ご両親がきてくれることを願う

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明日は「つむぎの会」仙台

    スイスからチョコレートを贈って下さっている女性が クールダウンの時に参加してくれる予定

   できたら多くの遺族に参加して欲しい…そしてお礼を・・…と願っている・・が

      その後に 子供を閉鎖病棟に入れている親と会う

   両親の意識が変わらない限り  子供が精神科から退院できるのは難しい

     思春期の挫折や悩みや怒りや憤り・・・・が

  警察沙汰になり
医療保護入院にされてしまったこども

     親には訴えている・・・が   
親が親として子供のすべてを受け入れる覚悟がない

  たとえ世界中の人たちが「思春期」の症状ではない「精神病院に行け」といっても

 親が「思春期」の感情だということを認め、子供を守る気持ちが必要   

    親が子供を精神病院に無理やり入れるのは
 子供にはショックだと思う

   優秀な子どもであればあるほど・・・・・

   自分の子供を精神病院に入れる親の気持ちが理解できない

            私の失敗は 甥で経験していたことを息子に活かせなかったこと

    甥で十分に分かっていたはずなのに

  いつの間にか コマーシャルに洗脳されていた

       思い込まされていた

   落ち込んだら精神科・…というイメージができていた

        大失敗だった

 いのちを喪わせてしまったのだから・・・

      息子は原因があった  原因のある落ち込みは精神病ではない・・・

  こんな単純なことを忘れて  いつの間にか 製薬会社の宣伝に侵されてしまっていた

     その結果  息子は自死

   元気になって欲しい  元気になりたいと思って  精神薬を飲んで・・・
死にたくないといつも強く思っていた息子が自死した 

   自死者を見ていて  遺族も見ていて  

   悲惨さや悲しみを知っていたのに…

   明日子供を亡くした親の会「つむぎの会」が終わってから
      子供の親と会うのだが
       両親でくるのか お父さんだけで来るのか・・・

      私は お父さんお母さん二人で来てくれることを期待している

       二人で来たら  精神病院からの退院と断薬ができるかもしれない

        子供が高校に行けるかもしれない

  がしかし  お父さんだけで来たら   可能性は低い

       

     精神科の相談は子供を優先にしている

   私くらいの年齢の人は後回しです…私に時間がない  

      子供は最優先だが   親ではないわたしには限界がある

  親がどこまで子供を愛せるか……無償の愛を貫けるか・・・

   自分を犠牲にしても子供を愛せるか・・・

         どうか  ご両親で来られますように・・・m(__)m

     
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大嫌いな言葉「心のケア」

miyako1[1]

 私は 「心のケア」という言葉が嫌いだ・・・

     このことは 私を知っている人ならほとんど知っている

 「心のケア」センターの職員に質問したことがある

   「心のケア」をしているという支援者にも質問をしたことがある

誰も明確な答えはしてくれない

  そりゃそうだ・・・漠然としたイメージしか持てない「こころ」
            
どんな「こころ」をどんなふうにケアして、どのような「心」にしようとしているのか・・・

   それが説明できない人たちに「心のケア」などできるわけがない
「こころのケア」ができないのに
  できるような発言はしないでもらいたい
期待して裏切られるのは「心が痛い」から

   そして「心のケア」支援をする人たちの多くは
  話を聞いて
    眠れないとか気分が落ち込んでる・・・というと
「うつ」かもしれないから
 精神科に行ってみてはいかがですか・・・という

   精神科医の手先のよう
 精神科の医師から何かもらっているのでしょうか

     もらっていないなら  無責任に精神科を勧めないことです

精神薬を飲むことを推進するのが「心のケア」ではありません

精神医療機関につなぐことが「心のケア」ではありません

「こころのケア」の専門家は精神科医ではありません

  精神科医は「精神病」の専門家です

  こころのケアの専門家は精神保健福祉士でもありません

   こころは人からケアされるものではなく

  自分がケアされたと思ったら「ケア」されたのです

   自分が決めるものであって  ケアする側がケアしたというものではないのです

    ケアされたかどうかは「心のケア」を必要としている人が決めるもの

         ケアしてあげます・・・なんて  
神様や仏様でも…いわないことを  人間ごときが  なんと傲慢な…人
 傲慢なことだと気がつかないような人は
  ケアなんてできるわけもなく・・・・・

心をイラつかせるだけ
               
  「 こころのケア」などという  おこがましい言葉をいう人を私は信じない

       その人たちに聞きたい
私の心をどのように「ケア」してくれるのか・・・

   新聞記者も含めてマスコミも

   素晴らしいことの様に「心のケア」を使っているが   きちんと考えたことはなく

      ただ 耳触りのいい言葉だから使っているのでしょうね

     愛に溢れた言葉の様に  善意の塊のように・・・

       その意味も理解せずに・・・

    わらにもすがる思いで・・…その言葉にすがった人たちを

          精神科につなぐだけの支援で裏切るのはある意味犯罪行為です

   人の心をケアするというなら責任を持ってもらいたい

  生きるか死ぬかの 崖っぷちで生きている人の心をもてあそぶのは罪です

 できもしない「心のケア」をできるようにいうのは やめてください

         こころのケアという言葉に心が痛くなる遺族もいるのですから

急変する人…って・・・どんな人?

 

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慈恩寺さんの法話の会

   お寺さんも様々ですが 
 遺族のことを病気だと思わないということに関しては さすがです

 自死への差別や偏見を持っている人もいますが

      それでも 一般の人たちよりは  少なく…日頃から「死」と向き合っているだけのことはあります

   ましてや  遺族を精神病だとおもう住職はほとんどいないはずです

      保健師さんたちや精神科医…たちは
 なぜか  遺族の集いというと 「 遺族だけで集まって何かあったらどうしますか?」という

「遺族が急変したら・・・」ともいう

  

     なぜでしょう

 何か?って何でしょうか  急変とは何がどのように急変するのでしょうか

    何が起きるのでしょうか

大人の集まりです・・・・・・・

   悲しみを抱えた人ですが 暴れるような危険人物ではありません

   保健師さんたちにも自死遺族はいますが・・・・その人も何か急変するのでしょうか

 自死遺族というと 特別な精神的な疾患を抱えた人…というイメージなのでしょうか

        遺族だけで集いを開いて・……なにも特別に問題がおきたことはありません

   暴れたり倒れたりしません

      おそらく  保健師さんたちは 精神障害者の人たちのことも

      自死遺族と  同じように  危険な人だと思って接しているのでしょうね

  お寺さんは 遺族を 何かを起こすかもしれない特殊な人だとは思っていないように感じます

それはそうだよね
    お通夜や葬儀・…1周忌・3回忌…法事・・法要・・・

  遺族と会うのが仕事

お通夜に行くときに  
遺族を精神疾患だという意識で行くという住職は見たことがないし聞いたこともない

葬儀の時に招かれて 親族は遺族という人たちだけど

    急変するとかなにか起きるんじゃないか・・
              とか
心配して葬儀をする住職はいないと思う

  遺族が遺族で普通にいられる場所

   お寺・・・

   息子が亡くなってから お寺は悲しい場所だが落ち着くのは

   普通に無理なく遺族でいられることにあるのかもしれない

       何を話しても「変な人」には見られない安心感

     まぁ~お寺さんにもよるけど

     保健師さんよりは  遺族を偏見の目で見ないことは確か・・・

        保健師さんも様々だが…職業病なのかもしれないが

      自死遺族は特殊な精神疾患者だとみる人も多いのも確か・・・

    そんな保健師さんの上司が自死遺族になったら

 上司にも 私たちと同じような態度をとるのだろうか   見てみたい

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秋田の結いの会にいきます

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26日は 秋田市にいきます

  「結いの会」秋田の自死遺族の自助グループに 参加

    打ち合わせもしてきます

  いつもは「藍の会」と日程が重なり 参加は難しいのですが

 今月は藍の会が18日だったので・・・

      久しぶりに  思い切っていくことにしました

11月の2日は
気仙沼の「つむぎの会」に久しぶりに参加して

    お父さんたちのための居酒屋分かち合い?の開催(1年に一度)もあるので
   こちらも参加

  母たちも参加OK

   29日は慈恩寺さんの「法話の会」
30日は「つむぎの会」仙台

  今日 名古屋からの電話があり・・・・3年前に子供を亡くして・・という…お母さん

        30日のつむぎの会を勧めた・・が

   んんん・・・・・・・

       なんとなく・・・

  会えばわかるかな・・・自分を信じよう

続き…しつこかったらごめんなさい

5[1]

自助グループ・当事者グループは 社会を変えようという活動もする・・・と


  自助グループの研究者間では認識し、論文に書いている


   自助グループ・当事者グループにオブザーバー参加として 当事者以外の参加を認める場合は

        自助グループ・当事者グループが 
こんなことを考えこんなことを思っているのだということを  発信したい時

         自死遺族の自助グループ・当事者グループ本人の会の活動も

  社会運動として広がっている

     自死遺族という人たちが
悲しみだけではなく   どんなことに困っているのか
      どんな悩みがあるのか・…を発信し

   自死遺族を取り巻く 環境も少しは変わってきた

        また  遺族自身も  変わってきた

     悲しんでいいんだよ・・・・悲しみは病気ではないんだよ・・
    悲しい気持ちは愛しているからだよ・・・という自助グループの運動は

      遺族自身の悲しみへの肯定であり

 孤立感を防ぐことにもなってきた

       ドイツは自助グループ・当事者グループ運動が盛んで・・

 それぞれの専門家はそれぞれの自助グループ・当事者グループから学ぶのだという

    
     障がいは社会の中に障がいがあるのだ!自分たちが障がいを抱えているのではない!

