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これから藍の会です

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2月11日

 仙台 「こころといのちを考える連続講座」の第2回
   
 尼崎 法話の集い

高槻  「ナインの会」

      仙台の連続講座は藍の会が主催なので、主催者の私は仙台で講座を開催します。

     4月に開催予定の 奈良県葛城市の法話の集いには参加するつもりです

 尼崎市の法話の集いも これからも  ゆっくりと開催予定なので 
             日程を合わせて参加しようと思っています

     
    今後は大阪や長崎・北九州も・・・・・・

      1年に1回でも2回でも  集える場所を・・・と

       協力してくれる方たちがいてくれることに感謝です

           自死遺族だけのわかちあいの会も必要

     でも  いろんな遺族と一緒に  本堂で法話を聞く時間もあっていいと思う

       その中で  自死への差別が無くなっていくし
     また自死遺族が他の遺族に対して思っている別な意味での偏見も無くなり

     亡くなった人たちはみなおなじ・・・

      という意識が広まることを願っている

     お寺さんでなければできない空間
      遺族でなければできない空間

       専門家でなければできない支援もある

  それぞれがそれぞれに  特徴を活かして 

      いろんな場所ができたらいいと思う

    選択肢はたくさんあったらいい

  
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苛立ちを流したお酒

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ざらつく心を察してくれて

    講演の後に快く一杯に付き合ってくれた…〇〇〇さん

      ありがとうございます

    溜まっていた イヤーな自分の心が  軽くなりました

    パンパンになって ずるい人を妬む自分がいましたから・・・

      
   そして 教えられました

     頑張ろうとしている人を応援しようという姿勢を・・・

        イヤーな性格の自分が時々顔を出します

       ずぼらでいい加減で 意地の悪い・・・

    反省…反省…反省

        最近 苛立っていました・・・

    あっちでもこっちでも   

    どうして…と思うことが重なり・・・

       憤って・……ネガティブになっていたようです

        いいお酒は たくさんのいやなことを流してくれました

       

明日は藍の会

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大雪の仙台

   明日は「藍の会」

   
    2月3日は慈恩寺さんの「法話の会」
         私は残念ながら参加できない

 内閣府の会議がある

     2月11日は 慈恩寺さんのご住職が講師で
「こころといのちを考える連続講座」の2回目

     同じ11日に尼崎市の「法輪寺」’浄土宗)で初めての法話を聴く集いが開催される

 自死に限らず 死別の形に拘らず 遺族ならどなたでも参加できる集いです

  キリスト教の信徒さんたちの自死遺族の集い「ナインの会」も同じ11日
   大阪 高槻一麦協会

      
     キリスト教も経典がありますが
   仏教も経典があります
一生かけても読み切れないほどの・・・

    わかりやすく説いてくれるのが 法話の時間

    明日の藍の会のわかちあいも  穏やかな時間になるように・・・
           主催者として初心に戻り亡き息子と共に参加します

遺族の言動で死にたくなります・…・自死遺族の皆さんそれでいいんですか

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保健師さんが主催の会は
 税金を使い、仕事で遺族の話を聞く・・・
 だからもちろん
        上司に報告書はあげる

   支援団体の人が講師できていても
       主催が保健所
(名称は地域によって様々・・・・仙台ははーとぽーと  ・・・・・宮城県は保健所は開催していません)

  要するに保健師さんが参加しているかどうかです

     それは 県や市・町・村・
    
  税金で仕事で遺族の会を開催しているということです


   自助グループは

     税金ではなく  自分のお金で開催している場合が多くあります

例えばです   田中幸子が田中幸子のお金で
(藍の会は税金で開催しています)    

会場費を払い電気料を払い

    お茶も買い  お菓子も買って 遺族に提供しているのが 自助グループです

      そんな中で  税金で 会場費は負担しますよ・・・というところもありますが

      多くの自助グループは 代表が負担しています(宮城県は補助金を認めてくれています)

    そのかわり

   参加している遺族の報告はしなくてもいいのです

       仕事で会の開催をしている場合は  遺族の詳細を報告します

   それは税金を使い 仕事だからです

       自助グループでも  仙台の現在の藍の会のように
      税金で開催している場合は

     何人参加しましました

      という  報告書は提出しています

      だから 代表の金で開催している場合は  文句を言う以前に

   参加費が高ければ 参加しなければいいだけです


    税金を使って開催している会は   参加費をもらう必要はないはずです

  でも 行政主催でも 参加費を徴収している会もあるようですが
       ::::::

        税金での開催だから  報告義務があるのです

     こんな

普通の  当たり前の  常識のことを 説明しなければ理解できない
     人たち

がいることが  理解できません

    自助グループの意味も
   行政の意味も
       
税金の意味も

        わからないのでしょうか

          わからない人が   批判をするのはどうなのでしょう
     理解されていない人が
       文句を言うのはどうなのでしょう

  批判や意見文句を言うには    学びが必要です

 

  勉強してから  批判をしてほしい

      


      自分で何もアクションを起こさず
    
          遺族の批判ばかりしている遺族をみると なんで?と・・・

         

    亡くなった人を悲しんでいたら   楽に生きたいと思わないと思うのですが

         ;;;;;;;

   残念な人たちです

    最近こんなこと多く書くのは

   これから 会を開催しようと  頑張っている遺族に  ひどいコメントがあるからです
       
      私にも「死ね」とかのコメントはありますが
       いつものことなので
         大丈夫ですが
    やっとの思いで 会をやろうとしている遺族に まだ参加もしていないのに
     あれこれ いうのはどうなのかな・・・・・と
    私がイラついているだけです


