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法話の会の広がり

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浄土宗黒谷派の京都のお寺さん

  仙台の慈恩寺さんとのご縁で  東京芝の増上寺さんの布教師会の方々や
      黒谷派の布教師会の方々とのご縁に広がり~

  多くの出会いを頂戴し、今年は強く願ってきたことが叶う第一歩となりました

「法話の会」が広がります

 尼崎市のお寺さんで2月開催が予定されました

     葛城市(奈良県)での開催も準備が・・・・

 
  自死遺族のための特別な祈りの会とか 
煌びやかな正装でのお寺さんでの会もありますが

 ご住職が10人とか20人とかが集まらなくても

ご住職が1人でもいい…2人でもいい

    気楽に集え、気楽に話し合える「法話の会」&「茶話会」が欲しかった

   普段着で集える法話の会・・・・

ようやく広がる気配が見えてきた

    慈恩寺さんとのご縁があって・…・ひろがっています

 それぞれの1回目は参加したいと思っています

      関西方面の遺族の皆さん

     信頼できるご住職です…謙虚で愛に溢れる方々です

       願ってきたことが叶う・・・

  ありがたいことです

       頑張って気合を入れて 自死遺族の会を特別に開催しなくていいのです

   ありのままの宗教者の姿で  素のままで接してくれたらいいのです

        素のまま・・・といいながら  
素のままに見せようという気を使い
こちら側に気を使わせないようにしてくれている・・・

   そんなさりげない 気遣いに感動します

       そんな中でも  お経に関しては日々学び  本物のご説法をしてくださる・・・

    仏様にお仕えする方々は  それがあるべき姿

       自死の予防を偉そうに語ったりするのは違う気がする

   昨日も今日も遺族から連絡をもらう

       新しく 自死遺族が増えていくことが 胸が痛い

   どうか  来年は本当に、本当に意味で 減りますように・・・

  m(__)mm(__)mm(__)mm(__)mm(__)m

      遺族が元気で生きられますように


   

 

     
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心理学の様々


130428_3ニリンソウ[1]

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世間に擦れた人の生き方ってどんな・・・

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私を世間に擦れていない人というなんて  夫も次男も知り合いも大笑いです

   純粋な気持ちを持っているということと  世間に擦れていない…という考え

    世間に擦れているってどんな人

       夫は元役人  国税局の機関で働いてきた

税務署の官舎で暮らして、昔は奥さんたちの世界が大奥のようだったこともある

      夫の肩書きが 官舎での普段の生活に影響する

   上司が移動の時 「内示」がある日は上司のお宅に集まり 連絡を待って

   連絡があったら  みんなに報告して  ご挨拶

   部下の妻は 子供を背負い、一人手をつなぎ、お土産を持ち、上司の奥さんの後に従う


上司の奥さんは手ぶらであるく

お荷物は部下の妻が持つのである

    ご挨拶の時は正装して、 お茶に呼ばれるが
       
      お茶を入れるのは部下の妻  子供を背負い もう一人の子供を静かにさせ
      (静かにさせないと しつけが悪いということで上司の奥さんからお叱りを受ける)