  だから 社会から  様々な障がいを取り除くことが障がい者運動であり

   福祉関係者の仕事である・・・という  ことも学ばせてもらっている

         支援者は ともに一緒に歩いて行く…という姿勢が大切であり

    支える人ではない…という意識を持つこと


       支える人支えられる人ではなく

  距離感を保ちながらも   一緒の道を歩いて行くこと

       歩いて行く道に障がいがあったら  取り除いてあげること

   石ころという障害があって 転びそうなら  事前に石ころを排除すること

    水たまりがあったら  土で埋めて水たまりをなくしておくこと

         それがセルフヘルプグループとセルフヘルプサポーターの関係


   自死遺族にも 以前よりは  悲しみは病気ではない・・・・ということが浸透してきた

          個人の経験、体験的知識では社会を動かせない

      グループとしての体験的知識は 社会を動かせる

           自助グループの研究者である岡先生やボークマン先生

               の 講演記録に載っている


   私はセルフヘルプグループとセルフヘルプサポーターという

   考え方支援方法が広がってほしいと思っている


     お互いの できることを認め合い  社会を変える・・・


     社会福祉士が社会福祉士でありつづけ、資格を活かす仕事を続けるためには

    必要としている人たちの声も重要であると私は思う

        弁護士も精神保健福祉士も臨床心理士も

    専門家としての専門色を活かして  独自性を保ちながら

         連携しつながりを持ち、侵して欲しくないそれぞれの部分には立ち入らない

       お互いの立場を尊重して・・・と  思っています


    失敗を恐れて何もしないよりは
        動いてみることで何かが見えてくると思います

       石橋をたたいて叩いて・・・・・もしも…もしも…と

   悪いことだけ考えたら   社会は変わらず、自分の意向とは違う方向に流れる

         暗いと不平をいうよりも  進んで灯りをつけましょう・・・・

    という言葉は  藍の会の立ち上げの一つのきっかけでもあります

        何も行動をしないで 支援を受けて  不平不満をいうのは

             イヤだった・・・

     私の性格が  そう思わせたのかも・・・


   嫌な人たちもたくさんいますが

    こころのある人たちも大勢います

         こころのある人たちとの出会いは人生の財産です


     

      

自助グループ・当事者グループ・本人の会の定義と活動

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岡先生からの学びと自死遺族のグループのいろいろ

    保健師や支援担当者・医師や看護師(病気のグループに多く見られる)等が
 関わっているグループを「当事者」がいるということで「当事者グループ」とか「自助グループ」
    と名乗っているグループも多い

    が

    それは自助グループの定義からいうと「当事者グループ」「自助グループ」ではない

        と  岡先生は 自助グループの研究者として発言している

      そんなことどっちでもいいという学生もいるが
        定義は大切な問題であるともいっている

    (岡先生のHPに講演記録が掲載されている)


     定義を無視してグループ運営をしてきた団体は多い 

       しかし  研究者としては何も言えない


彼らが当事者グループ・自助グループと 名乗ってしまっているなら

      他の名称で区別することも必要だ・・・

       と  悩んでいる

       研究者たちが定めた定義を無視して運営をしている行為が

       正論となり  本来の意味を持つ名称から  外れてしまっていることに

      自助グループ・当事者グループの 専門家である研究者たちのほうが 
           別な名称を…と悩んでいる

              その矛盾に  気がつかない  自助グループの専門家でもない

                   誤りの解釈をして 自分たちのほうが正しいと思っている

       保健師や支援者や医師や看護師・・そしてそこに参加している当事者たち

   不思議な光景だ


    自助グループ・当事者グループ・セルフヘルプグループ・本人の会

             あくまでも
運営は当事者本人   持ち主が当事者本人であること

     支援者が会に参加しても発言はしないこと (オブザーバーとしての参加) 

発言をするときは当事者の許可が必要       が基本  

   
     自死遺族の自助グループ・当事者グループは

   「わかちあい」の時間は  自死遺族以外は参加できない

     クールダウンや その他の活動や時間は 自死遺族以外の参加もOK

      しかし  保健師や医師、支援者、それぞれの専門家との連携は作り

          様々な支援や応援をしてもらっている

       「わかちあい」の時間は遺族以外には参加させない

        運営もスタッフも自死遺族だけ

         決定権は自死遺族

             と  決めている

  岡先生が話していたが

      最初に  支援の担当者が加わってグループが作られると

             その後に  当事者だけでの運営に発展はしない   


     本当の意味での当事者グループや自助グループにはならない

          という・・・
         

   自助グループ・当事者グループというので  オブザーバーとして参加してみると

     病院が主導権をにぎっていて  会への参加は当事者だけだが

   日程や時間や開催をするのか休みにするのか

        運営に関するすべての決定権が病院にある・・・というグループもあり

      自助グループだと 病院も当事者もいうけど

  それは 自助グループ・当事者グループではない

         という


    自助グループ・当事者グループが良くて、支援者グループやサポートグループが悪い

      というのではない

      違いがあるということ

       定義を守り   それぞれの特性を正しく伝え

           参加する当事者が戸惑うことのないようにすることが運営側の責任だと思う


  そして自助グループ・当事者グループは 当事者のマイナスな部分に注目するのではなく
          当事者の「できる」ことを大切にする

自死遺族の会についていうと
サポートグループの運営側は
「悲しみ」だけに注目し
遺族ができることや遺族が求める悲しみ以外の支援には関心を寄せない
「悲しみ」は人生の邪魔もののような扱いで、悲しみからの回復を目的としている
「悲しみ」は「吐き出す」ような汚いものであり・・・
    従って「悲しみ」を聞かされる 支援者は「疲れ」るから
支援者(聞く人)の「メンタルケア」が必要であり大切なことだということで
   「会」が終わったら  ミーティングなどを行っている

   自助グループ・当事者グループの「悲しみ」の考えは「愛」であり
愛しいものであるという考えかた
「吐き出す」ものではなく「抱える」ものであり
    亡き人への愛の証しであるという思い
「悲しみ」以外の問題にも注目し
    専門的な支援が必要な場合は  専門家を紹介する

 悲しみを聞いても自分の中にも悲しみがあるから
    疲れない・・・
だから「会」だけの付き合いではなく
 終わった後にも「飲み会」や「お茶会」もする

会以外の時間にも  電話やメール…ランチもする

(こんな内容も岡先生の講演記録と論文に掲載されている)

  何回も言うが

  この会がいい・・・とか  この会は悪い……ということではない

        自助グループの定義は正しく解釈し、守って運営し、
本当の意味での自助グループとして活動をしたい・・・と  私は思っている


       セルフヘルプグループとセルフヘルプサポーター

           この関係が守られたら 当事者と支援者
                お互いに 良い関係で活動ができる…と思う

会は 自分がどんな会にしたいのかを イメージできたら

    迷わずに  歩き始めてみたらいい

        その中で  その時々に  自分が最も最善と思う道を選んだらいい

   原点を忘れなければ

    道を踏み外すことはない

      初心は大切です

    そして  当事者同士の意見の交換は大切です

    一人/…王様になってしまうと・・・・・自助グループではなくなってしまう  から                         

恥という言葉を知らない人たちは強い!

