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結婚をし子供を養える収入がない若者たち

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きれいごとでは 子供は育てられない

 理想をいくら部外者が描いても 

 若者が結婚をして、子供を育てようという気持ちにならなければ  絵にかいた餅

   遺児の支援も・・・子供の心のケアの前にやることがある
子供を育てるにはお金が必要

   収入がないと  大人は、笑顔になれない

たくさんのお金が欲しいのではなく
      笑顔で子供も育てられるだけの資金は必要

   金のことをいうと  汚い いやらしい ように思うようだが
 現実は  金がないと
   生活ができない

     子供を育てるということは
            ある程度のお金が必要

 貸し付けしている 育英資金 そんな団体が善意の塊のように思っている人が多いが

        寄付を集めて   貸し付けている・・・・

    サラ金よりひどい

      サラ金は 寄付を 貸しているわけではない

   我が家の次男も結婚していない  39歳

    結婚できるほど給料が高くない

         だから  自分の車も持たない

       結婚しないから  子供もいない

        真面目に1か月働いて
           39歳   同じ会社で長いが  結婚できるほどの給料ではない

      妻も働けば  2人で何とかなるのだろうが

       子供でもできたら  待機児童が多く  保育園には入れない

        生活できないなら

一人でいたほうがいい・・・と 次男は思っている


親の世話になってまで 結婚はしたくないようだ

   お金に不自由をしたことのない人たちの議論は   きれいごと


        100円に不自由したことがない人たち

   の  理想論に  腹立たしくおもう
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地方ほど自死率が高いのは・・・・

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 今朝も少子化と過疎化の話題で議論していた

  こんな議論を見ていつも思う

  働く場所がない  のは   どうするのか

  雪の降る地域での農業収入では  一家が生活できない現実をどう解消するのか

      暮らす・・・ということは   収入が必要

   収入源がない 地域で  どうやって暮らすのか


     生活費が安い・・・というが  収入も低い

  働ける場所があり・・それなり収入が得られたら

   地元で暮らす若者はいると思う

  ・・・・・・・・

 そして  田舎は  いい人たちだが

    口うるさい

    隣の嫁がいい年して 花柄のスカートをはいていた・・とか

            赤い服着て出かけたけど ・・・・・・・何しに出かけたんだか・・・とか

  朝、窓が開かないけど・・・こんな時間まで寝ているとか

      休みは遊びに出かけてばかりいて

     草取りでもしたらいいのに・・とか

         とにかく 細かく   人の陰口をいう

     それを 気にせず   暮らせる人でないと 無理

    また一緒に  影口を言う人でないと  仲間外れになる

      もしくは  金持ちにならなければ

    金のある人には  一目置く

     地位のある人には一目置く

        若者を引き留めるには

   収入源の確保と
         若者の暮らしを受け止めるおおらかさがないと

               厳しいとおもう

   青森の津軽平野のど真ん中の 旧家で育ち
         農家の暮らしも  人との付き合いも 
     みてきたから  思う

     過疎地化は止められないと思う

   

   自死も多い

      変死も多い  

        都会が自死率が高いのではない

 過疎化の進む地域   東北の郡部・…・北海道の郡部
 沖縄の島・・・・

     多い

   暮らしやすいなら  死なない

  人に
やさしい地域なら  死なない


   なぜ  田舎で自死が多いのか・・・・

     過疎化の原因がそこにはある

レンタル友人

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昨夜のテレビ

友達のレンタル

    1時間数千円で仕事として友人をする

   友人ではない   

奥さんを亡くした人が 1月1回  一日  4万円弱の料金を支払い

 レンタル友人と  海に行く

  ランチ代やお茶代旅費は別料金

   66歳が35歳の女性と・・・・

友人なら同性でもいいと思うのは気のせい?

      キャッチボールの相手をしてくれるレンタル友人

   なぜ女?男同士でキャッチボールでもいいよね
  わざわざ  なんで 異性の友人

    レンタル恋人というのがあるが

    レンタル  友人ではなく   レンタル恋人  のような気がした
1日数万円をかけて  レンタル友人と海

    楽しいのかなぁ~~~

    異性だから楽しいのでしょうね・・・

  理解不可能な世界を垣間見た

    金で買う友人
             自分の自由になるからかな・・・

   反論はしないし・・・・・なんでも肯定してくれる友人

      心がないから   喧嘩もしない

   気持ちがないから  意見は言わない

        普通のことと思っているから

   顔を出してテレビにでている・・・・のだとおもう

      そうかな・・・・普通なのかな・・・・・

 

今日は「藍の会」94回目

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昨夜は「会いたい」のミニ冊子を作成

   明石書店から本として「会いたい」は出版されているが

   掲載されていないものだけ集めて作った

今日の「藍の会」で 希望者に配る


    
  震災で子供を亡くした人たちの冊子も作らなければ・・・
 フォーラムで数が足りなくなってしまい、遺族には配れなかった・・

      
自助グループ  本人の会

     他者を寄せ付けないように思う人もいる

      そうではない

 話し合いの時間だけは  自分たちだけで・・・

      それだけのこと

 NJOシャンティ国際ボランティア
   気仙沼のつむぎの会を全面支援してくれている

会場の確保  広報  会場の設置  片付け

   決して  「わかちあい」には入らない

  クールダウンの時には 遺族たちから声をかけ一緒にお茶をする

    支援とは「わかちあい」の時間一緒にいることではなく

   レストランの従業員のように

       準備して用意したら  呼ばれるまで 控えている・・・・片づけをする

    遺族が歩いていくときに  道に石ころがあったら退かす
        水たまりがあったら 埋める
                 求められることを支援することが支援者ではないのだろうか