  行政が主催の会には  何も言わず

  同じ遺族が開催している会に文句を言うということが
        理解できません

  自分と同じ悲しみを抱えた遺族が 

      頑張ろうとしているのです

 応援をしなくていいですから   そっとしておいてほしい

       迷惑をかけているわけではないのですから
  
          なにも ひどい言葉を浴びせる必要もないのでは・・・

  

もう悲しくないのだろうか

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冬なので部屋に入れたハイビスカス


 自死遺族の会を誰がどのような形で開催しようが 批判されることはない

 参加費が高かったら来なければいい
    不便な場所に合ったら参加しなければいい

       行政が主催する会と自助グループは違う

 行政が税金で開催し、仕事で開催しているなら
  参加費を取るのは変、 遺族が傷ついたら 
          責任は仕事として開催している行政職員にある

自助グループの場合

    補助金での開催ではなく  自前での開催が多いが

    自前で開催して 参加者に文句を言われることはない

        自助グループはそれぞれの主催遺族の会である

    それぞれが一国一城の主

       誰かの家にお邪魔するとき 手ぶらではいかないのが常識

     お金はお土産にはならないが 何かしらお土産を持っていくのが普通

      会も 参加する人が 参加費用を払うのは普通

     100円なのか500円なのかはそれぞれの会の主催者が決めるべき

       100円が高いなら参加しなければいい
 500円でも参加したい人が参加したらいい

             人の批判や揚げ足ばかり取る人がいる
         せめて遺族は
            亡き人のことを思い  人にやさしく生きてほしい
    亡くなった人は、どう見ているのだろうか
     
        お母さん・・・(おまえ・・)

  何にも変わっていないね
    悲しいと言いながら 同じ遺族の批判ばかりして・・・
        ほんとに悲しいの?
     
     そんな生き方を見ていると 悲しくなるね・・・
         死んでもなんとも思ってないんだね

    その程度の存在だったんんだね ・・・


     という声が聞こえそう
    
            遺族が遺族を追い込む行為はかなしい


              自戒を込めて ・・・・
        

ざらつくこころ

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嫌な自分がいる

  夢・ゆめ・・・・ゆめ  ドリーム

 夢を語って夢に向かって夢の実現に・・・

    夢って 語っていれば実現するの?

    具体的に動かなければ  夢は叶わない
      
   夢の実現は  動く人たちがいて実現する

     と  
イラつく自分がいる

     岡先生のエッセイ

  「ずるい人」

   ずるい人に、あなたは怒っている
「ずるい人は楽をして得をしている」「私はまじめにやって損をした」と訴える
ずるい人は、あなたが何日もかけて手に入れたものを、横から奪ってしまったのだから・・・

 
・・・・・ずるい人にそんなに怒るあなたは、もう思い始めている
 「私もそうすればよかった」と・・・

  :::::::::::::::

  
   今月は法話の会がなかった・・・
 来月も会議でいけない

   ざらつく自分の心との葛藤

    自分は自分

     あの世の人たちは見ていてくれる

    大丈夫!
            撒いた種の  芽は確実に生えている


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普通の幸せ

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普通の幸せ
 
   失って初めてわかる普通という幸せ
     平凡という幸せ

       手に入れたものを手放すことができずに 悩む

          レベルをあげた生活をすると  下げた生活はできないと思う

     みすぼらしい気がするのか・・・
            恥ずかしいのか・・・

      山奥で電気製品のない  原始的な暮らしは 幸せではないのか

  イヤ   違う
          高級な家でないと 幸せではないのか…違う
                
             あれもこれも・・・・・・・・手に入れたくなるのが人間

       若い頃よりも  今 不自由なく暮らせる生活費はある

        内職もしなくていい

      働かなくてもいい・・・

         でも あのころ  子供を育てていたころが人生で一番幸せだった

         息子が逝って・・・・・・・

    家族が生きている事が  どんなに幸せなことか・・・・とおもう

      何にも望まない

     子供が生きているだけでよかった

        どうして 死んだのだろう…といつも思う

   
  

 気張らないこと

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 わかちあいの場所で悩んだ時 こんなことを話し合ったときがある

場所はどこでもいい
「カラオケルーム」でもいい
       ファミリーレストランでもいい    と

   自分が急に参加できないと気、会場を開ける人がいないとき・・・

遺族が来たから・・・・・・・行政に鍵を開けてほしい…なんて思わないほうがいい

     できる限りのことは自分たちでする…というのが自助グループの基本
       
   中止になったことを知らずに来た遺族のことを
     そこまで思わなくていい
   会場まで来た遺族だから・…大丈夫です・…ひとりで帰るから・・・
        そして  休会になった意味を知ったら 許してくれるから

 それが大人です

    同じ遺族が病気になっても家族が死んでも  会を開催するべきだとは言わないはず

       もしもそんなことを言う遺族なら   

                人間性を疑う

      何が何でも  地震が起きても  開催する・・・なんて思うと

         しんどい・・…開催する方もですが  参加する方も・・・

   気張って開催する雰囲気が伝わってしまうから

    気張らず・・・・・ふんわりと  さりげなく  

            わかちあいだけに拘らず   なんでもいいんですよ

      お茶会でも  サロンでも

法話の会でも

    ランチ会でも   ミニ遠足でも

         講演会でも     旅行でも

    その人が元気になればそれでいいんです


     人間は  考えすぎても  いい考えは浮かびません

       思い描いたようにならなかったから自死遺族になったんですから

         自死遺族になると思っていた人はいないはずですから

  「 内村鑑三」の本でも読んで、自分の内面と向き合う時間でも作った方が

         会の開催をあれこれ悩むよりもいいと思う

ありがとうと感謝のつながり

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木曜日に東京に行き、昨日昼過ぎ仙台~
   遺族の茶話会に参加