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 活動をして8年と半年・・・
   
    諸行無常を感じる

人の心は移ろいやすく 人は自分勝手 

   人は自分を過大評価する人と  謙虚な人とに分かれることも  知った

   人は その人が過大パフォーマンスをしようが、その報告が 虚偽であろうが

      中身まで確かめる人はほとんどいない

   自信満々に  うそを言う人の言葉が  社会では真実になっていく

          苦しい時にどんなに世話になろうが

           忘れてしまう人もいる

      教えてもらい学んだことも  忘れて

    自分が一人で考えたことに なってしまう人もいる

            謙虚な心がない人は  どこまでも傲慢

      自分が自死遺族 という立場で活動をしていることを忘れるのだろうか

      なぜ  自死遺族になったのか

         私は息子の死に顔が原点
             揺れ動くとき  傲慢になるとき  人を羨むとき
    息子の死を思う

     彼は生きていたかった
             彼が生きたくて生きたくて…泣いて泣いて…死んだこと・・・は

            一時も忘れることはない

   活動の原点である

          息子に誓って  ズルはしない

      人を追い込まない  人を陥れない

           恥は忘れない
  人には感謝をする

        私を支えてくれた人…今も支えてくれている人

お世話になった人   今もお世話になっている人

        表には出ないが   土台となって 

 私の活動を応援してくれている遺族も含む多くの心優しい人たち

    いつも感謝でいっぱい

      教えてくれた人たち  学ばせてくれた人たち

         ありがたいことです

     偉くなっては 人間ダメです

        偉い人は偉そうにしない人です

     有名の意味をはき違えている人たち・・・

        それが  自死遺族にもいることが  残念です


  とても・・・・

      私の周りには  私の暴走を止めてくれる人たちがいる

          指摘をしてくれる人たちがいる

  意見をいってくれる人たちがいる

          いい加減な 煩悩満載の私には  ありがたい人たち

    でも時々

       イラつき、憤り、怒りでいっぱいになり・・

         大声で事実を叫びたくなる

               ダメダメな私

               

自助グループの発展における問題

daisenutugi59[1]

  昨日の続き

 自助グループの運営…発展…当事者…体験的知識…社会運動

   そんな話も・・・

  自死遺族の自助グループも発展していく途中で
   
    自分の知識だけが自分の活動が・・・と 主張して

   意見のあわない人たちを排除していく団体も出てくる

      カリスマのような存在になりたい遺族

 他の遺族とは違う特別な遺族・・・という意識を持つ代表のいるグループが
      遺族の自助グループだけではなく

   障害者のグループも様々な病気のグループも

     自助グループ(相互扶助)の精神を忘れて いく団体もある・・・ということを岡先生は話していた

  自助グループの研究者だからこそ たくさんの自助グループの歴史を見ている
   
    私たち自死遺族の自助グループの活動は 
自助グループの正統な活動と発展をしているらしい

   良くも悪くも・・・です

     私も悩んだことがある

     「わかちあい」に参加した時、代表として運営進行をしなければならない

      その時に 参加した遺族が  特別な遺族…自分とは違う遺族…と
       感じたら 支援者としてみられてしまう

     できるだけ 服装も含めて 目立たないように・・・言動も・・・

      自分が同じだと思っている程度では

         代表というだけで 特別な遺族になってしまう

    しかし 時には  仕切ることもある

          葛藤の中で 「わかちあい」を開催しているいまも・・・

   「わかちあい」の開催と

  「活動」する私は区別しようと思ってきた

   藍の会の「分かち合い」に参加する遺族は

     私の他の活動を知らない人も多い

     それでいいと思っている

   全国自死遺族連絡会は活動団体である

   藍の会のわかちあいの集いとは違う

          様々な活動を区別し 混ぜないように気をつけているつもりだが

     時々活動する自分の顔がでるときもあり・…反省の毎日


     そして  虚偽はいけない

  粉飾活動もいけない

      盛りすぎの広報はいけない

    それは気をつけている

          岡先生は  とてもよく見ている

      自助グループとして 
   道がズレてしまった団体もあり…正統派としてまっすぐに活動する団体もあり

       それが発展する途上には必ず起こる…ということを知り

      ああ・・・そうなんだ・・と納得

  たくさんたくさん  学んだ時間でした

              

昨日の打合せ

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昨日の岡先生との打ち合わせは 充実した時間でした。

     社会福祉士の働く実情や若者の福祉への意識

社会福祉士が高齢者と障害者のための仕事・・・に偏っているが  
本来は人が生きていくために障がいとなる物を取り除くような社会をつくる・・・・

     社会福祉資源を活用し  障がいとなっている問題を  解決し

       全ての人々が しあわせに生きていけるような人間社会を目指す

そんな崇高な 理念が~~~~~

    自分たちが 人間として普通に生活できる社会にすらなっていない日本で
         自分の生活のための給料と 過酷な仕事の量の前に
 若者が  流されていくのは 仕方がない・・・そうおもう

       日本は福祉国家の先進国ではない

    情報が お隣の国やアメリカの保険制度を取り上げることで  操作されていて
  欧米や北欧等の福祉の現状はほとんど報道されない

      
   自助グループと社会福祉士との関係に疑問を持つ人がいるのかもしれないが

      自死遺族支援や自死の予防防止も含めて 社会福祉士の理念は原点である

   支援という言葉にかわる言葉がないですかね・・という話題もでた

        「一緒に歩く」という意味を「言葉」にして欲しい

救うとか癒すとjか支援やケアという言葉以外に・・・・・

        福祉に携わる人たちの労働内容と賃金は  貧しい…貧相だ

    防潮堤を2m下げて  福祉資源に・・・

       人のいない地域の道路を高速道路の様に立派にしないで 福祉資源に

   研修会やセミナーシンポジュウム等々の企画を 
イベント会社に丸投げせず 役人が手続きして  福祉資源に


        豊かで幸せな人たちへの  支援は多い

    本当に支援が必要としている人には  支援はない

     国は支援をしている人を支援する…といっている

       福祉の現場で働く人たちの待遇が改善できるように
          優秀な人たちが魅力ある職場だと思えるように

        支援して欲しい


   つなぐ役割   連携のプロ

 総合支援の要     様々な人たちの様々な相談に応ずる姿勢として
     社会福祉士の理念が必要であり大切なのです

     それには  必要としている人たちが  声をあげていくことが大切

       日本の若者が福祉に関心が薄い・・・ということも 知ってビックリ

    ボランティアはするが 福祉の仕事は「!」という学生が多いらしい

1月の講演が楽しみな打ち合わせでした

   岡先生社会福祉士の皆さん   

     学ばせていただきました(^^)v ありがとうございます

活動内容の薄い有名な団体

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「全国自死遺族連絡会」  
これが2008年1月1日 NHKのラジオで全国放送してもらい立ち上げた
       自死遺族による自死遺族のための全国団体

 2000人以上の自死遺族が登録している団体

 登録している会員が 
それぞれの地域で「自死遺族の自助グループ本人の会」を立ち上げ活動をしている

 「自死遺族が運営する自助グループ」であること。

活動の内容は様々だが「わかちあい」という集いが基本、全ての会は「わかちあい」を開催

     その他に  自死の予防や防止のための活動をしている地域もある

   「総合支援」を目的としているのでそれぞれの専門家との連携もある

 「悲しみ」は遺族だけで「わかちあい」
     法的問題等は専門家につなぎ  具体的な問題の解決に導く

 「悲しみ」だけではなく
   「ランチ会」や「ミニ遠足会」「少し豪華にお茶会」
「飲み会」「日帰り温泉会」「お泊り会」「勉強会」「交流会」等々

  「子供を亡くした親の会」
「パートナーを亡くしたネットワーク」
「キリスト教信者の集い」
「親を亡くしたネットワーク」」
「兄弟姉妹の会」

それぞれの活動もある

  様々に工夫して それぞれの地域で  独自の活動をしている

     そして1年に一度「全国自死遺族フォーラム」の開催   仙台・東京・関西 
(今年は大津市)

NPOではあるが法人にはしていない

  盛会になるべき団体ではなく、会が必要で亡くなることが目的の会
  あくまでも自助グループなので 対等の立場、相互扶助が団体の理念

    大まかにいうと  こんな感じ

もうひとつ似たような名前の団体は
2008年1月13日に立ち上がり NOP法人
  職員がいて 給料を払っている

 行政が自死遺族の会を立ち上げるときに支援をし、
継続して団体の職員や理事を講師として派遣(有料)

    「悲しみ」だけの支援
「総合支援」はしない

   保健師主催の会に講師に行き、研修会も行う

         2011年の東日本大震災後は

法人の「定款」を変えて  自死遺族支援から遺族支援とした

  福島の行政と会を開催

     岩手はなし・・・(岩手の行政は この団体とは連携しない)
宮城は傘下にある仙台拠点の団体と石巻で開催
   しかし宮城県は連携しない
(たくさんの団体が活動しているから あえて行政は遺族の会の主催はしない)


数名の自死遺族が職員や理事として参加

    スタッフで参加していた自死遺族は  離れ・・・・

     あくまでも  行政と一緒に支援をする・・というスタンス

      この団体が行政と一緒にやっている地域は
    自死遺族の自助グループへの協力を行政がしない

      行政は平等にどのような民間団体にも求められた支援をできる限り行うのが基本
          ましてや  国の大綱の中に自死遺族の自助グループ支援がかかげられているのに
  
