「癒す」という言葉に 苛立つ
それは 多分 子どもを亡くしたから・・・
愛する人の死・・・そこからくる悲しみ
それは癒されない
家族との争い 職場のトラブル
疲れ 肉体的な痛み は 癒されるとおもう
「癒す」とか「ケア」
は 愛する家族の死への 苦しみや悲しみまで広げるから反発される
身体的苦痛なら 緩和ケアが必要 そしてケアが有効
ガンの痛みのケア や ケガの痛みのケア
一人暮らしの寂しさへの癒し
生きている人たちへの 苛立ちによるストレスへの ケアと癒し
それは できるとおもう
しかし
愛する人の死 愛しいからこその 死という別れの悲しみ
それを 「癒す」とか「ケア」ができるというから
遺族に「できないでしょ」といわれる
遺族の心のケア なんて・・・どうやってできるんですか・・と反発される
ケアや癒しが効果的な 人たちに どんどん 施したらいい
表面から見た「悲しみ」が一緒だから・・・同じ「悲しみ」に見えるとしたら
想像力の欠如
身体的症状 泣いている・・・苦しそうな顔
落ち込み 意欲が湧いてこない
食欲の低下 眠れない 眠りが浅い
しかし
その原因はそれぞれに違う
その事に思いを馳せることもなく
悲しくて泣いているのは一緒 という 感性の人たちが
遺族の心のケア とか
遺族の悲しみを癒す とか いう
アメリカ的というか
おおざっぱな感性
乱暴で強引で 繊細さの欠片もない 考えかた
原因は何でも 悲しいということは一緒だから
同じ方法で 癒せる・ケアできる と・・・
そこに 気がついていない・・人たち
気がついている人は
死別の悲しみを癒してあげる・・
死後半年で悲しみをのり越えなければ病気とはいわない
かなり知られているグリーフケアの 教授が
ある時 こういった
「遠くから見ると 『悲しみ』 は同じ」
「だから、自死も病気も事故も 子どもを亡くしても親でも・・・家をなくしても
仕事をなくしても、転勤でも 猫でも 犬でも・・・
みんな『悲しみ』という
喪失感は同じ 」 と・・・
なんて大雑把ないい加減な 人・・・と 私は 感じた
その人と 講師契約して 遺族のケアをしていた 行政や民間団体があった
2011年の震災後の被災地の行政も契約していた
(女川・・・など)
契約のお金は税金
そんなことが 今現在も 全国の自治体で行われている
有名支援団体からの講師派遣
卑しい人たちである