くなる…というメールや電話をいただきます

忙しくてブログを見る時間もない時もありますが
     出来るだけ 即座に みた人が心が痛くなるようなコメントは削除してきました

  多くは同じ人です。
    たぶん・・たぶんですが ネット喫茶のようなパソコンが多く使用できる場所で
       コメントしているようです
   スパム報告しても 次々毎日のようにコメントが書きこまれるときもあります

 鴨居(たぶん息子の縊死の場所)
   中田(田中をひっくり返した)
タッチ・・…等々
今回の
  私の怒りの沸点は 息子への批判です
     私への意見なら私の事だけをいえばいいのです
        9年前の新聞の記事のことですが・・・
    その後、数えきれないほ度掲載されていますが
     新聞記事に高校の名前が掲載される私の記事は
        ほとんどないはずです。
  ブログに関しても 高校の名前を記載したことはあまりなく
     交通事故とだけになっていると思います

   今回は応えてしまった自分の責任だと思っています
      リアルに会って話すのと違い
  文字はお互いに誤解を生むことも多いと思います
      
     息子は頑張って仕事をしました
    
事故のことで責めるとしたら
    被害者の遺族も私も運転手と飲酒運転を認めていた同乗者です

   遺族同士が責め合っても何の意味もないことです

 事故のことを時々話題にするのは
  飲酒運転をしないでほしいという想いを込めてです・

交通事故の悲惨さを知っているから
  事故を起こさないで欲しいという願いを込めて・・・・・です

   事故が起きたから・…人が亡くなり
    警察も忙しいのです
   事故さえなければ 遺族もうまれず 警察官も暇です
       
   事故が起きたのは遺族の責任ではありません

   どうして  遺族を責めていると思うのか 未だに理解できないでいます
   わたしは  事故を起こした犯人を責めているのですが・・・

事故さえなければ…と思うのは

  事故で亡くなった人の家族も  
     私も同じだとばかり思っていましたので
       ものすごく意外でしたし、息子の仕事を言われる事に怒りを覚えてしまいました

   私は報酬を受けて活動はしていません
  手弁当も多く(心ある方々からの寄付金もあります、感謝です)
    全国自死遺族連絡会の活動は自前です
     お手伝いの遺族も手弁当です
自死遺族等権利保護研究会のメンバー全員が手弁当です
  弁護士も司法書士も 教授も・…遺族も

      
    私は 日々新しくつながる遺族からの相談を受けています
 全国から・・です
 悲しい・・・というお話だけではなく
     賃貸物件の請求に関する相談も多く 緊急性を有する場合もあります
      自死遺族等権利保護研究会の
     メンバーの司法書士や弁護士にその多くはつないでいきますが
   丁寧に
 聞き取りをしなければなりません

     また 精神医療の相談も多く 医師の紹介等も行っています

     全国自死遺族連絡会という顔もありますが
宮城県内では
「藍の会」の他に「みやぎの萩ネットワーク」や「つむぎの会」
 「藍色のこころサロン」「遺族の茶話会」
 「法話の会」「マロニエの会」」クローバーの会」
山形「青い会」 
   