     車いすを押すより  車いすに乗っている人の心のケアをしたい

         というボランティアが多いという

      遺族が求める広報や場所の提供は手伝いたくないけど
            悲しい話は聞きたい

      わかちあいの時間は  遺族だけでどうぞ・・・

     なにか私にできることがあったら 声をかけてください

        というのが支援者としての心得ではないのだろうか

    とても わかりやすい  と思うのだが

      ・・・・・・・・自分が目立つところ  中心  会の最も核となる部分にいないと

   満足しないのだろうか   支援した・・という気分にならないのだろうか


 
       人の心に  入ろうと  私は思わない

     入れないから・・・・・・・

    今回で94回の藍の会

       会の後  いつも  反省

     遺族のやさしさで  続けています

  多くの人に 許されて  活動をしています

遺構とは

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昨日は仙台「つむぎの会」

 明日は「藍の会」
          
      震災の遺構問題や復興の話し合いには

 なぜか  遺族の声は届かない

 なぜか  名古屋のNPO や  神戸のNPO

     学者たちが  集まって  議論されていく

    荒浜小学校が遺構として 「きぼうなんたら」となるらしい 

     助かった人たちは「希望・…」の遺構なのだろう

    その直前で・・・ 亡くなった人たちも多くいることを忘れてはならない

遺族にとって  そこは「希望・・・」ではない

   命がある人たちは  命を失った人たちのことを思い

  遺構や復興の問題を考えるべきだと思う

    自分よりも悲しい人たちのために

     なにか できることを考えるのが  支援者の大好きな「絆」ではないのだろうか

    悲しみの深い遺族の声は無視

      家族が誰も死ななかった人たちの声は届く

        家族が亡くなった人の声も

   親を亡くした子供「遺児」の声は 届けよう・・・という

  大人の支援者たちがいる

子供は大人の支援者の思うようになるからだろう

         大人の遺族は  支援者の思うようにはならないから  無視

   わかりやすい 構図である


   自死の問題も同じ

  自死遺族の声は無視

   自死遺児たちは「かわいそう」を売り物に

       見世物のように   街頭募金に立たされる

   大人のいうがままに   


      心のケア を  しなければならない

  と  あっちでもこっちでも   叫んでいるが

               遺族が遺構を残してほしくないと願うなら
      壊すことが「心のケア」ではないのだろうか

     見たら 心が痛い……苦しい  というものをなんで残すのか

     見ても心が痛くない苦しくない人は

    なくても   心は痛くない人

                心のケアとは
       やさしさとは

      何なのでしょう


   

「被災者とともに」とは
亡くなった人および家族を喪った人、家を失った人、職を失った人を思いながら
この順に何ができるかを考えていくことである
喪失と悲哀は
 家族を喪った人で最も深く、
  彼らを傍らに置いて構想を語るべきではない。

亡くなった人との対話、故人の遺志を聞きとった人をいたわり

   故郷の住と職を再建しようとする被災者の意志が
県、国、多くの企業が提案する構想と交流していくとき
復興は前に進んでいくのである

被災者の悲哀と建物と社会の再建はひとつである

  思想なき災害救援も 感情なき災害復興もあり得ない
(野田正彰)

過疎地の道路は立派

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米生産だけの農家

  1俵 60キロ 買い取り価格が1万円前後
一反 10俵  10万円
一町 100俵 100万円

  以前は 人手  必要経費は少なかった
今は
 国の政策で  区画整理され   機械化された

    区画整理した時の  事業費負担が  今の農家にかかっている
(40年以上)

 機械は一台数百万円   600万・700万は普通

この機械が  壊れやすく  5年は持たない

(兄はまわりから皮肉を言われるほど丁寧に使って8年・・・・  部品もなくなる)

    そんな機械が  目的別に必要

   私の実家のことをいうと

   苗を育てる  ビニールハウス   苗床の容器   田植え機械

        刈り取り機械   乾燥機   精米機   



   その他  肥料・・・様々な稲の病気駆除の薬品と撒くための機械

   必要経費が 昔の数十倍

        5ヘクタール   500俵   500万円  家族3人

     経費  差引    手取り    200万円

   家族3人の収入   1人  70万弱の年収
        ここから  税金や 健康保険  

      だから 農家は 出稼ぎで生計を立ててきた

   若者は  子供の教育費とかを考えたら農家に執着していられない

     家族バラバラの出稼ぎが  主たる生活費では  どうにもならない

        こうして   農家の後継ぎは  都会に出て サラリーマンになっている

   10ヘクタールでも  やっと・…やっとの生活   

1000俵の仕事をするのは重労働
                            それで 1千万   家族 5人   経費を引くと

       会社経営にして  30ヘクタール   3000俵  3千万

      後  20年もしたら   コメの農家は  少数
’65歳の私たち世代が  若者の世界)
          農地は荒れてしまう

       被災地の復旧も  田舎の過疎化も

   少子化も・・・・・   平均的な暮らしができる仕事がないから

      低賃金~高負担  

   残業代ゼロを目指す・・・・・ということの議論が盛んなようだが

    残業時間ゼロならわかるが    

  残業手当ゼロを目指す…意味が分からない

       サービス残業が増えるということなのだろうか

     どこかが儲けて  儲けた人の発言力が強く

       儲けている人の  いいなりに  世の中の仕組みが変わっていく

  津軽平野のど真ん中にある わが実家は   親戚に農地を貸している

    兄は 高かった 機械もそのままに  処分できず  畑を耕して

  できるだけ食費を増やさないように暮らしている

   一部の金持ちのために  国は動く

     金のある人は  声も大きい

        政治には 金が必要

   コメ農家はつぶれ  過疎化は進み

    誰も走らない立派な道路が残る

  それも いつか 朽ちる   

   津軽平野も
人が住んでいない地域になるのは
      ハッキリと見える

震災関連自死の異常な数字

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 震災関連自死が毎年 70人以上(東北3県)
   3年で 200人以上

  関連自死と認定された自死だけ

 認定されたということは「精神科通院歴」がある人だけ

   被災者の人数と 自死の割合を全国比率でみると

     異常に高い数字になっている

   それも100パーセント精神科通院

       国は 田中の出したデーターは 特殊だというが

   (自死者の7割8割が精神科にかかっていたデーター)

    この被災地の関連自死は  国が認定基準を決めて
       その基準を満たした自死者だけの人数

 基準は精神科にかかっていること

      国が出したデーターで 
 被災地における関連自死は100パーセント精神科通院と示している

  私が出したデーターではない

  
    仕事がなくなった
      収入がない   家族が亡くなった  家も流されてしまった

      精神薬を飲んで  何が解決するのだろう

 クスリで  ぐっすり寝れたとしても  朝起きたら  現実がある

クスリは 徐々に効果が薄れる
    強い薬に変える
    また効かなくなる

      飲んでも飲んでも  仕事がない家族はいない家もない・・・・

  そして  自死

精神薬は病気を治すもの

      病気ではない 問題 

 仕事がないこと  家族が死んだこと  家が流されたこと   

    は  治せない

 現実的な問題の解決が先
         問題を解決できないから  精神科医につないでごまかしている

 ごまかしの支援で  自死が増えている

   自死すると  個人の責任   つないだ支援者は無責任

   自分が精神科につないだ人が  元気になったのか  追跡調査をしてほしい

    と 要望しているが  絶対に  追跡しない

     元気になっていないのが  わかっているから

    現実を知ろうとしない

     無責任なつなぎや支援が  自死に追い込んでいることから
目をそらしてはいけない

    あなたを信頼して  あなたを信じて

      自死に至った人がいる

    みんな生きていたいのです    

 