   新しい人が4時半に参加
       7時過ぎまで話して~帰宅

  東京で新たな遺族とつながり・……わかちあいのような時間が~~(本当は研究会)

   弁護士さんが 聞いて^聞いて~聞いて
          とにかくすごい弁護士たちです

     無報酬で自前で~~~~~~~

       ありがたいことですm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m

    法話の会にご協力いただいているお坊さんたちも無報酬で自前で~~~~~

      素晴らしい人たちです感謝ですm(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m

 
    遺族が増えないこと…それには自死が減ること

       泥をかき回し 種を植えれば   全てではないが芽は出る

       種をまかなければ芽は生えない

            できるだけ多くの種を撒こうとおもう

  いろんな人たちとの出会いも大切にしたい

      息子が結んでくれたご縁

        たまに 泥をかけられることもあるが

      それもまた出会い

       息子に話すことが多くあったほうがいい

      たくさんたくさん 話したい

   今も話しているけどね

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  今年の第8回の全国自死遺族フォーラム

 9月12日予定
場所{きゅりあん」予定
   
    多くの遺族に参加してほしい

   遺族以外の参加も大歓迎

   5月には自死遺族等支援の議員連盟の設立総会も予定(お願い中)
   同じ時期に院内集会予定
      自死遺族等権利保護研究会
(自死遺族等への差別的取扱い問題の法的支援について)

    今年は年末年始に膀胱炎だったが 完治したらテンションが高く

       精神科医に言わせたら 双極性障害 と 診断されそう

         大丈夫!元気です!
 お兄ちゃん  応援してね
    

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こころといのちを考える連続講座

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「こころといのちを考える連続講座」

今年も開催

 アエル28階「エルソーラ仙台」研修室 30名

 18時30分~20時

1月28日(水)講師:全国自死遺族連絡会 田中
2月11日(水)講師:慈恩寺  樋口法生住職
2月26日(水)講師:精神医療被害連絡会:中川聡代表
3月13日(金)講師:臓器移植コーディネーター:長井秀太氏
3月25日(水)講師:仙台市カウンセリング研究会 神春美副会長


28日は 講師依頼が間に合わず・…おこがましいのですが私が講師です…
         すみません(前座ということでお許しください

 多くの皆さんの参加をお待ちしています

   

許すこと・・・許されること

hanakaidou[1]

自分を大切に
   家族がいたら家族を大切に
 友人を大切に
  仕事も大切に
     趣味も大切に

その次の次くらいが活動

      そう思っています

        わかちあいの会  
急に病気になったとき 病院に行かずに会の開催をすることはない

 家族の病気や 葬儀もある  

突然やってくる不意の出来事があるのは  自死遺族が一番知っているはず

  そんな時は急に「中止」になっても  許し合える気持ちを持ってほしい

せっかく来たけど  やってなかった・・・
 「なんか事情があったのだろうか・…だいじょぶだろうか」と心配する気持ちを持ってほしい

 何だせっかく来たのにやってないとはけしからん!
   と思うのはあまりにも身勝手

   頻繁に休会になることはないのだから

   藍の会も東日本大震災の時には「休会」にした

    会場が使用できなかった

  水も出ない状態だったが電気はついたから

   来た遺族がいたのかもしれない・・・

    が 突然の休会・・・・でした

そんなときもある・・・・・・・・

   コンサートだって中止になることもあるんだから

    ゆったりした気持ちで「わかちあい」の会をしてほしい

       人を許し人に許され・・・・・

      亡き人にも許されて今を生きている・…と私は思っている

   

差別意識について

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いつものことですが
  何度も途中まで書いて・…電話が鳴り、メールが届き・…手紙を書くのを思いだし
  消して・・・・・・・

 今もメールを数通出し、手紙を書き…フッと・・・

  明日の準備もあるが…夜中でもいいか・…と

    自死遺族の中で
「学校のいじめ」だから自死の中でも他の自死とは違う

 「労災」だから他の自死とは違う

「過労」だから・・・・・・・・

     なぜそう思うのだろうか

 とふと思ったとき  岡先生のエッセイを思い出した

「差別意識について」というエッセイ

 一人の個人において
差別に反対する意識は、その問題にかかわらず普遍的なものであるかどうか

 例えば 障害者差別に反対している人は
   女性差別や民族差別など他の差別にもはんたいしているかどうか・・・

   
「人間を愛する」といいながら
 「人間一般」を愛することはできるはずがなく
   できることは一人一人の人間を愛することだけである


自死への差別に憤りながら

同じ自死に対して  自分の家族の自死は他とは違う・…という人たち

     とてもかなしい

  しかしそんなこと思う私はどうなのか・・・

     殺人をして自死したひとの報道に  息子は殺人をしての自死ではない・・・と 
           思う気持ちはゼロではない       
遺族の会に参加してきたらどう思うのだろうか……と考えてみた