女中のように 接待と片づけをする
 
お金がなくても  餞別とお手伝いと 挨拶と接待は欠かせない

       ひたすら  自分は辛抱して、夫に金を持たせ

         上司に仕える・・・

それができない部下の奥さんは  仲間はずれ

    挨拶しても挨拶してくれない

     完全無視になってしまう
     それを無視して その奥さんとあいさつすると 今度は自分が仲間はずれ

  こころを病んで 官舎を出た人もいる

        そんな中で 反発して生きてきた

  官舎の奥さんたちは働かないことが普通

  でも 私は働いてきたずっと

   お金を借りるよりも  自分で働いて得たいから・・・

      働いてるなんて、やりくりが下手とか、貧乏とかいわれた・・・

 が  1円だって誰もくれないのがお金

       自分で使うお金は自分で稼ぐ…と思ってきた

     親も実の親ではない

    親戚も他人 血のつながりはない人たち

藍の会も税金をもらっている
だが  それ以外に使うお金が多いのも事実

     領収書で落とせないものも多い

   藍の会は宮城県庁のそばに事務所がある

     それは宮城県からの補助金

    法人ではないが県は私の活動を認めている

それだってすんなりともらったわけではない

   あきらめず お願いしてお願いしてお願いして

  伝えて伝えて伝えて

       働き活動をして  きた

      そこからの報酬はもちろんない

    私の人生は 幼い頃から  小説よりも奇なり…のような人生

しかし 私は人を妬まない  羨ましいとは思わない 
           ように生きたいと自戒する気持ちはある

  妬むことはなくて生きてきた  

楽して金儲けしていいナ・…と思うことはあっても…妬みはしない

育ての親を尊敬している

    人間は汚いものであっても  全てに汚い人は少ないと思う

          全てが汚い人がいても  私は全てに汚くは生きようとは思わない

    求めなければ与えられません

     求めても断られ  断られてもまた求め

    それが活動です


小さな楽しみがあるのはいいですね

  私は息子が死んで  楽しみはひとつもありません

    楽しみを見つけようとも思っていません

  息子が死んで  楽しいことなんてありませんから・・・

      楽しいという言葉が嫌いです

  楽しみがある遺族もいいと思います

      楽しく幸せに暮らせたら  それもいいと思います

      楽しいと思える遺族もいいと思います

      否定はしません

 私はできないだけですから 

  化粧をして  洋服も買い  旅行もして  美容院に行き

  趣味もし、美味しいものも食べ 温泉に入るのもいいでしょう

        私はその時間とお金を

       自死の問題や遺族の問題に取り組んでいるだけ   
  

ゆたかさとは・・・

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家族の経済を支えてひた人が亡くなった・・・場合

 たぶん 息子の嫁は 働いていない

 生命保険が数千万円  退職金・…貯金で1千万円

   遺族年金が子供もいたので  20万円近く

  桜ヶ丘という高級住宅地に 二世帯住宅を購入し  両親と兄と5人で住んでいる
   
 葬儀のお金も1円も使わず
        供養もせず  お墓も知らず  お参りもせず
     
    でも  活動はしていない

  私たちは 息子の結婚式で多額のお金を使い
      葬儀もして、墓も建て・・・・
  1千万円は使った

     もちろん保険金も入ることもなく ・・・・・・・・

    警察からの埋葬金さえも 埋葬しない嫁がもらった

   埋葬はわたしたちがした

      息子の嫁は息子が亡くなっても経済的に困らない

 むしろ わたしたちよりも裕福な生活

   仙台の一等地の住宅地に  それまでの両親の古い住宅を売り 引っ越した

   息子が一生懸命に働いてきたからこその死後の生活の保障である

       それをうらやましいとは思わない

       夫の命が喪われ  金・・・ですか

  死後 生活費に困るのは それまでの自分たちの生き方

       それに 私は支援とは思っていない

   どれほどの思いで  私が一人で  会を立ち上げたのか  

       わかるわけがありません   息子と私の間でわかることです

     私のことを あなたという呼び方をする人は
        私よりも年上でしょうね
     
    金があるのと  気持ちは別です

   自死遺族という仕事ができる遺族はある意味いいですね

  経済的に困っている遺族に遺族という仕事をさせてくれたらいいのにね

      亡くなった人のことを思い悲しいのではなく

     経済的な苦しみで悲しいとしたら   人への悲しみではなく 金の悲しみ

    たぶん  息子の嫁よりは経済的に豊かではないと思いますが
                 私は 清掃員で働いて活動してきました

  息子を亡くしてそれまでの仕事ができなくなってやめたのですが
    活動資金を稼がなければ…と 泣きながら働いていました

  だから 泣いてもいいように   一人でできる掃除の仕事を探したのです

     泣いては掃除  泣いては掃除

  雪の日も雨の日も   ひたすら 働いて  活動費にしていました

      それをみて  
講演をさせてくれたり  寄付金をくれる団体を紹介してくれた人もいます

    自分が生きるために必死で立ち上げた会です

    暗いと不平をいうよりも  進んで灯りをつけましょう・・・・・・・という言葉が好きです

無償活動への批判???

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私の人生の何を知っているのかと思うようなコメントをいただきます。
努力もしないで恵まれているように見えるのでしょうね

活動のために、資金を得るために、マンションの掃除をしました。歩くこともやっとだったので事情を説明して、2か所のマンションを午前中3時間、午後4時間。
1か月8万円の給料をすべて活動の資金にしました。
それまで働いて貯めた貯金も全てつぎ込んでの活動です。
夫がいて、働いてくれているので生活費はありましたが、
それは若い頃から努力し、貧乏な中で県立の高校に入り公務員になり、懸命に働いてきた結果です。
息子が死んでから化粧もしませんし、着るものも買わず、髪の毛も自分で切って、自分のためには何も買わずに活動費としましたが、それで当然と思っています。

 ご主人が亡くなって、生活が大変な人には仕事も世話したこともありますし、保証人にもなったこともあります。
米も送ったり、食べ物も送ったり、また遺児にも就職の世話をしたこともありますし、自分が質素にしても洋服を買ってあげることもあります。お金を貸してかえって来ないこともたくさんあります。
 それでもいいと思っています。

夫は税理士として、今も66歳で働いてくれているから、できる範囲での援助はしていくつもりです。
裕福ではなくとも 健康で生活ができることだけでいいとわたしたちは思って暮らしています

 生活費は自死ということを売り物にしてではなく、普通に働いて得ればいいはずです。

普通に介護福祉施設で働いていたり、看護師として働いていたリ、昼も夜も働いている人もいます。私もそうやって働いてきました。家族の自死の問題で生活費を稼がなくても、清掃員でも警備員でもなんでもあると思うのです。

 私を批判するためだけのブログが存在していました(今は存在するかどうかわかりません、見ないことにしたのです)
故平山先生から引き継いだ「二次被害保護法案(仮称)」の運動では、
一緒に活動しようとした司法書士二人(有名な人たち)に電話が頻繁に行き、私の批判と私と一緒に活動したら、司法書士の仕事ができないようにしてやるとまで言われ、一人は仕事のこともあってわたしたちとの活動はやめた、
もう一人の司法書士は電話ではなく書面で田中さんの批判を書いて送ってほしいと伝えたという。あまりにも頻繁に私の批判の電話が多くて仕事にならないから…と笑っていました。
 弁護士も同じことを言う人がいました。
遺族もです。
   弁解した方がいいよ・・・あまりにもひどいことを,言われているよ,と 司法書士の一人は言っていました

  私は水商売もしたことがありますし子供が小さい頃は
、内職もずっとしてきました、泥棒や人殺しはしませんが仕事は何でもしてきました。
人からお金を借りるよりは とにかく働くこと・・・・それが 育ての母の教えです。

     社会福祉資源は向こうからはどうぞとは言いません
だからこそ「ソーシャルワーカー」的支援を求め、お願いをし続けてきました
 私も「総合支援」を目的としています。

   ソーシャルワーカーであること・・・・・

   私への批判がないとおっしゃる方は・・・・・・あまりにも 現実を知らなすぎですね

家族の経済を支えてきた人の自死ではなく  子供なら経済的に困らなくていい・・という言い方もされますが

 経済は働けばなんとかなる・・・ その前に生活設計を立てて結婚生活をするもの
健康ならば働いて少しでも・・・・ 
 
結婚は貧乏で余裕がなかったから、 (公務員の給料は安く夫は贅沢だったから)
 持参金は全て使いはたし 内職をし、子供のものは手縫いで手作りで・・・・
 化粧もせず・・・・・・・ずっと働いて(親いわく180度わがまま娘が変わったといった)
     それでも子供は大学に行かすこともできず・・・・高校まで・・・
  どんなに貧乏でも 子供の自死という肩書では飯は食わないと決めている
仕事は何でもあるから・・・・
         自死で生活したら  自死が無くなったらどうやって生活するのか・・・
     
  化粧して派手な洋服着て、酒を飲んで、旅行して、それも生き方

    私はそれはしないと決めただけ  活動に使うと決めただけumebatisou011[1]


      もう十分に 生きたから・・・・息子よりも贅沢に生きたから

     
 
            

金と名誉・演じる人

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 自死という問題を他人事で生きていた時は 

         政治や官僚・行政に興味もなかった

 日々楽しく 不平と不満を言い  自分の欲望のままでいきていた

      子供が死ぬなんて 思うこともなく…幸せいっぱいに

    健一が仕事に行かれなくなっても 精神科に行って・・…妻も子供もいるから安心していた

   突然の自死

     天地がひっくり返った思いだった

   その後は自死の事だけを考えて生きてきた

      中途半端な活動はできない  息子のいのちの問題だから

    だから この問題で飯は食わない

            自死予防や防止、遺族支援という活動で収入を得ている遺族がいるが
                 私はしない
     支援者という人たちも  この問題で収入を得て生活の糧としている人が多いが
               嫌悪感が湧く

      生活の収入源がこの問題だとしたら
        自死は減らないほうがいいだろう 

  少しだけ減って…また増える…そんな繰り返しがベストだろう
        海外にも支援の講演に行ったり

     日本全体が減った時も  自分たちが関わっている地域が特別に減ったように宣伝し
         周りが減って自分たちの関わる地域が増えたときは
           人数に拘るべきではない・・・とかいう