  会議も 宮城県・仙台市・角田市・内閣府・・・
  個別相談も数多くあり・・・
   また 講演も頼まれることも少しですがあり
        
      シンポジュウム開催やフォーラム開催 講演会の開催 研修会の開催
    幹事会
    例会

22・23日のように  静岡県議会議員の視察のスケジュールを組立 案内もあり

    事務員がいるわけではないので
       自分でやることも多く、
           過重労働気味です

    心配して・・・ 会場の確保やチラシの作成・・・
            開催の準備等はお手伝いをしてくれる人たちもいます

     私が倒れたらいいと思っている団体もあるようですが
        どちらかというと    健康なようです

こころの痛いコメントは削除しましたし今後も削除します

    とらわれて 活動に支障が出てしまうことは不本意ですので
         私の勝手にさせてもらいます

    ブログは 私のひとりごと・・・

    コメントの書き込みは自由ですが
   掲載するかどうかの判断は私がしますのでご容赦ください
    

来年は大阪で・・・自死への差別の問題を・・・

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自死や自死遺族への法的差別等も含み

    社会に根深く残る 偏見と差別
 
    仙台在中の自死遺族が取材に応じてくれたおかげで
        社会が注目する問題になりました
 それまでは多くの自死遺族は
   泣き寝入りをしてきた問題
   

来年2月に大阪に行き
    自死や自死遺族への差別と偏見問題について講演

大阪市の大阪国際会議場(グランキューブ大阪)
第30回人権啓発研究集会を開催

全国から人権問題に取り組む行政、企業、労組、各種団体等の方、約4000名が集う全国集会です。

初日の午後は、全体会。二日目が分科会






①集会名: 第30回人権啓発研究集会


分科会6「さまざまな人権」

②日 時: 2月5日(金)10:45~12:15(90分)

③テーマ: 「自死遺族への差別を考える」

④規 模: 各分科会300~500名(行政3割、企業3割、運動2割、各種団体2割)



9月3・4日 京都府に招かれて行きます

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27年度宗教法人関係者人権問題研修会

1 研修会日程

(1)南部会場
    日時:9月3日(木) 13:00~16:00
               (御講演予定時間13:30~15:00)
    場所:「京都府立総合社会福祉会館」(ハートピア京都)
          京都市中京区竹屋者町通烏丸東入る TEL 075-222-1777

(2)北部会場
    日時:9月4日(金) 13:00~16:00
               (御講演予定時間13:30~15:00)
    場所:「みやづ歴史の館」
          宮津市字鶴賀2164 TEL 0772-20-339

(講演の演題

    「喪われた命の意味について」~悲しみは愛しさと共に~ 

   全国自死遺族連絡会  田中幸子

   市民の方の参加もOKです  参加費無料

よく使用されている精神薬の情報




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精神薬の情報


『各国のベンゾジアゼピン系精神薬に関する「処方規制ガイドライン」』


○イギリス
ベンゾジアゼピンは短期的な救済(2〜4週間のみ)に適用される。
ベンゾジアゼピンはうつ病を引き起こしたり悪化させ、また自殺の危険を高める。
イギリス国立医療技術評価機構が定めた「2週間以上のベンゾジアゼピン投与は行わない」という文章を明示した。

○カナダ
2〜4週間以上の諸法について認可しない。
ベンゾジアゼピンの長期処方にはリスクが存在する。不安・不眠について適切な利用及び薬物依存を避けるために、新規処方は注意深く観察すべきであり、処方期間は限られるべきである(不安には1〜4週、不眠には14日まで)。

○ニュージーランド
最近では依存性のリスクが知られており4週間を超えた使用は有害である。

○デンマーク
ベンゾジアゼピンの処方は、睡眠薬では最大2週間、抗不安薬では最大4週間に制限することを推奨する。
依存性があるため、ベンゾジアゼピンの処方は非薬物療法などそれ以外全てで治療できない場合のみに限定されなければならない。処方期間は4週間を目処にしなければならない。長期間の治療は避けなければならない。

○アイルランド
ベンゾジアゼピンの処方は通常1ヶ月を超えるべきではない。

○ノルウェー
ベンゾジアゼピンの日常投与は4週間を超えてはならない。

○スウェーデン
薬物依存を引きこすため、不安の薬物療法にベンゾジアゼピンは避けるべきである。
薬物中毒の可能性があるためベンゾジアゼピンは数週間以上の治療には推奨されない。

△香港
香港ではすべてのベンゾジアゼピンに対して1992年から通常の処方箋とは別に、供給と調剤について詳細な記録をつけることが求められる。(麻薬に準じた規制)

💀日本
日本ではベンゾジアゼピンの使用期間の規定は全くない。国内には15年〜20年以上と長期間処方されている人が大勢いる。

ベンゾジアゼピン系精神薬の長期間の服用は、頻繁に精神疾患を重度化させる。日本の抗精神薬の使用量は世界一の最悪の状態。精神科先進国アメリカの6倍の使用量である。世界全体の精神病患者の「5人に1人が日本人」という異常な事態である。

