
コメントは拒否できるしコメントできないようにもできる
が
遺族からのつながりのコメントもあるので
コメントができるようにしている
コメントができないブログがあるのは
ブログを書きたくなくなるような 否定的なコメントも多いから・・と聞いた
発信の意味で ブログをしたけど
コメントに疲れて
ブログをやめた
という 宗教者がいる
ブログのコメントが多かろうが少なかろうが
コメントを求めて書いてはいない
ひとりごと・・・・・・・・・・です
人を批判するだけのコメントは・・・・・私はしない
前に書いたと思いますが
一人っ子の幼い娘を震災で亡くし
まだ見つかっていない 両親も亡くなった人のブログ
楽しいブログですね・・・・とコメントをする人
楽しそうなことも書いてある・・・が
震災で両親と娘が亡くなったと わかるブログ
でも そんなコメント
人は自分の反応する部分だけ
私のブログも
全部見ていたら
どんな内容かわかるはず
ブログは私の活動ではない
活動は…運動は 別にある
言い訳のようだが
ブログは 私の 1000分の1
自死遺族のための ツールのひとつ
ホームページも4つある
関連のHPもある
県や市のHPにも掲載している
内閣府のサイトにも掲載されている
いろんな人たちが出している本にも掲載されている
書いた本もある
ブログは つながるためのツールのひとつ
アドバイスを受けたことがある
コメントできないようにしたら・・・と
あえてしないのは 遺族がつながれるため・・・
いつの間にか
問題がすり替わっていますが
そもそもは
精神科医療への問題提起
私が健一の自死を 親の私の責任ではなく
精神科の医療の責任にしている・・・という お叱りのコメント
子どもの自死は 親の責任だろ!という コメント
精神科のせいにしてるんではない!親の責任を認めろ!というコメント
すり替えてはいけない
ブログの一部の文書で 判断されたくない
親の責任は他人が問いただすものでしょうか
自死した子供を持つ親に
親の責任だ!!!という必要が 他人にあるのでしょうか
精神科医療の責任を押し付けるな!!!といわれる筋合いもないと思う
田中いねさんに迷惑をかけていないし
どうして 息子の自死を親の責任んだ!と 他人に言われなければ
ならないのか わかりません
他人にいわれなくても 親は責任を感じています
だから 生き方を180度変えた
化粧はしない
洋服も買わない・ 旅行もしない
生活のすべてを自死の問題としている
活動の資金も 補助金もあるが
年金も講師料もすべて活動に注いでいる
年間100万円は超える
自前が多い
何時間もの相談も無料
保証人になることもある
寝る時間を割いて相談を受けることもある
精神科の医療の相談は命がけ
自前で・・・
なぜ 自前で 年間100万円以上つぎ込んで 活動をして
関係のない人に 息子への責任を 言われなければならないのか
わかりません
自分の子供が亡くなってみると 私の気持ちが理解できると思います
人はわかりません
子どもが病気で死んだり
事故で死んだり
人生 わかりません
他人が 普通は 人様の子供を呼び捨てにしません
さんか君はつける
健一と呼び捨てにされる覚えはありません
自殺・・と 自死遺族が心を痛める言葉ではいわないです・・・
やさしい人なら・・・ですが
親が自分の子供を思う気持ち以上に
他人が他人の子供を思うでしょうか
民生委員が 息子を私以上に思うでしょうか・・・
上司が母親以上に息子を思うでしょうか
保健師が 私の息子の何を知って何ができるでしょうか
何度も言いますが警察官の息子は保健師には相談しません
仕事の悩みを保健師や民生委員にいうでしょうか
警察の仕事の事 警察内部のこと
それを 保健師や民生委員に相談してもどうにもならないことを息子は知っています
何度も言いますが
田中いねさんは
子供の自死はおやの責任・・・精神科医療のせいにするな!という
コメントが最初です
親の責任を 精神科医療にすり替えるな
子供の死は親だ!という内容です
子供を亡くした親に そんなことをいう人は すごいです
やさしさのかけらもないひと・・・・です
私は 人の苦しみや悲しみに追い打ちをかけるような人は嫌いです
思いやりは必要であり大切です
思いやりのあるコメントは前向きでありがたいです
揚げ足取りは 意味のないコメント
ほめてほしいとは思いませんが
子供を亡くした親に
お前の子どもが死んだのはお前のせい・・・親の責任だ!!というコメントをするのは
どうだろうか