      富士市のように 増えたら沈黙する地域もある

   モデル地域という言葉に惑わされてはいけない

     〇〇〇モデルとか遺族支援のモデル地域とかいうのは

    先駆的な 素晴らしい対策をしている地域ではない

         ある特定の人たちに 金を支払い 
調査研究をして発表してもらった地域がモデル地域と指定される仕組み

   モデル地域を指定している人からの話し

   「田中さんも宮城県や仙台市をモデル地域にしたかったら
    自分たちにお金を出して調査研究させてくれたら指定になるよ」・…といわれたことがある

  そんな程度なのだ

     仕事で遺族として働いている遺族の話と
           無償で遺族として活動している遺族の話

     遺族という仕事をしている遺族は  見栄え良く脚色して感動してくれるように話す
        時には泣きながら・・・・憂いを帯びた顔で・・・俳優だ

  そういえば  自死遺族支援者のための研修の手法の一つに 演劇の手法があった

   演じる・・・・・・こと  が  大切のようだ

      仕事で関わっている人たちは  それを見て感動する

      自死がゼロになった時  彼らは  失業

              純粋に自死の問題に取り組んでいるとは思えない

    長崎・秋田・京都・神奈川・足立区等々……NPO法人ラ〇〇リ〇クと仲良くしている地域ばかりが
      モデル地域・・・・になっている…

どれだけ税金が流れているのだろう 
    どれだけ  製薬会社から流れているのだろう

    カネまみれの自死の対策
        

        

手紙を書いてます

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ここしばらく書けていなかった手紙を書いている

頭を布で縛って(昔の殿様が病気になったら紫の布で頭をしばっていたような感じ)
    頭がぼーっとするのを防ぎながら
    濃い目のコーヒーを飲み~同封する資料の印刷をして、綴じて…コピーもして・・・ファイルにいれて・・・

     明日早々に郵便局に行き投函予定

    お手紙を書きますから・・・といいつつ  日にちが過ぎて 行くことに心苦しく思いながら
        オーバーワーク気味の毎日を過ごしている

    今年中には 約束した人たちには 出したいと思っている

       仏壇の花も買いたいが・・・・髪の毛も切りたいが・・・

      がんばろう


 

世界に一つだけの花




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花屋の店先に並んだ
いろんな花をみていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね
この中で誰が一番だなんて
争う事もしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりたがる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


困ったように笑いながら
ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも
きれいだから仕方ないね
やっと店から出てきた
その人が抱えていた
色とりどりの花束と
うれしそうな横顔

名前も知らなかったけれど
あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で
咲いていた花のように

そうさ 僕らも
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい


小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
No.1にならなくてもいい
もともと特別な Only one


生き方

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故で子供を亡くしたおや・・・・つなみで・・・自死で・・・病気で・・犯罪で・・様々
そんな中で 裁判をする人もいる
        自分ではできないが応援する人もいる
   声をあげて子供の死を伝える人もいる

      声の上げ方も  裁判をする人もいれば  自分の思いとしての発言や
      本を書く人  子供への思いを被災地から離れないという形で表す人もいる

    裁判をしている人を批判する人は多い

      批判は自由

      裁判も自由  

          人は自分は見えない

    自分の背中は見えない   

   自分の生き方…考え方  行動  姿

      どう人に見えているのか・・・・・・・・

しかし 人の背中や姿はよく見える

         自分の亡くなった子供がかわいいように  
他の人も自分の子供はかわいい

   自分の子供が世界一かわいいのは   自分だけ

不細工でも障害を抱えても  自分の子供はそれぞれに世界で一番かわいい
     それを認めあうこと・・・・
    その気持ちがないと・…押しつけになる
押し付けてないというかもしれないが
        傲慢だ

    頭脳の良さを  別な方向に働かせてしまう人がいるが 残念だ

      深い部分まで同じ悲しみではない

    一人ひとり違う

      違って普通  

        亡くなった子供のために生きる方法も違う

    子供のために生きない…という親もいるかもしれない

  いろんな親がいる

    支援者にこんなことも言われた

「子供を殺す親だっている」と・・・

     そりゃそうだ  「親を殺す子供だっている」  

   しかし

  私と息子健一の間にある気持ちは 誰にも批判はできない

      誰にもわからない   私と健一の間だけの気持ちだから

     私は健一を今も愛している深く深く・・・

      だから今も深い悲しみがある

   私も息子の命の意味を活かしたいと思い   遺族の会を開いている

    いのちの意味を  伝え続けることを  他人に批判されたくない

   伝え続けようが沈黙して生きようが  他人に迷惑はかけていないのだから

      今も息子を愛していることを 批判されているのと同じ

   裁判しようが  語り部をしようが

    ボランティアをしようが  離婚しようが  結婚しようが

        旅行三昧しようが
   贅沢三昧しようが
                耐え忍んで生きようが
     ルンルン気分で生きようが  泣いて生きようが

         人の悲しみの抱え方・…人はそれぞれ

    私の生き方を私が語るのも自由  

      誰にも生き方を押し付けてはいない

         それぞれ自分の生き様はどうなのだろうか

     亡き子供が お母さん頑張ってるね・…ありがとう…といってくれているのだろうか

      私は 子供を救えなかった自責の念を抱えて生きている

        自分の子供を自分のいのちを捨てても守るべき子供の命を・・・
        子供に自死というこの世の地獄の選択をさせてしまった親の責任を感じている

        息子も私を今も愛してくれているのを感じる

      カァチャン   大丈夫だよ…という声が聞こえる
        夢の中の健一はいつも優しくいつも微笑んでいる

    私は「息子を愛している」

         子供を愛せない人は   子供からも愛されていない

         自分がを中心に世界は回っていない  どのような世界も・・・

    

震災で家族を亡くした遺族の声を聞かない被災地の「心のケアセンター」

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震災遺族による震災フォーラム   今年で3回目

「みやぎ心のケアセンター」

 震災後に岩手県や福島県と共に 東北3県の被災県に できた

   被災者の心のケアのために・・・

       ここには1回目から「チラシ」を持参している

    今年も みやぎ心のケアセンターに届けた

       誰も来ない

   3回とも誰も来ない

        被災者の心のケアを目的として設立したセンター

   震災で家族を亡くした遺族がたくさん集まるフォーラムに来て
     つなみで家族を亡くした遺族の話を聞く・・・という意識はないのだろうか

    誰の心のケアをしているのだろうか

     被災者の・・・しかも 家族を亡くした遺族の話を聞かない
        「こころのケアセンター」 被災者のための「こころのケアセンター」

  誰のどのようなケアを目的としているのだろうか

      センター長に書面で聞いてみようと思うし、震災の復興担当者にも書面で問い合わせたいと思う

  こころのケアは必要としていないが

     遺族のフォーラムに担当者が参加して遺族の声を聞くという姿勢を示すことも必要ではないのか

      遺族の声を聞く姿勢も示さない「心のケアセンター」の態度に 憤りを感じる

     どうせ 精神科につなぐことしか考えてないのだろうから

        遺族は世話にはならないけど・・・・

      税金を使って・……・ケアをしているというなら
             一度は参加してもいいと思うのだが  バカにしているのだろうか

     
            万事がこんな程度のケアなのです・・・・

    被災者の支援でさえこんなもの

       自前で 懸命に活動をして・・・
支援をしてくれている人たちの力の方がどんなに役にたっているか

  1年間3億円の税金を使い・・・・・・・・・遺族の声も聞かない

      被災者のことを真剣に思ってくれているとは思えない

       自死遺族支援でずっと活動の連携をしてくれている

            精神保健福祉センターの人が個人的に参加してくれていた

    心がある人は 仕事を抜きにしても心を寄せてくれる

    ありがたい・・・

      