      求められた支援を拒否する姿勢は  行政としてはありえないこと

      名前だけは知られているのでしょうが
            内容の少ない団体だと思っています    

    何をしているのか・・と一言でいえば    いろんな会への講師派遣団体
      

     

人のこころ

沈黙している者も非難され、

多く語る者も非難され、

すこしく語る者も非難される。

世に非難されない者はいない。
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今朝のがまん・・・しんぼう

 夫は 私の心を叩きのめし、鉄板のようにする  職人

   今朝も  15年前の  恨み  小声で罵って  ゴルフに出かけて行った

   その何十倍も  言いたいことはあるが

       打たれ強い・…(夫いわく ずうずうしい…津軽弁でいうと「のぶどい」厚かましい)

              性格にしてくれた師匠だから

     感謝なのかな・・・

今の時代の子どもなら夫は発達障害・・・(税理士を開業)

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25年5月13日  教育新聞


 「発達障害への対応で一部に過剰な薬物療法」

 発達障害への教育的な対応は
*理解ある関わり
*環境整備
*生活指導が中心となる
多くの場合は薬物治療は適用されないが、多動・衝動性や反抗挑戦性障害などが
家庭生活や集団生活、学習場面に著しい困難をもたらし、
二次的な障がいが強く懸念されるときは、副作用に留意しながら
適切な薬物治療が併用される場合がある。

   関西のある小学校で、男児が授業中に白目を剥き,よだれを垂らしながら机に突っ伏している様子を
他のクラスの教師が何度か目撃していた。
教師はその様子に違和感を覚えて担任と話したが
担任は専門機関で治療を受けているから大丈夫だと言い張った。

しかし 男児の状態がドンドン悪化している様子を見かねた教師が
養護教諭を説得し、養護教諭が男児の保護者と連絡を取ることになった

保護者との話で判明したのは
男児が強い向精神薬を処方され、主治医からは何の説明も注意もなかったという

驚いた保護者が主治医に尋ねたところ
   横柄な対応をされて不信感を抱き、医療機関を変えた
その後、男児は向精神薬を服用することなく
以前の元気な姿を取り戻した。

一事が万事とはいわない

 専門家から子供たちが適切なケアを受けていることを願いたい

しかし 教職員や保護者から、子供に対する診断や治療に関する相談・報告が増えている

 中には 尊い命すら失われている深刻な事態がある

本来であれば、教育的支援によって改善されるもんだいまでもが
過剰に医療の対象へとされてしまい
教育現場の領域が
個人のこころや脳の問題としてすり替えられてしまうことが懸念される
このような現象は既に欧米でもみられ、問題視されている

精神疾患や発達障害の概念や診断は
  非常にあいまいで
  専門家間ですら
診立てがわかれる場合も珍しくない

  うつ病や発達障害の診断は
DSM-V1(米国精神医学会による精神障がいの診断統計マニュアル)が使用される

その編集者である
アレン・フランセ博士自身が
  曖昧な診断によって子供たちが過剰に診断され
  不必要な向精神薬投与の被害が広がっている状況に警告を発している

  発達障害や精神疾患の診断が
     子供のころに 下がることによる 社会的な制限やスティグマ
向精神薬が成長期の脳と体に及ぼす影響を考えると
  誤った診断や治療は子供の人生を大きく狂わせかねない。
そのリスクを日々、児童生徒と接する教育現場の人たちが認識することは
    これからますます重要となってくるであろう
  専門家との連携が強化される今だからこそ
   教育者は専門家任せにすることなく
本来の教育の責任を全うしていただきたいと切に願う

 医療の専門家に対しても
   プロの教育者の視点から
積極的に質問や意見を伝えていただきたい

 子供たちの命と未来を守るために。

 こんな記事があります



  また朝日新聞に

発達障害児「学級に2人」
「学校側の支援なし」4割

   
文科省の調査が掲載されている

     自治体によりさまざまだとある

   また  中日新聞には  中学校医に精神科医  名古屋の中学校が掲載されている

mさんのような人がいることは救いです

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  全員とは一言もいっていません

  文科省の委員会で議論されていて


      それを 受けて  精神科につながれ  
 自死?不審死として処理されている子供がいることも事実です

    何度の言いますが全員が・・とは言っていません

        発達障害のお子さんを持っている方なら


私のブログに反応するのではなく

     もっと全国の情報を得て
全国にに目を向けて  国の対策や支援の在り方

       地域ごとの事情も把握して

  ご自分のお子さんが精神薬を飲んでいないから・・・ではなく

  飲まされている子供がいることの事実を調べて、活動された方が

         苦しんでいたり、死んでしまう子供を救うことになるのではないでしょうか


    私は  自死遺族ですが  自分の問題は解決済みです

       がしかし

  同じような死を防ぎたい  死なせたくない  


      幸せに生きてほしい   と願い 生活のすべてをかけて活動しています

     一部の精神科医には敵意さえ持たれていますが・・・

       批判も多くあり、ののしられることもありますが

   一人でも多く・・・・生きてほしいとおもうから

      自前での活動を続けています


   3人の子供が   発達障害といわれて  3番目が自死

上の二人も精神薬で苦しみ   今  断薬をしようと  取り組んでいる人がいます

      もう一人の遺族は一人娘  


   相談を受けているから見えることもあります

    仙台市は 全員ということまで調べてはいませんが、精神科の医療につなぐという事実は認めています

     スクールカウンセラーにつなぎ児童精神学の医師のいる精神病院につなぐ構図を・・・です

  仙台市だけが特別なのでしょうか・・・

       教育委員会も認めています

    しかし  何度も書いていますが

     人の采配です

   担当する人が   精神科につながないこともあります

       つなぐ人もいます・・・ということです

    つなげられる子供たちがいて、死んでいる子供や
、甥のように発達に障がいがあるという診断だけで  精神科につながれ
(その当時は発達障害という病名はなかったのかもしれませんが、あったとしたら病名なしでの精神科ってもっとひどいですよね)

 統合失調症の薬を飲んでいるケースもあるということは事実なのです


      一人二人ではなく   多くの子供たちが苦しんでいることも現実なのです

   新聞やNHKでも取り上げられています



          私には本当は関係のないことなのだと思います

  ただ  苦しんでいる子供や親からの相談を受けると

         何とかしてあげたいと思ってしまいます

     私の信頼する医師やカウンセラーにつなぎ
 転校することで
   普通の子供として  進学しているこも本当です


   mさんの子供が 飲んでいないなら 良かったです

 何よりです

         私はmさんのような 満足している人に対して発信はしていません

    困っている人悩んでいる人が  読んでくれて

  気がついてくれて   ひとつの選択ではなく 

複数の考え方があることを知ってくれたらいいと思っています

   そのうち 3人のお子さんを持つお父さんに講演をしてもらう予定です

     mさんのような  ケースの人が増えていくことを 願っています

  全国をみて 全国の同じような子供たちを調べて 

      国の対策も調べて
                     精神科につながれている子供たちが皆無だというならば

      訴えられても文句は言いません

        mさん   私のブログで嫌な思いをするなら  読まないでください

   訪問するのも自由 読むのも読まないのも自由です

           嫌な思いまでして  人のブログを訪問することはないと思いますが・・・  

国や県や市等に意見を述べていますが
  それは私の個人の体験ではありません
  あくまでも  当事者たちという集団の意見です

    団体として、当事者複数の体験的知識としての意見です

       発達障害の問題も  複数の遺族や複数の現在進行中の当事者の体験と
   教育関係機関や教育関係者、そして文科省や臨床心理士会等や
   精神科医からの
情報と  テレビや新聞  様々な本や指針・論文等々からの  実態をまとめて

  他の団体等と一緒に要望書を提出してきたものとして

     情報として 提供しているだけであって

     被害を受けていない人に  発信しているものではないのです

  被害を受けていると思っている人たちへの発信です

    mさんのような人がいることは 救いです良心が残っている社会だという証ですから       

明日のこと

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  明日は  上智大学の岡先生と会う

   宮城県社会福祉士会が主催の講演会が1月にあるので

その打ち合わせ

         事務局が駅に迎えに行ってくれるというので

  私もついでに  仙台駅に行き、車に同乗させてもらう予定(*^_^*)