(備考)
日本でもっとも使用頻度が多いベンゾジアゼピン系精神薬は「デパス」(田辺三菱製薬)である。「デパス」はベンゾジアゼピン系の一部のチエノジアゼピンである。
デパスは日本発の薬ですが、欧米では使われていない。
短期的には有効な場面もありますが、いわゆる「デパ中 (デパス中毒)」が量産されていきます。
そして、その経過の中で、医原性の(デパスが原因の)リストカットなどの自傷行為、情緒不安定、うつなどが現れる。
化学物質の性質としてアルコールときわめて類似のもので、常習的に酔った状態、抑制の外れやすい状態になっている


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やさしい人たち

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  野田先生がアイルランドから帰国

 電話をくれた  心配してくれている
  いつも 活動の事を気にかけてくれ・・…・凄い人たちを紹介してくれる
      12月に野田先生の講演会と相談会を開催する予定
    
      講演と共に 精神医療の個別相談を設けることにした

    「自死遺族等権利保護研究会」にも すごい先生たちが参加している

         自死と遺族への差別問題の是正のために・・・
  尽力を注いでくれている…・手弁当で
      裁判や書類の申請になれば有料だが
       それまでは 無報酬
     研究会にも自費で…参加

    仕事が終わってから  駆けつけてくれる

     志の高い専門家たち

         息子からの贈り物
     たくさんの素晴らしい人たちとの出会い
        その道では知られた人たち

マスコミ関係の様々な人たちとの出会い

   また
     多くの遺族との出会い

       知らない世界の人たちとの出会いという贈り物

      国の機関のひと達なんて 関係のない世界だと思っていた
   議員も・…関係なかったのだが

         息子は いつも私を応援してくれている
           やさしい子だから
            「カァチャン…なにやってんだよ、無理スンナ」と・・・微笑んでいる

    争うのが嫌いな子だった
        大きな声をあげるのも 嫌いで
            「もういいから」と 苦笑いしていた

        岡先生も野田先生も 山田先生も
           大熊先生も 細川先生も・和泉先生も、甲斐田先生も斎藤先生も・・…
    たくさんの先生たちみんな穏やかでやさしい笑顔のステキな人たち

           雑音に惑わされてしまう時が時々あって
             イラついてしまう
     反省…反省…深呼吸
          立ち止まっていられない

           やらなければならないことが山のようにある

        悲しみでいっぱいの遺族に手紙を書かなきゃ

       待っていてくれる遺族がいるから・・・

         野田先生にも本を書いてもらいたいし
     
   私たちも2冊目の本も出したい
       
     8月・9月・2月と  講演も頼まれている

      9月京都の講演が終わったら野田先生の自宅に御邪魔しようと企んでいる
            お子さんを亡くされた人と・・・5dc96fe5-7f39-4c2f-8b53-540406b038c3[1]
      

岡知史先生

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岡知史教授がようやく本を書く気持ちになった・・と連絡が
   感謝
「会いたい」の本が出版されるきっかけを作ってくれた
早稲田で開催された  国際会議での論文発表
      から・…4年?5年?
「悲しみは愛しさと共に」の表題になるのかな・・・

  悲しみから回復しないと 「複雑性悲嘆」という精神疾患
   [悲嘆回復プロセス」が主流の自死遺族支援

   多くの自死遺族は精神疾患者だから 精神病同士で集まるなんてとんでもないこと
      そんな流れだった

    息子を亡くして半年後「藍の会」を立ち上げた時から
      9年が過ぎた今は・…全国で活動をしている遺族が増え
       わかちあいの会の開催だけで44か所になった

       悲しみを抱えながらも「わかちあう」ことを
            目的とした集いを開催し続けている遺族が増えている
また
最近は  ブログ等で いろんな遺族同士がつながっている
          時代は変化している

        語れない死から語れる死へ
   そうなることを願い  いつかこの世を去る日まで活動しようと思っている

       岡先生はやさしく謙虚な人
  上智大学の教授
   学科長
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   17日も大学に行き、3時間も話し込んでしまった