それぞれの意味

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遺族も様々

  生き方も考え方も悲しみ方も違う  一人一人の人生

   活動もそれぞれ・・・・


  喪われた命の意味をどうとらえ  どう表現し どう活かすのか

   死んだという事実だけでいい…という人もいる

       自分の子供だけ周りが認めてくれたらいい…という人もいる

     生きることも 活かすこと・・・
   
   亡き人への思いを表す方法はそれぞれであたりまえ

       押し付けられている…という人も   誰かに押し付けていないだろうか

  自分が前向きと思うことが  誰かの後ろ向きのこともある

      自分が自分が・・自分が

     全員そうだと思う
   
     それでいいと思う

        自分が世界で一番悲しいのだから…全員それぞれに・・
    
    認めようが認めまいが   事実は事実

        目立つ活動をしている人は  非難の的になることも事実
    
      ただし  本当に亡くなった人のことを思ってる活動なの?と思うこともある

        活動の自慢は・・・???

    しかし自慢した方が マスコミも行政も認めることは事実だ

       誇大宣伝に惑わされるのは
     
  
    やる気のない ひとたちは


      自分が本当にやろうと思っている人たちはパフォーマンスの派手さには惑わされない


    やりたい理想を語る人と  実現している人は違う

        理想論と活動のギャップに悩んでいる人こそ 
本物であり理想を実現する人ではないのだろうか

           理想論だけでは社会は変わらない

     日々実践と反省と学び    

        自分よりも優秀な人の意見をどれだけ受け入れられるか・・・・

   自分よりも優秀な人たちとどれだけ出逢えるか・・・・

   自分よりも優秀な人たちの話を理解できるか・・・・

        喪われた命の意味は  それぞれに思うこと

  しかし 伝えることは 自由

   伝える方法も自由

          だが 亡くなった 自分の愛する家族が   自分の言動をどう見ているのか・・・

            意識して生きてほしいなぁ~~~~~~と  お婆は思う 

法話の会

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ブログを書く時間がなかった・・・・・

  書きたいことはいっぱいあるのに 



広報の意味でフィースブックは書き込んでいたのだが・・・


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 「法話の会」が広がりそう

自死遺族支援や遺族支援の団体は
自死遺族や遺族の「自助グループ」が邪魔のようだが・・・
(あの手この手を使い、遺族本人たちの活動の邪魔をしてきたし、今もしている)

 「法話の会」は 宗教者が自分のお寺で開催することなので
      国や支援団体からのイチャモンはない・・はず

   補助金をもらうこともないし…寄付金をあてにすることもない

    紐はない・・・・・・

      自由にお寺さんと遺族で開催できる・・・・・・・

    こころのあるお寺さんと遺族との出逢いの場

   もともとものお寺さんの役割として 関わって下さる・…お坊さんたち
      
   支援しよう…という気持ちではない

   一緒に悩み一緒に考えて・・・というスタンス

         遺族支援が金儲けになるという考えは一切ない
     遺族支援で有名になろうという 考えも一切ない

          無償の愛

      お釈迦様の阿弥陀様の教えに従い・…・宗教者としての生き方を・・・・

    「 セルフヘルプとセルフヘルプサポーター」

素晴らしいセルフヘルプサポーターだと思う  
                 感謝でいっぱい・・・ですm(__)mm(__)mm(__)m 
    
     市民活動は 権威や利益とは関係がない

    だからこその強みもある

     こころでつながる活動  

  金や名誉や権威でつながる関係は  金がなくなると崩れる

      必ず 真の活動とはどんなものかが理解される日が来る

    パフォーマンスがうまいだけの人たちは  
大いなる力の存在を信じていない人たち  

 亡き人たちのたましい・…の存在も信じていない人たち

    たぶん おそらく  天国も極楽も信じていない人たち

    あの世も信じていない人たち

     だから平気で 自慢話をして自分を誇示し・…金集めに精を出している
      
  亡き人を話のタネにして・・・・

    亡き人は見ています・・・見られていると思う気持ちがあったら

       遺族の活動を潰そうと思わないはずです
       
          応援しなくていい…・支援しなくていい・…邪魔はしないで欲しい

             と  思い続けてきた8年…9年・・・・

         

  
 

怒りとエネルギー

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最近自死遺族支援団体の職員の自死遺族がそこの団体の代表とペアで会合等に参加して、
自死遺族の代表のような発言をしている。

いつも同じことをその遺族はいうのです

「自死遺族が語れる社会にしていかなければなりません」
「語れるようにするためには遺族は自死遺族というべきですが、亡くなった人は自殺で表していくことが大切です」と。

   自分たちの法人団体から給料をもらっている遺族だけが発言し活動をし、
    他の遺族が発言し活動をすることを許さない団体

   遺族が語れるような社会にしたいなら
 自分だけが…「3人ほど」(親を亡くした子供と夫を亡くした遺族)
いつも全国で発言するのではなく
     全国で活動をしている遺族の声も取り上げてこその支援団体だと思うのだが

  自分たち以外の遺族は精神疾患だといわれても 反論はしない

 自分たちだけが まともな自死遺族で 他の遺族は精神疾患扱い

   その人たちは
       私のことも 排他的人間  いかがわしい団体と言いふらしている

 多くの人たちは 田中は大げさに言っていると思うかもしれないが

  ここには書けないような ひどいことが行われている
      それが真実であり現実

   だから・・・・・自死は減らない

       減るわけがない

            自死が減ると困る・・ということも言っている

   予算が減るから・・・国からの補助金も減るから

       給料をもらってNPO法人の遺族の広告塔になっている遺族の言葉と

        無償で活動をしている遺族の言葉・・・・・

            やる気のない行政や金の欲しいNPOは涙ながらに訴える遺族の広告塔を信じる

              泣いていては活動はできない
運動はできない  
           公の場で泣いて、お涙ちょうだいで同情を買う手法は嫌いだ

         自然に涙があふれることはあるが・・・
 最初から見せ場を作り、泣く気満々で壇上で話す人は遺族ではなく演じる人だ

       15日・・・ 怒りというエネルギーをたくさんもらった

  全国のそれぞれの地元で活動をしている遺族

     亡き人への 思いのある遺族・・・・・  

          やさしい人たちがやさしいままで笑顔で生きられる社会

    そんな社会になることを願い 声をあげつづけるこれからも…息が途絶えるまで

          