       岡先生と会うと ホッとする

    先生は支援はしていない・・・と姿勢です

  おこがましいようですが  一緒に歩かせてもらっています・・・と
                            謙虚におっしゃるのです      


       セルフヘルプグループとセルフヘルプサポーター

         自助グループ本人の会のサポートをする人たち

      社会福祉士の姿勢が中心であるべきだと
               私は要望してきた


         総合支援を構築するのは

         当事者が中心にいて、その周りを社会福祉士がいて、その周りを
それぞれの支援の専門家が囲む

      という のが理想

   宮城県は
 

  ぼやけてはいるが

      ハッキリした形を作ろうというところまではきている

  その意識を共有してくれる人たちがいる

       だからこそ  社会福祉士会が岡先生の講演会を計画してくれた

 春3月には「みやぎの萩ネットワーク」も正式に立ち上げる

      遺族の問題も 自死の予防や防止も

       民間と行政の区別をし  それぞれの特性を活かし
民間もそれぞれの特性を活かし
      重なる部分は重ね合わせて

       こそ

   網の目が細かいセーフティーネットが完成する


    ささくれたこころは   真綿のような心に触れるだけで

       ほんわか   

うんざり

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 最近 いつも細かいご指摘のコメントをくださる方へ

    甥の話は  甥が小学生の時に(今から 43年以上前)

      発達に障がいがある・・・ということで

   北津軽全般を包括していた五所川原市(当時)の保健所から保健師(当時は保健婦)がきて聞き取りと指導
   青森県の保健所(今は精神保健福祉センターですが当時はセンターといったかどうかわかりませんので、一応保健所としておきます。またセンターという名称は当時はなかった…といわれそうですから)

    から  保健師と精神科医がきて、

この子は精神病ではないが発達に障がいが
青森県にはこの子を治すような施設はないので、東京の専門の施設に入るか、

  東京に行かせられないのであれば

    特殊学級に入れて、他の子供と同じ教室に入れないということを承諾して
    
青森市の県立の精神病院の受診をすること・・・・・ということと記憶しています

      単に  究極のお坊ちゃんで  家族の育て方・しつけに問題があっただけの子供が

   発達に障がいがある・・・という診断をされたことは事実です

   ご指摘をされた方は  当時は「発達障害」という病名はなかった…・といいたいのでしょうが

       はっきりと 精神病ということではないが…発達に障がいがあるという言葉を

     実家に来て説明をしてくれた保健師と医師の言葉として記憶しています。

それから家族で話し合いをして 小学生の子供を 東京には一人でやれない・・・ということで

   特殊学級「あすなろ学級」にいれて、精神科の治療を受けていました

    時々保健師さんが見回ってきていました

   
  こんなことを書いていて   時間がもったいないなぁ~~~~と自分で思っています


  甥の話は 子供への精神薬の怖さを伝えるためのものです

  


東京の施設がどのようなところだったのかは

今の様にネットも発達していませんでしたし、調べることはしませんでした

     当時、発達に障がいがある・・といわれて 甥が精神薬を飲むことには

   反対しましたが

  祖父母・私の両親・甥の両親が  それを認め受け入れ

 親戚も全員受け入れたことに    二十歳前後の私の主張が通ることはなく

  大人の判断に口を出す、わがままで傲慢な娘だ!と

      親戚からも非難を浴びたのを覚えています

先生や保健師さんや病院の医師のいうことが  正しいと信じて疑うことはしない人たちでした

  肩書きのある人たちのいうことは 全て正しい

    素人の娘のいうことなんて  単なるわがまま 反抗としか見られませんでした

   結婚して東京に~~~そして青森に転勤とともに 移動して

     甥の言動が激しく変わり、形相も変化したことに危機感を持ち

     私にも子供たちがいましたが

   甥が 頻繁に いろんな病院に 勝手に行き、

      医師が手を焼き、私がその後始末をして 医師への謝罪をして歩くようになって

       (夜中にも救急車で  いろんな病院に運ばれていました・…仮病で)

   親たちにも 薬を飲んでからの変化を伝えましたが

    15~20歳すぎてからは、甥は完全に 変でしたので  精神薬に頼っていました

     
   最近になって精神病に病名が増えて~~~~

人間のさまざまな症状のほとんどに  精神病としての病名がつけられています

    が  それは   どうしてでしょうか

      私は素人ですが

  野田正彰先生とは 親しくさせてもらっています

      勉強会も開いたり、講演会も何度も聞かせてもらい

  先生に「精神科医の資格が取れそうなくらい勉強したんじゃないか、僕が試験をしようか」

   そんな 冗談を言われるくらいの 仲です

      わからないことは  野田先生の本を読んだり
     直接教えてもらっています

      

無知だったから  私は息子を死なせてしまいました

   正しい知識を学び

   家族を死なせないで欲しいと願って  精神薬のことをブログにも書いたりします

もちろん  自死の対策会議でも意見をいいます

   それは  私のような  過ちを犯してほしくないからです

       取り返しのつかない  過ちです

 無知だったがゆえに   息子に精神科を勧め
    精神薬を飲むように勧め

   死にました

        甥の正式な病名はどうでもいいのです

   ただ  発達に障がいがあるということで  当時も精神科の医師が関わっていました

  今も  同じです

   小学生の 発達障がいって

       なんですか

       忘れ物が多い子供もいますよ

    人との付き合いができない子供もいます

      同じくらいの年ごろが苦手な子供もいます

片付けが上手にできない子供もいます

   運動が苦手な子供もいます

  会話が苦手な子供もいます

     それでその子が不自由というのではなく

  指導する先生が  手がかかるから 発達障害ということにして

    特殊学級に入れて 精神薬でおとなしくさせるということ・・・・です



       それらは  しつけや訓練で  ある程度 改善されることだと思います

子供を育てるということは   手間暇かかるのです

      時間が必要なことです

       ゆっくりじっくり  長い目で 子供の成長を見守ることが

    子育てだと思います

大量生産ができないのですから・・・

  ひとりひとり  の 個性を大切に   伸ばしてあげることが  教育

 だと思います

決して 5歳・7歳・12歳・…の子供に精神薬をのませることが教育ではないはずです


     全部ではありませんが
 
  異常に発達障害や双極性障害やうつ病不安障害といわれる子供が増え
 精神薬の処方が増えていることは事実です

厚労省や文科省の報告書があります

   

           

   

私のPTSD

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 音楽を聞いて「しあわせー」という感覚
美味しいもの食べて「幸せ―」という感覚
   何か活動ができて「幸せ―」という感覚

   チョーしあわせ!といえる感覚

   私は2005年11月から消えた

  ケアも支援も癒しもついでにいえば「絆」も

   私の心には 激しく突き刺さり

    トラウマというほうが  あっている

   こころのケアという言葉は「うざい」

       「心のケア」という言葉は 私を追い込んでいる

    大嫌い・・・・・



     ましてや「グリーフケア」なんて言葉は  寒気がする

   偉そうな顔が浮かぶ

    癒したい人たちの幸せ自慢の顔が浮かぶ

          悲しい人…不幸な人を  助けてあげますからね・・・

            私が・・・

  そんな 態度と顔が浮かぶ

  やっぱり  私は精神病?

         PTSD?

ケアということばがPTSD?

     息子が逝き………私の人生から「幸せ」は消えた

     名前が「幸子」なのに…・皮肉

         

 幸せと元気

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今月は 24日が遺族の茶話会

    29日は慈恩寺さんの「法話の会」
30日は子供を亡くした親の集い「つむぎの会」仙台

11月2日は気仙沼の子供を亡くした親の集い「つむぎの会」と
夕方から お父さんたち(子供を亡くした)との交流会(1年に一度の飲み会?)

     気仙沼に泊り久しぶりに会う・・・

   23日は岡先生が宮城県の社会福祉士会の講演会の打合せに仙台に~~~

    私も一緒に~~~

       社会福祉士会の事務所に・・・

 昨日の夜は 今は大阪に住んでいる女性と食事

      大津であった時は忙しくてゆっくり話せなかったので…二人でゆっくりと

 精神薬を断薬した人・・・

   彼女は頑張って・・・やめた


       出逢った頃から数年が立って・…彼女はすっかり大人になって・・・

     これからの人生・…ご主人としっかりと歩いていけると確信

      活動をして・・・良かった…と思う時間だった


      私だけでは  どうにもできないが

         みんなで  連携して支え合い、つながり、 

生きたいと願う人が「生きよう」「生きてていいんだ」と思う気持ちになるようには  できる

     
      苦しみの朝が・…これまでと違う朝になる

朝を迎えるのが怖い日の連続が・・・朝が楽しくなる

         いつもと同じ朝なのに・・・・・・

  彼女には 存在しているだけで  親は幸せであることを ずっと言い続けてきた

    生きていてくれるだけでいい・・・と

      

    本当に・・・生きていてくれるだけでいいんです


   息子の死は私たち家族から「しあわせ」という言葉を消した

      あの日から一度も「幸せ」を感じたことはない

 元気には生きているが・…幸せはない

      でも

 時々…ばか笑いをする

         無理にでも笑っていた方が 心が元気でいられる

      演技がうまくなる…・名俳優のわたし


       その反動で  涙があふれるときもある

   だから「心のケア」という言葉や「癒し」という言葉が

 とげの様に 私の心には刺さる

        なにが「心のケア」
何が「癒し」
  
       私にはわからない

 

  

             
    

蔓延している精神薬

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行方不明者のことが取り上げられていた

    5万人

 そのうちの1万人が 認知症での徘徊

認知症患者への精神薬投与問題

        
 老人の徘徊で  1万人の行方不明

   あとの  4万人は?