大飯原発の稼働停止判決の内容に涙が流れた

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大飯原発の判決

極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と
    電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論にかわったり
その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことと考えている

我が国における原子力発電の依存率等に照らすと
本件原発の稼働停止によって電力供給が停止し  これに伴って人の生命
身体が危険にさらされるという因果の流れは  これを考慮する必要のない状態であるといえる

被告の主張においても 本件原発の稼働停止による 不都合は
  電力供給の安定性コストの問題にとどまっている
この
コストの問題に関連して
国富流出や喪失の議論があるが

    たとえ  本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても
 これを 国富の流出や喪失というべきではなく

豊かな国土と そこに国民が根を下ろして生活していることが

         国富であり これを取り戻すことができなくなることが

  国富の喪失であると  当裁判所は考えている


  素晴らしい判決

   こんな人が 裁判官として  もっとたくさんほしい

      良心のある裁判官

「国民の生存と  電気代の高い低いを並べて論ずる問題ではない」
    「豊かな国土と  そこに国民が根を下ろして生活している事こそが  国富である」

     国民の命を最優先する判決

   

セルフヘルプグループとセルフヘルプサポーター

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岡知史教授の論文

 「セルフセルプグループとセルフヘルプ・サポーター、
      そしてソーシャルワーク:
自死遺族「本人の会」の事例を用いた理論的考察


岡知史(上智大学)
Thomasina Borkman(George Mason University)

ソーシャル研究(相川書房)
1、セルフヘルプグループとサポートグループ

   当事者主導のSHGあるいは専門職主導のサポートグループにかかわることを
 願う専門職にとって、この2種類のグループを区別することは
   非常に大切であることを私たちは強調してきた。
(Oka,2010a;岡・Borkman,2000; 岡・高畑、2000)
 
 29 ページに及ぶ内容である

 全国自死遺族フォーラムに参加したことのある遺族や支援者は
   この論文の資料を持っている(配布した)

ソーシャルワーク専門職は

人間の福利(ウエルビーデング)の増進を目指して、社会の変革をすすめ
  人間関係における問題解決を図り
人々のエンパワーメントと開放を促していく。
ソーシャルワークは、人間の行動と社会システムに関する理論を利用して
  人びとがその環境と相互に影響し合う接点に介入する。
人権と社会正義の原理は、ソーシャルワークの拠り所とする基盤である


    支援者はソーシャルワーカーであるべきだ・・・・・と  主張してきた

   支援を押し付けるのではなく

   求められた支援にどのようにつなげられるか・・・・

       求められた支援をどうしたら実現できるのか

   ::::::::::::::::

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 笑顔がひきつっている人がいる

 いつも眉間にしわを寄せて…人のあら捜しをしている人

    悲しみでひきつっているのではない

     自分がこんなに頑張っている…オーラ全開

     頑張って一生懸命で  自分が・・・自分が・・・

     誰よりも自分が・・・・・

 そんな人は  せかせかと見える(本当はゆっくりした動作なのかもしれないが)

       せわしなく  落ち着きがなく

   ・・・・微笑むこともない

     見ていて・・・・疲れるだろうなぁ~~~~~とおもう

     自分は完璧・・・らしい

        自分だけが完璧・・・・

     すごいなぁ~~~


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病気の広告

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   最近はテレビも新聞も病気の啓発広告が目立つようになった

もちろんスポンサーは製薬会社

「全面広告」  監修は専門医

自分のライフスタイルに合ったお薬について 医師に相談してみましょう

      とある

あらゆる病気の啓発を製薬会社がしている

  専門医に行きましょう~~~と

     どれほど  儲けたら満足するのでしょうね

   人間の欲望の最たるものが  企業の利益追求

    飽くことのない欲望  金

   金と権力 

       程よい利益では終われない 事情があるのだろう

   人にはやさしくない 利益追求社会

    人にやさしい社会は 利益にはつながらない

       かといって

     利益を追求しない社会は  人間を堕落させる

      人間の  欲望は限りがないから
            永遠に  いたちごっこ

  そこに生きている私たちが  賢く生きていかないと
企業に操られて 翻弄されていきることになる

  文明社会になればなるほど

       人は自分で知識を得て  自分の身は自分で守り
   
     自分が人間らしく生きる 情報を選択すること

 私が子供のころ

      農業に従事するものは  読み書きもできなくても

      生きることができた

  今の 私の津軽平野の地域は  老人ホームだらけ

    特別  ホームに入ると  死が早い
    
       そこにも   少ない人数で  介護をする工夫のために

    統合失調症の精神薬が 高齢者に飲まされている

       教育の現場でも

 扱いにくい子供は  発達障害として 精神薬が処方される


      いじめられても 精神薬

   パワハラでも精神薬

          それでも飽き足らず   心臓病  脳卒中  糖尿病
  アルコール依存症  ・・・・・・・・肩こり…睡眠障害
       腰痛・・・・・頭痛・・・・不安障害
   
        適応障害・・・・・

    ハゲも病気  汗をかくのも病気  汗をかかないのも病気

      冷静に  見ていると  滑稽


  どんだけ~~~~~  と  叫びたいほど  

   道化のような  広告が多い  

知らされない愛について

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「死ね」というお言葉をまたいただいた

   非公開コメントや留守電で まれに  いただくことがある


  死ねと言われなくても  時が来たら死にますから・・・・

   焦らずにお待ちください   

警察に訴えてやる・・・という お言葉も  まれに  いただく

       訴えてください   とおもう

     野田先生に 話したら「よくあることだよ・・・」 とひとこと

   「 知らされない愛について」岡知史

愛というものは知らされないものだと思う
        もちろん知らされる愛もある
僕たちが知っているのは知らされた愛ばかりだ
プレゼントをもらったり、愛の言葉をならべた手紙を受け取って、愛を知るときがある
しかし
知らされた愛がすべての真実そのものであるとは限らない