自死遺族を看板に生活費を稼ぐ人たちの団体

自死対策の専門家のような顔をしてい清〇さんが中心となって作った「自殺〇〇〇〇学会」が、国会議員を利用し、不穏な動きをしている。
「自死対策」の国の予算をこの学会に持ってこようとしているようだ。
麻〇議員の親族も巻き込んでいる。この清〇さんの系列の団体は、国に「自殺対策には金が必要だ」といつも要望している。震災後は、厚労省からの金でここに所属していた人たちが新たなNPO法人を立ち上げ、被災地で中身のない支援をしている(派手に皇族の訪問を受けたりしている)
自死遺族当事者もいる団体というのが売りだが、職員として給料をもらって活動している遺族が数人いるだけ。
団体職員として給料をもらっている遺族の声と、無償で活動をしている遺族に「役立ててほしい」と声を届けている2000人以上の遺族の声と、どちらが色がついているのかわかるはずですが、自死遺族という立場を売り物にしてNPO法人の職員として給料をもらい生活している自死遺族の声は純粋ではないと私は思います。
そして、自死遺族という家族の死を看板に生活費を得るって・・…本当に亡くなった家族の尊厳を守っているといえるのでしょうか。
「自死を語れるように」というのが口癖ですが、他に声をあげている遺族の声は潰して、自死遺族は声をあげられないから私たちが代わって・・・といっている。
金に魂を売り、自分は自死遺族と呼んでほしい。死んだ家族は自殺でいい、という人。亡くなった人を愛しているのでしょうか・・・
 
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傷つき・…・は学び・・・

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たくさんの自死遺族も含む遺族とのご縁をもらい…
(年間300人以上~8年と半年で 2千数百人以上の遺族とのご縁)

 ひとりひとり皆違う~

  裏切られたこともたくさんある・・・
    騙されたこともある・・・

静かに去る人    泥をかけて去る人  様々

   しかし  多くの遺族はやさしい

    こんなにまで恩義を感じてくれるなんて…と恐縮してしまうこともある

        支援者も同じ

   やさしい人もいる

    ひどい人もいる
                 偉そうな人もいる

   年間1万件の相談を受ける

      大勢の行政の担当者とも会ってきた
マスコミも・…宗教者も   医師も・・・・

  専門家が主催する講演会やシンポジュウムにもたくさん参加してきた

      数えきれない人たちと会ってきた

息子が逝ってから9年過ぎたが・・その間

   私がそれまで生きて会ってきた人数をはるかに超えた

     名刺だけでも莫大な数になる

 手紙も 2000通…3000通はあるだろうか・・・

    もっとかな・・・

    FAXでの相談も手紙も・・・数えきれない

      紙の資料の破棄が1か月 燃えるゴミ袋で数枚

     捨てないと 紙の資料で私の部屋が埋まってしまう

       遺族に傷つけられても   「元気になってよかった」と思うことにしている

     私に泥をかけるくらい元気になった・・凄いなぁ・…と思う

          自分もまた 誰かを傷つけているかもしれない・・と思う

     自分も多くの人に支えられて生きている

          私がうるさくいうのは  国の税金を使い 
 支援します支援担当者です支援の専門家ですといいながら  
          「遺族の話を聞くと疲れる」という人たちや
   「遺族はこうだあうだ」と裏で批判している人たちや

    遺族には言わないが  報告していたり本に書いたりしている人や

       遺族を蔑んでいる人たちに 意見をいうだけ

      支援者たちと同じところで話し合う機会が多いので、支援者の様々な裏が見えます

     できるだけいいところを探していますが  偉そうな人は好きにはなれないのです

    たくさんの人と出会い  たくさんの人から学び反省し

        少しずつでも 心の広い人間になろうと思ってはいるのですが
                  なかなか大変です

      明日は朝早くに東京  泊り
月曜日には小平市で会合
     夜帰宅予定

   自死遺族支援の指針改定に向けて  意見書として指針を作ってみた41ページ

   指針に対して 一か所ずつ 意見を述べても どうにもならないくらい違いがあるので
         作成してみたが、もちろんたたき台であって
           完成ではない

   議事録の見直しもある・・・・いつも書類とのにらめっこ

       これから寝て・・朝6時起床予定・・・
      

21年作成のパンフレット

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今  事務所にいる

これから  ブロック会議の会場に向かう~ここからはすぐ~

「大切な人を亡くされた方へ」という二つ折りのパンフレットを21年に作った

 宮城県自死遺族支援連絡会として 企画した

   3万冊印刷

 「大切な人を亡くして悲しむことは、とても自然なこと
  その深い悲しみは あなたがその人を愛した証し

ひとりその感情に向合うのもいい
大切なその人へ手紙を書いてもいい
身近な人と思い出を語り合うのもいい

家族の中で話せないことは 電話の向こうの人に相談してもいい
自分ひとりで抱えきれないことは 同じような経験をした人たちと会ってみるのもいい

その感情を無理に堪えなくていい
大切なことは あなたがあなたのままでいること」

こんなメッセージを掲載した

相談担当者のための指針

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ようやく明日のプレゼンの準備を終え・・・

14日まで提出の指針を作成している

   自死遺族を支えるために…という指針
   改訂の時期がきた

   6年待った
 
 一部の箇所を指摘して訂正をお願いしても通じない相手なので

 全国自死遺族連絡会としての
自死遺族を支えるための相談担当者のための指針を作成することにした

自死遺族が求める支援や担当者へのお願い・・・

   傷つけてからケアされても仕方がないので

 まずは 傷つけないで欲しいということも含めて

 遺族に必要な支援をまとめてみようと思っています

     15日 指針の改訂のための会合が開催されます
   
もちろん参加です

  15日まで 忙しすぎて めまいがしそうです

    文書作成は神経を集中しないと できない作業なので(私は) 夜中や明け方・・・
  気分が乗ったとき

    悲しみのケア…遺族は悲嘆にくれて 生活もできない人のような内容ではなく

       具体的支援に結びつけられるような内容にしたい

    20日の震災遺族による震災フォーラムのチラシも記者クラブに配布し
 みやぎ心のケアセンターにも念を押しておいて来た
    今年は来るだろう・・・・・たぶん

    被災者のための作られた 
こころのケアセンター の職員が震災の遺族の話を聞こうとしない

   誰のための心のケアなのか・・

  仕事としてきたらいいだけなのに  仕事としても来ないのは問題だ

      自死遺族の話を聞いてくださいと言っているのではない
   震災の遺族の声を聞く機会をフォーラムという形で公開しますので来てください・・
            といっても来なかった が  今年は来るだろう 