でも 家族で 夫が妻を殺して自死・・・無理心中
       遺族の話を聞いても普通に聞けている

   差別の程度によって
          許されるのだろうか

    ただ・・・・・これだけは言える

       差別の心があってもいい

 言葉にしてはいけない  
                  悲しみ比べと同じ
世界で一番悲しいのは自分・…・・・・それぞれがそう思っているのは普通

   愛が違うから  それでいい

    言葉に出してはいけない

 誰もいないときや  家族間ならいいだろう

       しかし  他人にいう言葉ではない

     苛めであっても
   過労自死であっても
パワハラ自死であっても
体罰自死であっても
    借金であっても
  介護自死であっても
  どんな自死であっても

  死は死である

    殉職であっても  死は死

     それぞれに懸命に生きようとした結果である

   自死者が 100人いれば100人の自死の要因がある

    遺族それぞれに思うのは自由

    でも・・・・
          うちはいじめだから 他の自死とは違う
    うちの息子は過労自死だから
         他の自死とは違う

   ということを聞いて 亡き人たちはどう見ているのだろうか

     悲しみを抱えて生きているからこそ  人にやさしく生きたいと思う        

         

ある自死遺族の言葉

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 「わかちあう」
悲しみを分かち合う
同じ苦しみ、同じ悩み、同じ悲しみ・・・・・・・

 自死遺族というくくりで「同じ自死遺族同士」の「わかちあい」
   自死遺族のわかちあいの集い・自死遺族本人の会

 自死で子供を亡くした親だけの自助グループもある
自死で親を亡くしたグループもある
自死で兄弟姉妹を亡くしたグループもある
 自死で伴侶を亡くした集まりもある

   子供を亡くしたというくくりで「同じ悲しみ」という「わかちあいの会」もある

 遺族というくくりでの「わかちあい」もある

   認め合うことが大切

  自死遺族の自助グループのわかちあいの会があるからこそ
    わかちあい以外の「法話」を聞く集いも必要

     一生自自遺族だけでの生活はできない

 私の望みは 自死遺族が普通に他の死と同じように語れるような社会になること
           家族の自死を隠して生きる社会はかなしい
      人は全員死ぬ
      それなのに自死だけが 隠さなければならない死というのは
     遺族もだが 自死した人がかわいそう

      悪いことはしていない

     死ぬほど追い込んだ原因がある

  普通に何事もなければ  普通に生きていた人たち

          追い込んだ原因が悪い

       自死を隠して生きてこなければならないこれまでの社会

     だから

       自死への偏見や差別が生まれた

        ・・・・

こんな人がいた

   「 息子は  家出をしていたのだが
         近所に隠していた」
「そのせいで、3日くらい前から家の近くの橋の下に息子の車が止まっていたのに
      近所の人は 不審に思わず 私に教えなかった」
「家出を話していたら、近所の人はわたしに教えていたはず」
     「3日前に車の事を聞いて、車に行ったら、生きていたと思う」
「だからもう隠さない」
「お母さんまた俺の事隠すの・・・」
「俺の事は恥ずかしいの・・・」
      といわれそうだから・…もう隠さない…と
そのお母さんは語っていた
              
  あえて言いふらす必要もないが  隠す必要もないと思う

     自死遺族以外の人たちとも話せるように・・・
自死遺族以外の人たちが自死に対して差別や偏見を持たないように・・・・

     社会に発信し・・……他の遺族との交流の場もあっていい

 わかちあい以外の目的で・・・・

   法話を聞くことは こころをおだやかに
   愚かな娑婆世界の私たちを清めてくれる・・・

     仏壇の意味  本尊の意味  位牌の意味  枕経の意味
  葬儀の意味 法要の意味
  お盆の意味
彼岸の意味
          蓮の花の意味
   ・…・……すべての作業には意味があることを教わることは
     煩悩を削ってくれる  
お坊さんの剃髪も意味がある
    髪の毛は煩悩を表す
         剃った瞬間から生えてくる  煩悩も消した瞬間から芽生えてくる
  
     煩悩のない世界に行った  息子に近づきたい     と思っている
    
        自死の問題を考え  理不尽なことと闘っていくには

      自分の煩悩との闘いが必要

 「法話」は こころをなめらかにしてくれる
岡先生のエッセイも・・・
       自戒の方法の一つ

川崎市での自死遺族の集い 第1回



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お知らせ

2月8日

午後13時30分位から、

JR南武線武蔵中原駅徒歩2分

川崎での自死遺族の集いです 

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 まだ正式な名前は決っていませんが「川崎市わかちあいの集い」(仮称)

  

   

いろんな会と国がやろうとしていた遺族支援「見守り」

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 子供を亡くした親の会「つむぎの会」仙台市・石巻市・気仙沼市
遺族ならだれでも参加できる「遺族の茶話会」仙台市1か月2回
誰でも参加できる「藍色のこころサロン」仙台市1か月3回

「法話の会」 仙台市偶数月 岩沼市奇数月

    15日は角田市の対策会議
 2月3日は内閣府の会議

     人を批判するにはその人を知らなければいけない

   知らない人を批判はできない

      知らない人を批判するのは あまりにも無知だ

    会議で意見を言う時も  相手の意見を理解しないとこちらの意見は言えない

     見たこともない人の批判をする人がいるが   無知すぎる

            
自助グループの活動が活発になっていなかったら
今頃は
自死遺族という情報を、民生委員や町内会長、地域の交番や地域の保健師さんたちで共有し
  遺族の家を訪問し、「自殺した息子さんがいますよねダイジョブですか」
「保健所で会をやっていますよ」とか「精神科に行ってみたらどうですか」
  とか・・・・していた