知らされる愛がある一方で、知らされない愛がある。知らされない愛は永遠にきづかない
ままなのではないか。
そして、それは知らされる愛に比べてずっと深く広く、
ぼくたちを背後から見守ってくれているのだという気する。
知らされない愛はきっと純粋なのだ。
報いを求めてないからこそ、愛されるものには決して知らされることはないのだろう。
それは自身を隠しているのではなく、むしろ知らせることには
    何の関心もないのだろう。
::::::::::::::::::::こんな文章から始まる・・・

  私の 心の鎮痛剤

  こんなに愛している  こんなにやった  こんなに頑張った
    言いたくなる・・・

  葛藤する

    そんな時  お風呂に入り・…景色を眺め  瞑想をする
本を読む
      お経を唱える

    息子と向き合う


どうにも落ち着かないときは  一人 いきつけの店で酒を飲む


 

活動の原点は・・・・・

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47都道府県に一か所ずつ自助グループが欲しいと願っている

  27日の 厚労省の担当者は来年度申請してください…と


だが今後も

   全国自死遺族連絡会は  国からの補助金はもらわない

      立派なホテルで講演会やフォーラムはできないが

      今年度7回目の全国フォーラムも準備している

   たくさんの出会いがあり・……・たくさんの別れもあり

  静かに離れていく人もいれば

    砂をかけ・・・ 泥をかけつづける人もいる

人はそれぞれ  様々   私も含め 勝手


こころが ザラつくとき
      健一を想う

  お兄ちゃんは どんな顔で見ているのかなぁ~と

       新たに遺族になった人からの相談を毎日受ける

     悲しいご縁が増えていく  か な し い

                 とても・・・

     父や母を思い

      健一をおもう

       涙があふれる  胸が痛くなる

         雑念を振り払うために  自分を追い込む

     どうにもならない絶望と悲しさに身を置く

              死と生

       精神が 原点に返る

          なぜ  私は生きて  いるのか

   なぜ 息子は死んだのか

     なぜ  活動をしているのか

    何のために  生きているのか

          その原点は  息子の自死   死に顔

     決して忘れない   道は外れない  絶対に

       二度と  後悔はしたくないから

    息子に呆れられたくないから

でも        凡人の私は いつも惑う

      そんなとき  必ず息子をおもう   親思いの息子はいつも心配して

  「カァチャン・・・・・・」と  

    人間の裏側をたくさん見せてもらい 生きています
そして

   たくさんのやさしい人たちに支えられ  一緒に歩いてもらっています

       
         


   

     

あいまいな人たち

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本人以外に 支援者が入っても・…ボランティアが入っても
   保健師が入っても  (運営者として)

   ゆるやかな自助グループという・・・・

     そんなアホな主張が  通り・…国が指針を作成していた

   自助グループという文言を入れるなら

       自助グループの研究者に定義を確かめたらいいのに・・・・

     あいまいな知識で   国の指針が作成されていた

   

   素人の遺族が  主張しても  はぐらかされて  

       スルーされて終わりだったので


 岡教授にお願いをして  定義を講演で話してもらった

 内閣府が主催の自死遺族支援のための講習会

       の  講演

    国はそこから  定義を受け入れた形になっていたと思っていたが

       中身は あまり変わってなく

     今も、ゆるやかな自助グループ

   という意味らしい

        だから  自助グループ活動支援という名目でも

        支援団体だけに 補助金がおりていることは普通のようだ

      名目だけだから・・・・・・・・ゆるやかな自助グループ支援だから

       あいまいな喪失という言葉を使っている

 遺族支援の団体があるが   

 あいまいな言い方でごまかして世の中を生きてきた人たちなんでしょうね

  自助グループの定義を あいまいに使われてはならない    


 あいまいな人たちとの闘いが今もある


   あいまいに  税金を確保するのは  手馴れている

     あいまいな 社会が 自死の対策の社会だから    


     適当に・・・いいかげんに・・・・・

  ああ言えばこう言う・・・・・屁理屈だらけ

            遺族は真剣に生きている

       ごまかされない・・・・・喪われた命とともに活動しているから


夫が「お前みたいなのとかかわって国の担当者も気の毒だ!!」と
    
  

自助グループの定義は大切

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岡先生~~~~~~~

   もっと自助グループのことをアピールしてーーーーーーーーーください

   自助グループの研究者は謙虚な人が多いのかな~

     定義は大切なもの

   いまだに  自助グループの定義がきちんと理解されていない

      関係者間でさえ・・・・

     会の持ち主が誰であるのか・・・・・・・・本人

     運営について口出しができる・…・本人たちだけ

           スタッフ・……本人たちだけ

    自死遺族の自助グループは

「わかちあい」の時間は本人たちだけとすると決めている

     自助グループがよくて他はダメだと言ってはいないのだが

    自助グループとは  こんな定義があるんですよ・・・と  いうと

        他者は  否定されているように思うらしい

  定義は守られなければ ならない

   定義が守られないなら

      自助グループという くくりは必要でない

           全部が グループでいい

    自助グループ  支援グループ  という言葉があり

 研究者がいて研究もされているとしたら

     定義は大切である

   自己アピールが足りないのだろうか(笑)

       自死遺族の自助グループがこんなに広がっているのに

       自死遺族支援を考えてきた人たちは

        認めたくないようだ

    日本の自死遺族の自助グループの活動が広がり

            自死への偏見や差別がなくなる日が来ると信じている

   自助グループ活動の大切さが広がることを願っています


  岡知史教授・・・・・・・ もっと有名になって~~~~~~

悲しみの分だけ誰にでもやさしかった父と母

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育ての母は、自分の娘を亡くし・・・

      自分の姉から娘をもらい育てまた亡くし

    夫の妹から娘をもらい……返して・…といわれて返し…その子も亡くなり

   私が両親の離婚で親戚中たらいまわしになっていたのを

       もらい養子縁組して  育ててくれた(1歳未満)