     今からまた指針作成に集中します

悲しみは生き方を変えた

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 私は息子が逝き  妻として生きるのをやめた
     夫婦として生きることをやめた

   女としても生きることはやめた

   一人の人間として 母として生きようと決めた

   欲望は極力捨てて生きようと 常に思っている

    食欲は旺盛・・・・この欲望は捨てがたい
         物欲・・・・はない
    性欲は全くない

   自死の問題だけで生きている

  寝ても覚めても   常に自死の事  息子の事

     自死の問題だけを考えている

    認めてくれている家族に感謝している

      夫婦ではなく 家族として仲良く暮らしている
    
     人は自分と比較するものだが・・・私はわたし 人は人

       私の生き方

   誰の生き方でもなく私の生き方・・・

        亡き息子とともに家族は円満で健康です…感謝      

胸が苦しい

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なんだか胸が苦しい

   圧迫感がある

   悲しいという気持ちで パンパン

   特別の息子を思ったわけではなく  いつもと同じに過ごしているのに

        なぜか急に 胸が重たくなっている事に気がついた
    
   なぜ重たいのかと  考えてみたら  息子への思でいっぱいになっている

       自死遺族の支援をします・・・しています・・・という 国と地方行政の担当者たち

     どうして 遺族たちが自分たちで活動をしていることを 邪魔するような行為をするのだろうか

     支援してほしいとは思っていませんから  邪魔をしないでください

  せめて  活動の妨げはしないでください

      何をしたいのでしょうね
          自死遺族支援とは自死遺族の活動を邪魔して
   遺族が  お願いします助けてください・・・と  憐れみを乞うことを望んでいるのでしょうか

       あなたたちの支援がないと生きられないんです・・・・と 土下座でもしてほしいのでしょうか

     実際に土下座して  支援をお願いしても

       悲しい話を聞くだけですよね

      いつまでも悲しいなら精神科に行きなさいというだけですよね

        支援の内容がそうなっていますよね

      そんな支援は必要ないのです

       でもあなたたちは  その支援だけに固執しています

     だから  仕方がないから自分たちで 活動をしているのです

    が   気に入らないようです


     国の決める対策のモデル地域

    先駆的な対策の地域、お手本となる地域とおもいますが

  実際は   ある機関にお金を提供し、調査研究をお願いした地域がモデル地域として紹介されます
(このからくりは 機関の長が語っています)

 宮城県がお金を出して、調査研究させてくれたら  
宮城県を
自殺対策のモデル地域にしてやるよ・・といわれたことがある

自死遺族支援のモデル地域も同じ・・・

      それでいいのかな・・・

  だから 秋田も長崎も横浜も足立区もモデル地域・・・

      その他にもたくさんある・・・・

   参考にならない地域なのに・…国の対策のモデル地域
 
最近憤ることが多くあって  胸が痛くなったのかもしれない

     息子が心配しているのかも・・・


   
 

悲しみは心の傷ではありません

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支援者たちの自己満足「グリーフケア」という支援

 もともとは末期ガンの患者のためのケアの考えかた

   自分が死にゆく悲しみや苦しみをケアされる…そして死を受け入れる

  それがいつの間には 「悲しみは遠くから見たら皆同じだから」(日本のグリーフケアの専門家の言葉)
      死別による悲しみも、物をなくする悲しみも、仕事を失う悲しみも、転勤という悲しみも
    クレヨンをなくした悲しみも・…あらゆる喪失の悲しみをひとくくりにして
「喪失体験」「悲嘆回復」「グリーフケア」という考えとして広めた

     愛する人との死による別れ・・・
     永遠の別れ~二度とこの世で会えない別れ~
  買うことのできない命
  代わりのない命
私にとって健一という子供は健一しかいない健一の命は健一だけの命
    誰も健一の代わりにはならない

  人のいのちが 物と同じ価値だという発想が 愚かだ

猫と犬とクレヨンと家と仕事と・・…人のいのちと同じ価値?
 
  子供の命が喪われることと
           クレヨンをなくしたことが同じ・・・?

極端に言えばそんな考えがグリーフケアである

    そんな考えの人たちは自分の家族は死なないと思っているのだろう
自分の子供が突然死んでも・・・・
      物を失ったときと同じ悲しみでいるのだろうか

     それって人間?

  支援者たちだけの満足・・・癒してあげたい人たち

  悲しい人はかわいそうな人・・・とみえるのだろうか

     かわいそうな人を救ってあげたい人たちが「グリーフケア」の勉強に熱心だ

  息子が逝って9年が過ぎたが  今も悲しい  今でも愛している

    しかし 私は元気で生きている
悲しみがあるのと元気は違う・・・

    身体の一部として抱えながら生きようと覚悟を決めている
 息子への悲しみは私の体の一部となっている それでいい…いつも私の中に生きているから

    最近グリーフケアに嫌悪感さえ感じる
         私の知っているグリーフケアを唱える人たちに
           私の悲しみは触られたくない
  息子と私の間にある愛と悲しみは グリーフケアをしたいという人には見せない
    もったいない・・・・
  大切な愛しい息子への愛だから 

               

      

精神医療

私は自死遺族としての活動が主。
全国自死遺族連絡会として、様々な活動がある。

その中の問題の一つとして精神科医療がある。
  だから声をあげ、具体的な解決支援も少しはしている
 
 生活のすべてを精神科医療の問題には捧げられない
自死遺族の問題が山のようにあるから・・・
 その問題の是正のために 
日々遺族からの相談を受け遺族に元気に生きてもらい
そして 国も含めて社会全体にある自死への差別問題の撤廃運動をしている。


  精神医療の問題に真剣に専門的に取り組んでいる人たちの邪魔にならないような活動はしているつもりですが、活動の全てが精神科医療の問題に特化しているわけではないのです




精神科医療の被害者にならないように 正しい精神医療の在り方や精神薬についての知識を広める運動は大切です。そこで知識を得て 断薬や減薬に挑戦していける患者も多くいますが、その中で様々な複雑な問題を抱えているけど、家族が、本人が減薬や断薬を望んでいる場合・・・受け皿となる人や施設がないことは大きなネックとなる。継続して支援ができる体制ができていないままに相談を受けていると、無責任な対応になってしまう。
その狭間で、寝る時間を削ってしまう自分がいる。
精神薬で寝たきりの状態になって、精神病院の老人病棟に入院(徘徊の患者が多いので、斡旋されている)本人の意識はない、しかし自分も家族がいて生活のために働いているし、部屋も狭く子供もいるので1日もひきとれない、生活保護を受けている。(娘からの相談)その人をどのような方法で別の医師のいる病院に移せるのか・・・
病院から病院に・・・しかも減薬して断薬してくれる医師のいる病院に。