事件に巻き込まれて年間4万人の行方不明・・・・・・そんなことはない・・・はず

更に1万人が事件だとして

  残りの3万人は自死の可能性が高い

  そしたら 年間6万人にもなる

      不審死も合わせると 7~8万人

  ひどいなぁ~

      国会議事堂への不審侵入者
  おそらく精神薬を飲んでいる・・とおもう

      無差別の殺人も・…精神薬

    被災地で 東日本大震災後に 精神科病院院長の一家心中
   
     精神薬では 院長の苦しみは救えなかった・・・・・・・ということ

       しかし  大きく取り上げられることはなく

       関係者の間だけでの有名な事件で終わっている

      この地域には震災後に  有名な自死の中心のy・O精神科教授が支援に来ている

   年間7~8万人の自死  
  若者の死因の1位は自死

    そんな国が日本

 最近は韓国も中国も 同じ現象が起きている

      介護施設での 液体の統合失調症の薬の投与

   高齢者に飲ませやすいように  液体の精神薬をスポイトで・…口に

   少ない職員で 介護ができるように・・・

       動き回らないように・・するため

   自閉症の子供にも同じように・・・

        全てではないが多くの施設では 実施されているようだ

         
   
     実家の甥が小学生の時・・・・

  発達障害ということで  精神薬を・・・

     彼は発達障害ではなかった  究極甘やかされた大人のエゴで・・・

    可愛がられすぎて  大人がすべてをやってあげて

      自分で考えなくても 先に先にと  物事ができていた・・・のが

  学校という 家族のいない場所で

  自分で物事を行うという訓練ができていないままに小学生になり

          一人で ランドセルを背負い一人で 靴を履き  

     1時間 座って  行動することを求められ  戸惑ったはず

     でも彼なりに頑張って  勉強をしたり 歌も歌った・…1時間座った

      しかし家に帰れば  家族がすべてをしてくれる

   学校の送り迎えも 毎日家族がする

        そんなふうにして 12年生きて・・・

これから中学生だから  一人で何でもできるよね…といわれて

       戸惑ったはず   


  子供が自立するということは
      大人がすべてやるのではなく

    子供に一人で着替えをさせ 片づけをさせ  


   訓練やしつけをして  大人になるのに 

 彼は突然12歳で12歳を求められた 
     
   それを発達障害として精神薬をのませられ・・・・

   薬害による統合失調症

       薬害による身体の発達障害


      このままで  精神科医の言うとおりに

     製薬会社の宣伝のままに

       薬を飲んでいたら  この国は破滅する

       
  たぶんこの国が破滅したら 次の国へと移るだけ・・・

  反省なんて言葉は 製薬会社にはあるわけがない

    自分の人生  自分の家族の人生

     守るのは自分しかない

     

虚しい夜

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健一と話せなくなって9年になろうとしている

    写真を見ると 無性に会いたくて涙があふれることもある

   なんともないときもある・・・・が・・・

 時には活動が虚しくなるときもある

     なんだろう・・・・・この虚しさは・・・    


      ・・・・・・・・・

 ダメだ!!!!!

     気合を入れなきゃ!!!

      お願いをしても…お願いをしても・…動かないとき

      無視されるとき・・・・

 襲う虚しさ

      投げ出したくなる

   イヤ!

     頑張る・……頑張るよ

頑張んなきゃ・・・

     自分を甘やかしすぎの自分


       健一に生きて会いたい


 生きて 会ったら・・・・・・・活動をやめる


       やめられない・・・・・生きて会えないから


  死ぬなーーーーーー


    精神科医   殺すな=======


      人を追い込むな~~~~~~~~


     製薬会社さま………お願いだからもう殺さないで・・・・

    国のお偉い自死の対策の中心のみなさま

          もうそろそろ   本気で救ってください

           

       

うつ病の受診が増えたら自死が減るはずでしたよね…専門家の皆さん

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明日は「藍の会」のわかちあいの集い

 いつもは月の最後の土・日だが

    たま~~~に 仙台市の行事が施設で開催されると…貸切状態で
      民間団体は借りられない


   新しく参加される遺族が 多い時は  複雑だ

        防止の活動が役にたっていないことに心が痛む

   毎年300人~400人と 新たに自死遺族からの連絡を受けて

思う    200億円の税金を20数年投入して

     教授たちが偉そうに講演して
   論文を書いて  発表して

        研修会やゲートキーパー養成をして

      役にたっているものは  ひとつもない

    やっぱり

   遺族である私たちが主張する対策が施行されないと 減ることはない

    3万人切ったというが   それは  借金の問題の自死が少し減った

 これは 専門家たちが 頑張ってきたから・・・

     ということは  私以外にも認めている人が多い

        しかし

  その他の原因はどうだろうか

       いじめも相変わらず

   パワハラも相変わらず

         言葉の暴力で追い込まれる人は減らない

  そして  精神科に受診して自死している人は増えている

       東北3県被災地は増えている・・・それもほとんどは精神科に通院中

     精神科の受診率が高くなったら   自死は減る!ということで  

     自死の専門家と自称する  精神科医たちが 主張してきた

  今も   受診率が低いから  自死が減らないんだ!
もっと多くの人が精神科の受診を!!!といっている


   今も うつ病の2割しか受診していないと・・・有名なY/T教授は本に書いている

  うつ病だといわれている患者 は  以前の「2・5倍」に増えている

それでも2割だという T教授

   以前の10倍に増えないと  自死は減らないというのだろうか

受診率が2・5倍になり、通院中の自死者は2倍に増えた・・・・

  10倍になったら   この確立だと   8倍には増える

      約2万人の自死者は精神科の薬を飲んでいる人たち

   この8倍

     16万人の人たちが自死しても

  まだ  受診が低い・・とでもいうのだろうか


      行方不明者が年間3万人  不審死が5万人
     
        といわれている

   不審死の中で自死ではないだろうか…という人は多い

         福江不明の人たちも「遺書」を残している人も多い

   がしかし  遺体の確認を医師が行わない限り  行方不明

御嶽山の「心肺停止」は遺
体があっても医師が死亡の確認を行っていないから「死亡」ではなく「心肺停止」

   だから行方不明は例外を除き 7年間の行方不明という理由がないと死亡にはならない

   しかも  自死かどうかの確認はできない

    崖からの飛び降りや  病院・橋・船等々の  飛び降りは不審死が多いし

     3万人どころではなく

  実質は 倍の6万人7万人の自死者だろうとも言われている


       「悩み」は病気ではありません

    ここ数年  脳梗塞や末期がん難病の人にも「精神薬」が処方され
(自死が増えている)

   末期がんという告知による落ち込みや抗がん剤による気分の低下

    それらが「うつ病」といわれて   

 同じ病院の精神科につながれて

  抗がん剤の薬と抗うつ薬を同時に飲まされている

        脳梗塞で身体が不自由になったりすることによる落ち込みも「うつ病」といわれ

   脳梗塞の薬のほかに「抗うつ薬」

  リハビリをする気力も失せて  動けなくなる脳梗塞の患者が増え
    自死も増えている

     自死者の精神薬を飲んでいる率は  年々高くなっている

    若い世代ほど増えている

         海外は精神科の治療体制が日本ほど薬オンリーではない

     どれほどの人が死ねば  間違えを認めるのだろうか

       おそらく  どんなに人が死んでも  今の対策の中心となっている専門家は

       改めずに  死んだ人が 悪化した…というのだろう
       
死にたい気持ちに寄り添って・・・という  ことばが  物語るように

    本人が「死にたい」から「死んだ」と思っているのだから

       

忘れ物が多いのは発達障がい?