母はお盆や命日  泣いていた

   お地蔵さんをお寺におさめ  夏は浴衣 冬は冬用の着物を着せて
     熱心に祈っていた

 お地蔵さまの お堂を建て寄贈

    いつも明るい母が  娘を想いなく姿に 距離感を覚えていた私だった

   息子を亡くして・……母が50回忌にも泣いていた意味が理解できた

      父が亡くなり母をおくった時  弔辞を読んだ

     父と娘と会えましたか・・・・・会えていると信じています

     あなたの娘で幸せでした・・・と

    やさしい母だった   誰にでも・・・

   父もやさしいひとだった

  子供を亡くした悲しみの分だけやさしかったのかもしれない

            自分の親が子供を亡くした悲しみも

  わが子が自分の子供を亡くしたかなしみも

       自分の愛する子供を亡くした悲しみは
     
    亡くした本人にしかわからない

    わからないのが   ダメだといっているのではない

 

        わからないのだから  悲しみに 触れなくていい

   お天気の話でもしてくれたほうが  いい人


   触れてほしいと誰も頼んでいない

           触れないほうが親切

         母はボケていたから  健一が死んだことは理解できなかった
父は  電話をして報告した時  ただ泣いていた

    ただただ  ひたすら「そうか・・・・」と泣いていた

   その後にあったときも   健一のことに触れなかった

   子供を亡くしている父のやさしさだった

今は  あの世で  孫の健一と父と母と自分たちの娘と 一緒にいると信じている

  
    「あ・・・・・あ・・  さちこは・・・しょうがないな・・・・」といいながら・・・

    

    

復興と復旧  阪神淡路の失敗が繰り返されている

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野田先生のお話

  被災地の復興というが  復旧でいい・・・・・・

 建築家や役人などの担当者は

    真っ白なキャンパスに絵を描くように  立派な街づくりを目指すが

   先祖代々そこで生きてきた人たちは

     元のような街で十分で…・元の街の面影がない復興された地域で住むのは

     よその街にきたようなもの

 孤独感や疎外感に襲われる

     人にやさしくない街づくりをしようとして   

 阪神淡路では  孤独死や自死が増えた

     やるべきことは

こころのケアではなく

       復興ではなく   復旧

 担当者の理想の街づくりをするのではなく

     市民の理想の街づくりをすることが大切なのだ・・・・・・

こんな内容のことを  話してくれた

   今朝テレビで  有名な建築家が  石巻市の被災地の街づくりの構想を
  シンポジュウムで披露していたのを聞いて

    野田先生のお話を思い出した

  何もなくなった更地だから
一から自分たちの好きなように街を作る!という人たちが リードする街は

    地元の人たちには  馴染まない  よそ行きの街になる


   東北の沿岸部の人たちにやさしい街作り

        大切な気持ち

自助グループの運営支援・・・・・あれ?1億円は誰に?

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8、遺された人への支援を充実する

(1)遺族の自助グループ等の運営支援

事業概要等

遺族等のための自助グループ活動支援を行う民間団体等に補助を行う

    厚労省

毎年 1億円以上の予算

   自助グループ等の運営支援となっている


   厚労省に聞いてみた

         応えられない  明日担当者から連絡が来る

    毎年、宮城県や仙台市をとおして  書類がくるが  たぶんそれだろう

    申請をしたことがある

     宮城県の当時の担当者と相談して・・・・・・

        1回目  53万円


    2回目  自助グループ活動批判の内容で却下

     その後は 申請していない

   自助グループの活動そのものの批判だったから

     無理だと思った


  まさか  項目に  自助グループ支援が明記され

   1億円以上が毎年使われていることを知らなかったから


    自助グループの全国活動団体は  全国自死遺族連絡会だけ

     自助グループ活動を公開している団体は

   そのほとんどは 連絡会の会員がやっている


     1億円の恩恵は誰もどこも 受けていない

        調べてみた

      いのちの電話や 神戸限定の支援団体や

     福井限定や 白浜限定  そのほとんどは

     ある団体の系列団体


       なぜ  日本で唯一の自死遺族の自助グループの全国団体が

     受けられず   地域で活動している自助グループも受けられず

       自助グループ活動支援と明記しているのか・・・・


    自助グループが活動をしていなく、申請もしていないなら

      仕方がない

       全国に自助グループが36か所あり

         全国活動をしている自助グループ団体 が 申請をしているのに

     却下し    
           特定の系列団体だけに1億円が補助されているのは許せない

自助グループに支援をしたくないならば

       しなくていいので   補助金として予算は必要ない


     これまでの  事業も審査して返却してほしいくらいだ

         自助グループが支援を受けているような誤解を招く
     予算は廃止してほしい

いかにも自助グループに補助金を出しているような  まやかしは

     通じない

     こんなことが 発覚するから

        自助グループの団体を委員として参画させたくなかったのだと

          いまさらにおもう

自助グループ支援と大綱に書かれている

   きちんと自助グループ支援のために補助金を使ってもらいたい


     支援を望んでも   拒否するような県もある

            追及をするつもりです


     書いてあることを書いてあるように守ってほしい

 自助グループの定義は 岡知史教授の講演記録に書いてある

    緩やかな自助グループという言い訳は通用しない  
(他者が運営しても遺族が参加していたら自助グループだといういいわけ)


自助グループの定義は自助グループの研究者たちが論文で発表している

   定義は定義である       

学生のバイトのためのユニオン

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札幌で 学生のアルバイトのための ユニオンができた  

  という 記事が以前掲載されていた

   組合がない職場で仕事をしている人たちを
  守るために  個人で入れるユニオン   バイトやパートでも加入できる

         東北にもほしい

       

悲しみの回復論・・・・・感性の鈍い人たちの発想?