    年に一度のフォーラムでの講演
      今年も講演依頼をした
    「僕でいいんですか」
      といつも謙虚に話される

          遺族以外に  遺族の社会運動に協力してくれる人はいる

      いや  遺族以外の視点と専門性が社会運動には必要

      「わかちあい」は遺族同士

        社会運動は様々な人たちと力を合わせて実現に向けて行く

      民法の教授も協力してくれている

        本当にたくさんの専門家との連携が 欠かせない

      今年の9月も岡先生を招き…全国から遺族が集い
   行政や支援者も参加してフォーラムを開催する  8回目

   参加者全員     手弁当である

      ありがたいことです

  9月13日  東京 大森  「きゅりあん」 参加費無料    

遺族としての生き方

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親を亡くした人
  母を亡くして、その一年後に父もガンで亡くして 
   一人っきりになり
今、分かち合いの会や茶話会等を手伝ってくれてる人がいる
 私が  緊急連絡先にもなっている
  
精神障害を患っているのですが
 頑張ってお芝居をしている遺族もいるので 応援にも行く

遺族の入院の保証人になったり
   就職の保証人になったり
 手術の立会人をしたり
   生活保護の相談やその後の面談にも同席したり
      学校の面談にも親と共に行くこともある

   ズボンやテーシャツを買ってあげたり
  お米やノリを送ったり
      ご飯をご馳走したり お酒を飲ませたり

   引っ越しの手伝いをしたり
     訪問して相談を受けたり

     出来ることは何でもしてきた
 出来ないこともたくさんあるが・・・

   命日を一緒に過ごしてあげたり・・・
     何でも屋・・・

   新聞に取り上げられると
  記者と特別な仲なんでしょとやっかまれたり
       したこともたくさんある
 新聞記者やテレビも含めてマスコミの人とは仲良くしてきた
     特別な仲ではなく、感謝してきた
   取り上げて欲しいから
     知らないでいる人に知ってほしいから・・・
   必要としている人に
   届いてほしいから・・・

    全国に43か所の会がある・・・自助グループ
  また 尾道での会もできた
     ありがたい
     全国自死遺族連絡会の会員たちが立ち上げてくれる
    感謝
子供を亡くした会も気仙沼や石巻は 地元のお母さんたちに任せた
   岩沼の震災で家族を亡くした会も  震災の遺族に任せた

 立ち上げては  任せる・・・ことをしている
    地元の遺族が参加しやすいように・・90歳を過ぎた遺族や
   車椅子での参加・・・
耳が不自由な遺族の参加
   幼い子供を連れての参加

いろんな遺族がいる
         遺族が元気に生きられるように・・・
   なんでもしてきた
   おまじないのお札も作る
       不幸が終わるように・・・

   私は親の離婚で親戚中たらいまわしだったそうだ
      今とは時代が違う
   どこにも行き場所のない私・・・10か月
  女の子を亡くした人たちの養女になった
      他人の養子
   子供を亡くしていた育ての親は やさしく慈しみ深い人たちだった
   
      誰に対しても分け隔てない 人たちに育ててもらった
        自死への差別も偏見も
  田舎なのに 全くない人たちだった
  精神障害の人たちにも  同じにやさしかった
        文字を読めない、書けない母だったが
            尊敬している
   6人とも   亡くなった・・・
  夫の両親も…私の血のつながりのある父も母も
   また育ての両親も逝ってしまった

      私は 育ての両親のようにはなれない
       サチコは しょうがないな・・・
    と苦笑いしていそう
  息子も カァチャン  もういいよ
  俺のことは  何を言われてもいいよ
   カァチャンが 傷つかないでね・・と いってそう
         
     全国の多くの遺族が心配してくれている
  今回も電話やメールをもらった
        ありがたいことです

       沸騰点が低い私

最初のコメント




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最初のコメントです
 公開コメントになっていますので…ブログ本文への掲載についてもご容赦ください

その事故さえなければと思いたい気持ちはわかります。
でも違いますよね。その事故がなくても別な事で多忙な仕事になっていたのではないでしょうか?

ここでこれを書くのは躊躇するのですが、あの事故で亡くなった学生の一人は私の知人のお子さんです。あの事故がなければと苦しんでいます。同じ町に住んでるので貴方の息子さんの事も知り心を痛めてます。

これは私の意見ですが、あの事故の事をなんでいつまでも書くのですか?自分がその仕事に向いてないと思ったらまたは過重労働だとしたら、それに対処が必要だったのではないですか?