    自死があった家ということが この人たちに流され・・・・
「見守る」という支援が実施されていた

         それを  国があきらめたのは
自助グループの活動が盛んになり・…広がったからです

       声をあげる遺族が広がったからです

  知らぬは遺族だけ・・・

  国は着々と準備をして、モデル地域で実践もされていたのです

      今、情報が流れていないのは  自死遺族の自助グループ活動が広がったからです

       食い止めたのは 遺族の活動です

   国が施策として認め実施したら  止めようがないのです

          知らされない活動の成果なのです

          事前に食い止めたのは 自死遺族たちの活動ですから・・・

      だからこそ  国はわたしのことは嫌いで潰れてほしかったのです

          この事実は せめて
遺族には知ってほしい

       

会員による自死遺族の自助グループ

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会員による自死遺族の自助グループ

秋田県秋田市「結いの会」
岩手県盛岡市「循環の会」
山形県山形市「青い会」...
宮城県仙台市「藍の会」栗原市「クローバーの会」
石巻市「たんぽぽの会」大崎市「菜の花の会」大河原市「マロニエの会」気仙沼市「瑠璃の会」
福島県郡山市「えんの会」福島市「えんの会」
埼玉県さいたま市「なないろの集い」
東京都世田谷区「みずべの集い」渋谷区「みずべの集い」
茨城県水戸市「さざれの集い」
栃木県宇都宮市「オレンジいろの会」鹿沼市「ひなたぼっこ」
神奈川県横浜市「虹のかけはし」川崎市「わかちあいの集い」
新潟県新潟市「逢うる」長岡市「とまり樹」
長野県長野市「やまなみの会」松本市「やまなみの会」上田市「やまなみの会」
石川県金沢市「ほっとの会」
静岡県静岡市「心の絆をはぐくむ会」
鳥取県鳥取市「コスモスの会」
鳥取県米子市「逢いたいぼちぼちの集い」
広島県広島市「小さな一歩ネットワーク広島・希望の会」
広島県三次市「逢いたいぼちぼちの集い」
島根県安来市・雲南市・「逢いたいぼちぼちの集い」
島根県松江市・出雲市・浜田市・益田市・大田市・しまねわかちあい「虹」
山口県岩国市「木洩れ陽」
福岡県久留米市「九州モモの会」
沖縄県那覇市「くくむいの会」
東京・兄弟姉妹の会「テルテル」
「ナインの会」(キリスト教の信徒の自死遺族の集い)


 自助グループが広がっている

   2006年に藍の会を開催し、広がった・…・感無量です

今年は、新たに札幌市と四国での開催を予定

  

私が広げたい法話の会の意味

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法話の会

 自死に限らず 死因を問わず 遺族が対象

「わかちあい」の集いではない

  そして自死ということに 無意識に差別的偏見を持ってる人もまだまだ多いからこそ

    本堂で、ご本尊様の前で集い、お経の教えを説いていただき
      
     いのちはたましいは 死は  皆 平等である

極楽浄土は 皆行けるんだ・・・

  阿弥陀様が お救いくださるのだ・・・

    ということを 共有する時間・・・

      自死という言葉を知らない遺族も
      自死という言葉を知り
 自死は…と偏見を持っていた人たちも

     同じなんだ・・・という 意識を持つことができるようになる空間

そして自死遺族も  特別ではなく  同じなんだ…という意識を持つことができる時間

     それが法話の時間であり  ご説法していただくということ

    差別や偏見は  煩悩であり
人間世界 娑婆のこと

     極楽浄土に  全ての人をお救いくださる仏様がいらっしゃるのだということを信じる

         信じる心があれば  救われる

  そのためにも「わかちあい」とは別な時間が必要だと私は思っている

  自死遺族は違う・…という意識が自死遺族にあるなら

   それは逆差別

       もちろん 自死への偏見差別は他の死因よりもある・・・

しかし だからといって  自死以外に誰も寄せ付けないのでは
    差別や偏見の是正にはならない

  理解してくれる機会を増やすことも必要だと思う

        世間が変わらない・・・というのではなく

   世間を巻き込んで変えていく努力もひつようではないのだろうか

    自死だけで語りたいなら「わかちあいの会」もある

   仲良しクラブなら仲のいい遺族だけでランチやお茶会をしたらいい

      お寺さんでの法話の会は  

   阿弥陀様にゆだねて  「南無阿弥陀仏」のこころで

      煩悩をそぐ気持ちで  参加してほしい

「南無」とは帰依する・・・である

   全てをお任せします全てを委ねます、どうぞよろしく・・・・とひたすら信じ願うこと

      迷い・悩み・苦しみ・悲しみ・妬み・怒り・嫉妬・食欲・……108つの煩悩

      日頃の生活の中で  ささくれた心を
        なめらかにしてくれる時間・…と私は思っています

    あの人がどうだ・・この人がどうだ・・・・

    夫だからいいとか・・・子供だからマシ・・・とか  そんな気持ちを超えた時間

       阿弥陀様の前で 亡き人をご供養し
   生きている私たちの心を清めていただく・・・それもまたご供養

        法話の会が 広がることは

    やさしさが広がるということです

      やさしい気持ちになれますように・・・・と願いを込めて

   法話の会を開催してくれるご住職さんたちに ありがとう   です

遺族が気楽に集える場所が少ない

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今日は遺族のための「茶話会」です

大河原町での自死遺族の会のことで問い合わせがあった・・・
   病死でご主人を亡くなれた方・・・
残念ながら自死遺族限定なのでお断りをして、仙台の茶話会をご案内したのだが
仙台は遠いということだった。