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 愛する人の死

     悲しみ 

  この分野に名前が出てくる人は 海外の人がほとんど

海外の人の考え方

     翻訳されていたとしても   表現も 違和感がある

   フロイト   ストレーベ  ボウルビィ

   パークス

   回復するという考え方

      キリスト教徒・・・・

    もしかしたら  ユダヤ教

         靴を履いて  椅子の生活

   パンを食べ・…ハグをする

       シャワー   


仏教   お風呂や温泉

      ご飯を食べ  靴を脱いで家で座る生活

    仏壇があり…お彼岸やお盆があり

         お正月があり・・・・

     風土 文化 習慣が違う 

   なぜ  全く違う社会に住む人たちの悲しみを

     違和感なく  日本に持ち込んだのだろうか

  あくまでも  海外の人の考え方としての紹介ならわかる

      日本人を研究もせず

疑問も持たず      そのまま  日本人にも当てはめて考えた人たちは
     学者としては 
               海外では受け入れられない

  日本だから   悲嘆の権威のように 持ち上げられたのだろう

       ただ 海外の文献を翻訳し まとめただけの内容なのに

     独自の研究が一つもない

   精神科の教授と一緒

      翻訳した本を出している人が  それなりに有名

    精神科医療も

      日本人は日本人の精神を研究し  それをもとに カウンセリングも
   
     クスリも  組み立てなければ

         合うわけがない


  心・・・精神・・・には   土地の文化  風習   教育

            宗教    の影響がある

    その背景を  思うことなく   触れられるわけがない

   こんな初歩的なことにも思いを馳せられない

     大雑把な人たちが

     人間のもっとも人間らしい感情である

    悲しみがケアできるはずがない

    だから
   笑っていると  悲しみが消えた・・と思い

   泣いていると  お通夜のように重くなるのでしょう

       悲しみは乗り換えるものではない

     明るく笑っていても   悲しみはある

   悲しみがあっても笑える

           100パーセントではなくても  笑える

   生きるということは  そういうこと


  悲嘆回復の本を読むたびに  精神医学と同じだと感じる

      もう少し  まともな研究者はいないのだろうか

       

被災者ではない私の惑い

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「法話の会」  を  求め


    応えてくれた住職さんがいる

      仙台「慈恩寺」には いろんな人たちが集う

       岩沼はお寺での開催ではない

仙台まで来れない 遺族の参加もある

   特別の広報はしていないが

    岩沼は公民館で開催の時は仮設住宅にチラシを配っている

       今年度  これからの 開催場所を仮設の集会所との提案を受け

     明日交渉に行く(岩沼は社協担当)

  仮設での開催になったら   私は参加できない

    家も流されていない私は 被災者ではない
(マンションは被害にあったし、部屋もヒビが入ったがこれくらいでは被災したとは言えない)
      仮設住宅の集会所を借りて 支援するのはいいのだろうが
          支援者でもない私は部外者

  とても複雑

  つなみで子供を亡くした親の中にも  仮設の集会所での開催には

        複雑な人がいる

(家が流された人たちの仮設・…・流されていない人たちとの違い・・・)

   どのように かかわれるのか・・・・・・・・・いや かかわれないとしたら

     誰にどのように   任せるのか・・・・・・

      仮設での お念仏は無理のような気がする
  (会長さんも・・・・・・・集会所でのお念仏は・…と悩んでいた)


  

   むしろ 半年に一度とかの お寺さんでのお坊さんと遺族の集い
(法話やお念仏   遺族の声)
      は できると思う

  それは  私も関われるが・・

とにかく明日行ってみよう

   震災の遺族のためだけの「法話の会」の開催への移行

       震災の遺族の人たちが   ようやく他の遺族のことも
     
      想えるようになってきたのになぁ~~~~

          

   

      

2005年5月RV車の飲酒運転の事故

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5月23日

  RV車の飲酒運転により育英高校の生徒が3人死亡した日

 この日は 毎年  ニュースで健一が 道路を図っている姿が報道される

  休みの日  朝早くに連絡がきて

      帽子もかぶらず   横断歩道を図っている息子の姿が・・・・・

   あの事故がなければ・・・・・・・子供たちも死なずに・・・・息子も生きていた

        一人の安易な気持ちが  大切な命を奪った

   防ぎきれない事故もあるのだろうが

          交通事故の大部分は防げる


    学校のいじめも防げる・・・・・・・


     パワハラも防げる    一人ひとりの命に対するやさしさ

          自分のいらだちを  他人に向けない気持ちがあれば・・・

   どうして 人は人を傷つけて 満足するのだろう

      少しだけ  人に感謝  少しだけの思いやり

      少しだけのやさしさ

        ほんの少しでいいのに・・・

      亡くなった人の魂の存在を信じない人は

         傲慢に生きる

   いじめた人が死んでも反省もしない

       いじめた人たちが幸せに生きれる社会

           死亡事故を起こした人が幸せに生きる社会


    パワハラをして追い込み死なせた人が幸せに生きている社会

         いいんだろうか

     喪われた命に 謝罪のできない社会

        「謝らないんだよ・・・・」と  運転手に怒っていた息子を思う
          

「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」あれ?機械?

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 宗教者によるこころの電話相談というのが震災後できた

  1回 苦情の電話をかけた

   「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」

   と
        何を言っても機械のように正確に「ハイ」「ハイ」と応える

  以前  国立精神・神経医療研究センターの長と 電話をしたときと同じ

    正確な感覚で「ハイ」「ハイ」「ハイ」   と返事をする

 沈黙してみた

     結果・・・・・・・・「ハイ」「ハイ」「ハイ」は続く

   感情のない  抑揚のない「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」

    こちらが  話してもいないのに

 「ハイ」は続くのである

           結論  聞いていない  


     電話相談を受けている人に  「聞いてますか?」

     「ハイ」

   私の苦情に対してどう思いますか?「ハイ」

  何を言っても「ハイ」だけ・・・・

    お名前は?の問いには 「ハイ」ではなく「○○です」と答えた

      彼が話した言葉「ハイ」と「○○です」

    傾聴がはやっているが

     聞いたふりをする技法がある    私は教わったことがある

    目線を変えていくのである

        ゆっくりと・・・・・・・・・いかにも 真剣に聞いてる風には見える

    でも聞いていない


  電話の受け答えも「ハイ」「ハイ」「ハイ」だけでは・・・・・・・

 ある  カウンセラー  は  能面のようだ

   いや  能面は感情に溢れている  能面に失礼だ

     飲み会で笑ったカウンセラー(市立病院の) 「あ!笑ってしまった・・・・駄目ですね・・・」
    といい
          気まずい雰囲気の能面に戻った

    感情をあらわにしないで  冷静に・・・・・を

      勘違いしているのではないだろうか

        電話相談も  自分の感情を移入しないように・…・聞く姿勢

    を  勘違いしているように思う

   臨機応変に 対応すること・・・・・が  できていない


人間らしい対応ができないなら人間である必要はない

  機械での対応でいい

   「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」「ハイ」

      今も 耳に残っている

溝の深さ

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 自死遺族の集い

    行政が主催  の   遺族の会

   保健師は転勤があるので担当は変わる

   行政は必ず報告書を書く

    仕事として 遺族の会の開催をしている

          そこには税金が使われている

  お茶を買うのが税金ではない

        給料として 支払われている

    ボランティアで仕事抜きで  会の運営はしない

      会議で決めて 事業として開催している

    だから 報告書は必須

       そして  年間予算が 決められている

    よって   講師を招いて  講演会や研修会

          毎回の会の開催に  有名な会の理事長や理事などを講師として招き

       話し合いの時間にいてもらう(有料)