自分の子供が殺された事故の調査を警察が行うのは当然と思うのは間違いですか?言いたくないけど、税金ではたらいてるならしっかり仕事をして欲しい。貴方の息子さんはきっと真面目に責務を果たしていたのではないでしょうか?それを母親が全てをあの事故のせいにすることは、息子さんの頑張りを否定してるようにも感じます。

あの事故の犠牲者遺族はあなたと同じ町に住んでます。そしてあなたの息子さんはその事故に関する仕事をしていただけ、もしあの事故がなくても、別な事件で過重労働になってたんではないですか?

息子の仕事への批判は許されません

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批判ではなく
  ご注意でしょうか

   あなたがブログに書くことで  交通事故の遺族は傷ついていますよ
       
  というだけなら

なぜ  息子の仕事のことlまでコメントをしたのでしょうか

  私が書いたブログ・・と 私が掲載された新聞の記事のことだけなら
     息子の仕事の事にまで いう必要はないと思います

 私がこんなにも ブログで怒って書いているのは
 息子への侮辱が許されないのです

  働いて当然
   そうです 働いて当然だから
   休まず働きました
 
 それに加えて  パワハラもあり
  息子は追いつめられ・・心が壊れて行きました

    頑張ったんです 息子は。

  愚痴も言わず
 「いいよ俺の仕事だから」「みんなだって忙しいんだから俺がやるよ」
といい
犯人には憤り
「謝らないんだよ・・・」「3人も死んだのに」「許されないよ」
 「謝罪してから弁解だろ」「弁解ばかりして」
と 子供たちの死を悼んでいました・・こころから
  だから
  本をたくさん買って 初めての大きな事故の書類作成に必死に向かっていたのです
 あの事故の1か月前の塩釜に赴任
   事故の担当は初めての仕事でした
      慣れない仕事に配属され
  大きな事故の担当・・・
  息子は真面目に 誰のせいにもせず
      私が病気で入院しても「ごめん忙しいから」と
    電話だけで見舞いにも来ませんでした
 余裕がなかったのです
    朝の6時から夜中まで仕事をして
  一日も休まず4か月半
      死んでから署長がいいました
   自宅での療養に入る前に
 全ての事故の処理を終えて いたのです

   誰にも教えてもらえず  部下からの嫉妬もあり
      一人で本を読み、書類の作成をして あの大きな事故の処理をしました

  がんばりました
          その息子を
    仕事をして当然だという言い方は親としては受け入れられません
     
最初のコメントを読んでみてください

  息子への批判ですよ・・・

   息子は死にました・・・・
        死んだ息子の仕事の仕方を言われて
  ハイ
  ごもっともです 息子と私たちの対応が悪いんですね死んだのは・・・
     といえるでしょうか

   私がブログに高校名を出したことや新聞記事に掲載したことだけで済むことではないでしょうか
    なぜ
   息子の仕事まで批判されなければならないのか・・・と
     親なら怒って普通ですよ

  死ぬまで頑張って働いた息子の仕事への批判

        もう一度自分のコメント読んでください
     

育英高校の事故の遺族に謝罪をしなさいということでしょうか

P1080434[1]
2006年5月
  自死遺族としては日本で初めて顔も出して事情も公開して
   会の立ち上げをした
 それまでも会はあったが クローズの会だったからだ

  そこから国の対策との闘いでした
  蔑まれ罵られ きちがいといわれ、国に何度も足を運び・・・

    だから  国の自死の担当者で知らない人はいないでしょう
  
   たった一人で  叩かれ罵られ  
   排他的活動
     いかがわしい活動
        といわれてきました

     遺族に知ってほしいと願い広報してきました

       自死遺族に元気に生きて欲しいと願っての活動です
   
     署名運動をして・・・自殺なんて気味が悪いから傍によるな
   近づくな・・と  道路で罵られたり

     自死という言葉を広げたときも
          支援団体からの嫌がらせを受けて
    新聞で支援者から叩かれたり・・・
       
 それも 私が勝手にしてきたことです
       から  仕方がないことですね


     公開して会を開催したときの行政や民間団体の対応はひどいものでした

  自死遺族とは知識のない人たち
  自死者は低階層にみられる
    文字も読めない人 文章も読めない人
   もちろんネットなんてできるわけがない
   貧乏人  ・・・・頭のおかしい人
      遺族同士でつながってはいけない  これは今でも言われている