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発達障害  

   12歳  担任からスクールカウンセラーにつなぎ
       セッション3回「児童精神学」を学んだ医師のいる精神科に行くように勧められた

    忘れ物が多い  運動が苦手  

 10歳 担任からスクールカウンセラーにつながれ
        2回のセッションで地元の入院設備のある精神科の受診を執拗に勧められた

   いじめられて不登校

      13歳 スクールカウンセラーのセッション1回
          児童精神学を学んだ医師のいる精神科病院に紹介
    遅刻が多い、いじめられていたので友人が少ない
   休みがち


   15歳 担任からスクールカウンセラーにつながれ 2回  そのうち1回は親も同席を勧められ   
         子どもは精神科に行くように言われ、親はカウンセリングを受けるように・・・といわれた

 このケースは 親からの依頼を受けて 学校で担任と副担任との話し合いに同席
        いじめられて不登校の子供が精神科の受診を勧められていた(県立高校)
    執拗に精神科の受診をその後も勧められ、子供が退学

       北海道の農場で働いている

3人とも発達障害といわれてスクールカウンセラーから精神科の受診を勧められ
     兄と姉は生きているが妹は自死
(小学校と中学校・・・・この学校は発達障害といわれている子供が多い)
    「忘れ物が多い」「遅刻が多い」ということだった  と 親の証言


    14歳「双極性障害」といわれて

感情の起伏が激しいという理由

   担任が子どもの言い分を認めようとしないことへの反発

   スクールカウンセラーから精神科に入院
   病院で不審死

 

    

まともな医師が欲しい

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精神薬を飲んでいる人の
自死の未遂は「精神薬」を減薬・断薬できたら
      おきない

 減薬・断薬に協力的な精神科医がいないことが問題である

   1県に1人?いない・・・・・・

  53回未遂したと自慢している患者がいた

     どこかが違う

     65歳の彼は30年以上精神薬を飲んでいて

       脳の神経が侵され・…彼自身ではないのかもしれない

      薬による「ロボトミー」である

    薬を飲む前よりも悪化しているのに疑問を持たないで飲む神経

    もはや異常な気がする

   未遂者のケアや支援、治らない患者の相談を受けるのには

    受け皿となる「医師」「カウンセラー」が必要

     治してくれる医師の存在が必要

減薬してくれる医師の存在が不可欠


       普通の精神科の治療をしてくれる医師が欲しい

    普通でいい

        まともな治療ができない医師ばかり。。。それが精神科医 


  悩みは「病気」ではない

悲しみは「病気」ではない


   そんなことも理解できない人たち


  精神薬で幸せになるなら

      なぜ精神薬を飲んで自死するのだろう

        精神薬を飲み続けて   

  明るく元気に幸せな人生を送った人って・・・・・誰かいるのだろうか

   私はしらない   

賞を受けた内容に憤ってます

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河北新報の
 新聞記事コンクール

「河北新報社賞」の高校1年の「自殺からみる命」

  高校生だから仕方がないといえば仕方がないのだろうが

   遺族からみたら  遺族を責め、自死したひとを責めている

**********

何が原因で人は自殺に追い込まれてしまうのか。自殺について考えてみた。


実をいうと、私も何回か自殺を考えたことがある・・

ここで私のことを話すとすれば
私は軽度の難聴者である。軽度とはいえど、補聴器をつけている。
周りと違う、そのことに何度も悩まされた。
カ行タ行の使い分けができない。
虫の声が聞こえない。
人の声が聞きとりづらい。
また、補聴器には多くのお金がかかるため親への負担も大きい。
もう、死んでしまった方が人のためになるなんて考えたこともあった。

 そんな私は今も生きている。


「私が死ななかった理由の一つ、友達の存在が大きい」

私が補聴器をつけていても気にしないでくれる。
だから死ななかった。

私にはストッパーがいたのだ。

   「自殺をしてしまう人には、ストッパーとなる物や人物がいなかったのではないだろうか」
「または、ストッパーに気づけなかったのではないだろうか」


 私は問いたい
「自分の事、価値のない人間だと思っていませんか」


以下 自分を価値のない人間だと思うから死ぬんだ…という文書が続く
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  個人の考え方を変えたら自死はしない・・・という主張



   これが「河北新報社賞」である


     社会的な要因を 何も考えず

        

 彼女にいいたい 
あなたの悩みの
 補聴器が高いのもそのままで、難聴の人を差別してもいいから

友人がいたら
我慢し、頑張り、耐え、何を言われても何をされても
  自死は起きないのか・・と。
   

私は自死遺族としていいたい

 あなたを悩ませた「補聴器」の値段を安くするか、または国が補助をするかして
        個人の負担を低くしたり
  難聴の人への差別的態度を教育の現場からなくしていくことや
     社会が難聴の人も不便なく暮らせるように変わることが必要であると。


遺族はストッパーになれなかった人

 自死者は 家族がストッパーだと気がつかないで死んでしまった人

  ということでしょうか

  高校生の考えだから  無視したらいいのかもしれないが

      自死に対して世の中の人と同じような 誤解満載の文書が
             賞をとったことへの 憤り

  

ノウハウよりも大切なもの

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 「心はどこにあるのだろう」
     「障害児教育自主教材・どんどん」という本を作っていたオジさんたちが

 ある日、こんな議論を始めたそうです

「そりゃ、当然、脳みその中やで」
   「いや読んで字のごとく心臓や。怖くなったりするとドキドキしてくるやないか」
中には「肝が座っているという言葉があるから、お腹の中かもしれへんな」
   という人まで出てきました。

さて、心はどこにあるのだろう
  そもそも心というものが、臓器の中にあるというのは、どうもしっくりしないしな。

そんなことを考え続けていた編集陣の一人が、
  はっと気がつきました
「心は”間”にあるんだ」と。


  花を見て「美しい」と思う心は
     花と私たちの間に起こる

 理不尽な出来事に遭遇してその事実を前にした自分に怒りの気持ちが湧き上がる。
    そういうものなのです。

こうした心のあり方に気づくと、
 たとえば世の中に特別に美しい心の持ち主がいるのではなく
  困難な状況のなかで真摯に努力する人の姿に接するといったことによって
誰もが心が洗われる経験ができるのだ、ということもわかってきます。

  ボランティア活動は、その「心」を核にした活動です。

活動を支え進めさせるのは、痴呆老人を抱えて頑張る母親への”共感”であったり、
 不条理な理由で障害児の高校入学拒否した当局への”怒り”であったり、
焚き火もできる自由な遊び場を作ろうという”ロマン”であったり
仲間とともにイベントを企画する”たのしさ”であったりするのですから。

   だからこの「心」が
      敏感にはじけ合ったり  のびやかに開かれたりすることが
活動を進めることでとても大切なことになるのだと思います。
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   岡知史氏のエッセイ本「知らされない愛について」の
  
発刊に当たって…の文書の一文

   大阪ボランティア協会の事務局長の言葉


   ボランティアができないわたしには  輝きすぎて苦手な人たちですが

      岡先生のエッセイとともに

   この文書に 人のやさしさを感じている私です

罵声・・・

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 精神科医療のことを書くと  

   精神薬を飲んでいる人から 罵声が来る


   罵声は私ではなく  治してくれない医師にいうことだと思うのだが

      罵る相手も判断できないほど  薬に侵されているのでしょうね  かなしいことです


   精神薬を飲んで  元気になり   普通に働いているひとは 少ない

       薬を飲まなくてもよくなって   初めて治ったという

薬を飲んでいる間は治っていない

         ましてや  飲んで苦しいのはなぜ・・・

   飲んで死ぬのはなぜ

   末期がんや難病ではない   製薬会社いわく「心の風邪」

    風邪で何年も何十年も  苦しむのだろうか

    風邪で 抗がつく強い薬を何年も飲むものだろうか


     飲んでいて苦しいなら  主治医にいうべきだが

  たぶん言っても  また薬が増えるだけ・・・・か  怒られるだけ

       そんなのは医療ではない


    「パキシル。新世代の抗うつ剤として一世を風靡した薬で不安や脅迫、
         パニック発作に強く、
  抗うつ作用もわりとある


  まいっか→どうでもよくする薬

          やめにくい

 よって永遠にパキシル界の住人になる」


「ジェイゾロフト


    消化器などの副作用も比較的出にくく忍容性が高い

いろいろ気にしなくさす
               通称「まいっかゾロフト」

基本、まじめな人にしか使ってはいけない

   広く第一選択としておすすめできる

ファイザー(製造元の製薬会社)お喜び」

こんなことが 精神科医たちの間でやり取りされている

      


 薬を飲むようになったきっかけを思い出すと

    苦しみから逃れたい  楽になりたい

     悩みから解放されたい

    と思い 飲んだはずです

       苦しみから逃れられたのでしょうか

  楽になったのでしょうか   悩みは解決したのでしょうか

     たぶん「ノー」でしょうね


   それは  自分のせいではなく  ましてや私のせいでもなく

      医師と精神薬のせいです


      治してくれないのは 誰でしょうか


             まるで 麻薬の売人に 金を払い 言いなりになっている中毒者のよう


   自死者のほかに不審死、心不全で亡くなる人たちがたくさん・・・
(精神薬を飲んでいる人たち)