  ひとつの方法は考えたので伝えたが動くのはその人自身。
  手順次第で可能な方法だが、順序を間違えると二度は使えない。
そもそも減薬断薬してくれる医師がいて、しかも入院設備がある病院が少ない。

  
  

指針作成

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 「自死遺族を支えるために」
~相談担当者のための指針~
自死で遺された人に対する支援とケア
  というのがある
一度目の発行の時は
何年間も検討会議が開かれ  最終的に決める段階で一度だけ呼ばれたことがある
  担当者から
   田中さんが主張する自助グループという考えが正のか定義を示せ!
    裏付ける論文を提出しなさい!といわれた

  私たちが主張する意見は一か所も通らなかった
  だから 協力者のところに団体名を掲載する事を断った
  許しがたい内容の指針に協力者として絶対に掲載されたくなかった
しかし
  指針に団体名が載った方が 田中さんもいいんじゃないですか・・・などといって
私の掲載拒否を無視して 掲載した部分もあったので抗議したこともある

   全部印刷やり直し・・・・・・・・・してくださいといったが  
困った様子だったので許したこともある

     その後に一部改正のときもあったが
私たちの意見はほんの一部で取り入れただけで  大事な部分はそのまま・・・

   自死遺族の自助グループの説明を  
自助グループの専門家でもない人たちが作っているから 見当違いが多い

   自助グループの研究者の教授と実際の自助グループの全国団体が活動しているのに
         自助グループの素人が説明をして指針を作るのはおこがましいこと

   支援グループの説明は支援グループに意見を求めたらいい

    そして  どのような支援が必要なのかを 
 当事者である日本の自死遺族の団体に聞くべきだ

自死遺族支援についての要望書を7年間提出しているのだから国に~ 
   その要望書を参考意見にすることもなく
      決めているから 遺族が求める支援とほど遠い内容になっている

    昔は 遺族が支援について要望書を出すこともなかったから
支援者たちが決めたとしても
今は 当事者である自死遺族の団体が要望書を作成し  国に示しているのだから
  無視することはしてはいけないはず

   全国自死遺族連絡会として 自死遺族を支えるために…の指針を作成しようと思う

       自死遺族が作る自死遺族のための支援とは・・・
  支援担当者に望むこととは・・・
      12日までに作成です

昨日は東京

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昨日は 朝早くに東京に~

野田先生と待ち合わせてお茶して~親子の精神薬の相談を受けてもらい(野田先生に)

 その同じビルの喫茶店で講談社の編集長と3人で本のお願いをして~

 その後に 週刊誌の記者と野田先生と3人で遅いランチ~

   3時15分待ち合わせの上智大の岡先生のもとへ~タクシーで急いだが間に合わず
      35分着(すみません先生)
4時15分まで  指針の相談

    45分に朝と同じ喫茶店に戻り 賃貸物件の問題でジャーナリストと話し合い

    気がついたら  7時45分

  慌てて 新幹線乗り場に行き  8時16分のっ新幹線で ̄仙台に

      鯵と小鯛の駅弁(鎌倉で作っている…お気に入り)を食べて  

 その間に 電話やメールが頻繁にあり・・・

      メールの返事  26通~

   帰宅後 パソコンのメールの返事

     それと  

   12日に開催される内閣府のブロック会議のプレゼンの資料作成

     ダウン____背中が痛くて  起きていられない

   ひたすら寝て~~~ 今朝 届いていたFAXのチェックと手紙を読み

     12日までの 自死遺族支援の指針作成と
        12日のプレゼンの準備と~震災フォーラムのチラシ印刷

       講師の依頼書も出さなくてはならない・・・

    ブログを書いている時間が合ったら 

 忙しいという前にやることをやればいいと思う人もいるのでしょうが

       ブログを書く時間は  ほんの少し・・・

   思うことを ただ・…打ち込んでいる

あっという間に終わる・・・

    たま~~~に  書いていて  やめるときもある

     書いていて 電話が来ると  もうおしまい

      途中で違う気持ちが入ると・・・・・思いが違ってしまうから

   電話が頻繁にあるときは  書いてはやめ書いてはやめ

      結局書かないでおしまいの時もある

  最近フェースブックが多い

     情報発信が簡単だからかな???

    ブログを書いている私を暇だと思う人も多いのかもしれませんんが

    けっこう忙しいです

    主婦の仕事もありますから・・・

   仏壇もあるしね

悲しみもまた私のもの



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「悲しみもまた私のもの」
                       岡知史 エッセイ

 悲しみに沈んだ人がいる。その人を見るにみかねて助けたいという人が現われる。「どんな悲しみがあるか知れないけれども、時が解決してくれるものだよ」とか、「物事は考えようだよ。この美しい青空を見てごらんよ」と言葉をかけて励ますのだが、悲しみに沈んだ人は、いっこうに耳を傾ける様子はない。そして「私の悲しみも私の一部です。私が私の悲しみとむきあってすごしている静かな時間を乱さないでください」と言う。

 悲しみにある人がしばらくそうしていると、今度は「心を癒すことが仕事だ」という人々が現われる。そして、こうすれば悲しみを乗り越えられるという方法を教えようとする。彼らが示すのは「悲しみからの回復」である。どうやらそこには階段があるらしい。彼らが言う通りにすれば、階段を一歩一歩のぼるように、悲しみから回復できるのだという。

 しかし、悲しみにある人は、それは登れるような階段ではないことを知っている。深い穴の中なのか、高い山の頂上のようなところなのかはわからないが、身動きできないことは確かなのである。

 愛する我が子を自死で亡くした親の気持ちは、きっとそのようなものだろうと私は想像している。その悲しみは時が解決してくれるものでもなく、「時がたつにつれて、ますます深まっていく悲しみがある」と、息子を亡くしたお母さんは私に語っていた。

 癒されるうる悲しみがある一方で、どうしても癒されない悲しみがある。一人娘を自死で喪ったお父さんは「私は遺族ケアとか支援とかという言葉は嫌いなのです。(私の悲しみは)ケアされようがない、支援されようがないのです」と語っていた。

 現在、自死遺族ケアの必要性が多くの専門家によって指摘され、法律も行政がそれに取り組むように指示している。しかし、そこには「ケアされようがないほどの深い悲しみがある」という可能性は考えられていない。「どんな悲しみでもケアによって軽減される」と誰かが経験的に証明したとでもいうのだろうか。
 唐突だが、私はここで「障害もまた私の個性である」と身体障害者たちが主張し始めたころの、医療・福祉関係者の戸惑いを思い出すのである。障害者にかかわる「専門家」の使命は「障害を無くすこと。無くせなくても軽減させること」であった。だから「障害も私の一部だ」と障害者たちが言い始めたとき、「専門家」は自らの専門性を否定されたようにも感じたに違いない。

 たしかにリハビリテーションや手術によって軽減され、あるいは無くなる障害もある。しかし、そうでもないものもある。無くならない障害を正面から受け入れ、それがかけがいのない自らの一部として組み入れたとき、社会を大きく動かす障害者運動が始まったのである。