     自死への差別も 偏見も 活動をしてから 知りました
 そして  賃貸物件の問題も・・・
  それらを 厚労省をはじめとして警察庁まで要望書を提出し
  改善を求めてきたのは  私たちです
  余計なことだったのでしょうか
        遺族はきちがいという扱いを受けていたら よかったのでしょうか
   婚約破棄になる人もいたのです
  就職も身辺調査される仕事では 就けませんでした
   妻の自死が許されないと  夫の実家で葬儀を拒否
    お墓にも入れないで 実家で葬儀をしお骨もひきとるケースもあります
       自死があった家から物は買わないといわれたりすることもあります

     死んだ人も精神疾患  遺族も精神疾患

    今頃は 保健師が訪問して  精神科に行くように勧めていたと思います遺族全員に!
        
育英高校の遺族も
    飲酒運転撲滅の運動をしてほしかった・・・と  心のどこかで私は思っています
(すみません)
       その後の事故で死んだ人のうち 一人でも救われたかもしれないからです
   
    しかし  遺族の生き方はそれぞれですから・・・
      ひっそりと生きているのも その人だと思います
  が  
     活動をしている遺族を活動をしていない遺族が…遺族でもいない人が
         「このことは話すべきではない」   というのは
    どうなのだろう   
 


    以前にも何度も書きましたが
  非公開で自死遺族からの相談が届くので コメント欄はそのままにしているのです
    遺族だと名乗れない遺族のためにコメント欄は残しています

それと
         育英高校という名前は 10年間に数えるほどです出したのは・・・

講演も取材も1000件は超えていると思いますが
      そのうちの10~20回でしょうか
   ブログは数回?でしょうか 

       活動をしてこないほうがよかったのかと思ってしまいます

    自死遺族の個人情報が流されても良かったのでしょうね
   誰かがとめなければ  流されていたであろう情報

     事前にとめたということは その後に遺族になった人たちはしらないことですものね
  
      息子が死んでも  活動をしてこなければ

    個人情報が流れ・・・・ひどいことになっていたと思うのですが
           
      余計なことだったのかもしれませんね本当に・・・・


活動をするために 必死で57歳で独学でパソコンを覚え・・・ました
  それまでは手書きでボールペンで要望書を作成していました
  チラシも手書きです
    全て私のお金で・・・・

     活動のために 泣きながらマンションの掃除の仕事をし・・・

 そんなことも  大きなお世話だったのでしょうね
          たった一人で始めた活動です
       
  

    今回の問題となった私のブログは 交通事故とだけ書いてあり
 育英高校とは書いていませんでした
      高校の名前が書いていなくても
   交通事故とだけでも  こんなにも叩かれなければならないものですか
    育英高校の遺族は全員知っていますので
    謝罪に行ったらいいのでしょうか
        
遺族の声ではなく   部外者の遺族や友人の声だけですが
   遺族が本当にそんなにも傷ついているのでしょうか

 育英の遺族は私のブログはみていないと思いますが…
   
 自死遺族たちが なぜそんなに わたしを批判するのかわかりません
  目障りですか・・・・私が

  66歳 10年活動してきて
 ようやく自死遺族が語れる社会ができてきたら
    語れるように活動してきた 遺族を批判ですか・・・

    残念です・・・
            私が活動できなくなることが望みでしょうか

     亡くなった人たちは  これを見てどう思っているでしょうか
     田中を批判してよくやった立派だと言っているのでしょうか
   
   最初にコメントした人は
   息子の仕事への批判もあったのですが
 それも当然なのでしょうか
  警察官は死ぬまで働いて当然ですか
      公務員は市民のためにいのちをかけて当然でしょうか
育英高校の事故がなくても どこかで過重労働で・…(自死したとでもいういいかた)
    という言い方はあまりにもひどくないですか
  本人のせい家族のせい・・・それもひどくないですか