          私は  憐れんで欲しくない
    憐れまれるのは 息子も望んでいない

          かれらは  自死遺族を憐れみの目でみている

         かわいそうな人たち

        私は「悲しみを抱えている」が

            かわいそうな人ではない


        自助グループは   そんな意識を持った人たちが  集う

     「悲しい話を期待している」 人たち

           と時間は疲れる

「悲しい人」を演じる自分がいたりする

  せっかく  こんな場所を作ってくれrているのに

    期待に応えなければ・・・と


    しかし
   人はそれぞれ

        遺族だけでは   安心しない人もいる

       保健師がいるから  安心という遺族もいる

            そこに  自助グループができると

     支援者主催の会には遺族はほとんど行かない


         それは  何を意味するのか

             遺族は遺族に会いたいのであって

      支援者に会いたいのではない


     いくら  寄り添う雰囲気であっても

    帰れば  子供がいて  夫がいて

  孫もいて
         親もいて
              仕事も安定して

       愛する人は存在する人たち

             交わることのない  溝がある

   溝の深さは   埋められる

          それは

   「気持ちはわからない」と思う意識をもてるかどうか

        わからないが・・・・・・・一緒に歩いて行きたい・・・・と 願うかどうか

    遺族よりも遺族のことをわかったような意識があったら

     溝は深くなるだけ


      人が大好きで 人間が大好きで

    楽しいことも苦しいことも悲しいことも  全て含めて

     人間が大好きかどうか・・・・


    自分を戒められるかどうか

             そんな気持ちのある人は   


   遺族の話を聞くと疲れるとは言わない

     しんどいとはいわない


           私は  自死遺族でなければ   自死遺族にはかかわらなかった

      ボランティアは無理

         支援者にはならない  なれない性格

         人のために尽くすタイプではない

      冷たくはないと思うが   自分を捨てて 自分よりも

         人のためという性分ではない


      育ててくれた母親のようにには    生きていない

    仕事として支援者

         お金を得て 支援   


       それはそれで  納得

       お金を得るならお金の分はしっかり支援してほしい


   と   嫌な性格の私は  思ってしまう


  ほんと  いやなやつです  わたしは

        

           
   

母親の仕事

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母親としての仕事

      子供が仕事をして結婚をして孫も産まれた

     息子がパワハラや過重労働で 心が折れそうな時期  私は何をしていたのか

    パートをつづけ  その合間に  精神科を探しただけ

     気が晴れるかと思い 遊びに連れて歩いたが
                     根本的な打開策を取らなかった

   署長との話し合いを提案したが
                      息子は望まなかった

    裏工作が嫌いな  まっすぐな息子を思ったら

       内緒で 話は進められたはず

    小学・中学・高校 母親としての仕事を一番にしたつもりだったが

   2005年 命がけで 息子を守る努力をしなかった

その結果   息子は逝ってしまった

        自分の生活優先だった気がする

       息子の母としての仕事に忠実ではなかった

どこか 精神科という他人に任せて  安心していた

   どこか  息子の家族に任せて  安心していた

          息子の母として の  仕事を全うしていなかった

死ぬまで いや  死んでからも   母としての仕事をするのが
      子供を産んだ母の務めだった

  育ての母の言葉

 「私には何にもしなくていいよ・・・・自分の子供に自分がしてもらったことをしてあげなさい」  

         「それが親孝行だから」と・・・・

   子供を亡くして…他人の私を育てて愛しんでくれた母は
      最後の最後まで母の仕事をして
            死んでも母としての役割をしてくれている


    私の母の生き様・・母の母としての仕事は  今もできていない

     健一は   どうみているのだろう     

       

正しい知識を学ぼう

申請棄却の理由

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以前 47都道府県に1か所の自死遺族の自助グループの立ち上げ支援を目的として

全国自死遺族連絡会が申請をしたとき

厚労省からの補助金が受けられなかった理由

1:当事者(遺族)に必要な支援が行われるよう、各地の関係機関などとよく連携がとれていない、
2:自死遺族だけですべての活動を展開しようとすることに無理がある。
自殺予防は、できることとできないことを見きわめて、出来ないことに対しては適切な援助希求が必要である。ネットワーキングを考えるべき。
3:組織作りの働きかけを補助金で進めることへの疑問。自主財源との関係の整理(ほとんどが寄付であることに対して)
4:立ち上げ後の活動についての検討がされていない。
5:立ち上げのための補助金が旅費だけで効果があることを説明できるのか。

という指摘でした。

自死遺族の自助グループというものが理解されていないと感じます。

今もです


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自助グループ活動

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 自助グループの活動をしている遺族

   またはこれから活動をしている遺族

    自助グループの活動に批判的な人は誰?なのか・・・・・は 知ってほしい

自助グループの活動を認めない人と  連携はできない

       お互いに認め合って  連携ができる人や団体でなければ

          自助グループはアリバイに利用されるだけである

       
   県が主催で保健師がスタッフの会があるが

   保健師たちだけで行っているなら  まだ 納得だが

      遺族支援団体から支援者を講師料を払って呼んで開催している行政は最低だ

       支援団体の支援者・・・・・って  どんな資格の人?