  そうだなぁ~~~自死に限らず遺族がふらりとよって
     悲しみも語れ、泣く人のことも語れ、雑談もできる
        茶話会やサロンや法話の会のような気楽な場所が
          近所にあればいいと思う

 そういう意味で「茶話会」「藍色のこころサロン」「法話の会」
     を 開催してきたが
 仙台にはあるが そのほかの地域は・・・・どうなのだろうか

   子供を亡くした親の会も全国には少ない
それと
 いのちの電話にかけても通じないがどうなんでしょうか・・・
という問い合わせも・・・・
 年に数回はこんな電話が来る
話し相手をして、いのちの電話の比較的かかりやすい時間を教える
  
  頑張って生きてるね!
   頑張って生きてきたね!
  と・・・・自分で自分を認めてあげることだけでは物足りない
のだろうか

愛という感情も人それぞれ、悲しみもまた人それぞれ、生き方も人それぞれ

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昨年2回「新般若心経」」をブログに掲載したことがある。

 8月にも掲載している。

震災で子供を亡くしたお母さんが自身のブログに掲載していて
気に入ったので 2回このブログでも掲載した。

   悲しみは愛しさとともに・・・

 毎日どこかでこうしてブログを書いている時間にも死んでいる

  が 私は悲しくない

 震災で2万人死んだという話も  アメリカで子供たちが射殺されたという話も

    大変だろうなぁ~
悲しいだろうなぁ~

    グッと一瞬涙があふれても   

自分の子供が死んだ時のようにはならない

    それは何が違うのか

    愛ではないのだろうか

愛という感情は様々に種類がある

  男女の愛・親子の愛・親の子供への愛・子供の親への愛
     物を愛する愛・ペットを愛する愛・
権力を愛する愛・金を愛する愛・・…・等々 たくさんある

  子供を産むということは いのちがけ

   育てることも愛がなければ育てられない

親の子供への愛は見返りを求めていない

      無償の愛

            子供を育ててみなければ 親の愛は理解できない

   産まなくても育ててみればわかる

       愛の質も様々
あいの量も様々  愛の深さも様々

 同じ愛はない

     人間の幸せは 順番に死んで逝くこと・・・という 教えがある

   祖父母→両親→自分→子供→孫
この順番もそれぞれの立場で違う

  両親も自分という立場でもある
   孫も自分という立場になる

   そして   愛は その人の持っている人間性が加味される

     悲しみが愛でなければ  何からうまれるのだろう

 愛という感情も 悲しいという感情も

     対象となる相手と自分の間にうまれるもの

     昔から逆縁ほどつらいものはないといわれてきた

   だからお地蔵さんという信仰もうまれた

       私は 息子よりも長生きしている
  それだけで十分だ
  せめて息子には私くらいの年齢まで生きてほしかった

    それが親心ではないのだろうか

  支援者に子供を殺す人だっているだろ!といわれた
   そりゃそうだ
親を殺す子供だっている

   稀な人を例にだすなら 何も語れない

    一般的に 子供への親の愛は無償
    
自分は食べなくても子供には食べさせたい
   自分は辛抱しても子供には不自由な思いをさせたくない…と親は思う

   子供が自分の子供には食べさせなくても
   親には食べさせたい・・と思うだろうか

      それで親は喜ぶだろうか

  親は自分が我慢しても子供には…と思うのではないだろうか

      親を6人見送って・・・・・・・・親孝行は何もしなかったが
          親は笑って許してくれていると私は思っている

  親への子供としての甘えだ

    しかし息子は違う

息子も許してくれていると思う
 やさしいから「いいよカァチャン」「俺が悪かったんだよごめん」といってるだろう

    でも 私は親として 自分を許せない

    だから  自分で自分を罰している

  罪の償いとして 活動をしている

     愛しているから・・・今も・・・

               

能力オーバー

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 引きこもって手紙を書き,資料を作りおくらなければ・・・

      冊子も送ってほしいとよく連絡が来る

    その都度  印刷し製本しおくる

    補助金の申請もしなければ・・・・講演の原稿も作らなければ・・・
       会議の資料も作らなければ・・・

   研究会のまとめもしなければ・・・

    ければ・・・・ばっかり

        やらなくてはならないことが 溜まっていく

     ひとつ二つ  3つ  と  片付けるのだが

   また 増えていく
           
        ひとつひとつ  ひとりひとり   

     大局的活動は 後回しになる

              能力をはるかに超えている

      お兄ちゃん  手伝って!