  死んで欲しくない・・・・・元気で生きてほしい…と願い活動をしています

    私の息子は死にましたが

       生きている人たちは  減薬断薬して

  本来の自分を取り戻して  

    楽しい人生を送って欲しい・・・・と祈っています

 生きていたら  やり直せます

精神科の医療の水準

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  日本の精神科の医療の水準は 後進国

   30年以上遅れているといわれている

野田正彰氏はこう書いている

        日本の精神科医療は長期入院を主とする最悪のものだ
 欧米では精神科病床が減り続け、平均在院日数も減っているのに対し

    日本では減らせず
         35万病床の状態が20年以上続いている

 日本の全病床数170万床のうち

      2割を精神科病床が占めている

平均在院日数では

     イギリス51日

       アメリカ7日

イタリア12日  ドイツ24日


      日本は298日と   比較を絶する収容差である

5年以上入院させられている患者は5万人を超える



    ということは  日本の精神病は他国よりそれより難病なのか。

  もちろん そうではない

  多数の人々を長期に閉じ込める施設は
    医療であれ、教育であれ、刑務所や強制収容所に似てくる
多くの人を少ない職員で管理し 
        生活を規則で縛る

日本の精神病院もそのメカニズムが働き
   少ない精神科、少ない看護者でよしとしてきた

  厚労省は入院患者あたり他科の3分の1ほどの医師、看護師でよいと通達し
     かたくなにそれを変えずに来た

   

  

悩みは病気ではない

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 死にたい・・・気持ち

  ではなく

  生きたい・・・・・・・と 思い  死んでしまった


      息子は 精神薬を飲んで1か月半で逝った

   泣いて泣いて泣いて

     死にたくなかった・・・・・・・

  しかし  頑張って死んでしまった

        治ると信じていた

    薬が生きたいという気持ちを 支えてくれると思っていた

      薬を飲んでから

   息子は 変だった・・・・

   パワハラによる苦痛は  病気ではなかったのに

          私は病院を勧めた

   結果  精神薬を処方され

          治るどころか  死んでしまった

    生きたいから  薬を飲んだはずなのに


     仕事に復帰したいから  薬を飲んだのに

         今考えたら

     言葉の暴力による苦痛は  精神薬では治せなかった

    パワハラをやめてもらうしかなかったのだ

       仕事の負担による圧迫感も  仕事を分担してもらうしかなかった

  パワハラの改善と仕事の分担ができたら

        治った

   原因があった  抑うつ症状に対して

   原因を解決せずに  薬を飲んだって  解決にはならなかったのだ

         愚かな私は

息子の死後も  精神科を信じて  私も薬を飲んだ

       記憶障害が出てやめたけど

     怖い体験だった

   
                     

太陽の神(アイヌ)

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太陽の神

      札幌で自死遺族の自助グループの会を半年に一度でもいいから開催したい


    新聞に広報をしてもらい・…・知り合いの遺族に声をかけ・・・


        頑張ってみよう


  大阪も…大阪の遺族と相談して・・・

      3か月に一度でも・・・


四国も半年に一度でも・・・・

 
          そんなところから広がるかもしれない・…と思った

   沖縄には自助グループができた


    資金を作らなきゃ

         あ!  その前に  資料を送る約束を果たすことが先でした

世間の目は無責任

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 道庁

 札幌は急に決まったので 北海道の遺族には連絡をしていなかったが

     札幌駅で待ち合わせてくれた 人が・・・・

 悲しいご縁の遺族だけど   なんだか心がほっこり


   講演会終了後の懇親会にも参加してくれて  彼女の誠実な毅然とした姿に

        息子さんの姿が重なって見え  真面目に頑張ろうとしていた人を死に追い込む社会は

何としても変えたい・…・変えなければならない

     と  ・・・

 自死遺族の多くは声をあげることなく

    悪いことをしたかのように

      亡き人を語ることもなく   生きてきた  


      そうしなければ生きられない社会だったのだろう・・・・・・・とおもう

   私は健一が死んで

     二度未遂をした

          世間なんてなんにも怖くなかった

    もともとの性格だ…と 夫はいう

       あれこれ…人のことをいうひとは

私が困っても何もしてくれない
                 陰で笑うだけ

    心の優しい人は  なんにも言わずに 手を差し伸べてくれる

   人の不幸を 話のタネにしない

            健一の死が自死だと知られて  私は困らない

     人に何を言われてもいい いう人とは付き合わないから

         健一が悪いことをしたとは思っていないから

          隠れて生きることはしない

    健一を悪く言う人がいたら  立ち向かう

         それが  救えなかった息子への親としても責務

    自死した息子よりも  自分がどう思われるかを気にするようなことはしない

          どう思われてもいい

      息子が生きていたころよりも  頑張って生きている

         だらしなく生きるのはやめた

             人にも優しくしようと意識している


        家族とも仲良く 意識して笑顔で・・・・・


     それもまた 息子への懺悔と供養


          罪滅ぼし

      それは  毅然と凛と

       息子を語り生きること

             自死のない社会をつくるために頑張ること

       健一の自死は  人生観を大きく変えた

         自死ということを言いふらして歩くことはないが

     普通に隠さないで生きてほしい

       と願う


        亡くなった人の尊厳のためにも・・・


無責任な世間の目なんて・・・・・・・・どうでもいい

   

検案料

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検案書というものは

 死亡が犯罪かどうか事故かどうか・…というようなことを
死亡時間や死亡原因とともに 医師の確認が必要です

 御嶽山の心肺停止と発表されていたケースは

  死んではいるが 医師の確認がされていない遺体の事です


    検案書が作成されて初めて「死亡」が確定となるのです


    そして東京と大阪、名古屋には監察医が存在していますので無料です
    ただし
   文書の作成料金1000円~2000円の支払いがあります

        名古屋は監察医の制度がうまく利用できていなくて、普通に請求されるようです

この問題は

 2008年から 厚労省等に要望をしてきました

(新聞記者やテレビの記者とともに全国の事情を調べました)

       各地域の警察署と、その地域の医師会との連携で
(これも県警本部に親しい人がいるので確認しています)

           病院以外での遺体の検案が行われています

   だからその地域で金額が違うのです

      高い地域は 15分の検案で30万円

   ちなみに我が家は13万5千円(15分程度 夜10時)

       即金請求  領収書なし

  神奈川県で脱税の疑いで逮捕された医師がいます

(検案担当医)

   海上保安庁勤務の遺族からの情報ですが

       海の捜索で遺体が見つかって検案した場合  普通に2万~3万以内だそうです

   医師の言い値で決まるのです

自死だから特別な調べになるのではありません

     腐敗している孤独死の場合は普通の料金

   病死や不審死とされた方が自死よりも安いのです
  

      東日本大震災の時の検案も最初は  請求されて支払った遺族もいます

   自死というところに チェックされると  料金が高くなる…事実があります
     
        普通に病死の時は2万円程度です

    この問題は厚労省の委員会で議論されています

      解剖になったら料金は別です


    高すぎるので医師を変えたいと思っても(警察署)
医師会の協力が必要なことなので
  医師会の決めた医師の文句は言えない…ということでした。

      これが現実です

    自死の場合の様々な差別的問題はたくさんあり

  是正のために  弁護士や司法書士・民法の教授や精神科医による
         研究会を開いています

    
  宮城県の障害のある子供を抱える親御さんたちの会ともつながりがあります

     身体的な障がいの子供さんを抱える親の団体等等

発達障害や自閉症の子供が

  精神科に通ってなければ 公的間の施設は使用させないという地域もあるのです

そのために  親たちが子供の居場所を作って

       活動をしている地域もあります

また  民間で施設の建設をして受け入れているところもあります 


      無知は罪である・・・という野田先生の言葉に納得しています
   
     自死の問題は 深い闇のように問題があるのです

       当事者が知らない間に  対策が決められていることが多いのです

    
   発達障害といわれている子供の声をブログに掲載しましたが

      本人に障がいがあるのではなく 社会に障がいがあるのです

社会にある障がいをなくして、変な部分も個性としてみんなが普通に暮らせる社会こそが

 福祉の充実した成熟した社会ではないでしょうか

      その考えこそが   社会福祉の考え方です

    息子が死んで

  9年になろうとしていますが

 半年後から
     自死の問題のど真ん中で 闘い生きてきました

  日本の自死の対策を担当している学者たちの大部分は私を知っていると思います

    国の 自死遺族支援の担当者で  知らない人はいないはずです

  そのくらい  意見をいい  要望書を提出し
  マスコミにも顔を出し
       本にも掲載されています

          全国も飛び回ってきました

    批判も山のように受けてきました

           でも 多くの遺族とのつながりと

      様々な分野の専門家の人たちの 良心的支援をいただき

          現在も活動をしています

国の対策に疑問を持ち 意見をいい続けてきました

     私個人の問題だけではなく

   つながりのある遺族の声を  届けてきたつもりです

   延べ件数 1年間 1万件  8年で8万件

      1か月900件以上