死んだ息子をなぜそこまで責められなければならないのでしょうか

事故の子供たちも大切な命でしょう
 そうでしょうとも…もちろん
しかし
 私にとっては私の息子のいのちが何よりもたいせつです

  息子は「いいよ、俺が悪いんだから」といいそうです
息子がそう思っても
親の私はそうは思いません
    死ぬくらいなら  仕事なんて無責任にやめたらよかったと思っています
      事故の処理だって しなくてよかったんです・・死ぬくらいなら
      投げ出してよかったんです  死ぬくらいなら・・・

 それが 親の気持ちです

  息子は休まず働き事故の処理をしました
       責められることでしょうか
  頑張って働いたのですが・・・
      私が あの事故が…という後悔の気持ちがあるのがそんなにも責められることですか
 自責の念はあって当然だと思うのですが
    後悔のひとつであることは事実です
 
息子は後悔していないでしょう 
 でも 親の私は・・・・思ってしまうのです
     思うことをやめろということですよね
       なぜそんなにまで 責められなければならないのでしょうか

     あれから10年
         
  24時間365日休みなく    命がけで活動してきて
   ようやく自死遺族が 生きやすくなったら    
        こんな仕打ちですか

     66歳の体にムチ打って  全国で 自死への偏見の是正を訴え活動をして
   遺族ではない人たちの応援も多くいただいて
     手弁当で協力してくれる  専門家がいるのに
         遺族から足を引っ張られるなんて・・・

    今までも  あったことですが
    狭いですね・・・・・・・・・・・・・・・・

         二度と育英高校のことはいいません・・とでもいえば満足でしょうか
   私の気持ちはどうでもいいということ
       事故の遺族の気持ちだけ・・・

   周りの遺族の心情だけ
         

   
   育英高校の遺族に会って 謝罪をしたらいいのでしょうか   

        
   こんなことを議論して 何が生まれるのですか

  自死遺族の人で私の批判をしている方
  どうぞ 仙台でしたら 藍の会が26日アエル「エルソーラ仙台」でありますので
     お出で下さい
    わかちあいとは別に時間を設けますから

  ブログは全国の遺族もみています・・・
     普段会えない遺族が 私のブログを読んでくださっています
        私の活動や言動が嫌な遺族は
        訪問しないでください
   私よりも 人気ブログはたくさんありますから遺族の・・・
      
        20120522202312.jpg
 13年前の写真

人にやさしい社会とは

DSC06498[1]


社会福祉士の理念のひとつ

    

障がいとは その人に障がいがあるのではなく、社会の中に存在する。
 その人が生きて行くために障がいとなる物が存在するなら
  その障がいを取り除き、その人が普通に生きて行ける社会を目指すこと・・・

  幻覚も幻聴も才能と思うなら
   芸術家になれる…小説家にもなれる
        占い師や霊能者にもなれる
   人と違うことを
   才能として伸ばしたら
      個性豊かな人として認められる

   認められたら才能
  認められなければ精神病
 
   不思議なことです

 吃音で悩む人がいたら、吃音を治す訓練と共に
  吃音を気にせず 受け入れる仕事や人間関係ができたら
   吃音を気にすることなく生きられる・・・
障がいや病気も
   その人が苦しまずに 悩まずに 人に危害を加えなければ
     幻聴でも幻覚でも認めたらいい
  才能と個性だと・・・
        みんな  少しずつ人と違う
           みんな少しずつそれぞれから見たら変
     たまたま 変な方向が同じだと 普通というだけ
 勉強の仕方もそれぞれ
   働き方もそれぞれ
            自分は普通と思っている人全員 周りから見たら変
      それを認めあう社会  少数の変な人たちも普通と認める社会
  そんな社会になったら
  精神科医なんて必要ない
      精神薬なんて無用
 
 同じような変な精神の多い集団や
  変な人たちの集まる集団が権力をもつことで
     少数派の変な人は  精神病・障がい者とレッテルを貼られる

      少しずつ全員が違う感覚を持っているのが人間社会
  その違いをお互いに認め合う 許し合いながら
        人を差別せず  蔑まず 対等に暮らすことが
             人間の社会であるべき
  動物と違うのは 
     弱い部分もできない部分も含めて認め合うことができる精神がある…と思っているのだが
      