私が信頼するお坊さんたち

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 親しくしてもらっている浄土宗の布教師会の人たちは
    自死遺族支援をしようとしているのではありません
もちろん私も望んでいません

 これまでの既存の僧侶の会とは違います
同じレベルで考えるのはナンセンスです

   私は自分が嫌いなら会には二度は参加しない

会に参加して文句を言うのもどうかと思うから・・・

    イヤなら参加しなければいいだけ

      参加しないことが「ノー」という意思表示・・・

    癒したい坊さんは自死遺族を救いたいと自死遺族の会の主催をする

      お坊さんが 自分で癒してあげる気持ちになるのは お坊さんではない

   お坊さんは 仏様に仕える身

  仏様が仏様の教えや力で 人々の苦しみや悩みに光を照らし、導いてくれる

   しかし仏様は何もおっしゃらない
      私たちには聞こえない

      しかし お坊さんが自分が仕える御仏の教えを
  私たちが理解できるように説いてくれる  
          それが法話 説法  
    その御仏の教えを説いてもらう中から  私たちが光を見出し、道を見つけていくこと・・・

       御仏の教えをわかりやすく教えて諭してくれるのが 
              お坊さんの役目でもある・・と思う
    御仏を差し置いて
      お坊さんが遺族を癒そうという考えをもつことは 
もはや御仏を信じていないお坊さんです
     
   あくまでも御仏の教えを 御仏の手や足、口となり、伝え説くことが
      お坊さんです。

  お坊さん自身が直接 遺族を癒したりケアしたりするのではないのです

    そういう考え方を持っているお坊さんなのかどうかが大切です

      傾聴だけならだれでもできます
  お坊さんでなくてもいいのです
   お坊さんでなければできないこと・・・・・・・・それが傾聴だけではない「法話の会」です

      遺族だから支援されて当然ではありません

   お寺さんにも感謝の気持ちを持つことです

        御仏に仕える身とはいえ  人間であり、家庭もあります

         ありがたいなぁ~という気持ちを忘れては 
         遺族としてというよりも人間として ダメです

   法話の会と   

僧侶との傾聴の会は違います同じにしないで欲しい

   布教師という資格を持った人たちです

       布教師の中でも  私が信頼できると思った人たちです

   宗教者もたくさんお知り合いになっていただきました

      キリスト教の神父さんや牧師さん  司教さんも…シスターも・・・

住職さんも 布教師会の会長さんも…尼さんも

         講演も浄土宗が3回 宗教連合会にも1回呼んでもらいました

     素晴らしい宗教者もいます

     尊敬できる方々もいます

       それぞれです

       信じるも信じないも  自分で決め自分で責任をもつこと・・・です

    布教師会に所属しているお坊さんもそれぞれです  
     私は私が信頼できるお坊さんにお願いをし、法話の会を広げていただく予定です         

必ず消える行政主催の会

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那覇市には自助グループがある
 九州は久留米市だけ・・・

   北海道も・…今年札幌に作る予定

 ブログにリンクしてあるが まだまだ足りない

法話の会が広がれば、分かち合いではないが遺族の居場所はできる
    
    法話の会が広がることを期待している

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仕事として、
精神保健福祉センターや保健所が主催の会が全国にある。
保健師がスタッフ、もちろん責任者は保健所所長。
 保健師だけのスタッフでは自死遺族は扱えないということで、
自死遺族支援の専門団体(?)と自負して、講師派遣を事業としている団体から
自死遺族が話し合う会に講師として参加依頼をしている自治体もある。
もちろん講師料や旅費は自治体から支払われる。
行政が主催の場合は必ず事業報告をする、遺族の人数や事業や名前や年齢等々。
ここにも国の税金が使われている

遺族の面接をする行政主催の会もある。
会に参加できる遺族なのかどうかを
遺族1人と保健師3人
もしくは保健師と派遣された講師(民間団体)による面接で決めるのである。

今行われている行政主催の会は、国からの補助金がなくなれば閉会となる。
今参加の遺族の行き場所がなくなろうが、関係なく閉鎖される。それが行政主催。

だからこそ、自助グループを47都道府県にそれぞれ1か所でいいから欲しいと思っている。がしかし、
行政主催の会がある地域は、よほど遺族が頑張らないと開催は難しい。
立ち上げ支援のために全国に行きたいと思うが、時間と金が足りない。

 それでも 遺族の気持ちと連携してくれている人たちの善意で
  会は広がり、様々な集いも広がっている(法話の会)

自死したひと達の多くは精神薬を飲んでいた。
遺族には精神薬は飲ませない!
これ以上の地獄を 精神薬でおこしてはならない
悲しい気持ちは絶対に消えない、精神薬で解決できるものではない。
保健師やボランティア団体は遺族が精神薬を飲むことを勧めたり、精神薬を飲んでいても知らんふりをする。(遺族が精神疾患であった方がやりやすいから)

自助グループは「悲しみは病気ではなく、愛と共にあるものだ」
      という悲しみの考え方を広め、薬をやめるように伝えている。

   

深いという表現の悲しみ

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私の悲しみは 息子と私の間にある

 悲しみを表わすとき 深い悲しみという
 
     大きい悲しみ…広い悲しみ  

    という言い方ではなく  深いという言い方をする

     それは 悲しいという感情は 自分にしかわからないし見えないという意味でもあるとおもう
   深さは周りからは見えない
       心に悲しみという穴が 空いたというのが見えたとしても
    穴の深さは見えない自分以外には……
もう一人いるとして、その一人は亡くなった人かな・・・

     明るく元気にしていると  悲しみがなくなったといい
          泣いていたら  いつまでも泣いているのは病気だという

   泣くときもあれば 笑う時もある

   落ち込む時もある  
100パーセントの幸せはあれから一度もない
         でも酒も飲む カラオケも歌う
    心の底から笑うことはない  いつも息子が心にいる