 自死遺族の市民運動も「悲しみは私たちのもの」と高らかに宣言するとき、力強い一歩が始まるのかもしれない。訓練で身につけた技法や頭で覚えた理論など、人間が後で身につけたもので、人生の最も深淵な死の悼みを救えるはずがない。それを認めたいか認めたくないかにかかわらず、ダチョウが空を飛べないように、蝶が水中を泳げないように、遺族ケアはある人々の前には無力であることは否定できないのではないか。生死の根源の苦しみを自ら体験した者だけがもつ威厳に、「専門家」は沈黙するしかない。それを「救える」と考えること自体がおこがましいのだ。

 「障害も個性の一つ」という考えは、社会的に広がっている。それでもリハビリや医療の重要性は誰も疑っていない。両者は共存できるのである。遺族ケアも「悲しみは私たちのもの」という遺族の主張を認め、それを前提としたときにこそ新しい段階に進むのだろう。


 

愛する気持ちと悲しい気持ち

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自死遺族の自助グループが 新たに できそう・・・
                       ありがたい
半年に1回の開催でもいい  自死遺族だけでの集いが広がってほしい
     悲しみは当事者にしかわからない
 わかるわけがない わからなくて普通  それでいい

    そして悲しみはケアできない
悲しみは取り除くものでもない
        幸せな人たちに 悲しい話を聞いてもらって・・・どうする?
それなら 宗教者に聞いてもらった方がいい
      魂を考えたとき 素人の幸せな人に悲しい話をするよりは
           宗教者に死後の話を聞いたほうがいい
 
 グリーフケアという言葉に惑わされてはいけない
       悲しみは乗り越えるものではないし、乗り越えられない

 愛する家族の死・…その悲しみは超えられない
    身体の一部として抱えて生きていくしかない
 悲しみという存在は 愛しているという感情とイコール
    愛しているという感情があるから悲しいという感情も産まれる
        
健一を愛するという気持ちが  消えることはない
     9年過ぎた今も健一を深く愛している
だから、今も深く悲しみは存在する

    けど 決して悲観的人生をおくってはいない

美味しいものも食べる、笑うこともある、お酒も飲む、
      カラオケだってする、テレビで笑うこともある
   しかしその姿は私のすべてではない
 悲しみでいっぱいになり、涙があふれることもある
     それも私
    突然に悲しくなることもある
      それは情緒不安とはいわない
     人間が生きるということは 感情があるということ
感情がない人は人間ではない
     悲しみのケアをする人というフレーズに惑わされてはいけない
  どんな風にケアをして 悲しいという感情をどのようにしてくれるのか
    人の心の深い部分まで 入れるのか・・・
     人間の心は複雑
自分にもわからない感情が湧くときもある
  自分にわからないことを わかる人がいて、その人が心の専門家だというが
     その専門家も私の心の一部を 
私が計算していたら  計算された私を知った気になるだけ
   こころとはそんなもの
   心理テストなんて
     計算してウソをついたら 自分の心は隠せる

    愛する人の突然の死・・・
       その悲しみは 誰にもケアはできない
悲しみをケアするという人は   傲慢で自己満足しているだけの人

 「ありがとうございました、癒されました」と 頭を下げられ
    その気になっているだけ
お世辞で言う人も多い
 せっかく話をきいてくれた人に 
 ありがとうや助かりましたくらい言わないと申し訳ないと思うから・・

   月に1回1時間2時間で 究極の悲しみから救えるわけがない

     暮らしの ほとんどの時間は  家族や自分だけでの時間を過ごしている遺族
その人の 持っている 求める力 生きようとする力
          その方が大きい
  自己ケアができるようになっている

    その人の持つ悲しみという力を信じることが  
      遺族との集いには大切

  ケアしてあげるのではなく
        一人で立ち上がりひとりで自分のペースで 歩くのを 感じ
          一緒に 少し離れたところを歩いて行く・・・

       そして  歩くのに邪魔があったら 取り除いてあげる…(邪魔者の解決の専門家につなぐ)

   それが 遺族の支援
      
      心のケアなんて おこがましいこと

  厚顔無恥な人たちが 悲しみのケアとか心のケア など
    恥ずかしげもなく使っている
   
  人の心をケアするという人を私は信用しない
     


    

葛藤

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仙台市の児童相談所の所長に電話して
     アドバイスをもらい・・・

明日の「法話の会」にお話をしてもらいたいことを 住職にお願いをし・・・

  メールの返事をし・・・

    フォーラムでお話をしてもらう遺族に連絡をし・・・


   遺族の相談を受け・・・

     朝ごはんも昼ごはんも食べていない

 今から、3件メールの返事を~

    電話も2件・・

       全国自死遺族連絡会の代表としての大切な仕事があるのに

       やれないでいる自分がいる

           いつも  悩み いつも迷う日々

    個々を大切に…ひとり・・・ひとり・・・

       そうすると  

団体としてやるべきことが できない

       団体の代表として力を入れると
                     個々の対応がおろそかになる

  今だって  個々の対応は 疎か気味…反省の毎日


しかし  団体としての活動も 重要 


自死遺族支援の指針や  自死の予防や防止の問題

    フォーラムや講座の開催

      賃貸物件の問題  いじめ  

そして  精神科医療の問題

      勉強会

   その中で
       子供の問題の相談は 必死で受ける

  子供は死なせたくない
              生きていてほしい


霧ヶ峰(エゾノコリンゴ)[1]


         ひとつの電話を終え…今から  朝兼昼ごはん

     いただき物の 丸いお餅を~~~

     

          
    
       

また精神薬の犠牲者が・・・・・・

171158a4[1]

30日100回目の藍の会

   今帰宅

 わかちあいの後に食事会

      新しく参加の遺族や日にちの浅い遺族が多い時は 

            気持ちが 引き締まる

  会を継続することの意義を思う

   そして  予防や防止   ということばが 虚しく感じる

     
    予防しています・・・とか  防止活動をしています  なんて遺族に言えるのか

        見当違いの事ばかり・・をしているから

   減らない・・・・・

3万人が2万7千人というが

    不審死や事故死・……扱いが増えている

    行方不明者も合わせると   10万人といわれる自死

       
若い人が増えている事実

     精神科に行きながら  自死している人が増えている

       精神薬は自死の防止にはなっていない

  むしろ  精神薬で死んでいる

    悩み解決の万能薬のような錯覚  錯覚でしかない

     悩みは薬では解決しない

     なんとか障がい・・・という  障がいは 精神薬では治らない


     生きていたいと思うなら

       精神薬は飲まないこと

 元気でいたいなら  精神薬は飲まないこと

        悪魔の処方薬・・・・それが精神薬

今日もつくづく 感じた遺族の会でした