    獣よりも劣る 悪の心もまた 人間だからこそ

         自死の活動は
    人間の煩悩との闘いでもある

    自分と違う人たちを受け入れられたら
         社会は豊かになる

後悔と懺悔

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生きていたらといつも思う

   夫と結婚しなかったら・・・

  転勤族でなかったら

    今頃は青森市内で暮らしていた

  イヤ・・一人娘だったのだから  婿さんでももらって
   農家の後継ぎでもしていたら・・・

  ススムさんを婿さんにもらって・・・(ススムは夫)
     今頃農家で・・・
イヤイヤ
   ~~~両親が離婚してなければ・・・
      他人の養女にならなければ・・・

     私が産まれてなければ・・・

      どんどん飛躍してしまう
          息子の死は  どうにもならないほどかなしい

     転勤族でなければ  大学にやれて  小学校の先生になっていたかもしれない息子

     昇任試験に受かってなければ・・・
・・・・あの時  連れて帰っていたら
    ・・・・・ 後悔は山のようにある

      息子の後を追い死のうとしたが死ねなかった
        生きるしかできないとしたら
            息子が生きていた時と同じ生き方はできないと思った
     活動に全力を注いできた
       自死の問題にすべてを~~~~~
    息子のような死はもうたくさん
       私のような親はもうたくさん
          しかし  無力な私の活動では 自死を減らせない
   悲しい出会いが今もたくさんある
       
      一人でもいい  助かる命を増やしたいと思っている

       息子を死なせたバカな母親の懺悔の活動

    今年もまた 9月に全国自死遺族フォーラムを開催する

   今年で8回目
        全国から多くの遺族が集う

   後悔して落ち込むのも私

   相談を受けているのも私
  講演をしているのも私
  資料の作成をしているのも私
        会議で発言しているのも私
               泣いているのも私
 酒を飲んでいるのも私
        いろんな私が混沌としているのが私の人生

    お兄ちゃんはやさしい子だった
  次男もやさしい  187センチ95キロの巨体だが いつも家族を思ってくれる
    やさしい子

    家事も率先して手伝ってくれる
     仏壇の果物もお菓子もジュウス類も  次男が管理して買ってくる
       お線香とロウソクは夫
お花は私
  時々 お花も次男が買ってくる
      何か食べるときは必ず仏壇に供える
  これは次男も同じようにしてくれる


   次男と亡くなった長男は 恋人のように仲良かった

小さい頃  お兄ちゃんは次男に
    お母さんのおなかで 二人で遊んでいたんだよ・・・
    覚えてないのか?と言っていた

     お腹に戻して  もう一度生み育てたい

ブログを読まない選択肢もあります

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   私は 嫌いなブログは読みません
  訪問しないことにしています
 
    このブログは 自死遺族のブログ村にも登録していませんので
          ブログではそんなに知られていないと思います

 わざわざ 探して  読んでいただくことは ありがたいことですが
       嫌いならば  訪問しなくていいと思うのですが・・・

      なぜ 嫌いな  ブログを読むのかわかりません

     不愉快になりたいのでしょうか
        
   私は不愉快になりたくないので
       嫌いな内容のブログは 一度見たら  訪問しないことにしています

    無理に読んでくださいとは思っていません

      ホームページは管理者に管理してもらっています

    その他にmixiやツイッター・フェースブックもやっていますが
  ブログは  私のひとりごと
       一人でつぶやきたいことを書いています
   
      時には息子のことを想い…泣きながら

       胸が痛い時や・・・・・・眠れない時

   憤った時・・・・反省の時   後悔した時

         思うことを思ったときに ありのままに・・・

 文章の構成も関係なく・・・

     それなのに  なぜ  炎上するのでしょうかコメントが・・・

   この頃はあまりに心が痛くなるコメントは削除しています

     わたしを潰したい人たちはいますので
        嫌がらせ三昧ですが
 
     息子のためにも めげずに 活動を続けています

        生きていてほしいと願うからです

         やさしい人たちが  やさしいままで
   笑顔で生きられる社会・・・・・・
     目標です