     でも私の一生は不幸とは思わない

   人間を 片面からだけ見て 決めつけてはいけない

       亡くなった息子よりは私は幸せ

     34歳までの命しか生きられなかった人生の健一
         そのいのちは私が育んだ
   責任は私にある

    親として 責任を負う  
   責任を負う生き方とはどんな生き方だろうか

    いつも考える

深く底なし沼のような悲しみ・・

    生きるということを・・いのちというものをいつもいつも考える毎日

   真剣に命がけで 活動している日々

  イラつくときも多い

    悲しみのケア・・・悲しみの支援
          そんなことを目的としている人を私は信じない

     癒された…助けられた…救われた・・・と感じるのは
          悲しみのある人
   
   あなたの悲しみのケアをしますという人を信じない
        どのような勉強をしようが 肩書きがあろうが  
他人の死別の悲しみをケアできる人は存在しない
    ケアできる死別の悲しみがあるとしたら 薄っぺらい 浅い悲しみ

     自分が自分で 自分の悲しみと対峙するしかない

    一人で辛い時  立ち上がれない時
        悲しみを抱えた 同士がいる

    共に泣き、微笑んでくれる やさしい人たちがいるだけでいい


     ささくれたこころ  やさしい心に なめらかにされる

         遺族には 悲しみを抱えたままでいい

 元気で やさしい心で生きてほしい・・・とおもう

         私も自分に言い聞かせて生きている
     
   がいつも 反省ばかり

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また でた 幽霊話の記事

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また「幽霊」の話が新聞に掲載されていた

 「被災地で幽霊話を取材」

 名取市の岡部医院  患者の2割が幽霊をみた・・・そうだ

 亡くなった夫の幽霊を見た妻  お父ちゃんと一緒に生きようと思ったそうだ。

亡くなった家族への思いが強い人が見るそうだ

    亡くなった人が憎悪の対象の遺族は幽霊を見ないそうだ

   ふ~~~~ん  子供を亡くした親が子供の幽霊を見ないのは 
    子供への思いが弱い都でも言いたいのか
     子供へ憎悪があるとでもいうのだろうか

    
     幽霊ってそもそも  何?

    幽霊って  どんな存在?

        どうしてその妻に 毎日幽霊となった夫が出てこないのか?
一回だけなのだろうか・・・

  聞き取りをして「本」をだして  印税でも稼ぎたいのか・・・

    沖縄戦でも直後に幽霊話がたくさんあった・・・・という

   今後も大きな災いがあった時 零を見える人が増えるかもしれない・・・

  こんなことを大きな記事にした新聞記者もどうかと思う
    本にしようとしているジャーナリスト奥野修司氏もどうかと思う

    家族愛・死生観・精神的ケア・・・

   悲しみの癒しになるそうだ・・・

      ふ~~~~~~ん

  たくさん人が一度の死ぬと幽霊となるのだろうか
   一人で死ぬ人は幽霊にならないのだろうか

その違いはなんだろうか

    中島記者と奥野氏

    自分の愛する子供が死んでもこんなことをいえるのだろうか

         
 殴られたり怒鳴られたりした  憎悪の対象だった家族の霊は見たという話は聞かない

        って   狭い薄い考えのジャーナリスト

      ダイヤモンド社の吉田氏(ジャーナリスト)  の被災地の記事は

     取材が丁寧で・…いい記事だったし、本もよかった

   亡くなった人を幽霊扱いをする記事には嫌悪感を覚える

      怒りでいっぱいになった記事だった 1月4日の河北の朝刊   
     

さくら

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突然 悲しくなった

 次男も夫もいるので  悲しい感情を振り払い
    作り笑い  元気な声で話し・・・なんとか普段の自分に・・・

 時々  どうしようもなく  胸が切なく締め付けられる

   それがいつどこで・・・という 予測がつかない
  
 健一が死んで・・・藍の会を始めて・・・マスコミに取り上げられて
     1周忌を終えての年末に  以前勤めていた方から「桜の枝」がおくられてきた
   
  職場では本当によくしてくれた若い女性

  その時 仏壇に飾ったのだが  とても穏やかな気持ちになれた

 それ以来  我が家は 新年の仏壇には  桜の枝をたくさん

   1月1日に ほぼ満開になる

   年賀状も書かなくなった
         寒中見舞いのお便りにしている

  1日は神社ではなく お寺に・・・お墓参り

    

心の温泉

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慈恩寺さんの法話の会

 私の心の温泉

     悲しみでいっぱいの遺族から連絡を受ける

        私には救えない…ケアもできない   癒せない

     聴くだけ  自分の体験を話すだけ
   自分が迷苦しみ悲しみの中で生きてきたことを  伝えるだけ

   遺族が悲しみに沈んで しゃがみこんで苦しんでいても・・・

     その手を引っ張って  歩かせられない

   そこは その人とその人の大切な亡くなった人の間にある悲しみの涙の河底

   こころは どこにある  脳・
イヤ違う
  脳は物質
  しかし心は見えない
   こころは 空
        こころはないようである
   あるようでない
   でも心は宇宙のように無限
            
  愛は心に存在する

    愛するという心はどこにある

      それは  私の場合は   息子と私の間にある

   それぞれの愛は  

     それぞれの 関係の間に存在する

        他人は見えない

  悲しみも  苦しみも自分のもの

    誰かのものではない
              どう思うか  どう抱えるのかも自分

     悲しみを抱えながら生きる方法は自分で気づくしかない

  しかし 先人たちが悲しみや苦しみの中から

  見つけ出した 様々な方法や考え方…生き方もある

      私はわたしなりの生き方を見つけた

    法話の会は  そのひとつ  

      息子と同じところに行けると心の底から信じられるように・…・…と