      保健師が精神保健福祉士という資格を持っていて

   なぜ   遺族でもない  素人を講師で呼ぶのか意味不明
       
     団体の代表っていう肩書きに  目が見えなくなる保健師は  プライドがない

    支援者の団体から
          自助グループは学ぶものはない

   反面教師としての学びはあるが・・・・

     自助グループから支援グループは学ぶべきである

  その考え方を・・・・・・

       そして  自死遺族の自助グループのあり方も

       自助グループの研究者との連携を大切にして

     先人から学び  研究者とも話し合い

            自助グループの基本を守り
 
    相互扶助の精神を土台として

             ゆるやかにつながり   ともに一緒に生きていけたらと願って

    日々 活動をしています

          交われない人たちとは  交わろうとは思わないことにしている

         傷つくだけだから

   

明るい笑顔の下に  悲しみや苦しみを抱えている人もいる

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明日は遺族の「茶話会」

  自死遺族だけとしていたが 病気や事故の遺族からの相談も多く
 遺族全般としている

   みなさん  悲しみを抱えながら  生きて行くことを受け入れるようになる

   泣いている人もいれば  笑っている人もいる

  笑っているとき  突然泣き出す人もいる

            日にちの浅い人が参加した時は
    わかちあいになる

  臨機応変に  その時の参加者の雰囲気で 会の雰囲気は変わる

     悲しみは病気ではないので

     悲しくて  精神科の薬を飲んでいる人には  減薬と断薬を進める

     トラックいっぱいの薬を毎日飲んでも

    悲しみは消えないから・・・・・

生き返らない限り悲しみは消えないことを伝える

      愛する人の突然の死  悲しい

   それは自然な感情

      半年や2年くらいで 悲しみが消えるなんて   

  悲しみが続くのは複雑性悲嘆という精神疾患だという
      主張をして講演したり本を書いている人が

   その人たちも愛する家族を突然亡くしてみてから
         主張してほしい

     所詮   他人の悲しみを想像しているだけ

        対岸の火事  机上の空論

       百聞は一見に如かず   

     愛する人を突然に喪った遺族の気持ちがわかるはずがない

   お産をしたことがない人に  痛みがわからないように

      体験していない人に   愛する人との死別の悲しみはわからない

      6か月間  朝から晩まで 一日中泣けない

    食べることもする   お風呂にも入る
   買い物もする

     明るくして話しているから
         悲しみが薄くなったわけではない

     元気にしているから   悲しみが消えたわけではない

        身体の一部として  存在する

      なぜ  笑っていたら 悲しみがないと思うのか

   薄っぺらい 人生を送ってきた人たちの発想

       人は明るい笑顔の下で  死を想うこともあるのです
          
      

            

自死遺族の自助グループへの補助金1億円・・・・・・・・どこに使われているのでしょうね

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19年度246億円
     20年度225億円

       21年度~23年度100億円
       21年度159億円
       22年度124億円
       23年度134億円

24年度236億円     25年度 337億8千万円  26年度359億5千万円

   このほかに 一括要求しているよさんについては

  関係省庁の予算にそれぞれ計上している

厚労省だけで 206億円


過労死も過労自死も 相変わらず多く

 鬱の早期発見早期治療で  受診率は高くなり

精神科通院歴ありが多くなっている

   
  次が文科省 100億円  


 そのわりに  いじめ対策も遅々として進まず
 相変わらずいじめ自死が多く
    


25年度内訳

 実態解明の 調査

厚労省

厚労省科学研究補助金
「障がい者対策総合研究事業費」  12億5千万円

内閣府

総合対策推進・検証経費       450万円
政策課題等調査研究経費     1150万円


情報提供体制の充実  
自殺予防総合対策センター経費
(国立精神・神経医療研究センター運営費交付金)     45億円

自殺未遂者・遺族等の実態及び支援方策についての調査の推進

自殺予防総合対策センター経費
(国立精神・神経医療研究センター運営費交付金)     46億円


実態を明らかにする

文科省
児童生徒の予防についての調査推進
  児童生徒の予防ぬ向けた取り組みに関する調査研究    280万円


厚労省
うつ病等の精神疾患の病態解明及び診断・治療技術の開発
厚労省科学研究費補助金
「障害者対策総合研究費事業費」                 12億5千万円

内閣府
既存資料の利活用の促進
地域自死関連統計資料の集計及び分析方法の検討経費   2590万円



こんな風に延々続く

  寄り添い型相談支援事業(震災後にはじまった)
            250億円

  

   そのほとんどは 厚労省事業費   精神障がい者や うつ病の啓発

    ガン医療


厚労省
遺族のための自助グループ活動支援を行う民間団体等に補助を行う

という項目がある
   1億370万円
       どこにつかわれているのだろう

自助グループ活動支援を行う民間団体への補助・・・?????

     1円ももらっていない

どこの 自助グループが もらっているのだろうか

  どこの自助グループが支援されているのだろうか





      

災害関連自死の認定基準

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災害関連自死認定基準



自殺

故意(本人が任意に引き起こした)であることであることだけをもって
    一概に関連性を否定するものではなく、
次の点を考慮し、判断する。


(1)発作的なものではなく、精神疾患に基づくもの
*精神的鬱状態、自律神経失調症、言語異常等が

     精神科医により診断されていること

*精神安定剤、睡眠薬等が投与されていたこと

*PTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断までは必ずしも必要ではない


(2)上記疾患が、震災を契機としたストレスによるものであること


(注)1上記の基準は、必ずしも、数値によるポイント化できるものではないので、
      個別に判断するしかないが、著しくかけ離れるようなケースは排除していくこと


厚生労働省から
    各都道府県災害弔慰金等事務担当者に~~~~


   災害関連死に対する災害弔慰金等の対応(情報提供)


  中越地震に決めた基準が東日本大震災にそのまま起用


    福島で起きた  酪農家の自死は

   この基準に当てはまらないのである

    精神科に通う時間もなく  自死しているから・・・・



  内閣府「東日本大震災に関連する自殺者数」というのがある

    認定された自死者ということは  精神科に受診していたということ

    岩手 宮城  福島
   一年半で 73人

関連自死と認められない自死(精神科医の診断がない人)
  明らかに関連自死だとしても・・・・

  震災後の廃屋の処理で働き
      手伝いに来ていた 県外の担当者によるパワハラでの自死

  被災地で働き、自衛官をやめたいと願ったのに やめさせてもらえずパワハラ自死

    この人たちは関連自死ではない

  福島の酪農家も   福島の102歳の自死も・・・・

  精神科への受診がないと認定はされない

       昨年は 関連自死が倍増
  
   200人とも言われている

     3県合わせて 年間1,000人前後の200人

      20パーセントが関連自死

    そのほとんどが  精神科の受診

   どう受け止めているのだろうか国は・・・

    被災地での精神科医療への受診率の高さと
    認定自死の多さを・・・・